ハリー・ポッターと虹の女神   作:セバスチャン

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※3/28 一部修正完了しました。出雲家の設定を付け足し。
イリスの親族関係の年表を作ってました。ゴーント家ややこしや…。



Page2.ルシウスの姦計(前編)

 空港へ向かう途中、イオはやっとイリスがしている耳当てに気づき、訝しげな声を上げた。

 

「何だその耳当て?」

「あのね・・・」

 

 イリスは得意満面の様子で、耳当てを付けるに至るまでの経緯を話した。イオは少しだけ驚いたように目を見開いたものの、後は穏やかに微笑んで、こう言った。

 

「そうか。お前もついに一人前か。・・・その力はな、神様がお前を助けるために与えてくれたんだよ。お前の母さんもそうだった」

「おばさんはその事を知ってたの?どうして私に教えてくれなかったの?」

「出雲家の仕来りだからね」イオはきっぱりと言った。「神様が一人前だと認めて力を授けてくれるまでは、力の事を伏せておかなければならないんだ。・・・それにしても、はるばる日本から来てくれたなんて。スクイブ(わたし)にも当主になる事を許してくれたし、うちの神様は優しいな。家に帰ったら、真っ先にお祈りに行くぞ」

 

 

 二人は無事日本へ帰り着いた。飛行機を降りた途端、独特の匂いがして、その正体を見極めるためにイリスは無意識に鼻をクンクンさせて、はたと思い出した。――醤油だ。日本って醤油で出来てるんだ。イリスは何だか可笑しくなって、ふふっと笑った。本当に帰って来たんだ、日本に。

 

 空港から実家までの長い帰路の途中で、イリスはイオに、この一年間であった様々な出来事を話して聞かせた。手紙だけでは伝えきれなかった事が、沢山ある。イリスの話は滞りなく進んでいく。途中でイリスの好きなファーストフード店に寄り食べ物を調達しつつ、車も運転しつつ、イリスの話も聞きつつ――イオは久しぶりに賑やかで忙しい時間を過ごしていた。

 

 イリスが禁じられた森で黒い影に遭遇し、触れられる寸前で逃げ出した話に差し掛かった時、イオがイリスを手で制した。

 

「それでね、ドラコがね・・・」

「―――ちょい待て。禁じられた森で見たその黒い影は、何者なんだ?何でそいつはユニコーンの血を飲んでたんだ?」

 

 話に水を差されたイリスは「順を追って話そうとしてたのに」と言わんばかりの不満そうな顔をした。イオが尋ねている事は、ハリーたちと命懸けで織り成した壮大な冒険活劇のオチだ。だがイオが早くそれを知りたいなら、仕方がない。イリスは『黒い影の正体はホグワーツの教師だったクィレルで、彼はヴォルデモートの魂をその身に取り憑かせ、衰弱した主のために血を飲んでいたのだ』と教えた。

 

 ――途端にイオの顔は真っ青になり、笑顔が消えた。その顔を見て、勘違いしたイリスが慌てて付け足す。

 

「大丈夫だよ。もうクィレル先生も例のあの人も、ハリーが倒してくれたから。もう終わったんだよ」

「・・・・・・そうか。安心したよ。で、ドラコ君がどうしたって?」

 

 長い沈黙の後、イオは愛する姪を不安がらせないために辛うじて笑って見せ、続きを促した。イオが衝撃を受けたのは、イリスが話していたオチの部分ではなく、『黒い影――すなわちヴォルデモートがイリスに触れようとした』というおぞましい事実だった。何者かが矢を放ち守ってくれていなければ、イリスがどんな目に遭っていたか――。イオはぶるっと身を震わせた。

 

 ――ホグワーツは安全じゃないのかよ。あいつに思いっきり見つかってんじゃねえか。イオは『イリスをホグワーツに行かせるよう』彼女を説得し約束させた、ホグワーツの校長であるアルバス・ダンブルドアを思い出し、怒りを孕んだ瞳で目の前の信号を睨み付けながら、静かに唇を噛みしめた。ホグワーツが思ったほど安全地帯ではないのか、それとも闇の帝王が強すぎるのか。魔法界にそれ程精通していないイオには判断しかねるが、イリスを守るためには、ホグワーツに送り届けるだけでは不十分だという事だけは痛感した。ホグワーツ内でも彼女を守るものが必要だ。イオはそう決意し、青信号に従ってアクセルを踏み込んだ。

 

 

 数時間後、二人は無事、実家へ帰り着いた。小さな出雲神社は相変わらず、鎮守の社である豊かな森林に囲まれて、厳かな雰囲気を纏ってそこに佇んでいた。イリスはイオに促され、小さな頃からしてきたように鳥居をくぐり、手水舎で手を清め、拝殿へ赴き、一年の無事と力を与えてくれた事を神様に感謝した。

 

 閉じていた瞼を開けると、不思議と気分がきれいさっぱり清められたような気がした。イオはまだ隣で両手を合わせて祈っていたが、やがて瞳を開けてイリスを見た。

 

「これでお前も晴れて、出雲家の一人前の魔女だ。さあ、本殿へ行こう」

 

 イオは拝殿の奥の本殿へ進んだ。イリスはドキドキしながら、イオに付いていく。今まで本殿に入る事をイオに禁じられていたからだ。

 

 本殿は拝殿よりもさらに小さくてボロボロだったが、まるで建物自体が光を帯びているように明るく、不思議な神々しさを放っていた。イオ曰く、漆や金箔で仕立てられた立派な拝殿は一般的な参拝者向けで、本殿の方が魔法族用(出雲家の人間と日本の魔法使いのみが参拝する事を許される領域。今はイオとイリス位しか参拝者はいないが)なのだという。

 

 イオは本殿に一礼してから、閂を外して扉を開けた。中は思ったよりも広々としていて、両脇に大きな棚が作り付けられ、無数の書物や道具が整頓されている。向かいの壁には立派な神棚があり、イオはそれにも一礼した。イリスにも同じようにさせると、棚から書物や道具をあれこれ取り出して、色々と説明してくれた。

 

「出雲家の人間が代々開発してきた魔法や、魔法を込めた道具の作り方が記してある。ここにあるものは、全部好きに使っていい。・・・ただし、決して書物だけは、他の人間に見せてはいけないよ。企業秘密ってやつだ」

 

 イリスは興味津々だった。きらきら光る翡翠でできた勾玉や、美しい絵巻物、札、いわくありげな書物・・・などなど。イリスは、ふと『虹ノ涙ニツイテノ考察』と書かれた虫食いだらけの書物を手に取った。

 

「『虹の涙』って何?」

 

 イオはもったいぶって咳払いをしつつ、こう言った。

 

「出雲家の人間は、二つの固有魔法を持っている。一つは、動物と話せる力。そしてもう一つが『虹の涙』だ。簡単に言えば、死者を蘇生させる魔法だ。だが、一度しか(・・・・)使えない。そして使った後は、出雲家の魔法の力は二度と使えなくなる、と言われてる」

「じゃあ、『虹の涙』を使ったら、二度と動物と話せなくなるっていうこと?」

「それどころか、ここにある魔法も、魔法の道具も、全部使えなくなる。これらは全部、出雲家の魔法の血で動かしているからね」

 

 なんてリスキーな魔法なんだ。イリスは絶句した。死者を蘇生する魔法なんて、ホグワーツでも聞いた事がない。もしかしたら単に自分が勉強不足なだけなのかもしれないが、ハーマイオニーなら知っているだろうか。

 

「どうやって『虹の涙』を使うの?私でも使えるの?」

 

 イリスが好奇心をむき出しにして尋ねると、イオはイリスから書物を受け取り、パラパラとめくった。

 

「それがわからないんだよ。代々使い方は『来る時が来ればわかる』とだけ言い伝えられてきてな。詳細が一切わからん。・・・この十五代目は随分それについて研究していたようだが、最後のページになんか訳わからん事を書き残した後、当主を引退してしまったらしい」

 

 イオは最後のページを見せた。そこには、達筆な文字で『虹ノ涙ハ愛ノ架ケ橋ト心得タリ コノ研究ハ終イ 後進ニ席ヲ譲ル』とだけ書きつけてあった。

 

「私が思うに、十五代目は、試行錯誤の末どうやったんだか知らないが・・・最後に『虹の涙』を使ったんだろうな。そして力を失って、次の代に当主の座を譲ったんだろう」

 

 イリスはふと疑問に思った。

 

「お母さんは使ったのかな?」

 

 イオは少し考えるように顔を伏せた後、イリスの瞳をじっと見た。まるで今から言う事を彼女に本当に聞かせていいのか、考えあぐねているようだった。やがて決心がついたのか、イオは言葉を選ぶようにゆっくりと言った。

 

「お前を預けて立ち去る時、エルサは杖を持っていなかった。だからきっと・・・誰かに『虹の涙』を使ったんじゃないかな。その時は聞く余裕すらなかったけど、今になって考えると、わたしはそう思う」

 

 その時の光景を思い出しているのか、イオの瞳にはうっすら涙が浮かんでいた。イリスはイオの手に、自らの手を置いた。

 

「おばさんは、お母さんの事が本当に大好きだったんだね」

「ああ、大好きだった。それだけじゃない、お前のお母さんは出雲家の中でも、とりわけ力の強い魔女だったんだ。動物以外のもの――植物や物とも話ができたり、時と会話して過去や未来を見通す事ができた。・・・自慢の姉だったよ。あいつと心を通わせられないものなんて、この世にないんじゃないかと思った位だった・・・蛇以外はね」

「へび?」

「ああ、言ってなかったかな。すまん。うちの神様は虹蛇様だろ。動物の蛇は、神様の現世における御姿だ。だから神様の領域を侵さないために、出雲家の人間は蛇とだけは話せないのさ」

 

 その後、イリスはイオと共に、力の制御の仕方を練習した。それは意識するだけという簡単なものだったが、ひと月もしないうちに、イリスは耳当てなしでも意図的に人間の言葉とそうでないものの言葉を自在に聞き分けられるようになった。

 

「難しく考えることはない」イオは繰り返し言い聞かせた。「人とお喋りする時、そいつの声に集中してるうちに、同じ位の音量で話してる周りの声があんまり聞こえなくなるだろ?そういう風にすりゃいいのさ。・・・ま、わたしの制御の仕方は書物の受け売りだけどね」

 

 

 イリスはハリーたちに『無事家に着いた。またロンの家で会おう』という旨の手紙を書き、手紙が届くまで、力の制御の練習をしたり、ホグワーツの宿題を(ちょろっと)したり、出雲家の書物を読んだりして過ごした。特にペットのフクロウのサクラやウメとお話しするのはとても楽しかった。フクロウの観点から見るホグワーツの話は新鮮だったのだ。

 

 しかし、待てど暮らせど一向に友人たちから手紙は返ってこなかった。特にロンは、自分の家に招待すると言ってくれたはずなのに。イオに聞いたら「日本とイギリスなんだから、そりゃ日数はかかるだろうよ」と言ってくれたので、イリスはただじりじりと待った。

 

 八月に差し掛かったある日の朝、いつものように郵便受けを覗いたイリスは、思わずアッと大声を上げた。――イリス宛の手紙がある。それも二通も。わくわくしながら取り出して、差出人を確認する。一つはホグワーツからの手紙だ。二年目になるので、新しく教科書を用意するようにと書いてある。もう一つは、ドラコからの手紙だった。もう一度念入りに郵便受けを覗き込むが、ロンからの手紙はまだ来ていないようだ。どうしてみんなから返事が来ないんだろう。手紙を出してから随分経っているはずなのに。イリスはがっかりしてため息を零した。

 

 やがて気を取り直し、イリスはドラコからの手紙を開封した。イリスにとっては想い人からの手紙だ。自然と胸がときめいた。上質な蝋の封を剥がし、中を覗き見る。

 

「・・・あれ?」

 

 驚いた事に、封筒には手紙が入っていなかった。その代わりに、何かが入っている。イリスは封筒を振ってそれを手のひらに落とし、手に取ってしげしげと眺めた。半月型の古めかしい金属片だ。ピンポン球程の大きさで、ずっしりと重く、表面には左を向いた女性の姿が刻まれている。――ひょっとして手紙を入れ忘れたのかな。それとも、これが魔法界ならではの、何かのメッセージなのかな。思案を巡らせながら、イリスは不思議とその金属片に視線を吸い寄せられ、離す事が出来なかった。

 

 ――それは、声なき声で、イリスに何かを囁きかけた。

 

 突然、イリスの心が『ドラコに今すぐ会わなければならない』という凄まじい使命感に燃え上がった。まるで雷に打たれたように、その考えはイリスの脳内をあっという間に支配した。――そうだ、ドラコに会いたい!もうロンなんてどうでもいい!それは暴力的な焦燥感となって、イリスを猛烈に責め立てた。金属片をポケットに滑り込ませると、イリスは矢も楯もたまらず居間へ駆け戻り、イオにマルフォイ家に行きたいと訴えた。

 

「けど、ロン君の手紙を待つって言ってたじゃないか」

「そんなのどうでもいいもん!ドラコに会いたい!」

「どうでもいいもん!ってお前・・・」

 

 ドラコと離れているという事実が、もはやイリスに耐えられなかった。心臓が強く締め付けられるように苦しい。どうしてこんな大変な事に今まで気が付かなかったのだろう。――ドラコと別れた時、自分の体は二つに引き裂かれたに違いない。残りの半身をドラコが持っていて、彼に会えばそれが満たされるんだ。イリスはそう確信した。

 

「お前・・・そこまでドラコ君のことを・・・」

 

 イオはイリスの尋常ではない勢いに圧倒されて、何も言えなかった。どうやらわずか一年のうちに、大事な姪には早くもボーイフレンドができたらしい。その残酷な事実をイオは泣く泣く理解せざるを得なかった。ならば、ロンに断りの手紙を入れてからイギリスへ出発しようと渋々言うと、イリスは返事もそこそこに慌ただしく荷物をまとめ始めた。誰もいなくなった居間で、イオは一人ごちた。

 

「将来はイリス・マルフォイか・・・」

 

 

 それから二週間もしないうちに、イリスとイオ、マルフォイ家の面々は、ダイアゴン横丁で落ち合う事となった。

 

「イリス。これをお前にやろう」

 

 イギリス行きの飛行機の中で、イオはイリスの首に革ひもを掛けた。ひもの先には、きれいな翡翠で出来た勾玉が一つ付いていた。イオが作った魔除けのお守りだ。それは内側から仄かに光を放っているように輝き、ドラコ会いたさに気もそぞろになっているイリスの心を現実に引き戻した。イリスは嬉しそうに勾玉を摘み上げ、明かりに透かして眺める。

 

「きれい。ありがとう、おばさん」

「悪いものからお前を守ってくれるように、守護の魔法を込めた。イリス、約束してくれ。誰に何と言われようと、絶対これは外すな。お風呂の時でもだ」

「うん」

 

 イリスがにっこりと笑って頷くと、イオは「良い子だ」と言ってイリスの頭をわしゃわしゃと撫でた。

 

 

 そうして二人はイギリスに到着し、漏れ鍋を通過してダイアゴン横丁へ辿り着いた。イリスはドラコの顔を見た瞬間、ルシウスたちへの挨拶もそこそこに、一目散に駆けて彼をハグした。

 

 ――やっと会えた。ドラコを抱きしめる事でこの上ない充足感と多幸感に満たされ、イリスはその余韻に酔いしれていた。傍から見れば、遠距離恋愛中の若きカップルの感動の再会にしか見えないその光景に、イオは瞳に涙を浮かべ、ルシウスたちは困ったように笑っている。道行く人々は、二人に冷やかすような視線を投げかけた。

 

「お、おい、人前で恥ずかしいだろ!」

 

 ドラコが顔を真っ赤にして狼狽するが、イリスは「だって会いたかったんだもん」と言って離れなかったので、余計に彼はしどろもどろになる羽目になった。

 

 その時、イリスとドラコのポケットから、それぞれ何かが勢いよく飛び出るような、微かな衣擦れの音がして――足元でカチンと冷たい金属音がした。

 

「?」

 

 イリスが無意識にその音を追いかけて地面を見ると、そこには一枚のコインが落ちていた。二つの半月型の金属片を合わせたようなそれは、左側は右向きの男性、右側は左向きの女性の姿が描かれている。

 

「??」

 

 その右側の金属片に、イリスは見覚えがあった。――ドラコからの手紙に入っていたものだ。

 

 何故それが、そんな状態になっているんだ?左側のは、一体どこからやって来たんだろう?――訝しむイリスは、今まで自分を支配していた『ドラコに会わなければならない』という強烈な思いが、たちまち跡形もなく消え去っていくのを感じていた。

 

 ・・・そうだ。イリスは思い出した。自分はロンの手紙を待っていたはずだ。でもこのコインを見たら、急にドラコに会いたくてたまらなくなって、他の事は一切考えられなくなっていた。――いくら手紙が来なかったとはいえ、あんなに楽しみにしていたロンの誘いを断ってまで、ドラコに会いに行くなんて。自分の行動は明らかに常軌を逸している――我に返ったイリスが、今までの自分を思い返して茫然としていると、ドラコが得意げに言った。

 

「ああそれか。パパが君に会えるお守りだって言って、左側のを僕にくれたのさ。右側のは君に送ったはずだよ。・・・フン、ウィーズリーのやつを出し抜いてやった。僕が勝ったんだ」

 

 イリスは悪びれなく言い切ったドラコに、戦慄を覚えた。イリスをまるで賞品か何かと思っているような言い方だが、いつものようにたしなめる余裕は今の彼女になかった。

 

 ――つまり、自分は、コインに操られていたのでは?イリスは恐ろしい考えに到達し、身を震わせた。今になって考えれば、手紙もなしでコインだけ送ってくるなんて奇妙な話だし、お守りだろうが何だろうが人の意志を支配するものを送り付けて来るなんて異常だ。イリスが抱き着いた姿勢のまま震えているのを感じて、ドラコは心配になって尋ねた。

 

「イリス、どうしたんだい?寒いのか?」

「――さあ、二人とも。感動の再会は済んだかな?そろそろ屋敷へ行こう」

 

 ドラコの問いを遮るように後ろから声を掛けたのは、薄笑いを浮かべたルシウスだった。彼は去り際に黙ってそのコインを拾い上げ、ポケットに入れた。そしてまるで氷のように冷たい目で、ドラコの肩越しにイリスを一瞥した。イリスは本能的な恐怖を感じて、思わず目を逸らした。――イリスの心の中で、今までの優しかったルシウスの記憶にピシッと一際大きな罅が入る。

 

 ――コインの事を不審に思っているのが、ばれている。彼女の心臓が、早鐘を打ち始めた。

 

 ホグワーツでの一年を経て、イリスは自分でも知らないうちに精神的に成長していた。人並みに警戒心を抱いたり、物事をある程度冷静に見る事ができるようになっていた。――ルシウスの前で、ドラコに手紙やコインの事を詳しく聞くのは危険だ。イリスはそう結論を出した。彼女の信じていた優しいマルフォイ家のイメージが、少しずつ歪んでいく。助けを求めようにも、唯一の助っ人・イオは、気を使って早々に退散していた。イリスは後ろ髪を引かれるような思いで、ドラコに続いて屋敷への道を辿る他なかった。

 

 

 マルフォイ邸に着くと、イリスは自室へ行って荷物を整理した後、昼食の時間までベッドに座り込み、考えを巡らせていた。マルフォイ家は良い人たちのはずだ、という思いと、友人たちの言葉が頭の中で拮抗する。イリスは頭を振って、よからぬ考えを消そうとした。『何にも知らない振りをしよう。コインだってきっと私の考え過ぎだよ。深入りしちゃいけない』イリスの内なる声が囁いた。けれど、イリスはどうしても芽生えた疑念を振り払う事が出来なかった。

 

 イリスはコインの他にもう一つ、腑に落ちない事があった。手紙は――ホグワーツを除いては――ドラコからの分だけ届いた、という事実だ。『ウィーズリーを出し抜いた』ドラコはあの時そう言った。

 

 イリスは屋敷を出て、広々とした庭へ出た。二度目の訪問となるマルフォイ家は、変わらず美しい。しかし、今となってはそれすら何だか不気味に見えた。手入れされた庭を横切り、敷地内の端にある大きなふくろう小屋へ向かった。小屋の中は屋敷しもべ妖精のおかげで、沢山のフクロウが羽ばたくものの、清潔に維持されていた。イリスは出入り口近くに立つと、自分のペットであるフクロウ・サクラを呼んだ。

 

「ねえ、サクラ。ちょっと来て」

≪なーに、イリスちゃん?またお手紙?≫サクラが羽ばたいて、イリスに近い位置にある止まり木へやってきた。

 

「うん、おばさんに届けてほしいんだけど・・・」

≪客人の彼女に行かせる必要はない。私が行く≫

 

 イリスとサクラの間を遮るようにして、一際大きなワシミミズクのイカロスが飛んでくると、威圧的な口調でイリスに言い放った。夏休み中に仕入れたサクラ情報によると、マルフォイ家のフクロウたちを束ねるリーダー的存在らしい。いくら気の弱いイリスでも、さすがにフクロウに負ける訳にはいかなかった。

 

「いや、サクラに届けてほしいの」

 

 イリスが頑として譲らなかったのは、マルフォイ家のフクロウを警戒していたためだ。やがてイカロスは感情を失ったような薄色の目でイリスを睥睨し、小屋の奥へ飛び去った。サクラを出す時、他のフクロウたちがこそこそ話をしているのをイリスは聞いてしまった。聞かなきゃ良かった、と心底思った。

 

≪愚かな娘≫≪どこに出したって手紙は届かないのに≫≪ご主人様が・・・≫≪しっ、あまり大きな声でさえずるな。サクラから聞いただろう。彼女は・・・≫

 

「どうか、無事に届きますように・・・私の思い違いでありますように・・・」

 

 イリスは手紙に祈りを込めてから、サクラに手紙を咥えさせる。サクラはくるりとイリスの周りを飛んでから、大空へ羽ばたいた。イリスは屋敷の塀ギリギリまで駆けて、ずっとサクラの姿を目で追った。

 

 サクラは飛んで、遠くへ――姿がどんどん遠くなり、見えなくなって――

 

 ――いや、近づいてきた。サクラは手紙を咥えたまま、空中でUターンして、屋敷へ舞い戻った。イリスに目もくれないで、真っ直ぐに二階のある部屋の窓枠に止まり、半開きの窓をくちばしで器用に開けて中へ入った。

 

 イリスは頭がジーンと痺れるような恐怖に満たされた。その部屋を、イリスは知っている。去年のクリスマスでドラコと屋敷中を探検した時、彼に「ルシウスの書斎だ」と教えてもらったのだ。「そこは絶対に入っちゃいけない」と注意を受け、イリスは忘れてうっかり入ってしまってルシウスに大目玉を喰らわないように、頭の中にしっかり叩き込んでいた。

 

 ――どうしておばさん宛の手紙を、ルシウスの書斎に届けるんだ?

 

 サクラはやがて窓からひょっこり顔を出した。くちばしに手紙は咥えていない。やがてサクラは、ふくろう小屋へ戻って行った。イリスは慌ててふくろう小屋へ行って、再びサクラを呼んだ。

 

「どうしてルシウスさんの書斎に手紙を届けたの?おばさん宛だって言ったよね?」

≪何を言ってるの、イリスちゃん?私はちゃんと、いずものおうちに届けたよ?≫

 

 サクラは本当に何を言われているかわからないといった様子だった。こてん、と首を傾げてイリスを見ている。サクラは何も知らないのだ。恐らく――イリスは恐怖の余り叫び出したくなる衝動を懸命にこらえながら思った――魔法をかけられているのでは?

 

 

 イリスはふと、異様な静けさを感じた。彼方此方から聞こえる羽ばたきもお喋りも、何時の間にか一切聞こえなくなっていた。辺りは不気味な静寂に包まれている。

 

 恐る恐るサクラから視線を外した瞬間、イリスは寸でのところで悲鳴を飲み込んだ。

 

 ――マルフォイ家のフクロウがみんな、自分を見つめている。感情を抜き去ったような、冷たい目で。あの時のルシウスの目を思い出して、イリスはたまらず総毛立った。フクロウたちは知っているんだ!イリスは心の中で叫んだ。だから、イカロスが手紙を届けるって言ったんだ。

 

「な、なんでもない、サクラ。気のせいだったみたい。ほら、私おっちょこちょいだからさ」

 

 身の危険を感じたイリスが慌ててそう言うと、フクロウたちはみんな示し合わせたように視線をイリスから逸らし、それぞれ元通り、羽ばたいたりお喋りを始めた。――それは、動物と話ができるイリスだからこそ向けられた、マルフォイ家のフクロウたちによる無言の脅迫だった。

 

≪変なイリスちゃん≫

 

 そんな事を知らないサクラは、目を細めて笑った。イリスも頑張って笑うように努めた。もし自分が変な事をしたら、サクラに危険が及ぶ可能性がある。

 

 イリスは確信した。――サクラはきっと、手紙の運搬を妨害するような魔法をかけられているのだ。きっとイリスが知らない間に、友人たちの手紙は処分されていたのだろう。これで、ドラコのあの発言も頷ける。でも、これでは、イオに助けを求める手紙を送る事も出来ない。おまけに学生は魔法を使う事を禁じられている。マルフォイ家から逃げ出す事は不可能だ。

 

 どうしてなんだ?イリスが混乱する思考を振り払うように頭を横に振ると、リボンから涼しげな音が鳴った。――去年のクリスマスは、こんな風じゃなかった。毎日がとても楽しくて――ルシウスもナルシッサも、イリスが大好きだと言ってくれた。それを信じたい。

 

 でも――本当に好きなら、どうして手紙を妨害したり、呪いのコインを送ってきたんだ?ロンの家に行くって言ってしまったから?逆に考えれば、そうしてまで何故自分をマルフォイ家に連れて来たかったんだ?イリスの頭に無数のクエスチョンマークが浮かんでは、いずれも答えを得ることができずに消えていく。

 

 パニックになるな、思考しろ、イリス・ゴーント!イリスは自分を叱咤した。ここには無敵のイオおばさんも、人一倍勇敢なハリーも、知恵の回るロンも、機転の利く秀才ハーマイオニーもいない。サクラを連れて、何とかここを抜け出すか、素知らぬ振りをして九月まで乗り切るか、何とかして策を考えなければ。助けてくれる人はいないんだ。

 

「イリス、そんなところで何をしているの?」

 

 冷たい声が背後から飛んできて、イリスはぎくりと肩を震わせた。ぎこちない動作で恐る恐る振り返ると、ナルシッサが不自然にこわばった笑顔を浮かべて、イリスを見つめている。

 

「えっと、あの・・・お散歩に・・・」

 

 イリスは咄嗟の嘘が下手だった。目を泳がせながら言葉を選んでいると、ナルシッサは有無を言わさずイリスの手を取り、屋敷へ向かって歩き始めた。

 

「こんな天気に外に出るものじゃないわ。・・・そう、ドラコも呼んでお茶にしましょう。貴方はアールグレイが好きだったわね」

 

 イリスは上空を見上げた。――空は晴れ渡っていた。咄嗟の嘘が下手なのは、ナルシッサも同じようだった。


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