ハリー・ポッターと虹の女神   作:セバスチャン

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File12.忠告と選択

 楽しかったクリスマス休暇はあっという間に終わりを告げ、新学期が始まる一日前にイリスはドラコと共にホグワーツへ戻った。スリザリン寮の前でドラコにお別れを言った後、イリスは一目散にグリフィンドール塔へ向かって駆け出した。やがてたどり着いた寮の談話室で、ハリーとロン、一足先に戻っていたハーマイオニーを見つけて、イリスは心が暖かくなるのを感じた。

 

「ただいま!」

 

 イリスは三人に向け笑顔でそう言ったが、「おかえり」と返してくれたのはハーマイオニーだけだった。ハリーとロンは物も言わず、仏頂面でイリスを睨んでいる。

 

「今ちょうど、貴方の話をしていたのよ」

 

 ハーマイオニーが気まずい雰囲気を少しでも良くしようと、努めて明るく話しかける。ハリーたちの無言の怒りを察したイリスが、笑顔を引っ込めて三人のくつろぐソファの端っこに座るや否や、ハリーとロンは彼女の頭の天辺から足の先までを、無遠慮にじろじろ眺め回した。まるでクリスマス休暇前と後で、イリスの外見や中身に何か『間違い』がないか探しているようだった。

 

「そのリボン、何だい?」

 

 やがて『間違い』――イリスの髪を飾るリボンだ――を見つけたロンが、藪から棒に聞いた。イリスが嬉しそうにドラコの両親から送られたものだと言うと、二人は露骨に顔をしかめた。

 

「それ、呪いがかけられてるんじゃないか?」とロン。

「外した方がいいよ」とハリー。

「呪いなんかかけるわけない、ルシウスさんもナルシッサさんもとっても良い人だよ。二人とも誤解してるよ」

 

 イリスは慌ててかぶりを振った。マルフォイ家で過ごした日々がどんなに素晴らしいものであったか、イリスは一生懸命三人に話して聞かせた(念のため、フラメルについて聞いたり喋ったりしていない事も言っておいた)。ルシウスは決してロンの言っていたような悪い魔法使いではない。実際、広々とした屋敷中をドラコと一緒に探検したが、闇の魔法を彷彿とさせる怪しげな代物は微塵も見当たらなかった。それどころか、ルシウスとナルシッサはイリスを本当の娘のように可愛がり、大事な客人としても、彼女が望む以上のものを豊富に与え、優雅で贅沢な生活を思う存分堪能させたのだ。つまるところイリスは休暇中、お伽噺で言う『シンデレラ』のような体験をして、夢見心地になっていたのだった。

 

 イリスが夢中になって話せば話すほど、ハリーとロンは考えを改めるどころか、ますます不機嫌さを募らせていく。二人にとって、大好きな友達のイリスが宿敵マルフォイの屋敷で楽しく過ごしたという事実は、到底許しがたく耐えられないものだった。一方のハーマイオニーは、何かを考え込むような真剣な表情でイリスの話を聞いていた。

 

「もういいよ。君、マルフォイの家でお姫様みたいにちやほやされて、良い気になってやしないか」

 

 ついにロンがいらいらが爆発し、荒々しく声を上げて話を遮った。

 

「そんなにマルフォイの家が好きなら、養子にでもなれば」

 

 ハリーもつっけんどんに続けるが、見かねたハーマイオニーが「やめなさい!」と言い放つと、二人は口をつぐんだ。そして二人の顔を交互に見て、おろおろしているイリスの手を掴み、「少しお話ししましょ」と優しく囁いた。彼女はハリーたちから離れた位置にある二人掛けのソファへイリスを連れて行き、少しためらった後こう言った。

 

「イリス。私も・・・とっても言いにくいんだけど・・・貴方のお話を聞いてると、マルフォイ家とは少し距離を置いた方がいいと思うわ。あの二人みたいに、単純に焼きもちを焼いてるんじゃないのよ。

 休暇中、気になってずっと考えてたの。あの時、マルフォイは『前に貴方に確認したら、貴方は行くと言った』と言っていたわよね。

 ・・・本当に貴方は行くと言ったの?(・・・・・・・・・・・・・・)

 貴方はいつも日々のどんな些細な事だって私に話してくれるわ。でも、この話だけは――大事な話なのに、どう頑張って思い出しても、私は聞いた覚えがないのよ。

 それに、マルフォイのお父様からの手紙の事も、マルフォイが貴方に話したタイミングや言い方も――まるで、貴方に断らせないようにしているみたいだった。

 ・・・イリス、貴方にはまだ難しい事かもしれないけれど、目に見える事だけが真実ではないのよ。私は大人の人と接する機会が多かったから、それがよく解る。貴方は少し無防備すぎるわ」

 

 イリスはハーマイオニーの忠告を、素直に受け入れる事が出来なかった。それはイリスが単純で警戒心もほぼ持ち合わせていないため、自分に対して明確な厚意を示してくれたマルフォイ家の人々を警戒し否定するなど、とてもじゃないが考えられない事だったのだ。イリスは彼女の言葉に何と答えて良いか分からず、困った顔で目の前のテーブルを見た。そこには何時の間にやらロンのポケットから逃げ出したねずみのスキャバーズがいて、テーブルの上のかぼちゃパイを盛大に食べ散らかしていた。

 

 

 新学期が始まった。ハーマイオニーの説得のおかげで、ハリーとロンはイリスに普段通り接するようになった。しかしまだイリスがリボンを付けている事と、時折ドラコが友達面をして親しげにイリスに挨拶をする事が気に入らないようで、度々イリスに嫌味を言い放った(こればっかりはハーマイオニーがいくら口酸っぱく説教しても治らなかった)。イリスは二人の嫌味を甘んじて受け入れる代わりに、ドラコが意地悪な事を言うたびに『友達』として物怖じせずにたしなめ続けた。

 

 再び十分間の休み時間中に、四人は図書館へ赴いては本をあさった。みんな殆ど諦めかけていたが、やがてハリーがクィディッチの練習に明け暮れて欠席がちになると、イリスは彼の分まで頑張ろうと自分を奮い立たせて、ニコラス・フラメルを求めて本の海を泳ぎ続けた。

 

 ある日の昼前頃、いつも通り図書館を出て三人は寮に戻った。イリスが隣に座るハーマイオニーの肩に頭を預けながら、ハーマイオニーとロンのチェスゲームをぼんやり見守っていると、練習を終えたハリーがロンの傍に座った。

 

「今は話しかけないで」

 

 ロンはハリーが隣に座るなり、チェス盤から目を離さないまま真剣な表情で言った。ハリーがそわそわと落ち着かない様子なのを見て、「何かあったの?」と気を使ってイリスが聞いた。

 

 ハリーは三人だけに聞こえるような小さい声で『スネイプが突然クィディッチの審判をやりたいと言い出した』という不吉なニュースを伝えた。――何故スネイプが?彼がクィディッチに興味がある素振り等、他のどの一年生たちよりも、確実に長い間彼と共に過ごしている自覚のあるイリスでさえ、見た事がない。その余りにも不可解な内容に、ハーマイオニーとロンもチェスの手を止めて、すぐ反応した。

 

 イリスはふと不安に駆られた。イリスはハリーと甲乙つけがたい位、スネイプに目を付けられている。しかし、長きに渡りスネイプの目を見続けるうちに、彼の『自分に対する目』と『ハリーに対する目』は違うのだと気づいた。最初の方は、ハリーがグリフィンドール生で、『魔法界の有名人』という何かと目立つ存在だから、単にそれが気に入らなくて彼をいじめているのだと思っていたが――どうやら理由は、それだけではないようだと、イリスは思うようになった。

 

 ――スネイプは理由こそ解らないが、ハリーを心から憎み、嫌っているのだ。それは誰が見ても明らかだったし、ハリー自身が一番自覚している事だった。箒の事件以降、ハリーはスネイプを嫌うのを通り越して、怯えるようになった。イリスが自分の方がもっと酷いと、選りすぐりのエピソードを語り彼を慰めても、彼の気持ちは治まらないようだった。やがて彼はその不安を忘れるため、クィディッチの練習に精を出すようになって、少しはマシになったようだが――まさかクィディッチにまでスネイプが入り込んでくるとは予想外だった。勿論イリスは(ハリーたちには言えないけれど)スネイプの無実を信じている。・・・だが、クィディッチは野蛮で危険なスポーツだ。ちょっとしたアクシデントが大怪我に繋がりかねない。万が一、試合中スネイプの謎の憎悪心が爆発し、それがハリーに向けられてしまったら。縁起でもない事を想像して、イリスは心臓がヒヤリとした。

 

「試合に出ちゃだめよ」とハーマイオニー。

「病気だって言えば」とロン。

「他の選手に出てもらえばいいじゃん」とイリス。

「言えないよ。それにシーカーの補欠はいないんだ。僕が出ないとグリフィンドールはプレイできなくなってしまう」

 

 四人の間に重々しい空気が流れたその時、ネビルが談話室に倒れ込んできた。彼の両足はボンドで固められたようにピッタリくっ付いており、『足縛りの呪い』を掛けられたことがすぐわかった。どこで掛けられたのかは分からないが、グリフィンドール塔までずっとウサギ飛びをしてきたに違いない。ネビルの顔は真っ赤になり、全身に汗をびっしょりかいて息を荒げていた。みんなその姿に笑い転げたが、イリスは慌ててネビルに駆け寄り、ハーマイオニーはすぐ呪いを解く呪文を唱えた。両足がぱっと離れ、ネビルはイリスに支えられながらよろよろ立ち上がった。

 

「どうしたの?」

 

 ネビルをハリーとロンの傍に座らせ、背中を摩ってやりながらイリスが聞いた。

 

「マルフォイが・・・」

 

 ネビルが震え声で答えた。イリスは頭を誰かに思いきり殴られたような衝撃を感じた。・・・ドラコが、何だって?

 

「図書館の外で出会ったの。誰かに呪文を試してみたかったって・・・」

 

 イリスは眩暈がした。ドラコが、ネビルに呪いをかけたのだ。それも面白半分で。ネビルのような、何も言い返せないような、気が弱く、心優しい者を選んで。

 

「良い友達じゃないか、え?イリス!呪いをかけてくれるなんてさ!」ロンが腹立ちまぎれにイリスに叫んだ。

 

「マクゴナガル先生のところへ行きなさいよ!マルフォイがやったって報告するのよ!」と怒りで顔を真っ赤にしたハーマイオニーが急き立てた。

 

 しかし、ネビルは弱々しく首を横に振って、「これ以上面倒はいやだ」と呟いた。告げ口をした報復に、また嫌がらせをされる事を恐れているのだ。

 

「ネビル、勇気を出して。やられっぱなしじゃだめだ。マルフォイに立ち向かわなきゃ」

「僕は勇気がなくてグリフィンドールにふさわしくないなんて、言わなくってもわかってるよ。マルフォイがさっきそう言ったから」

 

 ロンがネビルを勇気づけるように言うが、ネビルの態度は煮え切らない。それを見たハリーはローブのポケットを探り蛙チョコレートを取り出すとネビルに差し出し、彼を一生懸命励まし始めた。

 

「ネビル、ごめん・・・ごめんね・・・」

 

 イリスは自分が恥ずかしかった。ドラコが元々意地悪な性格なのは知っていた。何せ、ハリーたちだけでなく、イリス自身も彼に散々からかわれ続けてきたのだから。しかし、休暇を通してイリスはドラコの意地悪な面以外のさまざまな良い面も知ってしまった。その結果、イリスは今までの考えを改め、ドラコをハリーたちと同じような『親しい友達』として見るようになった。そしてハーマイオニーと同じように、ドラコの意地悪も自分がその度に説得し続ければ、いずれは改善され、今は犬猿の仲のハリーたちとも仲良くなれるだろうと考えていた。しかし、それはイリスの見当違いだった。ドラコはドラコだった。面白半分で人に呪いをかけるなんて、常軌を逸している。優しいネビルをこんな惨い目に合わせるなんて。――友達だった自分が、どうしてそれを止められなかった?イリスが自分を恥じて泣いていると、ネビルは彼自身が一番辛い筈なのに、健気にもイリスに微笑んで見せた。

 

「イリス、君が呪いをかけたんじゃないのに、どうして泣くの?君は優しいんだね。・・・ハリー、ありがとう。僕、もう寝るよ。カードあげる。集めてるんだろう」

 

 談話室の壁掛け時計が正午ぴったりを差し、古びた鐘の音が鳴り始める。ネビルが行ってしまってから、イリスはいよいよ本格的に泣き始めた。

 

「これでわかったろ?マルフォイは良いやつなんかじゃない」ロンが静かに言った。

 

 ハリーはイリスの頭を撫でながら、ネビルからもらった『アルバス・ダンブルドア』のカードを眺めた。カードを裏返して見た瞬間、ハリーはハッとした表情で三人の顔を見た。

 

「見つけたぞ!フラメルを見つけた!どっかで名前を見たことがあるって言ったよね。ホグワーツに来る列車の中で見たんだ。聞いて・・・『アルバス・ダンブルドアは、パートナーであるニコラス・フラメルとの錬金術の共同開発などで有名』」

 

 その言葉を聞いた途端、ハーマイオニーは歓声を上げてウサギのように高く飛び上がった。思わず呆気に取られた三人を見向きもせず、「ちょっと待ってて!」と言うなり女子寮への階段を駆け上がり、数分もしないうちに古めかしい巨大な本を大事そうに抱えて戻って来た。

 

「この本で探してみようなんて考えつきもしなかったわ。ちょっと軽い読書をしようと思って、ずいぶん前に図書館から借り出していたの」

 

「軽い?」聞き捨てならないとばかりに、ロンとイリスの声がハミングした。

 

 ハーマイオニーは二人に一切構うことなく、ブツブツと独り言を言いながら物凄い勢いでページをめくり始めた。間もなくお目当てのものを発見し、込み上げる笑みを抑える事無くうっとりとした口調で読み上げる。

 

「これだわ!・・・『ニコラスフラメルは我々の知る限り、賢者の石の創造に成功した唯一の者』!」

 

 三人が覗き込むと、そこにはこう書いてあった。――錬金術とは、『賢者の石』と言われる恐るべき力を持つ伝説の物質を想像することに関わる古代の学問で、現存する賢者の石は著名な錬金術師であるニコラス・フラメルが所有している。フラメル氏は昨年六六五歳の誕生日を迎え、夫人と共に静かに暮らしている――

 

「ねっ?あの犬はフラメルの『賢者の石』を守ってるに違いないわ。フラメルがきっとダンブルドアに保管してくれって頼んだのよ。フラメルは誰かが狙っているのを知ってたから、グリンゴッツから石を移してほしかったんだわ」

 

 四人はとてつもない達成感に満たされ、ホウとため息を零しながらキラキラ輝く瞳でお互いを見合った。長い間探し続けて来た謎が、今やっと解き明かされたのだ。

 

「金を作る石、死なない様にする石!スネイプが狙うのも無理ないよ。誰だってほしいもの」充足感を噛みしめるように、ハリーがしみじみと言った。

 

 

 結局、ハリーはクィディッチの試合に出る事を決めた。三人は勿論引き止めたが、ハリーの意志は固く変わらなかった。試合当日、三人は更衣室の外でそれぞれ激励しながらハリーを見送った。スタンドにたどり着くなり、神妙な顔を浮かべて物も言わずに座る三人を、隣のネビルがぽかんとした表情で見つめている。が、三人はおかまいなしだった。ドラコの意地悪から教訓を得た三人は、密かに杖をそれぞれのローブの袖に隠し持っていた。もしスネイプが試合中、ハリーを傷つけるような素振りを見せたら、『足縛りの呪文』をかけようと準備していたのだ。

 

 スタンドは大勢の人々でごった返していた。イリスは学校中の人々が観戦に来ているのではないか、と思った位だった。きょろきょろと物珍しげに周囲を見渡したイリスは・・・何と、来賓席にダンブルドア校長の姿を見つけた。良かった、ダンブルドアがいれば何が起こっても安心だ。イリスはほっとしたが、グラウンドに視線を落とすと、審判のスネイプは蒼白な表情で唇を引き結んでいる。どう贔屓目に見ても、クィディッチの審判になれて嬉しそうな様子ではなかった。

 

 ・・・もうじき試合が始まる。どうか何事もなく試合が終わりますように。彼女の気持ちは不安で張り裂けそうだった。それはロンもハーマイオニーも同じようで、食い入るような真剣な表情でグラウンドを注視している。

 

「さあ、プレイボールだ。アイタッ!」

 

 興奮して上ずった声で叫んだロンの頭を、後ろから誰かが小突いた。イリスが驚いて振り返ると、犯人は・・・何と、ドラコだった。傍らにクラッブとゴイルも従えている。

 

「ああ、ごめん。ウィーズリー、気が付かなかったよ。この試合、ポッターはどのくらい箒に乗っていられるかな?誰か、賭けるかい?イリス、君はどうだ?」

 

 ドラコの憎たらしい笑顔を見た瞬間、イリスの脳裏に昨日の出来事が思い浮かび、心の中で怒りのマグマがふつふつと湧き出すのを感じた。緊張でとてつもなく気が立っていたのもあるし、『友達』として彼の行き過ぎた行動や言動を今こそ止めるべきだと思った。イリスは、今度はネビルに絡み始めたドラコに強い視線を投げかけながら、椅子からゆっくり立ち上がった。絡まれたネビルは顔を羞恥で真っ赤に染めたが、座ったまま後ろを振り返ってマルフォイの顔をこわごわと見つめた。

 

「マルフォイ、ぼ、僕は、君が十人束になっても叶わないぐらい価値があるんだ」

 

 ネビルがつっかえながらも言い返すと、ドラコはクラッブやゴイルと揃ってさも愉快そうに大笑いした。ロンも試合を気にしながらではあるが、怒りの形相でドラコたちを睥睨している。

 

「ロン!イリス!」突然ハーマイオニーが叫んだ。

 

「何?」

「ハリーが!」

 

 イリスが慌てて目線をグラウンドへ戻すと、ハリーが突然上空から凄まじいスピードで急降下を始めたのが見えた。その素晴らしさに観衆は息をのみ、大歓声を上げた。ハリーは弾丸のように一直線に地上に向かって突っ込んでいく。――きっとスニッチを見つけたのだ!イリスは背筋がぞくぞくするほど見惚れてしまった。

 

「運が良いぞ!ポッターはきっと地面にお金が落ちているのを見つけたに違いない!」

 

 ドラコの嫌味は、イリスの意識を強引にハリーから引き剥がしてしまった。――イリスはとうとう我慢できなくなった。齢11年の人生にして初めて、切れてしまったのだ。怒り狂ったロンが飛び出すより早く、イリスはスカートが翻るのも構わずドラコに抱き着くように体当たりし、勢い余って地面に組み伏せていた。それを合図としたかのように、ロンがすかさずクラッブに飛びかかり、ネビルは少しの間怯んだものの、観客席の椅子をまたいで、ドラコを助けようと動き出したゴイルに渾身のタックルを決めていた。

 

「謝ってよ!ハリーに謝れ!なんでそんなことしか言えないの?!」

 

 イリスは怒りで顔を真っ赤にしながら、ドラコの胸倉を掴み揺さぶった。予想外のイリスの行動に一瞬茫然としたドラコだったが、すぐ我に返り、イリスの体を捉えて力任せに反転した。今度はドラコがイリスを組み伏せる。

 

「僕に命令するな、この泣き虫め!誰のおかげで僕の屋敷に来れたと思ってるんだ?!」

「ルシウスさんのおかげでしょ!ドラコのおかげじゃないっ!」

 

 イリスは息を荒げながら、勢いを付けて上体を起こし、すぐ後ろにあった椅子にドラコを押し込んだ。

 

「私のことはいくら悪い風に言ってもいいけど、友達のことは悪く言わないで!」

「だから悪く言ってるんじゃない。本当のことさ。何回言わせるんだ、君は馬鹿か?」

 

 ドラコはいつものように鼻先で笑ってイリスをあしらおうとしたが、今回ばかりは彼女も引かなかった。

 

「だから、それが悪意があるって何回も言ってるじゃん!君の方こそ馬鹿なんじゃないの?!」

 

 怯むことなく果敢にも声を荒げて、言い返したのだ。

 

「何だと?!」

 

 プライドを傷つけられ、ドラコの青白い顔にさっと赤みが走る。ドラコとイリスはお互いに舌戦を繰り広げながら、徹底的にやり合った。

 

 

 クリスマス休暇が楽しかったのは、ドラコも同じ事だった。イリスはドラコにとって、マグルかぶれの『友達以下』にも関わらず、父のお気に入り故に目を掛けねばならない、楽しい学校生活に影を差す目の上のタンコブのような存在だった。しかし、いざ二人きりになってじっくり向かい合ってみると、ドラコのイリスに対する認識はがらりと変わった。イリスの放つ人畜無害な小動物のような雰囲気は、意外にも――上流階級の人間関係で疲弊し切ったドラコの心を癒し、和ませたのだ。それに休暇中は、イリスは借りて来た猫のように大人しく、まるでドラコが操る糸に忠実に従うマリオネットのように、何でも彼の言う通りに動き、軽口は叩くものの逆らう事は一度もなかった。実際、ドラコがイリスを衝動的に愛おしいと思ってキスしてしまっても――イリスが世間知らずだった所為もあるが――彼女は何も言わなかったのだ。

 

 しかし、休暇が終わってホグワーツに戻ると、イリスを操っていた筈の見えない糸はぷつんと切れ、イリスはドラコの手元から離れて行った。ドラコはホグワーツでも、イリスを常に自分の傍に置き、彼女の宝石のような瞳を自分が満足いくまでずっと眺めていたかったし、時にはチェスの相手もさせたいと願うようになった。だが、イリスはドラコのそんな想いも知らず、彼が誰かに意地悪を言うたびに、『友達』として今までよりもずっとフランクな調子でたしなめるようになった。生意気にも、休暇を通してイリスは自分を『対等の友達』として認識するようになったのだ。今では彼に反抗し、喧嘩してしまう程に。

 

 ――今や、ドラコとイリスはズタボロ状態だった。制服は泥にまみれ、乱れ、あちこちにあざや擦り傷もできている。二人は息を荒げながら、お互いの行き違う思いをぶつけるように睨み合った。

 

 

 不意にスタンドがどっと沸いた。ハリーが新記録を達成した。試合が始まって五分以内にスニッチを捕まえ、試合を終了させたのだ。

 

「ロン!イリス!どこ行ったの?!試合終了よ!ハリーが勝った!私たちの勝ちよ!グリフィンドールが首位に立ったわ!」

 

 ハーマイオニーが飛び跳ねながら叫んでいる。彼女は幸運な事に、後ろで起きている惨劇に気づいていないようだ。イリスはすぐ反応し、ドラコから目を離してハーマイオニーの方へ走って行こうとした。ドラコは何とかしてイリスを引き止めなければならないと思った。――行ってしまう。自分からその目を逸らしてしまう。それはイリスに恋心を抱くようになったドラコにとって、何よりも許せない事だった。再び、彼女の関心をこちらへ呼び戻す事の出来るとっておきの手札を、ドラコは迷わず切ってしまった。

 

「おい、イリス!」

 

 不意に大きな声で名前を呼ばれて、イリスはしかめっ面で振り返った。

 

「何?」

「君は何故、僕のパパとママが君に対して、あんなに優しいのか知ってるか?」

 

 ドラコはニヤニヤとこれ以上無い位、意地悪い笑みを浮かべて問いかける。言葉の真意を測りかねているイリスを見て、ドラコはスタンドの歓声に負けないような声で叫んだ。

 

「君を哀れんでいるからさ!マグル界でスクイブに育てられた、親なしの君をね!」

 

 イリスは彼の言葉を理解すると同時に、絶句した。スクイブ?――それはイオのことを言っているのか?全身の血の気が、音を立てて引いていくのを感じる。

 

「嘘じゃない。僕はパパにそう頼まれたんだ。『哀れな物知らずの君に、魔法界の常識を教えてやれ』ってね。

 クリスマス休暇は楽しかったろう?貧乏人の君には夢のような一時だった筈だ!大きな部屋に服、装飾品にパーティー・・・両親にちやほやされて、何にも知らずに嬉しそうにしている君の馬鹿面と言ったら!最高の見物だったよ!

 ・・・どうだい、泣き虫!泣き方も忘れちゃったのか?」

 

 ドラコの語るルシウスの言葉は、完全なる誇張表現だった。だが、イリスはその言葉に完膚なきまでに打ちのめされた。一方のドラコはどんな形であれ、イリスが再び自分を見てくれた事に歪んだ喜びを感じていた。イリスは瞳に涙をいっぱい貯めて、ドラコの前へ早歩きで近寄った。金箔混じりのサファイアを嵌め込んだような彼女の双眸が、ドラコを憎々しげに睥睨する。

 

「・・・大っ嫌い!!」

 

 そう言い捨てると、イリスは振り返りもせず、ハーマイオニーの方へ一目散に駆け出した。

 

「ああそうかい、僕も君が大っ嫌いだ!!」

 

 ドラコも負けずに叫んだが、イリスに『大嫌い』と言われる事で、何故こんなに自分の心が傷つき搔き乱されるのか、全く理解できなかった。腹立ちまぎれに地面を蹴り上げると、銀色のリボンがきらきらと輝きながら土埃と共に舞い上がる。――きっとイリスが、さっきの喧嘩の時に落としたのだろう。それはまるで休暇中の二人を繋いでいた糸のように思え、ドラコは無言でそれを拾い上げた。

 

 ――どうしたら手に入れられる?ドラコは思った。どうしたらあの目を、僕だけに向けさせられる?

 

 ふとスタンドに顔を向けると、上空からハリーが、笑顔でイリスに手を振っている。嬉しそうに手を振り返すイリスを見て、ドラコの心は嫉妬とどす黒い感情で燃え上がった。・・・英雄のハリー・ポッター。あいつのせいだ。僕がどう足掻いた所で、全部持って行ってしまう。イリスの友人で、同じグリフィンドール生のあいつが。四六時中イリスの傍にいて、まるでフルーツをもぎ取るように気軽な感覚で、いとも簡単に横から手を伸ばして彼女を掻っ攫っていく。ドラコはクラッブとゴイルが声を掛けるまで、ハリーを親の敵を見るような目で睨み続けていた。

 

 

 戦いが終わった後、イリスとロンとネビルはお互いの健闘を医務室で讃え合った。

 

「おっどろいたなー、君。意外と根性あるんだね。見直したよ」

「でも結局、ドラコに謝ってもらえなかったよ・・・決着もつかなかったし・・・」

 

 ロンが興奮してイリスの肩を盛んに叩くが、イリスは見るからに落ち込んでいた。いくら忘れっぽい彼女と言えども、先程のドラコの言葉を頭の中から消す事は当分出来そうになかった。

 

「僕、何だかすごく良い気分だ」

 

 ネビルは、体中包帯だらけだったが、憑き物が取れたようにすっきりとした表情を浮かべていた。

 

 

 無事治療を終えたイリスとロンがお祭り騒ぎ状態の談話室に戻ると、すぐさまハリーが早足でやって来た。随分思いつめた表情をしている。ロンが高ぶる気持ちを抑え切れず、自分たちの健闘っぷりを聞かせようとすると、ハリーはそれを容赦なく遮ってしまった。

 

「それどころじゃない。どこか誰もいない部屋を探そう。――大変な話があるんだ」

 

 ハリーは三人を引き連れ、適当な部屋を見繕った。ピーブスがいないことを確かめてから部屋のドアをぴたりと閉め、三人に今見てきた事、聞いてきた事を話して聞かせた。

 

「僕らは正しかった。賢者の石だったんだ。それを手に入れるのを手伝えって、スネイプがクィレルを脅してたんだ」

 

 ハリーは続けて、スネイプがクィレルに対し、『三頭犬フラッフィーを出し抜く方法』と『怪しげなまやかし』について、尋問していた事を告げた。もしかしたら、フラッフィー以外にも何か特別なものが石を守っていて、クィレルもその一つとして、石を守るために闇の魔術に対抗するような呪文を掛けたので、石を手に入れるためにスネイプがそれを破らなくてはいけないのかもしれない、と締めくくった。それを聞いて、イリスはいよいよ気分が暗くなった。決して認めたくはないが、ハリーが嘘を言っているようには思えない。――スネイプが石を狙う犯人なのだ。

 

「それじゃあ、賢者の石が安全なのは、クィレルがスネイプに対抗している間だけ、ということになるわ」ハーマイオニーが警告した。

「クィレルが相手じゃ、三日ともたないな。石はすぐなくなっちまうよ」とロンが真剣な声で言った。


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