「989、990、991、992……」
深夜、訓練で疲れ果てた影夫とミリアが宿の部屋でぐっすりと眠っているとき、でろりんは愛剣を握り締め、宿の中庭で素振りをしていた。
「ちょっとどうしたのよでろりん。あんたが鍛錬なんて珍しい……」
妙なものを見たといった怪訝そうな表情でずるぼんがその場に現れ、でろりんに話しかける。
幼い頃からの腐れ縁であり悪友でもあるずるぼんにとってもそれほどに珍しいものだったのだ。でろりんが真面目にコツコツ練習をしている、というような光景は。
「んー、まぁ。ちょっとくらいやっとかねえとな。教えるってのは柄じゃねえし、難しくてな。教えれば教えるほど自分の粗が見えてたまらねえんだ」
「へぇ~ふぅん。それで熱血してんのね。ま、珍しいというかなんていうか……正直、似合わないわよ?」
「うっせえ。自覚はあるっての。口だけで女の子の弟子に負けてるのなんざ大人としてカッコ悪いんだよ」
「男の子の意地って奴? あんたも可愛いとこあるじゃない。もっとひねくれた奴だと思ってたけど?」
ニヤニヤとずるぼんがでろりんをからかった。
だが、でろりんは逆にずるぼんを指差し、ニヤりと笑う。
「ま。自分でも意外だよ。てかお前の人の事いえねえだろ」
「う……」
「あのずるぼんが、瞑想とはねぇ。金とオシャレにしか興味ないんじゃなかったのか?」
そう、ずるぼんはずるぼんで深夜だというのに僧侶の正装をして、手には聖本まで持っている。
それは僧侶が瞑想修練の際に好んでする格好だった。
つまり彼女も自主訓練に励むつもりだったということだ。
「う、うっさい。別にいいでしょ。あ、あたしも曲りなりに先生なんだから、勉強しないといけないのよ」
「ほー。ずるぼんセンセも大変だねぇ。気持ちはわかるけどよ」
ずるぼんは柄でもない努力を揶揄されて恥ずかしいのかプイっと顔をそらしつつ、話題をそらすように真面目な顔を取り繕う。
「だ、大体クロスが悪いのよ。なんなのよあいつは。アホみたいにやる気満々で、叱られても怒鳴られても頑張っちゃってさ。気迫が並じゃないっていうか……ちょっとおかしいくらいよ」
「そりゃ同感だな。魔王も消えて平和になったってのにあのふたりの必死さはなんだ? 食うに困ってるってわけでもねえのに、レベルアップの速度が尋常じゃねえよ。おかげですぐに追い抜かれちまいそうだ」
「ふぉっふぉっふぉ。まぁ出来る弟子をもつと師匠先生は辛いってことじゃのぅ」
お互いに愚痴を言い合うでろりん達のもとにまぞっほも現われる。
その手には魔道書があり、杖も持っている。
どうやら彼も魔法の練習でもしようと現われたらしかった。
「なんだまぞっほ。お前もかよ」
「そうじゃよ。兄者に教えておった師匠もこんな気持ちじゃったのかのう……安穏としとったらあっという間に先生から弟子へと転落じゃ。年寄りが子供の弟子になったらこんなに恥ずかしいこともないわな」
まぞっほは、ふぅとため息をついて、長年愛用している杖で宿の廊下から中庭へと出てきてでろりん達の方に歩いてくる新たな人影を指し示した。
「ほれあっちをみてみい。へろへろも同じみたいじゃな。アヤツも年上の意地じゃろうなあ」
そう。これは年上の意地だ。意地の一念で元気いっぱいの若い連中に負けてなるものかと珍しくも皆が努力している。
影夫とミリアのひたむきで純粋な頑張り方は何故か周囲を巻き込んで、俺も少しはやるかと駆り立たせるものがあった。
お互いのために努力し合うふたりの姿は、すごく純粋で綺麗なものに見える。
純粋に頑張っていたころの自分を思い出してしまうのかもしれない。
「何でも中途半端で、途中で投げ出しとったワシらが、どこまでできるかわからんが……ちっとはきばってみるかのぅ」
「はぁ~……あたしは熱血とか努力ってガラじゃないのに」
「ははは、そりゃワシもじゃ。なんだかぬしらとは何かと気が合うのう」
「ああ。なんつーかこう、お仲間って感じがするよな。依頼が終わったら正式にPTでも組むか」
「「「異議な~し!」」」
「ほっほっほ。息もぴったりじゃ」
でろりん達は親睦を深めつつ、各々が研鑽に励んでいく。
ミリアと影夫を弟子として教えていることで、彼らも少しずつ影響をうけて変わっていくのだった。
☆☆☆☆☆☆
影夫とミリアの宿の部屋。
粗末な木テーブルを何個もに並べて作った即席のディナーテーブルの上には山のような料理が並べられており、猛烈な勢いでミリアと影夫がそれらを平らげていた。
「んがごくむしゃぱくっ!!」
「がつがつがつがつっ!!」
「お、お前ら滅茶苦茶食うなぁ」
「食べる量と体の大きさが明らかにおかしいんじゃが……」
「もう! ほんとにどんだけ食べるのよっ。作っても作っても追いつかないじゃない!」
宿の自炊所から料理皿を運んできたずるぼんが、乱暴に部屋のドアを開けて影夫を怒鳴りつけた。
「っていうかクロスは武具の癖になんでご飯を食べるのよ!? あんた絶対におかしいわ!」
喚くずるぼんの気持ちがでろりん達にはよくわかった。
彼らもいくらなんでもとあきれていたのだ。
「ほんはほほっひっへも、くへるほほはほーはへーはろ!(そんなこといっても食えるモンはしょーがねえーだろ)」
「もうっ、何言ってるかわからないわよ馬鹿! 食費はあんたらが全部出しなさいよ!」
ずるぼんは、可愛がっているミリアの前でお姉さん気取りで炊事食事を買ってでていたのだが、まさかふたりがこんなに食べるとは思ってもいなかった。
今までは宿の自炊所は使わず、各々が適当に外食をしていたので分からなかったのだ。
「はっへ、はらはほふふるはめひはっ、ひふほうはんはほんへっ! ほひいはんっ!(だって身体をつくるためにはひつようなんだもんね、お兄ちゃん」
「ほうだぞっ、んぐっ、ひふいふひょうほあほは、ひぬほろふう!ほれはほやくほふはんはほっ!(そうだぞ、きつい修行の後は、死ぬほど食う! それがおやくそくなんだぞ」
「飲み込んでしゃべりなさいよ馬鹿クロス! 汚いでしょうが!」
「いでぇっ!」
飯を食いながら大声で主張する影夫をずるぼんが空のお盆ではたいた。
たしかに汚いし行儀も悪かった。
テンションが落ち着いた影夫はちょっと反省しつつ、ジョッキに入った果実汁をごくごくと飲み干して口の中の食べ物を胃に流し込む。
「んぐっごくふはぁっー。すまんすまん。てかお前らももっと食えよな。死ぬほど修行して、精一杯頭も使って、たくさん遊んで、しこたま食って、いっぱい寝るのが強くなる極意なんだからさ。かの亀仙流がそうなんだぞ?」
「はぁ? カメセン流? んな流派きいたことがねえぞ」
「武道の流派か? 武神流なら聞いたことあるが俺もしらない」
「わしも知らんのぅ……」
「その、なんだ……掲載誌も同じだし、強くなる原則も大体一緒だろ、たぶん。だからこれがベストなんだよ!」
「あんたがナニを言っているのか、わけがわからないわ……」
「あむっ。ごくっ。お兄ちゃんはたまにわけがわからないことをいうけど、気にしないでね。まぁ独り言みたいな感じ? だから」
でろりんの疑問を華麗にスルーして、熱くなった影夫が前世の人間しかわからないメタなネタをぺらぺらしゃべる。
影夫は、どうせ分からないだろうとテンションに任せてデタラメ言っているのだ。
「でろりん達も最近頑張ってるんだろ? じゃあもっと食わないとな。安心しろ、食費は全部俺らが出すから食い放題だ!」
「おおっ、マジか!」
「食いだめだ! くうぞぉぉーー」
「ワシもたまには腹いっぱい食べるとするかのう」
まぁ高級食材をふんだんに使ったりでもしない限り自炊の金額はそれほど大したことはない。
これまで、あまり積極的に依頼をこなせなかったらしく、でろりん達は装備と日々の生活を維持するだけで結構カツカツで節制生活だったらしい。
なので、影夫のオゴリ宣言に男連中は素直に喜び、さっそく影夫達と一緒になって料理をかきこみはじめた。
「っ……ぅぅ……」
だがずるぼんだけが、料理に手を伸ばそうとしては引っ込めて、迷っていた。
体重でも気にしているのかと思うと、可愛いところもあるんだなと影夫が思う。
ずるぼんといえば容姿は平均以上なのに、その性格や顔芸により残念美人といった印象を影夫は持っていた。
しかし、実際に接してみると、口うるさくて罵倒まじりながらもなんだかんだで面倒見はいいし、家事全般も普通以上にこなせる。
服や宝石が大好きで、浪費癖があるものの、生活が破綻しない程度に自制できる理性もある。
ずるぼんは、実はかなりの嫁力をもつ女性なのだ。
こんな具合に影夫の中でずるぼんの株は上昇中なのであった。
「遠慮なく食えばいいって。いつも世話になってるから気にするなよ」
ただし、あまりにも気安い感じと微妙な残念ぶりから恋愛対象として影夫は見ていない。
逆に言うと変な緊張や舞い上がり方をせずに済み、リースの時のような醜態をさらさずに済んでいた。
「体重なんてきにすんなって! 食ったらその分動けばいいんだから」
「そ、そうかしら?」
「そうなんだよ! ま、食ってから考えればいいって」
「でも作るのが忙しすぎて食べる暇ないんだけど」
「あーすまん。俺はもう食べ終わるからこれ以上は作らなくていい。次からはちゃんと俺とミリアも料理を手伝うよ」
「俺も手伝おう。こう見えて、家事は得意だ」
「一緒に食べようよ、ずるぼんお姉ちゃん!」
「こいつもこういってんだ、ずるぼん。思い切り食いまくろうぜ!!」
その場の全員にすすめられ、ずるぼんも皆に混じって食事を楽しんでいった。