宿の部屋で影夫はテーブルに突っ伏し頭を悩ませていた。
そんな彼にコツンとゲンコツが落とされる。
「こりゃ。また間違えとるぞ。ここのスペルはこうじゃ。文法の訳もおかしい」
「あ、ごめん。えーとこれは……あ、そうか大地の精霊って解釈すればいいのかな?」
ふむふむ、と感心しつつ、ノート代わりに購入した分厚い白紙の本に羽ペンを走らせて翻訳文と表現をメモしていく。
しかし、と影夫はごちる。魔術言語は妙に持ってまわったような言い回しが多い。詩的表現というか慣用表現というか……直訳では意味がわかりづらいので、覚えるのが大変だ。
「そうじゃ。しかし妙な感じじゃのぅ。伝説の武具とやらに魔術文字の講義とは」
そう言ながら、伝説の武具のぅ、と疑わしげに一瞥してくる。影夫は今魔物の姿である。でろりん達には装備形態とは別に普段の形態があるとして説明済みだ。
まぞっほ以外はそういうものかと素直に受け入れたが、まぞっほは邪気でも感じているのか少し疑わしげだ。
神の作った云々という嘘を見抜いたのかもしれない。とはいえ警戒や敵意はないし追求もしてこないからお互いに何も言わないが。
「いやあ俺の方が変な違和感があるよ。修行から逃げたって言ってたけど、ものすごい知識量だ」
「馬鹿モン、わしが苦手なのは実技と実戦じゃ。こういう座学は弟子の中でもピカイチじゃったんじゃぞ」
おほん、と胸をはるまぞっほ。しかし得意になるだけはある。現に影夫はすごく苦労しているのだ。
影夫としては前世で苦手だった英語のほうがよほどシンプルでわかりやすいと思っていた。
そんな難解な魔術言語も古代語もばっちり読めてしまうまぞっほは本当に凄い。さすがに完璧ではないが、資料探しや推測も得意なので、解読作業はお手の物なのだ。
「そりゃ助かるよ、これで古文書や高度な呪文書も読める」
「別に教えるのはいいんじゃが、おぬしは魔法使いの呪文がほとんど使えぬというのに酔狂な奴じゃな。おそらく見つかる呪文の多くは使えぬぞ?」
まぞっほが理解できないとばかりに、怪訝そうな表情でしみじみと言ってくる。
まぞっほも自分と同じで無駄な努力とか嫌いなタイプなのか。と影夫は内心思いつつ、同類からの疑問に苦笑で答える。
「別にいい。俺が覚えるのはミリアに教えるためだからな。こういうの苦手らしいから代わりに俺がやらないとダメなんだよ。それに何でも子どもにやらせて怠けてる大人とか最低だろ?」
「殊勝な心がけじゃな」
「やめてくれよ、当たり前のことだよ。それとな、大人の俺なら難しい事も噛み砕いて要点だけ伝えることができる。効率の面でもこれがベストだよ」
ひげをいじくりながら、なるほどのぅ、と感心したように頷くまぞっほ。
「そうか。なんていうか、りっぱな保護者じゃのう?」
「まぁーな。っとすまん。ここは、どういう意味だっけ?」
「どれどれ……ってここは前にも教えたじゃろ」
「あーすみません……」
頭を悩ませつつも影夫は必死で言語習得に励むのだった。
☆☆☆☆☆☆
まぞっほの授業が終わると次はずるぼんからの授業である。
ずるぼんに教わるのは僧侶としての基礎や、呪文の扱い方などだ。
今までは本を見ながら自己流であったからやっぱり問題は多かった。
「ホイミ!」
「ちょっ、馬鹿! そんな力任せに魔法力を叩きこんでどうすんの! 攻撃呪文じゃないのよ、加減しなさい!」
「ええっ? でも前はこれで上手くいったんだけど……」
足を怪我した子猫を相手に回復呪文の練習中。
呪文を掛けるなり影夫はずるぼんに手をはたかれて怒られてしまった。
「それはたまたま問題が出なかっただけよ。今後はこんな回復呪文の掛け方したら絶対にダメなんだからね」
「うーん。早く治ったほうがいいと思うんだけど」
怪我をしている状況は一刻を争う事態が多い。
特に激戦の最中とかだったら悠長に回復できないだろう。
原作でもレオナのベホマの回復がすぐにできなかったりしていたが、ああいうのはまずいんじゃなかろうか。と影夫は思ってしまう。
それだけにずるぼんの言う事は理解できても納得できなかった。
そんな影夫にずるぼんは、大きなため息をついて真剣な表情になる。
「いい? 肉体が受け入れられる回復の速度と魔法力の量ってのがあんのよ。特にべホイミとかベホマを使う場合には絶対気をつけなさい。助けようと思った相手を殺したくなければ患者の状態を良く見極めなくちゃダメなのよ。分かった?」
真面目な表情で諭してくるずるぼんに言われて、影夫もようやくピンときた。
原作でもあった過剰回復を恐れているのだろう。
「ごめん。俺がアホだった。要するにマホイミになっちまうってことだな。そりゃあたしかに危険だよな」
「はぁ? マホイミ? なによそれ」
ずるぼんはマホイミを知らないらしく怪訝な顔だ。
使い手が居なくなったと原作で言ってたくらいだから知らないのだろう。
「古代の大僧侶の切り札呪文だったけかな。敵に回復呪文を過剰になるまで掛けるんだよ。くらった奴は回復しすぎて死ぬ。回復のし過ぎで死ぬんだからもはや助かる手はなくて文字通り必殺ってわけだ」
「な、何よそれ……なんでそんなひどいこと考えつくのよ、そんなの、おそろしいどころの話じゃないわよ……」
影夫の話をきいてずるぼんは顔を真っ青にしている。こういう反応をみるに、意外と常識人なんだなあと影夫は思う。
「ま、相手が死ぬまで呪文をかける必要があるから魔法力の消費はベホイミの数倍で多用はできないし、使いどころが難しいらしいけどな」
「……もういいわ、そんな物騒な話は終わりよ。さっさと練習にもどんなさい!」
「わかった……ホイミ」
「こら! 今度は魔法力を弱めすぎ。それじゃあちゃんと回復しないわよ。それに、手元が雑になってる!」
「難しいなあ……」
ずるぼんはなかなかのスパルタぶりだった。
と言っても言葉がきつめなだけで、教え方も意外なほど丁寧である。
影夫は盛大に怒られて凹みつつも、修行に励んでいくのだった。