「今日は何するの?」
ガーナの街から歩いて30分ほどの山中の小高い丘の上にふたりは来ていた。
「ああ。呪文の訓練だな、その後に実戦」
「ついにたたかうんだね!」
「後でだけどなー。このあたりは価値のある植物もなくて、たまに魔物がでるんで人が寄り付かないらしいんだ。腕自慢が魔物討伐で稼ぐにしてもついでに色々手にはいる場所のほうがいいからな。みんなはそっちにいくんだとさ」
「ふぅーん」
「だから見られる心配もなくてちょうどいいんだよ」
「よーし訓練開始だ! ではミリアさんどうぞ」
「うん。いくよー、メラ!」
「…………」
勢いよく手を突き出して、叫んだミリアだったが、その声は山彦となってむなしくあたりにひびいた。
「あ、あれ? 出ないよ」
「あー最初はそんなもんか?」
不思議そうにしているが普通はそんなもんだろう。
呪文を放つには、魔法力を高めて両手に集中させたうえで最適な構成に練り上げ、イメージに乗せて放つ必要がある。
もちろんこのことはちゃんと説明したのだが、一度で全部分かって実践しろというのは無理だろう。
「えーつかえないの?」
「練習がいるってことだな」
「えっと、まず魔法力の認識からいくぞー」
「うん……」
その後、影夫は瞑想をさせてみたり、精神を集中させてみたりいろいろしてみたが、ミリアにはいまひとつピンとこないようだ。
「うーーできないー」
あまりに出来ないからか、どうもミリアも集中力が切れてきたようだ。
これ以上やらせても難しいだろう。
「うーん、無理か。魔法力の認識ってなかなか難しいみたいなんだよな」
「もうっ、魔法力ってよくわかんない! もうやめようよぉ」
「おちつけって。そうだな……よし、これでどうだ?」
ミリアも嫌がりだしたが、せっかく魔法の適性があるのに魔法嫌いになるのはもったいないし、苦手意識が付いてしまうと厄介だ。
しょうがないので影夫は、ミリアに憑りつき、影夫自身の魔法力を身体にめぐらせて感覚を教えることにした。
「んーーわかるか? いま身体にあたたかいものがあるだろ?」
「あ、なんかぽかぽかするやつ?」
「そうそう。これが薄まったような状態で身体の中にあるから、それをぐっと高めて、昂ぶらせるんだ。すると、こういう感じになる」
「ふんふん」
ちなみに、影夫にとっては魔法の力を認識することは実に簡単だった。前世にはない変な感覚があったので、たぶんこれが魔法力ってやつなんだろうなと理解できたからだ。
さすがにそこから先は手探りだったが、魔法力を認識できればそれに干渉を試みればいいだけだ。後はイメージがあれば魔法力の消費の少ない初歩呪文は使える。
逆にこの世界で生まれ育つと体に魔法力が宿っているのは当たり前の状態なので、その感覚はかなり掴みにくいものらしい。
感覚ってのは慣れると気にならなくなってしまうものだからな。自分の体臭が分からないのと同じようなイメージだろうか。
「この感じが分かるまでに結構大変みたいだな。呪文書にもくじけず諦めずに努力して感覚を掴むまで繰り返すべしと書いてあったぞ。ここで諦める人が多いんだろう」
「そうなんだ。お兄ちゃんがいてよかった。ありがとう!」
「まぁこのからだの利点のひとつだなぁ。外見さえごまかせれば魔法教室とか開けそうだ」
この世界の住人に、簡単に魔法力を認識させることができるとなると画期的だろう。
「ううーんあの感じだね。よし、何か分かった気がする!」
「やってみるよ……んーーー! メラ!」
両手を突き出し、唸り声とともに呪文を唱えるとミリアの手のひらの先にサッカーボール大の火球が出現した。
「おお~!」
「わぁできた! できたよ! お兄ちゃんのおかげだよぉ」
「ってこらっ、メラを消せっ、ぎゃああああ」
メラを浮かべたまま飛びついてきたミリア。
影夫の顔面にメラが炸裂して燃え上がってしまう。
「あち、あちゃちゃ!」
あわてて、地面に顔をこすりつけて消火する影夫。
「あ!? ごめんなさい……大丈夫?」
「あちち……ふーふー大丈夫みたいだ……」
心配そうなミリアの声に、ぷすぷす……と黒いもやをただよわせながら影夫がこたえた。
「あー顔がピリピリする……ホイミ」
(うーん。俺って攻撃呪文は通じるのか。でもちょっと熱かったくらいだから耐性自体はあるみたいだな。中途半端に生命体になっているからこうなってんのだろうか?)
癒しの光で、やけこげた顔の表面がもりもりと元に戻っていく。
形を整えるだけなら、ホイミを使わずともできるがそれではダメージは残ったままなのだ。
これまでに自分の身体について、分かったことがある。
1つは、ダメージを受けると影夫の身体を構成する暗黒闘気は雲散していくということ。
2つは、雲散して減った分はホイミで減る前まで戻すことができるということ。
暗黒闘気の総量にはミリアから食べた分も含まれるようで、少しずつだけど暗黒闘気量は増えている感じがしている。
「じゃあ次はギラいくか~」
「おー!」
そんなこんなで影夫とミリアは一通りの呪文を試し終え、習得できている呪文を把握した。
☆☆☆☆☆☆
それから数十分後、ふたりは、山中にて一匹の魔物に襲われていた。
「ぐおおおおおおおっ!!!」
「きゃああっ!?」
ゴリラとサルを足したような化け物が丸太のように太い腕をミリアに向けて振り下ろす。
ミリアは身をかわすが、拳はミリアの左腕にぶち当たり、彼女を吹き飛ばした。
「大丈夫かミリア!?」
(やべえ、あばれザルがいるとは)
「あぐ……あぁ」
ミリアは左腕を押さえて苦痛に顔をゆがめていた。
殴られた箇所は青紫に変色し、陥没している。骨も折れるかしてしまっているだろう。
影夫はすぐにでも治してやりたいが、のんびりホイミをかけている余裕はない。奴はすぐそこにいて殴りかかってきているのだ。
「ミリア! 俺が時間を稼ぐ! 距離をとれ!」
「う、うん……!」
影夫は舌打ちしながら、ミリアから分離して身体を霧状に変化させ、あばれザルにまとわりつかせる。
ちなみに、憑依はしない。敵対している相手には何故か出来ないのだ。
あばれザルに遭遇してすぐ影夫は憑依を試していたが無理だった。
身体の中にもぐりこむことが出来ずはじき出された。
馬やミリアには問題なくはいりこめるというのに敵意を持っている相手には無理なのか?
誰にでもとりつけるミストと俺には何らかの違いがあるようだった。
「がうっ!? ぐぅっ、おおっ、があああ!!」
「ぐ、このぉ……」
暴れられると振りほどかれそうになり、全力を込めてあばれザルを締め上げる。
「も、もうもたねえ! ミリア、呪文だ!!」
「がっ、ぐおおおおっっっ!!!」
ついに振りほどかれ、あばれザルがミリアへと突進する。
「ギラ!」
だが、ミリアはすでに右手を突き出し閃熱をうちはなっていた。
「ぐぎゃあおおおっ!!!?」
「バギ!」
胸を焼かれて苦しんでいるところに、すかさず影夫が真横へと回りこみ、真空の刃をゼロ距離からお見舞いする。
突然浴びせられた突風により、あばれザルは転がるように吹き飛ばされていった。
「ヒャド!」
さらにその隙をついてミリアが吹雪とともに飛び出す氷の弾丸を撃ちこむ。
「うごっ、うがあああっっ!!」
「ちっ、頑丈だな!」
初級呪文数発ではやはりしとめ切れなかった。
「ホイミ……大丈夫か?」
「う、うん……」
あばれザルが痛みにのたうっている間に影夫はミリアの側に戻り、彼女にホイミを掛ける。
全快にはならない。苦痛を和らげ全身に負った傷をマシにはできたが、左腕を動かすのは辛いだろう。
「どうしよう!? わたしもう魔法力空だよ? 左手もつかえない!」
「くそっ、いちかばちかだ」
影夫はしゅるしゅるとミリアの首から肩に掛けてまとわりつき、自らの体を暗黒闘気の触手へと変化させた。
そしてミリアの腕の上に向けて伸ばす。さながら3本目と4本目の腕だ。
「ぐおおおおおおおっ!!!」
「防御はまかせろッ、ミリアは攻撃!」
「わかった!」
「喉を狙えよ!!」
怒りの咆哮を上げながら右の拳を振り下ろしてくるあばれザル。
しかし、その拳は影夫が伸ばした右の影触手で受け止められる。
「うけとめ、ってぇっ!?」
「きゃっ!?」
影夫が受け止めた攻撃の重さは、当然ミリアの身体にかかる。
そのせいで、飛びかかろうとしていたミリアは体勢を崩し倒れかけてしまう。
影夫はとっさに左の触手で地面を突いてバランスを取るが、あばれザルは左の拳を放ってきていた。
「くそっ!」
ジャブに近い形で素早い攻撃だったがどうにか影夫は触手で受けとめる。
「あぅっ!」
だがまたしてもミリアの体は重さを受け止めきれずに今度は後ろに飛ばされてしまう。
10歳になったばかりの少女の身体は軽い。足を踏ん張っても限界がある。
「やべっ、力の逃がし方なんて考えてなかった!」
「ぐっ、まずい!」
「がぅっ! ごあぁっ!!」
焦る影夫だが、手負いとなり凶暴性を増したあばれザルは待ってくれない。
吹き飛ぶミリアに追いすがると、振り下ろすように左右の拳を連打してきた。
「くそが! 爆撃かよ!」
「あぐっ!? お、お兄ちゃ、ん……」
拳がぶちあたる度にドゴッゴカッと爆発でも起こっているかのような凄い音が鳴り、ミリアの足元が地面に埋まっていくような錯覚を覚える。
「まずい、防御で手一杯だっ!」
打撃は全て影夫が触手で受け止めているとはいえ、その衝撃はすべてミリアに掛かってしまっている。
逃げようにも、振り下ろし気味に連続攻撃を放たれているので、ミリアは体がつぶれないようにこらえるので精一杯。その場に釘付けの状態だ。
「も、もうダメ! お兄ちゃん、暗黒闘気!!」
「すまんつかってくれ!」
もはやそれ以外に窮地は脱せない。
「ぐ……くぅ」
ミリアは許可を受けるなり、右手に暗黒闘気を作り出した。
それとともに、表情は歪み目元がギラついて殺気を放ちだす。
「死ねぇぇぇぇ!!」
右手の平から放った暗黒闘気の塊は、あばれザルにぶちあたると、その巨体を吹き飛ばした。
すかさずミリアは追いすがって、毒蛾のナイフを抜き放つと刀身に暗黒闘気を伝わらせる。
「殺す!」
仰向けに倒れ、無防備な奴の喉元にミリアは刃を突き刺した。
だが、力が足りずに、急所をえぐっても貫くまでにはいたらない。
「ぎゃぅぅぅぅぅ!!!!っ」
「ぐっ、あばれんなボケザル! ミリア、もう少し耐えてくれぇ!」
「ふーふーッ!! ご、のぉぉっ!!」
あばれザルは必死にミリアを突き飛ばそうとしたが、影夫が影触手でどうにか受け止めた。
ミリアも体が押しのけられないように、足をあばれザルの体に組みつかせて、必死に踏ん張り、渾身の力で刃を押し込む。
「このっ! このっ! 死ねぇ!!」
「ごびゅふっ!?」
死に切れず抵抗をする敵に苛立ちを爆発させるように、刃を引き抜いて、突き込む。
それを無茶苦茶に繰り返した。
「ぐひゅ……ひゅ……ごぷっ」
さすがに急所をぐちゃぐちゃにされては頑丈なあばれザルとはいえひとたまりもない。
ぶくぶくと血を吹きながら痙攣して動かなくなった。
「死ね死ね死ね死ね死ね!!!」
ミリアは相手が死んだことに気付いていないのか、さらに無茶苦茶にナイフを振り回しては切りつけている。
「落ち着けミリア! 暗黒闘気をしまえ!!」
「はぁ、はぁっ。このこのっコノォォッ!!!」
「ミリアぁッ!!」
「っ!?」
名前を大声で呼んでようやく正気に戻ったのか、ミリアはぺたんと力が抜けたように屍骸の上にへたり込んだ。
「はぁはぁ……はぁ」
「……ホイミ」
全身傷だらけになってしまっているミリアにホイミをかける。
「ホイミ」
触手の先から光を放ち、全身の傷を癒していった。
息を荒げながら、ミリアが震える手で抱きついてくる。
「お、おお、お兄ちゃぁぁん……あ、あぶなかったぁ」
「ああ、もう少しで、死ぬところだった……」
ミリアが行動不能にされてしまえば人間並みの腕力しかない非力な影夫にはどうすることも出来ない。
多少は攻撃に耐えられるだろうが、一撃ごとに暗黒闘気は雲散して最後は消え去ってしまっていただろう。
「し、しぬかとおもったぁ、こわかったよぉ」
「ほ、ほんとだな。俺もすげえビビったよ」
ミリアは今更恐怖が襲ってきたのか全身をぷるぷると震わせている。
かく言う影夫もぶるぶると震えていた。
「動けるかミリア?」
「う、うん……なんとか」
「急いで街へ戻ろう。もう一匹あらわれたらやばいぞ。回復呪文ももう打ち止めだ。疲れてると思うけど頼むよ」
「うん……」
生まれたての小鹿みたいに立ち上がり、どうにか山道を引き返していくのだった。