「うわぁ……。セレブ感がすごいな」
到着早々、喫茶店の前で思わずこぼれる。
派手な装飾があちらこちらに施されており、それを囲うのは甘い香りをはっする色鮮やかな花たちだ。入口の前には精巧に造られたオブジェが門番のようにどっしりと構えており、そこはかとなく漂うセレブ感と相まって本当にここが待ち合わせの場所なのか疑ってしまうほどだ。
「まあ、高給取だし間違ってはなさそうかな」
意を決して俺はセレブ空間へと足を踏み込んだ。
「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか?」
「ああ、いえ。あの、待ち合わせで……」
決意を胸に踏み込んだ俺を待っていたのは、上品なクラシック音楽と丁寧を丁寧に磨き上げたような丁寧な対応をしたウェイターだった。
入って、たった一歩で分かってしまった場違い感に圧倒されて、思わずどもりながら返答した俺の態度に眉一つ動かさず、ウェイターは続ける。
「かしこまりました。待ち合わせのお客様のお名前は何でしょうか」
「あ、『菊岡』でお願いします」
「菊岡様ですね。こちらになります」
慣れた様子でウェイターは俺を案内する。そして、ここに呼んだ張本人が俺に気付くと、周りの商品な雰囲気などお構いなしに大きく手を振ってくる。その向かい席に座っていた黒い服を身にまとった少年は、その人物とは対照的に軽く手を上げてきた。
「やあやあ、待っていたよ天理君」
「どーも、菊岡さん。……と、やっぱりお前も呼ばれてたか、和人」
「それはお互い様だろ」
いつものように拳を合わせると、和人の隣の席に座る。俺を案内してくれたウェイターは一言「失礼します」と言って静かに下がった。それを目で確認してから、俺は改めて正面を向く。迎えたのは、にっこりと笑みを浮かべた眼鏡をかけている男だった。
この男の名は、菊岡誠二郎。生真面目そうな顔立ちをした男だが、実際の性格はだらけている、と今までの付き合いからそう判断している。というのも、この男はそう簡単に《自分》を見せてこない。その理由はこの男の職に関係している。
総務省総合通信基盤局高度通信網振興課第二別室、別名通信ネットワーク内仮想空間管理課。後者の間をとって通称《仮想課》。簡単に言えば、VRワールドを監視している官僚だ。国に使える役人だけあって、この男の脳には世間で公にできないような秘密をいくつも抱えていることだろう。俺たちとも仕事上の関係に過ぎない、と思っていると勝手に解釈している。
「……男三人で来るような店じゃないでしょ、ここ」
「いやいや、男だけだからこそ映えるモノがあるってもんさ」
菊岡は笑みを崩さず肩をすくめて見せる。周りを見渡せば、上流階級のマダムたちがこの喫茶店の八割を占めていた。どう見ても男だけじゃ場違いだろう。
そんな俺の思いを知ってかしらでか、菊岡はメニューを差し出してくる。
「ここは僕が持つから、何でも好きに頼んでいいよ」
「まあ、そういうなら……へ?」
しぶしぶメニューを受け取り中を開いてみると、飛び込んできたのは無駄に長いカタカナと四桁の数字だった。目を擦って確認しても、桁が変わることはない。
「これ、本当にいいんですか?」
「いいよいいよ、気にしないで」
相変わらず笑みを崩さない男から再びメニューに視線を移す。一番廉価なのが《シュー・ア・ラ・クレーム》、値段にして千二百円。俺が知っている喫茶店のメニューとは三倍近く値段が違うのは気のせいではないだろう。
「……和人、お前何を頼んだんだ」
「ええと……ショコラとミルフィーユと……コーヒーだな」
俺が手に持つメニュー表の中を一つずつ指さしてくる。和人が指したメニューはどれも、口で言った倍ほどの長さを持つ名前であった。最後に至っては《ヘーゼルナッツ・カフェ》であり、掠りもしていない。それはともかく。
「……お前、容赦ないな」
「まあな」
和人が頼んだメニューをざっと計算してみるとおよそ四千円。学生が喫茶店で出すような額ではないのだが、目の前の男が奢ると言ったから頼んだのだろう。俺はお冷とお絞りを持ってきたウェイターに《ヘーゼルナッツ・カフェ》だけをオーダーする。「かしこまりました」とウェイターが下がると、菊岡が片眉を上げて口を開いた。
「おや、えらく控えめなんだね」
「実は一昨日妹にケーキバイキングへ連行されたもんでね。甘いものは今はちょっと……うっぷ」
一昨日のことを思い出して、少々気持ち悪くなる。そんな俺を見て、菊岡は笑い始めた。
「あはは、それは大変そうだね」
「そんなことより、要件は?」
「まあまあ、せっかく来たんだしまずは食べようじゃないか」
本題に入ろうとした俺を、菊岡は陽気に制止する。それと同時に、菊岡と和人が先に頼んでいたのであろう商品がテーブルに置かれる。ウェイターが下がるの見てから、菊岡は生クリームがどっさりと乗った巨大プリンを頬張り始める。俺は口を手に当てて無言で目をそらした。
やがて俺のコーヒーが到着するころには、菊岡の目の前にあった巨大なプリンが跡形もなく消え去っていた。幸せそうな表情を浮かべる菊岡をよそに、俺は運ばれてきたナッツの香りが漂うコーヒーを一口含んだ。甘さと苦みが絶妙なバランスを保っており、さすがはセレブ感漂う喫茶店だ。
「……で?」
和人が食べ終わったのを確認すると、再び本題に入る。とはいっても、この男が俺たちに持ちかける要件は一つしか思い当たらない。
「うん……君たちも薄々わかっていると思うけどバーチャル犯罪の調査をしてもらいたくてね。これを見てくれないかい」
ほれみたことか、と内心で思っていると、菊岡が黒いアタッシュケースからタブレットを取り出し和人に渡した。俺は横からそれを覗き込む。
液晶画面には見知らぬ男の顔写真と、受所などのプロフィールが記載されていた。
「……誰だ?」
和人の言葉に菊岡は端末を取り返し、指先を走らせる。
「ええと、先月……十一月の十四日だな。東京都中野区某アパートで、掃除をしていた大家が異臭に気付いた。発生源と思われる部屋のインターホンを鳴らしたが返事がない。電話にも出ない。しかし部屋の中の電気は点いている。これはということで電子ロックを開錠して踏み込んで、この男……茂村保二十六歳が死んでいるのを発見した。死後五日半だったらしい。部屋は散らかっていたが荒らされた様子はなく、遺体はベッドに横になっていた。そして頭に……」
「アミュスフィア、か」
和人の言葉に菊岡が頷く。
「その通り。――すぐに家族に連絡が行き、変死ということで司法解剖が行われた。死因は急性心不全となっている」
「心不全? 何で心臓が止まったんだ?」
「解らない。……死亡してから時間が立ち過ぎていたし、犯罪性が薄かったこともあってあまり精密な解剖が行われなかったんだ。ただ、彼はほぼ二日にわたって何も食べないで、ログインしっぱなしだったらしい」
菊岡が言った『ログインしっぱなし』は珍しい話ではない。仮想世界は便利なのか厄介なのか、そこで食事をとれば満腹感が発生し数時間持続する。つまり現実世界で食事をとらなくても空腹感を誤魔化すことができるのだ。
しかし、それはあくまで誤魔化すことができるのであって、現実世界で食事をとらなければ栄養失調やらなんやらで、タブレットに表示されていた男のように……なんてことはよくあるのだ。飯代が浮くし、プレイ時間も増やせるため、便利な機能といえばそうだがこんな落とし穴があるため気を付けなければいけないのがVRワールドだ。
「……わざわざありがちな話を持ってくる、ということは世間一般で起こっているケースと『何か』が違うってことか?」
「さすが天理君。話が早い」
菊岡は満足そうにうなずくと、真剣な表情に戻して続ける。
「この茂村君のアミュスフィアにインストールされていたVRゲームは一タイトルだけだった。《ガンゲイル・オンライン》……君たちは知っているかい?」
「そりゃ……もちろん。日本で唯一《プロ》がいるMMOゲームだからな。プレイしたことはないけど」
和人の言葉に俺も頷く。
ガンゲイル・オンライン、通称《GGO》。剣や魔法といったものがメインのALOとは違い、銃をメインにした硬派なVRMMOだ。和人が言ったようにこのゲームには《プロ》が存在する。とは言っても彼らのバックにスポンサーがついているわけではない。
GGOには《ゲームコイン現実還元システム》が採用されている。簡単に言えばこれは、ゲーム内で稼いだ通貨を現実世界の通貨へ還元できるということだ。《プロ》と呼ばれる連中はこのシステムを使い、現実での生活費を稼いでいる。
もちろん全員が全員稼げるわけではない。月の接続料が三千であるGGOは他のVRMMOに比べてかなり高い。そして、平均プレイヤーが一か月で稼ぐことのできる金額はその十分の一程度だ。ただたまに超レアアイテムなるものが出現し、それをオークションで売って電子マネーへ還元すると数十万のカネになる。そしてそれを毎月のようにできるのはごく限られたトッププレイヤーたちだけだ。
菊岡はお冷を一口含むとさらに続けた。
「彼はそのゲームでトップに位置するプレイヤーだったらしい。十月に行われた、最強者決定イベントで優勝したそうだ。キャラクター名は《ゼクシード》」
「ゼクシードって、なんか聞いたことあるようなないような」
「たぶん天理君は《MMOストリーム》で見たことがあるんだと思うよ」
「ああ、そういえばそうだった」
現在は《MMOストリーム》というネット放送局の番組が存在している。無数に存在するVRMMOの中で注目されているゲームなどを紹介したり、ゲストを呼んで雑談したりする内容だ。俺はその番組の中の《今週の勝ち組さん》というコーナーで《ゼクシード》というプレイヤーを見ている。確か青髪でサングラスをかけたイケメン風のアバターだったような気がする。しかし、そのコーナーの途中で突然そのプレイヤーの回線が切れてそのまま番組が中断していたはずだ。それと関係あるのだろうか。
「じゃあ、回線落ちした理由と今回の件に関連性があるんですか?」
「僕はそう考えている。二つの出来事の時刻は同じだ。出演中に心臓発作を起こしたのは間違いないだろう。でもね、実はその時刻にGGOの中で妙なことが有ったってブログに書いているユーザーがいたんだ」
「「妙なこと?」」
「GGOの世界の首都、《SBCグロッケン》という街のとある酒場でも放送されていた。で、問題の時刻ちょうどに、一人のプレイヤーがおかしな行動をしたらしい」
俺たちが黙って聞いていると、菊岡は再びお冷を一口含んで続ける。
「なんでも、テレビに映っているゼクシード氏の映像に向かって、裁きを受けろ、死ね、等と叫んで銃を発射したということだ。それを見ていたプレイヤーの一人が、偶然音声ログを取っていて、それを動画サイトにアップした。ファイルには日本標準時のカウンターも記録されていてね……。ええと……テレビへの銃撃があったのが、十一月九日午後十時三十分二秒。茂村君が番組出演中に突如消滅したのが、十時三十分十五秒」
「……偶然だろう」
和人がそう言うと俺も同意した。
どんなゲームでも妬み嫉みは付き物であり、有名な番組に出演していたゼクシードに嫉妬して思わず撃った、なんてことは容易に想像つく。その情報と茂村氏が死亡した件とでは関連性が薄いだろう。
俺は残ったコーヒーを仰ぐとゆっくりとティーカップを置いた。しかし、菊岡は深刻な表情をして、続けた。
「実は、もう一件あるんだ」
「…………なに?」
俺たちは視線を菊岡に戻し次の言葉を待つ。
「今度は約十日前、十一月二十八だな。埼玉県さいたま市大宮区某所、やはり二階建てアパートの一室で死体が発見された。新聞の勧誘員が、電気が点いているのに応答がないんで居留守を使われたと思って腹を立て、ドアノブを回したら鍵がかかっていなかった。中を覗くと、布団の上にアミュスフィアを被った人間が横たわっていて、死因はやはり心不全。三十一歳男性で、彼もGGOの有力プレイヤーだった。プレイヤーネームは《薄塩たらこ》……かな?」
新聞勧誘員の行動やらプレイヤーネームやらに突っ込みたくなるが、後者の方に至っては故人であるがゆえに不謹慎だろう。
コーヒーを含んだ和人が疑問を投げかける。
「そのたらこ氏も、テレビに出ていたのか?」
「いや、今度はゲームの中だね。アミュスフィアのログから、通信が途絶えたのは死体発見の三日前、十一月二十五日午後十時零分四秒と判明している。死亡推定時刻もそのあたりだね。彼はその時刻、グロッケン市の中央広場でギルドの集会に出ていたらしい。壇上で檄を飛ばしていたところを、集会に乱入したプレイヤーに銃撃された。街の中だからダメージは入らなかったようだが、怒って銃撃者に詰め寄ろうとしたところでいきなり落ちたそうだ。この情報もネットの掲示板からのものだから正確さには欠けるが……」
「銃撃した奴ってのは、《ゼクシード》の時と同じプレイヤーなのか?」
「そう考えていいだろう。やはり裁き、力、といった言葉の後に前回と同じキャラクターネームを名乗っている」
「……どんな……?」
和人の言葉に菊岡はお冷を一口含むと、タブレットを眺め、眉をひそめた。
「《シジュウ》……それに、《デス・ガン》」
つまり漢字で書くと《死銃》ということだろう。
どんな思いでそんなキャラクター名を付けたかはわからないが、嫌な予感がするのは気のせいではないだろう。そしてそれは、この後にも起きそうだ。
「そこで、なんだけど……二人とも。このガンゲイル・オンラインにログインして、この《死銃》なる男と接触してくれないかな」
「「断る!!」」
俺たちの声が綺麗にハモる。周囲からは突然の大声に疑問の視線を投げかけられ、すぐに膝の上に手を置いた。
「なんで俺たちに依頼するんだよ。菊岡さんが行けばいいだろ」
「いやぁ……本当そうしたいのは山々なんだけど、この《死銃》氏はターゲットにかなり厳密なこだわりがあるようでね」
前半部分に全然気持ちがこもってない返答に若干腹が立つが、菊岡が言った『こだわり』が気になり、次の言葉を待つ。
「ゲーム内で《死銃》が撃った二人はどちらも名の通ったプレイヤーだった。つまり、強くないと撃ってくれないんだよ、多分。僕じゃ何年たってもそんなに強くなれないよ。でも茅場氏が認めていた君達なら……」
「とは言っても和人は知らないが、俺はこのゲームをやったことすらないぞ。それにゲームに命なんかかけてられるか!」
もし本当にこの件が《死銃》による犯行なのだとしたらそれと接触する俺たちも殺される可能性がある。ゲーム内で撃たれて本当に死ぬなんてバカみたいな話だが、実際に経験している俺たちからしたら、あまり無視できるような内容ではない。
だが、菊岡は俺の考えを予期していたようで厚い資料手渡してきた。
和人と共にざっと目を通せば、《死銃》の犯行の仕組みの予想とそれを否定する理論がいくつも記されていた。おそらく、総務省のエリートたちが出せるだけ出した予想なのだろう。これを見る限り、ゲーム内で撃たれても現実世界で死ぬことはないと思われる。だが、実際には起きているのだ。いくら理論では不可能だからって怖いものは怖い。
和人も同意見のようで、冷ややかな目線を菊岡に投げかける。
「だとしてもGGOのトッププレイヤーは他のMMOとは比較にならないほどの時間と情熱をつぎ込んでいる。そんな連中相手に、何の知識もない俺と天理が向かったってもてあそばれるだけだ! 悪いが他をあたってくれ」
和人が椅子を引くと俺もそれに合わせて立ち上がる。しかし、菊岡が俺たちの袖を掴んで必死に懇願してきた。
「わぁ、待った待った! 君たち以外に頼れるアテなんてないんだよ! これだけ出すからさ!」
そう言って右手の内、人差し指、中指、薬指を立てる。見たところ、依頼料として三万円といったところか。
ないない、と首を振る俺と和人を見て菊岡がボソッと呟く。
「……掛ける十」
「っ!?」
俺たちは目を丸くする。三に十を掛けたら三十。つまり菊岡が俺たちに払おうとしている金額は、三十万ということになる。高校生相手にそのような取引を普通するだろうか。
菊岡はさらに続ける。
「もちろん最大限の安全措置は取る。君達には、こちらが用意する部屋からダイブしてもらって、モニターしているアミュスフィアの出力に何らかの異常があった場合はすぐに切断する。銃撃されろとは言わない、君たちの眼から見た印象で判断してくれればいい。――行ってくれるね?」
簡単に言えば、確認だけすればいいという依頼だ。菊岡が、言った通りの準備をしてくれるのであれば何かとましな気がする。乗せられている気もするが、ここまでするほど本気なのだ。こちらも無下にはできそうにない。
「……解ったよ、行くだけは行ってやる。天理はどうする?」
「俺も行くよ。それに銃ゲー……ちょっとやってみたかったし」
和人から呆れた表情が向けられるが、菊岡からは全く逆の表情が向けられる。
「ありがとう、二人とも! ではこれを渡しておこう。居合わせたプレイヤーが音声ログを取ってたデータをコピーしてある。《死銃》氏の声だよ」
そう言って、USBメモリーを俺と和人にそれぞれ渡してくる。これで探せ、ということだろう。
俺たちはそれをポケットにしまって、セレブ感漂う喫茶店を後にした。