( 一一)
……あったかい。
整合騎士アリスは、おぼろげな意識の中で確かな温かさを感じていた。
体を包み込むふさふさな感触。肌を撫でる柔らかな毛。これらは先ほどまで自分を包み込んでいた、暗くて冷たい虚無とは全く違う何か懐かしいものだった。
もっとこの心地よさに身をゆだねていたい。
しかし、自分の願望とは裏腹に意識は徐々に覚醒し始める。まるで誰かが『起きろ』とでも言っているように、自分の体が小さく揺れた。
「……もう少し」
懇願するように呟けば、再び体が小さく揺れる。それはだんだんと強く、連続的に続いていく。どうやら自分を起こそうとしている主は何か急いでいるようだ。
この心地よさを邪魔する主に鬱陶しさを感じながらも、アリスはゆっくりと瞼を持ち上げる。
まず視界に飛び込んできたのは艶やかな銀色の毛だった。これには見覚えがある。整合騎士一人に一頭与えられる、飛竜の鬣だ。
そこでようやくあやふやだった意識がはっきりする。
「……そうだ、私は――」
斬っても斬っても勢いが止まない赤い兵士の大軍に苛立ったこと。後ろから聞こえてくる制止も聞かずに一人で飛び出したこと。その結果、皇帝ベクタの飛竜に捕らわれたこと。
頭の中に自分の過ちがすべて、鮮明に浮かび上がってくる。
なんて迂闊だったのだろう。
光の巫女として狙われている自分が単体行動をとることは非常に危険だと何度も忠告されていたはずだ。自分自身、それはわかっていた。しかし、あの瞬間だけ感情が理性に勝ってしまったのだ。これは反省するべきだろう。
自分を戒めるように奥歯をかんだアリスはゆっくりと首を持ち上げ小さく体をよじれば、それが引き金になったのかずるっと滑り、浮遊感に襲われた。
「……え、――きゃあああああああ!!」
むぎゅ、奇妙な呻き声と共にアリスは冷たい地面に叩き付けられる。
幸いにも意外に高くはなかったらしく、アリスはすぐに体を持ち上げた。おでこを擦りながら顔を上げれば、二頭の飛竜がこちらに顔を向けていた。
「雨緑、滝刳……。お前たちが助けに来てくれたのね」
近づけられた頭を優しく撫でれば二頭の飛竜は、ぐるる、と小さく唸った。嬉しそうに頭を持ち上げれば、二頭の飛竜はある一点に視線を向ける。それにつられて視線を向ければ、膝立ちでピクリとも動かない人影が数十メル先にあった。
「あれは……」
まだ少し重い体を持ち上げて、視線の先にいる人影に向かって駆けだす。雨緑や滝刳が唸っていないということは、少なくとも自分をさらった皇帝ベクタではないはずだ。
そこで昨晩の出来事を思い出す。
『……もしベクタと戦うことになったら、俺に任せてくれないか』
リアルワールドの記憶を取り戻したラテンの言葉だ。
そういえば、自分が《反射凝集光線》術式を使おうとして一人で駆けだした時、自分を制止した声の持ち主もラテンだったような気がする。
少しずつ距離が縮まっていくのにつれて、人影のシルエットが鮮明になっていく。体格、髪型、そして地面に落ちている金色の刀身を持った刀。あれは間違いなくラテンだろう。
――宣言通り、本当にベクタを……!
アリスの顔が自然と緩む。
「――ラテっ…………?」
嬉しそうに叫んだアリスだったが、途中で口を閉ざした。ラテン様子がおかしかったからだ。
ピクリとも動かないラテンの服は、今朝のような純白ではなく血が変色したような赤黒い色に染まっている。その周りには大きな赤い水たまりが広がっていた。
駆けだしながら辺りに視線を動かせば、所々に血が飛び散っている。
それだけ激戦だった、ということかもしれないが如何せん量が多すぎる気がする。ベクタのも含まれているならばおかしくはないが、暗黒神ベクタにはステイシア神の姿をしたアスナのように膨大な天命が施されているとアスナから聞いている。そんなベクタを倒したならば、もっとあってもいいはずだ。
となると辺りに飛び散っている血はすべてラテンのもの、ということになる。だとしたら、この量は明らかにラテンが持っている天命量よりも――
「――ラテン!」
血だまりに足を持っていかれそうになるのを何とかこらえて、自分を救ってくれた男の傍にたどり着けば、アリスは目を見開いた。
俯いたままピクリとも動かない男。
体中には無数の傷が刻まれていて、赤黒く染まった服はボロボロだ。胸の下と腹部には、何かに突き刺されたかのような惨たらしい傷がドロドロと血を噴き出している。そして、閉じた瞼の片方には深い切り傷が縦に伸びていた。
「嘘……でしょ?」
膝を折り、急いで治癒術をかけて止血をするとアリスはラテンの両肩に手を置いた。
「ラテン、ラテン! 起きて、ラテン!」
必死に肩を揺らすが軽くなった身体が前後に動くだけで、ラテンの意識が戻らない。
「死んではだめ、ラテン……!」
懇願するように呟きながらアリスはラテンの頭を胸に抱きよせる。
視界が徐々に滲んでいくが、アリスは叫ぶのを止めない。
「ねえ、ラテン……本当は起きてるんでしょう? 寝ているだけなんでしょう? いつもみたいにふざけているだけなんでしょう?」
ラテンは答えない。
「お願い……起きて………あなたが死んでしまったら、私はどんな顔してリリアとユウキに…………」
アリスの瞳から宝石のような滴が零れ落ちた。
「手を貸すぜ、ユウキ!」
赤銅色の鎧を身にまとい、身の丈と同じくらいの大剣を背中から引き抜きながらオレンジの髪色の少年がユウキの少し前に降り立った。ギルド《スリーピング・ナイツ》で
ジュンに続いて巨漢のノーム《テッチ》、眼鏡のレプラコーン《タルケン》、姉御肌のスプリガン《ノリ》、最も古い友人のウンディーネ《シウネー》がユウキを囲うように降りたつ。
「みんな、どうしてここに……」
スリーピングナイツの面々が顔を見合わせる。
そして、さしても当然だという表情でノリが口を開いた。
「そりゃあ、あたしらのリーダーがピンチなんだ。それを助けるのがギルド仲間ってもんだろう?」
「でも、みんなのアバター、コンバートなんじゃ……」
「そうだな。だから、みんなで生き残らないとな!」
「…………ありがとう」
目元を抑えるユウキにスリーピングナイツの面々の表情が自然と綻ぶ。
そして、何かを思いついたのかジュンが右手を突き出した。その上に重ねるようにテッチ、タルケン、ノリ、シウネーが手を出す。
ユウキは潤んだ瞳でそれを見て、そっと右手を上に乗せた。
「最近は、ユウキがご無沙汰だったからな。久しぶりにギルド活動するか!」
「……まあ、本当は私とノリが忙しかっただけなんですけどね」
ノリの言葉に、タルケンが眼鏡を上げながら冷静に返す。
その背中を「冗談に決まってんだろ!」と笑いながらノリが豪快に叩くと、情けない声を上げながらタルケンが背筋を曲げた。
「ユウキ、私たちがついてます」
にこっと笑ったシウネーにユウキは強く頷いた。
「よぉし! ギルド《スリーピング・ナイツ》久々に行くよ!」
「おおー!!」
固い絆で結ばれた六人はそれぞれの手を赤く染まった空へと掲げた。
その光景を一部始終見ていたリリアは、鼓舞が終わるのを待って声をかける。
「ユウキの仲間、ということはあなたたちもリアルワールドから来たんですね」
「うわっ、すっげぇ美人」
「何言ってんだい! ……まあ美人ではあるけど」
目を丸くしながら口走ったジュンの頭をノリがペシッとツッコミを入れる。
それを見たリリアは苦笑いを浮かべる。
「初めまして、私はシウネーと申します。ユウキとは旧知の仲です」
律儀に挨拶するシウネーに慌ててリリアも返答した。
「ああ、私は整合騎士、リリア――」
そこまで言ってリリアは口を閉ざし、一瞬だけ顔を伏せる。
いきなり口を閉ざしたリリアにシウネーたちは首を傾げたが、すぐさま顔を上げたリリアは顔を上げた。
「リリア・アインシャルトです。ユウキとは――先日、『友達』になった仲です」
それを聞いたユウキは、ぱあっと明るくなる。
対して他のメンバーは目を丸くした。
「とも、だち…………すごいですね。こうして接してみると本当の……」
タルケンはそこで口を閉ざす。おそらくリリアに配慮したのだろう。
「まあ何にせよアイツらをぶっ飛ばせばいいんだろ? 何人ぐらいいるんだ?」
赤い兵士たちを睨みながらジュンがユウキに聞く。
視線の先では最初に駆け付けてくれたクラインに続いて、アスナを通して知り合ったエギル、リズ、シリカ、そして鮮やかな色彩を身にまとう何百人もの剣士たちが戦闘に入り始めていた。
「だいたい一万人くらいかなぁ」
「そうか……っていちまんっ!?」
ジュンがぎょっとする。
その驚き方から察するに、駆けつけてくれたALOの勇士たちの数はそれほど多くないだろう。それでも今の人界軍にとっては非常にありがたい援軍だ。
「ボクたちならきっと大丈夫。なんたって、七人であの二十七層のボスを倒したんだから!」
「そ、それもそうだな。んじゃあいつものように前衛は俺とテッチとユウキで行くか!」
ユウキが鼓舞すると、一瞬怯んだジュンも強く頷いた。
「じゃあリリアもボクたちと一緒に……」
「そうですね。私も一緒に行かせていただきます。ですが、先に小z……騎士長の所へこのことを報告に行ってきます。すぐに追いつくので先に行っててください」
「おっけー、待ってるね!」
踵を返したリリアの背中を見送って、再び赤い兵士たちへ顔を向ける。さすがは、長い時間と多大な努力をつぎ込んで育てたキャラクターをコンバートしただけあって、ALOプレイヤーたちの勢いは止まらず、数で勝る赤い兵士たちを押し返している。このままいけば、この戦いに勝利することができるだろう。
「そういえば、ユウキ。ラテンさんの姿が見えないけど、どこにいるんだ?」
辺りをきょろきょろしながらジュンが口を開く。
ユウキとの関係上、近くにいると思っていたのだろう。
「ここにはいないよ。でも……」
「でも?」
ユウキは一呼吸おいて、後方の空を仰いだ。
「きっとすぐに来てくれる」
「そっか」
ジュンはそれ以上何も言わず、大剣を構えた。
スリーピングナイツの面々も同じように武器を構える。
それを見たユウキは改めて前方へ顔を向けた。
「行くよ!」
ユウキが叫ぶのと同時にスリーピングナイツが動き出した。
久しぶりの投稿だというのにこの短さ……。
大変申し訳ありません!m(_ _)m
まあなんといいますか……。
テッチが喋ってないですね(笑)
何か気になった点、アドバイス等がありましたら気軽に言ってください!どんな言葉でも私は受け止めます……。
これからもよろしくお願いします!