ソードアート・オンライン~神速の剣帝~   作:エンジ

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第四十二話 ドSの疑惑

 

 

 

 彼を横たえてから数十分。

 聞こえてくるのは規則正しい呼吸音のみ。意識を失ったのではなく、ただ寝ているのではないかと思ってしまうほど気持ちよさそうな顔をしている。

 もし本当にただ寝ているだけなのだとしたらどう叩き起こしてやろうか、頭の隅でそんなことを考えながら頬杖をつく。試しにラテンの頬をつついてみるが反応はない。

 

(思った以上に柔らかい……)

 

 もしかしたら自分の頬もこれほど柔らかいのだろうか、と思わず先ほどラテンの頬をつついた指で自分の左頬触ってみるが、正直なところよくわからない。わかるのは、ラテンの頬が柔らかいことだけだ。

 先ほどの感触を思い出すと、もっと触ってみたいという欲求が湧き上がってくる。無意識のうちに左手を伸ばすが、すぐさま今の状況を思い出し、はっとしながら周りを見渡す。

 この場にいるのは先ほどと変わらず、リリア、ラテン、キリトの三人だ。出入り口からは人が近づいてくる気配がない。キリトのほうへ顔を向けると俯いたまま静かにじっとしている。キリトが記憶を取り戻したらからかわれる可能性がないわけではないが、正直これほど絶好の機会は二度と訪れないだろう。

 もしからかわれた場合、その部分の『記憶』だけを消せばいい話だ。きっと起きたときには『謎の痛み』だけしか疑問に思わないはずだ。

 

 

 今一度周りを見渡し、問題がないことを確認すると大きく深呼吸をする。そして、欲求とともに発射した少し震える指先が再びラテンの頬に着地した。その瞬間、好ましい感触が指から伝わり、リリアは目を輝かせた。それと同時に、『つまんでみたらどうなのか』という考えが頭に浮かび上がってくる。

 

(す、少しだけなら……)

 

 自分に言い聞かせるように親指も動かし、ゆっくりとラテンの頬をつまむ。すると、再び何とも言えない好ましい感触が指先から伝わってきた。

 もっと触ってみたい、という欲求とともにリリアの指先に少しずつ力が入り込む。それに比例するように、指先から伝わる感触は好ましくなっていく。

 まるで別の生き物のように勝手に動く左手に少々驚くが、それ以上のその手から感じる感触が気持ちいいため、自然に笑みを浮かべてしまう。

 

(……できることならずっと触っていたいですね)

 

 ふふっ、と笑いながら視線を指先からラテンの顔へと移動させる。きっと変な顔になっているだろうと、頭でラテンの変顔を思い浮かべながら、リリアの視線はラテンの顔全体をとらえた。

 案の定、伸びきった右頬とそれにつられて伸びている唇がラテンの顔を変顔に変えている。

 

(これに加えて瞼の周りに落書きをすれば完璧に……)

 

 もちろん落書きができるものを持っていないため、ラテンの顔を見ながら想像する。

 ある程度完成した想像に、ぷっと小さく噴き出してしまうが、完成したのはあくまで瞼の周り。肝心の瞼には手を付けていない。

 

(そうですね。瞼に瞳なんかはどうでしょうか……ぷぷっ)

 

 アイデアの時点で笑いながらラテンの瞼に視線を動かす。だが、そこにはすでに瞳が描かれていた。

 あれ、先ほどまではなかったはず、そう思いながらその落書きを見つめる。しかし、よくよく見れば落書きにしては細部まで丁寧に表現している。

 

(そういえばこの瞳、先ほどからずっと私と目が合っているような……)

 

 試しに顎から手を放し、頭を横に移動させる。それを追いかけるように、双眸はリリアを捉えていた。

 不思議な落書きだ。そう思いながら目を細めると、突然聞き覚えのある声が耳に入り込んでくる。

 

「い、いひゃいです、りりあしゃま……」

 

「……え?」

 

 その声を聴いた瞬間、ようやく自分を見つめる双眸が落書きではなく、本物のラテンの瞳であることを理解した。

 それを理解したのと同時にリリアが固まる。先ほどまで別の生き物のように動いていた左手の指先もピタリと止まっている。

 

「…………」

 

「…………あの、リリアさん?」

 

「…………」

 

「……聞こえてます?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……ぁ……」

 

「あ……?」

 

 その瞬間、リリアの右手が閃光のごとく動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先ほどの自分との会話から数秒。いや、実際には数秒も経ってはいないはずだ。意識が途切れて間もないからか、奇妙な感覚が漂うがそれ以上に何故か右頬の痛みが気になっていた。その正体を確認するため、ゆっくりと瞼を持ち上げる。

 先ほどまでずっと真っ暗な視界だった――正確にはずっとではないが――せいか、流れ込んでくる光に思わず目を細める。

 だが、その光にもすぐに慣れ、瞳を動かす。どうやら運び込まれたらしい。

 

 

 ラテンは一度瞼を閉じ、今度は右頬に発生する痛みを正体を知るべく、視線を右側に移動した。それと同時に目を見開く。

 

(…………え?)

 

 右頬には手が添えられていた。おそらくこの手が頬をつまんでいるのがこの痛みの原因なのだろう。

 その手から腕へと視線を動かし、最終的に自分の頬をつまんでいる人物を捉える。そこにいたのは、ラテンがよく知る人物。リリアだ。

 正直リリアがこんなことしているだけで驚くことなのだが、先ほどはそれに驚いたのではない。ラテンが驚いたのは――

 

(こいつ……笑っていやがる……!)

 

 そう。彼女は『笑いながら』、ラテンの頬『つまんで』いるのだ。誰がどう見ても痛いと思うであろう力加減で――。

 

(前々から思ってたけどこいつ……絶対ドSだ……)

 

 もちろん自分のしていることが分かってなくて、ただ指先から伝わる感触だけで無自覚に笑っている可能性もある。

 だが、よくよく考えてみてほしい。もし仮に彼女が無自覚でこれほどの力加減をして笑っているのなら、それはそれで『S』だ。『ドS』だ。彼女の内なる才能が隅々まで『S』に埋め尽くされているのだ。無自覚な『S』ほど怖いものはない。

 思わず冷や汗をかいたラテンはじっとリリアを見つめる。彼女がラテンと目を合わせ、このような拷問を止めれば彼女にはまだ希望がある。ドSの道を歩ませない希望が――。

 

 

 だが、この世は残酷だ。

 行って欲しくない方向に、事が進んでしまう。もしかしたら、この世自体が超弩級の『S』なのかもしれない。

 リリアはラテンと目を合わせると不思議そうな表情をしながら行為を止めなかったのだ。もうこの領域まで行ってしまったら、ラテンに止める術はない。

 

(あはは…………この世にまた一人の『ドS』が生まれたよ、神様。あはははは……)

 

 内心で笑っているラテンは未だに不思議そうな表情をしたリリアを見つめ続ける。この場合、この状況を一刻も早く抜け出すには止めてもらうように懇願するしかない。

 

「い、いひゃいです、りりあしゃま……」

 

 できるだけ主に請うような声で口を開いた。

 正直『様』までつける必要はないように思えるが、この場合は一刻も早く主に満足していただけなければならない。そのために、主と下僕の関係を即興で成立させたのだ。

 

「……え?」

 

 そう言って、リリアが固まった。

 『様』づけで呼ばれたことに、ぞくりと来たのかもしれない。

 

(このドSがぁぁぁ……!)

 

 もし次の言葉がラテンの予想通りなら、「もう一度言ってみなさい? この駄犬」と言ってくるだろう。

 せっかく記憶を取り戻したというのに、何故開始早々メンタルをズタボロされなければならないのか。大きなため息をつきたくなるが、ここでつけばさらに追い打ちがやってくるだろう。

 

「…………」 

 

 静かにリリアの言葉を待つ。だが、彼女は先ほどからずっと固まったままだ。

 

「…………あの、リリアさん?」

 

「…………」

 

 無言。

 何故ずっと固まっているのだろうか。脳内でこれからどう調教してあげようか考えているから聞こえていないのだろうか。

 

「……聞こえてます?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……ぁ……」

 

(あれ? この感じ、どこかで……)

 

 頭の隅でそう考えながら、彼女が言おうとしたことを尋ねる。

 

「あ……?」

 

 そう言った瞬間リリアの右手が閃光のごとく動き出す。その右手は人差し指と中指がピンと伸ばされていて、真っすぐラテンの目に向かってくる。

 その瞬間、ラテンは思い出した。《暁星の望楼》での出来事を。

 

「させるかぁぁぁぁ!!!」

 

 頭上から降ってきた二本の槍を左手で受け止める。正直目にも止まらぬ速さで降ってきた槍を止めるのは至難の業だろう。だが、この感覚は体で覚えている。

 何とか瞳から約五cmほどのところで槍を止めることができた。だが、ここで気を抜けば、一瞬で守りを崩されるだろう。

 一進一退の攻防の中ラテンはゆっくりを呟いた。

 

「お前、いきなり何しやがる……!」

 

「あなたは何も見ていないあなたは何も見ていないあなたは何も見ていない……」

 

「武力で証拠隠滅かよ!? どうせこれも面白がってるんだろ! このドS女王様がぁ!」

 

 押し進もうとしている力とそれを止めようとする力。この二つの均衡は数十秒経っても、崩れることはない。はたから見れば、その部分だけ時間が停止しているように少しも動くことはなかった。

 目の前の槍に意識を集中させながら、瞳をリリアの顔へ向ける。リリアはラテンの視線に気が付くと、ラテンに向かってにこりと笑った。

 

「あなたは何も見てないですよね?」

 

「は? 何の――」

 

「――見てないですよね?」

 

 今度はにっこりと笑った。

 うん、いい笑顔だ。とてもきれいで彼女に似合っている。きっと誰もがそう思い、感じるだろう。ラテン以外は。

 彼女の笑顔を見た瞬間、全身から冷や汗が噴き出した――ような感覚に包まれた。ラテンの顔は引きつり、左手が微かに震えている。

 それでも彼女に抗うのは、男だからか。それとも自分は悪いことを何もしていないからか。実際ラテンは何もしていないが。

 だがやはりここは最後まで踏ん張ってみようと思う。きっとここで押し勝てれば彼女は罪を認めるはずだ。

 だから、あきらめなければ――

 

「もう一度聞きます。何も見てないですよね?」

 

「――あ、はい」

 

(人を殺せる笑顔があるとするならば、きっとこんなのなんだろうな……)

 

 今度こそ大きなため息をつくと、リリアの手がゆっくりと離れていった。それにつられてラテンは手を放す。

 そのままゆっくりと上体を起こし、大きく伸びをする。

 

「……具合はどうですか?」

 

「ん? ……ああ。いや大丈夫だ。ちょっと頭が痛いけど、そこまで気にするほどじゃない」

 

「そうですか……よかったです」

 

 その言葉を聞いてラテンは目を丸くする。

 それに気づいたリリアは「何か?」と聞いてくるが、別に大きな問題ではないような気がするため「何でもない」と返す。

 簡易ベットから立ち上がると、そのままあたりを見渡す。どうやらジャビはこの場にはいないようだ。大方《ステイシア(アスナ)》の頭の上にでも乗っているのだろう。

 ラテンはそのまま出入り口に向かおうとするが、ふと気が付いて後ろを振り向き、その先にいる人物のそばでしゃがみ込む。

 

「よう、キリト。久しぶり……でもないか」

 

「…………」

 

 相変わらず無言だが少しだけ顔を上げた気がした。

 何度見ても今の彼の姿は痛々しい。正直、本当にキリトなのかと疑いたくなるほどだ。

 

 

 何故こんなことになったのかはわからない。わかるのは、ユウキのおかげでラテンは記憶を取り戻すことができたということだけ。大切な彼女が目の前に現れたから自分を取り戻すことができたのだ。

 だがキリトは元に戻っていない。きっとアスナのことだから、真っ先にキリトと出会っているはずだ。だとすれば、キリトの心にぽっかり空いた溝は大切なアスナでさえも一人では埋めることができないほど深い溝だということだ。

 キリトが元に戻るまでもうしばらく時間がかかるだろう。その間はキリトの代わりに……いや、キリトの分までみんなを守る。

 

「あとは俺に任せろ……って言っても、最後までは無理かもな。もしも(・・・)のときは、お前にすべて任せるよ。それまでは俺にすべてを任せとけ」

 

 にかっ、とラテンは笑うと、そのまま後ろを振り向き、真剣なまなざしをリリアに向ける。そんなラテンを不審に思いながら口を開こうとしたリリアを遮って、ラテンが口を開いた。

 

「リリア。お前にしか頼めない大事な話があるんだ」

 

 

 

 

 

 





結局あまり進んでませんね(笑) 
さすがにもう動き出しますから、ご安心ください!

目つぶしって正直恐ろしいですよね。想像しただけでも身震いが……(笑)


というわけで、これからもこの作品をよろしくお願いします!

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