ソードアート・オンライン~神速の剣帝~   作:エンジ

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第三十二話 終わりと始まり

 

「…………貴様」

 

 カーディナルの言葉にはその容姿から発せられたとは思えないほどの怒気が満ちていた。それほど怒っているということは、その言葉をそのまま受け取っていいのだろうか。

 六人対六百人。その六百人はヒューマン・ユニット、つまりこの世界で暮らす人間たちの数だということを。

 

 もしそうならば、非人道的な行いだ。ソードゴーレム一体の中には三百人の魂が詰まっている。想像しただけでもむごすぎる。

 

「アドミニストレータ。お前は……!」

 

「あら、クレイジーな坊やはやっと気づいたのかしら。このままじゃ、種明かしする前に死んじゃうかもって思ってたのよ」

 

 本心から嬉しそうに、ひとしきり無邪気な笑い声をあげると、最高司祭は両手を打ち合わせ、言葉を続けた。

 

「まさか、ユニットたかだか六百個程度、物質変換したくらいで驚いているわけじゃないわよねえ?」

 

「たかが……じゃと?」

 

「そうそう。ほんのこれっぽっちよ、おちびさん。実はこれは完璧な完全体じゃないのよ?そうねえ……いやったらしい負荷実験に対抗するための完成型を量産するには、ざっと半分くらいは必要って感じだわ」

 

「半分って……全ヒューマン・ユニットの半分か!?」

 

「その半分。四万ユニットほどあれば足りるんじゃないかしら。ダークテリトリーの侵攻を退けて、向こう側に攻め込むのは」

 

 あまりに恐ろしい言葉をこの最高司祭は軽々しく言ってくれる。

 確かにこの世界はラテンやキリトにとって仮想現実であり、どんなことをやらせたって所詮は二人に実害はない。仮想現実世界の人間が犠牲にされようが死のうが、二人には関係ないのだ。「所詮仮想現実だ」この言葉ですべてが解決する。

 

 だが二人はこの世界の人間と触れ合って、与えるどころかいろいろなことを貰った。ただのNPC(・・・)から学んだのだ。いや。その言い方は合っているようで間違っている。

 この世界の住人は仮想世界で魂を持って生きている。それは現実世界の人間と大差がないとこの二年間で嫌というほどわかった。むしろこっちの世界の人たちの方が現実世界の人間よりも優れているのではないか、と思うほどだ。

 もちろんこの世界の貴族の中や住民の中には、卑しいことを考えている人がいる。だが現実世界と比べれば、それこそほんのこれっぽっちだ。それほどこの世界の人間の心は穏やかだということになる。

 つまり何が言いたいかというと、二人にとってこの世界の人たちは偽物ではないのだ。本物の人間と同等だと思っている。

 そのうちの四万人を犠牲にして、ダークテリトリーの侵攻を抑えるという手段はラテンの頭にはなかった。

 ラテンの右手に自然と力が入る。

 

「あら。このまま戦ってもいいのよ?でもあなたたちが戦うのは、単なる兵器ではなくて六百人の生きた人間だけどね」

 

「……なかなか卑劣な手を使うんだな。アドミニストレータ」

 

「あなたたちはそう感じるかもしれないけれど、私にとってはただの人形みたいな存在だから気にしないわよ?」

 

 相手が兵器ではなく多くの人間ならば、進んで斬ることはできない。そうする理由がないからだ。

 今までは、リリアをサイリス村に連れ戻すために戦ってきた。何人斬ろうと相手が死ぬことは決してなかった。だが今はそれとはわけが違う。

 目の前のソードゴーレムには六百人の魂が宿っている。だが肉体はない。つまりソードゴーレムを倒すということは、六百人の命を奪うということなのだ。それだけはどうしてもできない。

 そもそも戦ったって勝てる保証はない。カーディナルがいたとしても、その力はアドミニストレータとほぼ互角。二体のソードゴーレムと五人には天と地ほどの差がある。そんな相手に勝てと言われても、最善を尽くしますで終わりなのだ。

 事実上の敗北。

 それが決定づけられた瞬間、カーディナルが口を開いた。

 

「……取引じゃ、クィネラ。わしの命をくれてやる……代わりに、この若者たちの命は奪わんでやってくれ」

 

「………!?」

 

 カーディナルは何を言っているのか。自分の命を犠牲にしてラテンたちを救おうということなのか。

 しかし今のラテンにはそれに抗議することはできない。それほどカーディナルの小さな背中から感じられる意志が強固だった。

 

「あら……この状況で、今更そんな交換条件を受け入れて、私にどんなメリットがあるのかしら?」

 

「戦闘を望むのなら、その哀れな人形の動きを封じながらでも、貴様の天命の半分くらいは削ってみせるぞ。それほど負荷がかかれば、貴様の心もとない記憶容量が、さらに危うくなるのではないか?」

 

「ん、んー……」

 

 あくまで笑みを浮かべたまま、アドミニストレータは右手の人差し指に頬を当て、考えるそぶりを見せる。

 

「まあ面倒ではあるわね。……その《逃がす》っていうのは、この閉鎖空間から下界のどこかに飛ばしてやれば条件を満たすのよね? 今後永遠に手を出すな、なんてことなら拒否するわよ」

 

「いや、一度退避させるだけでよい。彼らなら、きっと……」

 

 カーディナルはこちらに振り向く。その瞳には優しい光が宿っていた。

 本当は否定したかった。所詮ラテンの命は偽物のもの。ここでラテンが斬りかかって、カーディナルを退避させることは可能だ。だが、それを実行できない理由は、リリアたちを巻き込んでしまうからだ。キリトならこの作戦を遂行するだろう。この場にいるのがカーディナルだけだったら。

 

「ま、いいわ」

 

 ラテンの思考を遮るようにアドミニストレータは無垢な微笑をあげながら頷く。

 

「私も、おもしろい遊びを後にとっておけるし、ね? ……じゃあ、ステイシアの神に誓いましょう。おちびさんを……」

 

「いや、神ではなく、自らのフラクトライトに誓え」

 

「はいはい、それでは私のフラクトライトと、そこに蓄積された大切なデータに誓うわ。おちびさんを殺した後、後ろの五人を逃がしてあげる。この誓約だけは私にも破れない……いまのところ、ね」

 

 最高司祭の右手が軽々しく振られると、部屋の中央に到達しつつあったソードゴーレムの歩みがピタリと止まった。

 掲げられた手はそのまま何かを握るように動かされると、空間からにじみ出たかのように光が集まり、銀色の細剣が出現する。

 それをカーディナルに向けると、賢者は恐れる様子もなく歩き始めた。ラテンはそれを無言で見続ける。

 カーディナルがアドミニストレータの前で立ち止まった瞬間、最高司祭の瞳が歓喜に満たされる。それと同時に、極細の剣尖から極大な稲妻が迸り、賢者の身体を貫いた。

 

「ふ………ん、こんなもの……か、貴様の術は。これでは、何度……撃とうが……」

 

 ガガァァァン!!

 カーディナルの言葉を遮るように再び稲妻が轟く。

 小さな体が痛々しく痙攣し、ぐらりと右に倒れそうになるが、寸前で片膝をついた。

 

「もちろん手加減はしているわよ。一瞬で片づけちゃったら詰まらないもの。何たって私は、二百年もこの瞬間を待ったんだもの……ね!!」

 

 ガガッ!!

 三度目の雷閃。

 幼い体はひとたまりもなく吹き飛び、床の上を数メートルも転がった。

 

「さあ……そろそろ終わりにしましょうか。私とお前、二百年のかくれんぼを。さようならリセリス」

 

 アドミニストレータの振り降ろしたレイピアから、最終撃が放たれる。それは無情にもカーディナルの体を撃ち、焼き焦がし、破壊した。

 賢者は高々と舞い、キリトの足元に落下する。しかしその音は質量を感じさせない、乾いた音だった。黒い煤が体のあちこちから飛び散り、空気に溶けて消える。

 

「見える……見えるわ、お前の天命がぽとりぽとりと尽きていくのが!! さあ、最後の一幕を見せてちょうだい。特別に、お別れを言う時間を許してあげるから」

 

 その言葉に諾々従うかのように、キリトはひざから崩れ降りた。小さな賢者の体を抱きかかえ、声にならない声を出している。隣に跪いたアリスは右手を、ユージオは左手を握り、涙を流している。

 ラテンの隣に立つリリアは、ラテンの腕を掴む。その手は細かく震え、小さな嗚咽が耳に届いた。

 だが不思議とラテンは涙を流さなかった。

 悲しい。

 確かにそれはラテンの胸に満ちている。だがそれでも泣けないのは、その行為がカーディナルに対して適切な礼儀ではないと心のどこかで思っているからなのかもしれない。

 

「僕は、いまようやく、僕の果たすべき使命を悟りました。……僕は逃げない。僕には為さねばならない役目があります」

 

 突如ユージオがそんなことを言った。

 

「カーディナルさん。あなたの残された力で、僕を―――僕のこの体を、剣に変えてください。あの人形と同じように」

 

 その言葉が衝撃的だったのか、光が失われつつあったカーディナルの瞳がわずかに見開かれる。

 

「ユージオ……そなた……」

 

 カーディナルはユージオを見据える。その瞳が決意に満たされていると悟ったのか、ユージオの左手を両手で包み込むと、囁き声で詠唱する。

 

「システム・コール。……リムーブ・コア・プロテクション」

 

 初めて聞く術式だった。

 それを唱えたユージオが、そっと瞼を閉じる。滑らかな額に、電気回路のような複雑な模様が出現し、紫色のラインが指先へと達する。

 

「お願いします。アドミニストレータが気づく前に」

 

 その言葉を聞いたカーディナルは一度目を閉じると、かっ、と見開き、瞳の奥に紫にきらめきが宿った。

 ユージオの手からカーディナルの手へと接続された光の回路が強烈に輝く。その輝きは一瞬でユージオの体を駆け巡り、額の紋様まで達すると、そこからあふれて光の柱を作り出し、天井にまで届くほど高く伸び上がった。

 

「なにっ……っ!」

 

 その言葉を発したのはアドミニストレータだった。勝利の余韻を一瞬で消し去り、銀の瞳に怒りをみなぎらせ、支配者は鋭く叫んだ。

 

「死にぞこないが、何をしているッ!!」

 

 右手のレイピアが、カーディナルとユージオを狙う。刀身に純白のスパークがまとわりつく。

 

「させない!!」

 

 叫び返したのは、アリスだった。

 天命の残量も限界に近いはずの金木犀の剣が、じゃあっ!! と音を立てて刀身を分裂させ、黄金の鎖となって宙に舞う。

 放たれた巨大な稲妻は、鎖に触れた瞬間、エネルギーの奔流が一直線に伝う。しかしその時にはもう、黄金の鎖は後方にその身を伸ばし、端の子刃を床に突き立てていた。稲妻はアース線から逃れることができず、エネルギーのすべてを構造物に流し込み、爆発音と白煙を生み出して消滅した。

 

「私には雷撃は効かない!!」

 

「騎士人形風情が……生意気を言うわね!!」

 

 アドミニストレータがそう口にした瞬間、一体のソードゴーレムが目にも止まらぬ速さで動き出した。明らかにアリスを狙っている。

 ラテンが反応するよりも早くリリアが動いた。桃色の剣をしっかりと握りしめ、アリスに振り下ろされようとしていた、右腕を受け止める。

 だが……

 

「リリア!!」

 

「っ!?」

 

 まるでそれを予期していたかのように、コンマ一秒以下の時間をずらして、左脚がリリアとアリスに襲い掛かる。

 アリスの刀身はまだ戻ってはいなく、それを防ぐことはできない。

 

 リリアは目を見開くと、八重桜の剣を滑らせ、柄でそれを受け止める。だが当然柄で防ぎきれるはずがなく、リリアとアリスはまるでダルマ落としのようにラテンの方向へ吹き飛んだ。

 ラテンは二人を受け止めるが、あまりの衝撃で床に倒れ込む。しかしすぐさま起き上がり、二人の体に視線を巡らせた。

 幸いアリスは無傷のようだったが、リリアの腹部からはだらだらと血が流れていた。しかし止血している間にソードゴーレムが、ユージオとカーディナルを襲うだろう。キリトはカーディナルを抱きかかえており、アリスは剣がまだ戻ってはいない。今この瞬間、動けるのは……動くべきなのはラテンだ。

 

「アリス……リリアを頼む」

 

「ですg―――」

 

 アリスが言い終える前にラテンは飛び出していた。

 リリアとアリスから、キリト、ユージオ、カーディナルの三人の標的を変えたソードゴーレムは突進しようとしていた。

 ラテンはその間に無理やり割り込み、刀を振り下ろす。

 右腕を弾き、反撃ができない状態を作り出すと、後方へ押し返すために、手首を反転させ、水平切りを放った。

 黄金の刀身を包む銀の刃がソードゴーレムに迫る。だがその太刀筋は、あと五センチというところで停止した。

 意志が体を無理やり停止させたのだ。

 

 ラテンはとっさに鞘を掴むと、ソードゴーレムの左腕の軌道にねじ込んだ。だが、コンマ三秒遅く、左腕がラテンの胸を貫いた。

 

「がはっ……!」

 

 口から大量の血を吐きだし、金色に輝くソードゴーレムのボディに降りかかる。

 左腕が抜き取られると、衝撃で二メートルほど後退し、膝から崩れ落ちた。床にラテンの鮮血が広がる。

 

 やはりラテンには無理だったのだ。 

 たとえ兵器になったとしても、その中に三百人の魂があることに変わりはない。それをラテンが手にかけることはできなかった。

 

(結局、何も守れないじゃねえか……)

 

 三百人、いや、六百人を犠牲にして、四人を救うか、四人を犠牲にして六百人を殺さないか。

 その選択はラテンには重すぎた。

 

 どちらも救いたい。

 

 それがラテンの純粋な気持ちだ。だがそれは事実上不可能であり、どちらもやり遂げることができない。

 

 ラテンは歯を食いしばり顔を前に向ける。視界が霞んでよく見えないが、ソードゴーレムがとどめを刺しにこちらに近づいてくるのが分かる。

 朦朧とする意識の中、ラテンはそっと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『しっかりしろよ』

 

 暗闇の中そんな言葉が響き渡った。

 その声の主はよく知っている。ジャビだ。

 

「いや、今回ばかりは無理だわ。すまん」

 

 本来は口にしたくない言葉なのだが、今回ばかりはそうはいかない。

 無理なのだ。

 ラテンは瀕死ダメージを追って、ソードゴーレムを撃退する力は残っていない。いや、あったとしてもそれはできない。

 

『お前は三百人の魂がどんなことを思っているのかわかるのか』

 

「………」

 

『きっと早く解き放たれたいと思ってるんじゃないか?魂があるとするのなら、きっとそう思ってるはずだぞ』

 

「だけど、俺は……」

 

 たとえソードゴーレムの中に魂がなかったとしても、ソードゴーレム自体、三百人のヒューマン・ユニットによって作られているのだ。魂が無くとも、ソードゴーレムを倒すということは三百人を殺すということに等しい。

 

『お前はおれっちが何からできたか忘れたのか?』

 

「……始まりの……原石…」

 

『そうだ。ほかの奴が無理でも、おれっちなら、お前なら元に戻すことができる。お前が願えば、三百人のユニットを元々いた場所に戻すことができるんだ』

 

「俺は……どうすればいいんだ」

 

『ただ思うだけでいい。お前の思いがこの刀の強さになるんだ。お前の思いが大きければ大きいほど刀はお前に応える』

 

 ラテンの思い。

 リリアもアリスもユージオもキリトも三百人のヒューマン・ユニットも、すべてを救いたい。

 選択なんて最初から存在しなかった。どちらとも救えばいい。それだけの話だ。

 

『そしてこう言うんだ―――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ルアー・オリジン(呼び戻される起源)

 

 その瞬間、右手に握られた刀が白い閃光を放ち始めた。それが合図だったかのようにラテンが立ち上がる。

 胸に開いていた傷はすでに塞がっており、血も止まっていた。

 

「お前……何を……!」

 

 アドミニストレータがつぶやく。この現象については予想していなかったようだ。もっともラテン自身もまったく予想していなかったのだが。

 ラテンは足元がおぼつかないまま、大きく上段に構えた。白い閃光は光量を増し、部屋全体を照らす。

 ソードゴーレムが右腕を振り上げた瞬間、ラテンの両目が、かっ、と見開いた。

 

「うおおおおおおおお!!!!!!」

 

 裂帛の気合いと共に振り下ろされた刀からは、幅一メートル、高さ数メートルに及ぶ白い斬撃が放たれた。

 それは一体のソードゴーレムを呑み込み、部屋の端まで到達すると、ガァァァン!!という衝撃音と共に壁の一部を消し去った。

 白い斬撃が通過した場所の床や柱も消え去っている。アドミニストレータ言っていた閉鎖空間はどうやら本当のことだったらしい。消え去った壁の奥には、青い空ではなく深い闇が広がっていた。

 

「あとは……頼む」

 

 倒れ込んだラテンはそうつぶやいた。

 ユージオの方へ顔を向けると、視線が合う。

 

「あとは、任せて」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ラテンは意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦♦♦♦♦♦♦♦♦

 

 

 

 ラテンが再び目を開けるころにはすべてが終わった後だった。

 

「……大丈夫か?」

 

「ああ。……ユージオは?」

 

「………」

 

 キリトが急に口を閉ざす。

 ラテンは不思議に思って辺りを見渡すと、壁際で意識を失っているアリスとリリアだけしか確認できなかった。

 ユージオの姿はどこにも見当たらない。

 わかるのは刀身が半分になった、青薔薇の剣だけ。

 

「うそ……だろ?」

 

「……行こう」

 

 キリトがラテンの手を掴み立たせる。

 よく見ればキリトの左腕も見当たらない。おそらくアドミニストレータと戦って失ったのだろう。

 かける言葉が見つからないまま、おぼつかない足取りでキリトについていく。その先にあるものを見た瞬間、ラテンは絶句した。

 

 目の前にあるもの。それはノート型のコンピューターだった。そしてそれが唯一の外部との連絡手段であることも理解できた。

 キリトは監視者の呼び出しボタンに触れる。すると日本語のダイアログと共に、警告音が鳴る。

 

〖この操作を実行すると、フラクトライト加速倍率が1.0倍に固定されます。よろしいですか?〗

 

 ラテンがOKボタンをためらいなく押した。

 その瞬間、何もかもがスローモーションになるような違和感が二人に襲い掛かる。だがそれも一瞬で、二人は再び画面に視線を戻した。

 画面の真ん中には、一つのウインドウが開いている。中央に音声レベルメーターが表示され、その上にSOUND ONLYの文字列が点滅している。

 虹色のメーターが、ぴくりと、跳ね上がった。

 次いで一気に上昇する。同時にざわざわというノイズが耳に入ってきた。

 

 キリトが端末に顔を近づけ、出せる限りの声で、二人をこのアンダーワールドに導いた男の名前を呼んだ。

 

「菊岡……、聞こえるか、菊岡!!」

 

 キリトの拳が震える。今のキリトなら菊岡と会った瞬間殴りかかるだろう。それほど怒りが満ちているのだ。

 

「菊岡ぁぁぁっ!!!」

 

「おい!菊岡!!」

 

 その怒りはラテンも同じだ。

 もちろんこの世界での二年間は有意義なものだった。たくさんの人間と触れ合い多くのことを学んだ。だがそれはそれだ。

 この世界に何故導いたのか、理由を述べてほしかった。

 

 再び菊岡の名前を叫ぼうとした瞬間、メーターが上昇する。

 

『――メです、A6通路、侵入者に占拠されました! 後退します!!』

 

『A7で何とか応戦しろ! システムをロックする時間を稼げ!!』

 

 叫び声とともに聞こえてくるカタカタという破裂音。それはゲーム好きだったラテンが聞いたことのあるものだった。銃の発射音だ。

 なぜ現実世界で銃の発射音がするのだろうか。この画面の先はラースの研究室のはずだ。

すると、

 

『菊岡二佐、もう限界です! メインコンは放棄して、耐圧隔壁を閉鎖します!!』

 

『すまん、あと二分耐えてくれ! いまここを奪われるわけにはいかん!!』

 

 後者の声は紛れもない、菊岡誠二郎の声だった。

 しかしいつものんきな彼のこれほどまで切迫した声を聞いたことがない。やはり《向こう側》で何かが起こっているのだ。

 

『比嘉くん、ロックはまだ終わらないのか!?』

 

『あと八……いや七十秒ッス……。――――あ…………ああああ!?』

 

 その声にも聞き覚えがあった。

 確か名前は比嘉タケル。菊岡と会っていた時に、その場に居合わせたプログラマーだったはずだ。

 それに何に驚いたのだろうか。いきなり声が裏返った。

 

『菊さんッ!! 中から呼び出しです! ちがいます、アンダーワールドの中っすよ!! これは…………あああっ、彼らです、桐ケ谷くんと大空くんだッ!!』

 

『な……なにぃっ!?』

 

 走りよる足音。ガッ、とマイクを掴む音。

 

『キリト君、ラテン君、いるのか!? そこにいるのか!?』

 

「ああ!俺達は、ここにいる!!」

 

「いいか菊岡……あんたは……あんたのしたことは……っ!」

 

『誹りは後でいくらでも受ける! いまは僕の言葉を聞いてくれ!!』

 

 あまりの必死さに二人は口を閉じた。

 

『いいか……キリト君、ラテン君、アリスという少女を探すんだ! そして彼女を……』

 

「アリス?……アリスはここにいるぞ!」

 

『な、なんてことだ……奇跡だ! よ……よし、この通信が切れ次第、FLAを一千倍に戻すから、アリスを連れて《ワールド・エンド・オールター》を目指してくれ! 今君たちが使っている内部コンソールはこのメインコントロール直結だが、ここはもう陥ちる!』

 

「陥ちる……って、いったい何が……」

 

『すまないが、説明している暇はない! いいか、オールターは、東の大門から出てずっと南へ……』

 

 その時、最初に聞いた声が、至近距離で響いた。

 

『二佐、A7の隔壁は閉じましたが、稼げても数分………いや、ああっ、まずい! 奴ら、主電源ラインの切断を開始した模様ッ!!』

 

『えええっ、駄目だ、それはやばいっすよ!!』

 

 反応したのは菊岡ではなく、比嘉の甲高い悲鳴だった。

 

『菊さんッ、いま主電源ラインを切られたらサージが起きる!二人のSTLに過電流が……フラクトライトが焼かれちまいます!!』

 

『なにっ……馬鹿な、STLにはセーフティ・リミッターが何重にも……』

 

『全部切ってるんですってば! 彼らはいま治療中なんだ!!』

 

 いったい何を言っているのだろうか。

 電源が切れたらどうなるのか。

 

『ここのロック作業は僕がやる! 比嘉くん、君は神代博士と明日奈くんと木綿季くんを連れてアッパー・シャフトに退避、キリト君とラテンくんを保護してくれッ!!』

 

『で、でも、アリスはどうするんスか!?』

 

『FLA倍率をリミットまで上げる!! 後のことはまた考えるッ、今は彼の保護を……』

 

 続く言葉はラテンの耳には入らなかった。その代り鮮明に聞こえたのは、一人の名前。

 

「木綿……季?」

 

 なぜ木綿季がラースにいるのか。

 まさか、ラテンのためにラースまで来たというのか。

 どちらにせよ木綿季の声を聞くために、口を開こうとした瞬間、最初の声の持ち主が悲痛な叫びをあげた。

 

『ダメだ……電源、切れます!! スクリューが止まります、全員衝撃に備えて!!』

 

 そして、不思議なものが見えた。

 はるか上空から、カセドラルの天蓋を貫いて、音もなく舞い降りる白い光の柱たち。 ラテンはとっさにそれを避けようとするが所詮は無駄なあがき。白い光は二人を貫いた。痛みも衝撃もない感覚。

 だが何か大切な時間が失われていく、そんな感覚に襲われる。

 急に意識が薄くなり、瞼が自然に閉じていく。その直前、どこからか懐かしい声が聞こえてきた。

 

『ラテン!ラテンッ!!』

 

 頭に浮かぶ現実世界という単語。それを追い求めてここまで来た。だがそれが消えた瞬間、その単語はラテンにとって意味不明なものになる。

 

(現実世界って………それに今の声は……誰のだったっけ……?)

 

 

 




なんか今までの中で一番めちゃくちゃでしたね(泣

キリトは精神喪失でしたが、ラテンはどうなることやら……(笑)
ちなみにラテンは意識を失いすぎですよね。この世界に迷い込んでから、すでに三回以上は意識を失っています(笑)

さて、今回で人界編は終わりですが、正直二つに分けてもいいんじゃないか?という疑問を持っていました(笑)
ここで一応言います。

メインヒロインはユウキです!

なんかリリアばっかりですからね。アリシゼーション編に入って(笑)
今回ちょこっとだけ出てきてくれましたが、しばらくはでないかもしれません。
ちなみにこの後の展開もめちゃくちゃになるかと思いますが、ご指摘よろしくお願いします。
感想もどんどんください!

この作品をこれからもよろしくお願いします!


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