からーん。
午前六時の鐘がサイリス村に響き渡る。
ラテンは渋々目を開けると、視界は一人の少女の顔で埋め尽くされた。思わず目を見開くと、目の前の少女は「ふぇ!?」などと間抜けな声を出して盛大に尻餅をついた。
「……マリン?」
「ち、違うの!これはその……寝顔がちょっと見たかっただけで―――あ、違う!違うの!……そ、そう!起こしに来たの!ほんとにそれだけだから!何もないから!」
「アレー。オレシッカリオキタヨナー」
「お、起きたならいいのよ。起きたなら。すぐに着替えてよね。……ニヤニヤするなぁ!」
ぷんぷんと怒りながらマリンは部屋を出ていった。ラテンはベットから降りるとおなかの部分をさする。
痛みは嘘みたいに消えていた。昨日《太っ腹のデニム》に蹴られたときは、現実世界で感じる並に痛みが発生していたはずだ。その証拠に吐血している。
「……ペイン・アブソーバが働いてないのか?」
自分の体に手を添えるとウインドウが浮かび上がる。その数値は〖3700/3700〗だ。これは生命力―――いわゆるヒットポイント的なもの。この数値がゼロになる瞬間ラテンはこの世界から消える。だが、少なくともポリゴン片になって簡単に消えることはないだろう。それは昨日のゴブリンで確認済みだ。
ラテンが死ぬとき。それは体を引き裂かれ、意識が途切れる最後の瞬間まで死にたくなるほどの苦痛が全身を駆け巡る。ALOではゲームオーバーになったことが一回しかないが、それほど苦痛は感じなかった。あっさり死んだのである。だが、この世界はALOとは次元が違いすぎる。まるで、SAOに現実世界並の痛みを加えたような、地獄の世界。それがこの世界だ。
「……まあ、ネガティブに考えても仕方がないか。どの状況もポジティブに考えないとな。向かい風も振り返れば追い風になるって言うし」
ラテンは寝巻から着替えると、食堂に向かう。顔は洗っていないが、この世界じゃわからないだろう。
食堂にたどり着くとすでに何人かの子供たちが着席していた。木製のテーブルは一部が壊れていて、椅子は座れないものがあるが、子供たち以外が立って食事をすれば問題は無い。
いつものようにお祈りをし、にぎやかな食事を終えるとラテンはサインに声をかける。
「なあ、サイン。今日はお前の天職を手伝ってもいいか?ちょっといいこと思いついたからさ」
「大丈夫ですけど、いいことって何ですか?」
「それは洞窟に行ってからのお楽しみだ」
ラテンは一足先に村の門まで歩き出す。サインは首を傾げると「待ってくださいラテンさん」と言って駆け出した。
門の前にはいつものように衛士が警備している。門を出る二人に向かって一人の衛士が「気を付けろよ」と一声かけてきた。
その衛士は昨日ラテンが拝借した剣の持ち主であり、ラテンは不意に昨日のことを思い出す。
結局マリンを無事取り戻したラテンは村の人々から感謝された。だが、それを簡単に対応してまず先に向かったのは剣の持ち主の衛士のところだ。剣を粉々にしてしまったことを一生懸命謝罪すると、「たまたまもらった剣だ。気にするな。それより、無事に連れ帰ってくれて感謝する」と笑って許してくれた。嘘だとわかっていたが、その衛士の心の広さに厚く感謝した。これは普通のNPCでは不可能な対応かもしれない。
ラテンは一言「行ってきます」というと、サインと共に村の近くの洞窟へと歩を進めていった。
「あれ?ラテンさん。武器なんていつ買ったんですか?」
「ああ、これね。昨日のゴブリンたちから拝借したんだ。もう必要なさそうだったから」
洞窟の近くにたどり着くと、一番最初に目が奪われたのは洞窟の入り口の端っこにあった剣だ。それは昨日のゴブリンが残していったものである。
ラテンは一本の剣を手に取ると、洞窟の中に入っていく。サインもそれに続いて洞窟の中に入っていった。
「なあ、サイン。この洞窟って、あのポイントに当てさえすれば進むことができるんだよな?」
「はい。そうですけど、どうしてですか?」
「ああ、ちょっとな。……俺達って正確さを重視してただろ?力も多少は入ってたけどフルパワーではなかった。そこでこれを使うんだよ」
「……剣をですか?でもどうやって……」
「おっ、見えてきたな。まあ、見てろって」
現在の洞窟の最深部にたどり着くと、ラテンは剣を握った。サインにポイント周辺を照らすように頼む。
「……よし。いけそうな気がするな」
ラテンはポイントに剣を突き刺す練習をしながらそんなことを呟いた。サインは不安そうに見ているが、ラテンはポイント一点に集中してした。
そして、地を思い切り蹴る。
「うらああああ!!!」
ラテンの持っていた剣が緑の光を放つ。
片手剣突進技<ソニックリープ>。
ソードスキルと同じくらいの速さで、ラテンの剣尖がポイントへ向かって行った。そして、ガァァァァン!という大きな音と共に洞窟の壁にヒビが入った。それは、次第に蜘蛛の巣のように広がっていく。その進行が止まった瞬間に目の前の壁が音を立てて崩れ始めた。
「予想以上にすげぇな」
「す、すごい!なんでこんなに!」
サインがはしゃぎながら崩れた洞窟の先へ進んでいく。
「あっ、ちょっ、待てって」
ラテンは大急ぎで後に続いた。
崩れた長さは約百メートルくらいだろうか。ラテンはせいぜい三メートルくらいだと思っていたがその予想をはるかに上回った。
だが、これ以上進むことは無理だ。さっきの技で剣が折れてしまったのである。
「まあ、仕方がないか」
ラテンは十メートルほど先にいるサインの元へ歩いていく。しかし、サインの様子が何やらおかしい。近くにたどり着くと目の前に、歪な形をした黒い石が台座のようなものの上に置かれていた。黒い石なのだが、周りに転がっている石とは何かが違うような気がする。そう。特別な力を持っているような。
「……ラテンさん。これはもしかしたら始まりの原石なのかもしれません」
「え?……でもこの洞窟って千メルもあるんだろ?洞窟の最深部じゃないのに、なんでそんなのがあるんだ?」
「もしかしたら、反対側からも同じくこの洞窟を掘っている堀人がいるのかもしれませんし、これ以上先に進むことは不可能なのかもしれません。その証拠にポイントが無くなっています」
「あっ、本当だ」
台座の上あたりには、さっきまでこの洞窟を掘るためのポイントが存在していた。それが今は跡形もなくなっている。
「まあ、よかったな。これで、サインの天職が終わったんだぜ?すごいことじゃん」
ラテンはバシッとサインの背中をたたくと愉快そうに笑った。だが、サインは何かを考えているようにじっと動かない。
何も反応がないサインを不思議に思い、ラテンはサインに声をかける。
「サイン?大丈夫か?」
「……ラテンさん。この原石はあなたが貰い受けるべきです」
「……え、俺?…だってこの仕事はサインのだろ?この原石はお前のもので俺はそれを手伝っただけだ」
「いえ。ここまで掘ったのは僕ではなくラテンさんなんです。生命を司る創世の神ステイシアは初代堀人にこう言ったらしいです。『始まりの原石まで掘った者がその原石を使い、この世界に平和をもたらす』。これは間違いなくラテンさんのものです。そして、ラテンさんはこの世界に平和をもたらす《救世主》。ラテンさん、この原石を」
「……いいのか?本当に」
「いいもなにも、神のお告げです。神はラテンさんを選んだんです」
「……わかった。じゃあ、とるぞ?」
ラテンは《始まりの原石》に手を伸ばし、台座から原石を受け取った。その瞬間ラテンの様子が……。
「うわあああああああ!!!!」
「ら、ラテンさん!?どうしたんですか!?」
「あああああぁぁ。……何も起こらないな」
ガンッ!
サインが音を立てて盛大に転ぶ。ラテンはそれを見て笑いながら歩き出す。
「さあ、行こうぜ。この洞窟とはもうおさらばだ」
「はい」
ラテンとサインは謎の洞窟を出ていった。
ラテンとサインが村に戻るや否や、《始まりの原石》を掘ったことは村中に伝わり、村人たちは祭りの準備を始めた。
祭りは午後六時から午後十時にわたって開かれ、村中のだれもがはしゃぎまくっていた。当然、ラテンとサインは胴上げされ、未成年なのに酒をかけられるなどハチャメチャだった。(《禁忌目録》には未成年の飲酒は禁止と書かれているが、酒をかけてはならないというものはない)。とはいえ、年齢はばれていないため飲んでもいいのかもしれない。
しばらくはしゃいでいると、村の村長がラテンに近づいて行った。ラテンは持っていた果汁ジュースを置くと、村長の方へ体を向ける。
「ラテン。お前にはいまだに天職がないと聞いた」
「はい、ありません」
「なら、私がお前に天職を与えよう。自由に選ぶがよい」
天職を選ばせてくれる。これはラテンにとって最大のチャンスだ。央都にある《公理教会》へ行くための。
ラテンには迷いが一切なかった。
「俺は……剣士になって、央都にある《公理教会》に行きたいと思います」
それを言った瞬間、周りにいた村人がざわめきだした。央都に行くのは相当大変なのだろうと、すぐさま感じ取ることができた。
だが、ラテンは村長から視線を外さない。本気なのだ。
村長はそんなラテンを見て迷いがないことを確認したのか、深くうなずくと口を開く。
「わかった。サイリスの長として、ラテンの新たなる天職を剣士と認める。望ならば村を出て、剣の腕を磨くがいいだろう」
「ありがとうございます」
ラテンを含めて再びはしゃぎだした村人たちが家々へ帰るときには、午後十時を過ぎていた。
ラテンはマリンに連れられて、半ば雪崩込むようにベットに座り込む。
「ったく、飲みすぎよ。……まさか未成年じゃないわよね?」
「安心しろって。俺は未成年じゃない。―――おっ、さんきゅ」
マリンから水が入ったグラスを受け取ると、一気に飲み干した。初めて感じた酔った感覚もきれいさっぱり消え去る。
ラテンが大きく息を吐くと、タイミングを計ってたかのようにマリンが口を開いた。
「……ラテンは本当に央都に行く気なの?」
「ああ。なんだ、心配してくれてんのか?」
「ち、違うわよ!…ただ、央都までの道のりは危険だと思ったから……」
「心配してんじゃん」とラテンが茶化すとマリンが顔を真っ赤にしながらぎゃーぎゃーと喚き始めた。
ラテンは苦笑すると、何かを思い出したように立ち上がり、ベットに座っていたマリンの目の前にしゃがみこむ。そして、マリンの顔をじっと見つめ始めた。
「……な、なに?」
ラテンの行動にびっくりしたのか、マリンが少しばかり警戒する。しかし、ラテンはそんなことを気にせずマリンの左手を手に取った。内心でユウキに謝罪する。
そしてそのまま、マリンの手の甲に軽くキスをした。
顔を話すと顔を真っ赤にしているマリンと目が合う。
「な、何を……?」
「うーん。簡単に言えば《誓い》かもな。俺はこの村の人たちのために、そしてマリンのためにリリアを取り戻してくるよ。一時的だけど《服従》に近いかも。まあ、そういうことだ。俺はこの村に必ず戻ってくる。リリアと共にな。だから、安心して待っていてくれ」
マリンは自分の左手の甲を見ると、優しくさすりながら口を開いた。
「誓い……。―――わかった、待ってる。でも……」
「ん?」
「い、今のを……女の子の……く、く…ち……とかにしたら禁忌目録違反で整合騎士が飛んでくるからね。そんなみっともない掴まり方しないでよ」
ラテンは再び苦笑する。お酒を飲んでも整合騎士が来る気配がないのは、まだ未成年だとばれていない証拠だろう。
ラテンはマリンの頭を優しくなでる。
「俺は必ず戻ってくるよ。なんだって俺は……神速の剣帝なんだからな」
翌朝は見事な快晴だった。
ラテンはマリンが作ってくれたお弁当を片手に、村の門の前に立っている。
「ラテン。これを持っていきなさい」
村長から渡されたのは小さなウエストバッグだった。中には昨日見つけた《始まりの原石》が入っている。
「はじまりの原石はお前が持ってるほうがいいだろう。もしかした……」
村長がいきなり黙るので、ラテンは首を傾げた。だが、そんなラテンにかまわず村長がラテンに一本の剣を渡す。
「強度はそんなに高くはないが一応持っていくといい。何が起こるかわからないからな」
「ありがとうございます、村長」
ラテンはお礼を言うと、村長の隣に立っていたマリンに顔を向けた。
「……行ってらっしゃい、ラテン」
「ああ。行ってくる」
ラテンは踵を返し、一番近い街《ザッカリア》への道を歩き出す。ラテンは決して振り向かなかった。そう。約束は必ず守ると言っているように。
すいません。ラテンの剣はもうしばらくかかりそうです。楽しみにしていた読者の皆様、申し訳ございません。
次はザッカリアの街です。
これからもこの作品をよろしくお願いします!