「いや~、今日も疲れましたな~」
まだ慣れきっていない重労働で疲れ切っていた体を湯せんに入れると同時に、思わずそんなことを呟いた。
この家の風呂場はなかなか大きく、十畳ほどの大きさだ。こんな風呂場を作るならもう一部屋作ったほうがいいのでは?と思ったが、体全体を熱い湯につけることができるためこれはこれでありがたい。
「まあ、大方整合騎士と闇の国についてはわかったな。けど……」
そう。ラテンは整合騎士と闇の国については知ることができた。だが、肝心の〖脱出方法〗については何もわからなかったのだ。
やはり、この世界の住人にはゲームの中という概念がないようだ。となると、やはりこの世界を実質掌握している整合騎士の本部、《公理教会》に行く以外道がないように思える。
「だけど、俺が単身で乗り込んでも、たぶん勝てっこないんだよな~」
「はぁ~」とため息をつくと頭を湯の中に沈める。
《整合騎士》。それは武術においてのスペシャリストだ。古い本にも詳しいことは書かれていなかったが、戦力はたった一人で衛士千人分とも言われているらしい。そして、闇の国の魔物と戦っているとなるとその人数は十数人以上だと思われる。そんな奴ら相手にラテン如きが通用するわけもなく、悶々としているのである。
「でも強さは剣を交えてみないとわからない、か」
この世界にソードスキルと言う概念がなかったとしても、ラテンには昔から伝わる剣術がある。それをもってしても、勝てる保証にはつながらないが。
ラテンは水面から頭を思い切りあげた。水しぶきがあたり一面に飛び散る。すると、脱衣所から声が聞こえてきた。
「あれ?……まだ誰か入ってるの?」
その声には聞き覚えがある。マリンだ。
「ああ。俺だよ、ラテン。悪いな、すぐに上がるから」
「そんなに急がなくていいわよ。ゆっくりしてて。でも、出るときは浴槽に栓を抜いてランプを消してね。それじゃ……おやすみ」
そう言い残すとそそくさに出ていこうとする気配が伝わった。ラテンはとっさに口を開く。
「あっ、マリン。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、時間あるか?」
「……少しならいいわ。部屋には子供たちが眠ってるから、ラテンの部屋で待ってる」
そう言うと今度こそ、足音は脱衣所から遠ざかって行った。ラテンは立ち上がると浴槽の栓を抜き、ランプを消す。
タオルを使わずとも体にまとわりついていた水滴がたちまち消えていくのを感じ取ると急いで部屋着を被った。
客間、すなわちラテンの部屋に入るとベットで寝ころんでいたマリンが慌ててベットに座りなおす。
彼女は昨夜の服装とは違い、簡素な木綿の寝間着姿だった。用意してきてくれたのか、透明な水が入ったグラスを差し出してくる。
「おお、さんきゅ。………うん。風呂上がりの水は最高だな」
風呂上がりの水など聞いたことがないが、こっちの世界じゃ現実世界と違うはずだ。仮に同じだったとしても水ならば誤魔化すことができる。
「……で、話って何?お風呂の後の入室が禁止されているのは男の子の部屋であって客間ではないけれど、こういうのってあんまりよくないと思うから」
「ロリコンちゃうわ!俺ってどんだけ信用ねぇの!?……まあ昨日来たばかりだから仕方がないかもしれないけど……」
話しがだんだん脱線していくような気がしたのでこれ以上の反論は止めておく。とりあえず、本題に入ろうと思った。
「えーっと、話しってのは実はマリンのお姉さんのことなんだ」
「……リリアお姉ちゃんがどうかしたの?」
「サインからちょっと聞いてね。で、そのリリアって人のことを教えてくれないかな?」
「……どうして?」
「いや……ちょっと気になるんだ。なんでこの村から連れていかれたのかとか」
嘘は言っていない。ただ、マリンがリリアのことをどのくらいに思っているのか知りたいだけだ。
「……お姉ちゃんはこの村ができて以来の天才だったそうよ。そして、誰にでも優しく接していた。困っている人がいたらできる限り助けようとしていたの」
「ああ。それは聞いたよ。すごく村人思いなんだよな、リリアは」
「うん。でも、たとえ誰かのためでも禁忌は犯さないはずなの。悪いことは人一倍嫌いだったから。……整合騎士の人たちはたぶん嘘をついてリリアお姉ちゃんを連れて行ったと思うの。お姉ちゃんには並外れた才能があったから」
「そうか。そして、リリアがいなくなってからは一人になったんだな」
「………」
整合騎士がリリアを連れて行った理由。それは大方リリアに才能があったからだと思われる。そこまでして整合騎士は戦力を増強させたかったのか。人ひとりの人生なんて無視をして。
そう考えるとだんだん怒りが湧いてくる。それと同時にマリンをリリアに会わせてやりたいという思いもどんどん強くなってきた。
「マリンは、リリアに会いたいと思っているのか?」
「……思ってるわ。ずっと思ってた。私に残された、たった一人の家族だもの。会いたい……に決まってるでしょ……」
その目は微かに潤んでいた。いつも強情な彼女でも、やはりたった一人のお姉ちゃんの話に関しては、本当の彼女が出てくる。
これで決まった。央都に行く理由が。自分のためだけならばもっと時間が経ってから決めていたかもしれない。だが、自分のためであり、そして今泣いている少女のためにラテンは決断した。
「そっか。ありがとうな、つらい話なのに」
「ううん。私も少しすっきりしたから。……それじゃあ私、行くわね。おやすみ」
「ああ。おやすみ、マリン」
マリンは部屋から出ていった。
思わずベットに寝転がると、急に睡魔が襲ってくる。それと同時に鐘の音が闇夜の外から聞こえてきた。時間的にはおそらく十時くらいのはずだ。重たい瞼に逆らえないまま自然と瞼が閉じていく。
翌朝、ラテンは警戒心を抱きながら寝なかったことを後悔した。
からーんと六時の鐘の音が鳴ると同時に目を覚ましたラテンは、自分でも起きようと思えば起きられるんだな、と思いながらベットから降りた。
視界に映るのは昨日と全く同じ光景。違うところは、と聞かれたらマリンがいないことと外が騒がしいことだけだ。
手早く服を着替えると欠伸をしながら部屋のドアを開ける。昨日のように木の香りが漂う心地いい廊下に足を踏み入れようとした。
だが、その廊下からは何かが焦げた匂いしか漂ってこなかった。
「……え?」
廊下を見渡すと、何かで叩かれたようにぼろぼろになった壁。所々穴が開いている廊下。そして、外から聞こえる叫び声。
ラテンはとっさに家の外へ出る。
そこに広がっていたのは、たくさんの家々と屋台が並ぶ村の光景ではなくて、そこら中から火が出ている村の光景だった。
家から十メートル離れたところにサインとソコロフさんが立っている。ラテンは急いでそこまで駆け寄ると何が起こったのか聞く。
「いったい、何があったんですか?」
「ゴブリンたちだよ。夜明け前にこの村を襲ってきたらしい。私が目覚めるころにはすでに何もかも終わっていたよ」
「……誰か、死んだんですか?」
「いや、死人は出ていない。しかし、怪我を負ったものがたくさんいる」
いったいどうして。と思うと同時にアイシャさんが慌てた様子で駆け寄ってくる。その顔は蒼白だった。
「あなた!マリンが…マリンがどこにもいないの!」
「なんだって!?」
「マリンが!?」
ソコロフとラテンが同時に驚愕する。この騒ぎの後に、ソコロフさんやアイシャさんに一言言わずにどこかへ行くはずがない。だとすると、ゴブリンたちに連れて行かれた可能性が高くなる。
「ソコロフさん!アイシャさん!俺、マリンを探してきます!」
「ま、待て、ラテン君!一人では危険だ!」
ラテンはソコロフの言うことに耳を貸さずに村の出口へ駆け出した。幸いゴブリンたちの足跡が少しばかり残っているため、追跡は可能だろう。
「すいません。これ借ります!」
「こ、こら。待ちなさい!」
ラテンは門の近くで作業していた衛士の腰から剣を抜き取ると、村を出ていった。
足跡を追跡してしばらく走っていると森が見えてきた。どの木も十五メートル以上あり森の中には踏まれた草がくっきりと残っていた。ラテンはいきなり襲われても対処できるように剣を構えながら進む。
進むにつれて、木が焚かれる焦げ臭さと、すえたような獣臭は確実に濃さを増していく。
ぎっ、ぎっという声に交じって、ガチャ、ガチャと鳴る金属音が頻繁に耳に届いてきた。ほぼ確実に何かがいることは確かだろう。足跡も、その音がする方へ続いているため、村を襲ったゴブリンたちに間違いはないはずだ。
二分ほど進んだだろうか。切り開かれた場所に小さな篝火が二つ。そしてそれを囲むように、一応人間型ではあるが、人間でも獣でもない者たちが固まって座り込んでいた。その数は二十を超えるほどだ。
ゴブリン一人ひとりの体格はあまり大きいものではなく、立ち上がっている者の背の高さはラテンの胸のあたりぐらいだ。しかし、そんな小さな容姿とは裏腹に、異様に長い腕、たくましく鋭い爪、胴体にはきらきらと光る金属でできた鎧をまとったゴブリンたちはまさに《モンスター》だ。
ラテンが知っているゴブリンは目の前にいるような姿をしたゴブリンで、RPGでよく出てくる雑魚モンスターだ。
ラテンは少々安堵するが、それも群れの一匹がこちらに気付いたと同時にかき消される。黄色い目に鋭く光る双眸。それは、雑魚モンスターとは到底感じられない威圧感が感じられた。自然に剣を握る手に力が入る。
一匹のゴブリンが俺を見るや否や、ギィという声を出した。それは笑い声のようにも感じられる。
「こいつぅ、この餓鬼を助けに来たのかぁ?バカな白イウムだぜぇ!」
途端に周りからぎぃぎぃという喚き声が上がり、ゴブリンたちが一斉に
「こいつは男の白イウムだ。殺しちまおう!」
殺す。
一体どのようなレベルで受け取ればいいのだろうか。ゲーム規模か。はたまたリアル規模か。どちらにせよ、ここで死ぬわけにはいかないことだけが理解できている。
ラテンは剣を胸の前に構えて、腰を少し落とす。片手剣は刀とは違うが、あっちの世界でも片手剣であるクラリティーを使っていた。多少の剣術なら心得がある。
「イウムのガキが、この《太っ腹のデニム》様にはむかうとはいい度胸じゃねぇか!お前ら、手ぇだすなよ!」
「それ、馬鹿にされてんじゃん!」
ラテンはそう叫ぶと同時に地を蹴った。
右足を深く踏み込み、体重を乗せて大げさに斬り下ろす。
甘く見ていたわけではないが、太っ腹の野郎は予想以上に速かった。こっちの斬撃を無視するように蛮刀を横殴りに振り回してくる。
体を沈めてギリギリのところで掻い潜ると、ラテンの斬撃が隊長ゴブリンに襲い掛かる。だが、体重を乗せた一撃も避ける動作のせいで威力が小さくなってしまい、金属製の肩当てが甲高い金属音を鳴らした。
だが、まだ終わらない。ラテンはすぐさまがら空きになった横っ腹に水平切りを放つ。体の遠心力を存分に使った一撃はさすがに効いたようで、隊長ゴブリンが、うっ、と呻き声をあげる。
「う……らあ!」
力を込めた左足で隊長ゴブリンを蹴り飛ばすと、距離をとる。
だが、呻き声をあげた割には隊長ゴブリンはぴんぴんしていた。やはり、金属の鎧が相当ダメージを軽減させているのだろう。
単発攻撃を何度もしてもいいのだが、いつほかのゴブリンたちが動き出すかわからない。
ラテンは思い切り地を蹴ると、あの世界でOSSを作り出すために何度もやった反復練習を思い浮かべながら、その動作を再現しようとした。そう。《ソードスキル》と呼ばれた必殺技を。
それを行った瞬間、ラテンが予想していなかった現象が訪れた。
ラテンの剣がごくわずかだが、水色の光を放ったのだ。同時にこの世界の物理的法則を超えたスピードで剣が閃く。
「うおおおお!!!」
片手剣縦二連撃ソードスキル<バーチカル・アーク>。
刀身は水色のV字の光を宙に残した。
隊長ゴブリンの両手が吹き飛ぶ。
「ぐおおお!」
隊長ゴブリンは怯んだ。だが、大技を食らってディレイするどころか、再びラテンをにらみ、筋肉が引き締まった足でラテンを蹴飛ばした。
二メートルほどふっとばされたが、とどめを刺すためにすぐさま立ち上がろうとした瞬間、蹴られた腹からものすごい痛みが発生し、吐血した。
「な……に……?」
この世界はバーチャルワールドのはずだ。なのに、バーチャルワールドとは縁がないはずの痛みと苦しみ。それをラテンは今、感じ取っていた。
「く…そおォォォォ!!!」
今嘆いている場合ではない。一刻も早く隊長ゴブリンを仕留め、マリンを無事に助け出さなければならない。
激しく襲う痛みをこらえ、ラテンは思い切り地を蹴る。剣が緑の光を放つ。
片手剣突進技<レイジスパイク>。
ラテンの全体重を乗せた一撃は、隊長ゴブリンの身体を真っ二つに切り裂いた。同時に隊長ゴブリンの身体から大量の血が噴き出し始める。
ラテンは浅い呼吸を繰り返しながら、ほかのゴブリンたちに睨みつけた。
「お前らの頭は死んだ。ほかにやりたい奴がいたらかかって来い!」
ゴブリンたちはラテンの迫力に怖気づいたのか顔を見合わせると、一目散に逃げていった。ラテンの持っていた剣が粉々に砕け散る。
「あーあ。あとで、衛士の人に謝らないとな。結構しっかりとしてて高そうな剣だったし」
そうつぶやくと、近くにあった荷車に向かって歩き出す。その中では、口に布を巻かれ、手足が縛られたマリンの姿があった。目には涙を浮かべている。
近くに落ちていたゴブリンの蛮刀で紐と布を切ると、マリンがラテンに抱き着いた。
「……怖かった。私殺されちゃうのかと思って……」
ラテンが金色に輝く髪を優しくなでる。
「もう大丈夫だ。ほら、村の人たちが心配してるから帰ろうぜ」
「うん」
マリンは頷くと、ラテンの手を握った。
「森を抜けるまで、手をつないでてくれない?」
「……わかった」
ラテンはつながれた手を強く握り返すと、走ってきた道マリンと共に戻っていった。
うーん。衛士の剣は、なかなかのレアもの設定にしました(笑)
まあ、それを粉々にしちゃったラテンはどうなるのやら。
それはさておき、もうそろそろラテンの相棒となる剣が出現します。楽しみにしていてください!
これからもこの作品をよろしくお願いします!