ソードアート・オンライン~神速の剣帝~   作:エンジ

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第五話 元気な少女

「うひょおおお。ここがアルンか」

 

 サクヤたちと別れて早数時間。ここへ辿りつく前に、極寒の地ヨツンヘイムで色々いざこざがあったのだが、何とか切り抜けられたのは幸運だっただろう。

 眼前には美しい積層都市の夜景が広がっている。時刻は既に午前二時。良い子はとっくに寝ている時間だ。現に、ラテンの隣にいるコトネは先ほどから大きな欠伸を連発している。

 

「あれが世界樹……」

 

 キリトが小さく呟く。

 古代遺跡のような石造りの家々の先にそびえ立つ、巨大な樹。視線を上げてもその全容は確認できないほどの大きさと高さだ。昼間でもすべて視認することはできないだろう。

 

「わあ……! わたし。こんなにたくさんの人がいる場所、初めてです!」

 

 キリトの胸ポケットから勢いよく飛び出したユイは感嘆の声を漏らす。

 確かに、この都市には様々な種族のプレイヤーたちが深夜だというのに行き交っている。さすがは世界最大の都市だ。

 先頭を行くリーファに続いてラテンたちも歩き始める。すると、突然パイプオルガンのような重厚なサウンドが大音量で響き渡ると、若い女性のアナウンスが流れ始めた。どうやらこれから定期メンテナンスが午後三時まで入るらしい。

 

「今日はここまで、だね。一応宿屋でログアウトしよ」

「そうだね。私はもう限界かも……」

 

 もう一度大きな欠伸をしたコトネは強く目をこすった。その隣では、依然とキリトが世界樹の上方を見続けている。

 その肩に手を置いてラテンは口を開く。

 

「焦る気持ちはわかるが、今回はしょうがねぇ。その時になったら全力で戦えるためにも今は休もうぜ」

「ああ、そうだな」

 

 キリトはようやく視線を世界樹から外す。そしてそのまま肩をすくめながらリーファに顔を向けた。

 

「じゃあ早速宿を探しますか。残念ながら俺は素寒貧だから、激安でいいところを頼む」

「カッコつけて所持金全額渡すからでしょ、もー……」

 

 リーファは小さくため息をついた。そして周りをキョロキョロ見渡したかと思えば、申し訳なさそうな顔をしてキリトの肩に乗っているユイに声をかけた。

 

「ごめん、ここは余り来たことがないからわからないや。ユイちゃん、いいところない?」

「ええ、あっちに降りたところに激安のがあるみたいです!」

「じゃあそこに行きますか」

 

 ラテンたちはユイが指示した階段の方へ歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぁあああ……ねむ……」

 

 時刻は午前十時ちょうど。昨夜ログアウトしてからすぐに就寝したため、睡眠時間は六時間ほどだろうか。暇なのをいいことに最近は睡眠をむさぼっていたため、ちょっとだけきついとこがある。

 そんな天理が今いる場所は、《横浜港北総合病院》の院長室前だ。何故こんなところにいるのかというと、三時間前に突然メールが来たからだ。その内容は、体の検診がしたいから病院に来い、というものだった。筋肉が正常に戻っているか確認したかったのだろう。

 天理はスライド式のドアを四回ノックする。中から「どうぞ」と言う声を確認すると、ゆっくりとドアをスライドする。

 

「来たぞー、ばっちゃん」

「おお、ようやくかい」

 

 ゆったりとした声を発しながら手に持っていた資料から視線を天理の方へ向けてきたこの老婆は、天理の祖母である《宮園 江里子》。この病院の院長をしている人でもある。

 

「なんだい、睡眠不足かい? 若いんだからしっかり寝ないと早死にするよ」

「睡眠時間的にはギリギリ問題ないから大丈夫だって」

 

 肩をすくめながら、天理は用意されていた椅子に座る。祖母はゆっくり立ち上がると、天理の目の前にあった椅子にゆっくりと腰かけた。

 

「じゃあ、服を脱ぎな」

「はいよ」

 

 厚めのパーカーと中に来ていたTシャツを脱ぎ、近くにあったソファへ放り投げる。室内は比較的暖房が効いているため寒くはないのだが、やはり真冬なこともあって、反射的に肌を擦ってしまう。

 

「ふむふむ。だいぶ戻ってるみたいだね」

 

 体中のあちこちを触りながら、祖母が呟く。

 

「まあ、最盛期にはまだ及ばないけどな」

「そうかい? 今のあんたの年齢だと、むしろ平均よりもついてる方だけどね」

 

 はい終わり、と言って祖母は椅子を引いた。

 それを聞いて服を取ろうとしたところ、後ろのドアからノック音が二回響く。

 

「どうぞー」

「は、ちょ……!」

 

 まだ天理が着替え終わってないというのに、目前の老婆は平然の来訪者へ中に入るように促した。もう少しこちらの気持ちも考えてほしい。

 どりあえずTシャツだけでも着ようと急いで椅子から飛び出すが、運悪く椅子の足に引っかかってしまい正面からみっともなく転んでしまう。

 そんな天理に対して無情にもスライド式のドアが開かれた。

 

「しつれいしまー……す……?」

 

 高めで可愛らしい声と同時に現れたのは、声がよく合っている小柄な少女だった。

 紫がかった腰まで伸びた黒い長髪に、真っ赤なヘアバンド。顔は小造りで、ツンと上を向いた鼻の上にくりっとした黒色の双眸。誰もが一目見れば可愛いと思ってしまうほどの少女だ。

 その少女は天理を見るなり固まってしまう。目の動きが左から右へと、そして天理と目が合うと、体を小さく震わせた。次に起こることは誰でも簡単に予想できるだろう。だから天理は、先手を打つことにした。

 

「ばっちゃん、この運動着いいな! 見た目は上半身の筋肉で変だけど、意外としっかりしてるからこのまま着てってもいいか!? いやぁ、病院の院長ともなるとこんな変な服の一着や二着持ってるもんなんだなぁ!」

 

 転んだ体勢を利用して腕立て伏せをしながら、大げさに口走る。そしていかにも汗をかき、服の中に風を送るような動作をしながら少女へ背中を向けながらソファへ近づき、素早くTシャツを着た。

 

「(成功したか……?)」

 

 再び少女の方へ顔を向ければ、訝しげな視線とぶつかる。どうやらさすがに無理があったらしい。再び少女がプルプルと震え始める。

 天理は覚悟を決めて瞼を閉じ、次に聞こえてくる悲鳴に備えた。

 しかし、聞こえてきたのは女性の甲高い悲鳴ではなかった。

 

「アハハハハハハハハハハ!!」

 

 無邪気な笑い声。もちろん少女のものだ。

 見れば、少女が腹部に手を当てて笑っている。その笑顔からも、この少女は明るく元気な性格の持ち主だということが感じ取れた。

 

「きんにくの……うんどうぎって……アハハハハハハハハ!! お兄さん、面白すぎっ――アハハハハハハハハ!!」

 

 何にせよ、最悪な事態は回避できたらしい。検診に来たというのに、留置所送りにされたらたまったもんじゃない。

 それにしても、

 

「笑い過ぎだろ……」

 

 そこまで面白かったのだろうか。確かに変な言い訳をしていたことは理解しているが、そこまで笑われるとは思わなかった。もしかしたら、彼女の笑いの沸点は低いのかもしれない。どうでもいいことを予想しながら、天理はもう一枚のパーカーを着る。

 

「ごめんなさい、おかしくって、つい」

 

 目元の涙を手で拭うと少女は無邪気な笑顔を浮かべる。それに思わずドキッとしてしまい、天理は視線を少女から逸らした。

 

「そういえばゆうきちゃんも呼んでたっけね。ここに座って」

「はーい」

 

 とぼけたように口を開いた祖母に対して思わずため息が出る。

 しかし天理の脳はすぐさま祖母から少女へと意識をシフトさせていた。

 

「(ゆうき、って名前なのか……)」

 

 年齢的には天理よりも下、琴音と同年代か少し下くらいか。どちらにせよ、元気な子供、といった印象だ。

 それにしても年齢相応の元気さが感じられるこの少女が、何故この病院に来ているのだろうか。祖母が直々に呼んでいたということから、祖母の知り合いの娘さんなのだろうか。もしくは、実は天理にも知らない親戚の娘さんだったり、という可能性もある。

 意味のない妄想を展開していると、ゆうきと呼ばれた少女が困ったような口調で話しかけてきた。

 

「あの~、お兄さん?」

「へ? あ、はい、何でしょうか?」

「えっと……その、ちょっと目を閉じてほしいかなーって……」

「え?」

 

 見れば服の端を掴んだまま静止している少女と、聴診器を片手に、にやにやしながらこちらを見ている祖母の姿があった。

 

「あんた……年頃なのはいいけど、ゆうきちゃんはまだ中学生。犯罪だよ」

「わ、悪い……って、俺はロリコンじゃねぇわ!」

 

 女子中学生がロリの分類に入るのかはわからないが、他人の裸を盗み見るような趣味はない。見るなら堂々とだ。

 

「あー、じゃあ俺はこのまま帰るわ。次は朝っぱらに突然、じゃなくて事前に連絡を頼む」

 

 そう言って、踵を返した天理の背中に祖母の声が降りかかる。

 

「ああ、待ちな。ちょっと渡すものがあるから」

「何?」

「ゆうきちゃんの検診が終わってから渡すから座ってな」

「今渡せばいいだろ!?」

 

 天理の叫びもむなしく、祖母は苦笑していたゆうきの服をいきなりたくし上げた。ゆうきの「ひゃっ!?」という驚きの声に反応して、天理は慌てて顔を背け、目を閉じた。

 そのまま数秒間、何も聞こえないはずなのに妙に生々しい空気を感じながらじっとこらえていると、「はい終わり」という先ほども聞いた言葉が聞こえてきて、ゆっくりと顔を戻してみればお腹を小さく擦っているゆうきと目が合った。

 

「そういえば、紹介がまだだったねぇ。この無駄に筋肉質でむっつりなのが、この前私が話してた孫の大空天理だよ」

「人様に紹介するような内容じゃないな!?」

「で、この娘が……私の隠し子の――」

「いや、その嘘一瞬でわかるから」

「――はぁ。知り合いの娘さんのゆうきちゃん」

 

 こいつ空気読めないな、と言わんばかりの視線を投げつけながら祖母はまじめに彼女のことを紹介した。今のはこちらが悪いのだろうか。

 

「えっと……ご紹介に与りました? 紺野(こんの)木綿季(ゆうき)です。『木綿』って書いて『ゆう』、季節の『季』で『き』って読んで、『ゆうき』です。趣味は体を動かすことですけど、とある事情であんまり激しい運動ができなくて……よろしくお願いします」

 

 ぺこりと頭を下げられて、天理も慌てて自己紹介をする。

 

「あ、これはこれはご丁寧にどうも。俺は大空天理です。天ぷらの『天』に理由の『理』で『てんり』。趣味は同じく体を動かすことで、主に竹刀を……――って、見合いか!?」

 

 お見合いの定型文句を八割方言ったところで思わず突っ込んでしまった。すると、目の前で再び無邪気な笑い声が聞こえてきた。

 

「ぷくくっ――やっぱりお兄さん面白いね! ふふふっ……!」

 

 傍らでは祖母も同じように笑っている。

 天理は反論する気力もなく、項垂れる。すごく手の平で転がされているような気がするのは気のせいではないだろう。

 しばらく笑い声がおさまるのを待ってから本題に入った。

 

「……で、俺に渡したいものって?」

「ああ、はいはい。この前出張して、そのお土産をね渡したかったのよ」

「さっき渡してもいいものじゃねぇか!?」

 

 祖母の気まぐれにツッコミを入れるのはだいぶ体力を消費する。このようなことでツッコミをし続けたら、身が持たないだろう。

 だから天理は一度深呼吸して祖母が差し出してきたものを受け取った。

 『東京ばな奈』だった。

 

「俺が住んでんの東京!!」

 

 すぐ隣で大きく噴き出す音が聞こえた。おそらく木綿季だろう。

 とりあえず天理は、ワナワナと震えた手で者を渡されたとき一番最初に確認するもののために裏面へひっくり返す。

 

「しかも賞味期限今日じゃねえか!?」

「いいじゃない別に。それぐらい兄妹二人で食べれるでしょ?」

「いや、まあそれはそうなんだけど……」

 

 言えない。実は昨日久しぶりに食べたいからって言って妹が買ってきた東京ばな奈を二人でバカ食いしてたことは絶対に言えない。

 しかし、ここで受け取らないのも祖母に対して悪いだろう。とりあえず受け取っておくことにする。この食べ物の処理は妹話し合って決めよう。

 天理が素直に受け取ったのを見て祖母は一つ頷くと、思い出したかのように口を開いた。

 

「あ、じゃあついでに木綿季ちゃんを家まで送ってってくれない? ほら物騒な世の中だし」

「ええ!? い、いいよ別に。ボクはもう子供じゃないんだし。それに、ここまで一人で来たんだから帰りぐらい簡単……に……」

 

 そこで木綿季の言葉が詰まったのは、祖母から発せられる黒いオーラを感じ取ったからだろう。結局小さく「……はい……お願いします」と呟く羽目になった。

 確かに木綿季の言う通り、ここまで一人で来れたなら一人で帰ることなど造作もないことだとは思うが、祖母の言いたいことも分かる。

 何しろ世の男の大半が振り向くであろう美少女なのだ。変な男につかまったりでもしたら大変だ。

 

「まあ、俺は別にいいけど」

「じゃあお願いね」

 

 祖母がニコッと笑う。

 天理は木綿季に部屋を出るように促すと、木綿季は素直に従ってくれた。

 

「じゃあおばあちゃん、またね」

「また今度ね、木綿季ちゃん。――ああ、それと天理」

「ん?」

 

 木綿季が部屋を出た絶妙なタイミングで祖母が声をかけてきた。

 

「木綿季ちゃんに何かあったら……解ってるわよね」

「……」

 

 木綿季が可愛いのはわかる。確かに、守ってあげたくなる可愛さだ。それを込みにしたとしても、

 

(おれ)の扱い雑過ぎね?」

 

 部屋を出て呟いた天理の言葉に木綿季は首を傾げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「仲、いいんだね。おばあちゃんとお兄さんって」

「俺が一方的にからかわれてるだけなような気がするけどな」

 

 東京ばな奈と共に渡されたトートバックを片手に、病院の門を出る。病院前には駅があり、木綿季が住んでいる場所はこの駅から乗り換え二回を含めて、およそ五十分かかるらしい。とはいっても、天理も家からこの病院まで一時間ほどだから苦になるほどの時間ではない。

 

「……その服装、寒くないのか?」

「うーん、あんまり、かな?」

 

 白色のセーターにコートを羽織っているとはいえ、下はホットパンツに黒タイツだ。ブーツで多少守られているとはいえ寒くないものなのだろうか。まあ当の本人がそこまで気にしていないことから大丈夫なのだろう。

 木綿季に続いて駅に入る。彼女がが購入した切符と同じものを購入して、電車に乗り込んだ。時刻はお昼時に迫っているからか、二人分の席は簡単に確保できた。

 流れで木綿季の隣に座ってしまったが、わざわざ立つのも不自然だろう。ユウキから漂ってくる甘い匂いに鼻孔をくすぐられながら、何気ない話題を振る。隣にいるのに五十分間無言でいるのは、さすがに気まずいだろう。

 

「そういえば木綿季って、体を動かすことが好きって言ってたけど、何のスポーツが好きなんだ?」

「んー、スポーツは全般的に好きかな。その中でも特に好きなのは、バスケットボールだね。なんかこう、すっごいカッコイイんだよね!」

「へー、バスケか。俺は体育でしかやったことがないからなぁ。まあ確かに楽しかったけど、結構きついよな」

「うん、そこが問題なんだよねぇ……」

 

 むむむ、と木綿季は眉間にしわを寄せる。木綿季が言う問題とは、先ほど口にしていた『とある事情で激しい運動ができない』とは無関係でないことは明白だろう。個人的には、その事情が気になるが、本人が伏せているということはあまり知られたくない事なのだろうから、余計な詮索はしないでおく。

 

「天理……さんって、何かスポーツやってたの?」

「天理でいいよ。そうだなぁ、スポーツって言っていいのかわかんないけど、中学時代は剣道をやってたかな」

「剣道かぁ、かっこいいなあ。ボクも好きだよ、剣道!」

「へぇ、そうなのか。経験とかしてるのか?」

「六月くらいに体育でやってたんだ~。楽しかったなぁ。そこで好きになったからテレビで全中を見てたよ!」

 

 全中、《全国中学校体育大会》とはまた随分と懐かしいワードだ。あの地獄の世界へ行く前までは、縁があった場所だ。まあ二年以上も前の話だから、その全中に天理が出ていたことを彼女は知らないだろう。とはいえ、わざわざ自慢するような真似はしない。

 

「それでね、その大会では桐ケ谷直葉さんっていうすごい人が出てたんだぁ!」

 

 『桐ケ谷』という苗字に体が勝手に反応してしまう。しかし、『桐ケ谷』という苗字を持つ人は全国に何百人もいるだろう。和人と関係があるとは思えない。

 

「その人は女の子なんだけど、男子にも引けを取らない威力と早さを持っててね――天理? どうかしたの?」

「え? あ、ああいや、何でもないよ。それで?」

「そう? それでね――」

 

 木綿季は直葉という女の子の話を得意げに語る。目をキラキラさせて、無邪気な笑顔を浮かべながら語る彼女は、清らかな心の持ち主であることが容易に理解できた。彼女にとってはそれほどあこがれた人物なのだろう。今年の全中を見直してみようか。

 

「結局優勝はできなかったんだけどね……でも本当にすごかったな、あの人」

 

 その瞳には憧れの意味もあるのだろうが、天理には闘志も少なからず存在するとおぼろげに感じ取った。

 

「……木綿季はその人と試合してみたいのか?」

「え? ……うーん、そうだなぁ……少なくともこっちの世界(・・・・・・)じゃ無理かなぁ……すごい練習してるでしょ? あの大会まで上がってくる人って」

「まあ、じゃなきゃ全国には行けないからなぁ」

 

 木綿季の途中の言葉は小さくて聞き取れなかったが、特に気にしないでおく。

 すると、木綿季が突然思い出したかのように口を開いた。

 

「そういえば、さっき天理も剣道やってたって言ってたよね。大会とかはどうだったの?」

「あー……」

 

 至極まっとうな質問が飛んでくる。先ほどは、木綿季の話題で天理から直葉という女性へと対象をうまく変えられたが、このような直球で聞かれたら、正直に言うか嘘を言うか、はたまた誤魔化すか。

 

「……ぼちぼち、かな?」

 

 天理は誤魔化すのを選んだ。正直なことを言って、「あの頃の天理を見たい!」なんて言われたらこちらとしては少々困る。かと言って嘘をついて、変な風に慰められてもこっちはこっちで困る。だから、誤魔化すことにした。

 

「そうなんだ」

 

 幸いにも木綿季はそれ以上天理のことについて聞かなかった。この機を逃さず、天理は話題を他のことへシフトする。

 そんなことをしているうちに、電車の乗り換えも含めての五十分があっという間に過ぎ去ってしまった。

 目的地である星川駅を降りて、そのまま木綿季が進む方向へ着いていく。もちろん帰り道でもあるためある程度は建物を把握しながら歩いている。

 何気ない話をしながら、駅前の商店街を抜け、数分歩いた末にたどり着いた先は、白いタイル張りの壁を持つ一軒家だった。緑色の屋根を持つその家は、目立つ分周りに比べるとやや小さいが、わざとそう設計したのか庭が結構広い。芝生には白木のベンチ付きのテーブルが置かれており、その奥には赤レンガで囲まれた大きな花壇が設けられている。

 

「ここが木綿季の家か?」

「そうだよ。どう?」

「すごく綺麗で羨ましいよ。俺の家は、何かと古臭いからな」

 

 ゆっくりと家全体を眺める。家の中からは人の気配がしないことから、おそらく外出しているのだろう。

 それはそれとして、とりあえず木綿季を家まで送る任務は無事に完了した。後は家に帰るだけだ。

 

「あ、そういえば」

 

 ずっと手に持っていたトートバックの存在をここで思い出す。祖母には悪いが、天理と琴音が嫌々食べるよりは木綿季に食べてもらった方がいいだろう。

 

「はい、これ」

「え? それはおばあちゃんが天理のために買ったお土産じゃあ……」

「あーまあそうなんだけど……実は俺も、俺の妹も昨日これとまったく同じものを結構食べたんだよね。久しぶりに食べたいから、って」

「そ、そうなんだ」

「そう。だから、これは木綿季と木綿季の家族に食べてもらった方がいいかなって」

 

 そう言いながら東京ばな奈を渡すと、受け取ったや否や木綿季が突然黙り込んだ。流石の天理も思わずぎょっとする。そして、すぐさま今の発言で木綿季が黙り込んだ原因を探す。しかし、いくら探しても、その原因がわからなかった。

 

「えっと……ごめん。なんか気に障るようなこと言っちゃった?」

「へ? あ、いや別にそういうのじゃなくて……」

 

 木綿季は慌てて天理の言葉を否定する。そして再び、黙り込んだ。その表情は何かを言おうか言うまいか迷ってるようだった。

 数秒間の沈黙ののち、木綿季が意を決したかのように顔を上げる。

 

「……実はボク、一人暮らしなんだ」

「そうか、一人暮らしか……って、え? この家で?」

「……うん」

 

 再び白い家へと目を向ける。こんなことを言うのは独身の人たちに失礼なのかもしれないが、どう見ても家族が住むような一軒家だ。一人暮らしなら、アパートやマンションに住むものだろう。

 しかし、木綿季が嘘をついているようには思えない。だったら、天理が外出していると思い込んでいた、彼女の家族は――

 

「……そっか。それにしてもすごいな。その歳で一人暮らしって」

「え? う、うん」

「家事とか洗濯とか全部一人でするんだろ? 俺は妹に頼りっぱなし、とはいかないけど七割方依存してるからなぁ。素直に尊敬するわ」

「そ、そうかな? 慣れると結構簡単だよ?」

「いやいや、それを言えるのは『極み』に達した主婦たちだけだよ。ほとんどの人は、その『慣れるまで』に苦戦するさ」

「大げさだなぁ」

 

 ぷっ、と先ほどまでどこか暗い表情をしていた木綿季が小さく噴き出した。彼女を含め『極み』に達した主婦たちを尊敬しているのは本当だ。

 それにしても、なんとか彼女の家族の話題から話をそらすことができた。天理の独りよがりな妄想で、彼女が『一人』であること決めつけるのは良くない。それこそ、彼女の家族は何らかの理由で他のところに住んでいる、あるいは海外へ出張している、なんてことも可能性としてないわけではない。よく少女漫画であるではないか。親が長期ラブラブ海外旅行を理由にその娘や息子がしばらく一人で生活する羽目になる話など。

 

「じゃあ、俺はこれで帰るわ。戸締りはちゃんとしろよ」

「あ、ちょ、ちょっと待って」

 

 踵を返そうとした天理の服を木綿季が掴む。

 

「どうした?」

「えっと……」

 

 そう言って、コートのポケットの中を弄り始めた彼女が取り出したものは、スマホだった。

 

「天理と会ったのも何かの縁だと思うから、連絡先を交換してくれないかな?」

「ああ、確かに。じゃあ交換するか」

 

 天理はポケットからスマホを取り出すと、電話番号と世界中で使われているよくあるコミュニケーションアプリを交換し合った。

 

「よし、これで完了だな」

「うん、ありがとね、天理」

「いや、これぐらいお礼を言われるほどじゃ」

「まあ、これもあるんだけど、ここまで送ってくれたから、ね? それに友達(・・)が増えるのはいつどんな時でも嬉しいよ」

「そんなもんか」

「そんなもんだよ」

 

 ふふふ、と嬉しそうに笑う木綿季を見て、思わず頭を掻く。そのまま手に持ったスマホで時刻を確認すると、十二時を少し過ぎていた。昼前には帰ると琴音に約束したため、これ以上待たせたらまずいだろう。幸い先ほど調べた限りでは、最寄りの星川駅からはだいたい四十分ほどで着ける。急いで行けば、琴音の作った昼飯が温かいまま食べられるかもしれない。

 すばやく琴音にメッセージを飛ばすと、改めて木綿季に向き直った。

 

「じゃあ、改めて俺は行くよ」

「うん、またね。天理」

「ああ、また」

 

 笑顔で手を振る彼女に片手を上げて応えると、天理は来た道を引き返した。

 

 

 




※内容を大きく変更しています。前後の話がつながっていませんのでもうしばらくお待ちください。誠に申し訳ございません。

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