これまで散々引っ張ってきたのもこの話のためです。
まぁ、読んでやってください。
時はほんの数分前にまで戻る。
『スクールアイドル、μ’sのファーストライブ、まもなくでーす!ご覧になられる方は、お急ぎくださーい!』
そんなヒデコの放送案内が全講堂内へと響く。
それはもちろん、たった今ステージ上に立っている穂乃果達にもよく聞こえていた。
前にある1枚の薄い薄いカーテンが開かれれば、そこにはもう生徒という客がいるのだ。
その事が、その紛れもない真実が、3人に緊張と高揚感となって襲ってくる。
「いよいよだね……!」
1番に切り出したのは穂乃果だった。それぞれが本番前という事もありさすがに緊張している中、こうやって1番に切り出せるのは、やはり彼女が無意識的にもリーダーシップを発揮しカリスマ性をも同時に出せるからだろう。
「うん……!」
穂乃果に続いて返事をしたのはことり。軽く足が震えてるあたり、彼女も彼女で緊張している様子だった。それでも彼女の顔はやろう、やれるという強気な面ともとれるような表情をしていた。
「……っ、……ぁぁ……っ」
海未は、何も発さなかった。というより、何も発せなかった。緊張という緊張が刃となって容赦なく海未に突き刺さってくる。小刻みに体全身が震え、まともに言葉も出てこない。それほどまでの、重圧。
もし誰かがこの3人を見ていれば、一見海未が過剰に緊張しているだけのように見えるかもしれない。
でもそれは違う。
こんなの誰も緊張しない方がおかしいのだ。
何から何まで全部自分達でやり、時には助力もあって、全てが初体験。しかもそれを初めて人々に披露するという事。それはつまり、全ての評価が客によって変わるという事。
例えば文化祭や学園祭、体育祭の応援団も入れるとしよう。
それらに通ずるものと言えば有志団体や舞台演劇、応援団など、様々な人々が集まって何かをするという事にあたる。そしてそのほとんど全てが、
みんなが知っているような曲や脚本を使う事で、元ネタを知っている客はそれらを特に大きな不満を持つことなく楽しめる。共通認識を持っているのを利用し、オリジナルをアレンジすれば、それもまた一興という事で興味を引かせる事もできる。
みんな知っている曲ならば、客も分け隔てなく盛り上がれるだろう。みんな知っている脚本の舞台演劇ならば、アレンジするかしないかでどんな結末になるのだろうとみんな楽しみながらも集中して見るのだろう。
みんなが元ネタを知っていれば、それだけで第一印象や評価が無条件に上がる。
では。
スクールアイドル。
細かく言えばμ’s。
今の彼女達のやろうとしている事は、何だろうか。
それは、完全オリジナルだ。
衣装から作詞、作曲も同じ生徒が作ってくれたオリジナル。振り付け、タイトル。
全部が全部オリジナル。
客の第一印象や評価が無条件に上がる事は決してない。
全ては自分達のパフォーマンス次第で決まる。だけど、それこそが最大のプレッシャーや重圧になり得るのだ。只でさえ恥ずかしがりの海未がこれで緊張しないはずがない。むしろこんなの誰だって緊張するものなのだ。
初めてを披露する時は、誰もが絶対に緊張する。大丈夫と言い聞かせても、それは拭えない。自分はいけると思っていても、無理矢理言い聞かせているにすぎない。大事な場面だからこそ、失敗してはいけないという絶対悪に等しい重さがのしかかる。
故に、海未は固まって動けなかった。
寒くもないのにガチガチと体を震わせる事しか出来なかった。
あれだけチラシ配りも頑張って慣れたはずなのに、それは虚勢という形のないものに変わってしまった。
でも、そんな固まった海未を優しく溶かしてくれるかのように、海未の左手が優しく包まれた。
「大丈夫。私達が付いてるから!」
穂乃果だった。
「穂乃果……」
ことりも穂乃果と一緒に、柔らかい笑みでこちらを見ていた。待機室でやった事と同じだ。こうして3人で並べば、自然と怖くなくなってくる。いつもの自然体でいられる。それがどれほど救われるかを、海未は今まさにそれを感じていた。
「でもこういう時、何て言えばいいのかなぁ?」
今以上に、海未の緊張をほぐすために、ことりが違う話題を出してきた。今までずっと一緒に過ごしてきたからこそ、その意味をちゃんと理解している海未はことりに心で感謝する。
「μ’s!ファイッオー!」
「それでは運動部みたいですよ…」
「だよねー!」
次いで、穂乃果も声を上げる。おそらく穂乃果はことりの疑問に対して応じようとしたまでで何も考えてないように見えるが、その無意識の無邪気さがいつも通りを感じさせる。そこに安堵できる。
すると、穂乃果がハッとしたように口を開いた。
「あ、思い出した!番号を言うんだよ、みんなで」
「面白そう!」
ことりは穂乃果の案に否定はしなかった。というよりことりは本当にもしもの事がない限り穂乃果の案は否定しないのだが。海未もこれには否定の気持ちはなかった。
「じゃあいっくよー!」
3人で一気に空気を吸い込む。
そして。
「1!」
「2!」
「3!」
穂乃果、ことり、海未の順番に声を出す。
大きな声を出す事によって、一緒に不安という気持ちも吐き出す。
だから、
「ふふ、はははははは!」
「あはははははははは!」
「ふふっあははははは!」
さっきのような緊張感もなく、笑っていられる。
数秒笑ったところで、3人が同時に黙る。その空間は少しの間、静寂に包まれていた。
しかし、さっきと明確に違うのは、強張っていた3人の顔が今は笑顔である事だろう。たった1つの表情で人の感情というものは一目で分かる。海未を見れば分かりやすいかもしれない。体が震えて変な力が入っている訳でもない。リラックスした、自然体で今はいる。
もうそこに、迷いはなかった。
「μ’sのファーストライブ、最高のライブにしよう!」
「うん!」
「もちろんです!」
各々が各々の思いをこのライブにかけていた。
でもその思いは、最終的に同じ場所で合流する事になる事を3人共知っている。
高坂穂乃果は、廃校阻止のために全力でスクールアイドル活動に取り組み、μ’sの発起人として頑張ろうとした。
南ことりは、最初から穂乃果の提案に賛成の意を見せ、衣装作りや振り付けなども担当していた。
園田海未は、当初は穂乃果の提案に否定の意を見せていたが、穂乃果の本気を知り、それからは歌詞やトレーニングメニューを考えたり貢献していた。
それらすべての思いがあった。
そしてその思いの終着点には、いつもファーストライブの成功を思っていた。やる事は違えど、思いは同じ。道は違えど、ゴールは同じだと言うように。
思いを、ゴールへ走らせるために、ここまでやってきた。
ブゥゥゥゥゥン、と。
開始のブザー音が鳴る。
3人は黙ってそっと繋いでいた手をゆっくりと離す。
目を瞑っていると、ゆっくりとカーテンが開いていく音が聞こえる。
目を瞑っているせいか、その時間が長くも感じられた。
そこで穂乃果は思っていた。
(やっと。やっとなんだ……!やっとここまでやってこれた。ことりちゃんも、海未ちゃんも、ヒデコもフミコもミカも、そしてたくちゃんのおかげでファーストライブが出来るところまでこれた。みんなのおかげで……だから、だから今ここで精一杯頑張ってきた私達を見てもらってたくちゃん達に1つ恩返しをするんだ!)
誰よりもその思いが強かった。手伝ってくれた少年達のためにここで1つの恩返しをする。その決心が穂乃果の強さの1つでもあった。
カーテンが開ききって、音が消える。
それと同時に、目を開いていく。
そして。
そして。
そして。
現実が牙を向く。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………え?」
思わず、素っ頓狂な声が出てしまう。
むしろまだよく声を出せた方だと思う。ことりや海未は、目の前の光景を見て文字通り言葉を失っていた。
ただただ、穂乃果達からしたら広いと思える講堂内。
喋り声も一切聞こえないほどの静寂。
そして、誰もが見て分かる通り、人っ子一人いない、空席だけの、たった今だけ観客席という名が相応しいはずの、イス、イス、イス。
もう呆然と立っている事しか出来なかった3人の元に、聞きなれた声が耳に入った。
「ごめん……、頑張ったんだけど……」
フミコの、聞きなれていたフミコの、とてつもなく、弱々しい、そんな声。本当に頑張って手伝ってくれたのだろう。穂乃果達のために、本気で、最後まで諦めず。だからこそ、こんなにも申し訳なさそうな顔をしている。
「……ほの、か、ちゃん……」
「……穂乃果……」
ことりと海未がようやく絞り出した声も、とても声なんて立派に呼べるようなものではなく、今にも消え入りそうなか弱い音のようなものだった。
そこへ、
バァンッ!と。
入り口の扉が勢いよく開かれた。
「な、ん……っ!?」
スクールアイドルをやろうと決めた時からいてくれた。
何だかんだ文句言いつつもいつもそばにいてくれた。
本人はいつも否定していたが、十分手伝いとして大きな役目を果たしてくれた少年がいた。
岡崎拓哉。
そんな少年は、目の前の光景を見て激しく驚愕していた。
「……た…く……ちゃん……っ」
穂乃果の微かな声が響く。こんな小さな声も聞こえてしまうほど、今の講堂内は沈黙に包まれていた。
「……ほの……か……」
拓哉はその声に応じる。そうしないと、ステージ上にいる彼女達が今にも消え入りそうな感じがしたから。
穂乃果はずっと拓哉の顔を見たまま、何かを言おうとし、唇を強く噛む。表情を、押し殺すかのように。
「……そ、そりゃそうだ…!世の中、そんなに、甘く…ない……っ!」
拓哉から見ても、誰が見ても、今の穂乃果の言葉は強がりにしか聞こえなかった。
とても、とても、明るく振る舞おうとしている無理矢理な声。噛み噛みで放たれた言葉が、無性に拓哉の心を騒ぎたたせる。
「そう…だよ…。いくら、頑張ったって……努力しようったって……そ、れが、報われ……なきゃ……っ……意味、ないもんね……っ」
少女から、あの穂乃果から、今にも涙を流し出しそうな、そんなか細い声が響き渡る。
(何を、言ってるんだよ……)
「……っ、ごめ、んね……たく、ちゃん……っ。いつも、私達を、励ましてくれたり…手伝ってくれたり、した……のにぃっ……」
必死に涙を堪えながら、でも、強がりの笑顔は既に消えてしまっていて。
「……ごめん、なさい……っ。ごめんなさい……っ」
流れそうになる涙を何度も何度も必死に腕で拭き取りながら、謝っていた。次第に、ことりも海未も、穂乃果と同じように涙を堪えながら、ただ、拓哉に謝っていた。
(……違うだろ。……何で……何でお前らが謝るんだよ……!何でお前らが謝る必要があるんだよ……!!)
今すぐ何かをぶっ壊したい破壊衝動を爪が抉り込んで血が滲むくらいに拳を強く握り抑える。
「……お前らが、謝る必要なんて、どこにもないんだよ……」
とにかく、彼女達を落ち着かせるために声をかける。
拓哉の声を聞き、ゆっくりと顔を上げた彼女達の顔は、息を吹きかければ飛んで行ってしまいそうなほどにか弱い存在だと思わせた。
それがどうしても拓哉の心を強く締め付ける。
(くっそぉ……ッ!!)
拓哉の頭の中で、スクールアイドル活動を始めた時の記憶が蘇ってくる。
神様というのはなんて残酷なのだろうか。
全てを見通せる神様ならば、あれだけ頑張っていた彼女達の姿を見て努力を報わせるのが普通なのではないのか?
現実とはなんて残酷なのだろうか。
いつだって現実というものは自分の理想をそのままくれる訳ではない。むしろそれを嘲笑うかのようにまったく真反対の現実を突き返してくる。そんな事は人間誰しもが年を重ねるに連れ分かっていく事だろう。
でも。
だけど。
数ある人間の中で、努力が報われるべき者達がいるのも確かなのだ。
本当に努力して、何度も挫けそうになりながらも自分の願いを叶えようと必死に頑張っている者がいるのも確かなのだ。
それは、高坂穂乃果、南ことり、園田海未の3人も同じ事だった。
岡崎拓哉は知っている。
高坂穂乃果がスクールアイドル、μ’sの発起人だと。誰かに言われる事もなく、ただ自身の内から湧く感情に従って廃校を守るために1番に動こうとし、駄々をこねつつも真面目にここまで真っ直ぐに突き進んできたのだと。決して何か1つの事に夢中になれなかった穂乃果が、放課後などを使って調べ物をしたり、悩みながらも守りたいと思ってやっと見つけた唯一の方法、スクールアイドル活動に夢中になっていた事を。
岡崎拓哉は知っている。
南ことりが1番大変な衣装担当と同時に、振り付けも担当していたのだと。ことりには無意識的にカリスマ性を発揮する穂乃果や、色々な事が出来る多芸の才能のある海未のように、資質らしいものを何一つ持っていない。それでも、この学校が無くなるのが嫌だから、親の悲しむ顔が見たくないから、資質らしいものを何一つ持っていなくても、たった1人の大切な者のために寝る間も惜しんで衣装を作り上げ、一生懸命振り付けも考えていた事を。
岡崎拓哉は知っている。
園田海未がトレーニングメニューを考え、歌詞をも作っていたのだと。当初は穂乃果の案にずっと否定していた事を後悔している節もあった。穂乃果を最初から信頼していなかった事に過ちを感じていた。だから、それを償うために一切妥協もしなかった。幼馴染を信じてやれなかった過ちを犯し、その事に苦悩しながらも、穂乃果の正しい道を自分も歩もうと必死に歌詞を考え、2人の体力面を考えてのトレーニングメニューもちゃんと密かに組んでいたのを。
そう、岡崎拓哉は知っているのだ。
どれだけ彼女達が頑張っていたかを。どれだけの思いがあったのかを。
だから。
これは。
神様が彼女達をどれだけ嘲笑うかのように理想から突き落としたとしても。
残酷な現実がどれだけ彼女達に容赦なく牙を向いたのだとしても。
拓哉だけは、岡崎拓哉だけは、彼女達を肯定してやらなければならない。
ちゃんと知っているから、1番近くで彼女達の頑張りを見てきたから。
頑張りを、努力を、必死さを、たった3人の少女が廃校というデカい壁に立ち向かおうとした事を。
岡崎拓哉だけは、肯定して、受け止めて、支えてやらなくちゃいけない。
そして、
(ああ……、そうだ……)
今にも崩れ落ちてしまいそうな彼女達を、奮い立たせてやらなくちゃいけない。
(このままで……終わらせる訳にはいかない……ッッッ!!)
静かな講堂内に、少年のゆっくりな足音が響く。
ゆっくりと、しかし確実に、ステージ上に立っている彼女達に近づいていく。
「……確かに、今ここには生徒が1人もいない」
「た、くちゃん……?」
足音と同時に声も響いていく。彼女達の耳に、心にしっかりと届かせるために。
「……でも、お前達は歌うべきだ。……歌わなくちゃいけないんだ」
「たっくん……?」
段々と、拓哉の声に力が篭ってくる。
「こんな事になるなんてお前達は予想もしてなかったのかもしれない。少なくとも5、6人くらいいればそれでも上出来だった。……でも誰も来なかった。これが現実なんだ。ああそうだよこれが現実なんだ……」
「たくや、くん……?」
悲しみに閉ざされた瞳に、疑問の意が映る。だが、拓哉の目だけは、まだ輝きを失ってはいなかった。
「それでも!」
それを、ただの傲慢だと軽蔑に思う人もいるかもしれない。
「ここで歌わなきゃ、今歌わなきゃ今までやってきた全てが無駄になっちまうだろ!」
それを、個人の我が儘だと罵ってくる人もいるかもしれない。
「俺は見てきた。お前達がずっと頑張ってきたのを。必死に練習して試行錯誤しながらもこの当日までやってきた事を!」
それを、その場のただの言い訳に過ぎないのだと吐き捨てる人もいるかもしれない。
だけど。
「だったら!!このまま終わったらダメなんだ!挫折したまま終わらせたらダメなんだ!歌うんだよ!!誰もいなくても、歌い続けるんだよ!!そうすれば、聴きつけた誰かが来てくれるかもしれないだろ。何もしないで勝手に挫折してんじゃねえよ!」
端から聞けば、それは部外者がステージ上にいる彼女達の今の気持ちを何も知りもしないで、ただ強引にライブをさせようとしているように見えるかもしれない。
現に、張本人である高坂穂乃果がそう思ったのだから。
「……でも、だからと言って歌えば誰かが来てくれる保証もどこにもないよ……!お客さんがいないとこで歌うなんて……」
それは、もはや諦めにも似た何かだった。あの高坂穂乃果がそんな事を言ってしまうくらい、今の状況は惨状にも近いのだと思わせた。
でも、
「俺がいるだろうが!!」
「…………え?」
だからこそ、彼がいる。
「誰も客がいないなら、俺がなってやる!俺が客となってお前達の歌を聴いてお前達の良さを学校に広めてやる!今!ここで!俺が!お前達の客だ!……だから歌えよ、高坂穂乃果。自分の意思で、自分の思いで、正直に動いてみせろ。お前が今本当は何をしたいのか。このまま何も出来ずにただ廃校を待つのみで終わるのか、今のこんなふざけた断崖絶壁をぶち壊すために歌うのか。お前自身の意思で選べよ」
「私の……意思で……」
例えどんなにどん底にいようと、挫折を味わおうと、そんな彼女達を奮い立たせるために、この少年がいる。
それに、拓哉の本当の狙いは他にあった。
(穂乃果は今少し迷っている。多分このままでも歌う可能性はある。……でも、それはあくまで低い可能性という意味でだ。あと少し、あと1つ穂乃果達を焚き付ける着火剤があれば全てが揃う……)
拓哉の言葉を受けて尚、穂乃果は微かに悩んでいるのだ。それだけ期待して、絶望して、挫折して、スクールアイドルに夢中になっていたのだろう。それだけやっていく内にどんどん好きになっていったから、そこまでの挫折を味わう事になった。
ならその挫折を払拭してやるしかない。
拓哉はある1つの可能性を考えていた。
(何で最初の最初で思いつかなかった。もうずっと前から分かっていた事じゃねえか。あの子は言っていた。ライブを見に来るって、わざわざ穂乃果達に直接言いに来るくらいスクールアイドルが好きな子が、ファーストライブを見に来ないはずがない。そう、これは少しの間の時間稼ぎ。遅刻してでも必ず来てくれる。あれだけ楽しみにしていてくれてたんだから!)
それは1つの可能性だった。
それが、
タタタタタタタタッッ!!!バンッ!
という音がして扉が開くと同時に、拓哉に確信をもたらせた。
決して慢心ではない笑みを浮かべて。
「…………来たか」
「え…………?」
穂乃果がゆっくりと視線を上げていくのを見て、拓哉もゆっくりと振り向き、視線を上げる。
そこにいたのは、
「ハァ…ハァ……っ、ハァ、ハァ……」
「花陽ちゃん……」
おそらく全力で走って来たのだろう。
μ’sのファーストライブを見る為に、それこそ息が凄く切れるほどに全力で走って来てくれたのだろう。
小泉花陽。
スクールアイドルが大好きで仕方ない、1番に穂乃果達を応援してくれた。
「あれ……?ライブは……?あれ…?あれぇ……?」
そんな彼女が今、息を切らしながらも、もう始まっていてもおかしくないライブの無音状況に理解が追いついていなく、キョロキョロと辺りを見回していた。
「分かったか、穂乃果。誰も大人数を期待しろとか、少人数でも絶対にやれとか、そんな事は言わない。あくまでやるのはお前達自身なんだから。それでも、今回だけは、この最初の、初めてのライブだけは、絶対にやらなくちゃいけない。俺みたいな客紛いな手伝いでもない、本当に純粋にお前達のライブを楽しみにして来てくれる子がいるんだから。……そんな子を、裏切れるはずもないだろ?」
背中を向けていた拓哉は、今一度、穂乃果達の方へ向き合う。
「最後にもう一度言わせてもらうぞ穂乃果。自分の意思で、自分の思いで、正直に動いてみせろ。今のお前達なら、こんなふざけた断崖絶壁だってぶち壊せるだろ?」
その言葉は、もう一度穂乃果の心に強く突き刺さる。
先程とは違う。ちゃんと理解できる。心がザワつく。高揚感に襲われる。
いつの間にか、震えは止まっていた。
そして。
「……やろう!歌おう、全力で!」
いつもの高坂穂乃果が戻ってくる。
「……穂乃果」
「だって、そのために今日まで頑張ってきたんだから!」
その目は、いつもの輝きを放っていた。
「穂乃果ちゃん……海未ちゃん……!」
「ええ……!!」
ことりの声に呼応するように、海未も反応を表した。さっきまでの声にもならないような音ではなかった。穂乃果も、ことりも、海未も、来てくれる誰かにこの歌を届けるための声を発していた。
「ふぁ~……!!」
それぞれが配置に着く間、花陽は階段の中段辺りでステージを見ていた。
やっと見に来れた。幼馴染で親友の少女に振り回され陸上部に連れて行かれたが、何とかこうしてライブを見に来る事ができた。
何故まだライブが始まっていなかったのかは、周りを見れば大体予想はついてしまった。自分以外の客はいない。だからライブを始める事すらできなかったのだろう。
でも、彼女達にはあの少年が付いている。
現に、花陽が来てからあの少年は彼女達に何かを言っていた。それで彼女達の顔に明るさが戻った。
やっぱり凄いなぁ……と、花陽は思う。
あの人だからこそ、心を動かせる言葉を言える。あのヒーローだからこそ、どん底にいたとしてもそこから救い上げてくれる。
しかし、仮にヒーローが救い上げようとしても、そのどん底にいる人物が這い上がろうとしなければ救えないのだ。救われる方も、何かしらの意思を、覚悟をして、這い上がろうとして、そうやって成長して救われる。
どちらも簡単な事ではない。それをやってのけるから、あの少年少女らは凄いのだと、花陽は素直にそう思っていた。
ステージが暗転する中、
急に、
「小泉」
「ふぇっ……!?岡崎、先輩……?」
件の少年がすぐ傍まで駆けてきていた。
「そんなに驚かれるとそれなりに傷付くんですが……」
「す、すいません……」
「まぁいいや。それよりさ」
「は、はい……」
この薄暗い空間で、何を言われるのか、そう不安になっていた花陽に拓哉は、
「ありがとな、来てくれて。しっかり見てやってくれ」
「…………え?」
ちゃんとした反応をする前に、少年は前の方へ戻って行った。
何故お礼を言われたのか分からない花陽はただ困惑するしかなかった。
ライブに来てくれたお礼なのか。
誰もいなかった所にタイミングよく来てくれたからなのか。
約束通りに来たからなのか。
それは花陽には分からない。もしかしたら全部なのかもしれないし。全部違うのかもしれない。
だが今は。
少年が言ったように、このライブを見て楽しもう。
そして。
ライブが始まる。
Music:START:DASH/高坂穂乃果、園田海未、南ことり
そして、どんな絶望の中でも、諦めず、前に進もうとした時こそ、ようやく神様とやらは味方する。
曲が始まり、少女達が踊り始めた時、決して多くはない人数がやってくる。
星空凛は花陽を追いかけるために講堂までやってきた。笑顔で花陽の顔を見るも、花陽の視界には自分は映っていなくて、ステージ上にいる少女達に向けられていた。自然と凛の視線もステージ上へ向けられる。
他にもコソコソと、このライブを見に来ている者が数人いた。
1人は楽しむ必要がないと言わんばかりに音響スタジオに。
1人は入り口付近でまるで計画通りというような澄ました顔で。
1人はそんな少女に見つかり仕方なく、けれど自分の作った曲が気になって。
1人は他の入り口から入り批評する気満々で。
対して、最初からその場にいた拓哉は、静かにずっと少女達を見ていた。
真剣に、けれど優しい目で。
眼鏡をかけた第一号の客である少女は、やはりと言えばやはり、純粋に凄いという目で見ていた。
前に声を掛けた時はコントみたいな事をしていたのに。いざこうやってライブが始まってみればこうも見違えるとは、と。きっとそこには憧れがあったのだろう。でも自分じゃそこへは辿り付けない。けれど、彼女達の事を本気で応援しようとしている気持ちに嘘はない。だから、せめて応援は精一杯やろうと思っていた。
そんな少女の隣にいるオレンジ髪の短髪少女は、完全に魅了されていた。
最初は幼馴染がそれを大好きだから仕方なく見ようかと思っていた。だが、気付けば目が釘付けになるほど、その少女自身もそのライブに魅了されていた。以前A-RISEというトップスクールアイドルのライブを見に行ったが、これほど魅了される事はなかったと確信しながら。
入り口付近からコソッと見ていた赤髪の少女は、そこでポツンと立っている事しか出来なかった。
まさに茫然と驚愕の2つがその少女を支配していた。自分の作った曲が、今こうやって1つの作品として披露されている事に。それを歌う彼女達は汗をかきながらも笑顔だった。自分が作曲した事による達成感と、それをああやって歌って踊っている彼女達を見て、少女の心の中で、無意識に何かが変わり始めていた。
誰にも見つからないようにイスに隠れながら見ていた黒髪ツインテールの少女は、嫉妬の目で見つつも、どこか違う感情にもなっていた。
その少女が見た事もなかった景色、見たかった景色、憧れていた景色。それら全てをあの少女達はやってのけている。誰かに強要された訳でもない。何より自分からやりたいと願ったあの少女達と、自分だけが突っ走っていた時とは、何もかもが違うのだから。誰も分からない感情を、その少女だけが理解していた。
入り口の裏から静かに聴いていた紫髪の少女は、何もかもを見透かしていたかのように、ただ静かに微笑んでいるだけだった。
思えばあの少年と初めて会った時からだろうか。ご自慢のタロットカードがずっと告げていた。少年と、ある少女達が、この廃校問題をどうにかするために動くのだと。それにはある条件が必要だった。だから、少女はそれを陰から支える選択肢を選んだ。自分と、あの少年少女と、親友のために。
音響スタジオ内にいる金髪のポニーテールの少女は、ずっと訝しめな表情でライブを見ていた。
よくよく見れば、踊りも所々ズレている。何よりキレがない。歌もダンスのせいかブレている部分もあるし。そんなのを、絶対に認める訳にはいかない。いかないいかないいかないいかないいかないいかないッッッ!!……なのに、それでもあの少女達は前に進もうとした。挫折を恐れずに。
ステージの真ん前にいる茶髪のツンツン頭の少年は、真剣な目で、けれど慈愛ともとれるような優しい視線で見ていた。
本当によく頑張った。挫折を克服して前に進もうとしてくれた。こうして歌って踊ってくれている。それだけで少年は満足だった。只でさえギリギリで間に合わないかもしれない事をここまでの完成度でやったのだ。端から見たらレベルが低くても、その少年の目に映っている少女達は、100点満点そのものだった。
やがて。
ライブは終わりを迎える。
肩で息しながらも、ライブをやり終えた穂乃果達の顔には笑顔があった。自分の満足できるライブが出来たという証拠だろう。
彼女達が喜び合うのを皮切りに、たちまち多くはない拍手が講堂内に響いた。どんなに多くなくても、少ないくらいの拍手でも、個々の拍手にはちゃんとそれぞれの意味があった。
思わず口をポカンと開けながらもしっかりと拍手をする凛や、ただただ満足そうに拍手をしている花陽。よくやり切ったという意味を込めての拍手をしている真姫に、ずっと手伝ってくれていたヒデコ、フミコ、ミカ。
そんな彼女達の拍手に、少年の拍手が混ざる。
「たくちゃん……」
「……よくやった。本当によく頑張ったな。穂乃果、海未、ことり」
今も軽く息切れしている彼女達に、拓哉は今自分が出来る1番の称賛を与える。
3人が思わずステージを下りて拓哉へ駆け寄ろうとした時、
コツッコツッと、講堂内に甲高い音が鳴り響く。
薄暗くなった講堂内でも、やはりその金髪は異彩を放っていた。
「生徒、会長……」
穂乃果が静かに呟く。それに続くように、拓哉も振り返る。
「やっぱりアンタも来てたんだな」
もう言っても無駄だと言う事は分かっていた。だから拓哉がタメ口を使うのにも指摘はしないと絵里は決めていた。
「ええ、まあね……。で、
「……………………………………………」
どういう意図で、それを聞いてきたのかを、拓哉は理解していた。おそらく、高坂穂乃果という少女も。
客も全然来なかった。どうしようもない現実を見せられた。どん底にまで突き落とされた。挫折をも味わいかけた。逆効果にもなるかもしれない可能性も否定できなかった。
でも。
だけど。
「続けます!」
「……へっ」
穂乃果は言ってのけた。その事実が、拓哉を静かにニヤつかせた。
「何故……?これ以上続けても、意味があるとは思えないけど」
周りを見渡しながら、この現状を嫌でも理解させるように促しながら、絵里は言った。
それを、
「やりたいからです!」
穂乃果は即答で打ち切った。
この現状を1番理解しているのは紛れもない穂乃果達なのだから。その穂乃果が理解しているからこそ、それでも即答で答えるのに2秒ともいらなかった。
「今、私もっともっと歌いたい、踊りたいって思ってます。きっと海未ちゃんも、ことりちゃんも。こんな気持ち初めてなんです!やって良かったって本気で思えたんです!たくちゃんの言う通り、信じてやって良かったって思えたんです!」
思いの丈を吐き出す。自分の意思で、正々堂々と絵里と視線を交えながらでも。
「今はこの気持ちを信じたい……。このまま誰も見向きもしてくれないかもしれない。応援なんて全然もらえないのかもしれない……。でも、一生懸命頑張って、私達がとにかく頑張って届けたい!今、私達がここにいるこの想いを!!」
その言葉に、少なからず共感した者もいた。感化された者もいた。
「いつか……いつか私達、必ず……ここを満員にしてみせます!!」
言った。
言ってみせた。
断言してみせた。
その時、拓哉は無性に震えが止まらなくなっていた。
(よく生徒会長にそこまで言ってみせたな穂乃果。おもしれぇ、ホントに面白いよお前ってやつは……!)
「……そう、なら精々悪あがきしなさい。これから活動を続けても、何も変わりはしないわ」
そう言って、全員の視線を集める中、臆す事なく絵里は立ち去っていく。
しかし、それを許す事もなく呼び止める者がいた。
「待てよ生徒会長」
「…………何?」
絵里も呼び止められる事を予想していたのか、拓哉の声にすぐ反応した。とても冷たい声と表情を露わにしながら。
「まだそんな下らねえ事言ってんのかアンタは?何も変わらない?ふざけんな、アンタもどっかで見てたんだろ。こいつらはさっきまで挫折しかけていた。でも自分の意思でまた立ち上がった。それだけでもう何かが変わってるって何故分からない」
「そんなものは詭弁よ。その場だけの言葉や行動でしかないわ。それに、私はこれから
2人の口論が続く。
誰もそこに入ろうとはしなかった。
いや、出来なかったのかもしれない。
2人の雰囲気がそれどころではなかったから。というよりも、絵里だけがそういう異質のオーラを出していたから。
そんな絵里に対して、拓哉はいつもと変わらなかった。ずっと冷静のまま、言葉を紡ぎ続ける。
「
「何ですって……?」
一瞬俯いてから、拓哉はまた絵里へと目線をぶつける。そこを言いたかったがためのように。
「アンタは何も分かっちゃいない。論点がズレてる?どこもズレてなんかいねえよ。意思が変われば、その先の活動にだって繋がる。諦めるも諦めないも結局は意思の問題なんだ。穂乃果達が挫折したままなら、もうそこで活動自体終わってたんだ。でもこいつらは言ったぞ。やるってな。いいか生徒会長。アンタには分からないようだから言ってやる。挫折から復活したこいつらの意思は、強いぞ。簡単には壊れないくらいにな」
「…………………っ」
その言葉に、絵里は即座に言い返せなかった。何か自分の奥底にある何かが刺激されたかのように。固まってしまった。
「強い意思が、あとの活動で絶対に活路を見出す。考えるばっかで何も行動出来てないアンタに何も言われる筋合いはねえよ。ゼロからのスタート?そんなのじゃまだ甘い。廃校ってのが後ろにある分、マイナスからのスタートと言った方がいいか。上等だ。マイナスならこれ以上下がっても怖くなんかねえさ。這い上がるためにもがき続けてやる。覚悟しとけよ生徒会長。こいつらの悪あがきはどこよりもしぶといぞ」
「…………っ!勝手になさい……!」
吐き捨てるように言って絵里は立ち去る。
無性に、本当に、腹が立つ。本当の挫折を知らないくせに。誰かに哀れむように見られた事もないくせに。何を分かったような事を言っているんだあの少年は。
絵里は外に出ると同時に走り出す。
腹立たしさもあるが、何よりも、言い返せなかった自分に悔しくて。
入り口付近に立っていた親友にも気付かず。
「ふう……。とりあえず穂乃果、海未、ことり。お疲れ様」
絵里が去り、そのタイミングで他の者も去っていく中、拓哉は軽くステージ上に上りヘラヘラと片手を上げていた。
「え、あ、うん……ありがと!」
急な空気のムードの変わりように困惑しながらも穂乃果は拓哉のそれに答える。
「本当によくやってくれた。よく歌う事を決意してくれたよ」
「ううん……私達、もうダメかもって思っちゃったもん……」
穂乃果に続いて、海未もことりも俯いてしまう。でも拓哉はせっかく褒めてんのに何しょぼくれてんだの意味を込めて、
「あーもう!でも結局こうやって無事に終われたんだからそれでいいじゃねえか!もうグチグチ言うんじゃねえ!次言ったら帰りに何も奢ってやらねえかんな」
「えっ!?たくちゃん何か奢ってくれるの!?」
「ねえちょっと?切り替わり早くない?海未さんもことりさんも何キラキラした目で見てんの?君ら打ち合わせでもしてたの?俺をハメようとしてたの?」
さっきの真剣な雰囲気はどこへやら、すっかりステージ上はコントになっていた。
「はぁ……まぁ頑張ったしな。何か奢ってやるから、今日はもうさっさと着替えて帰るぞ」
「うん!!」
そこからはもう言葉はなかった。
お互いが言おうと思っていた事は、既に穂乃果が言って、拓哉も言ったから。それだけで伝わっていた。
だから。
3人はお互いにアイコンタクトでタイミングを見計らって。
「たーくちゃん!」
「たっくん!」
「拓哉君!」
最大限のお礼をするために拓哉目掛けてダイブする。
「ん?え……?ちょ、ま―――ぶぎゃぐえっ!?」
さすがに拓哉も3人は受け止めきれなかったようだった。
「な、何なんだよいきなり!」
「ありがとね、たくちゃん!!」
「分かった!分かったから離れろ!つうか海未さんや!アンタ恥ずかしくないのかよ!?」
「ライブの後ですから特に気になりません!」
「そこは拓哉さん気にしてほしかったかな!!心臓に悪いからね!あとで後悔しても知らねえぞ!!」
「たっく~ん!」
「ことりさん!?ほっぺスリスリするのやめてくんない!?そんなのされても俺麻痺状態にならないから!いや効果抜群だけども!!」
そこには、もういつもの日常が繰り広げられていた。
さて、まずはここまで読んでいただいてありがとうございます。
長かったでしょう?(この話もここまでに来る展開も)
自分にとってこの3話は穂乃果達にとって最初の試練であり壁でもあると思ってます。
なのでこの話だけはしっかりと、溜めてから、十分に書けるようにしておきたかったのです。
自分にも自分の思いがあってこのような長い話にはなってしまいましたが、後悔はありません。
むしろ満足してます。もう最終回と言っても過言ではないまである。
あ、全然終わりませんよ?
むしろここからが本番なんですからね!
とりあえず、第一部は終了みたいな感じですかね。
次からはいよいよメンバーが増えていく話になります。
では改めてこれからもこの奇跡と軌跡の物語をよろしくお願いします!!