キリト サイド
火花が散る。一合、また一合とリーファ……スグと剣を交える度に、SAOから帰還してから今日まで彼女と過ごした日々が蘇る。ポロポロと涙を零しながらも、俺とハルの生還を心の底から喜んでくれた事。アスナとの再会を目指してリハビリを焦る俺を宥めてくれた事。須郷の言葉に傷付き、一人泣いていた俺を抱きしめて、慰めてくれた事。そして……こんな俺の事を、ずっと好きだったと涙ながらに告白してくれた事……
「―――せぇい!」
「シッ!」
いつしか地上から空中へと舞台を移し、俺とスグは鍔迫り合いになる。
「ハァアア!」
全力で押し切ると、彼女はすぐさま体制を立て直して再び挑んでくる。
(スグ……)
ずっと彼女は、真っ直ぐに俺を見続けてくれていた。その想いに気付かず……あまつさえ苦しめていた事実が、見えぬ刃となってこの胸の内に突き刺さる。
剣の腕ならこちらに分があるのは間違いない。だが、スグは強靭な意志でもって喰らい付き、その差を少しでも埋めようと打ち込んでくる。
(スグ……!)
謝りたい。償いたい。こんな俺を想い、今なお向き合おうとしてくれる彼女に。けれど刃を交える中で、剣士としてのもう一人の自分が叫ぶのだ。
―――手を抜く事も、剣を捨てる事も、俺には許されないのだ。と……
葛藤する心と、積み重ねた経験から剣を振るい続ける体。その狭間で、俺は迷ってしまう。
「やぁああ!」
「ぐっ!?……ォオオ!」
その隙を、スグが見逃す筈が無かった。彼女の剣撃は打ち合う度に速く、鋭くなり、気づけば容易に切り返せなくなっていた。
(俺は……俺は……!)
絡み合った心は言葉にできなくて―――それでも、逃げる事だけはしたくない。俺の剣に急速に追いつこうとしているスグならきっと……!
「せええぇぇいっ!!」
「う……らぁぁああ!!」
打ち合うさなかで放たれた、彼女の刺突。無我夢中で繰り出されたその一撃は一直線に胸へと迫り、俺は掲げた大剣の腹で防ぐ。両腕が痺れる程の衝撃が突き抜け、それでも何とか振り払おうとして……不意に剣が軽くなる。
「な……!?」
そのまま大剣を振り切った先で、スグは上段に剣を構えていた。刺突が防がれた時に無理に押し込もうとせずに一旦後退し、俺の空振りを狙ったのだ。
再び迫る彼女の剣。一方で俺の大剣は重さが災いして、振り切った状態から引き戻すのは間に合わない。それならばと振り切った大剣の勢いそのままに体を回転させ、迎え撃つ……!
渾身の力でぶつかり合う二振りの剣が、爆発にも似た光と音を轟かせ―――共に宙を舞った。剣が互いの手から弾かれても体の勢いは止められず、気づけばスグは咄嗟に伸ばした俺の腕の中にいた。
「……強いな、スグは」
「ぁ……あたし、あたし……!」
「いいんだ、スグ……俺、どうしても謝りたくて……でも、どうすれば償えるんだろうって考えて……せめて兄貴として剣を受けようって、思っていたのに……剣士として、負けたくなくって……」
ゆっくりと回りながら、スグへと本音を零していく。ひどく自分勝手なものだと実感していると、背中に彼女の腕が回される。
「スグ……?」
「あたしも同じ事、思ってたの……あの世界……剣の世界にいたお兄ちゃんに謝る方法を考えて……剣を受ける事しか思いつかなくて……」
彼女が俺と同じ考えに至っていた事に、目を見開く。
「でもお兄ちゃん、強いから……全力で行かなきゃダメだって、思って……気づいたら’勝ちたい’って叫んでる
「そうか……俺達、一緒の事考えてたんだな……」
こんな所だけ似てしまったのは、お互いに剣士としての自分を持ってしまったからだろうか……いや、今はそれよりも伝えなければいけない事がある。
「ごめんな、スグ……俺、自分の事しか考えてなくて……ちゃんとお前の事を見てなかった」
どれだけ探しても見つからなかった言葉を、心のままに告げる。口が達者ではない俺が言葉と共に思いを伝えるには、これぐらいしか方法が無いのだから。
「スグが俺の事、’好きだ’って言ってくれたのはすごく驚いたけど……嬉しかった。でも……でも、俺にとってスグは妹で……掛け替えの無い家族なんだ。だから俺……スグの想いには、応えられない」
どれだけスグが俺を想い、慕ってくれていても……俺は家族としてしか彼女を愛せない。だってそうだろう?事故で実の両親を亡くし、親しい者を失う事を恐れて閉ざした俺の心を開こうと……’新しい家族’として寄り添い、手を伸ばしてくれたのは他ならぬスグ達桐ケ谷家なのだ。傷跡の所為で男女の愛情を信じられなかった当時の俺が、信じられた愛情……家族愛、兄妹愛を注いでくれた、掛け替えの無い大切な人がいる居場所。スグはその中で一番親身に寄り添ってくれた人なのだから。
「……そっか。そうだよね……うん、分かってた……」
寂しげな声と共に顔を俯かせる妹に、胸が痛む。他ならぬ自分自身が彼女をそうさせているのだと分かっている分、強く大きく、胸の内を抉られる。
もっといい方法があったかもしれない。スグを傷つけずに済んだかもしれない。そんな後悔ばかりが己の内で沸き上がるが、今ここにいる俺は、自分の本心を真っすぐに伝える事を選んだ。今こうしてスグが俺の胸に顔を埋め、小さな嗚咽と共に泣き続けているのはその代償であり、本当の意味で彼女と向き合おうとしなかった俺の罪だ。
―――今は、スグの涙を受けとめ続けよう。せめて……彼女の気が済むまで。
今の俺には、それぐらいしか償う方法が思いつかない。
「ごめんな……本当にどうしようもない、ダメな兄貴でさ……」
声が震え、視界がぼやける。こんな俺に涙を流す資格など無いというのに……俺が生きてきた仮想世界は、涙を堪える事を決して許してくれない。
(大事な人達を泣かせてばかりだな、俺……)
ハルやクロト、サクラにアスナ……クライン達だってそうだった。全てが終わり、始まったあの日から今日まで……思い返せば誰もが俺の所為で泣いていた。そして今、スグも。
―――零れた雫が一つ、頬を伝った。
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クロト サイド
空で抱き合い、ゆっくりと回りながら下降していくキリト達を見守りながら、オレとフィリアは彼等の剣をそれぞれ回収していた。
「えーっと……クロトさん、何がどうなってリーファちゃんとキリトさんが戦ってたんですか……?」
緑髪におかっぱで、いかにも気弱そうな雰囲気のあるシルフ……レコンと名乗った少年が、浮かんだ疑問のをそのまま口にした様子で問いかけてくる。キリト達の試合を見守っている途中でやってきたコイツはどうやらリーファとは仮想・現実の両方でフレンドらしく、領主会議襲撃の内通者を探り当てて彼女に連絡したという。その後にリーファを追ってスイルベーンからこのアルンまで一人で飛んできた。
この話が本当かどうかは後でリーファに突き出せばわかるだろうし、悪いヤツって感じはしないのでとりあえず放っておいたが……聞かれたからには最低限の事は答えないとな。
「あの二人にゃ色々事情があるんだが……簡潔に纏めると、兄妹喧嘩ってなるんだろうな……多分」
「……へ?兄妹……兄妹!?あわわ、リーファちゃんのお兄さんに僕は何て事を!?」
「落ち着けって。お前が何言ったかは知らねぇけど……キリトは特にお前の事は何にも言ってなかったし、大丈夫だろ」
顔を赤くしたり青ざめたりと、ひどく慌てだしたレコンの背を軽く叩く。
「それはそれで忘れられてるだけなんじゃ……」
しかし彼がホッとしたのも束の間で、リーファの長刀を拾ってきたフィリアの呟きを聞いて肩を落とす。
「とりあえず剣返さねぇとな。アイツ等も丁度降りたみたいだし」
視線を戻せばキリト達は小さな浮島の一つで翅を休めており、抱擁を解いていた。互いに顔を伏せている辺り、完全に決着がついたとは思えないが……人の心ってのはそう簡単に割り切れないものだ。だがそれでも、オレ達は立ち止まってなんかいられない。監禁されているであろう状況下でカードキーを盗み、キリトへと落とした事が監視の目にバレたとしたら……サクラやアスナの身にさらなる危険が迫る事になるのだから。
(今回、時間はオレ達の敵だ……急がねぇと……!)
逸る気持ちを抑えながら、相棒の許へと翅を震わせる。二人もそれに続き、程なくしてキリト達の傍にたどり着く。
「―――クロトか……」
「もうちょい腹割って話させてやりたかったけど……もう待てねぇんだ。何か嫌な予感がしてよ」
「それは、うん。俺も何となく、そんな気がする」
こちらが差し出した剣を受け取り、頷く相棒。そんなオレ達を見て、レコンが首を傾げた。
「あ、あのー……二人は一体何を……?」
「行くんだよ。世界樹の上に」
「え、ええぇぇぇ!?」
レコンが絶叫するのも無理は無い。普通のALOプレイヤーにとって、グランドクエストは未だ攻略の目途が立っていないものであり、そこにごく少数で突っ込もうとするのはあり得ない事だというのは容易に察しがつく。だが、それでも―――
「俺達はどうしても、あそこに行かなきゃならないんだ……!」
漆黒の瞳の奥に痛烈な想いを宿した相棒が、天へと伸びる世界樹を見上げる。握りしめた拳は小刻みに震え、オレ以上に焦燥に駆られているのがよくわかった。
「―――あたしも手伝うよ、お兄ちゃん」
「スグ……!?」
リーファの両手が、震えるキリトの左手を包み込んだ。驚き振り返るキリトが見たのは、未だ目尻に涙を浮かべながらも、新たな決意を宿した眼差しを向けるリーファの姿だった。
「本気で言ってるのか……?俺を手助けする意味を……ちゃんと分かって―――」
「―――うん、分かってるよ」
「なら、どうして……スグが自分から苦しむ必要なんて……!」
キリトが何と言おうと、リーファの瞳は真っ直ぐに彼を見つめ、その手を離さない。
「だって……だって、お兄ちゃんは大事な家族だから。お兄ちゃんを支えたい、少しでもいいから助けになりたい……お兄ちゃんと家族になった、あの日の想い……思い出したから……!」
「スグ……」
「
「ああ……!ありがとう、スグ……!」
目尻に浮かんでいた涙を一筋流しながらも、その微笑みが陰る事は無く……彼女の言葉が紛れもない本心だと誰もが分かった。
「強いね、リーファは」
「そうだな……」
フィリアの呟きに、オレは頷く。キリトへの恋慕を押し込めて、家族としての想いを優先する。言葉にするのは簡単だが、その心に感じる痛みや悲しみは並大抵のものではないだろう。
(待っててくれよ、サクラ、アスナ……今度こそ、辿り着いてみせるからな……!)
次こそはクリアする。改めてその事を己が心に誓い、オレ達はドームの入り口へと飛翔した。
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「―――ユイ、いるか?」
ドームの入り口に降り立ち、ふと思い出したようにキリトが愛娘に語り掛ける。すると待ってましたとばかりにピクシー姿のユイが現れたが……その顔は憤慨したように唇を尖らせていた。
「遅いですパパ!パパが呼んでくれないと、出て来れないんですからね!」
「わ、悪かったって。ちょと立て込んでてさ……」
子供らしく怒るユイに頭が上がらない様子のキリトに助け船を出そうかと考えるが、結論が出るより先にレコンが駆け寄った。
「うわ、これプライベートピクシーって奴!?僕初めて見たよ!すっげぇ可愛いなぁ!!」
リーファにあの試合の間待機を命じられていたのに、ついてきていたのがバレてシバかれたばかりだというのに……復活はえーなコイツ。ちょっと可哀そうって思えるくらいボコボコにされてたのに……逞しいというか、変な所でガッツがあるというか。
「わ、何ですかこの人!?」
「くぉらぁレコン!怖がってんでしょうが!!」
「ヒィ!?ご、ごめんなさ―――」
「問答……無用!!」
「ぐっほぉぉおおお!?」
先程以上に怒気を孕んだ声で容赦なく彼の耳を引っ張ったリーファ。レコンの謝罪に耳を貸す事も無く、彼女は全力のボディブローをそのどてっぱらに叩き込んでふっ飛ばした。
「お、おいおい……ユイの為に怒ってくれたのは分かるけど……」
「リーファさん、怖いです……」
「ひぐぅ!?」
レコンの時以上に怯えたユイの言葉に、彼女はショックを受ける。レコンの方に非があったとはいえ、流石にリーファもやり過ぎだと思ったし……自業自得って言える……のか?
「と、とにかくさ!早く打ち合わせしよ?どうせこのバカ二人、特攻するしか能がないんだし」
「おいフィリア、ケンカ売ってんなら買うぞコラ」
「クロト……お前が冷静さを欠くなんてらしくないって」
何やら不愉快な言葉が聞こえたが、キリトに免じて舌打ち一つで鎮める。してやったり、と言わんばかりに悪戯っぽく微笑むフィリアが何とも憎たらしいが、我慢できない程ではない。つーかコイツ、そこら辺を弁えて揶揄ってくるもんだから、マジでイラつく。
「―――ユイ、さっきの戦いで何か分かったか?」
「はい。あのガーディアン達ですが、一体あたりのステータスはそこまで高くありません。ですがリポップのスピードが異常です。特にパパ達が最接近した時に至っては秒間十二体で、これは通常の方法ではクリア不可能な難易度に設定されているとしか……」
「一体二体はすぐ捌けたから気づかなかったけど、総体で見れば高い再生能力を持ったレイドボスって所か……こっちの進行状況にあわせて湧出パターンが変わるから、ユーザーは’もう少し戦力があれば’って感じで諦められない……その上で種族抗争を推奨して、プレイヤー同士の対立を煽っているから、当分の間ユーザーが離れる心配もなし、と。ホント運営は嫌らしいヤツだな」
オレがそう纏めると、キリトは頷きながらも顔を顰める。なまじ先程は目前まで迫れたのだから、
「ですが、異常なのはパパ達のスキル熟練度も同じです。皆さんでサポートすれば、瞬間的な突破だけならば可能かもしれません」
「それが分かれば充分さ。ありがとう、ユイ」
掌の小さな愛娘の頭を、労わるように撫でるキリト。だが顔を上げた時にはその表情から優しさは無くなり、剣士としての鋭い眼光が現れる。
「作戦、って程じゃないけど……俺とクロトで突っ込むから、リーファとレコンで回復。フィリアはもしも二人が狙われた時の護衛を頼む」
「それしかねぇよな。オレ達の場合」
「任せて。キリトもクロトも、今度こそ辿り着きなさいよ」
フィリアが励ます一方で、リーファは戦士としての表情で頷き、レコンについてはまだ揺らいでいる。
「ほ、本当にやるの……?たった五人で?」
無理、無茶、無謀。そう言いたげな表情で視線を彷徨わせる彼は、本来普通のプレイヤーとして当たり前の反応であり、誰も彼を嗤う事はしない。
「……全く、男なら偶にはビシッと覚悟決めなさい」
「リーファちゃん……!うん、僕やるよ。僕だって、やる時はやるんだ!!」
彼女の言葉が着火剤になったのか、レコンの目に闘志が宿る。つか、分かりやすいというか、チョロいなコイツ。
「よし……行くぞ!」
キリトの号令のもと、オレ達は再び扉へと歩み出した。