キリト サイド
再びALOにログインすると、クロトとフィリアが駆け寄ってきた。二人からすれば突然俺とリーファがいなくなったのだから、きっと心配してくれていたのだろう。
北のテラスへと飛びながら、リーファが妹であった事や、アスナの事しか頭になかった俺が気づかぬうちに彼女を傷つけていた事を、二人に打ち明けた。
「―――なんつーか……」
「誰が悪い、なんて簡単に言える話じゃないよね……」
言葉が見つからないのか、クロト達は難しそうに眉を寄せる。だが俺がスグを傷つけてしまった事実は変わらないし、それ自体は俺の落ち度なのだ。
「……なぁ、お前を疑いたくねぇけどさ」
「クロト?」
「まだ言ってねぇ事、あるんじゃないのか?リーファについて」
―――バレてる……?
一瞬体が強張るのが、避けられなかった。しかも彼は目ざとくそれを見抜いたのか、納得したようにため息を零した。
「ちょっとクロト、自分だけで納得しないで説明してよー!」
「説明って言っても……オレだって憶測とカマかけなんだぞ?半分くらい」
「……もう半分は察しがついてるって事だろ、相棒」
目的地だったテラスに降り立ちながら続きを促すと、彼は片手で頭を掻いてから口を開いた。
「まずキリト、お前とリーファ……義兄妹だろ」
「っ!?な、どこで……それを」
「
「……そうか。そうだな……大体あってるよ」
多分ハルだって意図してクロトに言った訳じゃなかったんだろう。偶々彼がその事を覚えていただけで。知らなかったフィリアは驚きのあまりか両手で口許を覆い、目を見開いている。そんな彼女をよそに、クロトは続ける。
「で、こっからは完全にオレの憶測なんだが……兄妹喧嘩したんだよな?」
「それは……多分、そうなるんだと……思う」
「一体、どんな喧嘩しやがった?SAO事件の被害者のお前がフルダイブゲーム続けてるなんて知ったら、マシンぶっ壊すなり取り上げるなりしてもおかしくないだろ……それなのに戻ってきたのはキリトだけ……そこが全然分からねぇ」
限られた情報ではこれ以上分からない。だからこそまだ俺に隠し事があると踏んだのだろう。思い返せばコイツだって結構頭は切れるのだから、中途半端に事情を話したって隠している事の存在に気付かれるのは当たり前なのだ。今までは気を使って踏み込んでこなかったが、今はそう言っていられない。だからこそ話してくれと、こちらを見つめる瞳が雄弁に語っていた。
「……なぁ、いいのか……?もうずっと、俺はお前に頼りっぱなしなんだぞ……?」
「今更かよ。知っちまったら、最後まで手ぇ貸さねぇと気が済まないんだよ」
肩を竦めながら言われた言葉に、迷いが振り払われていく。
「でもクロト、ホントに良いの?きっとこれってキリトのリアル……それも家族の事情でしょ?」
「……まぁ、うん。本当はNGなんだろうけど……こんな状態のキリト放って置いたら、また独りで抱え込んで……どっかでやらかすっつーか暴走するのは目に見えてるからな」
「反論できないのが痛いな……」
SAOでの事を振り返れば相棒にこう言われてしまうのも仕方ない、なんて納得してしまう自分に苦笑いする。ひとしきり笑った後、改めてこのテラスに他人がいない事を確認し……意を決して打ち明けた。
「好きだって、言われたんだ。妹に」
「……へ?」
「マジで……?」
「元々リーファとは従妹なんだ。俺の両親が他界して、引き取られる前から……リーファの家とは付き合いがあって……その頃からずっと好きだったんだ、って。さっき言われるまで、俺はずっとその想いに気付かなかったんだ」
呆けた顔を晒していた二人も次第に気を取り直し、真剣な表情でこちらの話に耳を傾けてくれる。その事をありがたく思いながらも、口を止める事はしない。
「何より俺は、アスナしか見てなかったんだ。妹の想いを知らないまま、俺は何度もアスナの事を話して……傷つけて……」
「そんな事が……」
「難しいね……リアルの事に囚われずに楽しんでた筈なのに……結局は恋敵を助ける手伝いをしてた、なんて知っちゃったら……心の中がぐちゃぐちゃになるよ」
「今のリーファはその通りなんだ。気持ちの整理がつかない所に俺が声をかけたから……心からの叫びを、聞いてしまったんだ。弾みで出た、感情任せの言葉もあわせて……」
スグの泣き顔と、放たれた言葉が脳裏に蘇る。あんな顔をさせたくなかったのに、実際の俺は彼女を苦しめてばかりだ。
「それで?お前は何て返事したんだ?」
「ちょ、クロト!?」
「曲りなりにも告白されたんだろ?なあなあにして流すとかあり得ねぇ。振ったのか振ってないのかどっちだよ?」
「聞くまでも無いだろ!俺はアスナが……アスナ、が……」
初めて俺は、スグからの告白に対してちゃんと返事をしていなかった事に気付いた。それだけじゃない。アスナよりも先に傷跡を受け入れてくれる人と出会っていたら……俺はアスナを想わずにいたのか……再燃した疑問に声が掠れていく。
「まーた何か、変に抱え込んでるモンがあるのか……」
「な、何でクロトはそんなに冷静なの……?私さっきからどうすればいいのか全然分かんないんだけど!」
「コイツは昔っから妙に繊細でな、何てことない言葉一つで傷ついたり、気にして悩むとかしょっちゅうあったんだよ。ま、そんな事があった、って後から知った事ばっかりだし、気づけるようになったのは最近だ。あとは……そうだな。フィリアがそうやって騒いでっから、上っ面だけでも取り繕えてるってトコ」
「うっ!」
前は異変を察しても踏み込んでこなかった俺の心に踏み込もうと、彼は俺へと向き直る。
「お前、さっき言い切らなかったよな?’俺はアスナが好きなんだ’って、いつものお前なら言えてただろ」
「そう、だな……俺、迷ってる……」
顔を伏せ、そう呟く俺に向けられる視線は変わらない。無言で促されるまま、言葉が零れていく。
「クロト……もし、もしもアスナより先に、俺の事を受け入れてくれる
「何があった?」
「妹が、言っていたんだ。自分には何が足りなかったんだろう、って……いや、あいつなりに答えは出てた。出てたけど……」
「傷痕の事か……」
「あぁ。アスナだけが受け入れてくれた、だから俺は彼女を好きになった……でも、それなら俺は……傷痕を受け入れてくれる
自分の根幹をなす想いが揺れている。その事実が俺の心を蝕み、足元が沈み込んでいく錯覚にとらわれる。
「―――気に入ったから近づいて、気に入らなくなったから切り捨てる……最も移ろいやすく、不確かで、信じるに値しない……だったか」
「っ!?それ、は……!」
「そう、男女の愛情についての、昔のお前の言葉だ。今お前が揺れてんのも、愛情は最も移ろいやすく、不確かで、信じるに値しないから、なんじゃねえのか?」
「違う!俺は……俺はもうそんな事思ってなんかいない!!」
クロトの言葉に両手で頭を抱え、駄々をこねるように振るう。胸の内を抉られるような痛みが、ひどく苦しい。
「そうやって過去の自分の言葉で苦しむワケは?アスナが変えてくれたからなんじゃないのか?」
「だからっ……!それだって傷痕を受け入れてくれたからであって!受け入れてくれたのがアスナじゃない
相棒が何を言いたいのかが全く分からず、苛立ちのままに頭を掻きむしりながら叫ぶ。呆気にとられていたフィリアが驚いて数歩下がるが、とても気にしてなんかいられなかった。
「クロト、お前は何が言いたいんだよ!?なあ!」
「お前がそうやって悩んでんのがバカだってこった」
「な……!バカって何だよバカって!?人が真剣に悩んでるんだぞ!」
顔を上げて彼を睨むが、向こうは至って大真面目な顔でこちらを睨み返す。それが何とも腹立たしく、俺の神経を逆撫でする。
「ああそうだよな。お前はサクラ一筋だったから、俺の悩みなんてバカらしくってしょうがないってか?彼女を好きになったきっかけも、さぞ立派な―――」
「―――一目惚れだよ、ただの」
「……は?」
「ガキの頃……初めてサクラと出会った時に見せてくれた笑顔が、とにかく可愛かった。きっかけなんてただそれだけだったよ、オレは。ま、恋心を自覚したのは離れ離れになってからだったけどな」
……開いた口が塞がらない。立場の隔たりによって周囲の人から殆ど認められず、想いを通わせられない日々を重ねても、想い人から一度は拒絶されても色褪せなかったクロトの恋慕のきっかけが、「幼少の頃に一目惚れした」なんてありふれたものだった……?
「え……じゃあもしクロトがサクラじゃなくて別の娘に一目惚れしてたら、その娘をずっと好きなままだったかもって事?」
「あー、まぁ……多分そうだろうな……」
「待てよ、何の冗談だよ……!俺は二年間、ずっと見てきたんだぞ……!どう見たって両想いだってのにいっつもヘタレて告白できなかった事とか、殆どの奴等から’お前なんか釣り合わない’って言われ続けても……どんな事があってもお前がずっとサクラを想い続けた事も!お前は変わらず強く、一途に自分の心を貫いてきたじゃないか!それなのにきっかけがただの一目惚れ……?もし別の娘に一目惚れしていたら、その娘を好きでいた……?何でそう簡単に言えるんだよ!?」
彼の言葉が俺には理解しがたいもので、頭を振る。訳が分からない、その一心をぶつけるように叫ぶと、不意に胸倉を掴まれて引き寄せられる。
「ギャーギャーうっせぇってんだ!」
「っ!」
勢い余ってか互いの額が強くぶつかるが、向こうはお構いなしに無理矢理目を合わせてくる。
「いいか、人を好きになるきっかけなんざ、他人からすりゃちっぽけなモンなんだよ!大事なのはなぁ……どんだけそいつを好きだって想い続けていられるかだ!!」
「想い、続けていられるか……?」
「ああそうさ!オレがもしあの時一目惚れしたのがサクラじゃなかったら?お前の傷跡を受け入れて、心を救ってくれたのがアスナじゃなかったら?今のオレ達がそれぞれ惚れたきっかけが違う女に当てはまっていたら、そりゃ今とは違う女に惚れてたかもしれねぇってのは、その通りだろうさ。特にオレなんてホントにしょうもないきっかけだったワケだし……けどな」
彼の言葉が、眼差しが、愚直なまでに容赦なく俺の心へと突き付けられる。
「そんな存在しなかった’もしも’の事なんて考えてどうなる?今ここにいるお前はSAOで、アスナに救われた。今ここにいるオレはガキの頃サクラに一目惚れした。それは変わらない事実だろうが!!」
「ぁ……!」
―――泣いて、いいんだよ。
確かに俺は、あの抱擁に救われた。だが、本当にそれが全てだったのか……?
―――キリト君。
いや、それより前からアスナは……嬉しそうに顔を綻ばせて、俺の名を呼んでくれるようになって。何かと理由をつけて俺に声をかけてくれるようになって……気づけば彼女を拒絶するどころか、傷跡を知られて拒絶される事を恐れるようになっていた。
(アスナ……)
攻略に関する意見の相違から対立してきた事。クロトと一緒に無茶やって、一緒に彼女からカミナリを喰らった事。一途だった相棒がやっとサクラと結ばれた時、攻略組が彼を受け入れられるように共に奔走した事。その後も二人の仲が少しずつ進展していくのをじれったく思いながらも一緒に見守っていこうと決めた事。次々と蘇る記憶の中で、一筋の流れ星を見た。
(あれは、初めてアスナの剣技を見た時だっけ)
命ある限り駆け抜けよう、そんな前のめりで迷いの無い剣を綺麗だと見惚れた瞬間を、今でも鮮明に覚えている。
ああ、そうか。気づけばなんて単純だったのか。
「―――やーっとマシな目、するようになったな」
「思い、出したんだ……傷痕を受け入れてくれた優しさだけじゃない。あの世界で懸命に抗おうとしたあの剣技を……初めてその輝きを目にした瞬間から、俺はアスナに惹かれはじめて……知らず知らずのうちに、想い続けていたんだって」
「そうか」
ずっと険しかった相棒の表情が、優しく柔らかなものへと変わる。同時に掴まれていた胸倉から手が離れようとするが、俺はその手を取って自分の胸に寄せる。
「キリト?」
「お前が真っ直ぐに自分の想いをぶつけてくれたから、やっと分かったよ。傷跡を受け入れてくれたのが別の
引き寄せた彼の手から伝わる熱が、何より頼もしい。一番信頼しているこの温もりをくれる相棒がずっと隣にいてくれたから、俺はあの世界で生きていられた。アスナに心を、クロトに命を救われたからこそ、俺は今ここにいるのだ。
「ありがとう、クロト……不器用だけど自分の心に真っ直ぐなお前が、俺は好きだよ、親友」
俺の心へ踏み込み、自分の想いを正面からぶつけて本心を引き出す。俺の為に心を砕いてくれる彼もまた、掛け替えの無い心の友だ。
「ダチっつってくれんのは嬉しいけどよ……誤解される言い方すんなよな……」
「?」
若干顔を赤らめたクロトは少々強引に手を引っ込めると、尻尾で横を指し示す。訳が分からず首を傾げながらそちらを向くと―――
「お、男の子同士で好きって……コレって浮気……!?いや、同性だからセーフ……?アスナ達に何て言ったら……!?」
―――日に焼けた肌であっても一目で分かる程に全身を真っ赤にして、フィリアが何かブツブツと呟いていた。一体何が原因だ?
「はぁ……この唐変木め。暫く首傾げてろ」
「えぇ……?」
呆れた様子を隠そうとせずにため息をつくクロトに軽くショックを受けるが、彼は気にせずフィリアの頭に拳骨を落とす。
「あいたぁ!?」
「バカな事口走ってたからだろーが。オレもキリトもソッチの趣味は一切ねぇっての」
「だからってグーは無いでしょ!グーは!」
「い・い・か・ら・だ・ま・れ!」
涙目で抗議するフィリアだが、彼は容赦なくその両頬を抓る。
「今のキリトの’好き’はダチとしてって意味だからな?お前だって仲間は好きか嫌いかって聞かれりゃ、好きだって答えるだろ?それと一緒だっつーの。変な妄想すんじゃねぇぞ!」
「ふぁ、ふぁかりふぁしたぁ!」
ギブアップとばかりにフィリアはクロトの腕を叩き、彼ももう一度念押ししてからその手を離す。
「うぅ……いきなり女の子に拳骨落としたり頬っぺた抓ったり……普通はアウトだからね!?」
「はいはいそーですか。そいつは悪かったな」
頬を押さえて睨むフィリアに対して、クロトは手をヒラヒラと振るだけで……ん?この仕草って俺に似たような事した時と同じだよな……?
「おいクロト、お前もしかして……サクラ以外の娘は殆ど女の子扱いしてないんじゃないか……?」
「……」
「……図星か」
俺の指摘に、相棒は黙ってそっぽを向いた。それが都合が悪くなったり図星だったりした時に見せる悪い癖だというのは、俺もアスナもサクラもよく知っている。
「……そういうガサツなところは、治そうぜ」
「……そうだな」
渋々頷いた彼の肩を笑いながら軽く叩いていると、視界の端で何かがきらりと光った。二人も同じ様に気づいたらしく、互いに口を閉ざしてそちらへと目を向ける。
この場所目掛けて真っ直ぐ飛翔してくるソレはみるみる大きくなり、やがて人の形をとる。
「来たか……頑張れよ」
その呟きを残して、相棒が一歩下がる。そのさいに背中を軽く押してくるものだから、これ以上親友に格好悪い所を見せられない俺はもう下がれない。下がる気なんて、無いけれど。
長い金髪とシルフ特融の半透明なグリーンの翅を煌かせ、リーファがテラスへと舞い降りる。
「……やあ」
「お待たせ」
お互いに多少強張った微笑を浮かべ、短く言葉を交わす。もう迷わない。そう心が定まっても、完全にいつも通り、とはいかなかった。だが、止まる訳にはいかない。せめてもの償いとして彼女の剣を受ける。それ以外の方法はやっぱり考えられなかったから。
「スグ―――」
「―――ねぇ、お兄ちゃん」
話を切りだそうと呼びかけた時、妹はそれを遮るように軽く手を挙げる。真剣な光を宿した瞳はひたと俺を捉えており、彼女の意志の強さが感じられた。
「試合、しよ?あの日の続き」
腰の長刀を揺らしながら彼女が告げた言葉が意外で、俺は目を見張るのだった。
ずっとシリアスが少々辛くなって……最後の方、フィリアにちょっとボケてもらいました……