クロト サイド
「―――ラスト!レッドゾーン入ります!!」
「キリト!アスナ!おっさん!後少し耐えてくれ!!」
全五段あったスカルリーパーのHPが、とうとう最後の一本のレッドゾーンに突入した。異常なまでに高い攻撃力により、何人の命が刈り取られたのか、一体どれだけの時間戦っているのか……もうよく分からないが、骨鎌を受け持っている三人と、サクラが生きている事だけは確かだった。
(あと少し……あと少しで終わる……!)
ここが正念場だ。己にそう言い聞かせ、僅かな集中力をかき集める。仮初ながらも鋭敏さを取り戻した感覚を総動員して、オレは骸骨百足を睨みつけた。
「ギシャアアァァァ!!」
瀕死となり猛り狂ったスカルリーパーは、両手の骨鎌を無茶苦茶に振り回す。パターン変化の兆候だと思われるそれに、レイド全体がひと際警戒するが―――
「シュギャアァァ!!」
「なっ!?う、うわあああぁぁ!」
―――予想だにしなかった動きに、全員が度肝を抜かれた。あろう事か、ヤツはタゲを取り続けていた筈のキリト達を無視して部屋を縦横無尽に駆け回り始め……無差別に鎌を振るい始めたのだ。巨体をものともしない速度で瞬く間に距離を詰められた者達は骨鎌で刈り取られ、尻尾に斬り裂かれ、爆走するボスの脚に巻き込まれて一人、また一人と命を散らしていく。
「まともに近づく事すらできねぇぞ!!」
「そんな……!」
ヘイトなど存在しないかのように、ランダムで獲物を定めるボスとあっては体制の立て直しなんてできる筈が無い。だが指示しなければ、ただ蹂躙されていくのは火を見るよりも明らかだ。経験した事の無い状況でありながらも、一刻の猶予も無い事が、指揮官であるサクラを焦らせて追い込んでいく。
「っ……!」
今すぐに彼女の傍に駆け寄りたい衝動に駆られるが、それではもしボスが此方を狙った場合にサクラを巻き込んでしまう。歯がゆくて仕方が無いが、ひたすらに暴れ回る骸骨百足の動き……そのパターンを見切る事に専念する。
「シャアッ!」
「ぐうぅっ!!」
この場に集ったプレイヤー達だって、ただ蹂躙されていくだけではなかった。不測の事態になっても自分の身を自分で守ってこれた一流の戦士達なのだ。振るわれる骨鎌や尻尾をしっかりと防御し、その衝撃でボスの進路から外れる事で死を免れていた。
だがあくまでその場凌ぎでしかなく、死ななくても決して小さくないダメージは避けられなかった。何よりもあんな巨体で動き回る為、オレ以外誰も攻撃が当てられなくなってしまったのだ。下手に近づけば絶えず動く数多の脚に巻き込まれてミンチになるのは当然だし、前では骨鎌、後ろでは尻尾が振るわれている。そしてオレだって何時狙われるのかが分からない以上技後硬直の長い弓のスキルを使う訳にはいかないし、かといって普通に射かけた矢では幾ら当ててもHPの減少を確認できない程度のダメージにしかならない。
(こんなの、どうしろってんだよ……!)
毒づいたところで状況が好転するわけがない。それが分かっていても毒づかずにはいられない。それ程までにこのボスは理不尽極まる存在だった。
「―――サクラ、早く逃げなさい!!」
「っ!?」
遂に、爆走列車と化したボスの矛先がサクラに向いた。右か左か、どちらに避けるか迷ってしまった彼女は完全に逃げ遅れた。
唸りを上げて迫る骨鎌は、誰にも留める事はできず……サクラの命が刈り取られる。
―――ふざけるな。
ぶちり、と何処かで何かが切れる音がした……気がした。
―――ふざけるな。
剣が届かないなら、矢をぶち込めばいい。威力が足りないのなら、それだけ強く引き絞って放てばいい。
―――ふざけるな。
止められない?助けられない?そんなの……
「ぐ……ぅ!」
時間感覚が限界まで引き伸ばされた視界の中で、骨鎌はゆっくりとサクラとの距離を縮めている。今まで目の当たりにし、感じてきたシステムの理不尽に抗う心はかつてない程に激しく滾る一方で、渾身の一射の為に体は寸分の狂いもなく冷静に弓を引き絞る。限界以上に引き絞った途端、抗うオレをあざ笑うかのように激しい頭痛が苛んでくる。
「こ、のぉ……ぶち抜けええぇぇぇ!!」
両腕に痛みが走るほど強く引き、己の全力を籠めて矢を放つ。死力を振り絞って放たれた矢は黄金の尾を引き―――サクラへと迫っていた骨鎌のみならず、右側の脚を幾本も打ち砕いた。
「ギシャアアァァァ!?」
バランスを崩し
「総員
おっさん……深紅の騎士、ヒースクリフの号令と共に、黒と白の背が先陣を切る。一拍遅れて、他のレイドメンバー達が巨大な的になり果てた骸骨百足へと渾身の剣技を叩き込む。
その一方で、オレはその場から動けなかった。かつてない程の疲労感と鈍痛のせいか四肢は鉛のように重く、膝をついて倒れずにいるだけで精一杯だった。
(ハルに、頭……下げねぇとな……)
さっきの反動で弦が千切れ、折れ曲がった弓はもう使い物にならず、修復不可能なのは一目瞭然だ。恐らくあと幾何もしない内にポリゴン片へと変わってしまうだろう。そう思うと、無意識に言葉が零れていた。
「……ありがと、な……」
サクラを守らせてくれて。力を貸してくれて。返事が無いのは解り切っていても、オレの手の中で相棒でいてくれた’この弓’に沸き上がる感謝の思いは紛れもない本心だった。
「シギャアアアァァ……」
「はっ……ざまぁ、見やがれ……」
断末魔と共にHPを失ったボスと、役目を終えた愛弓が砕け散ったのは、奇しくも同時だった。見慣れたリザルトウィンドウが目の前に現れ……漸くボス攻略が終わった。
気が緩んだ途端、力が抜けた体は冷たい地面へと倒れ伏す。疲労感と鈍痛はより大きくなり、暫くは満足に動けそうに無かった。首を巡らせる事すら億劫だが、何とか周りを見回して全員の様子を確認して―――誰も彼もがオレとそう変わらない程に疲弊していると分かった。殆どのプレイヤーがオレのように床に倒れ伏したり、座り込んで俯いていて、勝利を喜んでいる者は一人もいなかった。
「ヤタ……」
「カァ!」
たった一言で、ヤタは碌に動けないオレの代わりにサクラ達へと生存を伝えに飛び立つ。こちらを見た彼女達は安堵した様子だったが、その表情は暗かった。
「―――何人、やられた……?」
暫しの静寂を破ったのは、クラインだった。誰にともなく投げかかられた問いに答えるべく、キリトが一人ウィンドウを操作する。
「……十四人、死んだ」
恐らくマップの光点の数から算出したであろう犠牲者の人数に、誰もが息を吞んだ。オレ自身、キリトの言葉であっても信じられない……いや、信じたくない。
「嘘、だろ……?」
「まだ……二十五層もあるんだぞ……」
クラインやエギルの言う通りだった。あと二十五体のボスが、オレ達の上にいるのだ。一体倒す毎に十人以上の犠牲者が出るとすれば、そう遠く無い未来に、オレ達は全滅する。
―――ゲームクリアよりも先に、死ぬ。
その事実が、オレ達を打ちのめす。平然と立っているのはヒースクリフのおっさん唯一人で―――
(なん、で……平気……なんだ……?)
―――彼が
(けど……気のせい、なのか……?)
疲労困憊で他人を気遣う余裕の無いこの状況で、オレと同じ疑問を抱いてる者が他にいるだろうか?極度に張り詰めていたオレの思い違いでしかないのではないか?確たる証拠の無い今、全てオレの憶測でしかなくて―――
―――一陣の黒い風が、深紅の騎士へと襲い掛かった。漆黒の剣先は十字盾の縁を掠め、騎士の胴に届く……寸前、不可視の壁に阻まれ、紫の閃光をまき散らした。あれが何なのか、オレは知っている。あれはオレ達プレイヤーには絶対に手に入れることができない物。
(不死属性、だと……!?)
システム的不死。それを所持しているのはNPCと……GMのみ。
「どういう……事なんですか……?なんで……なんで貴方に、そんなものがあるんですか団長!!」
目の前の事が信じられない、その想いでサクラは叫ぶ。言葉にせずとも、この場にいる誰もが同じ気持ちだった。対するおっさんは、およそ全ての感情が抜け落ちたような表情でキリトだけを見つめていた。
「これが伝説の正体だ。この男のHPゲージは、何があってもイエローゾーンまで減る事が無いよう、システム的に保護されていたんだ」
真鍮色の瞳を睨みつけ、剣を突き付けたキリトはハッキリとした口調でオレ達に語った。
「ずっと疑問に思っていたんだ。あの男は今どこで、どうやって俺達を観察し、この世界を調整しているんだろうって……」
世界の調整……
「でも俺はある事を忘れていたよ。あの男を語るうえで最も基本的な事を……あの男は、ゲームデザイナーである以前に、ゲーマーなんだってな。……みんなゲーマーなら一度は思った事はあるだろう?’他人のやっているRPGを傍から眺めるほど詰まらない事はない’。……あんたも同じだろ、茅場晶彦……!」
彼の言葉に、誰もが凍り付いた。オレ達をSAOに閉じ込め、デスゲームを強要した張本人が……まさか一人のプレイヤー、それも最強クラスの味方だったのだ。遥かな高みからではなく、オレ達と同じ目線からこの世界を鑑賞しようだなんて、誰にも予想できる訳が無い。
「……何故気づいたのか、参考までに教えてもらえるかな?」
「ハナからきな臭かったさ。この世界に対する知識量が俺達と段違いだったし、神聖剣を使いこなすのだって早すぎた。……何より決定的だったのが、あのデュエルだ。最後の一瞬、あんた余りにも速過ぎたよ」
製作スタッフの一員、という自称の経歴で知識量は何とか納得していたし、神聖剣を慣熟させる速度だって攻略が捗るならばとオレ自身は気にしていなかったが……相棒はその小さな綻びからアイツを観察し続けていたのか。例のデュエルに関しても、珍しくオレに感想を求めてきたのにもそういう裏があった訳だ。
「……やはり君の観察眼には驚かされてばかりだよ。先程彼に興味深いものを見せてもらったばかりだというのに……本当に
一瞬だけ、おっさんは無邪気な子供の様に顔を綻ばせた。だが直後に済ました顔で、堂々と宣言した。
「確かに私は茅場晶彦だ。付け加えるなら、本来最上層で君達を待ち受ける予定だったこのゲームの最終ボスでもある」
キリトの傍らでアスナがよろける。サクラは蒼白な顔で、その場に崩れる様に座り込む。
「趣味がいいとは言えないぜ。最強の味方が一転、最悪のラスボスだなんてな」
「ふっ、中々いいシナリオだろう?本来なら九十五層をクリアするまでは明かさない予定だったのだか……まさか高々四分の三で見破られてしまうのは予想外だったよ。君達……特に君は、この世界で最大の不確定要素だと気を付けていたつもりだったが、ここまでとは……」
薄い笑みを浮かべるヤツの瞳に宿っているのは、歓喜だ。自分が描いたシナリオ通りに進まなかった筈なのに……いや、自分のシナリオを越える展開を目の当たりにできたからこそなのだろう。次はどうなるんだろう?というプレイヤーならば一度は抱く期待を、あの男はずっと失っていなかっただけなのだ。
「最終的に私の前に立つのは君だと思っていたよ、キリト君。全十種類あるユニークスキルの内、二刀流は全プレイヤー中最高の反応速度を持つ者に与えられ……その者が魔王を倒す勇者の役割を担う筈だった。勝つにせよ負けるにせよ、ね。残りは勇者を守り、支える戦士の予定だったが、クロト君は充分に務めてくれていたよ。キリト君は些か死に急ぐきらいがあったが、彼のお陰でその心配も杞憂に終わった……」
「……あんたが興味あったのはあくまで俺だけで……クロトはただのオマケ―――いや、俺を守る為に命を使い潰される存在だったって言いたいのか……?」
静かに怒気を孕んだキリトに、おっさん―――茅場は愉快そうに口許を歪めた。
「君程の能力が無いと判断していたのは事実だが……それを補おうとした独自のスタイルや、二年間君と共に戦い続けるその姿勢には大変興味を惹かれたよ。それに、ボスの体をえぐり取る程の威力の一撃を見せてくれた以上、彼にだって君と同じく私に挑む勇者としての素質があると認識を改めたところさ」
新しい玩具を見つけたような目を向けられて、オレは怖気が走った。今まで足掻いてきた全てが、茅場晶彦の掌の上だった。その事実を認めたくないと心は拒絶し、頭はそれを踏まえた上でこれからどうすべきかを考え始める。だが治まる気配の無い鈍痛が思考を遮り、何も浮かんでこない。
「団長……いや、茅場、晶彦……!」
たった一人、KOBメンバーの中から立ち上がる者がいた。両手槍をへし折らんばかりに握り締め、その端正な顔を怒りで歪めた青年……レイだ。
「あなたが―――っ!」
激情のままにソードスキルを放つ彼を止めようとする者は、誰もいない。その穂先が茅場へと突き立てられると思った次の瞬間、彼の
「な……!?」
それだけで、レイの一撃は茅場へと届かず地に伏す。彼に表示された状態異常は、麻痺。
「あっ……!?」
「ぐっ……!?」
「体が……!?」
茅場は左手の操作を続け、自身とキリトを除く全員を麻痺で動けなくした。元々倦怠感と鈍痛で感覚の遠のいていた四肢が更に重くなり、オレは完全に動きを封じられた。
「……どうするつもりだ?この場で全員殺して隠蔽する気か……?」
「まさか。そんな理不尽な真似はしないさ」
アスナを抱えたキリトの問い掛けに、茅場は肩を竦めて首を横に振った。だが、それではキリトだけ動けるままにした説明にならない。
「こうなってしまっては仕方ない。予定を早めて、最上層の紅玉宮にて君達が現れるのを待つ事にしよう。九十層以上の強力なモンスター達に対抗するため鍛え上げてきた血盟騎士団や、君達攻略プレイヤーを途中で投げ出すのは些か不本意だが……なに、君達ならきっとたどり着けるさ」
あくまでもオレ達を信じ、慈悲深く見守ろうとするその眼が、憎い。沸き上がる憎悪をぶつけてやりたいのに、何もできないでいるのが悔しい。
「だが、その前に……キリト君、君にチャンスをあげよう」
「チャンス……?」
「ああ。私の正体を看破した報酬だ」
困惑するキリトと、オレ達全員に聞かせるように、茅場は十字盾を地面へと突き立ててから、言った。
「今ここで私と一対一の決闘を行い、君が勝てば……ゲームはクリアされ、全プレイヤーがログアウトできる……どうかね?」
オレ達全プレイヤーが二年間望んでいた最上級のエサ―――この世界からの解放を賭けた殺し合いを。
アインクラッド編もいよいよ大詰めですね……やっぱり戦闘シーンは難しいです(涙)