クロト サイド
「……おじさん……まだ十四なのに……おじさんって……」
「……なぁ、どうしたんだよ。アレ」
部屋の隅で一人膝を抱えてブツブツと何かを繰り返し呟いているハル。そんな彼を顎で示しながら、オレは原因を知っているであろう兄貴に問いかけた。
「その……ちょっとな。しばらくそっとしとけば大丈夫…………多分な」
「お前がハルの事でお手上げって……珍しいな」
ブラコン兄貴のキリトがショックを受けた弟の事でお手上げ状態って……一体何があったのか全く分からん。
「でも……急にどうしたの?わたしとクロトはこの前お邪魔したばっかりだよ」
「あ~、うん……それは解ってるんだけど……俺とアスナだけじゃ、どうにもならなくて」
他にアテもないし、と困った様子で苦笑するキリト。彼の事だから大方何か面倒事に遭ったんだとは思うが……多分何とかなるだろ。今はオレ達も最前線を離れてのんびりと日々を過ごしている状態なので、手伝う事は可能だし。
とはいえ、キリト達の様子を見に訪れた森の家に、数日後に再び来る事になるとは思っていなかった。その上様子のおかしいハルがいたもんだから、驚いてばっかりである。
「……二人にも、聞いてほしい事があるんだ」
「……マジメな話か?」
「ああ」
意を決したように、キリトはオレ達を真っすぐに見つめた。その瞳には、誰かの為に頑張ろうとする強い意志が宿っているのが伝わってきた。
「落ち着いて聞いてくれ。実は―――」
真剣なキリトの力になろうと心を決めた筈のオレ達は、彼が語る話に再び驚愕する事になった。
~~~~~~~~~~
「―――なるほどなぁ」
「ユイちゃん、大変だったんだね……」
キリト達が保護した幼女、ユイ。彼女の保護者が何処にいるのか、探すのを手伝ってほしい―――それが、オレ達を呼び出した用件だった。
話によればユイは記憶喪失らしく、以前自分が何処で何をしていたのかを一切覚えていないらしい。その上見た目よりもかなり精神年齢が後退している様子だったとの事だ。
「こんな……こんな小さい子がいるなんて、初めて知ったよ……」
「あぁ……何とか、してやりたいな」
オレ自身、ハルやシリカよりも幼いプレイヤーはいないだろうと思っていたため、寝室で眠っているユイを見た時は驚いた。
「……」
ベッドの上で静かに眠る彼女の表情は穏やかなもので、きっといるであろう保護者も彼女を大事にしてきた筈だと―――
(―――いや……まさか…………!?)
―――記憶喪失と、精神年齢の後退。一人で彷徨っていた事。改めて考えると、ユイの保護者は既に亡くなっているのかもしれない。
何らかの理由で保護者を―――それも目の前で―――失ってしまったとしたら、こんな幼い子供が受けるショックは計り知れない。そこから逃げる為に全てを忘れたのだとしたら……
(……落ち着け。まだそうと決まった訳じゃないんだ……!)
ネガティブな思考を断ち切り、サクラと共にキリト達のいる居間へと戻る。今考えてしまった最悪の状態についてはしばらく黙っていよう。ただオレが悪い方へと考えすぎなだけかもしれないし、何かのアクシデントで保護者がユイの事を探しても見つけられないままだったという可能性だってあるのだから。
「とりあえず、これから’はじまりの街’へ聞き込みをしよう。少なくとも何人か彼女の事を知っているプレイヤーがいるかもしれないし」
「ただ、あそこは軍のテリトリーだし……もしもの事があった時、私達二人だけじゃ……」
「あぁ……それで呼んだのか」
キリト達が軍の連中に後れをとるなんて事はまず無いと思うが、それ以前に人探しには人手が欲しい。かと言って誰でもいいワケではなく、信頼できて、軍に絡まれても平気な奴って事で、オレ達に声をかけたのだろう。
ハルはいいのかって?アイツのSTRなら、絡まれても最悪メイスで殴り飛ばすとかできるから大丈夫だろ。
「でも……ユイちゃんが起きなきゃ、保護者さんを探すのもできませんよね?」
「ん~、そうね……それまで家でのんびりしていって」
別段何か予定があった訳では無いし、断る理由だって無い、その為オレ達は素直に、アスナの厚意に甘えさせてもらった。
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ユイのウインドウを出すのにひと悶着あったものの、無事着替えさせる事ができ、オレ達は’はじまりの街’に降り立った。ここに来る度に、あの日の茅場のデスゲーム宣言が思い出されるため進んで足を運びたくなかったが、今回は事情が事情だ。
「ユイちゃん、見覚えのある建物とかってある?」
「う~…………わかんない」
「まぁ、’はじまりの街’はおそろしく広いからな。そんなに難しそうな顔で考え込まなくてもいいんだぞユイ」
ユイの精神退行は本当で、舌っ足らずな言葉遣いは物心ついたばかりの幼児のそれだ。そんな状態でキリトの事をパパ、アスナをママと呼ぶので傍から見ればまるで親子だ。……ちなみにハルはにぃに、オレはクーにぃ、サクラはねぇねと呼ばれている。
「誰もいねぇし、とりあえずマーケットの方に行こうぜ」
普通ならばよほどの過疎層でもない限り、それなりに人が集まる筈の転移門前広場なのだが……どういう訳か視界に映るのは片手でも数えられる程度の人影しかなかった。ならば他の場所に人が集まっていると思い、その候補として真っ先に上がったのがゲーム開始時にほぼ全てのプレイヤーが武器やアイテムを求めてごった返したマーケットだった。キリト達もすぐにその考えに至ったのか、特に迷う事無く頷いてくれた。
「クーにぃ、クーにぃ」
「ほいほいっと」
キリトの背から手を伸ばすユイの目はまっすぐヤタに向かっており、触りたがっているのが一目瞭然だった。つーか起きてからここに来るまでにも頬ずりとかしてたし。そのためオレは右肩にヤタを乗せ、キリトと並ぶように歩調を合わせる。
「わぁ~」
「カカ、カ」
無遠慮に触れるユイの手がくすぐったいのか、ヤタは時々身を捻る。だが不思議と嫌がる様子は無く、特に負担にはなっていない様子だった。
「……悪いな」
「気にすんなって。子供ってのは興味を持ったモンには一直線だからな」
すぐ側から聞こえるユイの嬉しそうな笑い声には、言葉にしきれない温かさがあった。上手く表現できないが、サクラといる時に感じる愛おしさとは違う温かい感情。ユイと出会ってからまだ数時間しかたっていないというのに、仲間達と同じくらい守りたいと思えるこの温かい感情に、オレは名前が付けられずにいた。
「―――お…………ロト」
「……」
「おーい?」
半ばオートパイロット状態で歩き続ける事しばし。キリトに肘で腕をつつかれて、漸くオレの意識は現実に引き戻される。
「どうかしたのか?」
「あ、ワリィ……ちょいと考え事をな……」
気づけばさっきまではしゃいでいたユイはキリトの背でまどろんでいるし、サクラ達も振り返ってオレの方を向いていた。
「ちょっと気を抜きすぎじゃない?」
「うぐ……」
あきれ顔のアスナに何も言い返せず、気を紛らわすようにマップを表示する。
「……あれ?もうマーケットに着いたのか?」
「うん……でも、全然人がいないの。それでどうしようかって事になったんだよ」
「マジかよ……」
困った様子のサクラの言う通り、市場はやけに静かだった。僅かに見える人影もほとんどがNPCであり、特に露店の前で延々と客の引き込みを続けるNPCの声が空しく聞こえるだけだ。いくら何でもこれは無いだろうと思っていたが故に、頭を抱えたくなってしまう状況になってしまった。
「あ、あの男に聞いてみよう」
NPC達の中からプレイヤーをキリトが目ざとく見つけ、アスナが速足でその男性に近づく。
「前に来た時は夜中だったから気にしなかったけど……何でこんなに人がいねぇんだ?」
「それをあの人が教えてくれれば分かるんだけどね」
願望の籠ったサクラの言葉に頷いてから、男へと近づいたアスナとキリトを見る。男はキリトの背で眠っているユイを見て多少驚いていたが、それ以降は必要以上に話したくないのか、そっけない態度が目立った。その上さほど時間が経たない内に話を切り上げたようで、男の目はアスナ達とは別の所へ向けられる。だがアスナ達は最低限欲しい情報が得られたのか、男に一礼してからこちらへと戻ってきた。
「どうでした?」
「大体の事は分かったわ。まず人がいない理由なんだけど……軍が’徴税’と称して体のいいカツアゲをしてるから、ほとんどの人が宿に引きこもってるんだって」
「あ?」
「……そんなの、ただの弱い者いじめじゃないですか……!」
珍しくハルの表情が歪む。だが、この話が本当だとすれば、軍はこの街に留まるプレイヤー達からの搾取の上に成り立っていると言える。どんだけ腐ってんだよ、大人ってのは……!
「……次に、ユイちゃんの保護者がいるかもしれない場所なんだけど、街の東にある教会で子供達が固まって生活してるんだって」
「なら、そこに行ってみるしかなさそうですね。軍の話が本当なら、あんまりのんびりはしていられないと思いますし」
面倒事は避けたいという考えは全員同じで、オレ達はやや歩く速度を上げて東へ向かう。
「お、あの尖塔が教会じゃないか?」
「だな」
歩くこと五分、街の東ブロックに着いたオレ達は教会らしき建物を見つけた。そのままそこへ向かおうとして―――
「―――子供たちを返してください!」
左手の路地から女性の声が聞こえた。咄嗟に全員が顔を合わせ、頷く。そのままヤタとキリトの索敵を頼りに路地へ駆ける。二度三度と角を曲がった先にいたのは、十数人の軍のプレイヤーと対峙する、一人の女性だった。
「あんたら随分税金を滞納してるからなぁ……金だけじゃなく、装備も置いてもらわないとなぁ~」
「そうそう、市民には納税の義務があるんだからなぁ」
「あなたたち……!」
今の問答だけでも十分わかるほど、軍の連中は腐っていた。奴らのニヤついた顔には、自分達の優位を信じて疑わない余裕の色があった。実際軍の連中は通路を塞ぐ形で立っている為女性は反対側にいく事ができないし、圏内である以上彼等を押し退けて通る事も敵わない。システム的な保護を利用した悪質な行為であるブロックだ。連中の後ろには三つのカーソル―――女性の言葉通りならば子供―――がいるし、十分巻き上げるまで連中はここを退く気は無いのだろう。
「先生……助けて!」
「……!」
幼い女の子の悲鳴が聞こえた瞬間、女性の手に込められた力が一段と増した。だが、彼女の手にあるのは小さな短剣一つのみで、軍の連中相手にはひどく頼りなかった。身に纏う衣服も簡素な物であり、女性自身のレベルもそう高くは無いのだろう。
女性の背からは子供を助けたいという強い意志が感じられるが、腐り切った軍が振りかざす数の暴力を打ち破る事ができない。今まで知らなかったとはいえ、こんな理不尽がまかり通る状況が当たり前となっている事に、オレは……オレ達は我慢の限界だった。
「……
ひどく冷めた声で呟くと、全員が頷いた。
「子供達は任せて」
その言葉と共に、サクラとアスナが駆け出し跳躍。軍の連中の頭上を飛び越えて、子供達の許へとたどり着く。
「な………なん―――グヴォア!?」
突然の事に一瞬驚いた軍の連中だったが、もう既に彼等には状況を説明してやるつもりは無いし、理解する時間だってやるつもりは無い。サクラ達の後を追うように飛び出したハルが、力任せにメイスをぶん回し始めたのだ。
「え……え?」
「下がっててください、巻き込まれますよ」
状況が理解できていないのは、女性の方も同じだった。とは言えそのまま放置していたら、デストロイモードのハルに巻き込まれる危険がある。その為キリトはやんわりとした口調で女性を下がらせた。
「あ……………で、でもあの子が……!」
「大丈夫ですよ。俺の弟はあんな連中がいくら相手でも、負けませんから」
「は……はぁ」
二人の視線の先では、ハルが容赦なくソードスキルぶっぱを繰り返している。元々圏内ではソードスキルが直撃したって一ダメージにもならないが、代わりにノックバックが発生する。それは攻撃側のレベル・ステータスが高ければ高い程大きくなり、その内無理やり相手をふっ飛ばして退かす事も可能になるのだ。今ハルがそうしているように。
「こ、このガキぶっ!?」
「そのガキにブッ飛ばされてる惨めな大人は貴方ですよ?」
アッパースイングのメイスを顎に食らった男は真上に飛んだ後、無様に顔面から着地。
「調子にのヴェア!?」
「どうせその鎧の下には、醜く弛んだ脂肪の塊しかないんでしょう?壊してバラしてあげましょうか?」
野球のバットの如く両手でフルスイングしたメイスが、別の男の腹に直撃し、顔面着地したヤツに折り重なるように吹っ飛ぶ。
圧倒的筋力によって肉体を攻められ、容赦ない言葉に精神を攻められる軍の連中は一人、また一人と腰が抜けていく。碌に立てなくなった相手にハルは―――
「や、やめ……」
「そのバイザー叩き割って、ブッサイクな泣き顔晒したら、考えなくもないですよ」
そんな死刑宣告と共に、脳天へとメイスを振り下ろした。
(気ぃ済むまでやらしとくか……)
何というか……鈍器を持った小学生一人に蹂躙され続ける、完全武装した大人達というあまりにもシュールな光景を前に、もう任せちまおうって思った。まぁ、何もしないのは癪なので、這うようにして逃げようとしたヤツを一人ずつ蹴っ飛ばしてハルの目の前に差し出してやったが。
ら、来年こそアインクラッド編を完結させるんだ……!