キリト サイド
クロトが投げ飛ばされた方向は部屋の奥。さらに右脚の部位欠損と麻痺によって、自力での離脱は不可能だった。
「クロト!」
「サクラさん!?オイ、こっちでタゲ取るぞ!!」
「りょ、了解っす!」
思っていたよりも、クロトはボスのヘイトを稼ぎ過ぎていたらしい。悪魔は一度投げ捨てた彼を睨むと、その命を刈り取るべく斬馬刀を振り上げながら迫ったのだ。堪らずサクラはクロトの元へと駆け出し、クラインは仲間と共にボスのタゲを取ろうと、その無防備な背中にソードスキルを叩き込む。
「ゴアアァァァ!」
「ぐお!?」
「クラインさん!」
HPが減少し、パターンが変化したボスの動きは、さらに読みづらいものになっていた。両手剣に分類されるだろうサイズの斬馬刀を、まるで片手剣のように振り回し始めたのだ。攻撃の重さはそのままに、攻撃頻度が段違いに高い。元々攻撃力の高さと軽さが特徴である刀では、とても受けきれない。クラインは物の数秒で弾き飛ばされ、仲間もタゲを取り続けられていなかった。
俺はクロトが投げ捨てられた瞬間、二刀流を使う事を選んだ。アスナやクライン達に拒絶されるかもしれないとか、ハル達に迷惑がかかるなんて事は、どうでもよくなった。それほどまでに俺は……怖かったのだ。彼等を失う事が。
メニューを開き、クイックチェンジで左手にダークリパルサーを装備。背中に新たな重さが加わるのを確認すると、少し遅れながらもボスへと駆ける。
今悪魔と対峙しているアスナも、俺が近づく間だけでHPをイエローゾーンにまで落としていた。
「アスナ!」
俺の声に頷いたアスナは、振り下ろされる斬馬刀を避けずに真っ向から立ち向かった。
「せやああぁぁ!」
裂ぱくの気合と共に繰り出した『フラッシング・ペネトレイター』が斬馬刀を弾き、強引だがブレイクポイントが生じる。
「スイッチ!」
そう叫ぶと、俺は悪魔の正面に躍り出た。再び振り下ろされた大剣をエリュシデータで逸らし、左手―――ダークリパルサーで抜きざまの一撃を鳩尾に見舞う。どうやらクリティカルヒットだったようで、ボスは数歩よろけた。
「グルオオォォ!」
だがすぐに態勢を立て直し、三度その斬馬刀を振り下ろす。今度は二本の剣を交差して受け止める。二刀流用の武器防御スキル『クロス・ブロック』によって俺にダメージは無く、弾き返す事でがら空きになったボスの懐に今使えるものの中で最上級のソードスキルを叩き込む。
「うおおおぉぉぉ!!」
全てを焼き尽くすかのような、燃え盛る青き炎を思わせるライトエフェクトを纏った両手の剣が悪魔の胸と腹に殺到し、幾筋ものダメージエフェクトを刻み込む。速く、もっと速くと、ただそれだけを考えて剣を振るう。これがみんなを守る最善手と信じて。
「グルアアァァァ!」
「がふっ!?」
二刀流最上位スキル『ジ・イクリプス』の二十七連撃はボスの反撃を許さず、一方的にHPの二段を空になるまで食らい尽くした。これで残りは最後の一段のみ。
だがボスもただやられている訳ではない。こちらのスキルが終了するとすぐさま憤怒の咆哮をあげ、その逞しい左腕で俺を殴りつけてきたのだ。技後硬直が課せられている俺は二度、三度と悪魔の拳を受け、その衝撃に意識が飛びそうになるも歯を食いしばって必死に繋ぎ止める。
「ぅおおああぁぁ!!」
硬直が解けると同時に、次のスキルを立ち上げる。四度目の拳よりも先に、獣のように叫びながら第二のラッシュを始める。
右で中段を斬り払い、間髪を入れずに左で突く。体ごと回転して両方の剣で水平に斬る。今度は左右の剣が交差するように斬り下ろし、刃を返して逆の軌道で斬り上げる。二刀流上位スキル、『スターバースト・ストリーム』の乱舞が、再びボスのHPを食い荒らす。
「ゴアアァァ!」
HPバーが最後の一段に入った所為か、悪魔は怯む事無く反撃してきた。その剣が、拳が襲い掛かる度に俺のHPバーも減っていく。互いに防御を捨て、己の命が尽きる前に敵を倒すというデッドヒート。本来ならスキルが強制終了されるような衝撃を受けても、意地で繋ぎ止める。目に映るのは倒すべき悪魔のみとなり、それ以外は何も見えない。やがて―――
「ガアアァァァ!!」
「ああああぁぁぁぁぁ!!」
―――互いに最後の一撃が、交差した。ボスの斬馬刀は俺の背中を掠め、俺の左突きはその胸板を貫いていた。聞きなれた破砕音と共に目の前の悪魔がポリゴン片となり、長い技後硬直が解けても、俺は動けなかった。
「終わった……のか……?」
ボスを撃破した事を知らせるファンファーレの場違いな程に軽快なサウンドが響き、目の前にリザルトウィンドウが現れた頃、漸く俺は剣を下す。やや焦点の合わないままウィンドウをぼんやりと眺めた後、ふと己のHPバーを見た。
―――残り数ドット。
ほとんど空……雀の涙くらいしか残っていない自分の命がどこか他人事のように思えた。同時に酷使した脳が限界を迎えたのか、急激に全身から力が抜け、視界がブラックアウトした。
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クロト サイド
「キリト君!」
仰向けに倒れたキリトへ、アスナが悲痛な声と共に駆け寄った。彼の命は風前の灯火で、死んでしまうのではないかとゾッとした。アバターがちゃんと残っているので生きているのは分かっているが、それでもキリトの心配をせずにはいられなかった。
オレ自身はまだ麻痺も右足の部位欠損も治っていないから身動きが取れないが、彼が一人でボスのHPを削り切る様子は目に焼き付いていた。己を省みず、全力で攻め続けたキリトはとても強く、別次元の力を持っていると思えた。だがそれと同時に、非常に脆く、今にも消えてしまいそうなほど儚くも見えたのだ。アスナに続いてハルも駆け寄って呼びかける様子を見ながら、もしキリトの意識が戻らなかったら?という不安を抱いてしまう。
(……畜生……!)
サクラに助け起こされ、解毒ポーションとハイポーションを飲む。だがその間も、肝心な時に全く助けられなかった後悔が燻り続けた。
「……クロト」
すぐ側から発せられた、か細い声。ハッとしてそちらに目を向けると、サクラが目に涙を溜めていた。
「……ごめん」
今更ながら、オレも死にかけた事を思い出した。身動きが取れないまま、死が迫ってくる恐怖が再び身を包む。特に足を千切られた時の感覚は、言葉にできない悍ましいものだった。いくら仮想世界だと言っても、体の一部を失うのはもう御免だ。
本当は今すぐにでもサクラに縋りたい。だが麻痺が治るまでにはまだ時間がかかるし……怖い思いをさせてしまった彼女に、これ以上負担をかけたくなかった。今朝からずっと頼りっぱなしなのだから、こんなの情けなさ過ぎ―――
「クロトぉ……!」
「わぷ!?」
―――サクラにより強く抱きしめられた。同時にオレは、彼女が震えている事に漸く気づいた。オレがサクラを失う事を何よりも恐れている様に、彼女もまたオレの死を恐れている。そんな分かり切っている筈の事すら気づけずにサクラを泣かせてしまった自分が嫌になる。
だが体は現金なもので、彼女の温もりを求めて腕を伸ばす。麻痺状態故に非常に緩慢な動きでサクラを抱きしめ返し、彼女に身を委ねる。
情けないとかみっともないとか、そう言った感情はいつの間にか消えていた。それほどまでに彼女の温もりは心地良く、死の恐怖に晒された心に安らぎをくれた。
「……もう、大丈夫だサクラ」
「……うん」
麻痺も部位欠損も回復したところで身を離す。本当はまだしばらくそのままでいたかったが、いつまでも甘えている訳にはいかない。頬に触れながら何とか笑いかけると、やっとサクラは安心したように微笑んでくれた。
「―――軍の連中の回復は済ませたが…コーバッツとあと二人……死んだ」
サクラと手をつないでキリト達の方へ歩み寄ると、丁度クラインが表情を歪ませて今回の被害を彼等に教えていた。結晶無効化エリアだと分かった時からすぐに察する事はできていたが、こうして教えてもらうと遣る瀬無い気持ちが沸き上がってくるのが抑えられなかった。
「……そうか。ボス戦で犠牲者が出たのは……六十七層以来だな…………」
既に意識が戻って起き上がっていたキリトが、気怠そうにそう答える。ポーションを使用したらしくHPは徐々に回復している最中で、両側からアスナとハルに抱き着かれていた。
「あんなんが攻略って言えるかよ……」
「あのバカ野郎が…………死んじまったら何にもなんねぇだろうが……!」
吐き捨てる様にオレが言うと、クラインも我慢できなかったのかそう零した。
彼我の戦力差を測り損ね、その後も撤退しようとしなかったコーバッツ。その行動は愚かとしか言いようがないが、彼には彼なりに譲れない何かがあったのだろう。でなければ最前線の迷宮区で、死者を出すことなくボス部屋までたどり着く程の能力が身に着くはずがない。それが下層を中心に活動している軍出身ならなおさらだ。だがそれも、’生きていれば’の話である。どれほどレベルを上げ、スキルを磨き、装備を整えて力をつけても、死ねばそこで終わりだ。だからこそ、死者を出す事は絶対に避けなければならなかったのに……
「……」
繋いだサクラの手に、力が籠った。オレはその手を握り返しながらも左手を添えて、できるだけ優しく包んだ。どれだけ効果があるかはよく分からないが、何もしないよりはずっとマシだと思えた。
「―――そりゃそうとオメェ何だよさっきのは!?」
「……言わなきゃ、ダメか……?」
「あたぼうよ!見た事ねぇぞあんなの!」
重苦しい空気を払拭するようにクラインは声を上げ、キリトは面倒くさそうな表情を浮かべる。だがしかし、一部を除いた全員が彼の言葉を待っていて、部屋にはさっきとは別の意味で沈黙が訪れた。
「……エクストラスキルだよ。二刀流」
少しして観念したようにため息をついてから、相棒は己のみが持つであろうスキル―――二刀流について口を開いた。人の口に戸は立てられぬという諺があるとおり、第三者に目撃された以上はもう隠す事は不可能だった。
「しゅ、出現条件は?」
「解ってたらとっくに公開してるさ……けどさっぱり心当たりが無いんだよなぁ……」
「強いて言うなら、オレの射撃と同じ時に出現したぐらいだな」
どよめきの中で聞いてくるクラインに、こちらも解っている事については説明した。とはいえ判明している事などたかが知れているので、彼等が満足できる程の情報を伝えられたのかは分からない。
「ったく水臭ぇなぁオメェら……二人してすげぇウラワザ持ってんのに黙ってたなんてよぉ」
「言ったろ、心当たりが無いって……それに、こんなレアスキル持ってるのがバレたらしつこく聞かれたり、その……色々あるだろ、コイツの時みたいにさ」
そう言ってキリトはオレに目を向ける。オレの射撃スキルがバレた時はラフコフ討伐戦で、その後も色々とゴタゴタした結果もあってかなり目立ってしまった。まぁ、サクラと交際を始めたのも目立った事に拍車をかけた為、純粋にスキルについて騒がれた訳では無かったが……それでも情報屋に追いかけられたり、他のプレイヤー達から睨まれたりとか色々あったのも事実だった。
「そういやそうだったな。おれは人間できてっからともかく、妬み嫉みはそりゃあるだろうなぁ……」
クラインの言葉に、風林火山のメンバー全員が頷いた。彼等だって聖人君子では無いのだから多少は嫉妬している筈だろうが、オレ達を敵視するような事は全く無かった。それを思い出したオレは、ここにいるのが彼等でよかったと安堵した。
「……うし!お前等、本部まで戻れるか?」
「は、はい。あの……ありがとうございました」
「おう、もう二度とこんな事しねぇように上の連中にはしっかり報告しとけよ?」
気づくと彼は、部屋の外に退避させていた軍のメンバーの元にいた。クラインと二言三言話した後、彼等はオレ達に頭を下げては転移結晶でテレポートしていった。
(……感謝される筋合いなんざ、オレには無いんだけどな…………)
オレがボスと戦うのを選んだのは、先に飛び出した仲間達を死なせたくなかったからだ。アスナやキリトが飛び出さなければ、オレは彼等を見殺しにしていただろう。だから恨まれこそすれ、感謝される筋合いは無いのだ。
「―――おれ達はこのまま七十五層のアクティベートに行くが、オメェらはどうする?一緒に来るか?」
「いや、任せるよ……俺はもうヘトヘトだ」
「そうか……気ぃつけて帰れよ」
「クラインも、上で初見のmobにやられんなよ?」
「んなアホな事すっかよ」
ニヤリとサムズアップしながら、クラインは仲間と共に上層へと延びる階段へ歩き出した。ぼんやりとその背を見ていると、急に彼は立ち止まった。
「キリト、クロト……」
「何だよ?」
「あのな……理由はどうあれ、オメェらが軍の連中を……他人を助けようとした時な…………おれ、すげぇ嬉しかったんだよ。そんだけだ、またな」
振り返る事なくそう言った彼は、オレ達が何かを言う前にさっさと歩きだしてしまった。いまいちクラインの発言の意図が分からず、オレは首を傾げるばかりだったが……それでも一つだけ、確かな事があった。
彼が言葉の合間に顔を拭った腕から飛んだ光る滴。それが見間違いでは無いという事だ。
(泣いてくれた……んだよな?オレ達の為に……)
相変わらずなお人好しっぷりだ。こんなオレ達の事を気にしてくれる彼の優しさは、二年前からずっと変わらない。あとは女性にがっつく所さえ無ければ、文句なしなんだが……
「なあ、二人共……そろそろ」
「ダメだよキリト。心配してくれているんだから、まだそのままでいなきゃ」
サクラが幼子を優しく叱るように言うと、キリトは大人しく引き下がった。
「……怖かった」
「アスナ……?」
少しして、アスナが今まで聞いた事が無いほどにか細い声を発した。
「クロト君が言った通り……私の所為でキリト君が死んじゃったらどうしようって……」
「……そんな簡単には、死なないさ。それに……」
穏やかな声と共に、キリトはアスナの肩に触れる。その後少しだけ迷ってから、彼は口を開いた。
「俺が突っ込んだのは、俺自身が決めた事なんだ。アスナの所為なんかじゃない。だから………だから、そんなに思い詰めないでくれ」
「…………うん」
小さく頷いた彼女は、より一層強くキリトに抱き着いた。無理も無い。『スターバースト・ストリーム』のライトエフェクトは、星屑の煌きを思わせる儚いもので、そう遠くない内に彼が命を散らしてしまう事を暗示しているようで……オレは嫌いだった。
きっとアスナも、ボスと正面から命の削り合いをした時のキリトが今にも消えてしまいそうだと思った筈だ。だからこそ触れ合って、その温もりを感じていなければ不安に押しつぶされてしまうのだろう。
「私……しばらくギルド休む」
「や、休んでどうするんだよ?」
「……君とパーティー組んで、一緒にいる」
「……!」
アスナの言葉に、彼は息を飲んだ。次いでその顔に浮かんだのは、驚愕と―――葛藤だった。ハルやオレの事を先に考え、自分の事を蔑ろにしていく内に、きっと彼は自分の心の声が聞こえなくなったのだろう。少し前にオレが思い知ったように。だから今、家族以外の誰かの心を求める自分に気づいて……迷っている。
だから今度は、オレが彼の背中を押そう。それがオレとサクラの心を繋がせてくれた恩返しになると思うから。
「キリト」
呼びかけに反応した彼に向って、頷いて見せる。するとキリトは目を見開き、顔を逸らす。
「ほら、男ならちゃんと答えてやれよ」
「……」
再度促すと、彼は長い沈黙の後に、漸く口を開いた。
「…………解ったよ、アスナ」
長い栗色の髪が、僅かに揺れた。
リアルが忙しくて中々時間が取れない中、少しずつ進めているんですが……不自然な所とかあったら教えてください。仕事とかもそうですけど、指摘されるまで自分達では気づけない事って結構あるので……