長らく愛用していたPCがぶっ壊れまして、新調するのに手間取りました……
キリト サイド
―――走る。走る。全力で走り続ける。
(クソッ!まんまとしてやられた!)
橋でペイルライダーを殺した死銃をシノンと共に追いかけ、都市廃墟エリアに向かったまではよかった。そこからサテライト・スキャンで銃士Xが死銃だと思い込んでしまい、挟撃するためシノンと別れてしまったのが失敗だった。
何故なら会敵した銃士Xは女……俺達が探していたぼろマントとは全くの別人だったからだ。読み間違えたと悟った瞬間、猛烈に嫌な予感がした俺は直感に従って強引な速攻で銃士Xを斬り伏せシノンの元へと急行。ぼろマントが彼女を拳銃で撃つのを何とか阻止し、その場からシノンを抱えて逃走しているところだ。
―――追撃の弾丸が、頬から数センチ横を飛翔する。
どうやら簡単には逃がしてくれないようだ。恐らく向こうはも拳銃とは別の銃……ペイルライダーを足止めするときに使っていたライフルでこちらを狙っているのだろう。仮にあのスタン弾だった場合、食らってしまえば俺は動けなくなり、シノンが殺されてしまう。いや、実弾でもかなりの痛手になる。最悪俺のHPが全損する事態もあり得る。狙われないように何度も道を曲がっているが、それもきっと長くはもたないだろう。
(クロトとの合流を優先するべきだった!)
スキャン時に都市エリアの一角で、数多の灰色の光点に囲まれていた相棒の事を思い出す。あの時はアイツも銃士X目指して移動するものだとばかり思っていたが、よくよく考えればクロトの消耗も激しい筈。きっと何らかの理由で動けなかったかもしれない。
(ペイルライダーが殺されるのを見て、
隣でいつも冷静な判断をしてくれていたクロトに、いつも俺は頼りっぱなしだったと思い知らされる。何故相棒がいない状況で、簡単に
「―――もう、いいよ……置いていって……」
抱えたシノンの言葉に、そんな事できるか、と答える余裕もない。確かにシノンと彼女のライフルを抱えて重量オーバー寸前の俺よりも、ぼろマントの足の方が速い。後ろから撃たれる弾丸の精度が少しずつ上がっているのが証拠だ。そもそも曲がれる所だって数十メートル走ってやっと見つかるくらいの間隔で、向こうの射線から逃げきれているとは言えないのだ。だが、それでも―――
(―――死なせない!絶対にシノンを殺させやしない!)
GGOで出会ったこの少女を見殺しにする事だけは、絶対に嫌だった。彼女を抱える腕に一層力が籠る。目の前には大型の交差点が広がり、迷わず右側へと曲がる。
―――左足に衝撃が走る。
バランスを崩した俺は、抱えていたシノンを投げ出すように倒れてしまう。視界の端ではHPゲージの残量が四割まで減少し、左足の部位欠損を示すアイコンが表示されていた。
「逃げるんだシノン!」
「キリト……その足……!」
「いいから走れ!」
横たわるシノンに叫ぶと、俺は身を起こす。欠損したのは左足首から先で、膝をつくことはできる。幸い撃たれたのは曲がって射線から隠れる直前のタイミングだったため、向こうも同じ位置から俺達を銃撃する事は不可能だ。
ぼろマントは必ずこの交差点までやってくる。それを足止めし、何としてもシノンが逃げる時間を稼がなければ……!
「キリト……!」
「俺が足止めする!早く行くんだ!」
「でも!」
よろよろと起き上がったシノンが逃げるどころかしがみつくように俺の服を掴む。そんな彼女にやや乱暴に怒鳴ってから、俺はぼろマントを迎え撃つべく態勢を整える。
決意を固め、腰の光剣を掴もうとした時……現実世界で聞き覚えのある響くような音を聴覚がとらえた。
「これは……エンジンの音か?」
音源は俺達が逃げ込んだ道路の先。そちらへ目を向けると、昨日乗ったあの三輪バギーがこちらめがけて疾走していた。偶然近くにいたプレイヤーとぼろマントに挟撃されるという絶望的な状況に、背筋に冷たいものが走る。
一体どうすれば―――!
「キリトォォォ!」
「……お前ってヤツは」
待ち望んでいた声に、思わず笑みが零れる。ホント、最高のタイミングで来てくれるよな。
「無事か!?」
「いや、
すぐ傍でバギーを停めたクロトに手短に答える。だが相棒が乗ってきたバギーは二人乗り用で、もし彼がシノンまで構う余裕は無いと判断したら、と一抹の不安がよぎる。
「……詰めりゃ何とか乗れるか」
「え?」
「ほっとけない……いや、守りたいんだろ?そいつの事。だったら遠慮しねぇで言えよ。どうにもできねぇ時は反対すっけど、そうじゃなけりゃ……とことん付き合うさ、相棒」
「ありがとう、相棒」
クロトには、敵わない。俺の気持ちを察して、ギリギリまで何とかしようとしてくれる。無二の相棒にまた助けられたと実感しながら、彼の肩を借りてバギーに乗り込む。次にシノン、そして彼女のライフルを半ば押し込むように乗せたクロトが、バギーの運転席に乗り込んだ。
「しっかり掴まってろよ、お前ら!」
「分かってるって」
エンジンが唸りを上げると、幅の広い道路をUターンしてバギーが走り出す。自分の足で駆けるよりもずっと速く景色が流れていくが、無理矢理三人で乗っている所為か、昨日に比べて明らかに遅い。
「乗り物なんて、よく見つけたな!」
「もうちょい先で馬と一緒に並んでた!」
吹き付ける風に負けないように大声で尋ねると、クロトは振り返らずに答える。ほどなくして左前方に「Rent-A-Buggy&Horse」の看板が見えてきた。その先にはバギーや機械の馬が並んでいて、一か所だけポッカリと空いた空間に、このバギーも置いてあったのだろう。通り過ぎた際に一つだけ無事な機械馬がいる事に気づいたが、今時馬に乗れるゲーマーなんていやしないだろう。
「それで、何処に行く気なんだ!?」
「北の砂漠だ!そこの洞窟ならスキャンでも見つからねぇからな!」
「分かった!」
やや荒いクロトの運転に揺られながらも、一時的な安全を得られた事に安堵する。
(それにしても……シノン、やけに静かだな)
僅かながらも余裕ができた事で、漸くシノンの変調に頭を回す事ができた。死銃に襲われてからはやけに萎らしく、まるで借りてきた猫のようだ。いや、もう少しでぼろマントのあの拳銃に……殺されそうになったのだから、普通なのかもしれない。
しかしそんな彼女にどう声をかけようかという俺の逡巡を遮るように、突如として車体が大きく揺れる。
「うおっと!?」
「おい、もっと気を付けてくれ!落ちたらどうする気だよ!?」
「悪い!クソっ、ホントに悪趣味な配置だぜ……!」
彼の悪態につられて前に目を向けると、一直線に伸びるハイウェイには嫌がらせのように廃車や瓦礫が配置されている事に気づいた。加えて所々に砂が積もっていて、そこを通過する度一時的にタイヤからグリップ力が奪われ車体が揺れる。
確かにこんな悪意を感じるレベルで障害物が配置された道を安全運転で走ってくれ、なんて言うのは中々難しい。それにあのぼろマントだって走る車両に追いつける速度なんて出せる筈が無いのだから、もう少しバギーの速度を下げてもいいかもしれない。大人しいシノンが落ちないように支えながら相棒に提案しようとして―――唐突に背筋に悪寒が走った。弾かれるように後ろを振り返り、戦慄する。
「キリト……?」
「ウソだろ……クロト!追ってきたぞ!!」
俺達のずっと後方、それこそ目を凝らしてやっと見える程小さいけど。それでも何とか気づけたのは僥倖だった。
ぼろマントがあの機械馬に乗って追いかけてきていたのだ。
「はあ!?見えねぇぞ!?」
「まだ遠いだけだ!アイツ馬に乗りやがったんだ!」
「はああ!?文字通りのじゃじゃ馬で有名なんだぞ!それに乗ってきたとか何の冗談だ!!」
クロトが苦労して避けてきた障害物達を、ヤツが乗る機械馬はいとも容易くよけたり飛び越えたりしながら、ドンドン距離を詰めてくる。相棒も事故を起こさないギリギリまでバギーの速度を引き上げてくれたが、焼け石に水だった。同じ二人乗りのマシンで、一方は強引に三人が乗り、もう一方は一人だけ。速度に差が生じるのは明白だ。それに障害物を避ける度に
「っ!……ぁ、あぁ……」
「シノン!?しっかりしろ!」
隣で同じく振り返っていた少女が息を呑む。その表情はかつてない程の恐怖に染まり、縋るように俺に触れた手は震えていた。
(やっぱりシノンの様子がおかしい!)
原因は間違いなくあのぼろマント……
シノンから
―――次はおれが、馬でお前らを、追い回してやる。
仮面の奥で赤く光る目を直視した時。記憶の奥底から、ドス黒い何かが蝕むように滲み出す。SAOのどこかで、確かにアイツにそう言われた。だが、それはいつ、何処で言われた?どうしてそうなった?
(
聞こえる筈のない、しゅうしゅうと仮面を鳴らすヤツの声が頭に響き、記憶を引っ掻いていく。忌まわしい悪夢として封じ込め、忘れたつもりでいたラフィン・コフィンとの殺し合い。その中からにじみ出た光景たちが脳裏にフラッシュバックしては消えていく。向き合い、ケリをつけるのだと昨日決意した筈なのに……やめろ、思い出すなとどこかで叫ぶ自分がいる。記憶を呼び起こしてしまったら、俺が俺でなくなってしまう……そんな確信めいた予感がこびりついて剥がれない。
「いや…来ないで……」
かすれた囁きにハッとする。深紅の光線が視界を踊る。その先にあるのは―――
「シノン!!」
―――考えるよりも先に、体が動いていた。光剣を引き抜き、その刀身を弾道予測線に割り込ませる。無事な右足と左手でリアシート上に起こした体を支え、銃弾を防いだ光剣を構える。
「嫌あああぁぁぁ!!」
けれど飛び散った弾丸のポリゴン片が眼前を横切った瞬間、狙われたシノンがかつてない程の悲鳴を上げた。二発目の弾丸がバギーのリアフェンダーに命中する。悪い事が重なるように、砂埃を踏んだらしい車体が一際大きく揺れ、俺の方へと倒れ込んだ彼女が縋りついてくる。
「やだよ……助けて……」
―――わたし、死ぬの怖い
―――繰り返すのか?
伸ばした手の先で、微笑みながら砕け散った彼女の姿が脳裏をよぎる。
―――また、見ているだけなのか?ラフコフが人殺しを重ねていくさまを。
焼け残った写真のように朧げな、討伐戦の光景が……誰かの手によって弟が砕け散った瞬間が蘇る。
(できるのか……取りこぼし続けた、俺なんかに……?)
体が竦む。歯の根が合わない。カラカラに乾いた喉からは言葉にならない音が漏れるだけで、いつしか俺は
這い上がる寒気に、挫けそうになる。
「キリト!とにかく防げ!!シノン!テメェのライフルで撃ち返せ!!」
意識を閉ざしかけていた殻を叩き壊す相棒の声。だがその内容にギョッとした俺は思わず振り返って叫んだ。
「バカ言うな!今のシノンは戦えないんだぞ!」
「ンな事知るか!このまま追いつかれて殺されるぞ!立てねぇヤツ庇って戦う余裕は無いんだよ!!」
「それでも俺は!」
「だったら何とかしろ!!お前ならできるだろ!!」
一見すればシノンを切り捨て、できないなら俺に何とかしろと好き勝手な言葉だが、一瞬向けられた彼の眼差しに宿っていたのは全幅の信頼だった、相棒の言葉に込められた意味を悟った瞬間、冷え切っていた胸の内に火が灯る。厳しくも、こんな俺を迷わず信じてくれた彼の想いを、裏切りたくない!
(今は、俺が俺を信じられなくても……相棒が信じてくれる
そうだ……今度こそ、俺は―――!
三度飛来する弾丸を斬り飛ばす。そして怯え続けるシノンに向けて、力いっぱい叫ぶ。
「大丈夫だシノン!君は…君は死なない!」
「え……?」
呆然と顔を上げてくれた彼女から目を逸らさず、自分に誓うように俺は告げる。
「君は、俺が守るから!」
守れなかった人たちが死んだ瞬間が、容赦なく心に突き刺さっていく。それでも、今目の前にいる人を守りたい、助けになりたいと願うこの想いは、決して間違いじゃない筈だ。
「まも、る……?」
「ああ。
もう繰り返させない。その決意と共に、俺はシノンへと頷いた。彼女の瞳に小さくとも確かな光が宿ったのを確認し、視線を後方の
「シノン。一度だけでいい、君の力を―――そのライフルを貸してくれ。アイツは、俺が撃つ」
先程までの弱気な自分は何だったのかと思いたくなるほど、今の俺から震えや寒気はなくなっていた。無論
共に戦ってくれる者がいる限り、俺は何度だって立ち上がれる。目の前で苦しむ誰かを守りたい、助けになりたいと願う心のままに手を伸ばし続けられる。
「……へカートは、私の分身……私以外の、誰にも扱えない……!」
「シノン……!」
うわ言のようにシノンが零す言葉たち。それらは彼女の中に残ったほんの小さなプライドの一かけらなのかもしれない。それでも今の彼女の支えである事は、ゆっくりと銃を構える様子からも明らかだった。
シノンもまだ、折れていなかった。こんなに苦しい時であっても、自らの意思で戦う事を選ぶ強さを彼女は持っている。シノンが弱弱しくグリップを握り、引き金に指をかけようとしたその瞬間、
「っ……!」
少女の華奢な肩が目に見えて跳ね、喘ぐように呼吸が早まっていく。
「私……もう、戦えない……」
掠れたシノンの声が耳朶に届く。なけなしの闘志すら砕かれた彼女の手が、構えた銃から離れようとする。
「いいや、戦えるよ」
光剣を左手に持ち替え、シノンに覆い被さった俺は彼女の小さな手に自分の右手を重ね、離れかけていた銃のグリップを握らせる。折れる寸前の彼女の心を支えながら、あの拳銃から命を守るにはこれしか思いつかなかった。
今の彼女から銃を拝借し、俺が撃ってしまえば……きっとシノンは二度と立ち上がれなくなってしまう。
(命だけじゃダメなんだ……彼女がまた自分で立てるように……その心まで、守るんだ……!)
「大丈夫、俺が守る」
優しく言い聞かせるように耳元で囁くと、少しだけ彼女の震えが小さくなる。
「ヤツにこの銃を向けたのは……戦うと決めたのは、君自身だ。君の中にある譲れないモノは、あんな奴に絶対負けない筈だ」
「私が……戦うと、決めた……」
「ああ。君なら撃てる」
独りでも立ち上がろうとした、俺には無い強さを持っている君なら。俺は少し手を貸すだけだ。氷のように冷え切っていたシノンの手が僅かに熱を取り戻し、指先が動き出す。
「……だめ……こんなに揺れてたら、狙えないっ……!」
「心配ないよ。じきにチャンスがくる」
焦るシノンを落ち着かせるべく、穏やかに告げる。彼女は気づいているだろうか?いつしかバギーが蛇行していない事に。そして
「相棒!」
「五秒後!跳ぶぞ!」
お前が探す本物の
「二、一、今!」
背後から響く親友の掛け声にあわせて、俺達を乗せたバギーが跳躍した。眼下には踏み台にした廃車が映る。撃ち返せと指示した瞬間から、クロトならば何らかの方法でチャンスを作ってくれると信じていたが、大分荒っぽい方法だ。
(でも、
相棒は行動で応えてくれた。次は俺達の番だ。
「シノン!」
「っ!」
細い少女の指が、