クロト サイド
爆魂を下し、再び待機エリアに戻ってきたオレは、訝しむ周囲のプレイヤー達を無視してキリトの姿を探す。しかし彼を見つけたのは中継映像の中……つまり声の届かぬバトルフィールドだった。そのまま幾何もしないうちにオレも次の試合になり……すれ違ってばかりだ。
―――邪魔するな……!
そんな苛立ちをぶつけるように、音声で相手の居場所を特定後は最低限致命弾を避けるのみの三次元機動で突撃し、近距離でのフルオート射撃で撃ち抜くという強引な手段で勝ち進んでいく。合間で見た相棒の姿はまさに鬼気迫る勢いで、先程の怯えた姿と合わさり、まるで何かを振り切ろうと独りでもがいているようにしか見えない。
結局オレ達が再び待機エリアで顔を合わせる事ができたのは、互いに決勝戦まで勝ち進んだ後だった。
「―――キリト!」
「あぁ……クロトか……お前が、ここにいるって事は……お互いに明日の本戦には出られるって訳だな……」
戦闘中の荒々しさは鳴りを潜め、力無く薄い笑みを浮かべる相棒。その姿は今にも砕けそうに脆く、儚い。
―――ダメだよ、君が……君達がこんな所に残ってたら。ちゃんと……
アインクラッドから解放される直前の彼の言葉が、あの夕陽に溶けてしまいそうな半ば透けた姿が、微笑みが脳裏に蘇る。
「一体……何があった?」
シートに座り込む相棒の両肩に手を置き、目線を合わせるように正面にしゃがむ。
「……悪い、少し……待ってくれ」
オレの右手に冷たい手を乗せ、深呼吸する相棒。彼が話そうとするまで根気よく待つと、しばらくしてその唇が動き出した。
「
「そうか」
彼が告げたのは、それだけだった。けれど重ねられた手の震えから、キリトの様子がおかしくなった原因がその
(
僅かな時間でキリトの心をここまで憔悴させた
「よく頑張ったな」
「え……?」
少女然としたその顔にあったのは、困惑と僅かな安堵の色。
「お前は独りじゃない。もう、独りだけで背負わなくていいんだ」
「あ……お、俺……また……」
「無理すんなって。詳しい話は後でいい。次の試合までは、こうしているからさ」
「……あり、がとう……」
幾分か安堵の色合いが増した相棒に頷いて見せると、彼の華奢な肩から力が抜けていくのが感じられた。
「次の相手はシノンだな。真剣勝負の約束、してただろ?」
「ああ、そうだったな……最後の勝負、頑張ってみるよ」
怯えの色はまだ残っているものの、その瞳にはしっかりと光が戻っていた。この様子なら、きっと大丈夫だ。そうホッとしたのも束の間で、お互いの体が光り出す。どうやら決勝の相手が決まったようだ。
「行ってこい、
「お前もな、
眩い輝きに吞まれていく視界の中で最後に見えたのは……器用に片頬を釣り上げる、いつものニヤリとした笑みだった。
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シノン サイド
準決勝の相手であるスティンガーをハンヴィーのガラスごと撃ち抜いた後、表示された決勝の相手を見て……私の胸中にあったのは’やっぱりか’という感情だった。フルオート射撃を光剣で防御する等という、字面だけ見ればバカとしか言いようのない事を平然とやりとげ、次々とトーナメントを勝ち上がっていく彼ならば……ここまで勝ち上がって来てもおかしくはないと思っていたから。
(ここで
あの忌まわしい記憶を乗り越える為の強さが、手に入るかもしれない。あの二人の強さは、他の連中とは何処か違う……別種の力を感じるから。そんな真偽のあやふやな直感を信じて。
短い浮遊感を経て、転送されたフィールドを確認するべく周囲に視線を巡らせる。正面から赤みがかった光を注ぐ夕陽に照らされた、一直線のハイウェイ。その路上には大小様々な車両が存在し、キリトがいるであろう反対側まで見通す事はできない。
けれどこのフィールドは今私が立っている高速道路から降りる事ができない為、実質細長い一本道になっている。中には大型車両もある筈で、そこに陣取る事ができれば私達スナイパーには有利だ。
(……あった!)
前方には誂えたかのように大型の観光バスが投棄されており、半開きになったドアから車内の二階へと駆けこむ。フロントガラスも健在。これならスコープレンズの反射光が見つかる事も無い。
(勝てる……!最初の一撃で……必ず殺す!)
望む限り最高峰の狙撃ポイントで、素早く伏射姿勢をとった私はキリトの姿を探すべくスコープレンズを覗き込んだ。だけど向こうも私の狙撃を警戒している筈で、そう易々と姿を晒すとは思えなかった。それは私も織り込み済みで、今までそうしてきたようにチャンスを待ち続ける。
彼に勝利する事をかつてない程に渇望する自分に少々驚き、私の胸の中で名状し難い感情が頭をもたげる。何故他の誰でもなく、今日出会ったばかりの彼にそこまで拘るのか。
(哀れみ?同情?それとも、共感……?)
ヘカートⅡを握る手から、僅かな時間力が抜ける。この期に及んで、私はアイツを倒すべき敵と認識しきれていないの……?
(いいや違う!私の傷を……あの忌まわしい罪を受けとめてくれる人なんかいない!分かってくれる人なんか……いる筈がない……!ましてやあんな……隣で支えてくれる人なんて……)
脳裏に蘇るのは、シートでガタガタと震え、小突いた私の手を縋るように掴んできたキリト。そしてそうなる前の……手を握って背中をさすり、何度も彼に呼びかけるクロトの姿。
あの光景が、気を抜いた瞬間に何度も何度もフラッシュバックする。まるで私の心が、記憶に焼き付けんとするかのように。
(羨ましい……?寄り添ってくれる人が欲しいって……
それこそ甘えだ……!もう何度も裏切られてきた筈なのに。自分には決して手に入れられないモノだと、とうの昔に諦めた筈なのに―――!
唇を噛み締め、
「な……!?」
一瞬、
(私の狙撃なんて、いつでも躱せるって事……!?)
沸き上がる激情のままにスコープの倍率を上げ、彼の詳細を確かめる。顔は俯いてこそいないが、とても周囲を警戒しているようには見えない。その足は一歩、また一歩と踏みしめるようにゆっくりと進み、だらりと下がった右手にはスイッチの入っていない光剣の柄が握られていた。その姿から、アイツがこの勝負なんてどうでもいい、と考えているのだと判断して……激情が怒りの色に染まった。
「ふ……ふざ……!」
ふざけるな。その怒りのままに
(嘘……気づかれた!?そんなまさか……!)
キリトの視界に
(まさか……あの時と同じなの……?クロトも、アンタも……私の気配が分かったっていうの……?)
システムを超越して、見えぬ相手の存在を感じ取る。そんな信じ難い出来事が目の前で起こっていると知覚した瞬間、私の怒りは冷水を浴びせられたかのように冷めていく。
スコープレンズ越しに見えるキリトの双眸には静かな闘気が揺らめいていて、それを見て漸く理解できた。彼は私との勝負を投げ出してなんかいない―――その逆だった。ただ歩いていたのは、システムに頼らず私という存在を探し出す事に集中する為。隠れなかったのは、私の闘志や殺気を正面から受け止める為……!
(なら……ならもし、ここでキリトに勝てれば……私は絶対に強くなれる……!今度こそ、乗り越えられる……!)
やはり彼は、私には無い強さを持っている。本当に私に気付いているというのなら―――
(この一射、凌いで見せろ……!)
昂る心とは裏腹に思考はクリアになり、
(―――勝負よ、キリト!)
―――一閃。轟音。
撃ち砕いたフロントガラスの破片が舞う視界を、一条の閃光が鮮烈に彩った。夕日を浴びて煌くガラス片の向こうには、光剣を振り切った姿勢で地を踏みしめる、キリトの姿。
(あり得ない!)
躱したのならまだ理解できる。この距離ではもう躱せない速度だったとしても……それでも躱したのならまだ理解できる!それをアイツは、斬ってみせた!?撃たれるタイミングも、狙われている場所も分からないあの状況で!?
「……!」
一瞬、彼と目が合った。届かないと分かっていてなお、その剣が鼻先に突き付けられたと錯覚する程に鋭く真っ直ぐな視線に射抜かれる。
「っ!」
負けたくない。負けるものか……まだ、終わっていない!その思いでボルトハンドルを引き、次弾を装填。排出された空薬莢がたてる音など既に聞こえない。疾風の如く駆けてくる黒衣の光剣使いに向けて、もう一度発射。
―――再び一閃。
胴へ向けて放たれた五十口径弾はまたしても両断され、届かない。
(いいえ、まだよ……!)
淀みなく三発目を装填する。直接当てられなくても、ヘカートⅡなら―――!
彼の進路上で投棄されている廃車の中から直感で、横転した乗用車に目星をつけると、キリトがその傍を通るタイミングで狙いを定める。直接照準されなかった事に、一瞬だけ黒衣の剣士の動きが鈍る。その瞬間を見逃さず、
今日
(当たりか……ハズレか……!)
穿たれたタンクから、小さな火がちらりと見えた。つまり当たりだ!
(―――次!)
直撃コースでない事を訝しみ、銃弾を斬り捨てなかったキリト。彼も僅かに覗いた火に気づいたらしく、車両から離れるべく無理矢理に横方向へ跳躍する。ヘカートⅡの銃弾すら斬り裂いた剣士の目と瞬発力は凄まじいの一言に尽きるけれど、私だってこれだけで倒せるとは微塵も思っていない。彼の勢いを削げればそれで充分。
最高潮に高まった集中力を維持し、最速で四発目を装填。狙うのは跳躍した光剣使いが着地する、無防備な一瞬。
(―――獲った!)
無理な姿勢で跳んだキリトは、右半身が下になっている。横向きの体が着地する瞬間は右腕……つまり防御の要である剣を満足に振れない状態に陥っているのだ。今度こそ、
―――その、筈だった。
目を疑った。タイミングは完璧だった。絶対に撃ち抜くと確信して放った一撃だった。それなのに……アイツは……!
(左!?空中で持ち替えたって言うの!?いつの間に!)
左手に持ち替えていた光剣で、斬ってみせた。今までの振る舞いや仕草から、右利きだと判断していた彼が。驚愕から立ち直るまでの約三秒間、私の手は完全に止まってしまう。
しかしキリトの方も無傷ではなかった。着地を考えず、ヘカートⅡの弾丸を防御する事に専念していた為、すぐさま起き上がれる状態ではなかったのだ。加えて斬られた銃弾の片割れは地面と衝突し、抉られたアスファルトの破片によって、光剣使いの体に無数のダメージエフェクトが刻まれている。
(止まっている場合じゃないでしょ!アイツだって無敵じゃない!起き上がる前なら……!)
今からでは間に合うかどうか分からない。でも……それでもチャンスを逃したくない。五発目を装填―――間に合え……!
―――放たれた弾丸が、黒衣の剣士のすぐ脇の廃車を穿つ。
すぐ側を通り過ぎた五十口径の銃弾の風圧によろめきながらも、キリトが立ち上がる。その姿を見て、焦りすぎた自分への苛立ちから歯を食いしばる。
(来る―――速い!)
六発目を装填している間に、再び光剣使いは駆け出す。一陣の黒い風となって迫ってくる彼との距離は、既に二百メートルを切っている。
(どうする?弾はあと二発……直接狙っても斬られるだけ……!)
もう一度車両を爆破させる?いいえ、そんな博打が何度も当たる保証は無い。何より車両を狙った時点でキリトにバレる。
地面に撃って足を止めさせる?いいえ、破片だけで彼を倒すにはダメージが足りない。そしてこれも
(勝てない……?)
打つ手が見つからない。ほんの少し前に抱いていた勝算は跡形もなく崩れ、もう敗北の未来しか見えない。けれども……!
「負けたく……ないっ!」
けれども、勝利を諦めるのは嫌だった。あと二発の弾丸で、何ができるのか。必死に思考を巡らせ、姿の見えない勝利への道筋を模索する。
時間は敵。こうしている間にもキリトは刻一刻と迫って来ていて、接近された
(待って……今の、キリトも同じ考え……?)
ここに来るまでの間、彼は何度も銃弾の雨を光剣と拳銃で潜り抜け、斬り捨ててきた。その時の試合の中で、十数メートルまで接近した光剣使いが手痛い反撃を貰った事は一切無い。だって皆、その前に弾倉内の弾丸は撃ちきっていた。
誰も彼もが、キリト相手に「わざと近づいてから撃つ」という事をしていなかった。なら今の彼に、そうした駆け引きへの警戒は大分下がっている筈。
(……できる。私のステータスと、ヘカートⅡの性能なら……!)
彼が斬りかかり、それでいてまだ剣の届かない距離―――十メートル以内であれば、システム的に
意を決してバスから飛び出すと、手近な廃車の影に潜む。程なく彼の足音が聞こえてくるが、逸る心を抑えて息を潜める。
(……今!)
視界を塗りつぶすマズルフラッシュの向こうで、一筋の軌跡が奔った。それが何なのかを知覚した時には、本能的に左手が腰のグロック18cを掴んでいた。
けれどそれを引き抜くよりも先に、眩い光刃が眼前に迫る。斬られる、そう思った筈の刃は、どういう訳か私の目の前―――喉元で見えない壁にぶつかったかの様にピタリと静止した。
(どう、して……?)
何故私はまだ斬られていないのか。既に倒れている筈の体が、何故そうなる途中の仰け反った状態で止まっているのか。今の状況に困惑し、時が止まったかのように四肢は動かない。
鈍く唸る光刃越しに漆黒の瞳と暫く見つめ合ったままでいると、ふいにキリトが顔を逸らした。そのまま堪えていた何かを吐き出すように、静かに大きく息を吐いた。それが合図だったかの様に、固まっていた唇は言葉を紡ぎ出す。
「今の、何で……狙いが分かったの?」
僅か十メートルという近距離で放った最後の一射。予測線と実射のタイムラグなどゼロに等しく、照準を予測する事なんて不可能な筈だったのに……彼は斬ってみせた。あの時私は胴体ではなく、左脚―――体の末端部を狙ったのに、だ。
「スコープレンズ越しに、君の目が見えた」
静かに告げられた言葉に、かつてない衝撃を受けた。あの一瞬だけで目、つまり視線を辿って照準を見切ったのだと。
「なら……最初の銃弾は……?あの距離でも、見えたっていうの……?」
何らかの方法、それもシステムに頼らないもので私の存在を察知していた事は、理屈を飛び越えて確信があった。けれどあの時はまだシステム上私を視認できていない筈で、
「勘……としか言えないかな。それで君が納得してくれるとは、思わないけど……他に言い表せる言葉が、見つからないんだ……」
いわゆる第六感。普段なら信じられないあやふやなそれも、彼の強さの一部であるなら不思議と納得できた。
―――強い。
VRゲームの枠を越えて、純粋にそう感じる。私には無い力……強さを、キリトは確かに持っているんだ。
「それほどの強さがありながら、貴方は何に怯えていたの……?」
一回戦を終えた時の、今とはかけ離れたあの姿と、こうして目の前にいる彼がどうしても結びつかない。一体何に、どうして彼は怯えていたのか。
「いいや。俺は……俺の心は、強くなんかない……これは全部、過去に手にした技術に過ぎない」
ゆっくりと首を振る彼は、何かを押し殺したような声で、淡々と告げる。だけどそれは私が望んだ答えではなくて。
「心……技術……?嘘よ。そんな言葉で誤魔化さないで……!私は……私にはそれが……貴方のような強さが必要なの!」
目の前の光刃の存在すら忘れ、キリトに問い詰める。やっと見つけた強さが、ただただ欲しい一心で。
「貴方は知っている筈よ、どうすれば強くなれるのか……どうすればその強さを手に入れられるのか……それを知る為に、私は……!」
「なら君は、自分や他人の命を選び、斬り捨てる事ができるのか?斬り捨てた誰かが死ぬと分かっていて、そうしなければ自分や大切な人が殺されるとしても……それでも君は選べるのか?」
「え……?」
命を選び、斬り捨てる。その言葉があの忌まわしい記憶を刺激し、掠れた声が零れる。彼は私の過去を……罪を、知っているの……?
「……最初はできなくて……家族を奪われかけた憎悪のままに斬り捨てて、壊れそうになった……二度目は選んで……でも結局、後悔と罪の意識に苛まれたよ」
眼前の光刃が、キリトの漆黒の瞳が、力無く震える。いや、それだけじゃない。彼の全身が、何かに恐怖して小刻みに震えていた。
「だから俺は強くなんかない。寄り添って、支えてくれる人達がいなかったら、俺は立ち上がれないから」
少しやつれた面持ちで微笑むキリト。薄氷の様な脆さを伴ったその微笑に、グロック18cから離れていた左手が吸い寄せられるように近づいていく。
けれど指先が頬に触れるよりも先に、彼はそっと首を振った。
「―――さて、と。今更だけどこの試合、俺の勝ちでいいかな?君の問いには、正直に答えたつもりなんだけど」
「あ、な……!」
視線を彼の顔から離し、改めて状況を確認する。あろう事か私は今まで目の前のこの男に半ば抱えられるようにして背中を支えられ、密着していたこの状態に気づかなかったのだ。途端に羞恥の感情が噴き出し、仮想の肉体が一気に熱を帯びる。
「
急に見せた悪戯が成功した子供じみた笑みが、非常に腹立たしい。怒気と羞恥を押し隠すように彼から体を離すと、ヤケクソで叫ぶ。
「次は絶対に負けない!明日の本戦、私以外の誰にも撃たれるんじゃないわよ!!」
返答を聞く冷静さを欠いた私は、そのまま背を向け降参するのだった。
きっと原作のキリトでも、メンタル持ち直せていればこれくらいはできる……筈……かな(汗)