艦隊これくしょん-艦これ-司令艦、朝潮です!!   作:めめめ

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任務9-1『殴リ込メ敵前線泊地!』(前)

『こちらあきつ丸。カ号の観測による最終的な着弾状況をお伝えするであります』

 

 インカムを通して抑揚の無い馬鹿丁寧な少女の声が耳に響く。

 

『深雪、挟叉。五月雨、命中1。朝潮、命中2、駆逐艦ロ級一隻撃沈。残存の敵軽巡ホ級一隻、小破もなお船足衰えず。五吋単装高射砲が旋回中。至急迎撃の要を認めるであります』

 

「やったぁ、命中してましたっ!!」

 

「ええぃ、もうちょっとなのに。チクショ~!!」

 

 それを聞いて連装砲を構えたまま喜ぶ五月雨と悔しがる深雪。

 

 運のステータスは二人とも同じくらいだったはずだが、純真無心の五月雨は意外とラッキーショットによる命中弾が多い気がする。対して開戦前に沈没した艦歴からか、何かと戦果にこだわる深雪は、連装砲に物欲センサーでも搭載されているみたいでいつも惜しいところでも弾が当たらない。

 

 翻って自分の場合、今回は上手く命中してくれたが、仰角を取っての射撃はまだ慣れないみたいだ。練習あるのみ、か。

 

「了解しました。今回はあたしがケリをつけますから、駆逐艦の皆は一旦砲撃を中止。之字運動を継続ながら回避に専念を……」

 

「かまわん阿武隈。お主も進路そのままで見ておれ」

 

 長い焦げ茶色の髪を白リボンでツインテールに結んだ少女が、慎ましやかな胸を張って第一戦速で前進する戦列の先頭に進み出る。

 

 利根型重巡1番艦『利根』。

 

 身長は由良や飛鷹と同じく女子高生程度。だが深緑に飛行甲板の茶をあしらったワンピースを着た彼女のプロポーションは、幼い顔立ちの割に女性的な魅力に満ちている。

 

「回避運動を行いながらの命中率は極端に落ちるものじゃ。駆逐艦の装甲では現実的ではないが、心構えとして聞くがよい。本当にどうしても命中させるのであれば、敵の行動に惑わされず自分の進路を乱すことなくだな……」

 

ガウンッ!!

 

 言い終わる前に軽巡ホ級が発砲。音に一瞬遅れて黒い砲弾が真っ直ぐ戦隊に向かって飛来する。

 

「ええい五月蠅いっ!!吾輩がまだ喋っている途中ではないかっ!!」

 

 水偵用カタパルトを装着した左手をぶんっと振るうと、叩かれた敵弾はかんしゃく玉みたいな軽い炸裂音と共に空中で爆発した。

 

「煙いわ痴れ者っっ!!」

 

 甲高い声で喚きながら右足をずん、と一歩踏み込む。

 

 右腰から肉付きの良いむっちりした太腿にかけて、剥き出しの肌にベルトで直接装着された3つの巨大な砲塔、20.3cm連装砲がムカデの足のように蠢動し、その黒い砲口が哀れな獲物に狙いを定めた。

 

「もらったぁっっ!!」

 

ドンドンッ!!ドンドンッ!!ドンドンッ!!

 

 計6門の砲塔が二回ずつ、轟音と共に時間差で炎の槍を噴き出す。一瞬でホ級は激しく立ち上がった水柱の檻に囲まれ、舞い上がった海水の飛沫がこちらにも飛んできた。

 

「すごい……」

 

 これが重巡洋艦の火力……駆逐艦とは主砲の威力も数も、そして装甲も圧倒的に違いすぎる。

 

 水柱が収まった後、そこにいたはずの軽巡ホ級は影も形も残っていなかった。

 

「ふふん。吾輩が艦隊に加わった以上、もう索敵も攻撃も心配はないぞ!!」

 

「や、やりすぎですよぉ……」

 

 微妙に唇の端を引き攣らせる阿武隈。敵とはいえ、同じ艦種の軽巡が消し飛ばされる姿を見るのは色々含むところがあるらしい。

 

『お見事、でございます。それでは自分は対潜哨戒任務に戻らせていただくであります』

 

「は、はい。お忙しいところ、ご協力ありがとうございました!!」

 

 無線に向かって阿武隈がぺこりとお辞儀すると、上空を旋回していたカ号観測機―――ヘリコプターみたいな回転翼を頭に付けた、緑色のゼロ戦っぽいオートジャイロは、ひゅんひゅんと風切り音を響かせながら母艦であるあきつ丸の所に戻っていった。

 

 ラジコンヘリのようにも見えるあれが、甲板型スクリーンに映った回燈籠の影から次々と生み出されるという現象は理解を越えており、目の当たりにした後でもまだ少し信じられない。飛鷹たちの式神式艦載機もそうだが、この世界の技術体系がどちらかというと魔術・呪術寄りに進化を遂げてきたことを痛感させられる。

 

「ああったく、またMVP取り損ねたぜ」

 

 カ号が飛び去る後姿を眺めながら、船足を止めた深雪が遠い目でぼやく。

 

「でも深雪ちゃん、さっきは挟叉までいったんだから、あとはタイミングが合えば……」

 

「五月雨はいいよな。こっちに来てから駆逐艦3隻も撃沈してんだもんな」

 

 深雪なんかまだスコア0なのによ、と白波の立つ海面を蹴っ飛ばす。

 

 E領域―――Enemy=敵深海棲艦に海上優勢を握られてしまった領域をそう呼ぶらしいが、この海域に入って既に2週間が経過していた。

 

 新たに建造で重巡利根を仲間に加えた阿武隈水雷戦隊……もう水雷戦隊でも何でもない寄せ集めは、留守役の由良と鳳翔さんを横須賀鎮守府に残して定期船に乗り南下すること4,600km。

 

 現在位置は赤道直下のソロモン海北東部。

 

 何もない海の上で空から容赦なく照りつける強烈な南国の陽射しと、海面からの照り返しで挟み焼きにされ、気分は調理中のハンバーガーパティ状態。今なら10.7cm連装砲の上で目玉焼きが作れそうだ。これで艦娘としての生体フィールドが働いていなければ、全員小一時間で401みたいな小麦色の褐色健康肌になっていただろう。そうでなくても黒髪が熱を吸収して、頭が茹っているというのに。

 

 自分も含め司令艦たちはE領域設定の原因となっている海域ボスを討伐すべく、主力艦隊を引き連れて敵基地に最も近い飛鷹のラバウル基地に続々と集結していた。とはいえ自分たちのような水雷戦隊には正面からの殴り合いに参加できる火力は無いので、五十鈴のトラック組、愛宕の大湊組と交代で主力艦隊の航路確保と周辺警戒の任に就いている。

 

 これまでも散発的に敵艦隊と遭遇戦を行っているが、そのどれもが駆逐艦、軽巡主体の小規模な船団で、戦力を増強した今の阿武隈水雷戦隊にはそれほど脅威でもない。今回もカ号の索敵に引っかかった敵軽巡を最寄りの自分たちが迎撃に向かったついでに、練習も兼ねて五十鈴旗下のあきつ丸に着弾観測をお願いしたところだった。

 

「え~と、別に競争してるわけじゃないんだから、戦果を焦らなくってもいいんだからね」

 

「だけどよ……」

 

 阿武隈がなだめるが、あまり効果は無い。

 

「深雪、ごねるでない。それに深雪に限った話ではないが、五月雨に朝潮も、今はまず敵を倒すより生きて帰ることが大事なのだ。生きてさえいれば経験値が積み上がり、いずれ技術と結果は必ず付いてくる」

 

 そうすれば吾輩のようになれるのだぞ、と腕組みしながらドヤ顔で胸を張る利根。せっかくいい感じだったのに、残念なお姉さんだ。

 

 ぷっ、と五月雨が吹き出す。つられて自分も笑ってしまった。

 

「こっ、こら!!お主ら、真面目な話をしておるのに何を笑うか!!」

 

「だってぇ……利根さん可愛いから……うふふ」

 

「わ、吾輩が可愛いだと!?」

 

 言われた本人は目を白黒させて動転する。確かに利根は必要以上に妹の筑摩に対抗意識を持っているところなど、子供が無理して大人に対抗しているようなギャップが可愛い艦娘だ。つまり暁と同じ系。

 

 それを見た阿武隈も、ふくれっ面だった深雪も一緒になって笑い出す。

 

「むぐぐぐ……筑摩なら感心して拍手してくれるところだというのに、こやつら……」

 

 一人だけ納得のいかない顔をする利根。

 

 そりゃまあ筑摩さんは艦娘屈指のできた妹さんですから。

 

「だはははっ!!はは…はぁ~笑った笑った。っと、笑ったところで腹が減ってきたからそろそろ基地に帰ろうぜ~」

 

 すっきりしたのか、さっきまでのうじうじはどこへやら、けろっとした表情で深雪が提案する。

 

「ちょ、ちょっと待って!!警戒任務でここまで来てるんだから、最低限予定の航路を回ってからじゃないと……」

 

「あーめんどくさーい。そんなの空母に任せりゃいいじゃん」

 

 戦闘が終わって一気にやる気が失せたらしい。地味な任務が苦手そうなのは、彼女の日常生活を見ていれば容易に推測できる。具体的には散らかりっぱなしの寮の部屋とか。

 

「そういうことなら吾輩の索敵機の出番だな!!空からも偵察すれば任務は何倍も早く終わるぞ!!」

 

 任せろ、とばかりに零式水上偵察機を射出するべく、利根が左腕のカタパルトを海面に対して水平に突きだし……そのままの姿勢で固まる。

 

 搭載された偵察機が飛び立つ気配は無い。

 

「バカな!!カタパルトが不調だと?!」

 ―――突っ込まないぞ。さっき自分で5inch砲弾にぶつけたろ、なんて!!

 

「ほらほらぁ、ズルはできないってことです。さ、気持ちを切り替えて任務を続けるわよ」

 

 はぁ~い、と阿武隈に生返事を返し、さっきの戦闘でずれた肩のベルトを直す。

 

 まだカタパルトとにらめっこしている利根はさておいて、一旦アイドリングに変えた機関ユニットの回転数を上昇させた。

 

『横須賀の皆さん、調子はどぉよ?』

 

 突然インカムから元気のいい若い女性の声が響く。

 

「きゃっ、何!?」

 

『驚かせてゴメンね~。第八次敵泊地攻撃部隊、戦艦榛名旗下、舞鶴の飛龍です。もしも~し、聞こえていますか~?って聞こえてないワケ無いよね?』

 

 あははっ、とセルフツッコミしながら笑う二航戦の飛龍型正規空母、1番艦『飛龍』。

 

 ゲームの中ではオレンジ色の弓道着を着た多聞丸マニアのお姉さん、といった感じだったが、実際の彼女はさらに明け透けな人だった。そういえばラバウルで顔合わせした時も、特に深雪と気が合っていたみたいだけど、短髪しばふ仲間だからか?

 

「お、飛龍じゃん。よっす!!」

 

『深雪ちゃん、よっす!!』

 

 ノリが軽いな、二人とも。

 

『―――いやいや、のんびり挨拶してる場合じゃなかったわね。実はちょっと気になることがあって、阿武隈水雷戦隊にお願いしたいことがあるんだけれど』

 

「な、何でしょう?」

 

 当の阿武隈は目上相手にガチガチに恐縮して、台詞が棒になってしまっている。

 

『ああ、そんなに大したことじゃないのよ。私たち今、敵泊地に向かって南下中なのだけれども―――途中で変なものを見かけたのよね』

 

「……変なもの、ですか?」

 

 目と頭に?マークを浮かべながら五月雨が呟く。

 

 飛龍も状況がよく分かっていないらしく、インカムの向こう側から困惑が伝わってくるようだ。

 

『う~ん、正確に言うと見かけたのはうちの多摩なのよ。航路から少し離れたところで、変な形の黒い塊が動いてたにゃあ、って』

 

 わざと猫っぽくにゃあ、を強調する飛龍。飛龍の猫キャラ化……いいかもしれない。

 

「黒い塊なら深海棲艦では?」

 

『私もそう思ったんだけど、その辺りはトラック組が既に哨戒しているはずの海域なの。でも多摩がどうしても気になるって言ったから、とりあえずそっちの方角に偵察機を飛ばしてみたのよね』

 

 で、何も見つからなかったと。

 

『結局泊地攻撃の作戦開始時間に間に合わなくなるから、ざっと見渡しただけで帰ってきたんだけれども……それでも多摩が』

 

『気になるのにゃっ!!』

 

 いきなり回線に本人が割り込んできた。

 

 球磨型軽巡2番艦『多摩』。中二病からサイコレズまで、色物揃いのクマー動物園No.2。

 

 

 本人は意識して猫っぽい喋り方をしているが、微妙に無理矢理感が漂ってる気がしないでもない。

 

『多摩の野生の本能が告げているにゃ。あの場所には何か不吉なものがあるはずにゃ

!!』

 

「……不吉なもんなら放っとけよ」

 

 いかにもおっくうそうに深雪が言葉を挟む。

 

『うるさいにゃ。災いの芽は小さい内に摘み取った方がいいに決まっているにゃ』

 

『―――って聞かないのよ。それでこれから座標を送るから、その周辺海域を一通り捜索してきてくれないかしら?』

 

 警戒任務はうちの榛名が何とかしてくれるって、と付け加える飛龍。

 

 今回の作戦絵図を描いているのは提督会会長の司令艦・電だ。同じ司令艦として自分が説明してもいいけれど、榛名が口添えしてくれるのならありがたい。

 

 ―――ふと思った。

 

 編成や出撃など艦娘に対して絶対的な権限を持つ司令艦は、ある意味ゲームの提督みたいに艦娘を支配、コントロールできる。

 

 絶望的な戦場に追いやることも、捨て艦として肉壁にすることも。

 

 榛名が旗下の艦娘の意志を尊重するということは、彼女たちを仲間として平等に見ているということなのだろう。

 

 だが、それだけでは無い。

 

 二次会の牛鍋屋でちらっと聞いた話では、既に金剛たち古参メンバーは仲間の艦娘を守るため、大破轟沈のリスクを厭わず何度も自分を盾にしたことがあるという。

 

 傷つく度、自分の魂とも呼べる記憶が削ぎ落されていく。その事実を知った後でも、司令艦が捨て駒にするのは自分だけ。

 

 素体となった艦娘の性格もあるだろうが、もし提督機がそれも含めて司令艦候補を選んだのであれば―――

 

『安上がりな使い捨ての傭兵なのです』

 

 ―――本当に提督機に意志や感情は無いのだろうか?悪意だけならてんこ盛りなのだけれども。

 

「わかりました。敵別働隊の可能性もありますし、阿武隈水雷戦隊は任務を変更。これより当該海域に向かうこととします」

 

『ありがとう。悪いわね、阿武隈』

 

『任せたにゃ!!多摩の代わりにしっかり頑張るにゃ!!』

 

 ピピッ、と阿武隈のスカートで電子音が鳴った。メールで飛龍が座標を送って来たのだろう。ポケットからスマートフォンを取り出して確認する姿は、電車を待ちながらスマホをいじる女子高生そのもの。

 

 ちなみに携帯を持たせてもらえるのは軽巡以上からだ。駆逐艦は外出など特別な用事が無い限り携帯には触らせてもらえない。情報漏洩を防ぐためと、駆逐艦娘に余計な情報を与えないためだろう。そもそも戦闘時の通信は無線インカムで行うし、非常用の連絡装置やGPSは機関ユニットに組み込まれているし。

 

「わかったわ。ここからそう離れた場所じゃないみたい」

 

 画面から顔を上げる阿武隈。

 

「良かったわね。警戒任務は予定より早めに終わりそう」

 

「あんま内容変わんね~じゃん」

 

「でも敵だったら、もしかしたら戦闘になるかも……」

 

 五月雨の言葉にびくん、と深雪の身体が反応した。

 

「ぃよーし、今度こそ深雪さまが撃沈してやるぜ。待ってろよ深海棲艦!!」

 

「別に敵と決まったわけでもないのに、単純な奴じゃな」

 

 呆れ顔の利根。どうやら彼女はカタパルトの調整を諦めたらしい。

 

「皆、聞いて。これよりあたしたちは目撃情報のあった海域に向かい、探索行動を行います。姿を消したということから潜水艦の可能性を考え、陣形はあたしと利根さんを両端にして単横陣に」

 

 はきはきと指示を出す阿武隈だが、途中で慌ててスマホ画面を見直す。どうやら一瞬方角に自信が無くなったらしい。

 

「進路二一〇、両舷原速、之字運動で目標地点へ!!阿武隈水雷戦隊、全艦抜錨!!」

 

『了解!!』

 

 4つの機関ユニットが唸りながら回転数を上げる。背中の煙突から吐き出される黒煙が勢いよく空に立ち昇った。

 

 

 

 この世界には海図とは別に、深海棲艦との遭遇確率で色分けされた海域図がある。

 

 実際Enemy領域以外にも海域は分かれており、完全に安全なAll-safe、遭遇率3%以下の注意:Beware、10%以下の警告:Caution、30%以下の危険:Danger。また未知の未探索エリアという意味で、手出し不要のForbiddenなんていうのもあった。これらABCDEFで色分けされた海域図を元にして、この世界の海上交通は成り立っているという。

 

 沿岸部や大陸棚を中心に広がるのが安全なA領域。これは定期船航路として使われている。その周囲に広がるのがB領域だが、通行には高速船であるか装甲駆逐艦などの護衛が必要。なお、このA領域とB領域の上空が飛行機の航路にもなっている。

 

 C領域やD領域は基本進入禁止だが、艦娘の護衛が付けば許可される場合もあるらしい。

 

 今回の前線基地となるラバウルまでの道程も、横須賀から岸沿いに本州を南下し沖縄を通過、台湾とフィリピン、そしてパプアニューギニアでの計3回乗り換えが必要だった。もっとも艦娘に同乗してもらえるなら、と各港で船長たちは諸手を上げて立候補。おかげで元の世界では経験できないような豪華な船旅を堪能することができたのだけれども。

 

 そしてこの世界には、基本的に海での遭難者という概念が無い。

 

 遭難、つまり安全領域を外れてしまった場合は、二次災害を避けるため『助けてはいけない』。そして遭難者も『助けを求めてはいけない』。運良く軍艦や艦娘が近くにいればともかく、そのためだけに軍が動くことは無い。

 

 しかも多摩が何かを目撃したというのはE領域の真っただ中。

 

 遭難者の可能性なんてあるはずが―――

 

「なぁ、何か寒気がしねーか」

 

 之字運動中の深雪が、鳥肌の立った自分の二の腕をさすりながら青い顔で話しかけてくる。

 

「寒気もするけど、だんだん天気も悪くなってきたような……」

 

「そうね。気圧のせいかちょっと耳も痛いし、雨が近いのかも」

 

 どうせ見間違いだろうし、ざっと回ってさっさと帰ろうかな、と雲の出始めた空を眺めて呟く阿武隈。

 

 自分も同感。正直あまりこの場所にいたくない。

 

「ああっ、あれ、あれ見て下さい!!」

 

「これ五月雨、はしたないぞ……ぬわっ!!」

 

 窘めようとした利根が、五月雨の指差す方を見て変な声を上げた。つられてそちらに視線を向ける。

 

 ――――多分それは、ずっとそこにいたのだろう。しかし皆、黒々とした重苦しいオーラを放つそれを、本能的に視界に入れないようにしていたのだと思われる。先に哨戒機を飛ばしていた、あきつ丸や飛龍も同じ。というか呪術的な機構で生み出された艦載機なら、悪影響を受けないようになおさらあれを避けていてもおかしくない。

 

「あれって、まさか―――山城!?」

 

 裾の長い巫女服をミニスカートにアレンジした、しかし今は破れてぼろ布を引っ掛けたようになった衣装。姉の扶桑と共に特徴的とも言える馬鹿でかい砲塔が剥き出しでくっつけられた艤装だが、左肩の砲塔は失われ、残った右肩の方も砲塔がもげたり折れ曲がったりしていて到底戦闘に耐えうる状態ではない。黒い髪をボブカットにした頭には、あの違法建築ビルみたいな艦橋を意匠化した髪飾りがちょこんと乗っかっている。

 

 世界の全てを呪うかのような暗黒のオーラを身に纏った彼女、山城は、どこへ向かうとでもなく幽鬼のようにゆっくり海上を彷徨っているみたいだ。しかし山城の後ろ、黄色い小型のゴムボートのようなものが引っ張られているのが気にかかる。目を凝らしてみると、その中に横たわる2つの人影が見て取れた。

 

「大変だぁ―――皆、救助に向かうわよ!!利根さんと深雪は周辺警戒、あたしと五月雨、朝潮は山城さんに接近、接触します!!」

 

『了解!!』

 

 ぱっと利根が戦列を離れ、そこに深雪が続く。阿武隈は之字運動をやめ、真っ直ぐに山城の方へ向かう。

 

「こちら阿武隈水雷戦隊、旗艦阿武隈です。ラバウル基地、聞こえますか?」

 

『はーい、こちらラバウル基地作戦本部、雷よ。どうしたの阿武隈、そんなに切羽詰った声で?』

 

 阿武隈がインカムに呼びかけると、電に似た声をした元気そうな女の子が返事を返す。電の姉妹艦、暁型駆逐艦3番艦『雷』だ。

 

 司令艦である電は、最近では自分が戦場に立つ代わりに作戦指揮、要するに本来の意味での提督として、その能力をいかんなく発揮しているのだという。実際彼女がラバウルに連れてきたのは、主力艦隊でなく秘書艦としての雷だけだったし。

 

 しかし司令艦が作戦に参加して護りが手薄になる鎮守府には、電擁する呉の駆逐隊が補充戦力として派遣される。現在横須賀には自分たちと入れ替わりで、電の指示により呉から陽炎型駆逐艦1番艦『陽炎』、2番艦『不知火』の二人が送り込まれている。なお、電がいない呉を運営しているのは、電の姉妹艦である暁型1番艦『暁』と、秘書艦として暁型2番艦『響』なんだとか。

 

「先ほど飛龍さんからの要請を受け、阿武隈水雷戦隊は現在、警戒予定航路から外れた海域で索敵を行っています。その際扶桑型戦艦2番艦『山城』と思われる艦影を発見。これより接触を試みるところです」

 

『山城!?でも何でそんなところにいるのかしら……そういえば報告に先のショートランドでの戦闘で、山城は扶桑と一緒にlostしたって……』

 

「山城が曳航中のボートに人影が見えます。それが扶桑かもしれません。山城自身も装甲、艤装が大破している状態です」

 

 大破というか、もう幽霊船状態だけど。

 

『すぐに助けるわ。基地から緊急回収用の飛行艇を出すけど、当該座標まで直線距離で約300kmだから45分前後かしら。ごめんね、ちょっと時間かかるかも。その間海域の保持と要救護者の手当てをお願いするわね』

 

「了解」

 

 阿武隈がインカムのスイッチを切る。山城はもう目の前だ。

 

「不幸だわ……」

 

 虚ろな瞳でぼんやり空を見上げる山城のつぶやきが聞こえてきた。

 

「不幸だわ……身体が痛い。不幸だわ……燃料切れそう。不幸だわ……無線も壊れたし。不幸だわ……誰も助けてくれない。不幸だわ……空が高い。不幸だわ……海が青い。不幸だわ……」

 

 だんだんただの言いがかりになってきてるぞ、この不幸マニア。

 

「山城さん!!」

 

 阿武隈が砲塔の失われた左肩に手を置き、大声で名前を呼んだ。

 

 ぶつぶつと紡がれる呪詛の声が止み、山城はちらっとその真紅の視線を阿武隈に送る。

 

「不幸だわ……今度は幻覚が見えてきた。阿武隈は今頃、ヤシの木陰でフルーツジュースでも飲みながらくつろいでいるはずよ。私が飢え乾いているのも知らずに……」

 

 妬ましいわ、とやや色の失せた朱の唇をぎりっと噛み締めた。

 

「そんなことしてませんっ!!助けに来たんですよっ!!」

 

 その言葉にゆっくり顔をこちらに向ける。阿武隈としばらく見つめ合った山城の顔が、ぱあっ、と喜びの色に染まった。儚げな雰囲気と相まって、笑うと凄い美人さんだ。

 

「ああ、そうなんだ。阿武隈もとっくに沈んでて、次は私をお迎えに来たのね!!」

 

「まだ轟沈してませんっ!!あたし、生きてますからっ!!」

 

 どんだけネガティブ思考なんだ、この人は。

 

「……もしかして本当に……」

 

「本当に救助ですっ!!山城さんを―――」

 

「姉さまっっ!!」

 

 急に山城が後ろを振り向き叫んだ。残った右肩の35.6cm砲砲身が、慌ててしゃがんだ阿武隈の前髪をぶんっとかすめる。

 

「姉さま、助けが来てくれました!!もう大丈―――ぁ―――」

 

 山城の身体がぐらり、と大きく揺れた。

 

 安心して緊張の糸が切れたのか、もう限界だった彼女の意識が手放される。

 

 力を失って崩れ落ちる体に艤装の重さが加わり、それが一気に阿武隈に襲い掛かった。同時に山城の機関ユニットが駆動を止め、浮力を失った主機がずぶずぶと海中に沈み始める。

 

「朝潮っ、ちょっと、こっち来て支えるの手伝って!!」

 

「は、はいっ!!」

 

 阿武隈に駆け寄り、山城の身体に潜り込んで一緒に持ち上げる。ぐったりした彼女の身体は想像以上に重い。艦娘も戦艦級になると、見た目以上に重量が変わるのだろうか。

 

「うぅんと、艤装の解除レバーは―――」

 

 必死で背伸びしながら、ちょうど山城の肩甲骨の間あたりをまさぐる阿武隈。

 

「あった!!朝潮、頭に気を付けてね―――戦艦山城の艤装、兵装を緊急パージ!!破損著しいため同装備を現時刻をもって海中放棄します!!」

 

 阿武隈が何かをぐいっと引っ張った。

 

バシュンッ!!

 

 残った右肩の35.6cm砲塔から圧縮空気のような小さな破裂音が聞こえたかと思うと、砲塔は牡丹の花弁みたいにぽろりと外れ、そのまま水飛沫を上げて海面に落下。黒光りする鉄の塊は吸い込まれるように海底に向かって沈んで行った。その後に腹部と両手足に巻かれた拘束具にも見える弾倉帯が続く。

 

 かろうじて残っていた装甲も一緒に剥がれ落ち、重く不自由な艤装から解き放たれた山城の、清楚な巫女服に隠されていた白く肉感的な肢体が露わになった。支えようとすると必然的に直接触れねばならず、その肌の柔らかさが直接両の掌に伝わってくる。

 

 ―――冷たい。

 

 通り雨にでも降られたのか、それとも機関ユニットの水密区画設定が壊れたのか。艦娘の生体フィールドが正常に働いていれば体温の恒常性は保たれるはずだが、山城の身体は赤道直下のソロモン海ではありえないくらいに冷えきっていた。

 

「五月雨、機関ユニットから予備の救命筏を!!」

 

「お任せ下さい!!」

 

 くるっと後ろを向いた五月雨の背中、青光りする彼女の機関ユニットから白い布の塊のようなものが放出される。海面に触れた瞬間それは大きく膨らみ、人一人が乗れるサイズの小型の救命筏になった。

 

 阿武隈と一緒に、気を失った山城の身体をゆっくりと筏に横たえる。その上から五月雨が、これまた自分の背中から取り出したアルミブランケットを被せた。

 

「基地に戻って調べてみないとわからないけど、目立った傷は無いみたいね」

 

 とりあえず山城はこれでよし、と言いながら、阿武隈は山城の曳航していたゴムボートに視線を向ける。

 

 定員6名ほどの黄色い大きな救命ボートはかなりしっかりした造りをしており、多分船舶か何かに搭載されていたものだろう。考えられる状況としては山城が乗っていた船が深海棲艦に襲われ、被弾するもまだ推進力の残っていた彼女がボートを引っ張ってここまで逃走してきた、ということか。

 

 しかし……

 

「あの、誰が乗っているんでしょう、救命ボート―――」

 

 五月雨がごくんと唾を飲み込み、恐る恐るボートの中、白い毛布に覆われた二つの人型の膨らみを指差す。並んで横たわったそれに動く気配は無い。

 

 山城は姉の名前を呼んでいたが、少し病みが入ったシスコンの彼女のことだ。姉の扶桑の戦死を認められず、遺体を船に乗せて彷徨っていた可能性も否定できない。だが何故二人?

 

「―――山城、船足が止まったみたいだけど何かあったのかい?」

 

 突然人型の一方から若い男の声が聞こえた。明らかに扶桑のものではない。皆の視線が集まる中もぞもぞと毛布が動き、そこから髪を短く切り揃えた頭が覗く。

 

 疲労で痩せこけ無精ひげの伸びた頬、目の下に深く刻まれた隈。しかし元の造形はそこそこ端正なのだろう。漂流生活が影を落としてはいるが、素直で真面目そうな感じの青年だ。

 

 しかし彼が着ているのは前に自分が着ていたのと同じ、白い詰め襟の第2種軍装。

軍関係者―――士官か?

 

「あ、あたしは横須賀鎮守府所属、阿武隈水雷戦隊旗艦の阿武隈です。警戒任務中に未確認物体目撃の報を受けこの海域に急行。先ほど戦艦山城を救助、既にラバウル基地からこちらに回収艇が向かっております。それでその、貴官は?」

 

「そうか―――こんな格好で失礼する。小官はショートランドの特務提督、西村。泊地が攻撃を受けた際、扶桑、山城両名と共に何とか駆逐艦で脱出したのだが、敵の追撃を受け艦は轟沈。無線もGPSも艤装と一緒に大破したため、かろうじて推進力の残った山城に安全海域まで曳航してもらっていたところだ」

 

 西村と名乗った青年は、左手でさっ、と毛布を払いのけた。その薬指にはめられた銀色のリングが一瞬輝く。救命ボートの中、彼の隣に横たわっていたのはやはり艤装を外した扶桑だった。

 

 山城の姉、扶桑型戦艦1番艦『扶桑』。妹と同じく儚げな印象を受けるロングストレートの大人びた彼女は、雪のように真っ白な血の気の失せた顔で静かに目を閉じている。浅く早い呼吸に合わせて胸が上下していなければ、出来のいいマネキンか死体と言われても疑わない。

 

 そしてボロボロの巫女服の長い裾から覗く扶桑の左手薬指にも、西村と同じ形をした銀色のリングがはまっていた。

 

 ……なるほど、二人はそういう関係だったのか。どうりで緊急事態とはいえ、姉命の山城が同衾を許すわけだ。

 

「扶桑、しっかりするんだ!!ほら、助けが来てくれたよ!!」

 

「……本当ですか……でも、泊地も守れず落ち延びているこんな惨めな私たちを助けてくれる人なんて……」

 

「本当だとも!!軽巡阿武隈が、それに駆逐艦の朝潮と五月雨もいる。僕たち助かったんだよ!!」

 

 あぁ、と嘆息しながら物憂げな扶桑の瞳がうっすらと開かれる。が、

 

「痛い―――あぁっ―――痛い、痛い痛い痛い―――」

 

 身体を起こそうとした途端、その日本人形のような線の細い顔が苦痛に歪んだ。そのまま抱き着くようにして西村に向かい倒れ込む。

 

「いかん、モルヒネが切れたか。悪いが彼女に鎮痛剤を頼む。僕らのは使いきってて、もう手持ちが無いんだ」

 

 それを抱き止めた西村が阿武隈に懇願するような視線を向ける。

 

「ひゃい!!モルヒネ、ですか。ありますけど―――」

 

 自分の背中の機関ユニットに手を伸ばし、ごそごそとまさぐる阿武隈。やがて彼女はボールペンケースのような細長い小さな箱を取り出した。

 

 ぱかっと蓋を開けると中に入っていたのは、既に針の取り付けられたガラス製の注射器。阿武隈は一緒に入っていた同じくガラス製のアンプルの頭をぺきっ、とへし折り、おっかなびっくり中の液体を、キャップを取った針で吸い上げる。1ml程度の液体、モルヒネで小型注射器が充填されると、それをひっくり返してぴゅっ、と空気を抜いた。

 

「あ、あたしが注射をします。朝潮と五月雨は、二人で扶桑さんの身体を押さえてて下さいっ!!」

 

 緊張しているのか、震えた声での命令。

 

 すぐさま五月雨と一緒にゴムボートに近付き、痛みに小さく身悶えする扶桑に取り付く。

 

「朝潮、袖をまくって腕を」

 

 はいっ、と答え、変色した赤黒い血が所々こびりつく扶桑の右袖を持ち上げる。

 

「待ってくれ!!彼女は―――」

 

 西村が何故か制止した。

 

「あっ――――」

 

「ひっ!!」

 

 思わず息を呑む。隣で五月雨が短い悲鳴を上げた。

 

 肩口をきつく縛って無理やり施された止血、そのすぐ近くでピンク色に蠢く肉に埋もれた白い骨の断端が露出している。

 

 戦艦扶桑、彼女の白くたおやかな右腕は、二の腕から先が千切り取られたようにして―――無かった。

 

 


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