艦隊これくしょん-艦これ-司令艦、朝潮です!!   作:めめめ

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任務8『司令艦隊酒保祭リ!』

 

ガタンゴトン、ガタンゴトン―――

 

 青いフェルトを張り付けただけの簡素な四人掛けの木製座席から、列車が揺れる度その振動が直接お尻の骨に響いてくる。

 

 窓枠に肘をつきながら少し腰を上げて座り直した。久しぶりに穿いた寝間着でないズボンだが、つい先日までスカート生活だったことを考えるとむしろこちらの方が違和感がある気がする。知らない間に朝潮としての生活に染まっていることを痛感させられた。

 

 ちなみに由良の説明では、今着ているのが第2種軍装。夏用の白い男子学生服みたいなものなのだが、これを着た朝潮の見た目は、運動会の白組応援団長に担ぎ上げられたクラスの女の子以外何者でもない。

 

 〇九〇〇ちょうどの横須賀発東京行き各駅停車。待ち合わせの時間は一一〇〇なので、大分余裕がある。

 

 本当ならもう少し早い時間でも良かったのだが、初めて見る軍服に戸惑ったり、ずっこけた五月雨がうっかりボタンを全部むしり取ったりなどのアクシデントがあったため、結局乗れたのがこの便だった。

 

 とりあえず寮に戻ったら、五月雨の行動範囲から壊れ物を撤去する作業にとりかかろう。

 

 車両の片方にパンタグラフを一つだけ乗せた、濃い紺色の車体をぐるっと白い帯が取り囲むような特徴的な塗装がなされた木造の電車は、時折がたぴし言いながらも危なげなく鉄路を進んでゆく。

 

 通勤通学の時間からずれているため車内には5,6人の老人たちと、あとは外回り営業と思われるスーツ姿のサラリーマンが二人ほど。彼らの視線がこちらに向いているような気がして、頭の軍帽を深めにかぶりなおした。

 

 窓の外を流れていく海沿いの景色には明らかに木造の家が多く、どこか懐かしい感じの街並みが続いている。

 

 ……ラバウル駆逐艦隊『ヒャッハーズ』との演習から早二日。

 

 あの日、昼過ぎになって横須賀鎮守府に帰投した自分たちを待ち構えていたのは、湯気を立てる肌も艶やかな鳳翔さん特製のオムライスだった。

 

 しかも昨今のとろける半熟タイプでなく、真っ赤なチキンライスを黄色い薄焼き卵で包んだオーソドックスなもの。

 

 その上ラバウル駆逐艦隊全員の名前まで一人一つずつケチャップで書いている、という手の凝りようだ。

 

 これには彼らも対抗心を維持できるはずもなく、皿に盛られた湯気の立ち昇る赤黄の丘陵を征服しているうちに少しずつ空気が打ち解け始め、デザートの間宮アイスに取り掛かる頃には『うちの基地にも鳳翔さんが欲しい』とか言い出す始末。

 

 あの人のおもてなし力はバケモノか。

 

 昼食を終え、さらに例の高速修復槽―――普段は職員用天然横須賀温泉として営業中―――で一風呂浴びたラバウル組は、赤ら顔で一升瓶を掴んだ隼鷹さんに引率されて鎮守府を去って行った。小耳に挟んだ話では、このまま内地で訓練合宿を行ってから帰るということだ。

 

 しかし一点、海軍所有のマイクロバスに乗り込む駆逐艦隊『ヒャッハーズ』の中に、霞の姿が無いのが気にかかった。演習前に何やら喧嘩腰で騒いでいたのは覚えているが、急に機関が停止して駆逐艦『竹』に収容された後、彼女がどうなったのかは誰も知らない。

 

“同調し過ぎた”

 

”記憶と感情の溢流”

 

 あの時由良が言った言葉。引率していた飛鷹も、霞に起きた症状を知っていたようだったけれども。

 

 飛鷹―――艦これではありえない、ゲームシステムから逸脱した艦載機運用を行った彼女は、『鳳翔さんを戦場に立たせないで』と言った。

 

 最初はラバウルの提督は隼鷹だとばかり思っていたが、どうやら勘違いしていたみたいだ。

 

 自分と同じ司令艦・飛鷹。

 

 しかし当の飛鷹はそれきり帰りの船の中では一言も発せず、駆逐艦『竹』が横須賀鎮守府に帰港するなり自分の艤装を保管所に預けていずこかに姿を消した。

 

 今日の提督会では彼女の言葉の意図を明らかにしなければ。

 

 そういえば……

 

―――ヴンッ

 

 念じると、艦これの母港画面が視界の中に重なるようにして表示された。

 

 編成画面を開くと阿武隈水雷戦隊と書かれた第一艦隊に朝潮、阿武隈、深雪、五月雨、そして機関ユニットの修復が終わった由良の顔が並んでいる。自分の所には『外出中』の文字が書かれているが。

 

 続いて第二艦隊。ここには誰もいないことを確認して、緑色の変更ボタンをクリック。

 

 艦娘の予備ストレージ画面。そこには鳳翔さんが一人だけ、ぽつんと先頭に表示されていた。

 

―――詳細

 

黄色いボタンを選択することで、鳳翔さんの全身像とステータス、装備品が明らかになる―――はずだったが、

 

「データが見れない?」

 

 軽空母・鳳翔の装備スロットは4つとも板海苔を張り付けた様な黒い四角でマスキングされ、数字の部分はレベルに至るまで全て文字化けしており元の値は読み取れない。

 

 試しに自分や他の艦娘のステータス画面を開いてみるが、そちらは特に支障なく閲覧できる。

 

 何度か母港画面を閉じたり開いたりを繰り返したりと色々試してみたが、結局どうやっても鳳翔さんのステータスを見ることはできなかった。

 

 そうしている間に窓の外の景色は青い海と新緑から、やがて灰色の空と林立するグレーの高層建築群に移り変わっていく。

 

『次は終点東京~東京です。本日は国鉄横須賀線をご利用いただき誠にありがとうございました~』

 

 のんびりした車内放送と共に若干油が切れ気味のブレーキが悲鳴を上げる。車体にゆるやかな制動がかかり、しばらくしてがっしゃん、という連結器の音と共に列車が停止した。

 

 コンクリート製のプラットフォームに降り立ち、人の群れに流されながら丸の内側の改札口に向かう。

 

 出発時に渡された緊急連絡用のガラケーを自動改札機に押し当てると、ピッという音と共に『帝国海軍-Imperial Japanese Navy-』の文字が表示される。

 

「こっちよ、朝潮」

 

 声のした方を見ると、赤レンガの壁を背に立つ自分と同じ白い第2種軍装を着た、長い黒髪が特徴的な雛人形みたいな和風美人の姿があった。

 

 帽子のつばで目元は隠れているが、一昨日会った飛鷹に間違いない。

 

「あの、今日はお出迎えありが……」

 

「話は後で。表に車を待たせているから、すぐに移動するわ」

 

 あまり目立ちたくない、ということだろうか。踵を返して丈の短い革靴の底を石畳にカツカツとならしながら、出口に向かって歩き始める彼女の背中を追いかける。

 

「あ、軍人さんだ!!」

 

「どこどこ!?本当だ!!」

 

「でも私たちと同じくらいの子だよ」

 

「それ、もしかして艦娘じゃない?」

 

 赤レンガの東京駅駅舎を出たのと同時に、小学生の集団に出くわしてしまった。正確には普段の朝潮と同じような白ブラウスに赤い吊りスカート、という出で立ちの女子小学生の。

 

 社会科見学なのだろう、引率の女性教師の手には『○○國民學校初等科5年1組』と書かれた小さな旗が握られている。

 

 それを見た飛鷹の顔が一瞬あちゃあ、という感じの苦笑いに変わるが、それはすぐさま営業スマイルに切り替えられた。

 

「も、申し訳ありません。公務中に失礼致しました!!」

 

「いえ、構いません。子供は国の宝。ましてや彼女たちは、将来小官らと肩を並べて戦うやもしれぬ仲間なのですから」

 

 謝る女性教師にぴっ、と敬礼して返す飛鷹。宝塚の役者さんみたいだ。彼女の姿に女の子たちはきゃあきゃあと無遠慮な黄色い歓声を上げる。

 

 慌てて自分もそれに倣い、ぎこちない敬礼の姿勢を取った。

 

「軍人さん、ひょっとして駆逐艦『朝潮』ですか?」

 

「え!?」

 

 急に名前を呼ばれたので驚くが、それを口にした女の子の顔を見てさらに息が詰まった。

 

「似てる……」

 

 同級生と同じ制服姿のその子は、後ろで長い黒髪を二つに分けて垂らしてはいるものの、と引き締まった目元、意志の強そうな細い眉毛など、全く同じではないが自分……朝潮によく似た容貌をしている。

 

「委員長、行くよ~」

 

「は~い!!」

 

 少女は友人に呼ばれると、短いスカートの裾を翻してクラスの集団に戻っていった。

 

 それからぞろぞろと続く女子小学生の集団を飛鷹と一緒に直立不動で見守ること五分少々。

 

「列が途切れた。今のうちに」

 

 小走りにその場を去り、停車場で待っていたイギリスのタクシーみたいな形の何やら高級っぽい黒塗りの車に乗り込む。

 

 見た目の古めかしさに相反して中は空調が聞いており、茶色い革張りの座席の柔らかさは横須賀線のそれに比べるまでもない。

 

「出して下さいな」

 

 手元のマイクに飛鷹が話しかけると、車は音も無く走り出した。

 

 後部座席から板で仕切られ運転手の顔は見えず、音も完全に遮断されているみたいだ。

 

「ふぅ、とりあえず一息つけたわね」

 

 白手袋を着けた手でぱたぱたと顔を仰ぐ飛鷹。

 

「いきなりで驚いたでしょ。アイドル、ってほどじゃあないけれど、艦娘はそれなりに目立つ存在なのよね」

 

 スモークガラスが張られているとはいえ、さっきとは大分雰囲気が砕けた感じだ。その変化に唖然としていると、

 

「ああそうか。一昨日の演習はごめんなさい、何だかあなたたちを悪者にしてしまって。うちは水雷戦隊を嚮導できる軽巡がいないから、駆逐艦の子たち、言われたことだけきちんとやってればいいって勘違いしちゃってて……」

 

 萎縮しているものと思われたらしい。

 

 それであの子たち頭が固くなっちゃったのよね、失敗だったわ、と自分に言い聞かせる飛鷹。

 

「いえ、あの、ラバウル基地に他の艦娘は?」

 

「私と隼鷹、駆逐艦の子たち以外には、第一艦隊に『陸奥』『木曽』『加古』『古鷹』がいるわ。しかも木曽は改二よ。ただおかげで普通の水雷戦隊を編成できなくなって、そして結果は見ての通り」

 

 なるほど、木曽が高火力艦になってしまったがため第一線に駆り出されてしまい、護衛などの遠征任務が第二艦隊の駆逐艦任せになってしまったということか。

 

 その状態で演習に挑んだというのなら、あの教科書的な考え方も頷ける。

 

 彼女たちの状態に危機感を覚えたからこそ、飛鷹たちは駆逐隊『ヒャッハーズ』をぶつけてきたのだろう。今回の演習が少しは彼女たちの成長の手助けになれていればいいが。

 

 窓の外の景色は、電車から見たものとあまり変わらない。

 

 自分の知る丸の内周辺であれば、高級ホテルや企業オフィスが立ち並ぶビジネスエリアのはずだが、同じビルでもやはりくすんだ色をしたコンクリートやレンガ造りのものが目立つ。

 

 ほとんどがデザインセンスが大正か昭和初期で止まっており、とにかく光やガラスが少なく、どうしても地味な印象を受けてしまう。

 

「気付いているとは思うけれども、この世界は私たちの知る歴史とは違う道筋を歩んでいるわ。ここら辺りの建物やなんかも、東京大空襲が無かったから古い物が結構残っているの」

 

 大通りに出た車は皇居の周りに巡らされた堀の外側を進んでいく。緑の森に覆われた吹上御苑の姿は変わらない。

 

 懐かしく思いながら外周を走る皇居ランナーたちを眺めていると、ふと気づいたことがあった。

 

「何だか彫りの深い顔をした人が多いですね」

 

「ああ、そのこと……」

 

 肘掛からリモコンを取り出した飛鷹がボタンを押すと、天井からTVモニターが下がってきた。電源が入り、スピーカーからアナウンサーの男性の声が流れ始める。

 

『―――さて夏の全国高等学校野球選手権大会関連のニュースです。全ての地区予選が終わり出場校が揃いましたが、今年はどうでしょう?』

 

『やはり注目は国立嘉義大付属でしょうか。予選の台湾大会でも圧倒的な名門校の実力を見せつけてくれました。ところがさらに南から新たなライバルがやってきたんです―――』

 

 パラオ・マルキョク高等学校が高知で合宿入り、南国野球密着取材と書かれたテロップの後ろで、イガクリ頭の日に焼けた高校球児たちが船のタラップを降りて来る映像が流れる。

 

 少年らの顔は明らかに彫りが深く、いかにも東南アジア系といった感じだ。

 

ピッ

 

『―――内地の予報に続きまして、大東亜共栄圏の天気をお伝え致します。ジャワ島では1000mmを越える大規模なスコールが見込まれており、外出の際は予め退避施設を確認しておきましょう。また残った雨水はハマダラカなど熱帯病の原因となる害虫の発生源に―――』

 

 ピッ

 

『―――来日した豪州外務大臣は帝国との航路安全保障条約の延長について―――』

 

ピッ

 

『―――東亜の平和を乱す悪い深海棲艦は、この艦隊のアイドル那珂ちゃんがやっつけてあげる!!くらえ、那珂ちゃん探照灯ビーム!!』

 

 ピッ

 

「と、今の日本、大日本帝国は第二次大戦時の最大勢力版図を維持しつつ西洋の旧植民地国を次々と独立させ、絵に描いた餅だった大東亜共栄圏を実現。東南アジア各国はAseanみたいな諸国連合――大東亜会議を結成し、日本はそのオブザーバーを務めているわ」

 

 標準語が日本語だから旅行する分には困らないけど、人や物の動きが活発になったせいで治安面では色々問題も起きているのよね、と付け加える。

 

「じゃあ満州とかはどうなっているんですか?」

 

「大陸のこと?あっちはとっくの昔に全面撤退」

 

「……それだと関東軍みたいな陸軍が抵抗しそうですけど」

 

「もちろんお偉いさんたちは反対したけど、深海棲艦のおかげでソビエトが不凍港を求めて南下する可能性が限りなくゼロになったから、大陸に橋頭保を維持する必要も無くなった。それで日本海を行き来するリスクだけが残って、結局海軍が護衛を出さないぞって脅したら、渋々撤退に同意したわ」

 

 戦後の歴史を知っているとその決断は正しいのだろう。

 

 広大な大陸の土地は魅力的だが、日本を動かす化石燃料などの資源を運ぶ海の道とは比べ物にならない。

 

 さらに大陸経営を続けると言うことは、本土からの補給なしにソビエト連邦や国民党、共産党と戦わなければならないことも意味する。

 

 図らずしも『深海棲艦』という最強の盾を手に入れてしまった大日本帝国は、対岸のアメリカが手をこまねいている間に艦娘を戦力化。着々と南方での勢力地盤を固めていったということか。

 

 とはいえアメリカも大陸利権を狙って日本に手を出したはいいものの、10万の命を無駄に散らした骨折り損に終わり、逆に日本に代わり赤化の防波堤として朝鮮戦争、ベトナム戦争、そしてソビエトとの冷戦を戦うことから免れたのだから、悪いことばかりではないのかもしれない。

 

 ……日本の南進を煽動したスパイたちはそれが帝国を利する結果となった今、地の底で歯軋りして悔しがっていることだろうけど。

 

「皮肉な話よね。深海棲艦が現れたおかげで、私たちの知る東京大空襲、広島、長崎、沖縄……その前段階としての硫黄島やガダルカナルみたいな悲惨な戦いの歴史、全てがキャンセルされて無かったことになっている」

 

 言われてみると確かにそうだ。失われるはずだった軍民合わせた300万余の命。いるはずのない彼らが紡いだ歴史が、いま目の前にある。

 

「……あれ?さっき長崎と広島が無事って……じゃあアメリカは原爆開発に成功していないんですか?」

 

「多分、ね。仮に成功していたとしても、深海棲艦への決定打にはならないでしょうけど」

 

 だとするとおかしい。

 

 この世界が艦これに準じた世界であるのならば。そして艦娘たちがこの世界の艦艇を元に生み出されているのだとしたら……。飛鷹の言う通り戦争に原爆が使われていないのなら、艦これの長門が轟沈台詞で原爆実験のことを言う訳が無い。

 

 オペレーション・クロスロード。

 

 戦後アメリカに摂取された長門は、ビキニ環礁での原爆実験、その標的艦となった。

 

 二度の至近での核爆発に耐えた彼女は、実験4日目、人知れず母なる海へと還った。

 

 その時の記憶があるからこそ、長門の轟沈台詞には『あの光ではなく…』という核爆発を意識した言葉が混ざっている。

 

 ……そもそも大日本帝国が『負けていない』にも関わらず、朝潮を含めた艦娘たちが自分の『戦歴と最期の記憶』を持っているのはどういうことだろう。

 

 彼女たちがこの世界で沈んだのなら、既に大日本帝国は敗北していなければならない。

 

 その相手が深海棲艦でなく米海軍であることは、言葉の端々から推察できる。

 

 加えて長門のように負けた後、『戦後の記憶』を持つ艦娘が存在していいはずがない。

 

 そして自分たちは、少なくとも自分と飛鷹は、艦艇としての艦娘たちが沈んだ歴史を知っている。

 

 つまり艦娘は、自分たちと同じところから―――

 

「着いたわ。降りるわよ」

 

 気が付くと自動車は茶褐色のレンガとコンクリートで作られた大きな建物の入り口に停まっており、降車を促すようにドアが開けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 建物、海軍軍令部内の専用エレベーターは地下深くへと降りてゆく。

 

 もう何百m潜っただろう。しばらくしてエレベーターが止まり、シャッター扉がガラガラと音を立てて開くと、目の前に真っ赤な絨毯を敷き詰めた廊下が現れた。

 

 飛鷹に続いて進んでいくと、彼女はある大きな木製の扉の前で歩みを止める。

 

 コンコンとノックすると、中から金剛みたいな声でどうぞ、という答えがあった。

 

 扉を開けるよう、こちらを見ながら飛鷹が頷く。

 

 真鍮製のドアノブを握り、ゆっくりと回す。重い扉が音も無く開いた。

 

「失礼しま……」

 

「ぱんぱかぱ~ん!!」

 

 突然目の前に現れた分厚い胸部装甲に弾き飛ばされる。が、後ろで支えに入った飛鷹の胸部もそれなりに豊かだったため、ぶつかったのと同じ勢いで跳ね返され、再び元の位置に吸い込まれるようにして戻ってしまった。そのまま両腕でぎっちりと抱きしめられる。

 

「お帰り朝潮ちゃん、うふふ♪」

 

「何やってるんですか、愛宕さん!!」

 

「だって二人とも遅いから、わたし待ちくたびれちゃったんだもの」

 

 艦娘屈指の胸部装甲を誇り、長い金髪を腰まで伸ばしたマイペースそうな女性、高雄型重巡2番艦『愛宕』は、着ている第2軍装の上からでも大きさが分かる自前の二つの膨らみを、むにんむにんと容赦なく顔面に押し付けてくる。

 

「朝潮も困ってるじゃないですか!!」

 

「そんなことないわよ。ねぇ~朝潮ちゃん?」

 

「にゃわっ!!」

 

 再び強く抱きしめられ、口から言葉にならない悲鳴が飛び出した。っていうか、愛宕の顔は真っ赤だし、何だか酒臭い。

 

「Hey,朝潮girl、Youもこっちに来て一緒に紅茶を楽しむデース!!」

 

 提督の執務室をそのまま広げた様な会議室。黒光りした高級そうなテーブルについた金剛が、陶磁のティーカップを片手にケラケラ笑いながら誘っている。奥には分厚いカーテンのひかれた窓があるが、地下室に窓とは一体……。

 

「金剛さん!!朝潮がわざわざ来てくれたというのに、何昼間っからお酒飲んでるんです!?」

 

「ち、違いマース!!これはただの紅茶デース!!」

 

 金剛、うそをつけ!!

 

「それに榛名さんも、何で止めなかったのよ!?」

 

「止めたかったのはやまやまですが、実は榛名が来た時には皆さんもう出来上がってらっしゃったので……」

 

 飛鷹とはタイプの違う、愛宕と同じくらいの長さん黒髪を伸ばした大和撫子が金剛の隣であはは、と諦めたふうに力無く笑った。ゲームの中では真面目な顔つきときりっとした眉毛が特徴の凛々しくも可愛い彼女だが、今日は目尻と眉毛がへにょん、と垂れている。

 

 金剛型戦艦3番艦『榛名』。大日本帝国の栄光と落日を見守り、戦後はその身を復興資材として差し出した健気な彼女であっても、暴走する姉は止められないらしい。

 

 他に助けてくれそうな人は、と視線を巡らすと、テーブルの端に二つの人影を認めた。

 

「対空電探が一つ、対空電探が二つ……ドナドナドナドナ……」

 

「今日もオリョクル明日もオリョクル上から爆雷雨あられ……痛いの痛いの飛んでかないよぉ……」

 

 あ、この人たちは当てにならない。

 

「―――ひよっこどもがぴーちく五月蠅いです。大体艦娘のくせに、この程度のエタノールに呑まれるなんて連合艦隊失格なのです」

 

 ブランデーのラベルが貼られたガラスボトルがどん、とテーブルの上に置かれた。

 

 背が小さくて気付かなかったが、榛名の隣にもう一人座っている。その人物は目の前に置かれたティーカップにボトルの中身をどぷどぷ注ぐと、それを一気に飲み干してほうっと熱い息を吐き出した。

 

「愛宕、じゃれるのは用件が終わってからにするのです。ついでに隅でブツブツ言ってる二人、味噌汁で顔洗って目ぇ覚ましてくるです」

 

 暁型駆逐艦4番艦『電』。自分と同じように幼い体に不釣り合いな軍服を着た茶髪の少女が、居並ぶ面々を睨みつけながら言い放つ。

 

 ゲームの彼女は敵さえも助けようとする優しくて穏やかな性格のハズだが、同じ姿でも目の前にいる電の眼光は歴戦の兵のそれだ。

 

 その言葉でやっと皆がごそごそ動き始め、自分も愛宕の胸部装甲から解き放たれた。ほっと息をつく。しかし電はあんなものを飲んでても大丈夫なんだろうか。

 

「DMMの登録は18歳以上だから問題無いのです」

 

 こちらの視線に気付いたのか、先に答えられてしまった。見た感じ確かに素面だけど、いいのかそれで?

 

 全員が席に着き、榛名の手で普通の紅茶が入れられる。自分は飛鷹と愛宕に挟まれる形でテーブルの真ん中に座らされた。両側の分厚い胸部装甲の圧迫感と、向かい側の電が放つオーラが半端ない。

 

「それでは改めて提督会を始めるです。会長を務めさせてもらっている、呉鎮守府の電なのです。このクソゲーな世界にようこそ、朝潮」

 

「佐世保の金剛デース。副会長やってマース。この前は電話越しに失礼したネ、I’m glad to see you!!」

 

「同じく副会長、舞鶴の榛名です。騒がしくして申し訳ありません。集まるといつもこうなんです」 

 

 姉も電も中の人の影響かキャラが濃そうだもんな。

 

 この3人、新選組の試衛館メンバーみたいな感じがする。トップが土方で外見が電というのが違和感の塊だけど。

 

「私は大湊の愛宕。うふっ♪」

 

 唇に人差し指を当ててこちらを見る愛宕。薄く開いた瞳が狩猟者のそれに思えるのは気のせいだろうか。

 

「トラックの五十鈴よ」

 

「リンガ泊地からこんにちは~!!ゴーヤだよ!!」

 

 愛宕の隣、某電子の歌姫みたいに黒髪をツインテールにまとめているのが由良と阿武隈の姉妹艦、長良型軽巡2番艦『五十鈴』。由良を上回る対潜番長だが、大人びた印象を受けるから改二なのかもしれない。

 

 そしてゲームで提督指定のスク水姿に見慣れているせいか、服を着ているのがおかしく見えるのがテーブルの隅に座っている巡潜乙型改23番艦『伊58』ことゴーヤ。

 

 ショートカットにした桃色の髪の上に、くるっと天使の輪みたいなアホ毛と桜の花びらをあしらったカチューシャが目を惹きつける。

 

「最後に私、ラバウル基地の飛鷹。以上、あなたを入れて計8人が提督会のメンバーよ」

 

 隣の飛鷹がこちらに目配せをする。それを合図に勢いよく椅子から立ち上がった。

 

「は、初めまして、横須賀鎮守府の朝潮です。よろしくお願いします!!」

 

「もちろんネ!!T-partyへようこそデース!!」

 

「はい、榛名もよろしくお願いします!!」

 

「―――問題ないのです。電の足さえ引っ張らなければ」

 

 金剛姉妹はフレンドリーだが、電の反応が黒い。これではまるで……

 

「ちなみに電は、ナスは嫌いではないです。大根おろしたっぷりのつゆで食べる肉厚のナスの天麩羅はジューシーで大好物なのです」

 

 電でなくプラズマだ、と考えそうになったところでそれとなく釘を刺された。

 

 何者だろう、この人。

 

「皆に何度も同じ反応をされれば、嫌でも分かることなのです」

 

 ……あまり気にしないことにしよう。手元の紅茶をずずっ、とすする。

 

 苦い。朝潮が子供舌のためか、紅茶もコーヒーもストレートが苦手になっていたことを思い出し、卓上のミルクと角砂糖をたっぷりと入れる。

 

「さて、詳しい話を始める前にまず確認しておくです。朝潮―――元の世界に戻りたいですか?」

 

 紅茶をかき混ぜるスプーンの手が止まる。

 

 頭の中に横須賀鎮守府の仲間たちの顔がよぎった。

 

 元の世界に戻るということは、モニターの向こう側に帰るということ。それは彼女たちと別れ、その活躍を見守るだけの提督に戻るということだ。

 

 躊躇いで心が揺れる。

 

「わたしはこの世界も好きなのよね。色んな女の子が身近に一杯いて楽しいし」

 

「愛宕、酔いを醒ましたいなら紅茶を鼻から飲むことをお勧めするのです」

 

 あらあら、と愛宕が笑って誤魔化す。

 

 朝潮である自分に優しく接してくれた横須賀鎮守の皆との生活は、短い間だったけれどもとても楽しかった。ずっと一緒にいれればとも思った。が、

 

「はい、戻りたいです」

 

 はっきりと言い切った。

 

 確かにあの場所はとても居心地が良い―――でも、あそこは本来朝潮の居場所だ。

 

 それを自分が勝手に奪ったままでいいわけが無い。

 

 電が頷く。

 

「結構、なのです。最低限ただその一点について、我々は心と目的を一にする同志。よく覚えておくのです……では朝潮、母港画面を開いて任務を選択するです」

 

―――ヴンッ

 

 見慣れた艦これの母港画面が開く。そして任務一覧。

 

 ざっと目を通すが、編成や演習、補給や工廠などチュートリアル的な任務は全く無い。

 

 ほとんどは敵空母や補給艦が相手の『〇〇を撃破せよ』系任務だが、そんな中で一つ、黒で縁取られた任務が目を引いた。

 

『司令艦反攻作戦!劣勢に陥った帝国を助け、敵勢力を押し返せ!』

 

 いつの間にか遂行中となっており、50%以上達成のマークが付いている。

 

「黒縁の任務、それが元の世界に戻るためのカギと考えられるものです。勢力比が3割越えで50%以上達成となったことから、少なくとも彼我の戦力均衡を五分以上に押し戻せば任務は完了。司令艦からの解放について何らかのヒントが得られるはずなのです」

 

 『反攻作戦!』の報酬資材はゼロ。つまり任務達成で得られるものはアイテムなど別のものである可能性が高い。

 

「任務がtreeになっていて次の任務が現れる可能性もあるのデスが、私たちにはno choice。できることからやっていくしかないネ」

 

「金剛姉様から伺っているかと思いますが、榛名たちがここに来た時人類側はかなり押し込まれていて、勢力比も1:9と悲惨な状態でした」

 

「艤装の修理も燃料弾薬のsupplyもままならず、猫まんま一杯で敵主力艦隊と殴り合う日々―――思い出したくもないデース」

 

「姉妹4人で砲弾でなく鋼材を手に、戦艦タ級を袋叩きにしたこともありましたね」

 

 何をやってる金剛型。

 

 言われてみるとここにいる司令艦は皆、ベースとなっているのは小型艦や燃費の良い艦娘ばかり。大和や長門のような超弩級戦艦や、赤城などの妖怪ボーキ置いてけこと正規空母たちでは、いるだけで資材の回復が追い付かず、鎮守府が破産していたかもしれない。

 

「そんな困窮生活に耐えながら敵勢力を押し返す日々。少しずつ戦力比も改善し、資材も増加。さらに新たな司令艦のいる鎮守府『サーバー』も増えてきたところなのです」

 

「じゃあこの世界に普通の提督はいないんですか?ゲームのプレイヤーみたいな」

 

 浮かび上がった疑問を口にする。

 

「もちろんいるわ。提督―――艦娘の艦隊指揮と鎮守府での管理を行う、『特務提督』と呼ばれる人たちが」

 

「でも艦娘との相性を最優先にしてかき集めた人材だから、若い人が多かったし、当たり外れも激しかったのよねぇ……しかも上層部からすれば従順で無能な提督の方が扱い易かったり。優勢な時はそれでもいいけれど、一旦劣勢に回ってからはもうグダグダよぅ」

 

 飛鷹に続いて愛宕がスプーンを口に咥えながら続ける。

 

「情が湧いて小破での帰還命令や出撃拒否は序の口。艦娘と恋仲になって脱柵を企てたり、痴情のもつれが傷害事件になったり、果ては艦娘を妊娠させる提督がいたり―――皆、戦時下で子孫存続の欲求が湧き上がるのは仕方ないのですが、時勢と立場をわきまえて欲しいものなのです」

 

「普段は『糞提督』って悪態ついてる駆逐艦娘のお腹が会う度にどんどん大きくなっていくとか、下手なB級ホラーよりも背筋が凍ったのでち」

 

 それでも純粋に恋愛関係だったのが唯一の救いでち、とその光景を思い出したのかゴーヤはぶるっと体を震わせた。

 

 何という今日も鎮守府は修羅場な世界。

 

「ただ、甘いとも取れる彼ら特務提督のことは、榛名としても責められません。艦娘を運用する上で彼女たちに優しいことと愛情を注げることは、提督として最も重要な資質ですから」

 

 仮に自分が同じ立場なら、死ぬと分かっている戦場に艦娘を赴かせることができるだろうか。

 

 いや、画面操作の中破進撃でさえ手が止まるのだから、艦娘たちとの距離が近くなるほど無茶はできなくなるだろう。

 

 兵器と割り切って酷使すれば信頼を得られず本領も発揮できず、かといって女の子として扱えば危険な作戦に従事させられず。提督と艦娘の弱点は、結局人間部分ということか。

 

「ごめんなさい五十鈴ごめんなさい赤城の餌にしてごめんなさい!!」

 

「ゴーヤ赦して欲しいでちもう二度とオリョクルもカレクルもさせないでち!!」

 

 と、急に五十鈴とゴーヤが頭を抱えて自分を責め始めた。

 

「二人ともどうしたんです?」

 

「いつものことネ。司令艦が『なる』艦娘は、Hollow serverをclickした時の秘書艦デス。提督だったころ五十鈴牧場とオリョクルの常習犯だったのが、今になって自分にreturnしているだけヨ。好きなだけconscienceに悶えさせておくデース」

 

「因果応報、情状酌量の余地無し、なのです」

 

 憮然とした表情でクッキー皿から取ったジンジャーボーイの首をがりっと噛みちぎる電。

 

 言われてみれば、あの時自分も秘書艦が朝潮だった記憶がある。だから自分が朝潮になってしまった。

 

 でも、

 

「一体誰が、何の目的で司令艦なんてものを……」

 

「目的は簡単です。行き詰った戦況の打破。この世界でも艦娘は、ゲームの艦これと同じように大破轟沈でlostします。大破した艦娘がいてもあと一歩で勝利に手が届く、そんな状況で提督が賭けに出られなくなることが問題でした。何度でもやり直せるゲームと違って……」

 

「帰ろう。帰れば、また来られる―――キスカでの木村提督ならともかく、every timeそんな状態では巻き返しは望めまセン。だから必要になったのデース―――Victoryのためriskyな進撃を選べる提督、我が身を省みないbattleshipとしての艦娘が」

 

 それが提督であり、また艦娘でもある決戦兵器、『司令艦』。

 

 榛名と金剛が頷く。

 

「艦種の枠を超えたスペック、轟沈しきらない耐久力、補給なしでも出撃可能、兵装スロット増加、柔軟な発想力、リアルタイムな戦場把握、上層部の介入を排除……特務提督に置き換わる形で配備された司令艦は関係者以外その存在を秘匿され、姿を見せない謎の提督と噂されながらも幾多の戦場で勝利を重ねていきました。戦わなければ帰れないのですから、当然といえば当然ですが」

 

「―――艦娘を造る技術の副産物から生まれた割には、安上がりな使い捨ての傭兵なのです」

 

「副産物?」

 

「Yes、前提として艦娘を構成するingredientsは『少女』『艤装』『船霊』の3つネ。『少女』は徴兵で国内から掻き集め、『艤装』と『船霊』は深海棲艦を倒すとdrop―――」

 

「―――待って下さい!!」

 

 ドンっ、とテーブルを叩いて立ち上がった。驚いた金剛が口を開けたまま固まる。

 

「徴兵!?それじゃあこの国の女の子は、無理矢理艦娘にされてるってことなんですか?!」

 

「適性を調べて本人のwillを確認してからデス。無理矢理というわけでは―――」

 

「戦力が足りなくなったらそうも言ってられないはずです!!」

 

「あのね、朝潮。さっき東京駅で女子小学生の集団に会ったのを覚えてる?あの子たち、多分横須賀市内の会場に徴兵検査に向かうところだった。男女問わず徴兵と兵役の義務がある。この世界ではそれが普通のことなのよ」

 

 飛鷹がフォローするが、そんなことで昂ぶった気持ちを抑えることはできない。

 

 あんな年端もいかない女の子たちが家族と引き離され、名前を奪われる代わりに鉄の艤装と戦争の記憶を背負わされ、船の名で呼ばれながら深海棲艦と戦う。

 

 朝潮と呼ばれるこの子にも、普通の女の子としての人生があっただろうに。

 

 視界の中でぎゅっと握りしめた手は、とても小さい。

 

「黙るのです、朝潮」

 

「でも、こんな酷い―――」

 

「平時の感覚で戦時を語るな、この平和ボケ!!」

 

 電の怒号でビクッ、と体がすくむ。

 

「深海棲艦は通常兵器で『殺しきれない』。奴らを倒すには『人間性を持った兵器』が有効―――艦娘が生み出される前、この二つに気付いた軍令部が何をしでかしたか想像してみるのです!!」

 

 人間性を持った兵器?すぐには理解できなかったが、やがて言葉の意味が分かり戦慄が走った。

 

 人間兵器。それはつまり、

 

「特攻兵器……」

 

「なのです。『神風特別攻撃隊』『震洋』『伏竜』『回天』。この世界にも……」

 

「てーとく、アレはいらないからね」

 

 突然ゴーヤが声を上げた。全員の視線が彼女に集中する。

 

「何でてーとくは聞いてくれないんでちか?アレが無くてもゴーヤ戦えるのに。何でてーとくは分かってくれないんでちか?」

 

 瞳孔の開いたゴーヤの虚ろな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ始める。

 

「何で黙ってるんです、提督?伊58は提督が分からない―――提督が―――怖い―――」

 

「大丈夫よ、もう嫌なことはしなくていいんだから落ち着いて」

 

「だって、だって魚雷から声が――『お母さん』って―――」

 

 慰める五十鈴の胸に顔をうずめ、ゴーヤは声も無く泣き出した。対潜番長で最期は米潜水艦に沈められた五十鈴が潜水艦を抱きしめるというのも、ある意味不思議な光景だ。

 

「……失言したのです。五十鈴、しばらくゴーヤを頼むです」

 

 渋い顔をする電。

 

「これは……」

 

「『記憶と感情の溢流』。艦の魂を受け入れたことによる情報のバックフローよ」

 

 あなたも経験あるでしょ?と飛鷹がこちらを見る。

 

 自分が知っているのは深雪のトラウマスイッチくらいだが、あれもそうなのだろうか。

 

「艦娘、特に駆逐艦娘のように幼い子は、ちょっとしたことをきっかけに記憶が溢れ出して、自分では感情制御できなくなっちゃうのよねぇ。司令艦とはいえ、艦娘であるわたしたちも他人事じゃないし」

 

 愛宕が同情するような視線を五十鈴にしがみついたままのゴーヤに向けた。いつも余裕綽々の印象がある彼女が、取り乱す姿など想像できない。

 

「けれども、この記憶の波が曲者です。何度も打ち寄せることで海が崖を浸食するように、艦娘の元の人格、元の記憶が少しずつ削り取られていくんです」

 

「それを利用して船霊と強制的に同調、sympathizeさせ、艦としてさらなる力を引きずり出すのが改造ネ。戦力増強に必要とはいえ、相変わらず軍上層部のgreatなimaginationには頭が下がるデース、bull shit!!」

 

「金剛姉さま、汚い言葉は比叡姉さまが悲しみますので……」

 

 窘める榛名にSorryネ、と冷めた紅茶を一気に飲み干す。

 

「記憶を削る?じゃあ削られた子はどうなるんです!?」

 

「運が良ければ元の人格を保てます」

 

「……運が悪かったら?」

 

「元の人格と艦としての記憶がまだら模様に混ざり合い、除隊し戦場を離れても二度と『元の自分』には戻れません。最悪自分が誰なのかも忘れてしまいます」

 

 淡々とした答えが返ってきた。あまりの内容に絶句する。戦いを潜り抜け生き延びたとしても、それでは生ける屍ではないか。

 

「提督会の初期メンバーは電と金剛を含めた4人だったのです……」

 

 黙っていた電が重々しく口を開く。

 

「けれども電も金剛もこの世界をゲームの延長線と侮り、司令艦として能力を得えたことで慢心していたのです。特にその内の一人、舞鶴の最上提督は好んで危険な戦場に飛び込み、八面六臂の大活躍だったのです」

 

「最上提督?でも、さっき舞鶴は榛名さんって……」

 

 それが答えなのです、と電は静かに言葉を続ける。

 

「司令艦も無敵ではなかった。その力には代償と限界があったのです。最初は話が合わなくなった、という程度だったので、電たちも最上提督の異変に気付けませんでした。けれども大破や轟沈を繰り返すうちに彼女の記憶は少しずつ削られ、いつしか普通の『航空巡洋艦・最上』になっていったのです」

 

 司令艦が記憶を削られる……それは司令艦にとって死を意味するということは、ここに来て日の浅い自分にも分かった。

 

「そしてある日、提督会から最上の姿が消えたのです。司令艦の行動にはフィルターが掛けられていて、軍務以外で他の鎮守府に接触することは禁止されています。電たちにできたのは、執務室に電話をかけることくらい。最上提督が姿を消して2か月、新しく司令艦として赴任した榛名が電話を取ることによって、彼女の辿った運命が分かりました。航巡最上は沖ノ島海域で待ち伏せしていた敵駆逐艦の雷撃を受け、大破轟沈―――司令艦最上は、艦娘最上として戦死していたのです」

 

「最上さんは……還れたんでしょうか?元の世界に」

 

「分からない、です。そうであることを祈るだけなのです」

 

 ふぅ、とため息をついて手に持ったティーカップ、その褐色の水面を見つめる電。戦友を失った彼女の気持ちは、自分の想像できるようなものでは無い。

 

「誰ですか……」

 

「朝潮?」

 

 ふつふつと怒りが湧き上がって来た。

 

 特攻兵器などより艦娘が効率的だというのは分かる。それが一番犠牲が少ないであろうことも分かる。ただ、手段が気に入らない。

 

 艦娘も、司令艦も人間だ。それを理屈でこうだから、と逃げられない状況に追い込んで戦わせるなんて、性質が悪いにも程がある。同じ人間の所業とは思えない。

 

「誰なんですか―――こんなクソッタレなシステムを作った奴は!!」

 

「知りたいですか?」

 

 大きく頷く。そして叶うなら、2,3発ほっぺたをはたいてやりたい。

 

 電が金剛に目線で指示する。金剛がいつの間にか取り出した白く小さいプラスチック製のコントローラーを窓に向け、そのスイッチを押した。

 

 カーテンがゆっくりと開かれる。

 

 窓の向こう、照明に照らされ浮き上がる光景……まるで機械の森、いや墓石の林か。

 

 角柱や板状、立方体などの構造物が、巨大な円筒状の部屋の内面にびっしりと隙間なく立ち並んでいる。そこから伸びた赤青白黒黄緑、色とりどり太さもばらばらなケーブルが、水栽培の球根から伸びた根っこのように構造物を結び付けていた。

 

「―――正式名称『海軍七〇式人型艦艇統合電脳参謀』、通称『提督機』。こいつがこの世界で艦娘を造り運用し、そして電たちを司令艦にした張本人なのです」

 

 開いた口が塞がらない。まさか人間ですら無かったとは。

 

 思わず椅子を蹴って立ち上がり、窓際に駆け寄った。厚いガラスの向こう側、円筒の中心には一際大きな柱が一本、何かの記念碑みたいに高く聳えている。表面で輝くパイロットランプがこちらの視線を感じてか赤から青に変わる。色の変化が漣のように部屋全体に広がる様は、まるで部屋自体が鼓動しているかのようだ。

 

「提督機に人格はありません。あるのは深海棲艦を排除するという妄念のような目的意識だけ。元々深海棲艦の残骸から船霊を抽出する装置だった提督機は、その過程で船霊が来た世界、つまり榛名たちの世界を認識しました」

 

 やはり艦娘の持つ船の記憶は、自分たちの世界のものだったか。そしてそれが二つの世界を結びつける鍵になった。榛名が言葉を続ける。

 

「恐らく何らかの呪術的な機構を組み込まれているから、このような芸当が可能になったのだと思います。私たちの世界に介入した提督機は、どうやってか艦これ運営のシステムサーバーにアクセス。提督であるユーザーを利用すべく罠を仕掛けました」

 

 それが『虚帆泊地』。

 

「司令艦は艦これのインターフェースを使って指示を出していますが、これも提督機がゲームと同じ『運営とユーザー』という体裁を取ることで、呪術的な結びつきを強めているためと考えられます。実際榛名たちの指示は提督機を通して、軍令部から発令される形で鎮守府に伝えられているんです」

 

「面倒くさいfuck’n computerネ。叶うなら46cm三連装砲5スロット論者積みをたらふく喰らわせてやりたいものデース、demn it!!」

 

 歯を食いしばる。ぎりっ、と奥歯の軋む音が頭に響く。

 

「―――壊しましょう。いえ、壊すべきです。こんな人を不幸にする機械―――」

 

 振り返って司令艦たちに呼びかけた。が、誰も応えない。電でさえも、どこか諦めたような表情で窓の向こうを眺めている。

 

「どうして―――」

 

「……気持ちは分かるデス。でもここにいる全員が既に人質を取られているので、その案はimpossibleネ」

 

「安全保障の問題ですか?でも、艦娘に頼り切りの今だって十分おかしい……」

 

「違うのです!!」

 

 電の叫びが空を裂く。彼女の顔は苦渋に歪み、小さな唇は色が変わるくらい強く噛み締められている。

 

「同じことは電たちも考えました。提督機を破壊すれば元の世界に戻れる、艦娘だけに全てを背負わせる現状を変えられる、最上提督のような犠牲を出さなくて済む、と」

 

「だったら何で止めるんです!?」

 

「皮肉にも最上提督が気付かせてくれたのです―――朝潮、答えて下さい。お前の『名前』は何ですか?」

 

 地の底から響くような低い声で電が尋ねる。

 

 名前?そんなの決まっている。

 

「朝潮です。皆知ってるじゃないですか」

 

「違う。それは駆逐艦の、太平洋戦争で沈んだ船の名前です。もう一度聞くです―――今ここにいる『お前の名前』は何ですか?」

 

「自分の―――名前―――」

 

 朝潮ではない、本来の名前。

 

 一人の提督、プレイヤーとして画面の向こう側から艦これ世界を眺めていた時の……

 

「あれ―――」

 

 おかしい。

 

 思い出せない。

 

 あんなに当たり前のように使っていた自分の名前が出てこない。音でなく文字で記憶を掘り起こそうとするが、やはり何も浮かんでこない。

 

「そんな――」

 

 よろめいた拍子にふと窓ガラスに映る少女の姿に目が止まった。

 

 白い詰め襟の学生服を着た、長い黒髪の幼い少女。自分が手を動かせば鏡像の少女も手を動かし、微笑めば彼女も笑う。ならばこの少女こそが私なんだろう。おかしいことは何も無い。朝潮は私。違う!!第八駆逐隊旗艦として佐藤司令官と共に違う違う違う!!

 

「―――だれ―――わたし―――あさしお―――ちがう―――だれ―――」

 

 頭が割れるように痛い。

 

 ぐるぐると世界が回る。

 

 足がもつれて大きく体勢が崩れた。

 

「大丈夫、朝潮ちゃん?ちょっとショックが大きかったかしら」

 

 ぽふっ、と体が柔らかい何かに沈みこむようにして受け止められた。

 

「愛宕―――さん?」

 

「はい、駆逐艦みんなのお姉さん愛宕です。うふふっ」

 

 両腕が回され、そのまま豊満な愛宕の体にぎゅっと抱きしめられる。

 

「いいんです。あなたは今、朝潮ちゃんでいいんですよ」

 

 愛宕の身体は豊満で……というか豊満過ぎてずぶずぶと肉に埋もれるというか溺れていくというか。良い匂いがして柔らかくて気持ちいいんだけど、これは長時間だと癖になるというかダメになる系の気持ち良さだ。

 

「そろそろ離してやるのです、愛宕。そのまま朝潮を吸収合体でもするつもりですか」

 

「あらあら、それもいいわねぇ。朝潮ちゃんだと上昇するのは若さと可愛さかしら」

 

 良くない!!近代化改修の材料にされてたまるもんか!!

 

「ぷふぁっ!!」

 

「いや~ん」

 

 何とか身をよじって愛宕の肉体からから逃れる。

 

「落ち着いたですか、朝潮」

 

「……さっきのは一体……」

 

「名前を見失った魂が拠り所を求めたのです。艦娘になる時、少女は名前を奪われ『艦』としての名前を与えられます。そしてそれは司令艦も同じ。本来の名前を提督機に奪われ、無理矢理押し付けられた『艦』としての名前に縛られ、艦娘にされてしまったのです。気付けたのは、最上提督が目に見える形で記憶を失っていったから―――そうでなければ電たちも名前を失くしたことにさえ気付けなかったのです」

 

 由良が言っていた、『名前』で『船霊』と『少女』を結びつける技術。それを画面の向こう側の提督に応用したということか。

 

「さっき言った人質の一人目は自分自身です。提督機から自分の名前を取り戻せなければ、司令艦は皆、名無しの御霊としてこの世界を漂うことになってしまいます」

 

「そして二人目も自分自身デース。正確には司令艦の素体となった艦娘ネ。nameを奪われ、与えられた『艦』としてのnameも司令艦に取られた今、彼女たちの存在はこの世界から完全にvanishしていマース。可能性はvery lowですが、私たちが帰還を果たすことで彼女たちをrescueできるかもしれまセン」

 

「最後の人質はこの国の、この世界の未来。押し返したと言っても人類は未だ劣勢で、予断を許さない状況なのです。大きく戦局が優位に動けば司令艦がいなくてもこの世界はやっていける。危険な戦場が少なくなれば、後のことは特務提督と艦娘たちに任せられるのです」

 

 自分の席を立った電がこちらに近づいて来る。目の前で止まった彼女の身長は、自分……朝潮よりさらに小さい。

 

 二つの茶色い瞳が心の奥底まで覗き込むかのように、真っ直ぐこちらの双眸を見捉えた。

 

 たじろいで一瞬目を逸らしそうになるが、それは電の自分の心を覗けという意思表示なのだと気付き、視線に力を込めて彼女の瞳を見つめ返す。

 

 電の深淵には、穏やかな海の向こうに水平線がどこまでも広がっている。

 

「朝潮、一緒に戦うのです。戦えばこれ以上、誰も不幸にならずに済みます。この世界の子供たちは、そして時間が止まったままの船魂たちも、戦争しか知らないのです。いつかではなく今、彼らに本当の『静かな海』を見せてやる。そして大手を振って元の世界に帰還しましょう。司令艦には、朝潮にはその力があるのです」

 

 ゆっくりと差し出された電の手を握る。彼女の手は小さかったが、それ以上に熱さを感じた。電の中に燃える炎を映した様な熱は、手を離した後も掌に残り続けた。

 

「では、そろそろ―――」

 

「ご飯の時間でちか?ゴーヤ待ちくたびれたでち!!」

 

「きゃっ!!」

 

 五十鈴の胸元からゴーヤが跳ね起きて、ご飯、ご飯と辺りをきょろきょろ見回す。

 

 さっき泣いていたことも忘れてしまったみたいだ。

 

「相変わらず締まらない子なのです」

 

 電が苦笑したのをきっかけに、皆の間に笑いが広がる。

 

「でも確かにいい時間になったのです。榛名、二次会は?」

 

「はい、榛名にお任せください。既に老舗の牛鍋屋に部屋を押さえています!!」

 

 おおっ、と歓声が上がった。

 

「全艦抜錨!!榛名を旗艦に両舷最大戦速、なのです!!」

 

「Yes!!大蔵省が不当に搾り取ったtaxを、市井に還元するのデース」

 

「ぁん、すき焼きなんて食べてまた排水量が増えたらどうしましょう」

 

「どうせ愛宕は胸部装甲がさらに分厚くなるだけじゃないの」

 

「五十鈴も人の事言えないでち。少し分けて欲しいくらいでち」

 

 皆、口々に好きなことを言いながら席を離れ、先に榛名に続いて部屋を出ていく。

 

「私たちも行くわよ」

 

 いつの間にか傍に立っていた飛鷹が声をかけてきた。

 

 彼女に従って部屋を出るときちらっと振り返ると、提督機が色とりどりのランプをちかちか点灯させながら稼働している姿が目に入った。

 

 司令艦の力で静かな海を、と言った電のことを思い出す。

 

『狡兎死して走狗烹らる』

 

 待っていろ、このクソ提督。

 

 戦いが終わって不要になったら、ガムテープで縛って粗大ゴミに出してやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頭の下の二つある枕に頬ずりする。化学繊維のスカート越しに、弾力のある肌が触れた。

 

「もう、何やってるのよ朝潮」

 

「だって飛鷹さんの太もも、とってもすべすべ……気持ちいいです」

 

「ったく、誰がお酒なんか飲ましたのよ」

 

 深夜、人気のない東京駅の横須賀線。プラットフォームに設置された木製のベンチに火照った体を横たえながら、膝枕をしてくれる飛鷹の足の感触を楽しむ。

 

 アルコールのせいか、それとも散々愛宕に抱きしめられたせいか、女性との距離感のタガが変に外れてしまっているみたいだ。

 

「飛鷹さん、連絡してくれてありがとうございます」

 

「はいはい。一応あなたの携帯から横鎮に掛けたけど、迎えに来てくれるかどうかは分からないわよ。誰も来なかったらここで野宿ね」

 

「大丈夫です。枕があるから平気です」

 

「私も付き合うの!?」

 

 素っ頓狂な声を上げる飛鷹。彼女の服装は第2種軍装ではなく、昼に小学生を引率していた女教師みたいな、白いブラウスに事務員が穿いているような丈の長い黒スカートに変わっている。

 

 艦娘が酔った姿を衆目に晒したくない、ということで牛鍋屋の帰りに着替えたのだが、飛鷹のような和風美人が地味な服装というのも、布地の上から魅力が透けて見えるからこれはこれで面白い。

 

 ちなみに自分も着てきた軍装をひっぺがされ、スーパーに売ってる980円くらいの、白地に赤の水玉という微妙なワンピースに着替えさせられている。

 

 飛鷹も自分も長い黒髪なので、傍から見たら仲のいい姉妹に見えるかもしれない。

 

「そういえば飛鷹さん、飛鷹さんって男なんですか?」

 

 頭の上で飛鷹がぶっ、と吹き出す。

 

「な、こんなところで何てこと言うのよ!!人に聞かれたら誤解されるじゃない!!」

 

 慌てて辺りを見回すが、幸いプラットフォームに人影は無い。

 

「心配しないで下さい。朝潮も一緒です」

 

「あのねぇ……」

 

「でも、喋り方が女の人みたいで驚きました」

 

「……じきにあなたもそうなるわよ」

 

「え~、そんなの恥ずかしいです」

 

 飛鷹はふぅ、とため息をついた。

 

「『水は方円の器に随う』って言ってね、今の私は誰が見ても艦娘・飛鷹。元の面影なんて欠片も無いから、知らない間に心は外見に染められていく。それどころか最近じゃ、自分は最初から飛鷹で元の世界の方が夢だったのかもしれない、なんて思うこともあるわ」

 

「じゃあもしかして、立ちションのやり方も忘れたんですか?」

 

「ばっ!?」

 

 コツコツコツ、と革靴の音が飛鷹の後ろを通り過ぎて行った。黒いスーツに駅帽を被った後姿からすると、見回りに来た駅員らしい。

 

「聞かれちゃったじゃない、もぅ!!」

 

「あはは……」

 

 自分の口から鈴を転がした様な可愛い笑い声が響いた。

 

「まあ、そんなことを言える間は記憶の浸蝕も心配ないわね。あの堅物の朝潮が酔っていたってそんな下品な話、するわけ無いもの」

 

 クラスメートの男子が持って来たエロ本を没収して、後でこっそり読んで赤面したりはするかもしれない。

 

「金剛さんたちはどうなんでしょう?」

 

「あの人たちは古株だから、元の性別の記憶なんてとっくの昔に飛んでるわね」

 

「電さんも、司令艦の代表って感じで凄かったです。さすが会長ですね」

 

 飛鷹の答えが返ってこない。

 

「どうしたんですか?」

 

「……電は二代目会長よ。元々提督会は初代会長が『元の世界に戻る為に司令艦同士で協力しよう』と始めたものなの」

 

「初代会長、ですか。その人も凄いです。いきなりゲームの世界にやって来て、他の人のことを考えられるなんて」

 

「……そうね」

 

 いつになく歯切れが悪い。何か気に障る事でも言ったのだろうか。

 

「もしかして初代会長って、最上さんだったんですか?」

 

「違うわ。そもそも私がラバウルに着任したのは、最上提督が轟沈したずっと後だし」

 

 ゲームと同じだとすれば司令艦のいる鎮守府・サーバーは、国内から順に開かれていったはず。つまり初期のメンバーは国内サーバーのどこか、ということになる。

 

「呉の電さん、佐世保の金剛さん、舞鶴が最上提督と榛名さん、大湊が愛宕さん……」

 

 今日会った司令艦たちを指折り順番に数えていく。

 

 おかしい。最上提督の後に榛名が来たのなら、愛宕は初期メンバーではない。

だとすると……

 

ガタンゴトン、ガタンゴトン―――

 

 線路の方に目をやると、ちょうど行きに乗って来たのと同じ白い腹巻を巻いた闇色の車両が、夜間照明を点けながらプラットフォームに入ってくる姿が見えた。

 

「最後の電車が来たみたいね。これに誰も乗っていなかったら、本格的に野宿決定よ」

 

「だったら飛鷹さん、一緒に横鎮に行きましょう!!」

 

「駄目よ、私はまだ東京で用事があるんだから!!」

 

「うちの寮なら飛鷹さんが来ても余裕です!!時々深雪が蹴っ飛ばしてきますけど」

 

「全然余裕無いじゃない!!」

 

 二人できゃあきゃあ騒いでいるうちに少ない降客は改札の方に歩き去って行き、『横須賀』と書かれた行先表示板を持ったつなぎ姿の駅員が車両によじ上り始めた。

 

「お待たせしました。遅くなって申し訳ありません」

 

 優しげな声のした方を見る。

 

 そこには見慣れた小豆色の道着に紺の袴をきゅっと締めた、艦娘としての制服姿の鳳翔さんが立っていた。手にはタオルケットを持っている。相変わらず準備が良い人だ。

 

「鳳翔さん!!」

 

「朝潮さん、軍令部に呼ばれたので致し方ないとはいえ、門限はとっくの昔に過ぎていますよ?」

 

「ごめんなさい……」

 

 さっきまでの浮ついた気分が一気に冷め、しゅんとなる。

 

 鳳翔さんは怒っていない。ただ心配している、という気持ちが言葉の後ろに感じ取れるだけだ。それが響く。

 

「今度からは気を付けましょうね。深雪さんも五月雨さんも、心配しておられましたよ」

 

「はい……」

 

 ベンチの脇に置いてあった第2種軍装を包んだ風呂敷を、脱いだ服はこれですね、と持ち上げる。

 

「それでは帰りましょうか。飛鷹さんも、ご迷惑をおかけしました」

 

 鳳翔さんが差し出した手を取って、よっこいしょ、とふらつきながら立ち上がる。まだ足元がおぼつかない。迎えに来てもらったのは正解だった。

 

「飛鷹さん、今日はありがとうございました。またお会いできるのを楽しみにしています」

 

「ええ、朝潮―――そうね―――」

 

 どうしたのだろう。さっきまでに比べると元気が無いように見える。

 

 ふと、先日の演習で飛鷹に言われたことを思い出した。

 

『鳳翔さんを、あの人を二度と戦場に立たせないで!!』

 

 あの言葉の意図を彼女に聞き忘れていた。自分の知らない何かが、この二人の間にあるというのか。

 

『間もなく横須賀線、本日の最終列車、普通久里浜行が発車いたしま~す。お乗りの方はお急ぎ下さい。お見送りの方は白線の内側に下がって―――』

 

 だみ声の構内放送が列車の出発を告げる。

 

 気になるがもう時間が無い。詳しい事情は日を改めて飛鷹に聞くことにしよう。

 

 手を引かれながらプラットフォームを列車の乗車口へと歩く。途中で肩にタオルケットがかけられた。

 

「鳳翔さん!!」

 

 突然ベンチから立ち上がった飛鷹が叫んだ。

 

 思わず振り返る。乗客たちや発車ベルを鳴らそうとしていた駅員も、彼女の姿に釘づけになっている。

 

「鳳翔さん、私、飛鷹です!!覚えていないんですか!?」

 

「ええ、飛鷹さんですよね、ラバウル基地の。存じ上げておりますが……」

 

「そうじゃない、そうじゃないんです―――私、私のせいで、鳳翔さんはッッ!!」

 

 目を見開き歯を食いしばり、何かを必死に伝えようとする飛鷹。だが、

 

「すみません、もう列車が出発するみたいですので、今日はここで失礼しますね」

 

 そう辞す鳳翔さんの表情は困惑に満ちている。身に覚えのないことで責められている、どうにも理由が分からないといった雰囲気だ。

 

 乗車口のステップを上ると同時に発車ベルが鳴り響き、扉がプシュ―ッと音を立てて閉まった。

 

 ゆっくりと最終列車が動き出す。気が緩んだのか、ふわぁあ、と大きな欠伸をした。

 

「朝潮さん、疲れたでしょうけどしっかり挨拶を返しませんと」

 

 言われて乗車口の窓から外を見ると、飛鷹がこちらに向かって敬礼の姿勢で直立している。

 

 夜間照明に照らされた彼女の大きな橙色の瞳は、少し潤んでいるようにも見えた。

 

 飛鷹に向かって鳳翔さんと二人、並んで敬礼の姿勢を取る。

 

 電車がスピードを上げていくにつれてプラットフォームに立つ飛鷹の姿はどんどん遠くなり、やがて夜の闇が外の世界も彼女もまとめて黒一色に塗りつぶした。

 

 

 

 

 

 

 

――――ヴンッ

 

敵深海棲艦の新たな集簇海域が判明しました。

 

E領域の発生が確認されました。

 

新たな任務が発令されました。

 

任務『敵泊地を襲撃し、これを殲滅せよ』

 


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