艦隊これくしょん-艦これ-司令艦、朝潮です!!   作:めめめ

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任務7『友軍トノ演習ニ挑メ!』

 ○九三○房総半島相模灘沖合40km。

 

 一昨日訓練中に帝都急行発見の第一報があった海域が、今日の演習の舞台。

 

 あれからラバウル基地側と交渉し、結局開始は午前十時にずれ込んだ。

 

 相手側駆逐艦6人に対してこちらは3人という戦力偏重に対しては、指揮訓練も兼ねて新たに阿武隈を嚮導艦に任命し、計4人の阿武隈水雷戦隊を編成し演習に臨むことになった。

 

「こちら朝潮です。指定座標に電子戦ブイを曳航完了しました」

 

 横須賀鎮守府から引っ張ってきた黒い大玉スイカにも見える浮標をリリースし、インカムに向かって報告する。これを演習海域の四隅に設置することでバトルフィールドを設定し、精密な航路や弾道の記録、また場外や模擬魚雷の直撃判定が可能になるんだとか。

 

『五月雨です。あたしも設置完了です』

 

『深雪だぜ。場所は多分合ってる』

 

『了解。これからブイを起動させますので、みなさん少し離れて下さい』

 

 阿武隈の声。数秒して浮標の表面に緑色のパイロットランプが点灯。ここからでは見えないが、水面下ではブイから棒状の位置固定錨が伸びているという。緑のランプはしばらく明滅を繰り返した後、スリープ状態になったのかオレンジ色に変わった。

 

『4基とも正常作動を確認。お疲れ様、そろそろラバウルの人たちが到着する時間だから、一旦由良姉ぇの船に戻ってくれる?』

 

 はい、と応答しマイクを切る。

 

 その場からしばらく動かず波に肌を洗われる黒スイカを眺めていると、不思議なことに気が付いた。

 

「外洋なのに、波が低い―――」

 

 本格的な船旅などやった記憶はないが、少なくとも太平洋はこんなに穏やかなものだっただろうか。まるで昔TVで見た瀬戸内海か地中海のような、静かで穏やかな海が水平線の果てまで広がっている。

 

 いや、そうでなければ船に比べて背の低い艦娘は、沿岸から離れての外洋航行など不可能だろう。鎮守府の銭湯に描かれていた葛飾北斎の大波のように、何mもの高さに荒れ狂う波を打ち砕いて海面を滑っていく能力は、艦娘には与えられてない。

 

 艦娘と海軍、深海棲艦以外に大きな違いは無いと思っていたこの世界は、想像以上に元の世界との矛盾を孕んでいるのかもしれない。

 

 遠くで深雪と五月雨がこちらに向かって手を振っている。相変わらずちゃぷちゃぷ水遊びを続けるブイを一瞥し、その場を去ることにした。

 

 

 

 

 

 今回ベースキャンプとして使用している装甲駆逐艦『竹』は、元々大戦末期に大量生産された松型と呼ばれる小型で廉価な駆逐艦群の一隻だ。

 

 タンカーの護衛任務の後、たまたま補給のため横須賀鎮守府に立ち寄っていたところを、鳳翔さんが交渉して今回の演習に協力してもらうことになった。もっとも彼女に頼まれては、どんないかつい海軍のお偉いさんでも頚を縦に振らざるをえないだろう。

 

 安っぽい装備といかにも間に合わせといった名前から海軍では『雑木林』と呼ばれていた松型だが、厚手の鋼板で両側面装甲を強化改修したその姿は、全身鎧の西洋騎士みたいで少し格好いい。

 

「船団護衛任務で深海棲艦に喰いつかれたら、自分が盾になって船団を護るためなのよ」

 

 快速を特徴とする駆逐艦が何故こんなにゴテゴテの増加装甲で身を覆っているのか、阿武隈に尋ねた答えがこれだ。連装高角砲と対空機銃で身を固めた移動トーチカみたいな船だが、それでも深海棲艦に対しては肉壁にしかならないらしい。

 

 深海棲艦は通常兵器が通用しない、というのは由良も風呂場で話していたが、どういう意味で通用しないのかはそのうち確認する必要がある。

 

 敵装甲に砲弾が跳ね返されるのか、効果が弱くて決定打にならないのか、機器が狂って当てられないのか、機動性が高すぎて避けられるのか。

 

「にしてもラバウルの人たち、演習が昨日いきなり決まったのに、どうやって日本に来るんでしょう?」

 

「時間的に考えても飛行機、だと思うな。でも横須賀基地に滑走路の使用申請は無かったはずだけど」

 

 艤装の修理が間に合わず今日は審判に徹する予定の由良が、例の制服に紺のウインドブレーカーを羽織った姿で手元のノートパソコンに何やら打ち込みながら答えた。

 

 彼女が乗っているのは釣り船みたいな小型の船で、船外機の横に操船要員として海軍の若い男性兵が控えている。小船は横須賀鎮守府の備品らしく、船の胴体に平仮名で『よこ ちん ご』の黒文字が書かれていた。というか濁点が波に洗われて消えそうなんだけど、早く書き直さないと大変なことになるぞ。

 

「あ、あれじゃないですか?」

 

 南の空をぼんやり眺めていた五月雨が一際大きな声を上げた。

 

 彼女の指差す方に目を凝らす。

 

 雲一つない夏の青空を背景に、こちらに向かって近づいてくる機械仕掛けの大鳥の姿が見て取れた。

 

 固定翼に取り付けられた4つの発動機が、機嫌の悪い蝉のようにヴンヴンと重低音を奏でる空気の振動は機影が大きくなってくるにつれ徐々に騒がしくなってくる。バナナボートっぽい曲線で構成された巨大な機体は濃緑一色に塗装されており、側面に描かれた白い縁取りの大きな日の丸がジャノメチョウの羽模様みたいにこちらを見つめている。

 

 戦時中もオーパーツ気味の性能で世界を驚かせた日本が誇る飛行艇。そして元の世界では最近輸出も決まったUS-2のご先祖様。動いている姿は初めて見るが、あれは……

 

「二式大艇!?」

 

「うわぁ、大きい!!」

 

「あれで直接ラバウルから来たの?贅沢だなぁ……」

 

 大口を開けて素直に感心している五月雨と、パラオから飛行に電車、バスを乗り継いで横須賀にやってきた阿武隈の微妙な顔は対照的だ。

 

 目の前で大きく旋回した二式大艇は、スピードを落としながらゆっくりと着水体勢に入る。あの低速で墜落しないとは、何と言う安定性。少し離れた海面に優雅に舞い降り、そのままつい~と滑るようにして駆逐艦『竹』と由良の乗る小舟の間に停船した。100mくらいしか離れていないのに、上手いものだ。翼上の4つの発動機がアイドリングに変わり騒音が小さくなる。

 

 機体の揺れが収まったところでこちらに向いた左側面の後部搭乗口がぱかっと開かれ、中から少し深雪に似た素朴な顔の、背の低いセーラー服を着た少女が姿を現した。黒髪の短いポニーテールが後頭部でぴょこんと跳ねる。

 

「はじめまして、吹雪です。今日は演習よろしくお願いいたします!!」

 

 海面上に直立し、笑顔でぴしっ、と敬礼。が、

 

「こら若葉、押すでない!!」

 

「違う、それは子日だ」

 

「うぅ、早く出たいよ~!!」

 

 後ろから初春、若葉、子日の3人の駆逐艦娘が団子状になって飛び出してきた。その勢いで跳ね飛ばされる吹雪。せっかくの見せ場だったのに、主人公……。

 

「あ~もう、バカばっかり!!ただでさえ抜き打ち演習でイラついてるってのに」

 

「霞、仲間にそんなこと言っちゃ……」

 

「何よ、初霜。用があるなら目を見て言いなさいな!!」

 

 そして自分にとってはある意味最大の難敵。銀髪をサイドポニーに纏め、白ブラウスに吊りスカート、黒ハイソが特徴的な朝潮型10番艦『霞』。朝潮と同じ細い眉毛をきりっと吊り上げた彼女が、はた目にも分かるくらい剣呑なオーラを纏って搭乗口から姿を現した。  

 

 霞と一緒にいるのは初春型4番艦『初霜』か。先に出てきた姉妹艦の若葉と同じ、黒いブレザーに緋色のネクタイと私立のお嬢様小学校の生徒みたいな恰好だ。そのくせ腰まで伸びた黒髪を末端近くで無造作にヘアゴムで括り、単装砲と連装砲を両手に一つずつ構えた姿はとても勇ましい。彼女は何か言いたそうな顔で霞の目を見つめていたが、やがて諦めたように視線を落とした。

 

 最後に搭乗口から現れたのは、軍服と巫女服を折衷させた紅白鮮やかな衣装を着た年上の女性。長くてツンツンした紫色の髪、襟元には橙色の勾玉を付け、手にはくるっと巻いたスクロール型の飛行甲板を提げている。

 

 彼女こそラバウル第二艦隊の引率であり、また『ヒャッハーズ』というふざけた艦隊命名の主犯――――そして恐らく自分と同じ司令艦であろう飛鷹型2番艦、軽空母『隼鷹』。

 

「横鎮の皆、出迎えご苦労さん。ご存知あたしが商船改造空母、隼鷹で~す!!ひゃっはぁおぼっ!!」

 

 おぼ?

 

 急に顔を真っ青にして口元を抑えた隼鷹は、残った片方の手でちょっとタンマ、のジェスチャーをしたかと思うと、いきなり海面を走って二式大艇の陰に姿を消した。

 

直後、

 

『おぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼっっっ!!』

 

 飛行艇のエンジン音に負けないくらい盛大な嘔吐の音が場を支配する。

 

 向こう側で何が起きているか想像に難くない。というか、こちらから見えなくても駆逐艦側から丸見えだと思うのだけれども。

 

 しばらくして姿を現した隼鷹は少しすっきりしたような感じだが、まだ顔色は青いまま。

 

「あ~やっべ、やっぱ飲み過ぎたみたいだ。ってことで後は任せたよ」

 

 そう言い放って彼女は、んじゃっと手を上げながらのそのそと搭乗口から艇内に戻る。緑色の扉がぱたんと閉まった。

 

 取り残された自分たちはもちろん、駆逐艦隊ヒャッハーズの皆さんも唖然として上官の消えて行った搭乗口を見つめている。

 

 突如、アイドリング状態だった二式大艇の発動機が一際大きな音を上げ始めた。プロペラが高速回転し、ゆっくりと緑色の巨体が動き始める。

 

『え゛!?』

 

 全員が絶句して見守る中、二式大艇はふわりと離水して青空に舞い上がり、そのまま大きく旋回して本土を目指し飛び去っていった。

 

 ―――どうするんだ、これ。

 

「まったく、調子に乗るからこんな無様なことになるのよ。だからお酒はほどほどに、って言ったのに」

 

 振り向くと、飛行艇の去ったその場所に立つ人影があった。

 

 先ほどの隼鷹と同じ紅白の巫女風軍服と襟元の勾玉は同じ。だが腰まで伸びた長い黒髪と切り揃えた前髪、大きなアーモンド形の瞳といかにも深窓の令嬢然とした容貌。自分より年上の女性だが、頭の左右に結んだ羽を広げた蝶みたいな白いリボンが、その可愛らしさを強調している。

 

 女性―――隼鷹の姉である彼女は真っ赤なスカートの裾を持ち上げ、こちらに向かって優雅に一礼した。

 

「こうやってお会いするのは初めてよね。ラバウル基地所属の出雲ま……じゃなかった、飛鷹型軽空母1番艦『飛鷹』です。先ほどは隼鷹が失礼しました。彼女は演習に参加できそうにないので、先に内地に向かってもらいました」

 

 あの有様では仕方ないだろう。演習海域にもんじゃを撒き散らされても迷惑だし。

 

「そこで今日は私が代わりに駆逐艦隊の指導とバックアップをさせていただきます。よろしくね」

 

 きゃるんっ、という感じでお嬢様スマイルを振りまく飛鷹。

 

「ようこそ横須賀鎮守府へ。機関修復中のため審判を務めさせていただきます、軽巡由良です」

 

「本日、駆逐艦隊を嚮導させていただきます、軽巡阿武隈です」

 

 立ち上がった由良と阿武隈が敬礼。飛鷹はスカートから手を離し、同じように敬礼を返した。

 

「急な演習の要請、受けて頂き感謝しております。艦娘同士の演習は昨今中々難しくて……ラバウル駆逐隊全員整列。吹雪から順に自己紹介なさい」

 

 名前を呼ばれた吹雪がはいっ、と返事をして飛鷹の前に立った。

 

「既に吹雪は終わっておるぞ」

 

「なら初春、あなたから始めなさい」

 

 うむ、とワンピース型の白いセーラー服を着た麻呂っぽい眉毛の少女が進み出る。残念そうな顔で引っ込む吹雪。主人公……。

 

「初春型駆逐艦、1番艦の初春じゃ。よろしく頼みますぞ」

 

 ぺこっ、と頭を下げると紙垂で括った長い薄紫の髪がばさっと音を立てて揺れた。

 

 それはいいけど、背負った機関ユニットの横でヘリコプターみたいに飛んでいる二基の連装砲が気になる。発射の反作用で吹っ飛ばないのだろうか、あれ。

 

 次に前に出たのはピンク色の髪を長いお下げに結って垂らした、元気の良さそうな女の子。背中の機関ユニットは初春と同じ形で、服装も同じワンピースだが下には黒スパッツ。ウサギの耳のような謎パーツが頭の上に二つ浮いている。手足に包帯……ゲートルを巻き、両手に持つ連装砲は球状の砲台に直接手を突っ込む独特の形だ。

 

 今日は何の日?

 

「子日だよ。初春型駆逐艦2番艦。今日はどんな日かなぁ」

 

「初春型駆逐艦3番艦、若葉だ」

 

 初霜と同じブレザーを着た茶髪ショートの若葉は、それだけ言うと黙って子日の横に並んだ。無口キャラというより寡黙キャラなんだろうけど、もっと喋ってくれないと正直キャラクターが掴めない。

 

「初春型四番艦、初霜です。皆さん、よろしくお願いします!!」

 

 はきはきと自己紹介する初霜。そして、

 

「霞よ。ガンガン行くわよ。足、引っ張らないでよね」

 

 ぶっきらぼうに吐き捨て、そっぽを向く霞。この性格だとラバウルでも大変だろうな。

 

 じゃあこちらも、ということで、阿武隈の横に深雪、五月雨、自分の順番で並ぶ。

 

「深雪だよ。今日は負けね~よ」

 

「五月雨です。あたし、頑張っちゃいますから!!」

 

「朝潮です。よろしくお願いします」

 

 無難に挨拶を済ませる。

 

 ……何か、目の前の霞にじろじろ見られているような。

 

「それでは私、阿武隈から、簡単に演習の概要を説明させていただきます。既にこの一帯、10km四方は電子戦用ブイで標識済みです。各自砲塔に電子銃を装着、魚雷発射管には模擬電子魚雷が装填されていることを確認して下さい」

 

 言われて右手の連装砲を覗き込む。丁度砲口にキャップするように、信号を相手に向かって照射する電子銃のレンズが装着されている。同じく魚雷も、推進器と電子装置だけで構成された軽いものに入れ替えてある。

 

「開始位置は事前にお伝えした通り、海域の辺縁から2kmの位置で自由に設定。演習が始まってからは、当鎮守府の由良から命中・損害の程度をオープンチャンネルで随時両チームにお伝えします。どちらか一方が全て轟沈判定となった時点で演習終了です。また一時間経過しても決着がつかなかった場合、残存艦数と被害状況で判定することとします」

 

 澱み無く説明を終え、ほっ、と一息つく阿武隈。それが無ければ完璧だったのだろうけれど、彼女らしいと言えば彼女らしいか。

 

「ラバウル駆逐艦隊が先に出発。飛鷹さんには彼女たちに随行していただき、万が一に備え開始位置での待機をお願いします。特に質問など無ければ、予定通り一〇〇〇より演習を開始しますが……」

 

「あのさ、なんで『ヒャッハーズ』なんて変な艦隊名なんだ?」

 

 ぴしっ、と空気が凍る。

 

「……演習についての質問は無さそうですね。それでは……」

 

「ち、ちょっと、深雪が聞いてんだろ!!『ヒャッハーズ』って何なんだよ、なぁ?!」

 

 駄目だ深雪……それは―――それを言ってはいけない!!

 

「まあ気になるでしょうね。とりあえず私が付けたんじゃない、ってことは理解してもらえるかしら」

 

 ため息をつきながら律儀に答えてくれる飛鷹。でしょうね。

 

「昨日隼鷹の演習引率が決まって、せっかくだから艦隊名でも付けたら、って言ったらあんな名前になっただけよ。一応私も反対したんだけど、なら酒で勝負だって言い出して……」

 

 その結果があれ、ということか。勝負に勝って艦隊名を固持したはいいものの、本人は二日酔いで轟沈して演習に参加できず……ん、これって隼鷹の独り勝ちじゃないか?

 

「ということで、そこはさらっと流してくれると助かるわね」

 

「ではラバウル駆逐艦隊の皆さん、開始位置に向けて出発して下さい」

 

 阿武隈、ナイスフォロー。飛鷹はすっと片手を上げ、

 

「さあ、いくわよ!!隼鷹が言ってた通り、勝てたら全員帝都一日自由行動だから!!」

 

 ひゃっはー!!とラバウル組から歓声が上がる。あながち隼鷹の命名も的外れではなかったらしい。

 

 ゆっくりと移動を始める飛鷹に駆逐艦たちが続く。

 

「深雪、横鎮で頑張ってるみたいだね」

 

「おう、吹雪もな。今日は手加減無しだぜ!!」

 

 ハイタッチを交わす特Ⅰ型姉妹の二人。というか、しばふ型は皆素直だよな。一部欲望にも素直な子もいるけど。

 

 そのまま初春、子日らともタッチをしていく深雪。彼女のコミュニケーション能力は見習いたい。そう思った直後、

 

ゴンッ!!

 

「何するのよ、ポンコツ!!」

 

「ひぅっ!!ご、ごめんなさいっっ!!」

 

 深雪と同じように手を差し出そうとした五月雨が、あろうことか連装砲をうっかり霞の艤装にぶつけてしまったのだ。

 

 瞬間湯沸かし器で真っ赤になる霞と、反対に真っ青になる五月雨。

 

「はぁ!?それで済むと思ってんの!?これが実弾入りだったらどうするつもりだったのよ?!」

 

「こ、今度から気を付けますから……」

 

「今度?さっきので砲が暴発してたら、今度なんてあるわけないでしょ。あんた、戦争舐めてんの!?どうせ演習だからって、今だけ謝ってやり過ごせばいいとか思ってるんでしょ」

 

「そんな……」

 

 声を詰まらせた五月雨の蒼い瞳がみるみるうちに潤んでゆく。

 

「それくらいで止めよう、霞。五月雨も不注意だったけど、これ以上は傷つけるだけよ」

 

「は、ポンコツがどれだけ壊れようと、あたしの知ったことですか」

 

「彼女は仲間なのよ!!」

 

 初霜が強く諌める。が、

 

「仲間?このポンコツが?悪い冗談ね。大体こいつ、戦艦の比叡を撃ったことがあるらしいじゃない。油断してたらあたしたちも後ろから撃たれるかもしれないわよ」

 

「霞っ!!」

 

 一気に不穏な空気が充満する。飛鷹たちも霞の剣幕に呑まれたのか、その場で船足を止めて見守るだけだ。

 

「にしても帝都守護の要、横須賀鎮守府様も地に堕ちたものね。こんなポンコツが混ざってるなんて。とはいえポンコツ以外の連中も似たり寄ったりかしら。よくもまあ、こんな役立たずばっかりかき集めたもんだわ」

 

「ああん?!」

 

 深雪が喧嘩腰で詰め寄ろうとするのを吹雪が引き止めた。

 

「自分で分からないの!?戦う前に沈んだダメ駆逐艦に、真っ先に沈められた無能軽巡。それに―――」

 

 ぎろり、とこちらを睨め付ける。

 

「それに―――命令無視したあげく犬死にしたクズのこと言ってんのよ!!」

 

 頭を金槌で叩かれたような衝撃が走った。

 

 そうだ……朝潮の最期は、特務艦野島の松本艦長との約束を守るため、撤退命令に背いて一人戦列を離れ……そして救助の途中で空襲を受け沈没した。

 

 客観的に見れば犬死にかもしれない。

 

 でも――でも――!!

 

 気が付く前に左手がすっと伸び、霞の襟元を掴んで締め上げていた。

 

 後ろで誰かが止める声が聞こえたような気がするが、気にする意味も無い。

 

「―――司令官を―――侮辱―――しないで―――」

 

「口で敵わないから手を出すの?!この野蛮人!!私、なんでこんなこと。あんたみたいのが姉妹艦だなんて悪い冗談―――」

 

 掴む手に力が籠り、霞の顔が苦痛に歪む。今度は抵抗して爪を立ててきた。磨かれた爪先が白い肌に食い込み、皮が剥けて血が滲む。だが、それがどうしたというのだ。

 

 自分の中に燈った黒い怒りの炎が、じりじりと理性を焦がしていく感覚。

 

 撤退命令を無視した司令官は間違っていない。間違っていなかった。

 

 後世の何百万人が罵り謗ろうとも、私は、朝潮だけは、司令官の決断を信じ続ける。そう決めたのだから。

 

「―――霞―――訂正―――しなさい―――」

 

「何言ってるのよ、犬死には犬死にじゃない。いや、こんなの!!それを命じる司令官もクズよ。もうやめて!!さっさと沈んだ船は気楽よね。違う、そんなこと思ってない!!あの後私たちがどれだけ苦労したか知ってるの、このクズが―――助けて―――お姉ちゃ―――」

 

「はい、そこまで。軽巡『由良』の権限で駆逐艦『霞』、機関緊急停止」

 

「あ―――」

 

 急に霞の主機が浮力を失い、墜落するように霞の全身がずぼっと海中に消える。すぐにレスキューモードが起動し、水面下で白い救命筏が開いて霞の身体が浮き上がってきた。

 

 先日の自分がそうだったように海面にぶら下がったような体勢になった霞は、さっきまでの勢いはどこへやら。びしょ濡れになったまま何も言わずに、虚ろな瞳で自分に打ちかかる小さな波を見つめている。

 

「ちょっと同調しすぎたみたいね。駆逐艦『霞』は戦歴の長い武勲艦だし、情報量も多いから仕方ない、かな」

 

 いつの間にか霞の後ろに立っていた由良が、心配そうに波間に漂う霞を見つめていた。

 

「由良――さん、一体どうして?」

 

「これ?艦娘なら誰でも使える内火艇ユニット。見たこと無いかな?十馬力の十ノットくらいだけど、ちょっとした海上移動ならこれで十分なの」

 

 言われてみると、ウインドブレーカーを羽織った彼女の背中には、いつもの艤装でなくオレンジ色の小さなリュック大の箱が背負われていた。艦艇の機関ユニットと違い内燃機関を使用しているらしいそれは、ドルッ、ドルッとバイクみたいなエンジン音を発している。

 

「手間をかけさせたみたいね。霞は近代化改修を終えたところだったから、演習で慣らしができれば、と思ったのだけど」

 

 飛鷹がゆっくりと近づいてくる。彼女も突然の事態に動揺しているみたいだ。

 

「それが原因だと思います。途中から記憶と感情の溢流が起きていたみたいですから。とりあえず彼女を休ませた方が――」

 

「お願いできるかしら」

 

 了解です、と由良が答え、そして手伝うようこちらに視線で促す。

 

 皆が見守る中、由良と二人で片方ずつ霞の腕を取り、一気に海中から引き上げた。機関ユニットを使用しているためか、霞の服がずっしりと水を含んでいるにもかかわらず、彼女の身体はとても軽い。

 

 途中から初霜が手を貸してくれたので、ささっと霞の艤装と兵装を解除。そのまま艤装は初霜に任せて、自分は霞をお姫様抱っこで駆逐艦『竹』へと運ぶことにした。

 

「わたし―――かすみ―――だれ―――くちくかん―――かすみ―――」

 

 まだ意識の朦朧としている霞は、焦点の定まらない目で空を見上げながら、紫色の差した小さな唇でひたすら自分の名前を呟いている。

 

 潮風に吹かれて左手の甲がひりひりと痛む。首を傾けて見ると、引っ掻かれたような爪痕が4条刻まれており、そこから血が流れ出していた。

 

 消毒代わりにぺろっ、と舐めると、生臭い鉄と塩の味が口の中に広がる。

 

 ――――いつの間にこんな怪我をしたのだろう?

 

 

 

 

 

 予定時刻より少し遅れて一〇二〇。両艦隊が定位置に到着し、演習の準備が整った。

 

 霞が脱落したおかげでこちらが軽巡1駆逐3、向こうが駆逐5と戦力差は縮まったが、まだ予断は許さない。

 

『ただ今より横須賀鎮守府、阿武隈水雷戦隊とラバウル基地、駆逐艦隊ヒャッハーズの演習を開始します。双方、健闘を祈ります』

 

ぼぉ~

 

 インカムから聞こえる由良の声に続き、駆逐艦『竹』が汽笛を鳴らす。

 

「みんな、やればできるから頑張ろうね!!」

 

 微妙に腰の引けた激励を発する阿武隈。

 

「ぃよ~し!!あいつら目にもの見せてやるぜ!!」

 

「もうドジっ子なんて言わせませんから!!」

 

「受けて立った以上、勝ちます」

 

 深雪も五月雨も気合十分。

 

「じゃあ昨日話し合った通り、最初は作戦『扶桑』発動!!」

 

『了解!!』

 

 阿武隈の背中に五月雨がよじ登り、肩車。そして仁王立ちになった阿武隈の両脚を、自分と深雪が持ち上げる。

 

 一分そこらで高さ4m弱の人櫓が出来上がった。

 

「動かします」

 

「はい、見張りはお任せ下さい!!」

 

 主機を片方だけゆっくりと駆動させ、レーダーのように五月雨の視界を、目を回さない程度に左右に振る。

 

 偵察機を持たない水雷戦隊と駆逐隊の勝負だからこそ、先に相手を発見した方が勝つ。そのためにはより広い視界の確保、つまり単純に高さが重要だ。

 

 扶桑型戦艦の艦橋と同じコンセプトなのでそう名付けた作戦だが、本人が聞いたら絶対『組体操と一緒にされるなんて、不幸だわ』とか言いそうだな。

 

「敵影発見!!え~と、方位一五〇、距離は6500くらいです。単縦陣でこちらに接近中。多分向こうは、最初から最大戦速だと思います」

 

 とすると、あと4-5分で魚雷の最大射程に入るか。

 

「五月雨、一旦降りて。次は作戦『玄武』を発動します。全艦単横陣に。船体を前方に最大傾斜で抜錨!!方位一五〇で両舷微速前進!!」

 

『了解!!』

 

 阿武隈の横に五月雨、深雪、そして自分の順番で一列に並ぶ。

 

 作戦『玄武』。名前は格好良いが、要するに機関ユニットのバランサーを最大利用して、姿勢を低くしたクラウチングスタートのポーズで進むことだ。作戦『扶桑』と組み合わせることで先に敵の位置を知り、その後は相手がこちらを発見しにくくする効果がある。

 

 ここからしばらくは目視でなく、時間と速度だけで相対距離を推測しなければならない。阿武隈が自分の懐中時計を見ている。

 

 1分、2分、3分……前傾姿勢で進むだけだが、緊張感で額に汗が滲んできた。

 

 4分、5分、6分……。

 

「全艦、魚雷に諸元入力。構え―――発射!!」

 

 プシュプシュプシュプシュッ!!

 

 61cm三連装魚雷と61cm四連装魚雷から、計14本の魚雷が圧縮空気音と共に扇状に発射される。

 

 必殺、掟破りの駆逐艦開幕魚雷!!

 

 といっても、その効果を立ち上がって確認するわけにはいかない。

 

「速度はこのまま、進路変更一八〇に変更。魚雷着弾まで60秒を想定しています」

 

 1分か。短いはずの時間が長い。

 

 何も考えず、とにかく姿勢を低くして進む。阿武隈の方を見るが、彼女もしきりに時計と魚雷の向かった方を見比べている。

 

「着弾まで、5、4、3、2、1……」

 

『ラバウル駆逐隊、魚雷被弾。吹雪大破轟沈、初春大破、子日中破、若葉小破』

 

 相手艦隊の損害を知らせる由良の声。

 

 よしっ!!

 

「五月雨はあたしに、深雪は朝潮に続いて。全艦最大戦速、最終作戦『十字砲火』発動!!」

 

 掛け声と一緒にダッシュ。一気にトップスピードに乗り、相手を右舷に臨みながら海面を滑っていく。

 

 先頭を走っていた吹雪がやられたため、向こうは魚雷を警戒して船足が止まっている。

 

 砲口を次に被害の大きい初春と子日に合わせた。

 

「深雪ちゃん!!」

 

「行っくぞ~、深雪スペシャル!!当ったれぇ~い!!」

 

 それが痛いのは実体験済みだ。

 

 グリップの引き金を引く。電子銃モードになっているため、発射の衝撃は無い。

 

『初春轟沈、子日大破、若葉中破、朝潮小破』

 

 これで残り3人。見ると若葉と初霜がこちらに連装砲を向けている。さっき反撃を受けたらしいが、幸い大したダメージではない。

 

『子日轟沈、若葉大破、初霜小破』

 

 二手に分かれたもう一方からの攻撃。初霜が別働隊に気付き、ちょうど対角線上にいる阿武隈たちにもう片一方の単装砲を向けた。しかし一度傾いた天秤は戻らない。

 

「まだまだ~!!」

 

 深雪が再度連装砲を発射。

 

『朝潮中破、阿武隈小破、若葉大破轟沈、初霜大破轟沈、演習終了です』

 

 ぼぉ~、と再び汽笛が鳴り響き、演習の終わりを告げる。

 

「やったぜー!!なぁ、今度こそ深雪さまがMVPだったろ、なぁ、なぁ!?」

 

「分からないけど、勝ちは勝ち、かな」

 

「嬉しい癖に、朝潮も素直に喜べよ」

 

 このこの~、とスピードを落としながら脇を突っついてくる深雪。

 

 言われなくても、自分の顔が綻んでいるのは分かっている。昨日演習が決まってから陸上練習を切り上げ、午後を全部機関ユニットの調整と作戦会議に費やしたのだ。艦これ世界のセオリーを逆手に取った形だが、主な発案者として皆で色々アイデアを練った甲斐があったのは、正直嬉しい。

 

『両艦隊の皆さん、お疲れ様でした。一旦駆逐艦『竹』まで戻ってきて下さい』

 

「よっし、せっかくだから吹雪たちとも合流して帰ろうぜ」

 

 うん、と頷いて進路をラバウル駆逐隊に向ける。

 

 だが少しずつ距離が近付くうちに、様子がおかしいことに気が付いた。

 

「いよう、吹雪!!深雪さまの活躍、見ててくれたか!?」

 

「……どういうつもりなのよ、深雪」

 

 演習は終わったというのに、吹雪を始め初春、若葉、初霜の8つの瞳が冷たい視線でこちらを睨みつけている。子日は負けたことが信じられないのか、突っ立った状態で目玉が宙を泳いでいた。

 

「どういうつもりって、何か変なことしたか?」

 

「何なの、あの戦い方は。駆逐艦同士の演習は、互いに相手の姿を確認しながら艦隊機動と砲雷撃戦で練度を競い合うもの。なのに深雪たちがやったのは、こそこそ隠れてとにかく相手の裏をかくことだけ―――」

 

「言い訳かよ、みっともないぜ吹雪」

 

「違う!!私たちの敵は深海棲艦なんだよ!?あんな戦い方で演習したって―――艦娘相手に勝ったって何の意味も無いよ!!」

 

 ぐっ、と深雪が言葉に詰まる。

 

「そうじゃ、お主ら一体何を考えておる!?こんな遺恨の残る勝ち方をしておいて、いざ敵を前に連携ができると思うてか!?」

 

「正直、最低だ」

 

「子日だよ~」

 

「図らずしも霞の言葉を証明してしまったみたいね」

 

 次々に突きつけられる厳しい言葉。その一つ一つが胸に突き刺さる。

 

 間違いだったのか?勝ちにこだわったことは……。

 

「どうしたの、皆帰らないの!?」

 

 こちらの喧噪が気になったのか、五月雨と阿武隈がゆっくりと近づいて来た。

 

「阿武隈さんっ!!」

 

 突然吹雪が阿武隈に詰め寄り、頭を下げる。

 

「ひぇ、やだ私?な、何かな……」

 

「お願いします、もう一度演習をやらせて下さい!!こんな一方的な負け方、納得できません!!」

 

「若葉も、再戦を要求する」

 

「当たり前じゃ。こんな無法が通って良い道理が無いぞ」

 

 でも、だって、え~、ともごもご口を濁す阿武隈。

 

「深雪は反対だぞ!!勝ったのは深雪たちなんだから、再戦するなら吹雪たちがそれを認めてからだぜ!!」

 

「認められるわけ無い!!こんなの絶対おかしいです!!」

 

 ぐぬぬぬぬ、とにらみ合う深雪と吹雪。さっきまであんなに仲が良かったのに。

 

『ちょっと皆、オープンチャンネルで何喧嘩してるのよ』

 

 と、全員の耳に飛鷹の声が飛び込んでくる。

 

「飛鷹さん!!聞いて下さい、私たち再戦を―――」

 

『言わなくていいわ、聞こえてたから。とにかく落ち着きなさいな、吹雪』

 

「でも飛鷹さんっ!!」

 

 はぁっ、とインカムの向こうで大きなため息が聞こえた。

 

『あのね吹雪、他の皆も納得がいかないかもしれないけれど、負けは負けよ。大体深海棲艦相手だって、いつ新型が現れて、今までの戦法が使えなくなるか分からないんだから。セオリー通りに事が運ばなかったからって、臍を曲げるのは思考停止と同じ。事実は事実としてちゃんと認めなさい』

 

 今度は吹雪たちが言葉に詰まる番だった。だがこれで事態は収束したか、と思いきや……、

 

『でも、釈然としないのは私も同じ。ということで由良さん、阿武隈さんも。このまま再戦はどう?』

 

「飛鷹さん―――ありがとうございます!!」

 

『ああ、勘違いしないでね吹雪。あなたたちじゃなくて、私が戦いたいの。私、飛鷹と阿武隈水雷戦隊とで、もう一戦どうかな?』

 

 やっぱり彼女も納得してなかったか。

 

 しかし飛鷹一人と演習?

 

 1対4なら例え軽空母が航空戦でこちらを爆撃できても、手数で押し切れるはずなのだけれども。彼女には何か勝算があるのだろうか?

 

『由良は別に構わないけど、阿武隈はどう?』

 

「あたし的にもOKです」

 

『決まりね。私は今の場所から動かないから、阿武隈水雷戦隊は準備ができたら教えてちょうだい。ラバウル駆逐隊は演習海域から退避。大丈夫、仇は取るわよ!!』

 

 

 

 

 一〇五〇、電子魚雷を補充し再び開始位置に戻る。

 

「阿武隈さん、あたし空母と戦ったことが無いんです。どうしたらいいんですか?」

 

 不安そうな顔の五月雨。

 

「さっきみたいな方法は使えないから、とにかく距離を詰めないとね。あと、敵機が飛来したら爆撃前に可能な限り撃墜、敵機が攻撃態勢に入ったらその都度回避運動をするくらいかな」

 

 さっきの吹雪たちみたいに、相手から近づいて来ることは期待できない。ましてや低速の飛鷹であれば、その場から艦載機を飛ばすはず。

 

『それでは二戦目。横須賀鎮守府、阿武隈水雷戦隊とラバウル基地、軽空母飛鷹の演習を開始します』

 

 再び駆逐艦『竹』の汽笛がぼぉ~、と吠えた。

 

「全艦対空警戒、輪形陣を取って。機関最大戦速!!敵に肉薄することを最優先とします!!」

 

『了解!!』

 

 阿武隈の後ろに深雪と五月雨が並ぶ。自分は最後列だ。

 

 スピードスケートの要領で加速し、すぐ最大戦速に到達。そのまま空を見回しながら全速力で進んでいく。

 

 速度は30ノット強、時速60km相当。演習海域の広さが10kmだから、数分もしないうちに会敵するはずだが、そこは相手が軽空母。

 

「敵機襲来、対空機銃構え!!機種は……」

 

 阿武隈が叫んだ。

 

 ほぼ真南に近付いた初夏の太陽を背に、10以上の機影が等間隔に並んでこちらに向かって来る。

 

「みんな落ち着いて。あれは彩雲、偵察機です」

 

 少し安心した。偵察機に攻撃力は無いし、自分たちの場所を見つけたら帰っていくだろう。

 

「阿武隈、何か変だぜ。嫌な予感がする」

 

「え!?」

 

 編隊を組んだ彩雲の群れは、逃げることなくそのままぐんぐん接近してくる。そして一番手前の一機が、阿武隈目がけて襲い掛かってきた。

 

「きゃっ!!嘘でしょ!?」

 

 背中の機関ユニットの対空機銃で弾幕を張る阿武隈。演習中だが艦娘の生体フィルターを貫けないため、実弾が装填されたままの機銃。その無数の砲口から吐き出される鉄の嵐にまともに突っ込んだ彩雲は、全身穴だらけになってばらばらに引き裂かれ、その姿を紙切れに変えてヒラヒラと海面に舞い落ちた。

 

 飛鷹と隼鷹、それに龍驤が使う式紙式艦載機。さっきまで彩雲だった紙切れは、今となってはぴくりとも動かない。

 

 一機目が撃破されたのを皮切りに、十機以上いた彩雲が一斉に突撃を開始した。スズメバチの羽音のようなわ~んわ~んという耳障りな音が鼓膜を揺らす。

 

 各自機銃を空に向け思い思いに彩雲を狙い撃つが、当たらない。

 

「もうっ!…なんでぇ?」

 

「っん……やられたっ!!」

 

『五月雨小破、深雪小破』

 

 撃墜しきれなかった彩雲の体当たりをまともに喰らったのか、インカムから被弾を知らせる由良の声が届いた。

 

「か、艦隊集合、密集隊形を取って!!皆で背中合わせになって、弾幕の密度を上げます!!!」

 

 前を行く阿武隈が急に船足を落としたのか、お互いの間隔が狭くなった。その拍子に打ち漏らした彩雲が直上から突っ込んできた。そのまま頭に激突。生体フィールドのおかげで痛みは無い。が、

 

『朝潮小破』

 

 ダメージ判定をもらってしまった。ぐずぐずしている暇は無い。

 

 すぐさま反転。背中を阿武隈に預け、空から執拗に付け狙ってくる彩雲に機銃掃射を浴びせかけた。

 

 やっと命中弾が増え、空にぼんっ、ぼんっ、と火花が次々と咲いて行く。

 

『阿武隈小破』

 

 やがて最後の彩雲が燃え上がる紙切れに姿を変え、攻撃第一波を凌ぎ切ることができた。

 

 だがこちらはまだ飛鷹の姿さえ捉えていないというのに、既に被害は甚大だ。

 

「うわあぁん、偵察機が体当たり攻撃してくるなんて滅茶苦茶ですよぅ!!」

 

 そうだ。五月雨の言う通り滅茶苦茶。だがそれは、さっき自分たちがやったことをそのまま返されているだけ。この攻撃には『お前たちはこんなことをやっていたんだぞ』という、飛鷹の無言の抗議が込められている気がした。

 

「皆、動揺しないで。陣形は輪形陣を維持、今度は敵襲に備えて距離は短めにね。何が起きたって、接近して攻撃する、という方針は変わらないんだから」

 

 嚮導艦の阿武隈が勇気づけてくれる。

 

 身長は自分たちと大して違わないというのに、駆逐艦と軽巡では背負っている責任の重さが違うということか。

 

 負けてられない!!

 

「進路は敵機が来た方向へ、艦隊機関駆動。あたしだって、やるときはやるんだから!!」

 

 自分に言い聞かせるようにして走り出す阿武隈。その背中に続く。

 

 しばらく進むと、水平線の向こうに飛鷹らしき紅白の人影が見えてきた。左手にスクロール型の甲板を広げたその姿が、少しずつ大きくなってくる。

 

「周囲に機影は!?」

 

「今んところ空には何も見えね~ぜ!!」

 

「油断しないで!!どこから攻撃が飛んでくるか―――」

 

ぽこっ、ぽこぽこぽこっ

 

 右肩にドングリか消しゴムでも投げつけられたかのような、小さな何かが当たる音と感覚。

 

『阿武隈中破、五月雨大破轟沈、朝潮中破』

 

「やぁ……なんでぇ?!」

 

 轟沈扱いになった時点で機関を止めるルールだ。戦隊から涙目の五月雨が脱落する。

 

「右舷から攻撃!?」

 

 ぶぅんっ、と頭上を通過するプロペラ音。見上げると編隊を組んだ緑色の機体が翼裏の日の丸を見せつけるようにして飛び去るところだった。

 

 艦上爆撃機の彗星!?でもどうやって……。

 

「阿武隈、何かが左舷から飛んで来てるぜ!!」

 

「ッ!!深雪、朝潮!!あたしの右舷に、陰に隠れて!!」

 

 とっさに自分を盾にするよう指示を下す阿武隈。何が起きているのか分からないが、今は従うしかない。深雪と一緒に急いで阿武隈の右側に並ぶ。

 

ぽこぽこっ

 

 阿武隈の艤装に何かが当たる軽い音がした。そして目の前を小さな丸い物体が、ちょうど水切りの石のように水面を跳ねながら通り過ぎて行く。

 

 まさか反跳爆撃!?帝国海軍が何でこんな戦法を―――

 

『阿武隈、大破轟沈』

 

「やられた……」

 

 由良の声が無情に告げる。悔しそうな顔の阿武隈。だが、

 

「二人とも早く行って!!今ので少しは距離を稼げたはずだから!!」

 

「ああ、これ以上はやらせねーよ!!」

 

 無言で頷き、さらに速度を上げた深雪に続く。

 

 もう飛鷹の表情が分かる距離だ。

 

 周囲を見渡すが、次の艦載機の発進までタイムラグがあるためか、空にも、そして水平線にも敵機の姿は見えない。

 

 今ならいける!!

 

 右手の連装砲を構え、照準を付ける。

 

「朝潮、止まれっ!!」

 

 突然深雪が振り向いて大声を上げた。咄嗟に踏ん張って急ブレーキをかけると、そのすぐ足先を白い航跡が走っていく。

 

『深雪、大破轟沈』

 

 雷撃!?でも機影は―――

 

ぶわぁん……

 

 水面から一斉に飛び立つ緑色の機体、その数二十機近く。先ほどの彗星よりもスマートなそのフォルムは、

 

「流星改・艦上攻撃機!?」

 

 待ち伏せされていた―――航空魚雷で網を張られていた!?

 

「失敗したぜ、チクショ~!!」

 

 停船して海面で地団太を踏む深雪。

 

「ごめん朝潮、後は任せた」

 

「うん、分かった。ありがとう」

 

 魚雷がいないことを確認し、深雪の横を通り過ぎる。すぐに再加速。

 

 皆が作ってくれたこのチャンス、無駄には出来ない。

 

 きっ、と前を睨むと、その場から動いていない飛鷹に再び照準を付け、12.7cm連装砲の引き金を引いた。

 

「このっ!!」

 

 だが、当たったはずなのに損害を告げる由良の声は聞こえない。

 

 装甲が硬いのか、それとも自分の主砲が非力なのか……ダメージが通っていない!?

 

「このっ、このっ!!」

 

 何度もトリガーを引くが、有効な損害を与えることができない。

 

「だったら肉薄する!!」

 

 近付けば軽空母の飛鷹は、自身を巻き込むため攻撃ができないはずだ。密着してからの零距離射撃で、それがダメなら魚雷で仕留める!!

 

 飛鷹に新たな艦載機を発進させる素振りは見えない。勢いを付けたまま海面を蹴り手前で大きくジャンプ、一気に飛鷹の懐に潜り込んだ。これなら――

 

「超近距離なら、私には攻撃手段が無い―――そう思ったでしょう?」

 

 弱点を突かれたはずなのに、これ以上ない笑顔の飛鷹が出迎える。

 

 ぐりん、と彼女の腰に装着された艤装が半回転。ぽっかり空いた3つの黒い砲口が顔面に突き付けられた。

 

「駆逐艦の子は皆引っ掛かってくれる―――軽空母も装備できるのよね、15.5cm三連装砲」

 

 砲口に填め込まれたレンズから無慈悲な電気信号が放たれる。

 

『朝潮、大破轟沈。演習終了です』

 

 由良の後ろでラバウルの駆逐艦たちが上げる歓声が聞こえた。

 

 ぼぉ~、と駆逐艦『竹』が汽笛を鳴らす。今度こそ全て終わり。急に全身の力が抜け、その場に座り込んでしまった。

 

「どう?改装空母だって甘くないでしょ?私だって結構やれるんだから!!」

 

 さて、うちの子たちは霞も含めてもう一回鍛え直さなきゃ、と肩をこきこき鳴らす飛鷹。

 

 負けた―――完膚なきまでに。

 

 軽空母一人相手に、四人がかりで手も足も出ないなんて。

 

 しかも彼女はまだまだ余裕の表情だ。正直、底が知れない。

 

「さて、試合が終わったら恨みっこ無しよ。ちゃんと吹雪たちと仲直り、できるよね」

 

 そう言って差し出された手に、ゆっくりとこちらも手を伸ばす。

 

『ラバウル基地の皆さん、横須賀の皆さん、演習お疲れ様でした』

 

 と、突然イヤホンから柔らかい声が飛び込んできた。この声は、

 

「鳳翔―――さん―――!?」

 

 そう呟いた飛鷹の動きが、手を差し出したままの状態で固まる。

 

『今日はお客様が大勢いらっしゃるということで、お昼ご飯は腕によりをかけさせていただきました。皆さんの帰投をお待ちしております』

 

 そうそう、先に到着された隼鷹さんはお一人で始められていますよ、と付け加えて通信は終わった。

 

 二日酔いであんなひどい状態だったのに、今度は迎え酒とは筋金入りの呑兵衛だな、あの人も。

 

「朝潮っ!!」

 

 苦笑いしていると急に両肩をがっし、と掴まれる。

 

「今のは声は鳳翔さんよね、ね!!何で鳳翔さんがあなたの鎮守府にいるのよ?!」

 

 さっきまで余裕綽々だった飛鷹が、何やら切羽詰ったような表情で尋ねてきた。鼻が触れ合うくらいの距離まで顔が近付けられる。

 

「答えなさい、朝潮っ!!」

 

「何でって……鳳翔さんは前の提督がいた頃から、ずっと横須賀鎮守府のメンバーだったって聞いていますけど……」

 

 掴まれた肩が痛い。どうして彼女はこんなにも取り乱しているのだろう。

 

「ああ―――良かった―――生きて―――」

 

 自分の言葉に何やら衝撃を受けたらしく、自分の口元に両手を当てながらよろよろと後ずさる。

 

「あの、鳳翔さんがどうかしたんですか?」

 

 それには答えず、飛鷹は自分のインカムを外してこちらの目をきっ、と真正面から見据えた。

 

「朝潮―――いいえ、朝潮提督―――鳳翔さんを、あの人を二度と戦場に立たせないで!!」


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