帝都急行との戦いが終わった後、レスキューモードで放出された筏と一緒に海月状態で漂っていたところを鳳翔さんと回収艇に救助され、横須賀鎮守府に戻る。
皆疲労困憊していたことから、帰りの船の上では誰も口を開かなかった。尤も一番騒がしい深雪が目を回したままだったこともあるのだろうけれど。
回収艇が港に着き陸に上がると、そのまま例の艦娘専用傷病療養施設に行くと思っていたのだが、どうやら違うらしい。機関ユニットは途中で別れて整備工廠へ。
そしてオレンジ色の毛布を打ち掛けたまま歩く由良と五月雨、起きる気配の無い深雪の乗った担架と一緒に連れてこられたのは、鎮守府敷地内の近代的な白いビル、言ってしまえば普通の町病院みたいな建物だった。
表の白看板に赤字ででかでかと『男子禁制』と書いてある以外は。
「は~い皆さん、診察するので服を脱ぎましょうね~」
両開きの大きなドアを開け中に入ると、待ち構えていた女医らしき白衣を着たメガネの中年女性が、脱衣するよう号令をかける。
背後で扉が閉まるのを確認してから羽織っていた毛布を取り、言われた通り自分の服に手を掛けようとすると、それより先に彼女の周りに控えていた若い女性看護師たちの手が何本も伸びてきた。
抵抗する暇も、そして恥ずかしがる暇さえなく服を引っぺがされる。
それは脱がす、などという優しいものではなく、看護師たちが手に持った大型の裁ち鋏によって、破れたブラウスから焦げたジュニアブラ、スカート、パンツ、そしてニーソックスに至るまで、文字通りズタズタに切り裂かれた。
よくドラマで意識の無い患者が救急車で運ばれてきた時、鋏で服を切って脱がされるシーンがあるけれども、まさにそれと同じ。いや、それ以上に荒っぽいかもしれない。
立ったまま一瞬で素っ裸にされてしまったのだが、前にいる由良と五月雨は慣れているのか、黙って看護師にされるがままになっている。
さっきまで服だった布切れの最後の一枚ががはらりと落ちると、二人の白い陶磁器のような背中ときゅっと引き締まった可愛いお尻が、蛍光灯の光の下露わになった。
無機質なリノリウムの廊下に立つ大小の少女の裸体像からは、現代アートにも似た非現実っぽさが漂っている。
だがすぐに看護師の腕が薄手の白いバスローブを肩に掛け、淫靡なショーは終わりを告げた。
担架で運ばれる深雪と別れ、中年女医に引き連れられて診察室へ移動。順番に学校の保健室みたいな部屋に入り、簡単な問診と診察を受けることになった。
自分の番が来たので中に入り、小さな丸椅子に腰かける。先に入った由良が被弾状況を説明してくれていたらしく、すぐさま「敵の砲弾が当たった左胸は大丈夫?」と尋ねられる。
改めて意識してみると筋肉痛のような軽い痛みは感じるものの、腕を動かしても特に支障は感じない。
大丈夫みたいです、と告げると、女医は両手を伸ばして直接こちらの左胸に触れ、その少し脂の抜けた手で胸と肩関節あたりの肋骨を何度か押し、「これはどう?」と聞く。
やっぱり痛くはないです、と答えると彼女は満足したらしく、聴診器を取り出して簡単に胸の音を聞き、それで診察は終わった。
診察室の外に出ると、先に診察を終えたはずの五月雨が待っていてくれていたので、一緒に建物の外へと続く短い渡り廊下に向かってペタペタと裸足の音をさせながら歩く。
廊下のお終いにある扉に辿り着き、電子ロックに五月雨が2回間違えながらも暗証番号を入力。ガチャッ、と鍵の外れる音がした。
扉を開けるとそこには―――
「お風呂?」
そう、渡り廊下から入ったところは、スーパー銭湯とか、温泉付きホテルの公衆浴場の脱衣所といった感じのベージュ色の壁と床、その上に脱衣籠がまばらに置かれた部屋だった。
『二人とも、来たなら早く入ったら?』
湯気の立ち込める大きな硝子戸の向こう側から、くぐもった由良らしき女性の声が呼びかけてくる。
は~い、と威勢よく答えた五月雨は、羽織っていたバスローブを躊躇うことなく脱ぎ捨てて手近な籠に投げ込む。再びすっぽんぽんになった彼女は、いこ、とこちらに声をかけると、引き戸を開けて、とてとて湯気の中に消えて行った。
……入渠が入浴というネタはアンソロジーでもあったけど、いざ自分が入るとなると女湯に侵入するのと変わらない。
硝子戸に手をかけたまましばらく悶々としていたが、小さな傷でも命取りになる場合があるし、最終的に治療のため、と自分を納得させた。
バスローブをはらりと脱ぐと、仔鹿のような朝潮の裸が現れる。起伏の少ない発達前の少女の肢体は、その身を戦場に置いているにも関わらず、目立った大きな傷痕は無い。
首を傾けると、膨らみと呼ぶには寂しい起伏に乏しい胸と、少しぽっこりしたお腹に小さなおへそ、無毛の股間までが一直線に繋がって見下ろせた。
じっと見ていると変な気持になりそうなので、ぶんぶん首を振って邪念を振り払う。
『朝潮ちゃ~ん?』
五月雨の呼ぶ声。あまり待たせても不審に思われるかもしれない。
意を決してがらっと引き戸を開け、中に入る。途端にぶわっ、と全身が湯気に包まれた。
薄目で辺りを見渡すと、タイル張りの床、壁に並んだ鏡とシャワーヘッド、奥には大きな浴槽が一つ。
……やっぱり銭湯だ、これ。
しかし先に入っているはずの二人の姿が見えない。探しながら湯船に近付く。と、お湯の中に紫色と水色の触手を広げたクラゲ二匹が浮いていた。
「ぷはっ―――ふぅ」
突然水色のクラゲが浮上。その下から現れたのは五月雨だった。濡れて乱れた長い髪の毛が、利尻の昆布みたいに頭から垂れ下がっている。
続いて紫色のクラゲ、由良がざばあっと水の中から頭を出す。彼女のトレードマークである太いサイドポニーは解かれており、一瞬誰だか分からなかった。
「二人とも、何をやってるんです?」
クラゲごっこ?五月雨だけならともかく、由良がそれをやるとは思えないが。
「痛んだ髪の高速修復、かな。深雪ぐらい短いならいいけど、由良や五月雨みたいに髪の毛が長いと、修復液に浸けてからじゃないとシャンプーで逆に痛んじゃうの」
「こうすると、髪が凄くつやつやになるんだって。朝潮ちゃんも髪の毛長いんだから、一緒にやらない?」
言われて自分の黒髪を触ってみる。湯気で大分潤ってはいるが、潮風と爆風、爆炎に曝され、最後は海に浸かった髪の毛は、指先にさらさら、ではなく確かにごわごわと触れた。
「でも、皆が使うのに頭を浸けてもいいんですか?」
「気にしないで。どうせ由良たちが入り終わったら、お湯は全部入れ替えるんだから」
なら大丈夫か。
手近な洗面器――ケ○ヨンと書かれた黄色いそれを手に取り、浴槽からお湯を汲んで身体にかける。その温かさが、知らない間に自分の身体が冷え切っていたことを教えてくれた。
お湯自体は市販の温泉の素のような、芳しいのにどこか得体のしれない人工的な香りがすることと、多少ぬるぬるする以外は至って普通。
これが艦娘専用の修復液なのだろうか。入浴剤と変わらない気がするけど。
ゆっくりとつま先から湯に入る。触れた部分からじんわりと熱が広がっていく感覚。
やがて肩まで湯に浸かった。そしてこの柔らかいとろけるような肌触り、まるで全身が温かいゼリーにでも包まれているみたいだ。
確かにこれは効く。疲れが溶けて毛穴の一つ一つから滲み出だしていく感じがした。
ふと浴槽の脇を見ると、『天然横須賀温泉掛け流し』という看板が下がっている。視線に気づいた由良があはは、と笑いながらそれをひっくり返すと、『高速生体修復液使用中』の文字が現れた。
「普段ここは鎮守府の職員向けの24時間風呂になっているんだけど、艦娘の出撃後にはお湯を入れ替えて、簡易メンテナンスドックに早変わり、ってわけ」
いつもは寮のお風呂しか使わないから、皆ここは初めてだよね、と続ける。
確かにゲームみたいに一つの鎮守府に100人以上の艦娘が駐留するならいざしらず、この人数規模なら一般施設を流用した方が効率的、という上層部の判断なのだろう。
それに専用施設を造ることで、艦娘と軍関係者の間に溝ができるのを避ける意味もあるのかもしれない。
「じゃあ装備保管庫の脇にあった傷病療養施設は、ドックとは違うんですか?」
「あっちも通称ドックだけど、リハビリを兼ねた長期療養のための施設かな。重傷なら横須賀市内の海軍病院送りだし、使いどころが微妙なのよね」
「そういえば深雪ちゃんが、あそこ人がいなくてお化け屋敷みたいだから、今度肝試しに行こう、って言ってたな~」
ぱちゃぱちゃと足を動かしながら五月雨がぼやく。お湯に蛍光緑っぽい色が付いているのと濃密な湯気のため、幸い彼女の大事なところは見えていない。
由良と五月雨がそうしているように、自分も耳元まで浸かって髪の毛を湯の中に解き放つ。
粘度があるせいか、自然には広がらない。仕方ないので手を動かし波を立ててやると、黒い線が海藻のようにゆらゆらと揺れながら放射状に広がっていった。
「ほふぅ……」
思わずため息が漏れる。それを聞いた五月雨がくすくすと笑った。
「朝潮、今日は頑張ったものね。お風呂は貸切だから、思いっきり休んだらいいよ。それにこのお湯には治癒促進以外にも、美肌と保湿の効果があるから、ね」
そう言って由良はお湯で顔を洗うと、自分もはぁ、と色っぽいため息をついて身体を浮力に任せた。
3人で湯船に浮かんだまま、しばらくゆったりとした時間が流れる。
天井近くを見上げると、LEDではない橙色の電球照明が湯気の向こうでぼんやりと浮かんでいた。そこから視線をスライドさせると、入った時には気付かなかった葛飾北斎の有名なペンキ絵が目に入る。名前は忘れたけれども、大浪に翻弄される船の奥に富士山を望む、富嶽三十六景の一枚。風呂の中でも海を忘れないとは。
あれを見る限り、少なくともあの絵が描かれた頃までは、自分の知っている歴史と同じということなのだろう。だとすると……
「……深海棲艦って……艦娘って……何なんだろう……」
誰に言うとでもなく、湯気に向かって小さく問いかける。
「突然海から現れた謎の侵略者。艦娘はそれをやっつける海軍所属の正義の味方、じゃ足りないかな」
聞いていたのか由良が答えてくれた。
無言の時間が流れる。
耳を澄ましていると五月雨の方からすぅすぅ、という小さな寝息が聞こえてきた。どうやらリラックスし過ぎて風呂の中で眠り始めたらしい。
「……やっぱり朝潮は誤魔化されてくれない、か」
軽巡向けの対駆逐艦問答用例なんだけど、と由良はお湯の中でぶくぶくと独りごちる。
「そんなものがあるということは、海軍は知っていて何かを隠しているんですか?」
「さあどうかな?軽巡レベルで閲覧可能な情報には何も書いていなかったし、痛くも無い腹を探られたくないだけだと思うけど」
「じゃあ……由良さんは?由良さん自身はどう考えているんです?」
え、と一瞬言葉に詰まる。湯気の向こうで彼女は逡巡しているみたいだったが、やがて意を決したように口を開いた。
「みんなには言わないって約束、できるかな?」
即座にはい、と答えると、由良は参ったなぁと言いながら話始めた。
「といっても通常兵器が通じない謎の敵が深海棲艦で、唯一対抗できるのが私たち艦娘、という大前提は変わらないよ。そこで由良は考えたの。深海棲艦と艦娘、どちらが先に生まれたのかな、って」
普通に考えてみると深海棲艦が先で、それに対抗するため艦娘が生み出されたと考えるのが妥当だ。対深海棲艦以外で艦娘が必要とされる背景が想像できない。
その旨を告げると、由良はそうそう、と同意した。
「だとすると、次に艦娘の『兵器としての構想』はどこから来たと思う?」
深海棲艦に対抗するため、深海棲艦に続いて誕生した艦娘。だとすればその構想は、
「もしかして艦娘は……深海棲艦と同じコンセプトの下に生み出された兵器……」
「……軍上層部が誤魔化したくなる気持ち、分かったかな」
確かに人類の決戦兵器が実は忌むべき敵の模倣、というのでは締まらない。広報するにも単純に正義の味方、ということにしておいた方が楽だ。
「そう考えると深海棲艦と艦娘って、やっぱり良く似ているんだよね。例えば深海棲艦を構成する要素は3つ、生体部分、兵器の機械部分、それと悪霊的な怨念……」
ちゃぽちゃぽちゃぽ、と指折り数える水音が聞こえる。
怨霊説には懐疑的ではなかったのか、と尋ねると、襲ってくる動機や目的がはっきりしないから怨念的としか形容できないし、との答えが返ってきた。
「由良たち艦娘も一緒。女の子の生体部分、艤装、そして船霊とも呼べる戦闘艦艇としての記憶と力。ただ深海棲艦と違うのは、この3つを結ぶ名前があることかな」
「名前?」
「海軍での私の名前は『由良』。艤装の名前も『由良』。記憶にある船の名前も『由良』。3つの全く異なる要素が『由良』という名前をカスガイにして結びつき、艦娘『由良』の出来上がりって寸法ね」
「……どうしてそこまで分かって……」
突然脱衣所の方でどたどたという荒々しい足音が聞こえたかと思うと、ガラスの引き戸が無遠慮にがらがらっ、と開かれた。
「待たせたなぁ、深雪さま参上だぜ!!」
「ふわっ、深雪ちゃん!?」
じゃぼん、という水音と共に五月雨の起きる気配。
体を隠そうともせず腰に手を当てて仁王立ちになった深雪は、そのままずかずかと大股で浴室に入ってくる。
「深雪、検査は異常なかったの?」
「楽勝楽勝!!頭の写真まで撮られたけど、問題なしだってさ。あとは風呂入って飯食って、よく寝れば大丈夫だってよ」
薄い胸を張って自慢げに答える深雪。イ級の爆発で吹き飛ばされてからずっと意識が無かったけれども、どうやら無事で良かった。そっと自分の胸を撫で下ろす。
と、気が緩んだ拍子に、下腹部に忘れていた排尿刺激が戻ってきた。
そういえば鎮守府に戻ってからもトイレに行くタイミングを逸していたわけで、そろそろ膀胱も限界に近い。
十分に温まったから、そろそろ身体を洗って上がることにしよう。
「じゃあ自分は先に出ますね」
そう断って湯船から立ち上がると、修復液をたっぷり含んだ長い黒髪がべたぁっ、と体に貼り付いた。
「朝潮!!」
浴槽の縁に足を掛けたところで深雪が目の前に立ち塞がった。
「あのさ、その……今日はサンキューな。深雪が倒し損ねた奴、朝潮がやっつけてくれたって聞いたんだ。だから……」
「いいよ。それよりも深雪が無事でよかった」
「お、おう……」
満面の笑みで素直な気持ちを口にすると、深雪は顔を真っ赤にして言葉を詰まらせた。
「そうだ、これから身体洗うんなら、お礼に深雪が背中を流してやるよ」
「いやそれは……」
「遠慮するなって、ほら」
手を掴まれ、無理やり湯船から引き摺り出される。
気持ちはありがたいけれども、こちらにも色々と事情が……
「あ、あたしも!!あたしが朝潮ちゃんの背中、流してあげます!!」
後ろから名乗りを上げる五月雨。振り返ると水色の髪の毛から雫を垂らしながら、じゃぶじゃぶとお湯をかき分けて近づいてくる彼女の姿があった。が、
「きゃあっ!!」
湯船の中で自分の髪の毛を踏んづけてしまったらしく、姿勢を崩して勢いよく倒れ込む。
こちらに向かって。
ずんっ、と下腹部に重い衝撃。五月雨の全体重をかけた渾身のタックルが決まったのだ。腰にしがみつかれたままの形で、彼女と一緒に後ろに倒れてしまう。背中をタイル張りの床に強か打ちつけた。思わず息が詰まる。
「何やってんだよ、五月雨!?」
「ご、ごめんなさい。朝潮ちゃん、大丈夫?」
歯を食いしばり、下の方から襲い来る放水圧力に何とか耐えきる。朝潮の消火ポンプは優秀だ。
「いいから……早くどいて……」
「う、うん」
色白の朝潮よりさらに白い透けるような肌を持った五月雨の小さな身体が、へその上でもぞもぞ動く。粘性のあるお湯に濡れた彼女の平坦な胸と、その上にある二つの桜色のぽっちりが、視界の隅でちらちらと妖しく蠢いた。
「よいしょっ―――わぁっ!!」
腕立て伏せの要領で起き上がろうとする五月雨。その右手がつるっ、と床を滑った。
身体を支えるために足場を求めた彼女の右手が、こちらの下腹部に、膀胱に、掌底となってずどむっと突き刺さる。
一瞬脳裏に動画サイトで見た艦娘轟沈シーンが浮かんだ。
ちょろっ
「え?」
もはや堤防は決壊した。止めるものは何もない。
ぷしゃぁぁぁぁぁっっっ
「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
勢いよく飛び出した噴水が孤を描き、タイル張りの床との間にアーチ橋を架ける。
言葉にならない情けない声が咽の奥から洩れ、それが枯れた後も水は途切れることなく流れ続けた。
見られている。深雪に、五月雨に、その四つの瞳に困惑の色を湛えながら。
全身を心地よい虚脱感と解放感が襲う。自然と口の端が緩むのが分かった。
やがて放水の勢いが弱くなり、ちょっちょっ、と絞り出すように数回小さな飛沫を最後に恥辱の時間は終わりを告げた。
むわっ、と室内に立ち込めるアンモニア臭。股の付け根に感じるお湯とは別種の生温かさ。
急に自分の仕出かしてしまった事の重大さに気付き、さっと顔から血の気が引いていく。
「あ、朝潮……ちゃん……?」
「う……あ……うわぁぁぁぁん!!」
いつの間にか泣き出していた。
惨めに、愚かしく、まるで何も考えられない子供のように。悲しいとか恥ずかしいといったものを通り越して、ただ泣くためだけに声を上げ、涙を流し続ける。
止めよう、止めようと必死で試みるのだが、身体がそれを拒否してしまう。
「五月雨、何泣かしてんだよ!?」
「ううっ、ごめんね朝潮ちゃん、ごめんね!!」
「わぁぁぁぁん……ひぐっ……えくっ……うわぁぁぁぁ!!」
「ちょっと2人とも、ぼうっとしてないで早くシャワーで流してあげないと!!」
滲んだ視界に立ち上がった由良が、お湯を掻き分け近付いてくるのが見えた。
そこから先のことは良く覚えていない。というか思い出したくない。
一つだけ言えるのは、尊厳も大破轟沈するということだ。
―――――結局高速生体修復槽という名のお風呂から上がったのは、大分時間が経ってからのことだった。
あんなことがあったにも関わらず、いや、だからこそか、深雪も五月雨も頭のてっぺんから足の先まで、丁寧にスポンジで、時には素手で優しく洗ってくれた。
修復液の効果もあってか、おかげで全身つるっつる。ドライヤーまでかけてもらった長い黒髪からは、ほんのり柑橘系のシャンプーの香りが漂っている。
特に五月雨は気に病んでいるようで、着替えてから食堂までの道すがら、由良に止められるまで何度も何度も頭を下げて謝っていた。
気にしていない、というより正直忘れたままにして欲しかったので、もう大丈夫と言うとやっと止めてくれた。
夕食は奮発すると言った鳳翔さんの言葉通り、ハンバーグにエビフライが3本乗った豪華なお子様ランチ仕立て。というかお子様ディナー?
すぐさま飛びついて食べ始める深雪と、こちらをちらっ、ちらっ、と確認しながらナイフとフォークを進める五月雨が対照的だった。
味はデパートの屋上レストランみたいに、肉の質よりソースやケチャップと一緒に食べてどうか、ということを意識した味付け。これはこれで美味しいと思う。
自分としては台形に盛られたライスの上に立てられた旗が旭日旗だったのが印象的だった。さすが鎮守府の食堂だけはある。
食後のアイスクリームまでしっかり楽しんだ後、由良と鳳翔さんと別れ、昼に寄った海を臨む艦娘寮(木造築30年以上)に深雪、五月雨と一緒に帰る。
一階にある駆逐艦部屋は10畳ほどの広さの畳が敷かれた角部屋で、四隅のうち一つが入り口、残り3つがそれぞれ個人スペースになっていた。
朝潮のスペースは教本や洗濯物、筆記用具などがきちんと整頓されているのですぐ分かった。
なお、五月雨のは小奇麗にまとまっているものの、バランスが悪いのか私物が雪崩を起こしていた。そして深雪はカオスの一言。脱ぎ捨てた服やら下着やらに混じって、漫画やスナック菓子の袋がちらほら見える。しかもどんどん周囲を浸食している様子だ。どこかでまとまった時間が取れたら、部屋の片づけが必要だろう。
今日は特にやることも無いので、部屋の真ん中に思い思いに布団を敷いてごろごろしていると、日中の疲れもあってかいつの間にか眠ってしまっていた。
深夜。
熟睡していたところを、どごっ、と背中を蹴っ飛ばされた衝撃で目が覚めた。
「深雪ぃスペシャるぅ~むにゃ、いっけ~!!」
犯人は自己紹介が終わると、すやすや気持ちよさそうな寝息を立て始めた。
……これか、朝潮が不満がっていた理由は。明日は布団でバリケードを作って対応しよう。
誰かが電気を消したのか、暗い部屋の中眠い目を擦りながら柱に掛けられた丸時計を確認すると、短針は12時を回ったところだった。
海がすぐそばにあるせいか、寄せては返す波の音や行き交う船の機関音などが、壁の向こうから遠く聞こえてくる。
いつもなら部屋で艦これをやりながらネットをいじっている時間帯。
なのに今は自分が艦娘になり、艦これの世界で深海棲艦と戦っている。
夢だとしても、寝ても目が覚めないのだから、どこかの時点でこれを自分の現実として受け入れなければならないのかもしれない。
寒気を感じてぶるっ、と体が震える。少し尿意を感じた。
起き上がり、深雪を避けて出口に進む。共用のサンダルをつっかけ、薄い扉を開けてぱたぱたと足音をさせながら廊下に出た。
ショック療法というか、先ほどの荒療治が効いたのか、もはやトイレに行くことに抵抗感はない。というか抵抗してもろくなことにならない、というのはよく分かった。
所用を終え、手を洗った後、ふと窓の外を見る。
煌々と明かりが灯り、夜だというのに眠らない横須賀鎮守府。
東京湾、そして日本の海を護る最前線にして、自分たち艦娘の基地。
自分の知るこの場所には自衛隊と米軍の施設があったはずなのに、この世界では海軍基地のままだ。
食堂のある赤煉瓦の建物、鎮守府司令部に目を移す。
夕食時に聞いた話では、提督の執務室は二階にあるという。
姿を現さない謎の提督。そして昼間、目の前に艦これ画面が表示された後、彼は便宜を図るように指令を出してきた。
やはり鍵は提督なのか?
そういえば、あの変なサーバーをクリックしたとき、『代理提督が着任しました』というセリフが流れた。それを信じるのなら、自分が代理提督ということだが。
と、司令部の二階に並ぶ暗い窓のうち一つ、端から二番目の部屋に引かれたカーテンの隙間から、ちらっと何かの明かりが見えた。
室内照明ではない。どちらかというと、携帯電話の着信を示すカラフルなLEDの光、といった感じだ。
誰かが提督に電話をしている?こんな真夜中に?
……提督の携帯番号を知っているのに、ここに提督がいないことを知らないのか?いや、もし知っているのにかけているとすれば、その相手はもしかして……
そう思った瞬間、居ても立ってもいられず寮の扉を開け外に飛び出していた。
夜風が子供用パジャマ一枚の肌に凍みる。ほんの数百メートルの距離が遠い。
途中ですれ違った歩哨の人が驚いていたが、顔を知っていたらしくスルーしてくれた。
やがて司令部の建物に到着。下から見上げると、今度ははっきりと執務室内で光っている何かが見えた。
裏手に回り、守衛さんに忘れ物をしたと言って中に入れてもらう。
既に中の照明は落とされており、真っ暗な廊下を進んで突き当りの階段を上へ。
昇る最中、食堂の方から水の流れる音と食器のカチャカチャとぶつかる音が聞こえてきた。鳳翔さんが片づけをしているのだろうか。
電気の消えた二階の廊下、端から二番目の扉の前に到着。
重厚な木製の扉、その鍵穴から中を覗くと、確かに外から見えたチカチカと眩しい光、そして携帯電話のバイブ音が確かに聞こえた。
扉を開けようとドアノブに手を掛けたところで、はっ、と正気を取り戻す。
そもそも鍵を持っていないし、提督にかかってきた電話を取ってどうするつもりなのだ?
自分の立場はただの駆逐艦。中身はともかく、見た目もただの女子小学生。
上下関係が絶対の軍隊においては越権行為も甚だしい。
でも、さっきの推測が正しいとすれば……ええい、ままよとドアノブを回すと、意外にも鍵はかかっておらず、扉はガチャリと音を立てて開いた。
執務室の中に入る。
鳳翔さんが掃除をしてくれいるおかげか、あまり埃っぽい感じはしない。
厚手の絨毯をサンダルで踏みしめて進む。部屋の奥にはずっしりとしたいかにも高級そうな大きな木製のデスクが鎮座していた。万年筆や地球儀などと一緒にその上に置かれた2世代ほど前の外見をした使い古された折り畳み式携帯電話、その着信ランプが暗い部屋の中でネオンサインのようにぴかぴかと光っている。
発信者はよっぽど気が長いらしい。
充電用クレイドルから携帯電話を外し、蓋を開く。
ここまで来たからには、後でどんな罰を受けても仕方がない。
意を決して着信ボタンを押した。
「もしもし……」
恐る恐る小声でマイクに話しかける。と、
『テイトク~!!やっと出てくれマシタね~、とっても心配したデ~ス!!』
スピーカーから響く威勢のいい若い女性の声。
この耳に残る独特のイントネーションと語尾、あからさまにインチキ臭い外人みたいな喋り方は―――
「――――金剛?」