艦隊これくしょん-艦これ-司令艦、朝潮です!!   作:めめめ

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任務4『浦賀水道海域ヲ護レ!』

「帝都急行?」

 

 耳慣れない単語に首をかしげる。他の二人も同様。っていうか、深雪はいつの間にトラウマスイッチから立ち直ったんだ。

 

「あれ、駆逐艦用の引き継ぎ資料には書いてなかったかな?」

 

「言われてみればそんな項目、あったかも―――」

 

「深雪は覚えてね~ぞ!!」

 

そして右に同じく、と上目遣いで視線を送る。

 

「みんな―――ちゃんと資料は頭に叩き込んで置くようにって、由良言ったよね、ね?」

 

 普段敵が現れないからって緩みすぎ、と、さっきの爆風で乱れた自分の髪を撫でつけながら苦笑いする由良。

 

『では私の方から説明させていただきますね』

 

 フォローするように鳳翔さんの優しい声がインカムを通して届いた。

 

『――――帝都急行というのは、横須賀鎮守府で使われていた隠語が公用化したものです。前に提督がいた頃は駆逐艦・軽巡洋艦を中心とした小規模な敵船団が、週に2-3回のペースで帝都侵入を試みていたためそう呼んでいました』

 

 帝都に向けた高速艦艇による定期的な襲撃―――それで帝都急行か。

 

『みなさんが赴任する少し前から、この一か月ほどぱったりと活動が止まり、影も形も無かったのですが……現在敵の詳細な情報を掴むべく、海軍からも偵察機を上げたところです。また既に周辺海域の民間船にも退避勧告が出されています』

 

「……鳳翔さん、警備隊の第一報からどれくらい経ちました?」

 

 由良が尋ねる。

 

 少し間を置いて、

 

『鎮守府への通報があってから10分程度。ただ、あちらでどれだけ確認に手間取ったかまでは不明です。既に帝都への入り口、浦賀水道に差し掛かっている頃かもしれません……』

 

 浦賀水道というと、すぐに横須賀鎮守府前。そしてその先は東京湾だ。

 

 あまり時間的猶予は無い。

 

「いよいよ私達の出番ですね。ちょっと怖いですけど……」

 

 五月雨がさっきまで抱き着いていた手を離し、自分の12.7cm連装砲をぎゅっと握りしめて立ち上がる。武者震いする小さな体に合わせて、水色の長い髪先がぴこぴこ揺れた。

 

 その頭を由良がそっと撫でる。

 

「ううん、みんなはさっきの訓練で疲れているから、ここは由良が一人でやっつけてきちゃう」

 

「え……由良さん?」

 

 てっきり全員で迎撃に向かうものと思っていたので、拍子抜けしてしまう。

 

「帰投したら造修補給所に寄って、各自燃料弾薬を補給したら別命あるまで待機。お願いね」

 

 そう言って彼女は自分の背中の機関ユニットをアイドリング状態から再始動させた。

 

 すぐに駆逐艦のそれより重く力強い駆動音が響き始める。

 

「そんな!!だって由良さん……さっきの爆発で怪我しているんですよ!!」

 

 悲鳴を上げる五月雨。

 

 言われて初めて気が付いた。先ほど魚雷の誤爆から助けてもらった際、爆風に巻き込まれたのだろう。由良の浅黄色のセーラー服はところどころ破れ、機関ユニットからも何かが引っ掛かるような不協和音と共に薄い白煙が上がっている。

 

 艦これ的には小破、といったところか。

 

 通常なら深海棲艦の駆逐艦級3隻は、軽巡である由良の敵ではない。だが駆逐艦でもeliteやflagshipならば、今の彼女にとって十分な脅威になりうる。

 

「仕方がない、かな。このまま敵を放っておくわけにはいかないし、まだ練度の足りないみんなを戦場に送り出すわけにもいかないから」

 

 少し寂しそうな、それでいて決意を込めて言い切る由良。

 

「大丈夫、こんなのじゃ……由良は沈まない」

 

 彼女の覚悟が、そして艦娘がどういうものなのか、少し分かったような気がした。

 

 泣きもするし笑いもする。それでもやはり、艦娘は一個体で戦局を左右しうる決戦兵器であり、そして戦場の駒。

 

 駆逐艦の自分たちを残して行こうとするのも、ただの優しさだけではない。戦力としての駆逐隊が完成するまでは、母鳥が雛鳥を守るようにして、徹底的に自分を使い潰す。そうすることで次の戦いへと道を繋げようとしているのだ。

 

 軽巡由良は進撃する。

 

 例えそれが絶望的な状況でも、そこに戦場があれば彼女は一人ででも立ち向かう――冷たい方程式が命じるままに。

 

 理屈は分かる。分かるけれども―――

 

「―――嫌です。連れて行って下さい」

 

 自分でも驚くほど簡単に言葉が出た。

 

 もしかするとそれは、『朝潮』の言葉でもあったのかもしれない。

 

「朝潮、あなた――――」

 

 一瞬ぎょっとして表情を硬くした由良は、すぐに普段の優しそうな顔に戻って窘めようとする。

 

「だから大丈夫だって、心配しないで」

 

「嫌です」

 

「ちょっと行って帰ってくるだけだから」

 

「嫌です」

 

「朝潮、あのね、由良を困らせないで」

 

「嫌です」

 

「……今のあなたたちの練度じゃ、足手まといになるってことくらい分かるでしょ、ね?」

 

「分かります。だから囮でも盾にでも使ってください。敵の攻撃が分散すれば、その分生還率は上がります」

 

 はぁ、と由良がため息をついた。

 

「困った子。いつも通り、一度言い出したら全然聞かないんだから」

 

「朝潮ちゃん……うん、そうだよね……」

 

 何やら一人で頷く五月雨。そして、やおら由良の方を向き、

 

「由良さん、あたしも連れて行って下さい。一人よりも二人、二人よりも三人です」

 

「だったら深雪も行くぜ。三人より四人の方が強いのは当たり前だもんな」

 

「ちょ、ちょっと、みんな何を言って」

 

 有無を言わせず3人で詰め寄り、口々に懇願する。

 

「由良さん!!」「由良さん!!」「由良!!」

 

「ああもう、やめてってば!!ダメだったらダメなの!!」

 

 3方向からサラウンドで呼びかけられ、耳を塞いでしゃがみこむ由良。

 

 ――――この人に傷ついて欲しくない。一人で死地になんか赴かせたくない。

 

 絶対に……絶対っっ!!

 

 ―――ヴンッ!!

 

 一瞬、自分の右目の前に何かが浮かんだような気がした。今のは……艦これの母港画面?

 

 でもこんな時にどうして?

 

『―――聞こえますか由良さん?緊急事態です!!』

 

 と、突然無線のインカムから鳳翔さんの慌てた声が飛び込んできた。

 

「今度は何?こっちも取り込み中なんだけど!!」

 

『それどころじゃ無いです!!たった今海軍軍令部の提督から、由良さんに指令が入ったんですよ!!』

 

 皆が息を呑む。

 

「提督から直接?」

 

 つい先ほど食堂で、提督はいない、という話をしていたばかり。

 

 だというのに何故このタイミングで提督からの指令が、しかも一軽巡を指名して届くのか。

 

 インカムに耳を傾け鳳翔さんの言葉を待つ。

 

『はい。

 

発 横須賀鎮守府提督、宛 長良型軽巡4番艦由良 

 

指令 嚮導艦トシテ駆逐艦3隻ト水雷戦隊ヲ編成シ、帝都急行ヲ撃滅セヨ

 

以上です』

 

 一瞬の沈黙の後、

 

「え~と……もの凄くピンポイントな指令が来ちゃいましたけど」

 

 おずおずと感想を口にする五月雨。

 

「提督って、もしかしてどこかでこっそり由良たちを監視してたりするのかな?」

 

「いいぜいいぜ、中々話の分かりそうな提督じゃん」

 

 ぽかーん、と口を開ける当人の由良と、無邪気に喜ぶ深雪。

 

 だが自分はそれを聞いて、さっき現れた謎の画面のことを考えていた。

 

 突然浮かび上がったあれにはどういう意味があるのだろう。

 

 そして提督の存在。

 

 あの画面が出た直後、鎮守府に提督からの指令が届いた。その内容は自分の要望と同じ、由良を一人で行かせないようにするものだった。偶然にしても出来すぎている。

 

 ―――突然活動を再開した帝都急行といい、自分が朝潮としてここにいることといい、一体何が起きている?

 

「提督から直接命令が来ちゃったら……これは、逆らえないよね」

 

 仕方ないなぁ、という風にこちらを見る由良。だが口とは裏腹に、彼女の表情は晴れやかだ。もしかすると、結局皆で行くことになったのが嬉しいのかもしれない。

 

「それではただ今よりあなたたち3隻は、軽巡由良嚮導の水雷戦隊指揮下に入ります。分かったら復唱!!」

 

 今度は遅れない。右掌を隠す海軍式敬礼の姿勢を取る。

 

「駆逐艦 深雪!!」「駆逐艦 五月雨!!」「駆逐艦 朝潮!!」

 

『以上三名、ただ今より由良水雷戦隊指揮下に入ります!!』

 

「はい、よろしい―――ってみんな、戦隊名それでいいの?」

 

 当の由良が面喰っている。

 

 自分の名前を戦隊名にされたのが気恥ずかしいらしい。といっても、

 

「あたしはいいと思います。第二戦隊の時みたいで、ちょっと懐かしいですし」

 

「そもそも他に嚮導できる軽巡がいないもんな」

 

「よろしくお願いします、艦隊旗艦!!」

 

 うっとおしいまでに眩しい笑顔で答える。

 

 む、年上をからかうなんて余裕が出て来たんじゃないかな?と、ジト目で睨んでくる由良の視線をスルー。それは邪推というものだ。

 

「ではこれより……こほんっ……由良水雷戦隊は、帝都急行を撃滅すべく出撃します。各艦機関再駆動。報告のあった海域に向かって航行しながら敵の追加情報を待ちます」

 

『了解!!』

 

 昂ぶる気持ちが伝わったのか、アイドリング状態だった背中の機関ユニットが軽快な駆動音を上げ始めた。どういう原理でコントロールされてるんだろう、この謎機関。

 

「途中までの陣形は複縦陣。深雪と五月雨で一列、朝潮は由良に続いてね」

 

 横の深雪に睨みを利かせながら、後ろもフォローできる隊形だ。

 

「全艦抜錨!!行くよ、みんなっ!!」

 

 4人の機関ユニットが一際大きな音を響かせた。

 

 

 

 

 訓練していた鎮守府正面海域を出発し、右手に無人の猿島を臨みながら陸地に沿って南東に進路を取る。

 

 流れる景色から推測すると、時速は40km/h程度。車だと思えば遅いが、生身で海上を疾走するとなると体感速度はもっと早い。しかも前を行く由良、隣の五月雨との距離を測りながら隊列を崩さないように気を付ける必要があり、さらに時々進路上に漁船や貨物船が現れたりするから一瞬たりとも気が抜けない。

 

『民間船には退避勧告が出ています!!至急最寄りの港に避難してください!!』

 

 指揮を取る由良は、皆の陣形に気を配りながらも釣り船やレジャーボート横を通り過ぎる時は毎回声を張り上げて一々警告している。

 

 艦隊はやがて観音崎に差し掛かった。こんもりと茂った緑の木々の間から、白い八角形の観音崎灯台がにゅっと頭を出している。陸の方からサイレンが聞こえたのでそちらを向くと、慌てて海から上がる海水浴客たちの姿が見えた。

 

 灯台を眺めながら面舵を切り陸地の影を抜ける。曲がった先からは浦賀水道だ。

 

 進路変更、陸地から離れるようにして真南へ。右舷前方から差し込むやや傾きかけた初夏の太陽の光が眩しい。

 

「由良さん、深海棲艦って早期発見は難しいんですか?例えばレーダーや偵察衛星を使うとか……」

 

 航路上に他の船舶が無いことを確認し、後ろになびく彼女の長いサイドポニーを眺めながらマイクに問いかける。

 

『いい質問ね。できれば便利なんだけど鋭意検討中、かな。一応海軍でも研究はしてるけど、深海棲艦ってレーダーに映ったり消えたりして信号が安定しないから難しいみたい』

 

 映ったり消えたり?それって……

 

「なんだかお化けみたいです」

 

『そうそう。だから深海棲艦は沈んだ艦の怨霊だ、って話に繋がるの。見た目がお化けっぽいのもそうだけど、元々レーダーの影をゴーストっていうから、そこから来た噂だと思うな』

 

 言葉を喋る艦種もいるって話だけど、由良は会ったことないし、と続ける。

 

 彼女が又聞きレベルでもそれを知っているということは、『鬼』『姫』もこの海のどこかに潜んでいるのだろうか。

 

『そんな経緯があって深海棲艦を捕捉するには、結局肉眼が一番信用できるの。だから海軍ではレシプロの零式水偵がいまだに現役活躍中なのよね』

 

 なるほど。深海棲艦相手にジェット機では速すぎるし、早期警戒機のレーダーには引っかからない。であれば足は遅いがフロートで海面に離着できる水偵は、索敵追跡にはうってつけだ。

 

『だけどな~、お化けって言えばうちの提督の方がお化けだぜ。いつの間にか着任してるし、妙に事情に詳しいし。今もこっそり五月雨の後ろから……』

 

『やめてぇっ!!』

 

 怯えて周りを見回す五月雨。その前を走る深雪の航跡は、彼女が笑っているせいか白蛇みたいにぐねぐねと蠢いた。

 

『みんな、ちょっと静かに!!』

 

 と、突然由良の厳しい声がインカムから飛び込んできた。

 

『鳳翔さん、聞こえますか?戦隊は現在浦賀水道を南下中、久里浜沖を過ぎたところですが、進路上に大型客船を確認しました。退避勧告が届いていないんでしょうか?』

 

 由良の視線を延長した先、確かに浦賀水道のど真ん中を、真っ白な船体が印象的な豪華客船が悠々と進んでいくのが見て取れた。何故先ほどは気付かなかったのだろうか?

 

『少々お待ちください。すぐに照会させていただきます』

 

 しばらく無言の緊張が場を支配する。

 

『……こちらでも確認が取れました。戦隊の航路上にいるのは、帝國汽船所有の大型客船”ひの丸”号、排水量33,000t。一旦は金田湾に退避したのですが、岸に近付きすぎて船底が接触したため、船長が強引に抜錨を決定。本来の目的地である横浜港を目指して現在航行中とのことです。先ほど当該客船の通信士から、鎮守府に謝罪と救援要請がありました』

 

 重い。限りなく空気が重い。

 

 取材で勝手に遭難したマスコミ関係者を救助するときのレスキュー隊が、こんな気持ちになるのかもしれない。

 

『TVの占いだと今日の由良は、空からお団子が降って来るくらいラッキーだって言ってたのに……』

 

『心中お察しします……』

 

 と、同情の意を表した鳳翔さんの声が、急に険しいものに変わった。

 

『偵察機から緊急入電!!敵艦隊は既に館山湾沖を通過、現在浦賀水道を北上中とのことです!!』

 

 最悪のタイミングで最悪の続報。ぐんぐん大きくなる豪華客船のその後ろ、ずっと向こうに目を凝らすと、浪を蹴立てて進む黒い豆粒のような何かの姿が見て取れた。報告を信じるのであれば、あれが帝都急行―――深海棲艦。

 

「由良さん……」

 

『……あちらさんに文句を言う暇も与えてくれない、ってことかな』

 

 マイクを通して彼女が苦虫を噛み潰すじゃりじゃりという音が聞こえた気がした。

 

 その間にも会敵時間は刻々と近づいてくる。

 

『何悩んでんだよ。ば~と行ってが~っとやっつければ、全部解決だぜ!!』

 

『だけど深雪ちゃん、あたしたち客船を守りながら戦うんだよ!!そんなに簡単な話じゃ……』

 

『ううん、今回に限っては深雪の言う通りだと思う』

 

 意外にも深雪の脳筋提案に由良が賛同する。

 

『敵が客船を射程圏内に捉える前に交戦状態に入ることができれば、客船の退避時間を稼ぐことができる。それにどのみち―――』

 

 インカムから届く声のトーンが低くなった。

 

『―――どのみち由良たちが帝都急行を撃退できなければ、あの客船が真っ先に襲われる。そうしたら船は大破轟沈。救助隊は近づくこともできず、乗客と一緒に暗い海の底に沈んでいく……』

 

「そんなこと―――絶対にさせません!!」

 

 反射的に叫んでいた。

 

 別に朝潮の真似をしたわけでは無い。素直にそう思っただけだ。

 

 前を行く由良がこちらをちらっと見て、こくりと頷いた。

 

『―――皆聞いて!!現状、一分一秒でも速く戦端を開くことが民間人を守ることに繋がるの。これより艦隊は可能な限り接敵し、直前で回頭、単縦陣に陣形変更。敵進路を丁字に塞ぐ形で砲撃戦を仕掛けます!!全艦、機関最大戦速!!』

 

『了解!!』

 

 全員の機関ユニットが絶叫に近い唸り声を上げ始めた。主機で思いっきり海面を蹴り飛ばすとすぐに加速が始まり、景色が猛烈な勢いで後ろに流れていく。

 

 途中、件の大型客船とすれ違った。

 

 艦娘が珍しいのか、船窓やデッキでは沢山の乗客たちがカメラや携帯を構えてしきりに写真を撮っている。由良が止めないところを見ると、艦娘の存在自体は一般人に機密事項ではないらしい。

 

 なら深海棲艦の存在は?

 

 乗客たちは客船の後ろから死の運命が近付いていることに気付いた様子は無い。

 

 客船の巨体が生み出す波をジャンプで避けたりしながら横を通り過ぎる。やがて客船の姿は小さくなり、その航跡も消えていった。

 

 逆に黒い豆粒に見えた深海棲艦の影が、どんどん大きくなっていく。

 

『敵艦確認、こちらには気付いていないみたい。砲身の角度は水平に固定。攻撃目標を先頭の一体に、ギリギリまで接近して一斉射撃。敵隊列が乱れたら反転して、各個撃破していきます』

 

 やがてターゲットとなる敵の姿が細部まで分かるくらいにまで近づいた。

 

『うえ、またあいつか』

 

 深雪がそう言うのも無理はない。3両編成で進む帝都急行、その先頭に立つのはさっきの訓練でお世話になった、額の大きな単眼が特徴的な駆逐艦ハ級だ。しかし今度は本物。その後ろにイ級が二隻付き従う。

 

 深海棲艦の実物は初めて見るが、これに比べると発泡スチロールの標的に描かれた絵など可愛いものだ。

 

 軽自動車大の身体は機械と生物を無理やりミキサーに入れて合体させたような醜悪な風体、そして異形の顔貌。

 

 外殻を覆うクジラみたいな黒い硬質の肌はしっとりと艶を帯び、額に大きく開いた発光機も兼ねるすり鉢状目は、沼地に現れる幽鬼の光ウィルオウィスプのように陽光の下でも青く怪しく輝いている。

 

 下半身は水面に出さず、少し浮かび上がるようにして海面を疾走する深海棲艦たちの姿は水中翼船にも似ていた。

 

『深雪、由良より先に絶対砲撃を始めないでね。大丈夫、さっきのは勇み足だっただけだから。必ず当てられると信じて』

 

『ぃよーし、行っくぞ~っ!!』

 

『五月雨と朝潮は、とにかく落ち着いて撃つこと。あなたたちの腕なら、この距離での水平射撃は絶対当たる。さっき上手く言った感覚を忘れずに』

 

『はいっ!!』

 

 五月雨と一緒に返事をする。

 

『これより砲撃戦に入ります!!全艦、主砲装填!!』

 

 まっしぐらに進む帝都急行とすれ違うべく進む戦隊。突然由良が単装砲を着けた左手をさっと真横に差し出した。取り舵の合図。彼女の航跡が綺麗な弧状のシュプールを描くのを眺めながら、それをなぞる様にして続く。複縦陣で並走していた深雪、そして五月雨が後ろに合流、4人が一列に並んで単縦陣が完成した。

 

 やっと接近する敵に気付いたのか、こちらを迎撃すべく先頭を走るハ級の無駄に歯並びの良い大口が顎でも外れたかのようにぐばぁっと開く。中から金属光沢を放つ真っ黒な5インチ連装砲がでろりと剥き出しになった。

 

 が、遅い!!

 

『全砲門、よぉく狙って―――てーぇ!』

 

 声に合わせて自分も連装砲の引き金を引く。その瞬間、大音響音と共に8つの砲門が火を噴いた。

 

 撃ち終った後は立ち込める発砲煙のカーテンを突っ切り、敵の反撃に備えて主砲を再装填しながら距離を取る。

 

 駆逐艦ハ級の手前に上がった水柱は3つ。

 

 どうっ、と大きな何かがが倒れる音に続いて、砲撃によるものではない一際太い水柱が上がった。その中から横倒しになったハ級の巨躯が、まるで水切り石のように海面を跳ねて飛び出す。

 

 穴だらけになった黒い外殻の下、白い腹と申し訳程度の足が無様に陽光に曝け出された。

 

 14cm単装砲と12.7cm連装砲。どちらも軽巡と駆逐艦の初期装備だが、一度に喰らえば重巡級だって無事ではいられない。装甲の破片をばら撒きながら水面を転がるハ級は、そのまま浮力を失って海中に没していった。

 

『命中弾5、ハ級撃沈!!後ろのイ級がもたついてる間に仕留める!!』

 

 先頭車両を失い2両編成になった帝都急行は、つんのめったようにブレーキをかける。船間距離が急速に詰まり、巨大な魚雷にも見える後ろのイ級の頭が、前を行くイ級の尻尾に軽くごつんと激突した。

 

 渋滞を起こしたイ級は、だが直ぐに体勢を立て直す。そしてまだ白く泡立つ僚艦の沈んだ跡を踏み越え、帝都への疾走を再開した。深海棲艦は想像以上に切り替えが早いらしい。

 

『あいつら深雪たち無視かよ!?』

 

『このままだと逃げられちゃいます!!』

 

 敵の反撃を予想していた艦隊に動揺が走る。

 

『全艦、跳躍反転!!五月雨を先頭に単縦陣で追撃―――後ろから噛みつくよ!!』

 

 由良の凛とした声がインカムから聞こえた。場慣れしているのか、旗艦の彼女はこんな時でも乱れない。

 

 しかし反転は分かるけれども、跳躍とは一体?

 

 そんな感想を抱いた瞬間、目の前の由良が言葉通りぴょん、と跳び上がった。重い背中の機関ユニットをものともせず、空中でクルっと180°回転し身体の向きを変える。

 

 彼女はそのまま陸上選手がするクラウチングスタートみたいに、海面に胸が接触するくらいの低い前傾姿勢で踏ん張った。突然反対方向の慣性に晒された主機が、唸りを上げて波を弾き飛ばす。

 

 競艇選手にもできない、人型の艦娘だからこそできるぶっ飛んだ方向転換。

 

 ……しまった、遅れた!!

 

 慌てて自分もジャンプして反転。着水すると同時に襲い掛かるGに全身で耐える。

 

 水面で踏ん張った二本の細い脚がガクガクと震え、負荷のかかった主機がその下で悲鳴を上げた。だが、

 

「――――っ、止まらないっ!!」

 

 このままだと流される!!

 

 少しでもブレーキをかけようと海面で足掻くが、むしろ姿勢が崩れてしまった。幸い機関ユニットにオートバランサーが組み込まれているのか、転びはしないが風に煽られたように仰け反った状態で後ろに滑っていく。

 

「朝潮、落ち着いて」

 

 耳元で優しい声が囁き、そっ、と両肩に手が置かれた。すぐに姿勢が安定し、主機が前向きの推力を発揮し始める。

 

「あ、ありがとう、ございます」

 

「いいの。さ、仕上げに追いかけるよ」

 

 支えてくれた由良に礼を言うと、彼女はにっこり微笑んだ。

 

『深雪さま一番乗りぃ!!』

 

『きゃっ、深雪ちゃん危ないっ!!』

 

 突然インカムを通して五月雨の悲鳴が鼓膜を突き刺す。

 

「どうしたの!?」

 

『あの、深雪ちゃんがあたしを追い越して―――!!』

 

 見ると、五月雨の後ろに続くはずの深雪が迂回して先頭に躍り出ていた。それだけならまだしも、後続を無視して単艦で帝都急行に追い縋ろうとしている。彼女の敢闘精神に反応してか、背中の機関ユニットから噴き出す黒煙はいつにもまして盛大だ。

 

「深雪?!命令違反はやめて隊列に戻りなさい!!」

 

『行っくぞー!!敵はどいつだぁ!?』

 

 当の本人は聞いちゃあいない。

 

 これは懲罰ものね、と由良がため息をつきながら頭を振った。

 

「五月雨、こうなったら仕方がないから、深雪を追いかけてフォローお願い。射撃タイミングも深雪に合わせて。由良と朝潮は残った方を叩く!!」

 

『は、はい!!あたし、頑張っちゃいますから――――深雪ちゃん待ってぇぇぇっ!!』

 

 半泣きになりながら進む五月雨の姿がみるみるうちに遠くなる。その航跡を踏むようにして、由良と二人並んで追跡を再開した。

 

「深雪は2隻の敵のうち、先頭の方を攻撃すると思うの……正常な判断力が残っていればの話だけども、ね」

 

「さっきみたいに頭を押さえたら敵の動きが鈍るから、ですか?」

 

「そうそう。残った方は仲間がトドメをさせるから。逆に全部自分で倒そうと思っていたら……」

 

 後ろの敵から一隻ずつ、自分が近付いた順に攻撃していく、と。

 

 その場合、下手をすればトカゲの尻尾切りで先頭の敵に逃げられ、転覆する後ろの敵に仲間が巻き込まれる恐れもある。……深雪がそこまで脳筋でないことを祈ろう。

 

 そう思った瞬間、

 

 どうん、どうん、と砲撃音が二つ。そして遅れてもう二つ、大気を震わせた。

 

 すぐさま大きな水柱が上がり、前を行くイ級の船足が目に見えて遅くなる。

 

 深雪たちがやったのか!?

 

「行こう朝潮、しっかりね」

 

「はいっ!!」

 

 右手の12.7cm連装砲を水平に構え、少し腰を落とす。そうしている間にも足元の主機は白浪をかき分け敵の元へと自分たちを運ぶ。

 

 有効射程距離に入った。横にいる由良の顔をちらっと見るが、彼女は砲撃指示を出さない。引き絞った引き金に掛けた指が震える。

 

 眼前のイ級が進路調整のため回頭モーションに入った。外殻に覆われた黒く細長いその船腹が、こちらに向かって一瞬無防備に晒される。これを待っていたのか!!

 

「てーぇ!!」

 

 掛け声と同時に引き金を引いた。

 

 轟音、振動で体の芯が震える。

 

 だがもう3回目だ。暴れる砲身を捻じ伏せて自分の進路を維持。

 

 風を切って飛翔する4つの砲弾の軌跡が、今度ははっきり見えた。そしてその全てがイ級の胴体に吸い込まれるところも。

 

 直後、イ級が爆ぜた。

 

 急激に上昇した内圧が外殻を変形させ、逃げ場所を求めたエネルギーが船殻に開いた口と目から中身と一緒に吹き出す。

 

 もはや自力航行能力を失ったイ級は、大破後も潮に流されてゆっくりと回頭を続けた。

 

その顔と正面から向かい合う。

 

 瞳の蒼い光は消え、眼窩からは涙のように内容物が垂れ落ちている。生命の息吹は感じられない。またその姿には恐怖も無い。ただ漂うだけの船の残骸。

 

 これを自分が――――朝潮がやったのか。その小さく幼い身体で。

 

「朝潮、お疲れ様。自分から言い出したとはいえ、具合が悪いのに頑張ったね。あっちの二人と合流して帰投しよっか?」

 

 一仕事終わった、と言った感じで晴れやかな表情の由良。

 

「は……はい……」

 

 それを見て、勝ったのだ、という実感がやっと湧いて来た。途端に限界に近かった緊張の糸が途端に緩む。糸は自分の背骨にも繋がっていたらしく、膝の関節に力が入らずへたり込みそうになるのを必死で支える。

 

……ついでに下腹部に尿意も感じるけど、帰ったらどうしよう、これ。

 

『やったぜー!!深雪さまの活躍、見てくれた?なぁ!』

 

『やめようよ、危険だから降りようよ!!』

 

「また何かやらかしているのかな、深雪は……」

 

 巡航速度で由良と一緒に二人のところへ近づく。

 

 途中、深雪と五月雨が撃沈した前列のイ級の脇を通り過ぎた。

 

 波間に漂いながら三分の二ほどを水面に出し、力無く体を横たえたそれは、浜に打ち上がったクジラの死体を思わせる。反撃を試みる前に攻撃されたためか、白い歯が印象的な大きな口は、きっと横一文字に閉じられていた。

 

 外殻に開いた穴は2発。どちらの砲撃がトドメになったのかは分からないが、深雪の独断専行がうまく転がってくれて良かった。

 

 やがてインカムから聞こえていた彼女たちのやり取りが肉声でも聞こえる距離になった。

 

 そして騒ぎの原因が分かると、一気に疲労感が全身を襲う。

 

「深雪――ちゃん、何やってるの?」

 

「おおっ、朝潮!!ちょうどいいところに来たな。せっかくだから写メ撮ってくれよ。五月雨の奴がMVP取られて不貞腐れててさ」

 

「そうじゃなくって―――だから深雪ちゃん、危ないって言ってるのにぃ!!」

 

 先ほど撃沈した最後列の駆逐艦イ級。4分の1ほど沈みかけたその船体の頭の上に、深雪が登って連装砲を構えてポーズをとっている。それを何とか降りてもらおうと、おろおろしながら周囲をくるくる回る五月雨。

 

 いや、本当に何をやっているんだか……。

 

 どうしましょうこれ、と隣の由良を見た。彼女も疲れた顔をしているがすぐには動こうとせず、まず一通り辺りを見回してインカムのマイクに話しかける。

 

「鳳翔さん、こちらは由良水雷戦隊。敵駆逐艦ハ級1隻、イ級2隻の轟沈を確認。肉眼では周囲に他の敵影は認めておりませんが、偵察機の方はいかがでしょう?」

 

『こちら横須賀鎮守府。現在水偵の索敵範囲内に敵影はありません。やはり今までと同様、短発の帝都急行であったものと考えられます。そうそう先ほどの大型客船も、無事横浜に入港できたそうですよ』

 

 ほぅっ、と安堵した空気が流れる。

 

 良かった、今度は護ることができた…………ん、今度?

 

『周辺海域の哨戒はこちらで継続しますので、みなさんは敵残骸の海没を確認後、随時鎮守府に帰投してください。お疲れ様でした。お夕飯、奮発しますのでお楽しみに……』

 

 鳳翔さんとの通信が終わった。由良はマイクを切ると、きっ、と深雪の方を見据える。

 

「み~ゆ~きぃ~さっきの命令無視は何かなぁ?それに敵艦とはいえ死体で遊ぶのは、由良もさすがに褒められないなぁ……」

 

 ずごごごごご、と笑顔の後ろで不動明王のオーラを立ち昇らせる由良。

 

 だが深雪は気にした様子も無く、イ級の頭の上ではしゃぐのを止めない。

 

「よ、由良もお疲れ!!今日のMVPは深雪だよな、な?」

 

 ……ある意味大物だな、この子。

 

「こら待ちなさい、っていうか降りなさい深雪っ!!」

 

「深雪がMVPって報告してくれるんなら降りるぜ!!」

 

「そんな勝手なこと、認められるわけないじゃない!!」

 

「そうだよ深雪ちゃん、だってMVPはあたしなんだから!!」

 

 某猫と鼠のようにイ級の周りで追いかけっこを始める深雪と由良。

 

 そしてどさくさ紛れに何を言ってはるんですか、五月雨さん。

 

 ……これがこの鎮守府の日常的な風景なんだろう。何だかんだで皆仲が良い。

 

 そこに混じることも考えたが、僅かばかりの抵抗を感じ、くるっと踵を返した。

 

 どうせもうしばらくすればイ級の残骸は完全に海没して、深雪は逃げられなくなる。それまで待てばいい。

 

 彼女たちから離れたところで主機を止め、大きく深呼吸した。潮の香りが胸を一杯に満たす。何だか懐かしいような気がするのは、自分が朝潮だからだろうか。

 

 西の空にいつの間にか沈みかけていた太陽が、視界に広がる太平洋をオレンジ色に染めている。光を反射した海面には、どこか遠い異国に続くキラキラと輝く橋が掛かっていた。

 

 さっきまでここで、命がけの戦いを繰り広げていたとは思えないほど美しい光景。陽が消える直前にしか現れない、一瞬の幻想。

 

 それを眺めながら、暗くならないうちに鎮守府に戻れればいいのだけれど、とも思う。夜間の航海も夜戦もやったことが無いし。

 

 というか、切実な問題として早くトイレに行きたい。長時間洋上で戦闘やら遠征やらをやっている艦娘は、一体どう処理しているのか謎だ。

 

 さっきの深雪が登っていたイ級に目をやると、既に顔の半分も見えない状態。追いかけっこも佳境に入った様子だ。

 

 その場でさっと反転。もう一隻の深雪と五月雨が撃沈した方は、と……

 

ドウンッ!!

 

「え――」

 

 風が、音が、そして何か黒い物体が通り過ぎた。

 

 遅れて積み木をバラバラに崩した時のような乾いた炸裂音。

 

 後ろから届いた爆風が、長い黒髪を揺らす。 

 

「何―――」

 

 轟沈したはずのイ級、先ほどは閉じられていたその口から、黒くて長い砲身がぬっと伸びていた。砲の先端からは白い煙が立ち上っている。

 

 まだ生きていた―――倒しきれてなかった―――

 

「みんなっ、大丈……」

 

 急いで振り向く。だがそこには、誰もいない。

 

 ただ爆散したイ級の黒い外皮が波間に揺れているだけだ。

 

 はしゃいでいた深雪も、

 

 怒っていた由良も、

 

 慌てていた五月雨も、

 

 誰も―――

 

「う――そ――」

 

 護れなかった―――

 

 ズクンッと左胸が疼く。

 

 私はまた――護れなかった

 

 護れなかった護れなかった護れなかった

 

 護れなかった護れなかった護れなかった護れなかった

 

 護れなかった護れなかった護れなかった護れなかった護れなかった

 

 護れなかった護れなかった護れなかった護れなかった護れなかった護れなかった

 

 護れなかった護れなかった護れなかった護れなかった護れなかった護れなかった護れなかった

 

「あぁうっ!!」

 

 思考と心を、悲しみと後悔が綯交ぜになったものが浸食、塗りつぶしていく。

 

 目から珠の形が分かるくらい大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。

 

 視界の中、黄昏の空が赤黒く染まる。

 

 降り注ぐ幾条もの光の矢が、黒煙を上げて燃え上がる船に突き刺さる光景。

 

 妹の、荒潮が上げる断末魔の悲鳴。

 

『俺はもう疲れたよ』

 

 焔の中、ふいに海軍の軍服を着た、ずんぐりとした壮年男性の姿が浮かび上がった。

 

『このへんでゆっくり休ませてもらうさ』

 

 水雷の鬼と呼ばれ、どんな難局も男冥加と笑っていたあの人も。

 

 私が―――私だけが―――護ってあげられるはずだったのに!!

 

『ザザッ――あ――お――あさ――――朝潮!!朝潮!!』

 

 耳元で何かを呼ぶ声がする。誰の事だろう?

 

『朝潮!!目を覚まして、朝潮!!聞こえないの!?』

 

 逡巡、やっと自分が呼ばれているのだと気が付いた。

 

「はいっ朝潮、感良し、です!!」

 

『それはいいから』

 

 声の主は由良だ。彼女は無事だったのか!!

 

 途端に視界が広がった気がした。空には夕闇が押し寄せているが、まだ太陽は西に残って光を投げかけている。

 

「由良さん、みんなは大丈夫なんですか?」

 

『なんとか。でも状況はかなり悪いかな。あいつ、仲間の弾薬庫区画を狙って撃って来たの。爆発の衝撃で深雪は意識が飛んだみたいで、機関ユニットのレスキューモードが発動中。そこらに漂ってる。五月雨は機関ユニットが中破した上に、主機にダメージを受けて速度が出ない。由良はその五月雨を曳航中だけど、こっちも中破しちゃったから戦闘は難しいかも』

 

 壊滅的被害ではないか。

 

「すぐに救援に――!!」

 

『ダメよ!!』

 

 否定の言葉が鋭く突き刺さる。

 

『朝潮、よく聞いて。あなたはすぐにこの海域を離れるの。鎮守府で運用可能な艦娘をゼロにはできない―――分かって』

 

「そんな!!敵はどうするんです?!」

 

『さっき鳳翔さんを呼んだから。あの人のアウトレンジ攻撃なら、動けなくなった駆逐艦なんて一撃よ』

 

 そうかもしれない。でも、

 

「その間―――由良さんはどうするんですか?」

 

 ふふっ、と自嘲するような声。

 

『耐えてみる、しかないかな。装甲がどれぐらいもつか、根競べ』

 

 それを聞いた途端、一瞬で頭の天辺にかぁっと血が昇るのが分かった。

 

 もう誰も犠牲にしたくない。

 

 今度こそ―――今度こそ―――護り通す!!

 

 怒気が全身にぶわっと満ち溢れ、気が付いた時には体が砲撃してきたイ級に向かって最大戦速で駆け出していた。

 

『朝潮!!命令よ、早く撤退しなさい!!』

 

「嫌です!!みんなを助けた後、みんなで帰ります!!」

 

 そう言い放ち、インカムを海に投げ捨てる。後ろを確認すると、爆発したイ級の破片の影に、白煙を上げながら五月雨と一緒にゆっくり移動する由良の姿が見て取れた。

 

 あれではいい的だ。

 

 眼前の沈みかけのイ級に集中する。その黒光りする砲塔が、標的を由良たちに据えようと向きを変えた。

 

 やらせないっ!!

 

 全速力でその射線上に割り込む。真ん丸な砲口が目玉のようにこちらを見ている。

 

 そうだ、それでいい。これなら由良と五月雨に、こいつの砲撃は届かない。

 

 正面からイ級と向き合う形で、ぐんぐん距離を詰めていく。

 

 主砲再装填。これで決める!!

 

 もっと近くで、もっと確実に!!

 

ガウンッ!!

 

 イ級の第二射。

 

 左胸から左腕にかけて、スカートの肩紐と一緒に昼間着替えたばかりのブラウスが吹き飛び、飾りっ気のない白いジュニアブラが露わになる。

 

 痛い。

 

 野球選手の金属バットを使った全力フルスイングを左胸に喰らったような衝撃。思わず息がつまる。

 

 でも―――あの突き刺すような胸の痛みに比べればっ!!!

 

 被弾の反動で体が傾き、自然に12.7cm連装砲を握った右手が前に出た。

 

 あいつの弾が当たるのならば、こちらの弾も絶対当たる!!

 

 深海棲艦―――仲間を傷つける、私の敵。

 

「この海域から―――出ていけ!!」

 

 引き金を引く。

 

 発射音は自分の絶叫にかき消された。

 

 二つの砲弾は真っ直ぐ進み、イ級のぽっかり空いた口の中に吸い込まれるように飛び込む。

 

 水面が揺れた。次の瞬間、イ級の口から大量の海水が吹き出す。

 

 砲弾が腹を食い破ったのだ。

 

 間抜けな噴水のようになったイ級は船尾の方から沈んでゆき、最期は黒い空を光の消えた瞳で睨みながら、とぷん、と一際大きな波紋を残して暗く冷たい海中に消え去った。

 

 だがこちらも無事ではない。

 

 背中の機関ユニットから、もうもうと白煙が立ち上がっている。足元の主機もがくがくと震えておぼつかない。オートバランサーの許容範囲を超えて体勢が崩れ、海面に倒れ込む。

 

ピーッピーッピーッピーッ

 

 機関ユニットから警告音が響き、すぐにそこからエアバッグのような一人用の救命筏が膨らんだ。

 

 だが乗り込むだけの力が残っていない。

 

 主機が浮力を失い、足元からぶくぶくと水に沈んでいく。が、代りに救命筏と一体になった背中の機関ユニットが浮きになって体を支えてくれた。

 

 といっても水面で吊り下げられる格好のため、下半身は完全に海の中だ。海水で急に冷やされたせいで、下腹部の刺激するあの感覚が戻ってきた。

 

「朝潮っ!!」

 

「朝潮ちゃんっ!!」

 

 由良と五月雨がゆっくりとこちらに近づいて来た。よく見ると五月雨の主機は片方無く、由良に支えてもらってやっと立てる状態だ。

 

「朝潮ちゃぁぁぁんっっ!!うわぁぁぁっっ!!」

 五月雨が突然飛びついてきて号泣し出した。が、主機が一つしか無いことを忘れていたらしく、そのまま落とし穴に足をとられたように、ずぼっ、と海中に落ち込む。

 

 水に触れた五月雨の機関ユニットからも警告音が響き、救命筏がもう一つ増えた。

 

「無茶ばっかりして、もう」

 

 優しい笑みを浮かべながら手前でしゃがんだ由良が、動けない自分のおでこにデコピンを一発。

 

「これで許してあげる」

 

「由良さん……」

 

 彼女を見ていると、何故だか気になっていたそれを尋ねてみたくなった。

 

「あの、朝潮は……駆逐艦朝潮は、みんなを護れましたか?」

 

 自分の問いかけにすぐには答えず、由良は立ち上がった。そして両手を広げ、くるりと目の前で一回転する。

 

「そうよ、朝潮。船も、由良たちも、この海も……全部あなたが護ったの」

 

 その一言ですっと体が軽くなり、疲労も痛みも全て飛んでいくような気がした。

 

 街の光に彩られはじめた東京湾を背に、波を蹴立てて進む鳳翔と、回収艇と思われる小型船が向かって来る。

 

 海に全身を委ねて空を眺めた。

 

 イ級が最後に見上げた夜空には、一番星が遠く輝いていた。


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