艦隊これくしょん-艦これ-司令艦、朝潮です!!   作:めめめ

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任務2『司令艦トノ接触作戦!』

「んぁぁ~!! やっぱり事務仕事は肩が凝るわね」

 

 肩までお湯に浸かった五十鈴が、隣で首の筋をこきこき鳴らす。その度に彼女の豊かな胸部装甲が水面にぶつかり、ぽちゃんぽちゃんと縁日の水風船を掌で叩いた時の様な音が柔らかく跳ねた。

 

 あの後、実戦訓練の目的を達成した艦隊はトラック泊地に戻り、総評を経て『香取先生の集中対潜講義』は全プログラム終了。解散の運びとなったのだが、旗艦を務めた自分は戦闘行動調書を書いていたため遅くなったので、それを手伝ってくれた五十鈴と一緒に横須賀に帰る前に泊地敷地内に建てられた艦娘専用の露天風呂で入浴を楽しんでいる。

 

 ちなみに戦闘行動調書とは、艦娘に限らず帝国陸海軍では出撃を行った際に通信記録、航法データと併せて提出が義務付けられている報告書だ。作戦名、指揮官名と部隊構成、使用兵器とその効果評点。それに出撃から帰投まで作戦行動中の詳しい出来事をタイムテーブル方式で記載しなければならない。何時何分に敵を発見、接触、攻撃、敵の特殊行動やダメージの有無……。それらを簡潔に、また過不足なく纏めるのはそれなりに神経を使う作業だ。

 

 ……にしても五十鈴の場合、デスクワーク以外に肩こりの原因はまた別にあると思う。

 

「あ、ごめんね。ちょっと無神経だった?」

 

「いえ、そういうわけでは……」

 

 知らないうちにじぃっと見つめていたことに気付かれてしまっていた。弁解しながら慌てて五十鈴から目を逸らす。

 

「いいわよ、気にしないでも。私だって自分の体は大丈夫だけど、他の子のはどうしても慣れないのよね」

 

 まだ駆逐艦の子となら一緒に入りもするんだけど、と付け加えた彼女は、伸びをしながら湯の中でまた首を回した。

 

 再び二つの球体にはたかれた風呂の水面がちゃぽちゃぽ漣立つ。

 

 長良型軽巡洋艦2番艦『五十鈴』。

 

 横須賀鎮守府の同4番艦『由良』、そして6番艦『阿武隈』の姉妹艦にあたる、高い対空・対潜能力を持つ武勲艦。

 

 普段は長い黒髪をツインテールに結い、脇に紙垂飾りが付いた巫女服を意匠した紅白のセーラー服姿。そして改二となった今は二丁の機関銃型単装砲、ヘアバンドと一体化した水上電探、対空電探と共に縦横無尽に海を往く強力な艦だ。

 

 そして長良型1番艦から3番艦に共通する特徴として、その胸はとても豊満だった。

 

 一方で由良型とも呼ばれる4番艦から6番艦までは、浅葱色のセーラー服姿で両腕には装着型の14cm単装砲。また胸部装甲も、姉たちに比べまことに慎ましやかなものとなっている。

 

「ところで朝潮、この一週間過ごしてみてトラック泊地はどうだった?」

 

「はいっ!?」

 

 記憶の中にある綺麗なお椀型をした由良の胸と、間近にある五十鈴のそれを脳内で比べていたところだったので、いきなりの質問に少し狼狽してしまった。

 

「そうですね……」

 

 考える素振りをしながら、何となく視線を湯船の外に巡らせてみる。基地から突き出した形で砂浜の上に建てられた露天風呂、そこから見える景色は日本では見たことが無いような、南国的な別種の美しさを持っている。

 

 視線の先ではちょうど水平線を紅く染めて、夕陽がトラック諸島を囲む太平洋にゆっくりと沈んでいくところだった。

 

 トラック泊地は大小200を超える島々が世界最大の保礁、つまり珊瑚礁の辺縁に、内海を囲むようにして並んでいる。中でも大きな春夏秋冬・月火水目金土日の名前を与えられた11の島に、海軍施設が点在し結ぶことで『トラック泊地』は成り立っていた。

 

 特に海軍にとって重要なのが、飛行場のある最北の『春島』と、軍司令部のある東端の『夏島』だ。

 

 艦娘たちの居住スペースや整備工廠、補給倉庫、そして今自分たちがいる海を臨んだ巨大な露天風呂などの施設は、口を開き右を向いたアヒルの横顔にも似た『夏島』の上嘴、鼻の穴の位置あたりに軍港と併設する形で設置されている。さらに上嘴の方から車で南下し、上下の嘴を繋ぐ陸橋を渡り辿り着く下嘴の付け根には、発電所や一般士官宿舎、通信施設などの重要設備や、軍属や出入り業者とその家族が暮らす町がある。

 

 今回の滞在では二回ほど、講義の合間に挟まれたマラソンなどで陸橋を渡り向こう側を見る機会があった。

 

 立ち並ぶ椰子の木の間に、『おろないん』や『どりこの』など原色眩しいホーロー看板が見え隠れする木造の街並みの中を走り抜けていると、知らないはずなのに何やら不思議と懐かしい気持ちが湧き上がってきた。

 

 井戸端会議に講じる割烹着姿の婦人たち。黒煙を吐き出しながら通り過ぎるオート三輪。街頭テレビに集まる労働者。手作りのグローブを着け小学校の校庭で野球に講じるイガクリ頭の男子生徒。未舗装の土煙舞う道路に小枝で丸を描いて『けんけんぱ』と跳ねる吊りスカートの女子生徒と、その背中に紐で負われた赤ん坊。

 

 そこにはこれまで本の中でしか見たことの無い、『生きた昭和の写真展』とでも呼ぶべき光景があった。

 

『スマホや携帯、パソコン、あと気象観測衛星みたいな一部先進技術は存在するけど、戦時体制が続いてるからそのほとんどは民生化されてはいないわ。敗戦による西洋文化流入の機会も無かったし、変わらなければならない理由が無ければずっと同じ毎日が何十年も続いている、ってことじゃない?』

 

 以前五十鈴に質問したところ、そんな答えが返ってきた。

 

「本土と違って海も綺麗で……平和で、戦争してるなんて嘘みたいです」

 

「同感。ここは本当に静かだわ……」

 

 焼玉エンジンを積んだおんぼろの渡し船が、ぽんぽん呑気な音を立ててゆっくりと目の前の海を進んでいく。太平洋からの進入路が限られたこのトラック泊地内海は、ある意味人類にとって、深海棲艦の手を免れた最後の海の楽園かもしれない。

 

 いつの間にか横に近づいて来た五十鈴が、風呂桶の縁にくたりとしだれかかりながら、ふぅ、と安堵に満ちた熱い吐息を漏らす。その身体の下でふくよかな増設バルジがむにゅん、と形を変えた。

 

「そうそう、前から気になってたんだけど……別に私に対してそんなに畏まらなくってもいいわよ。同じ『司令艦』なんだし」

 

「でも他の人に聞かれたらと思うと、何だか気が引けてしまって……」

 

 指先でお湯をぴちゃぴちゃと遊ばせながら答える。

「そうね。陸軍に比べたら大分緩いらしいけど、海軍も上下関係は絶対だし。第一そんなの、『朝潮』のイメージじゃないわね」

 

 タメ語で喋る朝潮を想像したのかふふっ、と面白そうに笑う五十鈴。それに合わせて空気が動き、湯気と一緒に季節外れの桜花のような若い女性の身体の匂いが漂ってきた。

 

 自分も肯定を装って笑い返す。

 

 ―――でも、本当の理由は違う。

 

 三ヶ月前、あのラバウルからショートランドまで南洋を舞台にした泊地棲姫との戦いの後、自分の中で何かが変わった。変わってしまった。

 

 それに気付いたのは雨の日に駆逐艦寮で教練書を読んでいた時、隣で寝そべって少女の友最新刊を眺めていた五月雨に『そういえば朝潮ちゃん、最近前みたいに凛々しくなってきましたね!! あ、でもぼんやりして忘れっぽい朝潮ちゃんも好きですよ!! 何だか新しい妹ができたみたいでしたし……』と言われたのがきっかけだ。

 

 突っ込みたい部分は多々あったが、違和感を自覚していたところに改めて他人から指摘されたのは少しショックだった。詳しく聞いてみると日常生活で特に気にしない部分、ふとした反応などが以前より『朝潮らしく』なっているという。

 

 もし普段から五十鈴たち『司令艦』とフランクに接していたら、今後自分がより朝潮らしくなった時、必ず皆に変化を悟られてしまう。それが何故か気恥ずかしく、またとても恐ろしいことのように感じられたので、どうしても敬語を使うのを止める気にはなれなかった。

 

 改めて二人並んで、暮れ行くトラック諸島の夕陽を眺める。

 

 やがて空が藍色に染まってくると、対岸の春島にぽつり、ぽつりと気の早い民家の明かりが燈り始めた。

 

 自然の風景や満天の星空も美しいが、人の生活する光というのは何故かほっとする。ここでは照明の殆どが蛍光灯やLEDでなく昔ながらの裸電球。そのせいか、埠頭を照らす明かりもどこか温かみのあるものになっている。地上の星とはよく例えたものだ。

 

「私たち……生きて帰れると思う? あの平成の日本に……」

 

 唐突に五十鈴が口を開いた。

 

 普段の強気な彼女らしくない言葉は、『軽巡洋艦・五十鈴』でなく『司令艦・五十鈴』の生の言葉なのだろう。

 

 咄嗟にどう答えていいかわからず、しばらくそのまま海を見つめる。

 

「でも懐かしい、っていうのもおかしいわよね。艦娘の身体になって……自分があの場所にいた証拠なんて、あやふやな記憶以外何も無いのに……」

「そんなことありません!!」

 咄嗟に言い返してしまった。

 

 自分の記憶が失われつつある今、それを認めることは自己の喪失を受け入れる事。

 

 いずれは記憶を失い一人の艦娘として海に散った『司令艦・最上』と同じ未来を受け入れる事を意味する。

 

 それだけは―――!!

 

「言わないで下さい、そんなこと!! 皆で生きて元の世界に帰る。そのために『提督会』が作られたんじゃないですか!!」

 

 『提督会』-――全員の生存と帰還、そしてこの閉塞した海の未来を切り開く、別の未来、平成の日本からやって来た『司令艦』たちの集まり。

 

 会長である電は自分にそれを約束してくれている。

 

「提督会、ね……」

 

 しかし予想に反して、五十鈴の反応はつれない。

 

 屋根を支える茶色いマングローブの柱を伝った雫がぽちゃん、と見ず面に落ち、自分と五十鈴の間にゆらゆらと波紋を広げる。

 

「あれも電がトップになってからは、ただの戦闘互助会よ。E領域が発生すれば力を合わせる。でもそれ以外に関してやってることはバラバラ……」

 

「え―――」

 

 彼女の言葉は衝撃だった。

 

 てっきり司令艦は皆仲が良く、自分と同じことを考えていると思っていたのだから。

 

「ああでもあなたは、電に言われてトラックに来たんだっけ。なら、にわかには信じられなくても仕方ないわね」

 

「……どういうことですか」

 

 湯船の中で立ち上がり、五十鈴に詰め寄る。海から吹く潮の香の混じった冷たい夜風が、湯気の立つ濡れた素肌をさっと撫でた。

 

「言葉通りの意味よ。飛鷹は勝手に突っ走ってるし、金剛榛名はそれを止めようともしない。ゴーヤは欧州遠征でほとんど泊地にいないし、愛宕は裏で何やらこそこそ動いている。そして電は、誰にも本心を明かさない」

 

「五十鈴さんは……」

 

「私? 私は単に流れに乗っているだけよ。予備戦力を出せと言われれば出し、訓練しろと言われれば行い……そもそもトラック泊地自体、戦う相手がアメリカじゃなくなった時点で、ほとんど前線基地としての戦略的意義を無くしてるのよね」

 

 何も言えなかった。そのままゆっくり檜製の湯船の縁に腰かける。

 

 ……確かに飛鷹など、いきなり横須賀に演習を挑んで来たりするなど行動に理解できない点がある。

 

 そして電。

 

 彼女がラバウル基地で救出された西村提督に対してスパイになるか、さもなくば軍事裁判かと迫る場面を、自分はその場に居合わせてはっきりと目撃していた。

 

 帰還だけを目的とするのなら、わざわざ海軍内部にスパイを送り込む必要は無いはずだ。

 

 そういえば西村提督に会った時、舞鶴の司令艦である榛名も電と一緒だった。

 

 となると、彼女も電に一枚噛んでいるのだろうか。金剛はそれを知って見過ごしているのだろうか。ゴーヤに優しく接し仲間のため自分を盾にしていた愛宕にも、裏の顔があるというのか。

 

 こうなると全てが疑わしく思えてしまう。 

 

「……私もこの泊地と同じ。本土から遠く離れて、今は自分のできることだけで精いっぱい……最初は41cm連装砲を積んでみたりとか、色々とやってもみたんだけどね」

 

「戦艦の主砲を付けてみたっていうんですか? でもどうやって?」

 

「艤装の火器管制システムを無視してフィールドと直接接続すれば、司令艦に装備できないものは無いわ。でも私の場合、砲が重くて使い物にならずにすぐ外してしまったの。軽巡でも戦艦並みの火力があれば、皆と一緒に前線に立てると思ったんだけどね」

 

 あなたのところに来た山城、大事に使ってあげなさい……寂しそうに呟いた五十鈴の頬を汗だろうか、光る水滴がつぅ、と伝って湯に落ちた。

 

 しばし言葉を失ってしまう。

 

 この世界はゲーム『艦隊これくしょん』のようで、実はそうではない。艦隊を維持するだけでも資材が必要だし、移動にも修理にも当然時間がかかる。

 

 そしてサーバー名は実際の鎮守府の所在地。中でも大日本帝国勢力圏東端、『僻地』トラック泊地に赴任してしまった五十鈴は、何をするにしても他の鎮守府に比べ多大なコストが必要となっていた。

 

 考えてみれば、五十鈴がどうにかして戦艦並みの火力を欲しがった理由も何となく察しがつく。これもまたゲームと違い、鎮守府が違っても艦娘は重複して存在することができない。

 

 限られた貴重な大型の高火力艦をトラック諸島でのんびり遊ばせているわけにはいかない。だからかなのか、トラック泊地の総戦力は軽巡2、練習艦1、揚陸艦1、残りは駆逐艦8と非常にコンパクトな構成になっている。

 

 もしかすると五十鈴は電から直接、大型艦を持たないよう釘を刺されていたのかもしれない。自分もまた、着任したのが横須賀鎮守府でなかったら……。

 

 ぽぉーーぉぅ―――

 

 音階の一定しない古い蒸気船特有の汽笛音が、残光も消え黒く染まった南の海に響く。

 

「……そういえば今日輸送ワ級に接触した際、変なものを見たんです」

 

 ふと話題を変えてみる。

 

「変なもの?」

 

「行動調書に書いた通り二隻目のワ級が中破した後、さらに肉薄して砲撃しようと接舷した時のことなんですが……」

 

「山城が仕留めたエリートの方ね」

 

 頷く。

 

 書類を書きながら聞いたところによるとワ級を相手にする場合、狙うのは船底の推進部分か、もしくは船上の素体部分が普通らしい。黒い球体外殻の部分は異常に装甲が厚く、戦艦の零距離射撃でもそうそう撃ち抜けないからなのだとか。

 

「砲弾の当たりどころが良かったのか、ワ級の外殻球体部分には大きな穴が開いていました。傷から緑色の光る体液が流れ出していて、その中に……中に……」

 

 本当に言ってもいいことなのか、今さらになって逡巡する。

 

 本来であればこういったことは、電に直接報告すべきなのだろう。

 

 けれども先ほど五十鈴の話を聞いてしまった自分の中には、小さいながらも電への不審が芽吹いていた。

 

 頭が混乱する。

 

 自分から話を振ったのにもかかわらず、言葉が出ない。

 

 と、突然肩まで湯船に浸かっていた五十鈴が立ち上がった。濡れて体に貼り付いた長い黒髪、半円球の豊かな胸から大量の水を滴らせながらざぶざぶと湯を掻き分けてこちらに近付き、真正面に立つ。

 

「輸送ワ級……そもそもあいつらが何を運んでいるのか、戦っている私たちは何も知らされていないわ……朝潮、中には何があったの? 燃料弾薬?」

 

 五十鈴の放つ威圧感に気圧されながら、首を横に振る。

 

「じゃあ艦載機? 敵の艤装?」

 

 また首を振る。

 

「まさか別の深海棲艦が乗ってた、なんてないわよね?」

 

 分からない。ただ自分には……

 

「中にいたのは人間……に見えました……」

 

「嘘……そんな……」

 

 お湯の中に五十鈴がずるりと崩れ落ちた。

 

 --――ガサッ!!

 

 出し抜けに視界の端で露天風呂を囲むように生えたソテツの葉が動いて見えた。

 

 誰かに聞かれたっ!?

 

 反射的に手を伸ばし、触れた先にあった檜葉の湯桶を引っ掴むと、迷うことなく音のした方に向かって投げつける。

 

 艦と名前で繋がっている艦娘は、例え艤装を付けていなくとも成人男性の平均をはるかに上回る膂力を持つ。

 

 半分くらいぬるくなったお湯が入った湯桶はくるくる回りながら中身を撒き散らして、一直線にソテツの木陰に吸い込まれていった。

 

 かこーんっ!!

 

「痛ったったぁ!!」

 

 銭湯でよく聞こえるあの軽い音と共に、少し鼻にかかったような幼い少女の悲鳴が上がった。

 

「やだぁ~もう~、なぁにすんのさ~」

 

ごそごそと細長い葉っぱが動き、小さな人影が頭にできた真新しいたんこぶをさすりながら姿を現わす。

 

 ショートボブにした黒褐色の髪。もみあげだけが肩に触れるほど長く、頭から生えた犬耳のようにも見える左右に垂らされた髪の房は、その毛先だけが雪のように白い。

 

 裾丈が短いセーラー服型白ワンピースの襟元には、黄色いスカーフと鎖に繋がれた錨型タリスマンが巻かれている。

 

 そんな彼女の腰から伸びる武骨な鋼鉄のジョイントには、五月雨のものに似た魚雷発射管、機関ユニットと一体化された艤装が繋がっていた。

 

「皆より先にちょっと汚れを落としたいな、って思っただけなのにさ~。叩くことないじゃん?」

 

 黒リボンで留めた煙突型ミニハットを解いた少女―――五十鈴旗下、トラック泊地所属の陽炎型駆逐艦10番艦『時津風』は、恨めしそうな視線をこちらに向けながら、砂地をざくざく踏みしめ露天風呂に近付いてきた。

 

 背中の艤装からぶら下がった九三式聴音機の集音端子が、ずるずると引きずられ砂の上に蛇ののたくったような跡を刻む。

 

 そのまま風呂場の手前までやってきて舵型ヒール付き主機を脱ぎ、きちん揃えた時津風は、よぉいしょっ、と間延びした掛け声と共に浴場の端によじ登った。

 

「あの、時津風はいつから……」

 

「ん~、ちょっと待って」

 

 質問を遮った時津風は腰のジョイントを操作。背中から外れた艤装が重い音を立てて風呂場の床に落ちる。

 

 普段肩からバンドで吊り下げている連装砲をその上に置くと、時津風はセーラー服を脱ぎ捨て腰骨までしかない黒タイツを降ろす。呆気にとられて見ている間に、犬耳少女はローライズの白い紐パン一丁姿になった。発展途上の平坦に近い小さな胸、つんと上を向いて自己主張する生意気なピンク色の蕾が露わになるのも、彼女は全く気にした様子は無い。

 

 そして大事な部分を隠す最後の布切れさえ惜しげも無くぱっと取り去ると、そのまま湯気の立つ水面にちょぽっと足先をつけた。

 

「おっ風呂に浸かるよ~。二人とも、ちょっとごめ~ん」

 

 止める間もなく宣言通りつるん、とお湯の中に滑り込む。

 

「は~ぁ疲れた疲れた~」

 

 一瞬で顔を蕩けさせ、全身を湯に委ねる時津風。その口から満足そうなため息が漏れる。

 

「時津風!! ダメって言ってるのに、また砂浜の方から上がってきたわねっ!!」

 

 我に返った五十鈴が、締まらない顔と胸先のぽっちりだけ覗かせて水面に浮かぶ時津風を激しく叱りつけた。

 

「だってさぁ、そっちの方が楽なぁんだもんな~」

 

「ったく……天津風!! 天津風はどこ!?」

 

 脱衣所に向かって叫ぶ。やがて奥の方でどたどた忙しない足音がしたかと思うと、次の瞬間曇りガラスの引き戸ががらり、と無遠慮に開かれた。

 

「時津風!! 点呼にいないから、どこいったかと思ったら……」

 

 ぷりぷり怒りながら浴場に入って来たのは、時津風のそれとよく似た形の艤装を着けた気の強そうな銀髪の少女だった。

 

 時津風とは色違いの茶色いワンピース型セーラー服を纏い、すらりと伸びた両脚には紅白のニーソックス。

 

 腰まである銀髪は吹き流しを模した髪留めで頭の両側に結われている。

 

 陽炎型駆逐艦9番艦『天津風』-――時津風の姉妹艦である彼女は、湯船で蕩けた表情を浮かべる犬耳少女を見て、もうなんなんだか、とため息混じりに吐き出した。

 

「ぅお~い天津風~、お風呂気持ちいいよぉ~」

 

「知ってるわよ!! 私だって汗臭いのは嫌だもの!!」

 

「だったら天津風も一緒に入ろ~よぉ」

 

「あぁもう……付き合わないわよ!! またお風呂場に自分の艤装とっ散らかしてるし……なに、連装砲くん? 大丈夫よ、報告が終わったらちゃんと新品の機械油、点してあげるから」

 

 天津風が右腰の艤装と一体化した自分の連装砲を宥めるように話しかける。

 

 すると彼女が『連装砲くん』と呼んだ、小船に乗ったロボットにも見える12.7cm連装砲は、まるで意思を持っているかのように、ぴこぴこと櫂型の両手を動かして喜んだ。

 

 次世代高速駆逐艦『島風型』のプロトタイプでもある彼女、天津風には機関ユニットに組み込まれた新型高温高圧缶の他にも、『島風型』以降の標準武装となるはずだった半自律機能を持つ連装砲が搭載されている。

 

 艤装と一体化した火器管制能力を持つ武装―――姫級以上の深海棲艦の艤装に備わった補助脳『自律艤装角』。それを海軍技術研究所が模倣して試験的に天津風に実装したのが、この『連装砲くん』であるらしい。

 

 またこれをさらに進化させ、敵の『浮遊要塞』『護衛要塞』のように完全な自律行動が可能となったのが島風型の『連装砲ちゃん』……になるはずだったのだが、実際は砲単独では浮力が足りずにフロートが必要なため抱えて使った方が扱いやすく、さらに最悪の整備性に反して火力は所詮駆逐艦、と問題点が山積みに。 

 

 結局この自律行動可能な連装砲は、島風型駆逐艦が1番艦『島風』のみで建造中止になったことに合わせて採用も見送られ、比較的ましだった半自律型の『連装砲くん』だけが、その後秋月型防空駆逐艦1番艦『秋月』の武装として採用されるのみに止まっている。

 

「天津風、定期哨戒任務は無事終わったの?」

 

「はい、滞りなく。また旗艦の名取さんは、現在夜当直の香取さんに引き継ぎを行っているところです」

 

 五十鈴の質問に、時津風の艤装を持ち上げてあちらこちらに脱ぎ捨てられた服や下着を拾い集めながら、天津風が答える。

 

「昼間も対潜訓練をやった後だっていうのに、香取には悪いわね」

 

「でも香取さんも、何も無ければ一番楽ですから、と言ってましたよ。一緒に当直の初雪と望月も、これ幸いと昼過ぎ頃からずっと部屋に籠って寝ていますし」

 

 あの調子だと二人が起き出して来るのは明日の朝でしょうね、といかにもやれやれ、と言った風に小さな肩をすくめて呟く天津風。

 

 トラック泊地は五十鈴、香取、五十鈴の姉妹艦である長良型軽巡3番艦『名取』と、陸軍から出向してきた特種船丙型揚陸艦『あきつ丸』の4人が中心になって回している。

 

 それぞれが二人の駆逐艦を従え、4部隊での昼夜二交代制。

 

 基本的に日中は2部隊が哨戒、訓練、迎撃任務を行い、1部隊は泊地で出動待機。

 

 そして夜は1部隊が緊急出撃に備えて当直に就くのだが、夜間当番は日中が自由時間となるため希望する者も多い。

 

「そうそう、さっき廊下で由良さんとすれ違った時、帰る準備があるからそろそろ上がるよう朝潮に伝えて、って言われたわよ」

 

「お~朝潮たちって今夜帰るんだったか~。あんまり遊べなかったから残念だなぁ~」

 

「ひゃっ!?」

 

 さっきまで横で海中のビニール袋のように我関せずと漂っていた時津風が、急に脚に抱き着いてきた。

 

 不意を突かれたため、思わず変な声が漏れてしまう。

 

「そうね。朝潮、もう一度温まったらさっさと上がっちゃいなさい。私ももう上がることにするから」

 

「は、はい。そうします」

 

 太腿に絡みつく時津風を引き離そうともがきながら五十鈴に答える。一方時津風はそれが面白かったのか、足から上にこちらの体を伝ってよじ登って来た。

 

 それを何とか振り解くと、時津風はぶくぶくと泡を出しながらお湯に沈んでいく。彼女はそのまま潜水して湯船の反対側までゆくと、浮上してクラゲごっこを再開する。

 

 なんというマイペース生物。

 

 一方で天津風はそんな時津風の艤装を両腕で抱え上げると、時津風の分も名取さんに記録を渡さないとダメだから持ってくわね、と言って踵を返し、脱衣所の方に姿を消した。

 

 言われた通りに肩まで浸かり、夜風で冷えた身体を温め直す。この露天風呂は温泉ではなく、海岸近くで出た湧き水を敷地内に設置された太陽熱温水器で温めたものだ。おかげで湯量には大分余裕があり、24時間入れる循環式温泉と大差がない優れた福利厚生施設となっている。気のせいかもしれないが、日が落ちた後でもお湯から柔らかい太陽の熱が体に滲み込んでくるような心地よい温かさがあった。

 

「朝潮……」

 

 脱衣所に人影が無いことと、湯船の向こう側でのんきに浮かぶ時津風が聞いていないことを確かめながら、五十鈴がそっと耳打ちしてきた。

 

「さっきのあなたの話、私もできる範囲で調べてみることにするわ。もっともここに入ってくる情報なんて限られているでしょうけれど。それと……」

 

 いつになく真剣な顔でこちらを見つめる。

 

「私を信じてくれてありがとう。でも誰に何を言うか、これからはしっかり考えてからにしなさい。正直は美徳だけど、相手が常に善意で受け取ってくれるとは限らないわ。それが原因で次に会った時、あなたが『別の朝潮』になっていたとしても、私にはどうすることもできない……」

 

 一瞬、お湯の中にいるにも関わらず背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 

 ここに来て知った高速修復の正体が素体となる少女の入れ替えでしかなかったことから推測すると、帝国海軍にとって艦娘の立場は、少なくとも代えの効く強力な兵器以上のものではない。

 

 誰かを信じるのなら、その結果も受け取れるようになってからになさい。言外にそう語った五十鈴はじゃあお先、と言って立ち上がると、お湯をぽたぽた滴らせながらガラスの引き戸をがらりと開け浴室を出て行った。

 

「ねぇ朝潮~、さっき何の話ししてたのさぁ~?」

 

 五十鈴の姿が脱衣所に消えると同時に、いつの間にか背泳ぎですぐ隣に来ていた時津風が尋ねてくる。

 

「……なんでもない」

 

「え~、あたしに隠し事とかよくない」

 

 よくないなぁ~、うん、よくな~い。口ではそう言いながらも大して気にした様子の無い時津風は、それっきり口を閉じ再び僅かな湯の動きに身を任せると、湯船の向こう側にゆらゆらと離れていった。

 

 

 


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