艦隊これくしょん-艦これ-司令艦、朝潮です!!   作:めめめ

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Season2 血戦!ダンピア海峡ヲ越ヱテ!
任務1『敵潜水艦ヲ制圧セヨ!』


――――そっと目を閉じる。

 

 途端に照りつける眩い南洋の太陽も足元に寄せる漣も遠くに消え失せ、世界は黒一色に塗りつぶされた。

 

 耳を覆うヘッドフォンのイヤーパッドを両の掌でぎゅっと押さえ、そこから聞こえる音に意識を集中させる。

 

 機関ユニットの振動音、主機の推進音、水が海中に沈めた集音器を撫でる音……そんな雑多な音のバックグラウンドに流れるのは、コーン、コーンと規則正しい間隔で鼓膜を打つ探信音だ。後列に続く五月雨の装備した三式水中音波探信儀、その振動素子から放たれるいくつものピンガーが自分を追い越し、走り去っていくのが分かった。

 

 ガポポッ―――

 

 雑多なノイズに混じって、水中で扉を開いたような機械的な音が、水面に逃げる気泡の音と一緒になって耳に飛び込んでくる。続いて何かが水をかき分け近づいてくる音。

 

「魚雷管解放音、魚雷発射音聴取!!」

 

『朝潮さん、数と種類は正確にお願いします』

 

 勢いよく報告するが、返って来たのは窘めるような女性の声だった。

 

 再びヘッドフォン―――九三式水中聴音機の聴音端子から聞こえる音に耳を澄ませ、魚雷の正体を耳と頭で分解しようと試みる。

 

 深海棲艦の使う二種類の魚雷のうち、航跡がはっきり見えるのが21inch前期型魚雷。その推進力になるのは、HTP(高揮発度過酸化物)に近い性質を持つ未知の化学物質の反応だ。

 翻って航跡が見えにくい代わりに射程距離の短い22inch後期型魚雷の方は、静粛性に優れる生体モーター駆動。

 

 ―――大丈夫。この一週間みっちりと仕込まれた座学の知識、そして耳にタコができるほど繰り返し聞かされた泊地の海軍ライブラリの音紋の記憶から、正しい答えは導き出せるはず。スピーカーから聞こえる音のバックに、ザーという壊れたラジオのみたいなノイズが混じっているものの、聴取には問題無い。

 

 探すのは水中に勢いよく火を噴くススキ花火を突っ込んだ時のような、あの小さな気泡が生まれては潰れるごぼごぼという音。

 

 目的の音を聞き取れた時、予習の内容がテストに出た時のような嬉しさがあった。

 

「―――21inch前期型魚雷、数は3です!!」

 

 先に周辺海域の偵察に出ている五十鈴たちからの報告によれば、こちらに向かって来ているのは潜水カ級が3隻。そして先制雷撃を行ってくるのは、潜水艦型深海棲艦でもクラス・エリート以上の上位艦種だ。カ級の魚雷発射管が6連装であることを加味すれば戦力内訳も判明したことになる。

 

 敵は通常型が2隻、クラス・エリートもしくはクラス・フラッグシップが1隻。

 

『正解、良くできました。でも聴音の度に目を閉じていると之字運動が維持できません。加えて前方から注意が逸れてしまうと、衝突事故の元ですよ』

 

 言われて目を開けると刺すような南国の日差しと一緒に、すぐ前に迫る二つの白い巨峰が視界に飛び込んできた。

 

 気付かない内に速度が上がっていたらしい。

 

 慌てて面舵を切り、すんでのところで回避に成功。ほっと女児用ブラウスの下の、自分の薄い胸を撫で下ろす。

 

「ふふ、なのでそういう時は、あらかじめ僚艦にサポートをお願いしておくと安心ですね」

 

 巨峰の主-――白い礼服に黒いタイトスカートと黒ストッキングを合わせ、アッシュブラウンの長い髪をアップに纏めた女性-――司令艦五十鈴旗下トラック泊地所属の教導艦、香取型練習巡洋艦1番艦『香取』は縁なし眼鏡をくいくいっと動かしながら、生真面目な女教師といったイメージに反して悪戯っ子のような愛嬌のある笑顔を投げかける。

 

 そして衝突しそうになったことなど気にしていないふうに、後ろ向き姿勢のまま微速で優雅に水上を往きながら、彼女は指し棒代わりの教鞭を二三度しならせると、その先端で敵潜水艦のいると思われる海域をびしり、と示した。

 

「では実戦編、次のステップです。これまで勉強してきました通り、敵潜水艦の行う先制魚雷攻撃には大きく分けて3つの戦術パターンが存在します。一つ、こちらの予想進路を狙う。一つ、こちらの回避進路を狙う。一つ、待ち伏せからの至近……」

 

「あ~もう、そんな悠長なこと言ってる場合かよ先生!? 魚雷がこっちに向かって来てんだぜ。さっさと避けねーとやられちまうぞ!!」

 

 遠慮の無さそうな元気の良い少女の声で茶々が入る。

 

「だからこそ、です。だからこそ基本は守らなければなりません」

 

 ショートボブの黒髪を躍らせ、手に持った双眼鏡をぶんぶんと振り回して急かす声の主、田舎の女子中学生みたいなセーラー服姿の吹雪型四番艦『深雪』を香取の叱咤がぴしゃり、と打ち据えた。

 

「深雪さん、あなたには肉眼監視をお任せしたはずですが、雷跡は視界にしっかり捉えられていますか?」

 

「お、おおう!? 当然だぜ!!」

 

 言われて思い出した深雪は、誤魔化す様にわたわたと双眼鏡を目に当てる。

 

「なら問題ありません。ところで五月雨さん、探信儀で敵潜水艦と魚雷の動きは追えていますか?」

 

「はぇっ!? は、はいっ、お任せください!!」

 

 いきなり名前を呼ばれた、深雪とは別の私立女子校の制服みたいな純白のセーラー服を着た服の白より色白で華奢な少女、白露型駆逐艦六番艦『五月雨』は、驚いて足元の小さな浪に靴型主機を引っ掛け思わずつんのめり転びそうになった。

 

 何とか体制を立て直し、ずれ落ちかけた香取のものとは違う縁のある眼鏡型ディスプレイを装着した彼女は、恥ずかしそうに顔を赤らめる。そして左目に投影された敵潜水艦と魚雷を示す6つの輝点を見て、すぐに何かに気付いたのか、あっ、と小さく声を漏らした。

 

「この方向って……」

 

「だっはは!! 何だよあいつら、全然あさっての方に向かって魚雷撃ってるぜ!!」

 

 遅れて気づいたのか、さっきまでの緊迫感はどこへやら、双眼鏡を覗きながら深雪が大口を開けて豪快に笑いだした。

 

「つまりあれはこちらの予想進路を狙った魚雷、ということですね」

 

「正解です、朝潮さん。敵の意図を見抜き、落ち着いて対処すれば、先制魚雷は恐れるものではありません。ではそろそろ回避行動に移りましょうか」

 

 先導する香取が白手袋をした左の腕を、自転車の手信号のようにしてすっと上げる。

 

「艦隊は単横陣を維持しつつ取り舵、進路210。速度は微速から第一戦速へ。之字運動を行いながら接近し、もう少し距離を詰めましょう。皆さん、遅れず付いてきてくださいね!!」

 

『了解!!』

 

 言うが早いか、先導する香取の背中に据えられた機関ユニットが回転数を上げた。ハイヒール型の主機が白波を大きく蹴立てて、蒼い海面に綺麗なシュプールを描く。

 

 自分も九三式水中聴音機の集音器を引き上げつつ、航路をなぞる様にして彼女の後を追った。そのさらに後ろに双眼鏡を構えたままの深雪、海風に遊ばれる水色の長い髪を押さえながら五月雨が続く。

 

 香取は時々こちらを気にするように振り返りながら、さらに短く面舵と取り舵を繰り返す之字運動を始めた。首からずり落ちそうになるヘッドフォンを押さえながら、引き離されないように、必死で右に左にとその後ろ姿を追う。

 

 本来、之字運動とは潜水艦に出会う前の対潜警戒行動なのだが、実際の船舶より極端に旋回半径の小さい艦娘では砲雷撃戦時の基本回避運動として採用されている。それは潜水艦に相対した時も同じ。

 

『山城さん、隊列から大分遅れていますけど装備の具合はいかがですか?』

 

 進みながら艦隊の皆に聞こえるよう、オープンチャンネルで香取がインカムの向こう側に話しかける。

 

『未だ復旧できていません……カタパルトの不調で置いて行かれるなんて、利根でもあるまいし……不幸だわ……』

 

 返ってきたのは若干ダウナーの入った、しっとりというかじっとりした女性の声。その相変わらずな内容に、思わず艦隊の面々から苦笑が漏れる。

 

 呉鎮守府の司令艦・電の勧めでここトラック泊地に訓練目的で送り込まれたのは、駆逐艦である自分たちだけではない。あの異常な泊地棲姫の手により崩壊したショートランドの、そして現在は横須賀へ転任となった扶桑型戦艦二番艦『山城』-――正確には戦艦でなく新たに水上機運用能力を強化され航空戦艦となった彼女もまた、装備の馴らしと交流のためこの訓練に参加している。

 

 もっとも大破し海上破棄された艤装の代わりにやって来たのが航空戦艦のものと知った山城は、戦力増強を喜ぶどころか『姉様と一緒のままが良かったのに……』と鎮守府の整備格納庫を占拠。組み立て前の艤装の前で一日中ねちねちぐちぐち不満を呟き続け、仕舞いには整備班から苦情と引き取り要請が出る騒動になったのも記憶に新しい。

 

 今回の実戦訓練では戦艦である山城を守る形で陣を組み、彼女の新しい艤装に搭載された水上爆撃機瑞雲で偵察、潜水艦に対して先制爆撃を行う予定だった。

 

 しかし会敵直前になっても発艦作業が上手くいかず、結局山城には敵の魚雷の射程外で復旧作業に専念してもらう形になっている。

 

「あら、ほほう……なるほど。装備不調では仕方ありませんが、これ以上直掩と距離が離れるのは危険ですね……」

 

 山城の愚痴まがいの報告を聞いて、しばらく唇に人差し指を当て考えるような仕草をしていた香取だが、やがて結論が出たのかぽん、と白手袋で拍子を打った。

 

「ではこうしましょう。一旦私は山城さんの護衛に戻ります。けれども駆逐艦の皆さんは、このまま敵潜水艦への攻撃を敢行して下さい」

 

 これは訓練の予定になかった。抜き打ち卒業試験、といったところだろうか。

 

 一瞬横に並んだ深雪と五月雨の顔がえっ、と驚くが、

 

「深雪様にお任せだぜ!!」

 

「はい!! いよいよ私たちの出番ですね!!」

 

 返ってきたのは動揺ではない、頼もしい言葉だった。

 

 前回の苦しい戦いを経て、二人とも艦娘として確実に成長を遂げている。

 

 その様子に香取はふふっ、と嬉しそうに微笑んだ。

 

「では旗艦は朝潮さん、よろしくお願いします」

 

「―――了解です。香取さんも気をつけて下さい」

 

 反射的に敬礼に敬礼を返す。ふとこちらを見る眼鏡の奥で、なぜか香取の薄萌木色の瞳が悪戯っぽく輝いたように見えた。

 

「ありがとうございます。でも私の事は心配しないで、皆さんでしっかりやり遂げて下さいね」

 

 そう言い残すと香取はくるりと華麗なターンをきめ、肩の飾緒をひらめかせながら元来た方へと波を蹴立てて走り去っていった。

 

「い~な~朝潮。こんなんでもなきゃ、駆逐艦が旗艦なんて普通やらせてもらえねぇんだぞ」

 

 いつの間にか距離を詰め真横に来ていた深雪が、肘でこちらの脇腹を突っつきながら羨ましそうな声を漏らす。

 

「でも深雪ちゃん、旗艦をやったら後で戦闘行動調書、書かなきゃダメなんだよ」

 

「うげっ、あの由良と阿武隈が出撃する度に書いてる奴か。面倒くさいからパ~ス」

 

「もう、深雪ちゃんたら……。朝潮ちゃん、一緒に頑張ろうね!! ……朝潮ちゃん?」

 

 気が付くと蒼い空を背景に、空色の瞳が覗きこんでいた。

 

「朝潮ちゃん、大丈夫?」

 

「あ、うん……」

 

 降ってわいた旗艦任務、駆逐艦だけでの対潜戦闘。

 

 ここには指示してくれる教導艦の由良や阿武隈も、フォローしてくれる利根もいない。

 

 こちらが有利な相手とはいえ、一瞬の判断が自分だけでなく仲間の運命も左右する。

 

 今さらながらに『旗艦』というものの責任の重さがのしかかってきた。もしかすると、この中で一番動揺しているのは自分かもしれない。

 

「んで朝潮、これからどうするんだ?」

 

「もう敵との距離、あんまり無いです。どうしましょう?」

 

 両側から二人の声が急かす。といってもどうすればいいか、こちらが聞きたいくらいだ。

 

 ……こんな時なら、朝潮ならどうするだろう?

 

『知らない間にも進む記憶と自我の浸蝕、それを完全に止めることは難しいのです』

 

『けれどもその影響を最小限に抑えることは、可能かもしれないのです』

 

 不意にトラック泊地での対潜訓練を提案してきた時の、電の言葉が浮かんできた。

 

『本来の電たちは海軍のことも、艤装や兵装の扱い方も知りません。それでも問題無く艦隊行動が行えるのは、ベースとなった艦娘の記憶とアクセスしているからなのです。その無意識に行われている記憶の干渉を意識的にコントロールすることができれば……でもそれは……』

 

 ラバウルから呉鎮守府に帰った直後だったのか、疲れた声で電話をかけてきた電はそこで言葉を切る。

 

 けれども彼女の言わんとするところは分かった。

 

 艦娘の記憶に頼らないということは軍事知識を学び、艤装を扱い、自分の力で戦うことができるようになる、ということ。

 

 だがそれは同時に、自分から積極的に艦娘になっていくことを意味していた。

 

 艦娘にならないため、艦娘になるという矛盾。けれども、逡巡していてどうなるものではない。

 

 今は自分のできることをやるだけ!!

 

「―――隊列を単横陣から単縦陣に変更!! 之字運動中止。これより最短距離で敵魚雷発射点へ向かいます!!」

 

「ぃよーしきた!! 行っくぞぉーっ!!」

 

「はい!! あ、高速だと使えなくなるから、水中探信儀は一旦収納しちゃいますね!!」

 

「っと、忘れるところだったぜ!! サンキュな!!」

 

 五月雨が三式水中音波探信儀の発受信端子を海中から引き上げるのに倣い、深雪も自分の艤装から垂らされた探信儀の子機を回収する。艦娘の装備する探信儀は親機と複数の子機で三角測量を行い、その結果を親機のディスプレイに表示する仕組みになっているらしい。

 

「探信儀収納と共に機関、第三戦速へ!! 全艦突入、さらに肉薄します!!」

 

 三つの機関ユニットが揃って回転数を上げると、足元の六つの主機が勢いよく波の連なりを跳ね飛ばし始めた。

 

 生き残るためには戦うしかない。勝つしかない。

 

 この一点に関しては、司令艦も艦娘も何ら変わりない。

 

 そのための手段はこの一週間、香取がみっちり叩き込んでくれた。

 

「朝潮ちゃん、あと80秒で推定魚雷発射点です!!」

 

 眼鏡型ディスプレイに記録された輝点との相対距離を測りながら、最後列の五月雨が叫ぶ。

 

「各艦左舷、三式爆雷投射機用意!! 最後尾の五月雨は右舷の爆雷も軌条投下を!! ヤマアラシでいきます!!」

 

「朝潮ちゃん、爆雷は集中投下じゃないんですか?」

 

 指示したヤマアラシ戦法は、駆逐艦や軽巡洋艦の艦娘が行う帝国海軍の基本的な対潜戦闘法だ。

 

 五十鈴などはこれを『手動ヘッジホッグ』と呼んでいたが、要は雪崩の現場で一列に並んで雪に竹竿を刺しながら遭難者を探索する時のように、艦娘の機動性を生かして一定の範囲に満遍なく三式爆雷をばら撒いていくやり方。

 

 元々は貧弱な海中測量手段しか持たない帝国海軍で広まった姑息的な方法なのだが、先制雷撃後も二匹目の泥鰌を狙って留まることの多い深海棲艦相手には、それなりに高い効果を上げている。

 

「敵は三隻!! 先制雷撃を行った艦を中心に、随伴艦ごと周辺を制圧する必要があるんです!!」

 

「そうでした!! 私、魚雷を撃ってきた艦のことばっかり考えちゃって―――」

 

「その前に魚雷第二波、扇形に三本接近中だ!! あいつ、相打ち覚悟で浮上してもう一発撃ってきやがった!!」

 

 双眼鏡を構えたままの深雪が絶叫する。

 

 見ると確かに泡立つ波の下、包帯を転がした時のような三条の白い線がこちらに向かって来るのが確認できた。

 

 これまでなら先制攻撃を行ったら、敵潜水艦は海中に潜んで次の攻撃の機会を待っていたはず。

 

 ―――やはり泊地棲姫の時のように、敵の戦術パターンは変化してきている。

 

 このままでは魚雷の接触まで、もう時間が無い!!

 

「朝潮っ!!」

 

「―――機関最大戦速へ、全力で駆け抜けながら主砲で迎撃します!! 各艦、対魚雷砲撃戦用意、俯角取れ!!」

 

 指示を出しながら右手の12.7cm連装砲を巡らし、近付いてくる魚雷に狙いを定める。

 

 通常の軍艦でない艦娘の特徴、その一つが人の手足の可動域を得たことによる仰角、俯角の柔軟性だ。例え目標が直上、直下であっても一瞬で自由に砲口を向けることができる。

 

「対魚雷砲撃、開始!!」

 

 躊躇わずグリップのトリガーを引く。

 

ガウンッ!! ガウンッ!!

 

 計六門の砲が重なる様な轟音と共に、揃って砲弾を吐き出す。

 

 間髪入れず、艦隊の左舷に立ち上がる水柱。遅れて砲弾の破片に当たった敵の生体魚雷が次々と誘爆。

 

 その勢いで飛沫が大量に舞い上がり、目の前が一瞬滝壺かと見まごうばかりの厚い霧に包まれた。

 

 背中の機関ユニットがさらに回転数を上げ、かまわずその中に突っ込んだ。霧のカーテンを抜けるとすぐに視界は晴れ、再び南洋の輝く海面が現れる。

 

「報告っ!!」

 

「深雪、無事だぜっ!!」

 

「五月雨、大丈夫ですっ!!」

 

 後ろを振り返る。そこにはぴったりと自分の後ろを付いてくる二人の姿があった。

 

 魚雷は問題なく爆破回避できたらしい。

 

 なら次はこちらの番だ!!

 

「敵推定座標を修正、深雪は先ほどの魚雷発射点に発煙マーカーを!!」

 

「お任せだっ!!」

 

 双眼鏡を首からぶら下げると、深雪は弾倉を交換して吹雪型に特徴的な四角い砲塔式12.7cm連装砲を腰だめに構え、トリガーを引く。

 

 ダダンッ!!

 

 通常の砲弾より軽い発砲音と共に、800mほど離れた場所に小さな水柱が立った。それが重力に従い崩れ落ちるのと入れ替わりに、着弾点から灰色の煙がもくもくと立ち昇り始める。

 

「弾着、確認したぜ!! どんぴしゃだ!!」

 

 興奮したように深雪が叫ぶ。

 

「各艦、爆雷投射準備!! 第一次攻撃は10発、水圧信管は調定深度40に!! これより発煙マーカーを中心としたヤマアラシを展開します!!」

 

『了解!!』

 

 背中の機関ユニットから追加装備した三式爆雷投射機の稼働するモーター音が聞こえ始めた。

 

 敵潜水艦の推定位置を示す煙の柱が、艦隊の左舷に近づく。

 

「第一次攻撃、投射開始!!」

 

 連装砲のトリガーを爆雷投射機に切り替え、引き金を引く。そこから生体フィールドを介して、背中の機関ユニットに装備した爆雷投射機に攻撃指示が伝わる。

 

 185mlコーヒー缶サイズの圧縮三式爆雷が、T字の付属投射腕と共に火薬の爆発によるガス噴射の勢いでシュバッ、っと空中に射出された。

 

 爆雷は大きく弧を描き、発煙マーカーの上を飛び越えていく。

 

 後ろに続く深雪、そして五月雨も、同じ場所を通り過ぎる度にそれぞれの爆雷を放り出す。

 

 時間差で投射される小さなドラム缶にも似た爆雷は、飛距離が順に遠距離、中距離、近距離に設定されている。そのため射出タイミングが違っても、着水は投射地点から横一列に同時。

 

 最初の投射地点さえ間違えなければ後は自動装填装置が同じ間隔で爆雷の装填、投射を行うため、そこから先はまるで碁盤の目のように規則正しく爆雷が海面に投下されていく。

 

 最初の爆雷が着水してから約8秒。

 

 --――ズゥンッ!!

 

 爆雷が設定された起爆深度の水面下40mに達し、水圧信管が作動する。

 

 五月雨が軌条投下したものを合わせて計4個の爆雷が、同時に海中で炸裂。その振動が足元の主機に伝わって来た。

 

 蒔かれた種が双葉で土を押し上げる時のように、水面でも爆発で海が青白く盛り上がる。

 

 とはいえ実際のところ、これでも本当に敵を倒せたかどうかは分からない。潜水艦は撃沈できたのか、逃げたのか、それとも隠れているだけなのか、水上艦には見当がつかない。

 

 だからこそ、一度尻尾を掴んだ潜水艦は絶対に逃がさないし、逃がしてはならない。

 

 この海域に閉じ込めたが最後、爆雷で海水ごと立体的に焼き尽くす。

 

 でないと大潮が―――

 

「おい朝潮っ!! 何ぼさ~っとしてんだよ!! 早く次の指示出せって!!」

 

 どこか遠くで深雪の声がした。

 

 狭くなりかけた視界が開け、途端に現実へ引き戻される。

 

 いつの間にか背中の投射機は一列10個の爆雷を放出し終わり、次の攻撃に向けて再装填装置がカラカラと動いていた。

 

「第二次攻撃、調定深度を80に!! 跳躍、転舵0270!!」

 

 すぐさまその場でジャンプをして、海面を横に滑りながら最小旋回半径での方向転換。初めての時浦賀水道では失敗したが、あれから何度もやるうちあたり前のようにできるようになった。

 

 常に煙の柱を左舷に睨む形で、海域を四角く囲む次の一辺へ。

 

「第二次攻撃、投射開始!!」

 

 再び爆雷が空を舞い、先ほどの投下範囲と重なる様にして着水する。

 

 ……三式爆雷自身にセンサーがついていれば、こうして深度設定を変え同じ場所に何度も爆雷を投下する必要は無い。

 

 旧帝国海軍兵器の弱点は、同時に現在の艦娘の装備弱点でもある。

 

 そしてそれを補うのが、新たな戦術の研究と開発。

 

『―――速度・出力は軽巡以下。装甲も重巡より薄っぺら。潜水艦のように身を隠すこともできず、空母のように艦載機を扱えるわけでもない。肝心の火力も戦艦とは比べ物にならないほど貧弱―――かように全ての点において、いかなる艦種にも劣る。それがあなたたち駆逐艦です』

 

 トラック泊地のブリーフィングルームを改造した教室で講義を始める際、最初香取は自分たちにそう告げた。

 

 それに対して『じゃあ駆逐艦なんて必要ねぇじゃんかよ!!』と机を蹴倒し、顔を真っ赤にして掴みかかろうとする深雪を五月雨と一緒になって取り押さえる。

 

『ところが少し考えてみて下さい。にもかかわらず、帝国海軍で最も数が多いのは駆逐艦である、という事実を。建造費が安いから、という理由もままありますが』

 

『ごめんなさい、分かりません。朝潮ちゃんは分かる?』

 

『……強い、からですか』

 

 半信半疑で答えてみたところ、的中したらしい。

 

 香取も正答が返ってくるとは思っていなかったのか、少々意外、といったふうに驚いた表情を浮かべ、やがて満足そうに頷く。

 

『その通りです。駆逐艦は強い。海軍最強の艦種と言っても良いでしょう』

 

『はあぁ!? 弱いってったり強いってったり、わけがわかんねーよ』

 

 癖毛の短い髪をくしゃくしゃに掻き乱しながら深雪が唸る。

 

『別に弱いとは言っていません。いいですか皆さん、性能的に突出したもののない駆逐艦が最強な理由、それは機動力-――要するにフットワークの軽さです』

 

 自由な可動域を持つ手足、小回りの利く体、鋭敏堅実な火器管制、簡便な改修修復と補給、迅速な意思情報伝達、臨機応変な状況判断……深海棲艦と互角に渡り合える生体フィールドはもちろんだが、艦娘は人の姿を手に入れたことでより有機的で幅の広い戦術が取れるようになった。

 

 それでも大型艦娘は強大な力を持つ分運用方法が限定され、空母なら主に制空戦、戦艦なら艦隊決戦と、取れる戦術や動ける戦場も自然と限られてくるのだ、という。

 

『そういった艦種として縛りの少ない駆逐艦は、その機動力を最大限に生かすことで取れる戦術に限界がありません。奇襲、掃海、対潜、護衛、輸送、支援、哨戒、陽動、防空……攻めに守りに八面六臂。また夜戦ともなれば、火力で敵戦艦級を凌駕することも可能です』

 

 香取の話を聞いている間に、深雪と五月雨の目がキラキラと輝いてくるのが分かった。

 

『歩の無い将棋は負け将棋、とも言います。駆逐艦は艦隊の”歩”、それも圧倒的に多彩な戦術を駆使して、敵を翻弄し味方を守る”最強の歩”。皆さんがそのような存在になれるかどうかは、どれだけ戦術を血肉にできたかによって決まります。では手始めとして、ここでは対潜任務をしっかりこなせるようになりましょう』

 

 練習巡洋艦、確かにその名は伊達では無いと実感した瞬間だった。

 

「第三次攻撃、調定深度120!! 再転舵0270、これで最後です!!」

 

「いよぅしっ、気合入れるぜ!!」

 

「はいっ!!」

 

 深雪と五月雨は二本の航跡の上を、まるでレールに乗った台車のように正確になぞり、遅れることなく隊列を維持している。

 

 ここに来て皆の練度は確実に上がっている。そして自分も……まだ危なっかしいところはあるものの、自分の意志を保ったまま戦えているように思う。

 

「おりゃおりゃっ、さっさと観念して頭出しやがれモグラ潜水艦っ!!」

 

「深雪ちゃん、モグラなんて言ったら潜水艦の人たちに悪いよ」

 

「そっか、じゃあクラゲにしよう。さっさと浮かんできやがれ、このクラゲ野郎っ!!」

 

「あんまり変わらないような……」

 

 おどけたふうに海面を蹴っ飛ばしてみたりしている深雪だが、双眼鏡での監視は怠っていない。そして、そんな深雪を最後尾の五月雨が見守っている。

 

 時折振り返ると自分とも目が合うことから、彼女は後ろで艦隊全員に気を配っているのだろう。

 

 『艦隊』として『仲間』として、歯車がかみ合い始めている。

 

 背中の艤装から最後の爆雷が投射される音がした。

 

「攻撃終了と共に艦隊、第一戦速へ。このまま海域を旋回しながら評価を行います。隊列変更、単横陣」

 

 速度を落としながら、先ほどヤマアラシを仕掛けた場所を囲い込む形で進む。

 

 やがて自分の分の爆雷を投射し終えた深雪と五月雨も、両脇に並ぶ形で接近してきた。

 

 改めて一面の大海原を見渡す。

 

 第一次攻撃と違い爆雷の調定深度120mともなれば、その爆発が海上へ及ぼす影響はほとんどない。

 

 外洋のはずなのに不思議と凪いだ海面には、撃破された深海棲艦の物なのか、既にいくつかのポイントで黒い樹脂板のような残骸が浮かび上がり、表面を波に洗われながら陽光を跳ね返し雲母のようにちらちらと輝いている。

 

 数は3つ。

 

「やったぁ!! 作戦完了ですね、お疲れ様でした!!」

 

「待てって。ちゃんと確認してからだってな」

 

 五月雨が締めモードに入りかけるのを止めたのは、意外にも深雪だった。

 

 双眼鏡を覗きこみ、波間に揺れる浮遊物をじっくりと観察する。

 

「1,2,3、と。よし、全部撃沈だ!!」

 

「もうドジっ子なんて言わせませんから!!」

 

 制服姿の少女二人が薄い胸を張って立つ姿は微笑ましい。

 

「あ、何だよ朝潮。ニヤニヤしねぇで、もっと素直に笑えって。できねぇんなら、無理矢理笑わせてやるぜ!!」

 

 こちらに気付いた深雪がわきわきと指を動かしながら近づいて来る。

 

 横鎮の大浴場で彼女のフィンガーテクに大破轟沈した記憶が脳裏をよぎった。反射的に身を翻して魔の手をすり抜ける。

 

「逃げたなっ!? ええぃ、もういっちょ!」

 

「やだっ、くすぐったいじゃない!」

 

「もう、二人ともっ!! ちゃんとしてないと、また香取さんに怒られちゃいますよ!!」

 

『私がどうかしましたか?』

 

 突然インカムから香取の声が飛び込んできた。思わず背筋を伸ばし、深雪と一緒に直立する。

 

 それを見て五月雨がくすくすと笑った。

 

『山城さんのカタパルトが復旧したので、偵察機を先行させました。現在、我々もそちらに向かって航行中です』

 

 その言葉に青空を見上げると、遠くから小気味良い空冷式三菱金星エンジンの音を響かせながら、下駄のような二つのフロートをぶら下げた二機の水上機が近づいて来るのが見えた。

 

 良く似た形で同じグリーン系のカラーリングだが、その機種は違う。

 

 片方は香取が使っている『零式水上偵察機』、略して水偵。

 

 もう片方は航空戦艦となった山城が新たに装備した水上爆撃機、『瑞雲』。

 

 どっちがどっちかややこしいが見分けるコツはあって、水偵の方が元は三人乗りとして設計されている分、飛行機本体に対する風防が長くなっている。

 

『朝潮さん、駆逐隊旗艦よりの戦況報告をお願いします』

 

「はい。香取さんと別れた後、私たちは敵潜水艦の魚雷発射座標へと接近。その際敵魚雷による牽制攻撃を受けるもこれを迎撃。十分に肉薄し三式爆雷による『ヤマアラシ』を三度敢行。先ほど敵潜水艦残骸の浮上を確認しました。三隻とも撃沈したものと捉えています」

 

『ありがとうございます。突然旗艦を任されて驚いたでしょうけれども、朝潮さん深雪さん五月雨さん、皆さん訓練の成果を生かして良く対処できましたね。合格です。これなら横須賀に戻って、いつでも対潜哨戒に出られますよ』

 

 香取に褒められていると、自然と頬が緩むのが分る。一緒に聞きながら隣で深雪がガッツポーズを決めた。

 

『でも最近の深海棲艦の行動変容に合わせて、軍令部の撃破規定が変わっていましたね』

 

 チクリと刺す一言に、あっ、と気付いた五月雨が小さく声を漏らして口元に手を当てる。

 

 そうだった。座学の最後にやったのであまり記憶に残っていなかったのだが、深海棲艦を撃破したかどうかの判断基準が以前に比べると厳しくなっている。

 

 相手が水上艦なら、艤装または素体の水面下への完全海没。

 

 そして潜水艦相手ならば海面への敵艦浮上による目視下での撃破、もしくは聴音機での圧壊音聴取をもって撃沈確定となる。

 

 一方で、これまで基準とされていた艤装残骸の浮遊や水中探信儀の高エコー沈降物反応は、信頼性を一段階引き下げられた。

 

『私も山城さんも船足が遅いので、皆さんに追いつくまでもうしばらくかかります。その間偵察機での観察は続けますが、皆さんの方でも撃沈の再確認を行ってみて下さい』

 

『別に鈍足の私なんか待ってくれなくても……』

 

 ―――ブツッ!!

 

 香取に被せて幽鬼のような山城の声が聞こえてきたので、思わずスイッチを切り通信を終了してしまった。

 

「山城さん、相変わらずでしたね」

 

「あれ毎回やられると、さすがにうっと~しいよなぁ。で、確認って結局何すりゃいいんだっけ?」

 

 海域に到着し太陽を背に仲良く頭上で旋回を始めた二機の偵察機を、眩しそうに目を細めて見上げながら深雪がぼやく。

 

「もう一度聴音機を使用します。その後探信儀でも測量してみて、反応が無ければ撃沈確定で……」

 

「そっか。じゃあ、ほらよ」

 

 艤装から再び海中集音端子を降ろし始めたところ、深雪がこちらに向かって手を差し出してきた。

 

「?」

 

「音聴くのに集中するんだろ。だから、またぶつかんねぇようにさ」

 

 しばらくぼんやり深雪の手と顔を眺めていたが、さっき音に気を取られて香取に衝突しそうになったのを見て、今度はそうならないよう手を引いてくれるつもりなのだと合点がいった。

 

 厚意に甘えることにして、彼女の手を取る。触れた部分でお互いの生体フィールドが融合し、掌の温かみが伝わってきた。

 

 首に掛けたヘッドフォン型聴音端子を耳に当て直し、深雪に先導されながらスピーカーから聞こえてくる音に耳を澄ませる。

 

 ……最後の爆雷を投射してから既に5分以上が経過。海中の爆雷は全て爆発し、そこで生まれた泡も海面に浮かび終わった頃合いだ。

 

 ――――ザー

 

 イヤーパッドを装着すると同時に、またあのノイズが鼓膜を叩いた。先ほどは敵潜水艦と魚雷に気を取られていたが、今になってノイズはさらにうるさく聞こえようになった気がする。

 

 混線、もしくは九三式聴音機の故障だろうか。

 

「艦隊、原速へ。之字運動は継続」

 

『了解』

 

 さらに速度を落としてみるが、ノイズは鳴りやまない。それどころか、やはり少しずつ大きくなってくるふうにも感じられた。

 

「朝潮ちゃん、何か聞こえたんですか? 敵艦は……」

 

 難しい顔をしているのが分かったのか、五月雨が心配そうに声をかけてくる。

 

「潜水艦の音は聞こえません。でも何か……聴音機の調子が悪いみたい。ノイズがうるさくて」

 

「そうですか……あ、だったら探信儀!!」

 

 思いついたら即行動、とばかりに、止める間もなく五月雨が自分の艤装から探信儀の発受信端子を放出。間髪入れずにざっぱぁん、と端子が海面を叩く音が、ヘッドフォンから盛大に飛び込んできた。

 

 思わず顔をしかめる。

 

 視界の隅では自分のしでかしたことに気付いた五月雨が、米搗きバッタのようにぺこぺこ頭を下げていた。

 

 やがて端子が十分海中に沈むと、コーン、コーンという規則正しい探信音がスピーカーからも聞こえ始める。

 

「……探信儀、何も反応ありません。敵艦の影も」

 

「本当か? ちゃんと見てんのか五月雨?」

 

 まだ探信儀の子機を降ろす途中だった深雪が突っ込む。

 

 三点測量は相対距離を正確に測るために必要なので、単純に敵がいるかどうかを調べるだけなら五月雨の探信儀だけでも十分用は果たせる。

 

「本当です!! 探信儀には私たち分の反応しかありません!!」

 

 失態を挽回しようとしてか、眉間に皺を寄せながら眼鏡型ディスプレイを睨む五月雨が、ぷんすかと深雪に叫び返す。

 

 海没規定が変わったとはいえ、既に三隻分の残骸を肉眼で確認しているのも事実だから、何もないというのも理屈に合っている。

 

 たださっきから消えないノイズの存在が、どこかにひっかかっていた。

 

 そもそもこれを『ノイズ』として、切って捨ててもいいのだろうか……判断するための経験が、知識が圧倒的に足りない。

 

『艦隊の行き足が落ちていますけれども、皆さん確認作業は終わりましたか?』

 

 と、思考の袋小路に迷い込みそうになったところで天の助けとも思える香取の声が飛び込んできた。

 

 そうだ。自分に知識と経験が足りなければ、借りればいい。

 

「その、聴音機のノイズが気になってまだ……」

 

『ノイズですか……。聴音機は出撃前に整備していますし、この海域で電波障害というのも考えにくいのですが……』

 

 とりあえず聴音機の音声をこちらに、言われてヘッドフォンをインカムのマイクに押し付ける。

 

『探信儀には何も映っていないのですか、五月雨さん?』

 

「あっ、はい。正確には私たち以外には、なんですけど」

 

『そう……』

 

 スピーカーの音に耳を傾けているのか、それきり香取は口を噤む。けれども彼女の判断を待つ間にも、ノイズはずっと聞こえ続けていた。

 

『確かに敵の機関音などでは無いようです』

 

 やはり装備の問題なのだろうか。

 

『朝潮さん、念のために確認しておきますけれども……音は少しずつ大きくなってきたりはしていませんね?』

 

「それは……最初は聞こえるかどうかだったんですが、今聞くと確かに大きくなっているような……」

 

 こちらの答えにインカムの向こうで香取が息を呑む。

 

「香取……さん?」

 

『警戒っ!! 敵艦、真下にいますっ!!』

 

 その言葉が終わらない内に突然、足元の海面が大きく盛り上がった。

 

「なっ!?」

 

「危ねぇっ!!」

 

 ぐいっ、と手が引っ張られる感覚。同時に弾き飛ばされたように身体が宙を舞う。

 

 一瞬、視界に映る全てがスローモーションのようにゆっくりと動いて見えた。

 

 怯える五月雨。焦る深雪。潰れた九三式聴音機の集音端子。

 

 そしてさっきまで自分の立っていた海面から突き出た、抹香鯨の鼻先のような漆黒のドーム状の『何か』。

 

 深海棲艦!!

 

 咄嗟に上半身を捻り、右手の12.7cm連装砲を黒光りする表面に向けトリガーを引いた。

 

 ガウンッ!!ガウンッ!!

 

 放たれた二発の砲弾のうち、一発は至近距離にも関わらず逸れて海中に飛び込む。そしてもう一発は、硬い外殻の曲面を浅く抉るのみに止まった。

 

「バカッ、何やってんだ朝潮っ!! 走れっ!!」

 

 引く腕の力が強くなる。そう言われても足の主機で海面を捕えなければ、推進力は生まれない。

 

 繋いだ深雪の手を支点に射撃の反動でぶれる体の軸をなんとか収め、崩れ落ちる波頭の上を転ばないよう必死で滑り降りながら、機関ユニットの回転数を上げる。

 

「朝潮ちゃんっ、ケガしてませんか!?」

 

「うん。でもあれは―――」 

 

 我に返って追いついて来た五月雨、そして深雪と一緒に全速力で退避しながら、自分たちの元いた場所を振り返る。

 

 そこにあったのは海水に濡れ陽の光を反射して輝く二つの巨大な――

 

「ボールだぁ!?」

 

 どこか間の抜けた深雪の声。確かにそれは、ビーチボールのような真ん丸の球体だった。

 

 仲良く並んで浮かぶ二つの黒い球は見ている間に、まるで意思でも持っているかのようにくるり、と回転。それまで海中に隠れていた、艦橋とも呼ぶべき深海棲艦の素体部分が明らかになる。

 

 球状の外殻から生えているのは、縄文土偶の女神像のような豊満な女性の肉体の腰から上部分。その石膏を塗りたくったみたいに生気の無い青白い肌には、喪服にも似た黒い襤褸切れが申し訳程度にぶら下がっている。

 

 両腕は拷問具を思わせる枷で後ろ手に球体に打ちつけられており、顔は……無い。正確にはその頭部はまるで『鮫に齧られている最中です』といったふうに、首から上の部分が鮫の上顎のようなパーツに置換されている。

 

 異形の多い深海棲艦の中でもとりわけ奇妙で一度見たら忘れようも無い、生理的嫌悪感を催す外見。

 

「輸送ワ級!!」

 

「こいつら、今ここで『生まれ』やがったのか!?」

 

 海中から姿を現したばかりの二隻の輸送ワ級は、深雪の質問に答えるかのように『ぼぉぉぉおおおおぅぅぅぅ――――』と嘶いた。

 

 汽笛の音と赤ん坊の産声が混ざったような生物とも無生物ともつかない悲鳴が、その場に居合わせた全員の背中の毛と脳髄を揺らす。

 

 皆が金縛りのようになっている間に哭き終った輸送ワ級は、身震いで海水の雫を振り払うと、いきなりこちらに背を向けた。

 

「あっ、逃げちゃいます!!」

 

「させません――艦隊反転、追撃します!!」

 

 すかさずその場で跳躍し、180°向きを変え輸送ワ級に追い縋ろうとする。

 

「いいのか? 香取と山城のこと待たなくてもよ!!」

 

 今度は逆に腕を引っ張られる形になった深雪が声を張り上げた。

 

 勿論それは考えた。

 

 けれども輸送ワ級はクラス・エリートともなると、速力が20ノットを越えるものも存在する。

 

 対して戦艦最遅の山城は速力24.5ノット、香取に至っては速力18ノットと圧倒的に劣る。これから艦隊を再編成してから追いかけるとなれば、その間に一方的に引き離される。

 

 駆逐艦だから―――駆逐艦でなければ追いつけない!!

 

「合流している間に逃げられてしまう。それならば!!」

 

「よぉし分かったっ!! 朝潮、五月雨、遅れんなよっ!!」

 

「深雪ちゃん子機っ!! 子機回収し忘れてますっ!!」

 

「おおっと」

 

 引き摺られて海面を絶賛耕し中だった三式探信儀の子機に気付き、ワイヤーごと巻き上げる深雪。

 

 いきなり海中から現れた時には驚いたが、態勢さえ立て直せば火力の低い輸送ワ級は怖いしい相手では無い。

 

 しかも今回のように随伴艦がいなければ、むしろいい獲物だ。

 

 方向転換が早かったおかげで、距離はそれほど開いていない。並んで海を往く二つの黒い球体、その背中がみるみる大きくなってくる。

 

 追いついた!!

 

「艦隊、最大戦速を維持!! このまま単縦陣、同航戦で近い個体から攻撃を仕掛ける!! 各艦、砲撃戦用意!!」

 

『了解!!』

 

 三つの12.7cm連装砲、六つの砲口が手前の輸送ワ級に狙いを定めた。

 

 ここからなら水平射撃でも届く―――絶対外さない!!

 

「撃てっ!!」

 

「喰らえーっ!!」

 

「たぁーっ!!」

 

 次々と上がる発砲炎。標的となったワ級の周囲に水柱が立ち、いくつかの砲弾が漆黒の球状外殻に喰い込む。

 

 途端にワ級の船足が落ちた。推進部に命中したのかもしれない。

 

 傷ついたワ級はそのまま迷走するようにふらふらと航路を逸れ脱落していく。

 

 だがまだ完全に撃沈したわけでは無い。駆逐艦の主砲だけでは、装甲だけは厚い輸送艦に対しても、やはり火力不足は否めない。

 

「こいつは深雪様に任せなっ!! とどめに三連装魚雷、たっぷり喰らわせといてやるぜっ!!」

 

 こちらが制止する間もなく、深雪も中破したワ級を追って隊列から離脱する。

 

「深雪ちゃんどこ行くのっ?!」

 

「いい!! それよりも、残りの一隻を叩く!!」

 

「はっ、はい!!」

 

 五月雨と二人、僚艦を失ったにも関わらず疾走を続けるもう一隻の輸送ワ級に、じりじりとにじり寄るようにして距離を詰めていく。

 

 ワ級に接近するにつれ、その黒い球体部分の外殻に亀裂の様な痕が刻まれているのが分かった。さっき自分が放った12.7cm連装砲弾、その傷痕。

 

 ならば、今度こそ仕留める!!

 

「敵の外殻左側面、傷の入った部分を狙う!!」

 

「分かりましたっ!!」

 

 自動装填装置が動き、連装砲に次の砲弾がセットされた。

 

 艦娘の砲塔に照準器は無い。

 

 砲身が照星、自分の目が照門。

 

 その真正面に、黒い肌に走る一条の弾痕を捉える。

 

「次発、撃てぇっ!!」

 

「やぁーっ!!」

 

 再び連装砲が火を噴いた。四発の砲弾は一直線に飛び、その全てが輸送ワ級の膨らんだ横腹に吸い込まれる。

 

 -――ボンッ!!

 

 小規模の爆発が起きワ級の船体がぐらり、と傾いた。

 

「やりましたねっ!!」

 

「いや、まだっ!!」

 

 大きく傾いたものの、依然としてワ級はその航行を止めようとはしない。

 

 思った以上に装甲が硬い。しかし傷付いた装甲に重ねて砲撃を受けた損傷は大きかったらしく、凹んだ外殻部分にはさらに深くなった亀裂がぐぱり、と虚ろな口を開けていた。

 

 そこから妖しく輝く蛍光緑色の、粘性のあるワ級の体液がだくだくと漏れ出している。

 

 あと少し、あと一撃で!!

 

 自然と連装砲のグリップを握る手に力が入った。

 

「あっ、朝潮ちゃん!?」

 

「もう一度、今度はさらに肉薄するわ!! 五月雨は援護を!!」

 

「危険です朝潮ちゃ―――」

 

 五月雨の叫びを後ろに置き去りにして、よろめく手負いの輸送ワ級に限界まで接近していく。

 

 攻撃を警戒していたが意外にも全く抵抗が無かったため、自分でも驚くほど大胆に近づきけた。もうほとんど外殻に手が触れられる距離。

 

 見上げると黒い球体部分の上に生える白いデメテルの像のような素体が、微動だにせず無言で空を睨んでいる。

 

 深海棲艦は何を考えているのか分からない。コミュニケーションが取れない。

 

 ラバウル近海で遭遇した泊地棲姫とは、何か言葉を交わした様な気もするが、その時の記憶はどこか曖昧だ。

 

 その上出撃中の通話記録は、破損を免れた阿武隈達の一部機関ユニットと併せて榛名と霧島が徹底的に砲撃破壊。最後は隠蔽するため海の底に沈めてしまった。

 そもそも深海棲艦は何なのか、その生態は、どのような目的で人類を海から駆逐しようとするのか、何一つ明らかにされていない。

 

 分かっていることはただ三つ。

 

 深海棲艦は人類の敵で、彼女たちは海からやってくる。

 

 そして深海棲艦に対抗できるのは、艦娘と呼ばれる艦艇の力を持った少女たちだけ。

 

「ん?」

 

 ふと亀裂の開口部、今も体液を垂れ流すその内部に、何か小ぶりのスイカ大の、丸いものが見えたような気がした。

 

 反応の無いワ級はいつでも倒せる。それにどのみち傷口から砲撃を叩きこむつもりだ。

 

 相対速度を調節し接舷。

 

 確認がてら、その夜のように黒い腹の中を覗き込んでみる。

 

 -―――目が、合った。

 

「上っ、朝潮ちゃん上っ!!」

 

 言われて咄嗟に視線を素体の方に向ける。さっきまで石膏像のように屹立していた輸送ワ級、その兜を被ったような頭部がいつの間にか後退し、そこから黒光りする長砲身が姿を現していた。

 

 5inch単装砲―――こいつ、クラス・エリートだったのか!?

 

 機関急減速!!

 

 バスンッ、と軽い発砲音と共に、さっきまで自分がいた場所に小さな水柱が上がる。

 

 さらに速度を落としつつワ級と距離を取り、追ってきた五月雨と合流した。

 

 自由な素体の首関節可動域を生かし、威嚇するように5inch単装砲をぐるりと巡らせながら、輸送ワ級はそのまま悠々と走り去っていく。

 

「やっぱり一緒に行きませんか? その方が安心です」

 

「うん……」

 

 心配そうに寄り添ってきた五月雨には生返事で答えるが、頭の中はさっき見た黒い球体の中身のことで一杯だった。

 

 何だったんだあれは!?

 

 ちらりと見えたスイカ大の丸いもの、そして目--――考えたくない。考えることを感情が、心が拒否している。

 

『朝潮さん、五月雨さん、聞こえますか?!』

 

 遠くで香取の声がする。

 

『応答は必要ありませんので、そのまま敵艦から距離を取っていて下さい。これより山城さんが敵艦に対して艦砲射撃を行います!!』

 

 艦砲!?

 

 空を見上げると山城の瑞雲が逃走する輸送ワ級の後ろに一定の間隔を保ち、ぴたりと貼り付いているのが分かった。

 

 着弾観測射撃が来る!!

 

「待って下さい!! まだ確認したいことが―――」

 

『主砲よく狙って、てぇーっ!!』

 

 ズズズズゥゥゥンッッッ!!

 

 扶桑型戦艦の主兵装である大口径35.6cm連装砲三基、計6門の一斉砲撃が大気を揺らし、その振動が水面を肌を、鼓膜を直接揺さぶった。

 

 続いて幾つもの高速飛翔体が空気の層を切り裂く音。

 

 初速800m/sで発射される砲弾がこの海域に到達するまで、ほんの数秒しかかからない。

 

 さっきの自分たちの連装砲のものとは比べ物にならないくらい盛大な水柱が、目の前で次々と立ちあがる。

 

 その中で宙に舞い上げられた輸送ワ級が見えた気がしたが、一瞬のこと。すぐさま崩れ落ちる大量の海水に呑み込まれるようにして、ワ級は姿を消した。

 

 やがて水柱が収まった時、海面にはワ級のものとみられるバラバラになった黒い曲面外殻が浮いているだけだった。

 

『-――こちら深雪。雷撃での敵艦撃沈を確認、楽勝だなぁ!!』

 

『了解しました。今回は色々とイレギュラーがありましたが、まずは一旦艦隊集結しましょう。朝潮さん、五月雨さんも戻ってきてください』

 

「はい、分かりました」

 

 通信が終わった。

 

「行こう、朝潮ちゃん」

 

 五月雨がそっと肩に手を置く。

 

 けれども自分はそのことに気付かず、しばらく輸送ワ級が藻屑と消えた海を呆然と眺めていることしかできなかった。

 

 


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