艦隊これくしょん-艦これ-司令艦、朝潮です!!   作:めめめ

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幕間劇2『紺色人魚姫伝説』(3)

「ふぅ、一仕事終えた後のお風呂は格別でち」

 

 ジャングルに囲まれたコンゴ川河川敷に据えられたドラム缶風呂の中、肩どころか顎まで浸かりながら嘆息する。

 

 日はとうに西の海に沈み、現在時刻は二〇〇〇。

 

 白手拭を載せたゴーヤの頭上には、アフリカ大陸の澄んだ大気の向こうに満天の星空が広がっていた。南半球の星座はよく分からないが、あれが南十字かな、と適当な星を結んでみるのも楽しい。

 

 海軍指定のスクール水着を脱ぎ、一ヶ月ぶりに素肌で触れるお湯の温かさ。

 

 じんわりと沁み込んでくるような優しい熱伝導に、思わず涙腺が緩む。ほろりとこぼれ落ちた涙の一滴が、水面に小さな波紋を生んだ。

 

「それにしてもはっちゃん、よく『まるゆ』を囮にしようなんて思いついたねぇ」

 

 四方を古びた帆布で囲って作られた天幕の向こう側に話しかける。

 

「イクもびっくりしたの。でも大事な書類はデータの形でも持ってるし、『まるゆ』は喪失できてもゴーヤは替えがきかないからって」

 

 もっともそのデータも、ドイツ製暗号パソコン『エニグマ』のネットワーク端末に一々通さなければ読みだせない面倒くさい代物ではあるが。

 

「助けてもらって嬉しいけど、思い切りがよすぎでち。はっちゃん、艦娘辞めたらトレーダーへの転職がお勧めでち」

 

 ホントそうなの~、と先に一風呂浴びて、今はバスタオル一枚で見張り中のイクが同意する。風呂用とは別に焚かれた炎が帆布のスクリーンに映し出した肉感的な少女の影が、ゆらめきながらケラケラと笑った。

 

 例の特徴的な頭のトリプルテールを解くと、彼女も見た目は童顔の普通の女の子だ。もっとも普通の女の子は、アフリカ大陸の川べりで、タオル一枚で夕涼みをしたりはしない。

 

ハクショ――Haa-tschi!!

 

 水飛沫の音に続いて、聞き覚えのある少女の声。

 

「あ、噂をすれば、なの」

 

 途中まで出かけたクシャミを無理やりドイツ風に直すようなドイツかぶれは一人しかいない。

 

「Gesundheit(お大事に、なの)!!」

 

「Danke!! でも、クシャミを出すのも一か月ぶりとなれば嬉しいものですね」

 

 ゴーヤがドラム缶に身体を隠しながら天幕をめくると、ちょうど水から上がってきたはちが、焚火のそばにある手ごろな大きさの石に腰を下ろしたところだった。

 

 スク水がたっぷり吸った川の水がぽたりぽたりと落ち、オイル漏れのように石を濡らす。

 

 生体フィールドを切ったため、本来搭載モード設定で濡れないはずの二―ソックスも水を含んでルーズソックスのように垂れ下がっている。

 

 それを脱ぎながらはちは、久しぶりの夜の冷気を素肌で感じる喜びに、しばし耽っているようだった。

 

「はっちゃん、お風呂代わろうか?」

 

「いえ、大丈夫ですよ。濡れた書類を乾かさなければならないので……ゴーヤはゆっくりどうぞ」

 

 やがて二―ソックスを脱ぎ終わったはちは、運貨筒『まるゆ』に積んであった全員分の着替え、牛肉大和煮と沢庵の缶詰、元々潜水艦用に開発されたアルファ化米炊き込みご飯のパッケージをイクに渡し、自分は『機密:Geheimnis』と書かれた湿った茶封筒を焚き火で炙って乾かし始める。

 

 あれから海底谷に沿って東上しコンゴ川河口で合流した潜水艦娘3人は、互いの無事を喜び合った後、ゴーヤの連れてきた少女を家まで送っていくことにした。

 

 幸い彼女の棲む『バナナ』というふざけた名前の村は、浮上位置からすぐ近くのサヨリの口みたいな形をした半島の先にあり、少女を探していた村人たちとも接触できたため、意外と簡単に話はついた。

 

 激しい潜水艦機動で揺さぶられた少女は大分グロッキーになっていたが、迎えに来た少女の叔父夫婦に引き取られ、諦めきれなさそうに海を眺めながら去って行った。

 

『あの子の父親は漁師で、河口付近や湾内の比較的安全なところで魚を獲っておったのです』

 

 少女が去ってからそう語ったのは、村長だとか言うアロハシャツ姿の壮年男性。

 

『だが3か月ほど前、湾内に迷い込んできた光る目を持つ黒い船に漁船が襲われ、それから行方が知れやせん。そして彼らが消息を絶ってから数日後、ここから数十キロ離れた対岸の島に、夕方になると煙が上がる様になってのぅ。誰ともなく遭難した連中の生き残りがのろしを上げていると噂し出したんじゃ。だが確かめに行こうと思っても、黒い船どもが徘徊するようになった海には船が出せんでの……』

 

 要するに大人たちが手をこまねいているのを見かねて、少女は自分一人で海を渡ろうと決意したらしい。だが艦娘を持たない村人らが、深海棲艦のいる海を恐れる気持ちを分かる。

 

 一方そんな大人たちの事情は我関せずと、少女が村の古いボートで海に漕ぎ出したのは今回で2回目だという。ちなみに1回目は当然の如く深海棲艦に襲われたが、少女はボートを破壊されるもどうやってか岸に漂着することで難を逃れたらしい。

 

『陸沿いでは島に近づけないのですか?』

 

 はちが聞くと、村長は静かに首を振った。

 

 バナナ村はともかくコンゴ川を渡った南側からは、ヨーロッパを追われアフリカ大陸に逃れた抗独パルチザンたちが徘徊する無法地帯になっているのだという。

 

 そもそもドイツ第三帝国もヨーロッパの方で手一杯らしく、地中海沿岸以南のアフリカの都市は放置されているに等しい。

 

 ここバナナ村にもドイツから視察官が二度ほど訪れた後は基本放置。税金を取られない代わりに、インフラ整備や消防警察などの行政サービスも受けられない状態にある。

 

「海には深海棲艦、陸には抗独パルチザン……この期に及んで人間同士のドンパチが終わらない、というのも嘆かわしい話でち」

 

 掌でちゃぱちゃぱと風呂のお湯を弄びながらゴーヤがぼやく。

 

 第三帝国建国の父であるチョビ髭の伍長閣下が去ってからずいぶん経つが、その支配を快く思っていない勢力はヨーロッパに限っても星の数ほどあるという。

 

 この点大日本帝国は影響力をシーレーン支配に絞ることによって、東南アジア各国とは比較的穏当な関係を維持できているのとは対照的だった。もっとも大陸に戻れなくなった残留華僑などには、西洋植民地時代に貪っていた利権を現地住民に奪い返された経緯から、大日本帝国に恨みを持つ連中も少なからずいるらしいのだが。

 

「そういえばはっちゃん、大分時間がかかったみたいだけど、『まるゆ』本体はどうだったの?」

 

 雰囲気が暗くなりそうだったので、イクが話題を変える。

 

 村の人々と別れてからゴーヤとイクは、借りた帆布とドラム缶でキャンプの準備をするためコンゴ川の川縁へ。

 

 一方はちは囮になった『まるゆ』の回収を試みるべく、まるゆの発する救難信号を辿って再び海に潜っていた。

 

「in Ordnung……無事連れて帰りましたよ。 Attrappeの血でサメが集まっていたくらい。『まるゆ』は外殻に少し亀裂が入っていますが、大したことは無いです。今日はゆっくり休んで、明日帆布を返すついでに村で修理道具を借りましょう。日中に作業が終われば、出発は明日の日没ですね」

 

「それを聞いて安心したでち!! でもはっちゃん、『敵』には会わなかったでちか?」

 

 恐る恐る天幕の中から尋ねる。

 

「Nein……『まるゆ』とボートの破片が漂っているだけで、それらしい影も形も無かったですねぇ」

 

「そうでちか……確かにいたんだけどなぁ……」

 

 はちが会敵しなかったことを喜びながらも、納得いかない、といったふうに顔を半分沈ませてぶくぶく口で泡を立てるゴーヤ。

 

「気のせい、とは思わないです。実際砲撃や爆雷の音は、確かに私たちのところまで届いていましたから」

 

「でもダイブレコーダーには空と海だけで、他にはなんにも映って無かったの」

 

 はちと別れる前、ゴーヤは二人に少女と出会った時のことや攻撃されたことなどを詳しく説明。また艤装に標準装備されている画素数の低い自動記録装置のデータをスマホの画面で再生してみせのだが、カメラの角度が悪かったのか、それとも他の理由があってか、敵の姿どころか少女さえ捉えることができていなかった。

 

 それは洋上待機を命じていた試作晴嵐から回収した動画データも同じ。

 

 逃げ惑うゴーヤの影と立ち上る水柱以外、何も映っていない。

 

「潜望鏡でも晴嵐でも確認したのに、事前に深海棲艦を察知できなかったでち。その上艤装のカメラも使い物にならないなんて、装備全部にリコールかけたい気分でち」

 

「でもおかしいの。異常があったら普通は生体フィールドを発動した時点で気付くものなの」

 

「だからワケが分かんないんでち。大体深海棲艦はともかく、船に乗った女の子まで捕捉できなかったのは、おかしいを通り越して本当、意味不明でち」

 

 風呂の中でゴーヤは頭を抱える。

 

 そう、敵はともかく少女にさえ気付けなかったという事実が、さらに混乱に拍車をかけていた。

 

「あ、イク分かったの!! 実はさっきの女の子も含めて、村人は全員深海棲艦に喰われた幽霊だったの。陽が落ちてイク達が寝静まった頃、月明かりの下正体を現した村人たちがテントに集まって……」

 

 艤装から取り外した小型船外灯で顔を照らしながら、ゆっくりゴーヤに近付く。

 

「やめるでち!! これ以上聞いたらお風呂の後トイレに行けなくなるでち!!」

 

「いひひっ。その反応、いじってくれって言ってるようなものなの!!」

 

「……索敵に引っかからない船、Geisterschiff……でも、そういえば最近、似たような話を聞いた気がしますね……」

 

 ドラム缶の中でばちゃばちゃとお湯を叩いて無駄な抵抗を試みるゴーヤと、獲物を見つけた狩人の目になって怪しい笑いを口元に浮かべるイクをよそに、はちは空を見上げながら自分の記憶を探っていた。

 

―――ぺとっ

 

「ひゃっ?! Welche!?」

 

 不意に小さい手がはちの首筋を撫でる。

 

 驚いたはちは、うっかり手に持っていた機密文書の封筒を取り落としてしまった。

 

 ドイツ語で書かれた書類が河原にばら撒かれ、風に舞う。

 

 はちは慌ててそれを拾い始めた。

 

 データの形でバックアップがあるとしても、書類が飛んで誰かの手に渡ったら大変だ。

 

「あ、さっきの女の子!! もしかして遊びに来てくれたのね?!」

 

 異変に気付いたイクが素っ頓狂な声を上げた。

 

 そこにいたのは先ほど海でゴーヤが助けた黒髪褐色肌の少女。

 

 川から上がってきた妖精ニンフのようにぼんやりと立つ彼女は、何も言わずに持っていた茶色い布の袋をイクに向かって差し出した。

 

「これ? くれるの?」

 

 夜風に煽られて飛びそうになる書類を追いかけるはちをよそに、イクは受け取った袋の口を開ける。

 

「何が入っていたんでちか?」

 

 興味深そうにドラム缶から身を乗り出して、ゴーヤも袋の中を覗き込もうとした。

 

「バナナなの!! しかもこんなに沢山!! イク、バナナ大好きなのね!!」

 

「……バナナ村でバナナが名産とか、安直な話でち」

 

 嬉しそうに袋の中身をゴーヤに見せたイクは、ありがとうなの、と少女の頭を撫でた後、早速バナナの房から熟した実を一つ取り、ゆっくりとその皮を剥いていく。

 

 ゴーヤが見守る中、焚火の炎を照り返して紅潮しているように見えるイクの顔に、剥き出しになった逞しくそそり立つ果実が近づく。

 

 その天を指す尖端に肉厚の唇が優しくキスをしたかと思うと、次の瞬間剛直の1/3がずるり、とイクの咽喉奥に吸い込まれるようにして消える。

 

 風味を楽しむようにしばらくにちゃにちゃと口を動かしていたイクは、ゴーヤの方を振り返り、その口腔で糸を引く白い塊を舌の上で弄び見せつけた。

 

「ん~、ちょっと硬くて青臭いけど、とってもおいしいの!!」

 

「にゅぐ――むぅ―――」

 

 今は同性のはずなのに下腹部にじんわりした違和感を覚えたゴーヤは、何かを言いかけて黙り込むと、顔を真っ赤にしてドラム缶の中に潜航し、ピンク色の頭だけをのぞかせた。

 

 ぴょこんと飛び出したアホ毛の横で、桜のカチューシャがひらひらと揺れた。

 

「もう、ゴーヤも女の子同士なんだから、いい加減慣れてほしいものなの」

 

「そう思うならからかわないで欲しいでち!! だから皆にも『泳ぐ18禁』なんて呼ばれるんでち!!」

 

 きしし、と笑うイクを口からぶくぶく泡を出しながら恨めしそうに見つめるゴーヤ。

 

 リンガ泊地の中でも司令艦・伊58の事情を知っているのは秘書艦のはちと、他には遠征で一緒のイクだけ。

 

 ゴーヤの境遇に同情したはちがゴーヤを軍務と日常両面で何かとサポートしてあげている一方、イクは面白い玩具を見つけたとばかりにことあるごとにちょっかいを出していた。

 

 もっともそのせいで泊地の艦娘たちの間ではイクは両刀使いであるという噂が広まっているのだが、実際のところそれが間違っていないのも、ある意味笑えない事実ではある。

 

 バナナを食べるイクの姿を無言で見ていた少女は、イクが食べ終わると少し嬉しそうな表情に変わった。そして何を思ったか天幕の中に入ると、ゴーヤの入ったドラム缶に近付き、そのペンキが剥がれ錆の浮いたずん胴をこんこんと叩き始めた。

 

「あ、触ると火傷するから離れるでち!! っていうか、そうやって叩かれるとピンガー打たれてるみたいで落ち着かないでち!!」

 

 注意するも少女は、楽しそうにリズムを付けて緑色のドラム缶の肌を叩き続ける。

 

「……もしかして、ドラム缶風呂が珍しいなの?」

 

 既に3本目のバナナを口に咥えたイクが、少女とドラム缶と、お湯の中に避難して頭だけ出している状態のゴーヤを三角形で見比べる。そして何やら思いついたような顔になった後……おもむろに少女のスカートに手を伸ばして中をまさぐり、ずるっと彼女の白い綿パンツをずり下げた。

 

「はゃ?」

 

 あっけにとられるゴーヤと少女をよそに、イクは少女にばんざいの恰好を取らせると、彼女の着ていた白いワンピースを勢いよく上に引っ張ってすぽっと脱がす。

 

 ゆらめく焚火の炎に照らされて、剥き立てのゆで卵のようにつるっとした幼い処女の、生まれたままの褐色の肌が妖しい光沢感をもって浮かび上がった。

 

 まだ10歳になったかならないかといった少女の体は、痩せていることもあり女性らしさは全く感じられず、そのパーツはほとんど直線で構成されている。

 

 よし、準備完了なのね!!と満足そうに呟いたイクは少女を脇の下から持ち上げると、そのままあっけにとられているゴーヤの入ったドラム缶風呂の中へ、どぼ~んと彼女を放り込んだ。

 

「ぶぁぷっ、びっくりしたでちっ!! イクっ!?」

 

「んふふ~、せっかくだからジャパニーズ・お風呂をこの子にも体験してもらうの!!」

 

「だからって一緒になんて……」

 

 真っ赤になって抗議するゴーヤだが、ドラム缶の底に足が届かず沈みそうになっていることに気付き、その小さな身体を優しく支える。

 

 一方の少女も溺れまいしてと、ゴーヤの慎ましやかな胸に顔をうずめるようにしがみ付いた。

 

 小さな黒い二つの瞳が、少し不安そうににゴーヤの顔を見上げる。

 

「うぅ……仕方ないでち」

 

 狭いドラム缶の中、いやがおうでも密着する褐色少女のきめ細かい肌の感触に戸惑いながらも、ついに降参したゴーヤは、少女が沈まないよう彼女の体に両腕を回してしっかりと抱きしめた。

 

 少女の方も緊張してしばらく固くなっていたが、やがて安心したのかゆっくりと力を抜いて全身をゴーヤに預ける。

 

―――はふぅ

 

 やがて、同時に二人の口から同じため息が漏れ出た。

 

 それが面白かったのか、顔を見合わせたゴーヤと少女は一緒にくすくすと笑い出す。

 

「あ~、お風呂は世界最強のコミュニケーションツールだったのでち―――と、『あなたの名前は?』」

 

『……エリーゼ』

 

 ゴーヤがドイツ語で問いかけると少女――エリーゼは一度目を伏せた後、ゆっくりと小さな唇を動かした。

 

「いい名前でち。ゴーヤはゴーヤでち!!」

 

「イクはイクなの!! で、あっちの眼鏡がはっちゃん!!」

 

 ゴヤ……イクゥ……ハチャン……? と少女はゴーヤたちを指さし確認しながら、慣れない日本語で反復する。

 

「上手なのね!!」

 

「え、それでいいんでちか? はっちゃんはどう思うでち?」

 

 天幕の向こう側で、拾い集めた書類を整理するはちに声をかける。

 

 彼女は書類のうち一枚、ドイツ語がタイプライターで印字された白い撥水和紙を睨みながら何やら難しい顔をしていた。

 

「……wenn alles vorbei ist……exile? Unterschrift……署名は、電とBisma……」

 

「はっちゃん!!」

 

「Ah!!」

 

 慌てて手に持っていた書類の束を生乾きの艤装の影に押し込むと、はちは何でもない風を装って振り返る。

 

「さっきから呼んでたでち。このままだとはっちゃん、名前がハチャンになってまうでち」

 

「……あぁすみません、ぼうっとしてました。名前、ですか……別に構いませんよ。どうせ明日か明後日にはここを発つわけですから……」

 

 興味なさげにそう答えたはちは、イクの持つ袋からバナナを一本取って皮を剥き始める。

 

「……はっちゃん、意外とドライでち」

 

「本来は潜水艦遠征の途中で陸に上がること自体、例外ですから。現地人との接触は、さらに好ましくありませんし……」

 

 それ以上言うことは無いとばかりに自分のバナナにかぶりつき、小さくLecker!!と感嘆した。

 

「はっちゃん、ドイツ行くって決まってからいつにもまして厳しいのね……そうなの!!エリーゼはこの海に出る謎の深海棲艦について、何か知っているなの?」

 

「そういえば、急いでて聞いてなかったでち。あ、え~と、はっちゃん!! 『深海棲艦』ってドイツ語で何て言うんだっけ?」

 

 助けを乞うようにはちを見つめるゴーヤ。

 

 咥えたバナナの欠片をごくん、と飲み下すと、仕方ないと言った風に目を細めながらはちは、ドラム缶風呂の中の少女―――エリーゼを見つめ口を開いた。

 

『……この海にいる黒い船のことを知っていますか?』

 

 ―――『深海棲艦』と呼ばれる異形のそれは大日本帝国、ドイツ第三帝国の本土以外、もっと言えば軍事関係者以外では『黒い船』、例えばドイツ語圏ではSchwarze Schiffと呼称されている。

 

 各言語で『深海棲艦』に相当する新しい語を作成、周知するのに手間がかかることと、『黒い船は危険だ』との認識を共有するため、極力シンプルに表現することに努めた結果がこれだ。

 

 日本でも夏になると、海に近付く子供たちに『黒い船に気を付けなさい』と親や教師が注意している姿が見受けられる。これは安全なはずのA領域、沿岸部でごく稀に発見されるのが全て、特徴的な黒くて丸い外殻を持つ駆逐艦級深海棲艦であることにも起因していた。

 

『黒い船はいたけど……もういない……』

 

 だが少女はゴーヤの胸元で首をふる。

 

 彼女の言葉に、怪訝そうに金色の細い眉をひそめるはち。

 

「Ging weg……いなくなった? でも以前海に出た時には、深海棲艦に襲われたと……」

 

「おかしいのね!! 深海棲艦でないのなら、じゃあゴーヤを襲ったのは一体何者だったのね!?」

 

 両手に剥き身のバナナを握ったまま高い声を上げるイクと、眼鏡の奥で眼を光らせるはち。

 

 驚いたエリーゼは、ドラム缶の中でゴーヤの胸にしがみ付いた。

 

 その拍子に桜色に染まった二つの控え目な膨らみが、少女の頬に押しつぶされてむにゅり、と形を変える。

 

「んぁっ―――ちょっと二人とも落ち着くでち。怯えさせてどうするんでちか?」

 

 うっかり喘ぐような声を出してしまい、茹った顔をさらに赤らめ二人をなだめながら、ゴーヤは今日、夕暮れの海で出会った敵の姿を思い出そうとする。

 

 ……謎の深海棲艦、その全体的な形や艦種はよく分からなかった。

 

 しかし刹那視界に入った16inch三連装砲の黒い砲身と、それを向けられた時背中を走り抜け凍えるような恐怖感は、今もって彼女の脳裏に焼き付いている。

 

 艦娘の装備とは違う規格――鋳造で無くその身に纏う漆黒の外殻を変形・多層化することで生み出された深海棲艦の武装である16inch三連装砲。

 

 あれを装備しているとなると戦艦クラスだが、生体爆雷を投下してきたことから随伴艦がいるのか、それとも対潜攻撃可能な特殊タイプの戦艦か。

 

「それでは質問を変えてみましょう……『以前あなたはどうやって、海から無事に帰ってこれたの?』」

 

 じっ、とエリーゼを見つめるはち。皆が彼女の言葉を待つ。

 

 川を挟んだ向こう側で夜の鳥が鳴くひょう、という声が静かな川のせせらぎに混じり溶ける。

 

 ドラム缶の下で赤々と光る燠がばちん、と爆ぜた。

 

『……友達が……』

 

 少女は恐る恐る口を開く。

 

 潜水艦娘たちが黙って見つめる中、それを言ってもいいものか迷っているようだったエリーゼだが、一度ゴーヤの目をちらと見た後、何やら決心したように少しずつ言葉を紡ぎ出した。

 

『……友達が、助けてくれたの……』

 

「Freunde……友達、ですか」

 

「凄いのね!! もしかしてその人、艦娘なの?」

 

 イクが的外れな感想を述べた。もちろん、こんなアフリカの奥地に艦娘がいるはずもない。

 

 深海棲艦に唯一対抗できる貴重な戦力である艦娘は、実際の船舶と同様に定期的な弾薬燃料の補給や艤装のメンテを必要とする。

 

 それを安定して供給できるのが艦娘の拠点、鎮守府であり泊地。

 

 技術、物資、マンパワー、そして戦略の面でも、定期航路の無いアフリカ沿岸に艦娘を派遣する意味は皆無だ。

 

 が、友達という単語を聞いたゴーヤは、驚きのあまり一瞬目の前でチカチカと火花が走った。

 

「ちょっと待つでち!! まさか、友達ってゴーヤを襲った奴のことでちか!?」

 

 はちとイクが絶句する横でそう尋ね直すと、少女はゴーヤの小さな胸の中でこくり、と大きく頷く。

 

 そこから少女の語った事実はあまりにも荒唐無稽過ぎて、3人の潜水艦娘たちは理解するのに多少ならざる時間を必要とした。

 

 3ヶ月前に父親の船が難破した後、少女は叔母夫婦の家にやっかいになりながら、父親の消えた海をずっと眺めて過ごしていた。

 

 そして2週間が経ったある日、対岸の島から煙が上がっていることに気付く。

 

 すぐさま村長たちに父を助けるよう懇願したが、彼らは首を縦には振ってくれなかった。

 

 そこで少女は自分一人ででも父親の救助に向かうことを決意する。一月ほど前、村に残っていた朽ちかけたボートの穴を塞ぎ、早朝の暗闇に紛れて島を目指して出港。

 

 しかし岸を少し離れたところで、父親の船を沈めたのと同じ黒い船―――沿岸部なのでやはり駆逐艦級の深海棲艦だろう―――に彼女のボートも襲われてしまう。

 

 海に出るのは自殺行為。その意味を幼い命と引き換えに学ぶことになるはずだった少女は、だが突如現れた何者かの助けによって窮地を脱する。

 

『白くて黒くて、綺麗だけどちょっと怖い』それは、彼女を襲った深海棲艦を易々と撃破。

 

 さらにボートを壊された少女を岸まで送り届けてくれたのだという。

 

 それから後、彼女が海辺に出ても黒い船の姿は無く、代りに『友達』がいつも近くで彼女を見つめていた。

 

 今日再び海に漕ぎ出したのも、『友達』がずっと見守っていてくれたからなのだ、と言うと、少女は再び口を噤んだ。

 

「……erstaunt!! 深海棲艦が人間を守るために同士討ちなんて……」

 

「にわかには信じられないでち……」

 

 少女はほらやっぱり、という風に不機嫌そうに頬っぺたを膨らましてお湯の中に顔を鎮める。村人たちに説明した時も、同じような反応だったのだろう。

 

「だとすると……もしかしたらゴーヤが攻撃されたのは、エリーゼを取られると勘違いしたのが原因だったりして、なの!!」

 

 そんなバカな、と呆れ顔のゴーヤを、きっとそうなのね!!と妙にキラキラした瞳で見つめるイク。

 

 どんな下世話な想像をしてるのか知らないが、仮にそれが事実だとすれば、巻き込まれた方としてはえらい迷惑だ。

 

「ところではっちゃん、謎の深海棲艦の話もいいんでちが……この子、ゴーヤたちで向こう岸まで連れて行ってあげられないんでちか?」

 

 顔を半分水面下に沈めたままのエリーゼの、潮風でパサパサに荒れた黒髪を湯の中で解きほぐしながらゴーヤが尋ねる。

 

「それはいい考えなの!! 一人で海に出るよりずっと安全なの!! 海の中なら安全に、お父さんの所まで連れて行ってあげられるのね!!」

 

 二人の視線がはちに集中する。だが一方のはちは、眼鏡に付いた水滴をタオルの端で拭って掛け直すと、険しい表情を浮かべた。

 

「二人とも、私たちは現在遠征任務中なんです。戦略上、得体のしれない深海棲艦のいる海は、できれば早く離れたいですね……。それに抗独パルチザンの話を聞いてしまうと私たちに何かあった場合、例えば機密文書を奪われたり人質に取られたりしたら、ドイツとの同盟関係上も問題が……」

 

 心情的には賛成したいのですが、とも彼女は付け加えるが、その結論は同じだ。

 

「……どうにかできないんでちか?」

 

「Nein、どうにもなりませんね。件の深海棲艦が単独で海域を支配可能な個体であれば、既にここは準E領域。通信障害や敵の増援も想定しなければなりませんし」

 

「こんなに可愛いのに、こんなに頼んでもダメなの?」

 

「可愛かろうが何だろうが、ならぬものはならないんです」

 

 ぴしゃり、とにべも無く切り捨てたはちは、ガラスの曇りが気に入らなかったのか、眼鏡を外して再びタオルで磨き始める。

 

「ふんっ、はっちゃんの分からず屋!! もういいの!! イク、先に寝るのね!!」

 

 手に持ったバナナの皮を焚き火の中に放り込むと、立ち上がったイクはバスタオルの裾を翻し、天幕の横に設置した同じく帆布製の簡易テントの中に姿を消した。

 

「休むのは構いませんが、見張りの交代時間になったら起こしますよ」

 

 はちが後ろから声をかけると、分かってるの!!と不機嫌そうなイクの返事が返ってきた。

 

「So lästig……単艦ならともかく、艦隊での長距離遠征は難しいものですね」

 

 溜息をついたはちは海軍帽を脱ぎ、頭の左右で結んだおさげに手をかけ白いリボンを解き始める。はらり、と広がった金髪の束が、焚火の色を反射して赤銅色に輝いた。

 

「はっちゃん……」

 

「ゴーヤ、あなたもイクと同じ意見ですか?」

 

 眼鏡越しではない、はちの空色の瞳がゴーヤの緋色の瞳を覗き込む。

 

 が、ゴーヤは首を振った。

 

「違うでち。はっちゃんの言ってることは良く分かってるでち……多分イクも」

 

 来たるべき英独連合軍によるジブラルタル海峡封鎖作戦。

 

 しかし陸上移動する泊地棲姫の存在によって作戦の致命的な欠点が明らかになった今、ゴーヤたち伊号潜水艦の持つ機密情報がドイツに届かなければ、数万ではきかない数の命が失われることになるのは間違いない。

 

 だからこそ、この潜水艦遠征は失敗するわけにはいかないのだ。

 

 ヨーロッパの、いや人類の未来のためにも。

 

「Weshalb……では何故?」

 

「ゴーヤも、イクも、はっちゃんも……軍人だけど、潜水艦だけど……女の子だから……」

 

 はちは何のことだか分からずきょとん、としていたが、やがてその意味するところを理解すると、表情を和らげくすくすと小さく笑い始めた。

 

「Genau!! その通りでした!!」

 

 そう言いながらも彼女の笑い声はなかなか止まらない。

 

「はっちゃん、笑うなんてひどいでち!!」

 

「すいません、司令艦のあなたに女の子って言われて……」

 

 眼の端の涙を拭ったはちは、やっとのことで笑い止んだ。

 

「ふん、どうせゴーヤは軍艦としても女の子としても半端者でち!!」

 

「ふふ、そんなにへそを曲げないで下さい」

 

 そう窘めた彼女は、ふと遠い目で空を見上げた。

 

「……でも、そうですね……だから司令艦には、普通の艦娘や軍人には見えない、そんな何かが見えるのかもしれません」

 

「それこそ意味分かんないでち……」

 

 先ほどはちが艤装と石の隙間に押し込んだ機密書類の束が、夜風に煽られかさかさと乾いた音を立てる。

 

 焚火の炎が踊る様にして揺れた。

 

「そういえば、エリーゼでしたっけ。先ほどから何も喋っていませんが、大丈夫ですか? 溺れたりしていませんか?」

 

 言われてゴーヤが自分の胸元を見る。少女は昼間の戦闘で疲れ果てたのか、いつの間にか小さな頭をゴーヤに預け、可愛い寝息を立て始めていた。

 

「とっくの昔におねむさんでち」

 

 表情を和らげながら、少女が沈まないようにゴーヤは彼女をそっと両の腕で抱きしめる。

 

 その身体の熱と柔らかさ、生命の温度と安らぎが密着した肌から伝わっていた。

 

 七つの海が深海棲艦の恐怖に沈んだ今、このドラム缶の中が少女にとって、世界で一番安全な海。

 

「何で戦争、終わらないんだろう……」

 

 ぽつり、とゴーヤが呟いた言葉はアフリカの夜風に吹かれ、満天の星空へと運ばれる途中でふいと掻き消えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「Aufwachen!! 起きて下さいゴーヤ!!」

 

「う~ん、もうオリョクれないでち……」

 

「何を寝ぼけているんですか!! 非常事態なんですよ!!」

 

 テントの中で目を覚ましたゴーヤは、ぼやけた視界の中何やら慌てた様子のはちが自分の肩を揺さぶりながら叫んでいるのに気が付いた。

 

 彼女も起き抜けらしく、眼鏡を付けていないはちは新鮮かも、と思いながらシーツをめくって起き上がろうとする。が、途端に朝の冷気が肌を刺し、ゴーヤは身体を縮こませた。

 

 寝間着代わりに身に付けているのはセーラー服の上とパンツ一枚。半袖からのぞく白くて細い二の腕をさすると、冷えた素肌に鳥肌が立っているのが分かる。

 

 そういえば昨日の夜は風呂を出てから仮眠を取り、〇〇〇〇のてっぺんから〇三〇〇で見張り番を務めた後、イクと交代してすぐテントの中のシーツに潜り込み、そのまま爆睡したんだっけ、と思い出す。

 

「はっちゃん、おはようでち……まだ暗いけどもう起床時間?」

 

 目をしょぼつかせながら手を伸ばし、張られた帆布の裾をめくった隙間から外の世界を覗く。朝と呼ぶには程遠い夜明け前の薄暗闇に包まれていた。

 

 だがのんびり尋ねたゴーヤは、次のはちの言葉で凍りつく。

 

「それどころではないです!! イクが―――イクがいないんです!!」


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