艦隊これくしょん-艦これ-司令艦、朝潮です!!   作:めめめ

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幕間劇2『紺色人魚姫伝説』(2)

 

 ――――感覚として伝わるアナログ深度計の針が25,20,15……と海面が近付くのを教えてくれる。

 

(ととっととと!! 潜望鏡深度でストップストップ!! でち!!)

 

 加速度がついたまま水上に飛び出しそうになり、慌ててタンクの空気を排出。

 

 ゴーヤは自分自身でも逆さまになり、下向きに泳いで急ブレーキをかける。

 

 深度計の動きがゆっくりになり、その針が海面下4mになったところでどうにか浮上の勢いは止まった。

 

 ほっ、とセーラー服の上から海軍指定の紺のスクール水着に包まれた薄い胸を撫で下ろす。

 

 よく映画やアニメで急速浮上した潜水艦が鯨のようにざっぱ~ん!!と海を切り裂いて艦体を現すシーンがあるが、実際潜水艦が浮上する場合は緊急時を除いて一旦潜望鏡深度で停止し、洋上の安全を確認してから完全に浮上するのが一般的だ。

 

 海中からでも水上艦の存在はソナーでその存在を知ることができるが、こと偵察機などの航空機は潜望鏡で確認しなければ安心できない。

 

 といっても深海棲艦が相手の場合、彼らは何もいない海域に積極的に偵察機を飛ばそうとはしないことから、不期遭遇戦以外ではそれほど航空機に気を付ける必要は無い、というのがゴーヤの印象だ。

 

 実際にE領域での戦いなども含め多くの場合、艦娘側が索敵に成功して先制攻撃を仕掛けることができている。

 

 これは深海棲艦側が哨戒や索敵網、防空識別圏などの概念を持っていないためと海軍の中で説明されているが、その実態はよく分かっていない。

 

(パッシブソナーには感無し。まずは洋上観測ブイを放出っと)

 

 艤装の一部が外れ、有線コードで繋がった黒い野球ボール大の『浮き』が海面を目指して浮き上がっていく。

 

 球体が海面に到達したのを確認してから機関ユニットに接続された海中スマホを取り出し専用モニタリングアプリを起動。

 

 すぐに液晶画面には、観測ブイに埋め込まれた四つの高感度広角レンズの捉えた映像が表示された。

 

 海の上は茜色に染まり、ちょうど夕方の凪の時間帯なのか、穏やかな水面は金色に輝き、まるで一面実りの季節を迎えた麦畑のようにも見える。

 

 ぼんやり景色を眺めていたゴーヤだが、気を取り直してズーム機能を駆使して360°空を観察する。

 

 敵機の姿は見当たらない。

 

(もっかい見て……うん、大丈夫……だよね)

 

 スマホのディスプレイを何度も確認してからブイを回収。

 

 ゆっくりと再浮上。ぐんぐんと水面が近づいて来る。そして、

 

「―――ぷはぁ~っ!! ん~久しぶりの太陽!! 空気がとっても美味しいでち!!」

 

 海上に顔を出したゴーヤは、一番風呂ならぬ一番空気を思いっきり胸に吸い込んだ。

 

 昼間の熱気を残した新鮮なアフリカの風が、肺胞の隅々まで行き渡るような感覚を堪能する。正確には生体フィールドが起動したままなので、空気はモーターに変わって駆動を始めたディーゼル機関の吸気口に取り込まれただけなのだが、そんな野暮を言う者はいない。

 

 これまでも夜になったら浮上していたのだが、吸血鬼でもあるまいし、やはり久々に全身に浴びる太陽の光は格別だった。

 

「と、忘れないうちに……ハッチ解放、カタパルト展開!!」

 

 再び艤装のギミックが作動。水密ハッチがぱかっと開き、そこから飛行機模型にも見えるフロートの付いた緑色の小さな機体が現れ、カタパルトの上で折りたたまれた翼を伸ばす。

 

 弓矢や式紙を発艦媒体とする空母たちと比べて艦載機と縁の薄い艦娘が航空機を使用する場合、その依代は実物に近くなければならない、という制約がある。そうでなければ世界に艦載機として認識されないし、そうなるとパイロットが乗ってくれないのだとか。

 

 なので航空戦艦、航空巡洋艦や軽巡洋艦、そしてゴーヤたち潜水空母も、模型飛行機のような艦載機の依代と、その発艦用カタパルトを艤装に備えていた。

 

「準備完了……晴嵐発進!!」

 

 エンジンに火が入りプロペラが回転。ゴーヤの背中から飛び立った試製晴嵐は高度を上げ、彼女の頭上で円を描くようにして滞空する。

 

「周辺海域の索敵、警戒を開始!! その後ゴーヤたちが陸に着くまでのエスコートは任せるでち!!」

 

 日の丸が描かれた緑の翼とフロートに夕日を受けながら、晴嵐はまるで誰かが乗っているかのように二三度羽を上下に振ってさらに高度を上げ、その姿はやがて豆粒のように小さくなっていった。

 

 晴嵐は伊401ら海大型に搭載し米本土爆撃用に作られた水上機なのだが、その攻撃能力からいざという時の牽制や囮としても使えるため、好んで搭載する潜水艦娘も多い。

 

 遠ざかっていく緑色の機影を見送ったゴーヤは、ごろん、とお腹を太陽に晒して仰向けになって海面に寝そべる。

 

 本当なら再び潜望鏡深度まで潜って偵察機の報告を待つのが正しいのだが、一度浮上して海上の空気を吸ってしまった彼女に、今さらもう一度潜るつもりはさらさら無かった。

 

 夕陽に照らされたスクール水着が光を反射し、てらてらと怪しく輝く。

 

「はぁ~あ……そろそろ日が落ちるでち……」

 

 晴嵐が戻って来たら、海中のはちとイクを呼びに行かなければならない。

 

 一ヶ月ぶりの日中浮上だ。彼女たちにもこの心地よい太陽の光と暖かい空気を吸わせてあげたい、とゴーヤは考える。

 

 だがそれはそれとして今この瞬間だけは、夕暮れ時の世界は彼女一人のものだった。

 

 思いっきり手足を伸ばし、全身の筋肉と筋を解す。生体フィールドが作動している間は肩こりにもなりえないことは理屈上分かっていたが、いわばこれは『心の肩こり』のようなもの。

 

 リラックスさせてやらなければ、精神がガチガチに凝り固まってしまう。

 

 ……司令艦・伊58が艦これ世界にやって来てから既に一年近くが経過している。

 

 古参の電や金剛ほど実務で忙しいわけではないが、欧州独逸への派遣作戦は潜水艦でなければ行えないことから、ゴーヤは自分のリンガ泊地にいる時間の方が少ない。

 

 さらに索敵、待ち伏せ、交信、輸送、追跡など、潜水艦娘にしかできないことはとても多く、先のE領域攻略の際も水上艦が華々しく砲雷撃戦でなぐり合っているその下で、ゴーヤたち潜水艦娘たちは縁の下の力持ちとして必死に戦っていた。

 

 そして今またこうして、ヨーロッパ遠征などという無茶な任務でアフリカ大陸の沖合を一人漂っている。

 

「前世で一体どんな悪行を積んだら、潜水艦娘になって大西洋を彷徨う羽目になるのかなぁ……」

 

 誰に語りかけるとでもなく、呟きが漏れた。

 

 ゲーム『艦隊これくしょん』ではイベント海域攻略や大型建造用に資源を貯めるため、燃費の良い潜水艦娘を旗艦にして、資源ドロップマスの多い『東部オリョール海』マップに延々と出撃を繰り返す資源貯蓄法、通称『オリョールクルージング』こと『オリョクル』が知られている。

 

 被弾大破してもシステム上旗艦は轟沈しないことに加え、潜水艦娘はダメージ回復のため入渠させても、修復完了までせいぜい10分程度。そのため通常の出撃の合間にオリョクルを挟み込むことで、効率的に資源を稼ぐことができた。

 

 しかし攻略法としては間違っていないものの、それを現実に見立てた場合のあまりの過酷さ、それに反する効率の良さに、どこか皮肉のある笑いと共に『オリョクル』はそれを行わないプレイヤーの間にも、ネタ用語として一気に広がった。

 

 実際ネット上で『オリョクル』で検索すれば、過酷な労使環境に心も体も擦り減らし、目の光が消えて亡霊のようになった潜水艦娘たちの画像をいくらでも見つけることができる。

 

 ゴーヤ自身も伊58を旗艦にして来たるべき大型建造に備え『オリョクル』に励んでいた時に、突然ログイン画面に現れた『虚帆泊地』とかいう謎のサーバーをクリック。

 

 気が付いた時にはリンガ泊地の女子更衣室で一人、スク水一丁でぼんやりと天井を見上げ佇んでいた。

 

「今日もオリョクル被弾入渠そしてまたオリョクル……に比べればマシなのかもしれないけど、実際自分で味わってみると潜水艦生活は大変でち。はっちゃんも、独逸行きが決まった途端に俄然厳しくなるし……」

 

 誰に言うとでもなく、そんな愚痴が口から零れた。

 

 任務の過酷さに加え、水上艦と比べて潜水艦の行動にはどうしても制約が多くなる。

 

 昼間は水中で息を潜め、夜は闇に隠れて忍者のように人目を忍び航行。

 

 自分から攻撃する分にはともかく、一度敵に狙われたら最後。逃げることも身を守ることもままならず、例えの駆逐艦級が相手でも、見つかってしまえばその後は、ただただ嵐が過ぎ去るのを待つしかない。

 

 紙のように薄い装甲の一枚外は、圧力と暗黒が支配する地獄。

 

 轟沈したら最後、一言の声も発せられず孤独に海の底へと消える運命。

 

「全く、世の中旨い話は無いものでち」

 

 と、ため息をついたところで、偵察に飛ばした晴嵐からの無線が入った。

 

 その内容は言葉ではないが、感覚としてその結果がゴーヤに伝わる。

 

 ―――周辺ニ敵水上艦、航空機影ヲ認メズ。我、洋上警戒行動ニ入ル―――

 

「うん、索敵終了!! 早く潜って下の二人にも、この綺麗な夕焼けを見せてあげるでち!!」

 

 海面に寝そべった体勢から起き上がり、機関ユニットにタンク注水を指示しようとしたその瞬間、

 

ゴンッ!!

 

 ゴーヤの頭に何か硬い物がぶつかった。

 

「うみゅう……一体何でちか?」

 

 生体フィールドが発動中なので別に痛いわけでは無いが、ぶつかったものの正体を見極めようとしてゴーヤは首を巡らせる。

 

 目が、合った。

 

 その黒い瞳に夕焼けの朱と驚くゴーヤの顔を映していたのは、木製の古い手漕ぎ船に乗った浅黒い肌の十代前半の少女。

 

 現地の住民だろうか。それにしては目鼻の造りに地中海系のような彫りの深さを感じさせる。

 

 エジプト系の部族か、もしかすると植民地時代の混血児の子孫なのかもしれない。

 

 パーマを当てたような長い栗色の縮れ毛を後ろでひとくくりにしたその先っぽが、薄汚れた白のワンピースの裾と一緒にちらちらと揺れている。

 

「漂流者!? でもさっきまでそんなものは……」

 

 状況が理解できず混乱するゴーヤ。浮上前に観測ブイのカメラで、浮上してからも肉眼と、そして晴嵐でも洋上に何もいないことは確認している。なのに彼女は、それらの監視を潜り抜けて突然ゴーヤの横に現れた。まるで幽霊か何かのように。

 

 木を削って作った武骨なオールを持ち一人船の上に立つ少女は、不思議なものでも見るようにぼうっとゴーヤを眺めていたかと思うと、つい、と何でもなかったかのように視線を逸らして再び船を漕ぎ始めようとした。

 

「ちょ、ちょっと待つでち!! 何が何だか分からないけれど、こんなところに一人でいるなんて危険でち!! ゴーヤが曳航してあげるから、一緒に岸まで戻るでち!!」

 

 船の舳先にしがみ付き、行かせまいとする。

 

 少女はしばらくオールを動かしていたが、やがて船が押し止められているのに気付きその小さな唇を動かした。

 

「Warum gehst du nicht mich gehen lassen?」

 

「……あぅぅ、ドイツ語でちか」

 

 訛りが強くて聞き取りにくかったが彼女の口から紡がれる言語は紛れも無く、今や欧州で標準語の地位を確立しつつあるドイツ語。

 

 ……司令艦としてのゴーヤは、元々現代日本ではドイツ語に縁の無い生活を送っていた。

 

 しかし帝国海軍の基礎教育課程では英語とドイツ語が必須であったことから、艦娘『伊58』の素体となった少女の記憶にはそれらの知識が残っている。

 

 なので、はちほどではないがゴーヤも全くドイツ語を喋れないわけではない。

 

 だが全く違う人間である少女の記憶にアクセスできるということは、ゴーヤの人格を形成する記憶が削られ、その分素体や船霊による精神の浸蝕と同化が進んだ証拠でもあった。

 

(自分のじゃない記憶にはあんまり潜りたくないのに……)

 

 彼女の言葉が未知の言語やフランス語、スペイン語などであれば、言い訳が立ったかもしれないが、解かる言語であれば仕方が無い。これまでドイツ関連の交渉ごとは全てはちに任せていた、そのつけが回ってきたようなものだ。

 

 こんなことならもっとドイツ語の練習をしていれば良かった、と後悔しながらもゴーヤは覚悟を決め、意識を同調。言語記憶の欠片を探り出す。

 

『……どうして、行かせてくれないの?』

 

 再び少女が口を開く。今度は彼女の言うことが理解できた。

 

 その黒い瞳は不満そうにゴーヤを見つめている。

 

『ここは危ない。陸に戻ろう』

 

 なんとか片言のドイツ語で返す。

 

 が、それを聞いた少女は首を振って激しく拒絶した。

 

『嫌。お父さんが待ってる』

 

 すっと伸ばされたオールの先。夕暮れ時でよく見えないが、水平線の向こうに何やら小さな島のようなものが見えた。

 

 あそこに彼女の父が住んでいるとでも言うのだろうか?

 

 それを訪ねるため、一人で深海棲艦の支配する海に漕ぎ出したと言うのか?

 

 ここから島までそれほど距離は無いようだが動力の無い手漕ぎボートで、しかも少女が一人で渡るにはあまりにも遠い。

 

 今はまだ太陽も沈みきっていないし、晴嵐での索敵で周辺数十キロ圏内に深海棲艦がいないことは分かっているが、日が落ちた後にどうなるかは分からない。

 

 そんな中に漕ぎ出すなど、ゴーヤには到底正気の沙汰とは思えなかった。

 

『夜が来る。一人では無理』

 

 少女は再び首を振る。

 

 むむむ、言うこと聞かない困ったちゃんでち、と苦瓜を噛み潰した様な渋い顔になるゴーヤ。

 

 こうやっていてもらちが明かない。少しの時間なら晴嵐をこの子の護衛に付けておいて、先にはちとイクを呼んできた方がいいかもしれない。

 

 ゴーヤが次善策を検討し始めたその時、

 

『大丈夫、一人じゃないから』

 

「……え、他に誰か乗ってるんでちか?」

 

 思いがけない言葉。 

 

 それを確かめるべくゴーヤは船の縁に手をかけ、身を乗り出して中を覗く。

 

 だがそこには彼女以外誰もいない。

 

 古びたロープと傘の歪んだ金属製の小さなカンテラ、それに堅そうな黒パンが一つと水を入れた壺。航海に超・最低限必要なものだけが積み込まれている印象だ。

 

『誰もいない』

 

 ゴーヤがそう言うと少女は、今度は口元に笑みを浮かべながらゆっくりと首を振り、ゴーヤの後ろを指差した。

 

「あっち? ……もしかしてあれでちか、子供の時によくある自分にしか見えないピンク色のゾウさんとか、そういう系の……」

 

 半ば呆れながら彼女の指す方へ顔を向けたゴーヤの視線は、彼女を見つめる別の黒い視線と交錯した。

 

 いや、目では無い。

 

 何の前触れも無く突然世界に現れたそれは、陽光さえ吸収する漆黒の長砲身。

 

 今まさにゴーヤへ照準を合わそうと蠢く、信号機のように行儀よく一列に並んだ正円の砲口が3つ。

 

 16inch三連装砲。

 

「―――深海棲艦ッ!?」

 

 氷柱でも突っ込まれたみたいにゴーヤの背中の毛が一瞬で総逆立つ。

 

 反射的に彼女は少女のワンピースを掴み、無理矢理海中に引きずり込んでいた。

 

 ほぼ間をおかずに海水を揺るがす3つの発砲音が轟く。

 

 少女の乗っていたボートがゴーヤの頭上で砕け散った。

 

(ベント全開注水開始!! 急速潜航!!)

 

 何が何だか分からないが、とにかく今は海の中へ逃げるしかない!!

 

 だが謎の敵はそう簡単に諦めてくれなかった。

 

 砲撃に続いていくつもの黒い影が海面を横切ったかと思うと、ばしゃばしゃと水面に穴をあけて無数の塊のようなものが落ちてきた。

 

(くっ、爆雷まで!?)

 

 ゴーヤの腕の中で少女が苦しそうに身をよじる。このままでは司令艦であるゴーヤはともかく、少女は爆雷の衝撃波と水圧で潰れてしまう。

 

(搭乗モード、この子を乗員設定に!!)

 

 途端に少女の周囲にもフィールドが循環を開始。それを待っていたかのように浅深度に設定された生体爆雷が次々と爆発し始めた。

 

 海の中はペットボトルの炭酸飲料を振り回した時ように、無数の泡が弾けあちこちで暴力的な渦が巻き起こる。

 

 加えて敵艦から放たれるアクティブソナーのピンガーが、ガンガンと容赦なくゴーヤの背中を打ち据えた。

 

(逃げられない―――でも索敵はちゃんとしてたはずなのに、どうして敵に気付かなかったの!?)

 

 姿を見られた潜水艦は、手品のばれた手品師のようなもの。あとは慌てて舞台袖に引っ込むくらいしかできない。

 

 機関を動かすと居場所がばれるため、雨霰と降り注ぐ爆雷の暴風の中を必死に耐えながらゴーヤと少女は深い海の底目指して沈降していく。

 

 早く早く、と心は急くが、機関ユニットに備え付けられた深度計の針は25……30……と遅々として進まない。

 

 徐々に爆雷の投射範囲がゴーヤを取り囲むように、爆発深度設定も正確になってきている。

 

 至近弾――ゴーヤのすぐ横で爆雷が炸裂し、生み出された水圧の衝撃波が薄い装甲を越えて彼女の身体を揺さぶった。背中で艤装がきしきしと嫌な音で唸る。

 

(も、もう、いっぱいでち!! たかが潜水艦一隻に飽和攻撃なんて米帝プレイ、いくらなんでもやり過ぎよぉ!! このままじゃ炙り出されるのも時間の問題-――)

 

 こうなったら最後、浮上して絶望的な砲雷撃戦を挑むしかない。

 

 そう観念しかけたゴーヤの足元から突然現れた黒い影が、猛烈な勢いで水面目がけて彼女の隣を走り抜けていった。

 

 黒い影――牽引用ワイヤーを散歩紐のように引きずりながら疾駆するそれは『まるゆ』-――イクが引っ張っていたはずの運貨筒。

 

 同時にゴーヤのスマホが光り、メッセージの着信を知らせる。

 

 発信元は、はちとイクだ。

 

 先ほどの運貨筒に予め無線発信機と、ゴーヤへのメッセージを仕込んでいたらしい。

 

『緊急事態につきまるゆをloslassen……放出しました。敵が気を取られている間に水温躍層に飛び込んで下さい。そのまま海底谷を伝って東へ、コンゴ川へ逃走しましょう』

 

『イクたちは先に行くのね!!』

 

 こんな時でもわざわざドイツ語を使うはちに苦笑しつつも、作戦を理解したゴーヤはスマホを仕舞う。

 

 と、急に爆雷の雨が止んだ。続いて水中に伝わる発砲音。

 

 敵の狙いが洋上に飛び出した『まるゆ』に切替わったのだろう。

 

 仲間作ってくれた一度きりのチャンス、逃すわけにはいかない!!

 

 深度計の針は既に水面下50mを越えている。

 

 もうそろそろ……と、沈降を続けるゴーヤは、にわかに全身が鉛のように重い水に包まれるのを感じた。

 

 体の沈む速度が鈍くなり、機関ユニットの水温計が急速に低温へと振れる。

 

(あった、温度変化の境界面でち!!)

 

 水温躍層-――海中ではある深度を越えた途端、飛躍的に温度が変化する層がある。

 

 通常は水深500m以上の深海に見られる現象だが、熱帯や日本近海でも夏の間はより浅い場所にできることも多い。

 

 そこは水中に生まれた一種の断層となっており、低温がもたらす海水の密度変化は敵のソナー波を跳ね返す遮蔽幕としての役割を果たす。

 

 潜水艦が追跡を逃れるための場所としてはうってつけ。

 

(助かったでち!! あとは……こいつもおまけに、とっとくでち!!)

 

 艤装に指令。

 

 即座に音も無くギミックが動き、背中から小型の円筒型の機雷が放出される。

 

 ゴーヤの艤装本体から切り離された途端、機雷は盛大に気泡と騒音をまき散らし回転しながら運貨筒の後を追って浮上を始めた。

 

 轟沈欺瞞用の対深海棲艦ダミーマイン。

 

 音響弾をベースに開発された、いわばトカゲの尻尾。

 

 ダミーマインは音と泡を放ちながら浮上し、敵の攻撃または一定の浅さに達すると自壊する。そして中に充填された動物の血や重油、金属破片と共に海面に姿を現し、あたかも艦が撃沈されたかのような演出を行うデコイだ。

 

 機関再始動。

 

 バッテリーからモーターを介し供給された推進力が主機―――潜水艦娘にとっての主機は水上艦のように靴では無く海軍指定の水着だが-――に伝わり、ゴーヤの体はゆっくりと前進を始めた。

 

(にしてもこの子、一体何者でちか?)

 

 彼女の腕の中の少女は、先ほどの爆雷攻撃で激しく揺さぶられたせいか、完全に目を回してしまっている。

 

 父に会いに行くと言ったが、それは本当なのか。

 

 どうしてゴーヤに出会うまで無事だったのか。

 

 何故潜望鏡でも、晴嵐でも見つからなかったのか。

 

 ……深海棲艦が一緒にいると言った理由は……

 

 だがこうして改めてよく見てみると、ごく普通の女の子にしか思えない。

 

(っと、ここで考えても答えが出るわけないでち。さっさとはっちゃんたちと合流して、今後について相談した方が良さそうでち)

 

 再び水面に何かがじゃぽじゃぽと落ちる音が響く。

 

 先ほどのダミーマインに反応した敵が爆雷攻撃を再開したのだろう。だが爆発深度設定が違えば、より深い場所にいるゴーヤにまで衝撃は及ばない。

 

 海域を離れるなら、敵が気を取られている今しかない。

 

 足元の深海にそびえる切り立った海底谷を確認するとゴーヤは、少女の小さな身体を抱きしめながら舵を東へ切る。

 

 そして海上の喧噪を避け水温躍層の重く冷たい海水を掻き分けて、紺色の潜水艦は大陸棚に刻まれた爪痕を眺めながら仲間の待つコンゴ川河口へと転進していった。

 

 


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