『こちらブイン基地跡駐留中のAcht……いえ、はちです。周囲に敵影?見当たりませんけど……』
マイペースそうな、それでいてはきはきした女の子の声がスピーカーから響く。
「ゴーヤはどこなのよ!?」
『伊19と一緒に、先の戦闘で沈没した湾内の海軍艦艇を調査しに……はっちゃんは一人でお留守番。浜辺でゆったり読書中ですね』
無線送信器を握ったまま、雷が電と目を見合わせる。電が頷く。
「はち、あなたもすぐに潜航して海中で二人と合流するの。そのままショートランド泊地の西側に回って、水路の出口沖で別命あるまで浅層待機よ」
『Entschuldigung……つまりブイン基地は一旦放棄するのですか?』
「そう言ってるの!!メールで作戦の変更内容を送ったから、後でゴーヤたちと確認して。分かったら早く潜航開始!!」
『Ja。あ、本濡れちゃう……』
「置いてきなさい!!後で取りに戻ればいいから!!」
じゃぽん、という水音がして通信は途切れた。
「ショートランド周辺海域で哨戒任務中だった五十鈴にも、作戦の変更と泊地棲姫の陸上移動の可能性について通達しました。現在指令通り泊地東側の水路出口に移動中。……また金剛姉様にも連絡が付きました。こちらも周囲に敵影無く、予定通りラバウルに向かって帰投中。なお洋上で低気圧群に遭遇したため、基地への到着は少し遅れるとのことです」
霧島が通信状況を報告する。その都度巨大なタッチパネルになっている執務室の作戦卓、赤と青に塗り分けて表示された海域図に艦隊の現在位置が追加されていく。
「後は飛鷹と愛宕の隊ですね……」
モニターを睨みながら榛名が独りごちる。
「繋がったわ!!」
雷が叫んだ瞬間、スピーカーの向こう側からズドーンッ!!と内臓を震わせる砲撃音が届いた。一瞬執務室が爆発したかと思った。
『―――緊急?今まさに泊地砲撃中なんだけど――ちょっと陸奥、一旦射撃止め!!第三砲塔が?知らないわよ!!加古も古鷹も砲撃中止、止め止め!!』
荒れ狂う連続射撃の暴音を背に、慌ただしい飛鷹の声が聞こえる。しばらくすると爆発音が収まり、聞こえて来るのはちゃぽちゃぽという波の音だけになった。
『ふぅ、お待たせ―――それで用件は?』
「その前に艦隊の残弾量と、泊地棲姫の最終確認時刻を教えて欲しいのです。それと今すぐ泊地に向かって偵察機を飛ばすのです!!」
送信機のマイクを受け取った電が指令を下す。
『事情が呑み込めないけど―――陸奥、加古、古鷹は残弾チェック。隼鷹は彩雲発艦、木曽は艦隊の周辺警戒を!!』
了解!!と第三主力艦隊、ラバウル組の面々が答える。
『先に泊地棲姫の最終確認時刻だけど、第12次泊地攻撃隊の金剛さんが砲撃を開始する直前、一一〇〇が最後ね。私たちはその諸元に基づいて全力射撃を敢行、こちらが帰投フェイズに入った時点で五十鈴隊のあきつ丸が泊地の偵察と着弾評価、そのまま監視閉塞を続ける予定だったと思うけど……』
「事情が変わったのです。救助した西村提督の証言から、泊地棲姫が陸上移動で閉塞を無効化している可能性が浮上してきました」
『なんですって!?でも―――確かにこれだけの攻撃を受けているのに泊地棲姫自身からの抵抗が少ない、いえ、ほとんど無いというのも異常だわ。いいかげん炙り出されてきてもいい頃なのに―――』
戸惑いの混じった飛鷹の声。
水際作戦の反抗によるこちらの被害を考慮して、第二次大戦で米軍が行ったように、総攻撃の事前に砲撃で徹底的に敵の戦力を削ぐ、という決断自体は間違っていない。
それに飛鷹の言う通り、焦れた泊地棲姫が飛び出して来てくれれば、それを全力で叩き潰して海域攻略は成っただろう。
だが、泊地棲姫は動かなかった。朝夕の定期偵察でその姿を確認してはいたが、それ以外の時間、彼女がどこで何をしているかまで想像が及ばなかった。
ここで素直に『砲撃で動けないくらい弱った』と考えて泊地に侵攻していれば、早晩泊地棲姫の不在に気付き、また違った展開があったのかもしれない。
しかし電は決断できなかった。それは金剛や榛名、そして自分を含む他の司令艦たちも同じ。
この状況で皆が思い出したのは、硫黄島で栗林中将が行った持久作戦。米側を想像以上に苦しめ、また上陸した海兵隊に対して3割に近い壊滅的被害を与えたあれだ。誘い込まれての手痛い反撃、全滅覚悟の消耗戦。下手に歴史を知っていたことが、そして敵の抵抗が少なかったことが、逆に罠の可能性を疑わせ、最後の一手を躊躇わせる。
それが悪い意味で、味方の被害を極端に厭う司令艦の心情に上手く噛み合ってしまった。
少しでも抵抗があるのなら危険だ。自分たちが一方的に有利な条件の下、抵抗が完全に消失するまで徹底に叩いて叩いて叩き続けよう、と。
結局泊地への砲撃はだらだらと6日間、第13次にも及び、そして現在に至る。
『残弾出たわ。さっき砲撃を始めたところだったから、消費率7%くらいね。それと偵察結果。泊地内には敵戦艦4,重巡5、軽巡8が小、中破状態で残存―――泊地棲姫の姿は見られない、とのことよ』
「やっぱり、なのです―――泊地棲姫はここにはいない―――」
『それでどうするの?このまま砲撃を中止してラバウルに帰投、体勢を立て直した方が良いかしら?』
「――――いえ」
皆が息を呑んで見守る中、ゆっくりと電が口を開く。
「既にショートランド泊地に繋がる3つの水路の内、東と西の水路には五十鈴とゴーヤを待機させているのです。飛鷹にはこれから南の水路、一番大きく開いた進入路から突撃し、一気呵成に攻めたてて泊地を攻略して欲しいのです!!」
そう、電は自分たちが一転不利になった状況で、あえて進軍を選んだのだ。
『いいの!?泊地棲姫がいないと分かっているのに―――』
「だからこそ、なのです。ショートランド泊地は進入路が限られ、攻めるのが難しい天然の要害。そんな場所をわざわざ敵の手に渡したままにしておく義理は無い。それにここを制圧しておけば周辺海域のどこに巣を作られても、ショートランドから効率的に叩くことができます。お出かけ中のヤドカリ姫には、これを期にヤドナシになってもらうのです!!」
彼女が帰還よりも攻勢を優先する理由はそれだけではない。
半分が低速艦で構成された飛鷹の艦隊は、これからラバウルに戻るにしても時間がかかりすぎる。最悪の場合、ブイン基地もショートランド泊地も失い、撤退途中に追撃を受けてしまうかもしれない。逆にここでショートランド泊地を押さえておけば、敵拠点を潰せる上に今後は味方との挟撃も可能になる。
「既に五十鈴とゴーヤには飛鷹の指示に従うよう連絡しています。攻撃のタイミングと内容は飛鷹に一任するです。危険かもしれませんが、飛鷹を信じているのです―――」
しばらく両者無言の時間が過ぎる。そして、
『了解。そこまで言われて栗田ったら女が廃るわ!!さぁ、ペテンにかけてくれた分は倍にして返すわよ!!』
「ありがとう、なのです!!それでは吉報を待っているのです」
『ええ、期待してて。一旦通信を切るわね』
じゃあまた後で、と軽く挨拶して無線は終了。ため息をついた電が雷から受け取ったハンカチで額の汗を拭う。
「ふぅ、これで大体リカバリーできたはず、なのです。問題は――――」
「未だ連絡の取れない愛宕艦隊、ですね」
再度海域図を見る。
ラバウル基地のあるニューブリテン島東、ラタンガイ島。
その南端沖50kmに帰投中の『金剛』艦隊。
ショートランド泊地、ポッポーラン島とマガセーアイ島に挟まれた南水路沖に『飛鷹』艦隊。
ポッポーラン島とショートランド本島に挟まれた細長い西水路沖に『伊58』潜水部隊。
反対側、マガセーアイ島とショートランド本島に挟まれた東水路沖に『五十鈴』艦隊。
ラバウル基地作戦本部にいるのが『電』『榛名』そして自分『朝潮』。
攻撃部隊の往復航路を警備する役割を担っていた愛宕の艦隊は、縦に長いブーゲンビル島北にある小さなブカ島、その西側沖100kmの海域で消息を絶った。ちょうどそこだけ海域図上でも、金剛からの連絡にもあった低気圧群による雨雲ですっぽりと覆われている。
彼女たちは本来であれば金剛艦隊が帰投した後も海域の哨戒を続け、さらに砲撃を終えた飛鷹艦隊と合流して一緒にラバウルに戻ってくる予定だった。
この世界の通信は深海棲艦のため海底ケーブルが敷設できないことから、旧軍時代のように各島に建設された通信アンテナ、それを補う通信衛星によって成り立っている。
深海棲艦が特殊な磁場を発生させて通信機が使用不能になる、という噂レベルの話はあるが、それ以上に悪天候は通信インフラの天敵だ。
「単なる通信障害だと思いますが、愛宕さんの安否が気にかかりますね」
霧島がモニターを反射した眼鏡をくいくいっと動かす。
「しかし泊地棲姫は超弩級戦艦級。その水上移動速度は25ノットを越えないはずです。巡航速度の実際は20ノット強、時速40km程度と推定されます。例え金剛姉様が姿を確認した一一〇〇、その直後にショートランド泊地を離れていたとしても、現在時刻は一六〇〇。5時間ではブカ島にも到達できません。敵は愛宕さんたちを追って北上するよりも、やはり新たな泊地を求めてさらに南下、ソロモン諸島に向かったと考えるのが妥当と思われますが……」
「―――そうでしょうか。深海棲艦は人の全くいない所には現れません。また西村提督が洋上で泊地棲姫を目撃したというのも、彼らが漂流しながらラバウル基地を目指して北上していた時でした。そして泊地棲姫は、性質的に効率的にシーレーンを破壊できる場所に泊地を設けようとする。以上から考察しますと敵の目的地は……」
地図の上、榛名の視線の先にある場所。
三日月形をしたニューブリテン島北東端。
つまりここ、『ラバウル基地』だ。
「だとすれば飛鷹の着任前に続いて二度もターゲットになるなんて、運の悪い基地なのです」
「呪われた何かでもあるのかしら?」
雷の言葉に医療棟にいる山城の顔が全員の頭をよぎる。
まさか、ね。
「とはいえ霧島の仮説も否定はできません。ソロモン諸島へは一度体制を整えてから、改めて偵察機を飛ばします。今はまず愛宕の安全の確保を優先するのです。現状ラバウルの戦力として、敵火力に正面から対抗できるのは榛名、霧島のみ。少なくとも金剛が戻って補給が完了するまでは、二人を基地から動かすことはできない―――」
と、こちらを見つめる電と目が合った。
反乱を恐れられているためか、司令艦が持てる艦娘は二艦隊分、自身を含めて12人だけ。そして今ラバウルにいるのは榛名の舞鶴組と電、雷、そして自分たち横須賀組のみ。
彼女の言いたいことは分かったが、果たして自分にそれができるかどうか。
「―――お願いするのです。ソロモン海に愛宕を迎えに行ってもらえませんか?」
「私からもお願いします。もし会敵しても戦う必要はありません。愛宕さんと接触して、一緒に帰投すればいいだけですから」
そもそも敵が水雷戦隊の速度に追いつけるわけがありませんし、心配いりませんよ、と優しく微笑む榛名。
「それに阿武隈さんが嚮導するのであれば、問題なく成し遂げられる……」
「いえ、気は引き締めて欲しいのです」
電が榛名の言葉を強い口調で遮った。
「今回の作戦、この海域討伐任務はイレギュラーが多すぎるのです。電のポカだけが原因なら杞憂なのですが……こうまでフットワークの軽い泊地棲姫は、これまで電たちが戦ってきた一か所に留まって同じ行動を繰り返す―――いわゆるゲーム的な敵たちとは毛色が違いすぎるのです。何か嫌な予感がする―――」
改めてこちらに向き直る。そして彼女は、その小さな頭を深々と下げた。
「朝潮、そういった未知の危険も含めて、愛宕の事を頼むのです。大規模な作戦参加が初めての朝潮に頼むのは申し訳ないのですが、今愛宕を迎えに行けるのは朝潮だけなのです。金剛が帰投、補給が終了次第、入れ替わりに榛名にも出てもらいます。だから―――」
「――――ここで引いては女がすたる、でしたっけ?自分も飛鷹さんと同じ気持ちです。任せて下さい!!」
すぐに念じて艦これ母港画面を表示。出撃でイベント海域を選択、出撃決定を押す。これで阿武隈水雷戦隊に出撃命令が下ったはずだ。
「ありがとう、なのです。本来であれば先ほど榛名が言った通り、大した危険は無い遠征任務のはず。ただ、万が一泊地棲姫に遭遇してしまった場合には、遅滞戦闘を行いながら海域を離脱、何とかラバウルまで撤退して下さい。そうすれば後は電たちで何とかします」
「朝潮、武運を祈っているわ!!」
電と雷、姉妹の声に背中を押されて執務室の外に出た。
自分しかいない、そして電は自分を信じてくれた―――左の胸のあたり、まだ小さな膨らみに温かい火が灯るのを感じる。
期待にはちゃんと応えなくては。
廊下の向こうから五月雨と微妙にぐったりした深雪を連れた阿武隈が走ってくるのが見えた。
「そろそろ愛宕さんたち、見つかってもいい頃なんだけどなぁ」
GPSを受信するべくスマホを持ち上げたりひっくり返したりしながら阿武隈がぼやく。
海軍の高速艇に搭乗した阿武隈水雷戦隊は一六四〇ラバウルを出発。船はブランチ湾、ワランゴイ湾を右手にニューブリテン島沿岸を進み、サム・サム湾を過ぎたところで進路を南東に変更。
基地を出てから一時間ほど経過したところで、ニューブリテン島とラタンガイ島の間の水道を北上する金剛艦隊と合流。高速艇とはここで別れ、金剛たちを乗せて引き返してもらうことにした。
さらに進路を東に取り、島影さえ見えない外洋をブカ島に向かいながら探索行動を続ける。
現在時刻一八二〇。
日中あれほど眩しく輝いていた南国の太陽は西の海に沈み、水平線の向こうから申し訳程度の残光を投げかけているのみ。
艦隊の進路、厚い雲に覆われた東の空には、ひたひたと夜が忍び寄ってきていた。
逢魔が時。
阿武隈が早めの航海灯点灯を指示する。彼女を先頭に深雪、自分、五月雨、利根の順に楔形陣形で進む戦隊の背中、機関ユニットの両側に緑と赤の舷灯、そして真ん中に白い船尾灯が燈る。
低気圧の端に突入したのか、風が強くなってきた。
狐の嫁入りか、はたまた狸の提灯行列か。身体が横から煽られて傾く度にちらちら踊る舷灯の群れは、薄暗がりの中をさらなる闇に向かってひた走る。
「しかし、それらしい物は何も見えんのぅ。こう天候が悪くては、偵察機は飛ばせんし……」
「何だか雨も降ってきそうです。うぅぅ……」
曇天を見上げながら五月雨が不安な声で呟く。こうしている間も時折愛宕に向かって呼びかけているのだが、無線機からはノイズばかりで何も応答は無い。せめて彼女たちも航海灯を点けていてくれれば、遠くからでも分かり易いのだけれども。
「なあ、だったら久しぶりにあれ、やってみね~か?」
「あれ?」
「ほら、吹雪たちと演習やった時に使った作戦。あ~何だったっけ、作戦『山城』だったか」
船足を緩めながら深雪が提案する。
「何じゃそれは?」
「作戦『扶桑』ね。皆で人櫓を作って、高いところから遠くを見渡すんです」
阿武隈に説明され、ほうそれは面白い発想じゃの、まあ吾輩の水偵には及ばんが、と、こんな時でもドヤ顔を忘れない利根。
「そうですね!!今なら利根さんがいるからもっと高く……高く……あれ、もしかしてあんまり変わらない……」
前を行く阿武隈と後ろの利根の身長を見比べているうちに、五月雨の声がどんどんトーンダウンしていった。軽巡一小柄な阿武隈と、重巡一小柄な利根。身長差は5cmも無い。
「……何やら失礼なことを言われた気もするが、まあ良い。だが深雪の言う通り、やってみる価値はありそうじゃ」
「わかったわ。じゃあ、あたしのかわりに利根さんが真ん中で……」
「一番上は深雪だな!!五月雨はこの前やったし」
「朝潮ちゃんとジャンケンして決めたら?」
「ええっ!?」
別にそんなつもりは無かったのだが、いつの間にか観察役に立候補したことになっていた。諦めて無駄にやる気満々の深雪とジャンケン。数回のあいこの後、
「しっかりお願いね、朝潮」
「っきしょ~、何で勝てねえんだよ!?」
「あはは……」
阿武隈が機関ユニットから取り出した双眼鏡を渡してくるその後ろで、チョキを出した手のまま叫ぶ深雪。
いや、負けるつもりでずっとグーを出してたら、そっちが勝手に自爆してくれただけなんだけど。
周囲に敵影が無いことを確認。すぐさま土台に五月雨とぶーたれ顔の深雪、その上に利根が仁王立ちになり、櫓の準備が整った。なお演習の時と違ってここは敵性海域のため、阿武隈は櫓に加わらず単装砲を構えて横に立っている。
ツインテールを掴みそうになって怒られながらも利根の背中をよじ登り、櫓の天辺へ。双眼鏡を構えると、合図と共にゆっくりと櫓が動き始めた。
水平線の闇の向こうに何か見えないか、レンズ越しに必死で目を凝らす。
が、
「それらしいものは見当たらないですね……」
しばらくねばって観察を続けたが、成果はあがらなかった。双眼鏡の先にあったのは、真っ暗な水面と夜風に立ち騒ぐ白浪、そして遠くに壁のようにも見える黒いカーテン。
雨が近い。
「ふぅ、愛宕さんこの辺りにはいないのかなぁ。ありがとう、気を付けて降りて……」
ズンッ!!
支えようと手を伸ばしたままの体勢で、阿武隈の動きが止まる。
内臓に響くような重い炸裂音。空気を通して肌と鼓膜に伝わる震動。
これは―――
「砲撃音!?」
「あちらを見よ、朝潮!!」
音の聞こえてきた方向を指差す利根。すぐさま双眼鏡の接眼レンズを目に当てる。
スコールのカーテン、その少し手前で閃光を伴った赤い炎がちかっちかっと輝くのが見えた。
間違いない。
暗くて良く見えないが、誰かがあそこで戦っている!!
「発砲炎が見えます!!また光った……でも視界が悪くて詳しい状況は分かりません!!」
「阿武隈、照明弾を撃て!!何かあっても吾輩の責任で構わん!!」
「ふぇ―――い、いえ、これは旗艦の、あたしの判断で!!」
右手の14cm単装砲から通常砲弾の弾倉を外し、機関ユニットから取り出した照明弾を新たに装填。砲口を利根の指差す方に向ける。
「発射します!!」
ガウンッ!!
低い角度で飛び出した照明弾は、夜の帳の向こうへと飛んでいく。
小さなパラシュートが開くと同時に、中空にぽぅっと咲いたオレンジ色に輝くタンポポの花のような光弾が、暗闇に包まれた海面をゆらゆらと明るく照らし出した。
「愛宕さんの艦隊を確認、全員無事みたいです!!それと―――」
言葉に詰まる。
「どうしたの朝潮ちゃん?何が見えたの?」
「ええい、はっきりせん。吾輩が見てやろう!!」
肩車した状態で利根が双眼鏡を奪い取る。
「む、やはり交戦中のようじゃな。相手は泊地棲姫とイ級駆逐艦が1,2,3―――ぬぅわ!?」
小さく叫んで彼女も言葉を失った。自分が見た光景が信じられないのか、何度も目を擦っては双眼鏡を覗くのを繰り返している。
「おい利根、どうしたんだよ」
「黙ってないで、早く何か言ってくださいよぅ……」
下で支える二人が急かす。ただ、あれを何と表現すれば良いのか。
そう、例えるのならば―――
「戦車です!!」
「犬橇じゃと!?」
同時に違う単語が飛び出した。しかし意味するところは同じ。
「戦車?犬橇?一体……」
「引っ張っているんです!!多数の敵駆逐艦から伸びたワイヤーが―――泊地棲姫を!!」
「な――何ですかそれ!?もぅ、冗談でしょ―――」
いやだなぁ、と阿武隈が引き攣った笑いを浮かべる。
「冗談ではない、紛れも無い現実じゃ!!泊地棲姫の鈍足を駆逐艦が引っ張ることで補っておる―――あれでは高速艦で構成された愛宕たちでも、一度喰いつかれたら逃げられんぞ!!」
普段では考えられないような利根の真剣さに、ようやく事態の呑み込めた阿武隈の表情がみるみるうちに強張っていく。
このままでは愛宕たちには、隊から遅れて脱落した者から一人ずつ食われていく未来しかないだろう。
照明弾もあと数分で燃え尽き、すぐに暗闇が戻ってくる。
猶予は、無い。
「―――――これより阿武隈水雷戦隊は愛宕艦隊の救援に向かいます!!敵進路を塞いで丁字になるよう単縦陣で突入、横合いから思いっきり殴りつけます!!」
皆が見守る中、旗艦の少女からの絞り出すような勇気と、決意の言葉。
「航海灯を消して最大戦速、最短距離で接敵するわ!!全艦抜錨、みんな―――あたしに続いて下さい!!」
『了解!!』
待っていました、とばかりに人櫓が崩され機関ユニットの駆動音も高らかに、走り出した阿武隈の背中を皆が次々に追いかける。誰に指示されるとでもなく、自然に彼女を先頭にした単縦陣が整った。
一本の矢になった阿武隈水雷戦隊は光を目指して、黒い海面を疾駆する。
「こちら阿武隈水雷戦隊、旗艦阿武隈。ラバウル基地応答願います!!ソロモン海洋上で敵と交戦中の愛宕さんを―――」
通信を試みる。が、
「―――駄目じゃ、ノイズが酷い!!やはり本隊への救援要請は、この海域を出なければ届かん!!」
「だったらオープンチャンネルで――――」
すぅっと息を吸い込む。
「愛宕艦隊の人!!誰でもいいから応答して下さいっ!!味方ですっ!!助けに来たんですっ!!」
彼女たちに答える余裕は無いのかもしれない。だが、
「深雪さま参上だぜ!!おい、聞いてんのかよ!!」
「返事をして下さい!!」
「吾輩が来た以上、もう心配はないぞ!!」
皆でインカムに向かってとにかく呼びかける。声が届くことを信じて。
「お願いします―――誰か―――答えて!!」
祈るような五月雨の叫び。それが通じたのか、一瞬だけノイズが途切れる。
『……こち……んたい……くまですわ……』
「聞こえました!!」
艦隊に歓びの空気が流れるが、それも次の通信で凍りつく。
『……奇襲……浜風、長波が大破、龍驤が主機損……高雄さんと三隈で曳航し……船速維持できませ……』
「愛宕さんは―――愛宕さんはどうしたんです!?」
「ちょっと朝潮、何を―――」
悪いと思いながら割り込む。愛宕は、司令艦の彼女はどうしている?
『……たごさ……ひとり……んがりに……』
途切れ途切れだが、何が起きているのかは伝わった。膝の力が抜ける。
ああ―――やはりそうなってしまったか。そうなってしまうのか。
それは消耗できる記憶の続く限り大破轟沈しない、司令艦だからこそできる芸当。
だからこそ仲間を守るため一人で敵に立ち向かえる、その身を盾にもできる―――自分の魂が擦り切れ果てるまでは。
「愛宕艦隊の皆さん、聞いて下さい!!答えてくれなくても結構です!!」
突然阿武隈がマイクに向かって、その小さな身体からは想像できないくらいの大声を張り上げた。
「これよりこの戦場は、阿武隈水雷戦隊が引き継ぎます!!皆さんは海域からの離脱を最優先に考えて下さい!!」
「ちょ、ちょっと、いきなりそんな大見得切ってもいいのかよ!?」
意外にも泡を食ったような声を出したのは深雪だった。
「何じゃ深雪、怖気づいたのか?夜戦は水雷戦隊の華、ではないか」
「し、知ってらぁ!!いっけるいける、深雪さまにお任せだっての!!」
また利根はドヤ顔してるんだろうな。そう考えると少しだけ気持ちが和んだ。
「あ、敵艦が見えました!!泊地棲姫と駆逐艦イ級が……え~と5隻です!!でも本当に駆逐艦が引っ張ってるなんて……まだ信じられない……」
「あいつ深海棲艦の癖に紐なんか持って、犬の散歩でもするつもりかよ!!」
近づくにつれ、交わされる砲火の轟音と硝煙の臭いが漂ってきた。
目の前に現れた泊地棲姫は青白い肌に銀色の長髪、生物ではありえない紅く燃える瞳の持ち主。艦娘の艤装にも似た黒いマントのような装甲と、背中に装備した長砲身の主砲が一際目を引く。
駆逐艦を従えた彼女の姿は、狼を引き連れた古代の女神を模した彫像のように美しい―――が、その美しさは邪神の多くに備わった、触れると危うい類のものだ。
見渡す周囲に、ゲームでは連れていたはずの浮遊要塞と護衛要塞の姿は見えない。
既に愛宕たちによって落とされたのか、あるいは何か裏があるのか……。
「これより艦砲射撃を行います!!撤退援護のため敵全体を散布界に収めながら、5隻の駆逐艦のうち最も突出している真ん中の個体を狙います!!愛宕艦隊の皆さんはこれを聞いたら戦闘を中止して、全力で距離を取って下さい!!」
通信が届いたのか、砲撃音が心なしか少なくなった。
「主砲仰角に構え!!今です―――艦隊全砲門、放ってぇ!!」
ぐわんっ!!
皆の主砲発射音が重なり、一つの大きな咆哮となって夜天を震わせた。
14cm単装砲2門、12.7cm連装砲6門、20.3cm連装砲6門、計24個の砲弾が放物線を描いて、消えかけの照明弾を追いかけるようにして駆ける。
だが、着弾を待っている暇など無い!!
「次弾装填、以降各自のタイミングで撃って撃って撃ちまくって下さい!!」
そう叫びながらも彼女の両手の14cm単装砲からは、次々と砲火が吐き出されていく。
絶え間なく紡がれる主砲弾発射音は、雷の聲かとばかりに天空に響む。
……最初の一発以外てんでばらばらに行われる砲撃は、もちろん一撃必中を狙ったものでは無い。面での制圧。愛宕たちが撤退する間、敵の頭を押さえることができれば事足りる。泊地棲姫を倒せなくとも、その機動力さえ奪えばこちらの戦術的勝利。将を射んと欲すればまず馬から、とはよく言ったものだ。
やがて照明弾が海に落ちた。辺りが急速に暗闇に包まれる。
「みんな、砲撃を止めーっ!!これより戦隊は、可能な限り敵に肉薄して雷撃を仕掛けます!!全艦、魚雷発射管準備!!之字運動開始!!」
陽が落ちたといっても、まだ視界は薄ぼんやりと見渡せた。しかし先ほどの砲撃の効果を確かめられるほどではない。最後まで手は抜けない。
前を走る阿武隈のツインテールを目印に、右へ左へと舵を切りながら、先ほどの砲撃で船足を止めた泊地棲姫と飼い犬たちへ少しずつ距離を詰めていく。
もう敵の表情まで見えるかというところで、阿武隈が右手を高く掲げた。
「逃がさないわ!!艦隊、魚雷発射体勢に移行―――放ってぇ!!」
プシュプシュプシュプシュッ―――
左手の61cm4連装魚雷管、そこから圧縮空気で押し出された魚雷は、黒い海に吸い込まれるとすぐに溶け込んだ。
続いて現れた定規で引かれたような何本もの白い雷跡が、真っ直ぐ泊地棲姫に向かう。
遅れて鈍い破裂音と共に、足元の海面が揺れた。敵の姿は立ち昇ったいくつもの水柱に覆われ、何も見えなくなる。
舞い上がった海水が雨のように海面を打ち付け収まった時、そこにあったのは死んだ魚のように真っ白な腹を晒して海面に浮かぶ5隻の駆逐艦イ級。そして一部装甲が剥がれ落ちた状態で膝をついた泊地棲姫だった。
愛宕が応戦中に入れた横槍だったとはいえ、反撃を受けることなくこれほどのダメージを与えることができたことには、正直驚きを隠せない。
「やったぜ!!深雪さま大金星だ!!」
「落ち着いて、まだ完全に倒したわけじゃないんだから!!」
諌めながら阿武隈は自分の機関ユニットに備え付けの探照灯―――装備アイテムの探照灯ほど光量は無いサーチライト―――を点灯。之字運動を続けながらも少し船足を落とて、大破轟沈した5隻の駆逐艦イ級、その船体を次々と照らしていく。
既にイ級の目の青い光は消え、穴だらけになった黒い外殻からはどす黒い血ともオイルともつかない体液が流れ出し、まさしく死屍累々という有り様。うちいくつかは既に半分ほど傾き海没しかけている。じきに全てが昏い海の底へと還るだろう。
泊地棲姫はくずおれたまま、顔を伏せてぴくりとも動こうとしない。余程のダメージだったのだろうか、それとも罠か。
『―――こちら愛宕艦隊三隈ですわ。当艦隊は無事に海域を離脱。通信も回復し、ラバウル基地とも連絡が取れました。既に榛名さんと霧島さんがこちらに向かってらっしゃるとのこと』
「うむ、作戦目的達成じゃな」
利根が満足そうに頷く。愛宕は無事だったのだろうか?
『そうそう、先ほどは見事な援護をありがとうございました。愛宕さんも喜んでらして、今度お会いしたら皆さんにフリーハグをプレゼントして下さる、とのことです』
気持ちはありがたいが遠慮しておこう。人を駄目にするあの魅惑の柔肉には、抵抗できる気がしない。
それでは後ほどラバウル基地で、ごきげんよう、と通信は切られた。
……三隈、か。
最上型重巡2番艦『三隈』。
かつて電や金剛と共に戦い、記憶と魂を擦り潰し、最期は艦娘として海に沈んだ舞鶴の最上提督―――その妹艦。
艦これでも頻繁に最上の事を口にしていた彼女は、自分の姉が司令艦となったことは知らずとも、戦死したことにどんな感情を抱いているのだろう。それとも西村提督が状況修復を行ったという初風のように、既に最上提督とは別の重巡最上がどこかで元気に暮らしているのだろうか?
なら艦娘とは一体―――。
「あ、あの……後は榛名さんたちにお任せして、あたしたちも撤退しませんか?」
五月雨がおずおず提案する。確かに目的は果たしたのだから、これ以上ここに留まる意味は無い。それにダメージを与えているとはいえ、泊地棲姫に動かれて無傷で済むとは思えない。
「自分もそう思います。暗くなってきましたし、これ以上は―――」
『……オノレ……イマイマシイカンムスドモメ……』
いきなりインカムから女性の声が飛び込んできた。
「ふぁ!?だ、誰、誰ですか今の!?」
驚いた阿武隈が周囲を探照灯で照らす。皆も慌てて辺りを見回すが、先ほどと変わったところは無い。
―――だが、自分はこの声を知っている。そしてこの台詞も。
「朝潮!?」
「朝潮ちゃん、何を―――」
気付いた時には、自然にそちらに向かって船足を進めていた。
「泊地棲姫―――さっきのは―――」
彼女は答えない。
伏せた顔を少し上げ、その真紅に輝く瞳を歪めてにやり、と笑い――白い小枝のような細い人差し指をくいくいっと曲げる。
誘っているのか……。
「馬鹿な!?深海棲艦が話しかけてきたじゃと!?ぬ―――」
「止まって、朝潮!!」
背中に冷たい物を感じて振り返ると、サーチライトの光を反射して鈍く輝く阿武隈の右手、14cm単装砲がその真っ黒な砲口でこちらを睨んでいた。
「阿武隈さん、朝潮ちゃんは仲間ですよ!!どうして砲を向けるんです!?」
「そうだぜ!!撃つんだったらどう考えても敵の方―――」
「二人とも黙ってて!!」
いつにない厳しさで制する阿武隈。
「阿武隈さん、どうして……」
「そのまま黙ってこっちに戻ってきて。何を言われても、何を聞かれても、決して答えちゃダメ。でないとあたしは―――深海棲艦に汚染されたあなたを、ここで処分しなければならなくなる!!」
汚染?処分?言葉の意味が分からない。
「どういうことじゃ?吾輩はそんな指令、聞いておらんぞ!!」
「これは軽巡の任務なんです。敵深海棲艦の姫級には、言葉を話す個体がある。理由は分かりませんがそれらの個体と会話した艦娘がいれば、これをその場で処分。軍令部に報告しなければなりません―――たとえそれが駆逐艦でも―――重巡でも―――」
「何じゃと!?」
つまり場合によっては重巡の利根であっても手に掛ける、という宣告。
「だから朝潮、お願い―――あたしに撃たせないで―――」
砲身が震えている。いくら軍令部の命令とはいっても、本当は仲間に砲を向けたくないのだろう。
ちらっと泊地棲姫の方を見る。彼女はその大理石の女神像のような顔に貼り付いたような笑みを浮かべたまま、こちらの様子を覗っている。
知らぬ間に唇を噛んでいた。
悔しい。すぐ手が届く場所に情報があるというのに―――。
「あのさ、会話がダメだったら話を聞くだけ、ってのはどうなんだ?」
と、場にそぐわない深雪のとぼけた声。
「ぷっ―――くははははっ!!全く、先ほどの人櫓といい深雪は時々天才じゃの」
「時々って何だよ!!」
「まあまあ。褒めておるのだから堪忍せい。で、どうなのじゃ阿武隈?」
笑うのを止めた利根は、鋭い眼光で真っ直ぐに阿武隈を睨みつける。
「え、それは、あの―――あたしは会話してたらダメ、って言われただけで―――」
「なら問題ないな――――分かったらその物騒な代物を仕舞え。軍令部がそうまでして隠す内容、吾輩も興味がある。榛名たちが来るまでの短い間、せっかくじゃから皆で囲んで泊地棲姫の独演会を楽しもうではないか」
のう朝潮、とウインクしてくる。
見かけも言動も子供っぽいけど、この人もやはり一筋縄ではいかないんだろうな。
「さて、まだ沈みきっておらん駆逐艦どもの頭を潰しながら往くとするか」
3つある利根の20.3cm連装砲、そのうち1つが頭をもたげる。
連続する発砲音。
手前で漂流するイ級駆逐艦二隻、その眼光の消えた頭部が同時に擂鉢状に陥没し、ゴムボールのように跳ね飛ばされる。道が開けた。
「ほれ、朝潮。奴の話に興味があるならお主も手伝え」
「…………」
黙って阿武隈の方に視線を向ける。14cm単装砲を降ろした彼女は、ばつが悪そうに顔を背けた。
「―――責めてやるなよ。軍令部からの指令とあっては、あ奴も逆らうことができん。許せなくともせめて、本意でないことくらいは分かってやれ」
「理解はしているつもりです……」
それより軍令部が何故そんなことを指示したのかが気になる。
以前由良との会話で、艦娘の設計思想が深海棲艦と同じ、という駆逐艦には秘密の話があった。さらに高い機密レベルで、艦娘に漏れると困る何かがあるのか?
「うむ、ではもう少し近づくとするかの。皆、吾輩に続くがよい」
なに、いざという時は吾輩が盾になってやろう、と背中で語る利根は、自分も探照灯を点灯し、周囲を照らしながらゆっくりと泊地棲姫に舳を向けた。深雪と五月雨がそれに従う。彼女たちの12.7cm連装砲が火を噴く度、頭を吹き飛ばされたイ級の残骸が海面を跳ねる。
「む、朝潮、阿武隈、お主らも早く来んか」
「で、でもあたしは―――」
「阿武隈―――お主が誰から、どのような指令を受けておるのか詳細はあえて聞くまい。だがわけもわからず仲間を撃ってしまえば―――例え艦娘の任期を終え退役したとしても、その魂に刻まれた慙愧の念は終生お主を苛み続けるであろうよ」
永久に救われる機会を失ってな、と冷たく言い放つ。
「あ―――あたしも知りたいです―――いえ、知っておかなければなりません。それがあたしの責任です!!」
「良く言った。それでこそ我らが艦隊旗艦じゃ」
満足そうに頷く利根。
ふと思いつき、阿武隈に手を差し出す。一瞬その手を取るのを躊躇った彼女だが、すぐに恥ずかしそうに頬を染めて握り返してくれた。
二人で手をつなぎ利根たちの所へ急ぐ。
「しっかしさっきからニヤニヤしてばっかで全然動かねえな、こいつ」
「このまま黙ったままならどうしましょう?」
近付いてみると既に深雪と五月雨は泊地棲姫から10mほど距離を取ったところで、12.7cm連装砲の照準をその頭部に据えている。
不審な動きをした瞬間、容赦なく撃つためだ。
「なに、時間は吾輩たちの味方。榛名と霧島が到着した時点で、こ奴はゲームオーバーじゃ。あとは捕えるも沈めるも思うがまま」
そう言いながらも自分の20.3cm連装砲の砲身をわきわきと動かして威嚇する。
「さて、知っていること全部、ちゃきちゃき喋ってもらおうか……と、これは独り言じゃ」
危ない危ない、と利根が口を噤むと、沈黙がその場を支配した。
5人のサーチライトで照らし出された身動きしない泊地棲姫の姿は、爛々と紅く燃える瞳以外は、彫像として美術館に飾ってあってもおかしくないくらい均整がとれている。
風が少し強くなってきた。光の中で白浪が騒ぎ出す。
耳の奥に万雷の拍手にも思える打音が届いた。スコールのカーテンはもうそこまで来ている。
『……タタカイハ……』
泊地棲姫の青白い唇が微かに動いた。どこか現実感の無い女性の声が、直接と、どういう原理かインカムを通して二重に聞こえる。
『……タタカイハ……タノシカッタカ……』
「なっ――――」
『……ショウリハ……ビミ、ダッタカ……カンムス……イヤ、マケイヌドモ……』
その形の良い口の端を大きく吊り上げ、満面の笑みを、心からの喜びを浮かべる。
敵意や殺意、そんな剣呑なものは無く……まるで久しぶりに会った友人にそうするかのように。
さっきまでの作り物のような表情とは違ったその感情的な仕草に、誰もかれもが息を呑んで見とれていた。
『……オソレルコトハナイ……マモル、ユエツモ……セメル、カンキモ……ミナ、ココニアル……』
―――提督機は、深海棲艦の残骸から艦娘の素材となる『船霊』を分離する装置だったという。ならば深海棲艦が、艦娘と同じく元の歴史の記憶を持っていてもおかしくない。
しかし、だとすればこいつは誰だ?何故、元の世界では無いと知りながら闘争を求める?
『……キオクノオメイヲ……ココデ、ススグガイイ……ワレワレトトモニ……』
「なあ、こいつ何言ってんだ?深雪にはさっぱり―――」
困惑した表情を浮かべて頭を振る吹雪型4番艦。
そうだろう。
この気持ちは、戦場に出たことの無いこの子には決して分からない。
「無念を晴らすため―――」
「朝潮?」
私はあの時には無かった自分の足を、一歩前に踏み出した。
「果たせなかった想いを―――」
「いかん、様子が変じゃ!!こ奴、敵に魅入られておる!!」
「戻って、朝潮!!」
―――今度こそ成し遂げるために―――
「朝潮ちゃん、危ないっっ!!」
右舷が何かに接触した。衝撃と共に船体が傾く。
白露型の6番艦か。船長は何を―――
「きゃぁぁぁっ!!」
突如、眼前にいくつもの水柱が立ち昇る。
敵の砲撃。
攻撃の嵐の中で五月雨の小さな身体は、風に煽られる木の葉のように翻弄される。
砲弾が命中した彼女の機関ユニットは内側から弾けるようにして破裂し、薄い装甲も四散。
剥き出しになった柔肌は爆炎に焦がされ、その長い水色の髪に火が燃え移る。
爆風に吹き飛ばされた五月雨の白い身体は黒い海面に叩きつけられ、2回跳ねた後そのまま海中へと沈んで行った。
『……ごめんなさ…… 私……ここまでみた……』
―――ブツンッ
最期の言葉の途中で無線は途切れ、ノイズだけが鼓膜を叩く。
彼女を飲み込んだ水面には大きな波紋が一つ。
それもすぐ漣にかき消され、跡には何も残らない。
「さ……五月雨ちゃ……」
恐る恐る呼びかけるが、無線機は反応しない。
答える者が、いないのだから……。
「―――あああああぁぁぁぁぁぁぁ――――」
言葉にならない獣の呻きが咽喉の奥から漏れる。
瞬間、黒い人影が視界をよぎった。
「うわぁぁぁっっ!!五月雨っ、先に逝くなぁぁぁぁっ!!」
真っ先に動いたのは深雪だった。
手に持った12.7cm連装砲を投げ捨て、両太腿の魚雷管を外し、全てをかなぐり捨てて五月雨の沈んだ場所へ全速力で突き進む。
途中で背中の機関ユニットを外し、ベルトで片手に提げる。機関が緊急停止し、主機が浮力を失って深雪の身体はみるみるうちに海中に沈んで行った。
「気をしっかりせい、朝潮!!五月雨の事は深雪に任せて、すぐにこの場を離れるんじゃ!!留まっておっては狙い撃ちにされる―――だが砲撃はどこから!?駆逐艦どもは頭を潰して沈めたはず―――」
「あ、あれを見て下さい!!」
周囲に転がる駆逐艦イ級の船体。無様に海面に晒されたその白い腹が不自然に蠢く。
目の前で柔らかい腹部の外皮が裂けた。
「―――なんと!?」
イ級の体内から現れた球状の物体、粘液と体液に塗れたそれは、泊地棲姫の瞳の色と同じ紅の光を纏い、薄暗闇の中で禍々しいその姿を顕わにする。数は5つ。
「浮遊要塞、護衛要塞も!!見当たらんと思っておったら、こんな所に隠れておったとは―――」
「こ、こうなったら泊地棲姫だけでも!!」
要塞群が本格的に動き出す前に司令塔を潰そうと、阿武隈が14cm単装砲を巡らせて発砲する。が、泊地棲姫は大きく跳躍し回避。宙に浮いた浮遊要塞の一つ、まだ液体を滴らせるその下の海面に、音も無く降り立った。
「ぬぅ、小癪な!!」
苦虫を噛み潰したような表情の利根。
一瞬で戦況が逆転してしまった―――自分の不注意のせいで。それに、
「五月雨ちゃん……」
何故自分は敵の誘いに乗ってしまったのだろう。皆を危険に曝すことに比べれば、情報など大したものでは無いのに。
と、泊地棲姫の後方、深雪と五月雨の沈んだ場所で海面が泡立ち始めた。海中から立ち昇る泡は移動しながらどんどん大きくなっていく。
そして海面が一際大きく盛り上がり、ざばぁっと人の姿が現れる。
影は―――二つ!!
『ごほっ、うわしょっぱっ!!ぺっぺっ、っと―――こちら深雪さまだ!!五月雨は助けたぜ!!朝潮、後でちゃんと謝っておけよ!!あ、それと深雪にも何かおごって―――』
海中に沈んだ後、五月雨を捕まえてから機関ユニットを再起動。無理矢理浮力を発生させて浮上してきたのだろう。
嬉しさで思わず滲んだ涙が頬を伝う。
「うん、うん!!何でもするから!!二人とも無事で良かった―――」
そうしている間に深雪に気付いた泊地棲姫が背中の長砲身を動かし、海域から離脱しようとする彼女に狙いをつける。
「深雪、之字運動!!早くっ!!」
『おっと、忘れてたぜ!!』
右に舵が切られ、さっきまで深雪がいた場所に砲弾が落ち、水柱が上がる。
『ざぁっとこんなもんだ!!楽勝だなぁ!!』
「うぅ……危なっかしいんだから」
忠告した阿武隈が頭を抱える。
白い五月雨の裸体をお姫様抱っこで運ぶ深雪は、潜水でバランサーに不具合が出たのだろうか、時折ふらつきながらも之字運動を続け少しずつ海域を離れていく。
「阿武隈、朝潮も、何をのんびりしておる!!深雪が完全に離脱するまで、砲撃で泊地棲姫の気を引き付けるんじゃ!!」
が、それを察したのか5つの球体、浮遊要塞と護衛要塞が泊地棲姫を守るかのように展開。最初の全力射撃でさすがに要塞も傷ついている様子だが、それに構わず丸い身体を挺してこちら側からの射線を遮る。
そうしている間にも深雪を狙っての砲撃が続く。
何とか之字運動で回避しているが、深雪がいつまで避けることができるかは定かでない。
「砲撃が通らない――」
「やっぱムリ―――ううん、でもこのまま諦めるなんてイヤ!!」
空中を上下左右自在に動く要塞は、ただ肉壁になるだけでなくしっかり反撃も行ってくる。おかげでこちらも回避運動をしながらの砲撃になるし、うまく直撃コースに乗った砲弾もガードされてしまう。
ガキンッ!!
急に右手の12.7cm連装砲のトリガーが引けなくなった。見ると既に残り弾数は10%。
警告のロックだ。阿武隈や利根の残弾も同じような状況だろう。
……このまま戦い続けていれば、じきに榛名たちが到着する。
しかしその前に深雪が被弾してしまったら意味が無い。自分たちも弾薬が無くなれば、牽制射撃もできず逃げ回るだけになってしまう。無事でいられる保証も無い。
いや、司令艦である自分は生き残れるだろう。仲間を失って、それでも無様に。
―――司令艦、か。
記憶の消耗に耐えうる限り、決して大破轟沈しない身体。味方の盾になる、と言う方法がメジャーだが、それ以外の使い道は無いのだろうか。
たとえばそう、普通の艦娘であれば轟沈してしまうような危険な攻撃方法、とか。
―――試してみる価値はある、かもしれない。ヒントはさっき深雪が教えてくれた。
連装砲のロックを解除、そして左手の61cm四連装魚雷を再装填する。
「阿武隈さん、利根さん―――自分がこれから泊地棲姫に直接攻撃を仕掛けます。少しの間だけ、敵の注意を引き付けて下さい!!」
「朝潮、正気なの!?」
弾雨を避けながら阿武隈が叫ぶ。
「このままだと皆、榛名さんたちが到着する前にやられてしまいます!!一か八か、自分にやらせて下さい!!」
「お主の提案はこの状況を吾輩と阿武隈の二人で支えろ、という暴論なのじゃが―――それでもやるのか?やれるのか?」
利根の目を見つめながら頷く。
負担が増えるのは承知の上。それでもこの二人なら大丈夫、という信頼もある。
「ふむ、決意と覚悟があるのなら良し!!吾輩は朝潮に任せても良いと思うが、艦隊旗艦殿はどうかの?」
「こんな時に限って旗艦、なんて言わないで下さいっ!!どうしてそんなに簡単に決めちゃえるんですかっ!?それにさっきから利根さん、朝潮に甘すぎです!!何でもかんでも好きにやらせて、あたしじゃフォローしきれないですよぅ!!」
最後の方は少し泣きが入った声。
確かに、言われてみればそうかもしれない。泊地棲姫との接触も、背中を押してくれたのは利根だった。
旗艦の阿武隈としては、好き勝手に動かれると面白くないことも多いだろう。
「むむむ、依怙贔屓と言われては心外じゃが、そう見えても仕方が無いかの……」
思案顔の利根だが、
「まあ種明かしをするとな、実は吾輩、横須賀を発つ時に、朝潮が何かしようとしたら協力してやってくれ、と由良に頼まれておるのじゃ」
「由良姉ぇに!?」
「うむ。最初理由は分からなんだが、共に戦う内に由良の気持ちが少しずつ吾輩にも分かってきたぞ。朝潮は、こ奴は面白い。何を仕出かすか分からん危うさもあるが、見てて退屈せん。もっともそれは、朝潮に限ったことではないがの」
お主も、深雪も五月雨もな、と付け加える。
由良は司令艦の事は知らないはずだが、何か勘付かれていたのだろうか。確かに朝潮にしては不自然な言動てんこ盛りだったのは否定できないけれど。
「わかったわ。不本意ではあるけれども―――由良姉ぇが信じたのなら、あたしも信じてみる!!」
「よし、話は決まったな。筑摩ほどではないが、物わかりの良い妹は好きじゃぞ」
回避運動を止めた利根が、戦場の中央で腕組みして仁王立ちになる。
「これより吾輩は、ここに留まり全力射撃を行う!!利根型重巡の火力と装甲、とくと見せつけてくれるわ!!」
「朝潮、あたしも援護するから、砲撃と同時に仕掛けて!!」
「はいっ!!」
アイコンタクト―――6つの瞳が通じ合う。
「ではゆくぞっ!!」
利根の20.3cm連装砲3つ、計6門が一斉に火を噴いた。続いて何度も何度も、残弾を気にすることなく。その代り彼女に敵の砲撃が集中するが、それを気にした様子も無く攻勢は続く。
まさに弁慶の仁王立ち。
だがぐずぐずしてはいられない。いくら重巡だと言っても、利根にも限界がある。敵の火力が集中してる今のうちにっ!!
発射炎に隠れて距離を取り迂回、泊地棲姫の位置を目視でしっかりと確認した後、大きく息を吸い込んで―――機関ユニットを外して海に飛び込んだ。一瞬阿武隈の『ええっ!?』という声がインカムから聞こえたような気がしたが、気にしない。
南洋なのに少し冷たいが、戦場の熱で火照った体には気持ちがいい。
目を開けると水は想像以上に澄み切っており、水中眼鏡が無くても遠くまで見渡せる。だが魚影は無く、ガラス細工の水槽にでも飛び込んだような不思議な気分だ。
生体フィールドの効果が切れ、服も下着も髪も、海水が全身を包み込む。
機関ユニットのレスキューモードが発動し、頭上の海面で筏が開くのが分かって。
左手の魚雷に諸元入力―――するが、発射はしない。以前訓練で間違ってそうしたように命じる。
ただ、『進め』と。
魚雷のモーターが始動、スクリューが回転を始め、推進力が発生。
走り始めた4本の魚雷は水中スクーターの要領で身体を引っ張る。前はいきなりで驚いたが、それが自分の制御下にあるのならば怖くもなんともない。吹き上がる白い泡を手で散らして隠しながら進む。
海の上ほどではないが、海中も騒がしい。空を利根の砲火が赤く染めると水も血の色に染まり、時々流れ弾が落ちてくる。
後ろで何かが爆発した震動が伝わって来た。
外した機関ユニットだろう。動かないあれはいい的だ。
砲火が煌めいた一瞬だけ海中が明るくなるのを狙って、泊地棲姫の足を探す。
今海上に立っているのは、利根と阿武隈、そして泊地棲姫のみ。厚底の足だからすぐに分かった。
逃げられないように魚雷の爆発のタイミングを少しずつずらして設定。
急かす左手の魚雷管で狙いをつけ―――――発射!!
檻から放たれた猛犬の群れのような魚雷たちは、我先に争って獲物を求め、青黒い水天井に向かってひた走る。
1,2,3……沈黙の時間。そして丁度10秒が経過した時、空に大輪の爆花が咲くのと同時に強烈な爆裂音が空と海中を震わせた。
一度ではない。続いて2回、3回、4回。発射した魚雷の本数と同じ4度の爆発。
艦娘と同じように水上に立ち、水に接触する部分の少ない泊地棲姫相手には、恐らく浮力を生んでいるであろう足元への攻撃よりも本体へ直接の方がダメージが大きいと考えての魚雷攻撃。
突然、青天井から二本の白い足がぶら下がってきた。泊地棲姫の足だ。
ダメージが大きく、浮力を維持できなくなったらしい。ならば海没速度に個体差はあるが、もうすぐ全身が沈むはず――
―――ん?
空に紅い焔が二つ浮かんでいる。
ゆらゆら揺れるそれが瞬きをした。
眼!?
瞬間、海上から突き込まれた黒い槍のようなものが長く伸び、逃げる間もなく鳩尾に突き刺さる。
内臓が、肺が容赦なく押しつぶされ、ごぼっと空気が漏れ出した。代わりに冷たい海水が一気に気管に流れ込む。
苦しい。だが横隔膜を押さえ込まれては、咳をすることさえできない。
槍は銛に刺さった魚でも引き上げるように動き、そのまま強引に海の中から掬い上げられる。
顔と体が海上に出た。これ幸いに空気を吸い込もうと試みるが、息ができない。だらしなく開いた口と鼻の穴から海水を垂れ流すままだ。
引き上げる動きは止まらず、ついに串刺しにされたまま槍は垂直になった。
百舌鳥の早贄。そんな言葉が頭をよぎる。
下を見て初めて、自分の腹に刺さっているのが槍などでは無く、泊地棲姫の背負った長砲の砲身であることが分かり戦慄する。
これから何が起こるかも想像できたからだ。
泊地棲姫―――魚雷の爆発で左腕が不自然な方向に折れ曲がり、顔の左半分も瞼と唇が焼け落ちて真紅の眼球、そして象牙色の歯が剥き出しになった彼女は、それでも笑顔を崩さず――――発砲した。
ガウンッ!!
腹部にトラックが衝突したかのような強烈な衝撃。
気が付くと自分は空を飛んでいた。
時間の流れが妙にゆっくりと感じる。
雨雲が足元に、そして黒い海が頭上に広がっている。ほとんど夜だというのに不思議と視界は明瞭で、遠く地球の丸みを帯びた水平線の向こうまではっきりと見ることができた。
あそこにいるのは阿武隈と利根だろうか。金色と茶色のツインテールで見分けがつく。
阿武隈の両手の14cm単装砲は砲身が破裂し、由良とお揃いの浅葱色のセーラー服の上は破れ、ぼろ布を肩にかけただけになっている。利根は自慢の飛行甲板がへしゃげ、20.3cm連装砲は折れ曲がり、服も左半分が失われてほぼ半裸。
既に二人とも大破した背中の機関ユニットからは白煙が立ち上がっているが、それと引き換えに浮遊要塞と護衛要塞は全て撃沈させたらしい。素直に凄いと思う。
時折見下ろしては―――彼女たちにとっては見上げてか―――何かを叫んでいるようだが、その声は空まで届かない。
少し先に視線を移すと、裸の五月雨を抱きジグザグに疾走する深雪の姿が見て取れた。
―――ありがとう、深雪。五月雨を助けてくれて。
戦争に出ることなく生涯を終えた貴女は、本当は私なんかよりずっと純粋で優しいはず。
どうかこのまま無事に――――
そう思った瞬間、黒煙を吐き出し続けていた深雪の機関ユニットが突然火を噴いた。もんどりうって海面を転がった深雪は、しかし決して五月雨を離さない。
すぐに立ち上がり、再び走り出す。
が、再度機関ユニットが爆発。移動は危険と判断した深雪は、五月雨を守る様にして身を屈めた。
何が起きているのだろう。
見るとすぐ真上で背中の長砲を構えた泊地棲姫が、いつの間にか深雪に向かって砲撃を再開していた。
砲口に閃光が走るたび、深雪の傷が増えていく。
そんな……救助中に攻撃なんて……卑怯だわ……
戦う力も戦う意志も無い……ただ仲間を……大切な人を助けたいだけなのに……
そうしているうち深雪の機関ユニットが一際大きく爆発。燃え上がった炎が機関ユニットから深雪の身体に燃え移る。
だが深雪は動かない。
自分の最期の瞬間まで、その身を挺して五月雨を庇うように。
……やめて……やめてよ……もう……
懇願の意を込めて縋るように泊地棲姫を見る。
が、彼女は目が合ったかと思うと、にっこりと微笑んだ。
そして深雪に最後の一撃を加えようと、視線を砲口の先に戻す。
―――ああ―――やめて―――くれないのなら―――
「――――沈め」
急に時間が元の速さを取り戻した。風切り音が耳元を通り過ぎる。
落下、海面に叩きつけられる直前、左手を伸ばして泊地棲姫の銀髪を掴む。
そのまま着水の衝撃を両脚に込め、はだけられた白い胸元に叩きつけた。
二―ソックスを履いた足の下で乾いた枝のようなポキポキと、姫の肋骨が束になって折れながらメロディを奏でる。
口からごぽり、と黒い液体が漏れる。
髪を引っ張ると、白い唇がだらしなく開いた。
右手の12.7cm連装砲を縦にして突っ込む。
砲身の一つは門歯をへし折り姫の口腔を凌辱する。
砲身のもう一つは剥き出しの紅い左目、その嵌った眼窩に突き刺す。
ばきばきっ、という固い感触と、ぐじゅっ、という柔らかい感触が手元で混じりあう。
グリップのトリガーを引いた。
発砲、装填、発砲、装填、発砲、装填、発砲、装填、発砲…………
機械的に繰り返す単純作業は、しかし弾切れであっけなく終わりを告げた。
砲身を外そうとするが、食い込んで中々外れない。
仕方がないので姫の二つの穴に突っ込んだまま、梃の原理で無理矢理殴り抜ける。
音ばかりはバキバキと鳴るが砲身が折れ曲がっても外れないので、外すのを諦めて力を込めると、砲身は二つとも根元からぽっきり取れてしまった。
これで自由に右手が動く。
連装砲の砲塔、そのグリップを握ったまま大きく振りかぶった。
「沈め」
顔面に砲塔を叩きつけると、砲塔の方がひしゃげてしまった。
「沈め」
今度は金属製の保護カバーが取れてしまった。
「沈め」
三回目で砲塔は完全に崩壊、グリップだけを握った状態になってしまった。
まあ取り回しやすくなっただけだ。
また単純作業の続きに戻ろう。
右手を振り上げ、右手を振り下ろす。
ただその繰り返し。
「沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め―――」
手に伝わる感触は最初硬かったが、次第にこなれてきたのか柔らかくなってきた。
「止めんか朝潮!!そやつはもう動いておらん!!」
右手が動かなくなった。
おかしい。
少し出力を上げると、右手は再び動き出した。
「くぉっ!!機関ユニット無しで15万馬力の吾輩が赤子扱いとは!!」
何やら周りが騒がしい。
「阿武隈、早く強制コードで緊急停止せんか!!」
「やってます!!でもユニットを外した時点で管理上、朝潮は機関停止しているはずなんです!!」
「何じゃと!?ならどうやって止めれば―――」
不意に後ろから何かが被さってきた。
「朝潮、もう全部終わったから!!」
終わった?何を言っているのだろう。戦争はまだ続いているはずなのに。
「もういいの!!戦わなくてもいいの!!深雪も五月雨も助かったから!!」
聞き覚えのある名前だ。
「みゆき……さみだれ……」
「そうよ!!朝潮のおかげで皆無事だったの!!だからもう止めて―――」
ぎゅっ、と後ろから強く抱きしめられる。
気が付くと、いつの間にか雨が降り始めていた。
視線を手元に降ろす。
ずぶ濡れになって冷えきった華奢な身体、破れて下着の見えるブラウスと吊りスカート。
赤黒い血にまみれ、連装砲のグリップだけを握った右手。
端に血のこびり付いた頭皮のぶら下がった、長い銀髪を握りしめた左手。
そして自分の両肩に回された腕、背中に感じる温かい体温。
見上げると、金髪ツインテールの見慣れた少女が、空色の瞳に涙を浮かべていた。
「あぶくま……さん……」
「ええ……お帰り、朝潮……」
急に体の力が抜けた。両手に持っていたものが滑り落ち、海に沈む。
「こちら阿武隈水雷戦隊、利根じゃ。泊地棲姫の海没を確認。だが全員満身創痍での。悪いが回収艇を頼む……雨?じゃから急げと言うておるに!!」
ここは……空が……遠いなぁ……。
利根の通信を子守唄にして、もはや限界だった意識は深い海の底へと沈んで行った。