恋ぞ積もりて 淵となりぬる   作:鯛の御頭

91 / 118
本日2話目。

長くなってしまいましたが、四葉継承編はここまでです。

甘い話が書きたい(/・ω・)/
十師族会議編は甘さ増量したい。



四葉継承編6

達也が部屋を去った後、真夜は昨年11月上旬の出来事を思い出していた。

横浜事変の後始末、灼熱のハロウィンで四葉家内部も隠蔽工作に忙しかったが、この日の来訪者に四葉家は静かな緊張に包まれていた。

 

「よい茶葉ですね」

「口に合ったのならばよかったわ」

 

四葉家の中でも最上の来客のために用意された応接室で、真夜が対面していたのは九重悠だった。

 

九重家は四葉家にとって特別な意味を持つ。

かつて真夜と七草弘一の縁談に苦言を呈したことも一因となっているのか、それとも都市伝説めいた噂話がそうさせるのか、気の抜けない相手であることは間違いないことだった。

 

「最近はゆっくりお茶を楽しむ時間もあまりなくて、こちらこそありがとうございます」

 

世間は未だ横浜への大亜連合の特殊部隊の侵攻と朝鮮半島で起きた謎の大爆発のニュースに持ちきりだった。

それに関しては四葉も四楓院も無関係ではないことでもあり、悠の話の内容次第では真夜が指示している達也や深雪の個人情報の操作についても方針を変更する必要がある。

達也と国防軍との関係は秘匿すべきものであり、朝鮮半島の爆発も日本の非公開戦略級魔法師であると他国に嗅ぎ付けられるのは困る。

既にUSNAが調査名目で日本に魔法師を派遣しようと外交で圧力をかけてきており、水面下で日本は胃の痛い交渉に臨んでいると真夜は耳にしている。

 

「それで、私にお願いだなんて一体何をさせる気かしら」

 

悠がこのタイミングで現れたことに、真夜は警戒しないわけにはいかなかった。

お互い表面上はにこやかに会話をしているものの、部屋の空気はいつ荒れてもおかしくはない静けさを保っていた。

 

 

「その前に確認を一つさせていただいてもよろしいですか」

「何かしら」

 

悠はゆったりと持っていたカップをソーサーに戻した。

特に意識していなくてもそれだけで絵画が成立してしまうかのような細部にまで気品の漂う所作だった。

 

「深雪ちゃん、調整体でしょう」

 

悠は恐ろしく整った優美な笑みを携えたまま、まるで明日の天気を尋ねるかのような気軽さで真夜に質問を投げかけた。

いや、質問の体裁を取ってはいるが、あくまで確認といったように悠にはなんの疑問も驚きも浮かんではいない。形式上の確認作業だった。

 

「あら、どうしてと言う問いは貴方には不要ね」

 

深雪ですらまだ知らない、四葉家でもまだごくごく限られた者しか知らない真実を悠は簡単に告げて見せた。

自身の声に驚きは滲んでいなかったが、真夜はこの時点で警戒のレベルを引き上げた。

 

真夜にとって衝撃は大きかったものの、すぐさま千里眼ならば深雪が調整体であることなど知っていても不思議ではないと感情を鎮静化させる。

千里眼の能力のすべてを知るわけではないが、文字通りこの国のことならば現在だけではなく、過去未来すら全て見通せると噂されている。秘密は全て知られているという前提でありながら、不用意なことは口にはできない。

 

「ここからは私の推測ですが、彼女は達也の伴侶となるべく肉体的にも霊体的にも調整された。調整によって近親間での遺伝子異常も精神的な異常も発生しない。しかし、異常は発症しないとしても最善、最良の相手ではない」

「仮にそれが事実だとして、貴方のお願いと関係があるのかしら」

 

悠の推測はまさに事実と変わりないものだった。

現状、真夜はただ深雪が調整体であるという事実だけで、悠が揺さぶりをかけてきているわけはないことは分かっている。

深雪が調整体であることは表沙汰にされれば確かに四葉にとっては不利益を被る部分もあるが、仮にそうなったとしても雅と達也の婚約が内密に決まっているため、九重も無傷では済まない。

雅と達也の婚約解消の名目に使えなくはないが、そもそも二人の婚約は九重から持ち掛けられたものであり、当初の真夜の計画を考えれば四葉にとっての不都合は軽微なものだ。

 

「深雪さんを私の妻にしたいと考えています」

「本気?」 

「ええ」

 

真夜の予想とは全く異なった回答に、それが嘘や冗談の類のものではないことは聞くまでもなく悠の眼が語っている。

 

「調べてみます?遺伝子の相性」

 

ある意味究極のプライバシーとも言える遺伝情報を解析してよいなどとは普通、一般人であっても魔法師であっても口にするものではない。特に魔法師の遺伝情報は文字通り国の魔法師研究の一端であり、仮に研究所出身ではない家系であったとしても軽々しく調べてよいと言うべきものではない。

遺伝情報があればどんな疾患を抱えているのか、将来どんな疾病にかかる可能性が高いのか、さらに提供されたサンプル次第ではクローンだって生み出すことができる。

しかも調べるのは悠ではなく四葉家が行っても良いという事に、悠の本気度が伺える。

 

「貴方なら最良だと?」

「私が語るより結果を見た方が納得されるかと。雅の遺伝情報もお持ちなのでしょう」

 

確かに四葉家は雅の遺伝情報も悠の遺伝情報も所持している。

悠が口を付けたカップに付着した唾液からも遺伝子サンプルは採取でき、当然雅のサンプルも同じように保管されている。

当然、四葉家にはその遺伝情報を秘密裏に解析する設備と人員があり、配偶者として相応しい遺伝子のパターンを導き出すことも可能だ。

 

「もう一つ聞くわ。なぜ深雪さんなのかしら」

 

このタイミングであることも不可解だ。

九重家として考えるならば雅と達也の婚姻ではなく、次期当主である悠の婚姻を優先するはずだ。

雅と達也の婚約は先々代当主の千代が結んだことだが、悠と深雪の縁は見えなかったという事なのだろうか。それとも意図してこのタイミングでの申し出であるのか、今の段階では判断が付かなかった。

 

悠は真夜の言葉に少し驚いたように目を丸くして首を傾げる。

少々彼にしては子どもらしい仕草だったが、演技めいた素振りのない自然な仕草だった。

 

「恋に理由は必要ですか」

 

そして至極当然と言わんばかりに悠は優美に微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

数週間後、真夜は秘密裏に調べた二組の遺伝子鑑定の結果を受け取った。

結果は単純に個人が持っている遺伝的な要素の特性だけではなく、仮に達也や深雪の配偶者とした場合、生まれてくる子どもの魔法師としての可能性も記されていた。

対象については検査をする者もごく限定し、かなり秘密裏に行ったため、その混じりけのないデータと分析結果は真夜の背筋を凍らせるのに十分だった。

 

真夜は結果が表示された紙を机に放り投げ、天井を仰ぎ見た。

 

「ふふふふっ………あはははははははは」

 

最初は零れるようにして小さく、やがてまるで少女のように高らかに真夜は笑った。

傍に控えていた葉山の記憶にある限り、このように彼女が高笑いどころか大声をあげて笑う様を見ることは随分と久しいことだった。

 

「奥様」

「ごめんなさい、葉山さん」

 

葉山に一声かけられ、一息ついた真夜は目尻に溜まった涙をハンカチで拭った。

一瞬乱心したかと錯覚するような見事な笑い様であり、落ち着いた今でも真夜の眼は興奮が冷めていない。

 

「九重の【千里眼】。私は見誤っていたようね」

 

いつからだろう。

いつからこれは編まれた(意図)だろうか。

10年、20年ではない。

30年以上前に真夜を大漢から救ったことも、あまつさえ空木譲の犠牲も、この時に至るための布石であったように、もしかするとそれより遥か遠くから、千里眼は見ていたのだ。

魔法師の中枢の一角、その中でも四葉家(触れてはいけない者たち)を抑え、やがて世界を破壊する力を持った達也(戦略級魔法師)を抑えるその術を。

それに至る道筋を。

 

「そのための四楓院家『守護職』かと」

「ああ、確かにそうね」

 

彼女は巫女でも、舞姫でもなく、この国の守護を任ぜられた。

時に刃としてこの国を敵から守り、時にこの国が抱える刃の鞘となる。

いずれ世界に復讐するための魔法からこの国を守るために生み出された。

 

「彼女も同じだったのね」

 

彼女もまた、達也のためだけに生まれたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

 

2097年、元旦。

慶春会の朝は使用人だけではなく、客人である達也や深雪もめまぐるしく忙しかった。

朝早いことには二人とも慣れているが、流石に和風着付け人形とされ他人に全て着付けをされるという作業には慣れなかった。

他人に衣装を着せられることは達也は勿論のこと、艶やかな振袖となると帯も堅いため、深雪一人では難しい。

達也は断固拒否したが、更に化粧までされるとなると疲れは倍増し、1時間経ち身支度が終了したところで深雪も達也も早くも帰りたいという感情が頭を占めていた。

 

一度控室に通され、呼ばれたら広間へ向かうようだ。

控室には夕歌、文也と亜夜子がおり、達也と深雪が入るとすぐに案内役である水波が文也と亜夜子を連れて行った。

待ち時間の間、夕歌から不可解なアドバイスをされたのが気がかりだったが、達也と深雪も待ったと思わない程度の時間に呼ばれることとなった。

 

「次期当主候補、司波深雪様及びその(おん)兄上様、おなーりー」

 

水波の口上に、達也は膝が崩れかけ、深雪も笑いを堪えるためかこめかみが引きつっていた。確かに夕歌の忠告がなければ、みっともない姿をさらす羽目になっただろう。

さらに使用人が一斉に平伏するのを見て、ひょっとしてどれだけ表情を取り繕えるのかという試験なのではないかと達也が現実逃避をしてしまうほどだった。

 

達也と深雪は早々に、所作だけは丁寧さを注意して膝を付き、一礼する。

達也と深雪が案内されたその席にざわめきが起こる。

しかも達也が深雪より真夜に近い席にいるため、達也には鋭い視線がいくつか向けられている。深雪としては非常に腹立たしいことだが、祝いの場であるここでそれを注意すべくもなく、感情を落ち着かせることに神経を割いていた。

 

達也の正面には新発田勝成と堤琴鳴がおり、こちらは席順で言えば勝成が3番目、琴鳴が5番目に位置する。和装の勝成は堂々と座っているが、隣の琴鳴は居心地の悪そうにも見える。

 

「皆様、改めまして、新年おめでとうございます」

 

席がすべて埋まったところで、金糸の豪奢な刺繍のされた振袖の真夜の声がざわめきを一瞬にして止め、続いて来客が合わせて「おめでとうございます」と祝いの言葉を揃えて口にした。

真夜はその様子に満足げに左右を見回した。

 

「今日は新年のお祝いもありますが、合わせて三つのおめでたい話題を皆様にお伝えすることができます。私はこれを心より嬉しく思います」

 

真夜は視線を勝成に向けた。

 

「まず初めに、この度、新発田家の長男、勝成さんと堤琴鳴さんが婚約されました」

 

これにはいくつかのざわめきが起こった。

どうやら「まさか」というより「やっとか」や「ようやく」という声が多く、二人の関係性を真夜が認めたという事に対してのざわめきのようだ。

 

「これから先、楽しい事だけではなく、色々と苦労も多いでしょうが、今は二人の前途に祝福をお願いします」

 

会場から拍手が沸き上がる。

真夜の”苦労も多い”という言葉に頷いていた者たちも多く、どうやらこの者たちは勝成支持とみても問題ないだろう。

拍手が収まると、真夜は視線を深雪に向けた。

 

「もう一組、婚約が調(ととの)いましたことをお伝えます」

 

真夜の言葉には予想外の者が多く、年齢からみて夕歌だろうかと視線を向けたり、逆に次期当主候補筆頭と目されている深雪かと勘ぐる視線が飛び交う。

文弥や亜夜子に向けられる視線がないわけではないが、誰なのだろうかと二人とも我関せずといった態度であるため、早々に視線は外れる格好となった。

真夜の言葉を待つかのようにざわめきが下火になったところで、真夜は焦らすようにゆったりと間を取った。

 

「司波深雪さんに、九重家次期当主、九重悠さんとの縁談の申し出がありました。四葉家としてはこれを受け入れ、正式に二人の婚約を結ぶ運びとなりました」

 

一瞬の静寂の後、今までにないざわめきが広がった。

真夜が手を挙げて制すると、無駄口は一旦止んだ。

話題の中心となっている深雪は粛々と真夜の方を見ており、隣に座った達也には昨夜の動揺からは抜けたように見えた。

 

「これは四葉家と九重家の婚姻になります。達也さんと深雪さんを私の甥と姪であることを公表し、魔法協会を通じて正式に発表する予定です」

「失礼ながら真夜様」

 

真夜からの発表はまだ途中だったが、新発田家当主の(おさむ)が前のめり気味に食って掛かった。

 

「なんでしょうか」

 

不躾だと言われかねない行動だが、真夜は理の発言を許した。

 

「深雪さんが九重家に嫁ぐため、司波達也と九重家の長女との婚約は破談となったということですか」

「いいえ。達也さんと雅さんの婚約についても正式に発表されます。九重家からの要望で魔法協会への発表は1月14日になりますので、二組の婚約についてはまだ内密にお願いいたします」

 

決して漏らすことのないようにと真夜の言葉には圧力が滲んでいた。

九重家はこの時期非常に忙しいため、少し時期が落ち着いてからという事、まだ主だった家々に内々の発表が済んでいないこともあり、2週間後の発表となる。

 

「次期当主候補が一人減りましたので、次期当主の選定を見直し、新たに司波達也さん、黒羽亜夜子さんも次期当主候補とします。皆様の関心事でありました次期当主につきましては、数年を目途に指名いたします」

 

使用人も含め、ここにいる者たちは真夜の意図を察した。

九重の直系を嫁入りさせる相手が、ただの分家当主や護衛役ということはいくらなんでも外聞が悪すぎる。最低限、四葉家が用意できる最高の地位となれば四葉家当主に他ならない。

その証拠と言わんばかりに達也が真夜に次いだ位置に席を設けられていることからも伺えるだろう。

 

次期当主候補の一人である新発田勝成に調整体魔法師との婚約を認めたことから分かるように、真夜に彼を次期当主にするつもりがないことも同時に理解できる。

 

いくら真夜が達也を当主に据えるつもりだと言外に示しているとはいえ、達也のことを出来損ないだと軽んじていた者や達也の持つ力を理解する者たち、罪の意識を持つ者にとっては、表面上取り繕ってもいきなり敬うことはできない。

達也にとってこの場で向けられる視線は慣れたものだが、これがいずれ嫁ぐ雅にも注がれることになると考えると気分のいいものではない。

宴会の場であるため、不穏当な視線を咎めるつもりはないが真夜の言う通り、少なからず分家当主の承認は取り付けておくべきなのだろう。

 

 

 

 

その後、余興がてら達也が見せることになった新魔法『バリオン・ランス』の威力に、敵に回すべきではないという認識を植え付けられたことはこの慶春会数少ない収穫だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

慶春会を終えた達也と深雪は、1日は四葉家本宅に宿泊したが、2日目の昼には東京の司波家に戻っていた。

達也が急に変わった使用人の態度に嫌気がさしたのと、急に次期当主として真夜のお気に入りとなっている達也に媚び諂おうとする者が出てきたため、早々に荷物を纏めて帰宅することとしたのだ。

 

交通渋滞とは無縁とも言える現代のインフラであっても、年末年始は多少混雑は避けられず、幸いピーク時ではなかったため、席も確保することができた。

 

深雪は自分の部屋に戻り、部屋着に着替えるとようやく一息付けた気がした。

31日に真夜に告げられた悠との婚約以降、深雪はどこか自分が夢でも見ているような気分だった。

いっそ非現実的な夢ならば夢だとは思えるのだが現実的でありながら、実際起きていることが腑に落ちない奇妙な感覚を味わっていた。

緊張からそう感じるのだろうが、これまで自分が抱えてきた葛藤は何だったのだろうかという気にもなる。

 

仕方のないことだと理屈では分かっていた。

兄と姉のように、困難がありながらも支え合い、思い合える素敵な関係が築ける相手だなんて憧れながらも夢見ていられないことは知っていた。

それでも選ぶことは許されないと理性が冷や水を浴びせてきた。

いくら淡い期待を持ったところで儚い希望に過ぎない。

諦めて心を殺すことで自分を保っていた。

 

自問自答するしかない、兄にも姉にも告げられない、心の滓を悠にだけは口にできた。

それはなぜなのだろうか。

友人たちにはとても気軽に話せない自分の複雑な立場を知りつつ、自分よりももっと重い九重家という次期当主という地位を持っていたからだろうか、年上の包容力というものがあったからだろうか、それとも神のごとき(かんばせ)にまるで懺悔している気分だったのだろうか。

 

深雪には分からない。

悠の真意が分からない。

なぜ、自分を選んだのか、そもそもどうして自分なのか、一体いつから決めたことだったのか。

深雪は荷解きも途中だった鞄の中に入れた桐の箱から手のひらに乗る小さな陶器を机に置いた。悠が深雪に“おまじない”として渡した口紅だった。

慶春会の当日に、仕上げのために重ねて使ったが、豪奢な衣装に負けない強い発色をしていた。

しかしひんやりとした陶器は何も語らない。

 

深雪は溜息をつくと、紅を元の箱に仕舞い、化粧台の棚に入れた。

 

気分転換にお茶でも入れようかと深雪が部屋を出ようとしたところで、携帯端末が着信を告げた。

友人からの新年のあいさつはすでにメッセージアプリで元旦に届いている。

特に電話なら殊更珍しい。

 

深雪を心配した雅からならば良いが、まさか婚約を知らされた父だろうかと嫌な予感が過りつつも、ディスプレイに表示された名前に深雪は小さく喉を鳴らした。

表示されていたのは【九重 悠】という文字だった。

タイミングが良いのか悪いのか、予想をしていなかった相手に深雪は混乱する。

電話のコールが1回響くごとにまるで心臓の音まで大きくなっていくような気がしていた。

そのコールが6回目を告げたところで深雪は半ば勢いで通話を押す。

 

『もしもし』

「悠お兄様っ」

 

掛けてきた相手はまさに悠だった。

深雪はさらに心臓が早鐘を打つのを自覚する。

 

『あけましておめでとう、深雪ちゃん』

「おめでとうございます」

『驚いた?』

「驚いたどころではありません」

 

深雪の動揺などまるで手に取ったように、電話口で悪戯が成功した子どものように忍び笑いをする悠に思わず深雪の声は大きくなる。

 

『嫌だった?』

「誰もそんなことは申してはおりません。そんなことではなく、悠お兄様は――」

 

深雪はそこまで言葉にしたところで、口を噤んだ。

自分は何が聞きたいのだろうか。

先ほど思っていた疑問が次々に頭の中に再度浮かんでくるが、どれも電話で聞くべきことではないような気がしていた。

 

『まだ混乱しているかな。顔合わせが12日にあるだろう。その時にゆっくりと時間は取ってもらえそうだからその時に』

「……分かりました」

 

九重家から深雪と悠の婚約の申し出はあったものの、それは真夜との非公式の会談の結果であり、体裁上の顔合わせが必要となる。

1月12日、真夜や達也と共に出向き、正式に顔合わせを行う予定になっている。

深雪にも確かに冷静に受け止める時間が必要だった。

 

『そうそう。この前は言い忘れていたけれど、僕が口紅を贈るのは後にも先にも深雪ちゃんだけだよ』

 

悠はじゃあ、またと言い残すと通話を終了した。

電話を掛けてきたのは悠だが、この三が日にあまり時間がない中、掛けてくれたのは深雪でもわかる。その気遣いは理解できるが、できるならば婚約について叔母の口からではなく、悠の口から聞きたかったものだと心の中で悪態を付く。

 

ふと深雪は悠の残した言葉が気になって、その場で端末で贈物としての口紅の意味を調べてみた。そして深雪は達也が声を掛けるまで部屋から出ることは無かった。

 

 

 




感想、誤字脱字の指摘ありがとうございます。

寒い時期ですが、皆様体調にはお気をつけて良いお年を。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。