恋ぞ積もりて 淵となりぬる   作:鯛の御頭

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お姉ちゃん、常々口にはしてたけど、本当に弟の方が先に結婚決まったよ・・・
鯛の旬は春なのに、こっちにまだ春はこないね(´・ω・)

おめでとう。夫婦そろって一緒に幸せになれよ







動乱の序章編3

四月九日

 

入学式から二日、まだ勝手がわからず右往左往している新入生は毎年見慣れた光景だ。

入学直後の新入生の一日目、二日目はガイダンスと履修登録、一科生はそれに加えて教師について回って上級生の行う実験や授業の見学が主である。二科生には指導教員がつかないため、各自で見学する授業を決めるようになる。

 

「人集まってきたね」

「そうね」

 

分厚い防弾ガラスで区切られた見学室には、多数の1年生が集まっていた。

二日間ともどこで見学をするかは生徒に委ねられているが、教員と回る生徒は団体で行動しているため、場所によっては混雑する場合もある。

 

「お目当ては雅かな?」

「私?」

「部活連会頭。古式魔法師の大家、九重直系の姫君。四葉家次期当主夫人。肩書だけみれば、興味を惹かれるのは間違いないだろう」

 

スバルが見学者にちらりと視線を向けるのに合わせて、雅も見学者を一瞥する。

見たところだが、一科、二科共に特に偏りなくいるようだった。

 

3年次にもクラス替えが行われ、深雪、ほのかはA組、雫、雅はB組と引き続き分かれていた。

クラスが変わらない生徒もいれば、変わる生徒もいるわけで、B組は昨年いたエイミィがC組になり、里見スバルがB組に移動していた。

今回はB組単独の演習ではあるが、他の学年や他のクラスでも演習が行われていることを考えると確かに集まっている人数が多く見えた。

 

「それよりスバル、四葉家次期当主夫人って何?」

「司波君の嫁だからじゃないのかい」

 

厳密にいえば、達也はまだ候補の一人であり、雅とも結婚していないため、その表現は間違っているのだが、雅はわざわざ訂正しなかった。

この手の肩書は本人がどう言ったところで既に歩き回っているのならば、訂正するだけ時間の無駄だということを理解していた。

本音を言えば訂正したい気持ちではあったが、からかわれるのが加速するだけということも加味したうえでのことだった。

雅は不本意だと言いたげな様子で顔をわずかに顰めるだけに留めたが、スバルはやれやれと肩をすくめた。

 

「そういえば、エリカが新入生に唾つけたって聞いたけど、本当かい?小体育館でデートしていたらしいじゃないか」

「見込みのある生徒を剣術部に案内しただけよ。剣術部部長からも勧誘ではないって釈明書が部活連と生徒会に持ってきていたから」

「へえ。見込みがあるとはいえ、エリカがそんなことするとは思いもよらなかったよ」

 

学年でも指折りの美少女であるエリカの顔は広く、尚且つ竹を割ったような性格から、男女問わず人気がある。

しかし人気者にもかかわらずこれといった男女の噂はなく、今回の一件は枯草に火をつける勢いで広まっていた。

 

「そう?エリカって面倒見がいいから」

 

千葉家の門弟にも慕われ、テニス部の後輩からも同輩からも頼られ、剣術部や剣道部とも顔なじみであるが、八方美人というわけではなく、姉御肌の側面が強い。

声をかけた男子は三矢家とのつながりがあるということで、それなりに腕が立つから剣術部に顔つなぎをしたと雅は考えていた。

 

「雅、交代」

「わかったわ」

 

先に実験の練習を終えた雫がモニターの前から順番待ちの列に戻ってきていた。

平坦な表情に見えて、若干くやしさの滲む声に、点数が思うように伸びなかったのかと雅は入れ替わるようにモニターの前に立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三矢詩奈は、クラス担当の教員とクラスメイトと共に3年B組の実習の見学に来ていた。

3年生ともなれば高度な実験をするのだと見学者用の説明モニターに目を通しつつ、来たのがやや遅かったせいか、見学用の窓の前には生徒が既に多数並んでいる。

詩奈はあまり身長が高くないため、直接実験の様子を視認することができない。モニターでも実習映像は見ることができるが、実際の的までの距離感はモニター越しより直接見た方が分かりやすい。

かといって図々しく人垣に割って入るのも躊躇われた。

 

「三矢さん」

「詰めたらこちらに入れますわ。どうぞ」

「え、あっ」

 

背伸びをしてどうにか見ようかとしていたところで、前にいた女子生徒たちが間を詰めてくれた。

小柄な女子生徒なら入れる隙間に詩奈は他のクラスメイトに遠慮する暇もなく、手を引かれてガラスの前に収まった。

 

「あの、ありがとうございます」

「いいえ。これから雅お姉様(・・・・)が実演されるのですから、モニター越しでは勿体ないですわ」

 

雅お姉様と随分親しい様子の呼び方に一瞬首をかしげたが、雅のファンかもしくは親戚かなにかだろうとあまり気には留めず詩奈はその姿を探した。

 

 

詩奈が見学に来ていたのは遠隔魔法実験室、通称「射撃場」だ。

縦500m、横100m、高さ20mの演習エリアは、全国に九つある魔法科高校の中でも広いものだ。

射撃場と呼ばれるように、素焼きのクレーを飛ばせたり、地面や天井、はたまた側面の壁からランダムに表示される的を狙ったり、障害物を設置して、その向こうの標的だけを射抜いたりと、遠距離での射撃訓練に主に用いられている。

かつて九高戦の種目として取り入れらえたスピードシューティングなどもこの射撃場が使用されたり、放課後には生徒の自主練習や部活動にも貸し出しがされていると兄たちから聞いていた。

 

魔法師にとって、物理的な距離は数値上の変数でしかないが、距離が離れれば離れるほど難しいと感じてしまえば魔法の成功確率は下がる。

逆に言えば、どれだけ離れていようと正確にその座標がつかめているならば魔法は成功する。

名だたる魔法師ならば人工衛星等を使用した観測によって、地球の反対側の土地に魔法を打ち込むことすら技術的には可能である。

尤もそんなことが現実的に可能なのは使徒と呼ばれるような指折りの魔法師だけではあるが、詩奈の身近な遠距離魔法の使い手と言えば七草真由美であり、彼女は遠距離魔法の名手として一高に数々のトロフィーをもたらしている。

 

そして今回3年生に課されたのは、射撃場にランダムに表示される的当てだ。

10㎝四方から50㎝四方まで10cm刻みの木製の的が用意され、距離と的のサイズによってポイントが割り振られている。

的は天井や壁に格納されていて、ブザーと同時に出現するが場所やサイズ、的の方向は毎回異なるため、その的ごとの位置を把握し適切な力で的を破壊する必要がある。

さらにお邪魔ギミックのような破壊禁止の青い的も一定数用意されているため、これを破壊してしまうとそのポイント分がマイナスとなる。

簡単に言えば、近くて大きい的ほど点数が低く、遠くて小さい的ほどポイントが高く、青い的に当たれば減点となるというわけだ。

 

視覚支援系魔法が得意ではない生徒のために、術者の手元のモニターには実験室と的が3Dと2D形式で表示されており、標的が赤、破壊禁止の的が青の点で表示されている。

制限時間3分で100個の的を狙い、残り時間は点数に加算される。

標的の位置は個人ごとに違っても、総ポイントは同じになるように計算されて的は出現するため、どんな位置にも対応できる魔法の応用力に加え、速さと正確性が求められる。

 

使用するCADは、汎用型と特化型が用意されており、あらかじめ起動式がセットされたものや、個人で自由に調整するCADも用意されている。

不可視の弾丸(インビジブルブリッド)』など標的に直接加重を掛ける魔法や、振動系魔法で的を共振させるもの、ドライブリザードのようにドライアイスを射出するもの、移動魔法で破壊した的の破片を他の的に当てて破壊するものなど多岐にわたる。

自分で調整すれば得意魔法を使用できる反面、CADのスペックはそれほど高くないため、課題をこなすだけならともかく、高得点を狙うとなれば何かしらの工夫が必要だ。

 

 

今回の演習では、実験室を横長に使うようで、一人当たりの割り当てエリアは、100m(奥行き)×250m(横幅)×20m(高さ)となっている。

演習用のエリア前に立った雅は長い黒髪を頭の低い位置で三つ編みのお団子にして纏め、透けるように薄い桜のモチーフの髪飾りで上品にまとめている。

特別緊張した様子には見えないが、まっすぐ伸びた背筋は凛々しく集中しているのが伺える。

 

開始を告げるランプが音とともに、青、黄、赤と点灯すると、一斉に的が出現する。

数秒、おそらく10秒にも満たない時間だ。

雅は動かなかった。

雅の隣で演習をしている男子は、的に空気弾を当てて一つずつ破壊しているが、雅は拳銃タイプの特化型のCADを構えたまま、モニターを見る素振りすらない。

皆が首を傾げた次の瞬間、雅のエリアで的のいくつかが砕けた。

 

そこからはもう一瞬のこと。

モニターの赤い的は、一度に10個は消えていく。

おそらく使用しているのは的の表面一点に加重をかけて破壊する『破城槌(はじょうつい)』で、変数として複数の位置を瞬時に処理しているのだと詩奈は理解した。

 

「すごい…」

 

思わずそんなことを呟いたのは詩奈だけではない。

複数に照準を定める技術は一桁の数ならば訓練次第で習得可能ではあるが、二桁の標的を個々に認識するとなれば単純に魔法力だけではなく、才能に左右される分野である。

遠距離にある標的を10個同時に識別し、連続して高速で魔法を使っていてもさらに全く息切れする様子がない。

しかも一度たりとも標的以外のダミーに当たる気配がない。

正方形の的は全て正面を向いているのではなく、術者から見て斜めに傾いていたり、薄い側面しか見えなかったり、ダミーの後ろに隠れていたり、直接視認できない物も含まれている。

それでも誤射一つなかった。

 

視覚支援の魔法を使っているのだろうが、それを並列処理して、尚且つ同時に10個の破壊。

魔法演算領域の処理能力の高さはそれだけでも優れているとわかる。

ガラスに張り付くように食い入ってどんな魔法なのか詩奈が観察しているうちに雅の演習は終わってしまい、タイムはまだ1分以上余っていた。

見学者の1年生だけではなく、3年生のクラスメイトも驚いているようだった。

 

「では、向かって右側の演習エリアで使われた魔法が分かる人はいますか」

 

詩奈とは別のクラスの引率の男性教師が1年生に問いかける。

 

「的が直接割れていたので、不可視の弾丸ですか?」

 

ガラスの一番前で演習を見ていた詩奈とは、おそらく別のクラスの男子生徒が率先して答えた。

 

「なるほど。不可視の弾丸は魔法をかける面ではなく、圧力そのものの情報を書き換える魔法であり、作用点を直接目視する必要があります。魔法式が小さい分、並列処理には向いていますが、今回の演習のように遮るものがあれば使用は難しいでしょう。着眼点は悪くありませんが、正解ではありません」

 

教師は他に分かる者はいるかと問われたが、しばし誰も答えない。

詩奈としては、使われていた魔法の一つに『破城槌』があることは分かったが、視覚支援系の魔法が分からなかった。

雅は古式魔法に長けていると聞いていたが、手にしていたのは特化型のCADのみだ。

ここからでは特殊な呪符や媒体は確認できなかった。

B S魔法、先天的な異能(Born Specialized)を有しているかとも考えたが、確証はない。

誰もが答えない中、詩奈を見学用のガラスの前まで引っ張ってきた女子生徒が控えめに手を挙げた。

 

「使われていた魔法は『破城槌』と精霊魔法による『視覚同調』です。破城槌は不可視の弾丸と異なり、圧力をかける面全体の情報を圧力がかかった状態に書き換える必要がありますが、変数として作用の範囲を的の最小サイズの10センチ四方に設定することで、処理の負担軽減を図っていたと考えます」

「その通りです。使用する魔法を限定すること、効果範囲や威力に関する変数を定数として魔法式に組み込むことで、複数に対する照準へリソースを割いているのでしょう。芦屋さん、精霊魔法による視覚支援も説明できますか」

「はい。精霊魔法による感覚同調は影響下に置いた精霊からイデアを経由したリンクを通じてリアルタイムに情報を取得する技術です。視覚・嗅覚・味覚・聴覚・触覚の五感の中で、視覚の感覚のみ同調させることでより鮮明な映像を脳裏に映すことができます」

「正解です。熟練の術者ならば同調を複数の精霊と行うことも可能です。開始から一射目までのタイムラグ、その間に精霊の喚気は行われていました。口元が動いていたのに気が付いた人はいますか」

 

大半の生徒が聞きなれない精霊魔法の説明に、興味深そうにうなずいている生徒や言葉の意味は理解できても想像がつかないと言ったように隣と話し合っていた。

古式魔法の大家とは聞いていたが、本当に息をするように魔法を使用しているようだった。

詠唱すらわずか数秒で行い、精霊魔法を使いながら複数の的の同時照準、マルチキャストの才能も高い。

流石はあの四葉家次期当主の婚約者。

並の魔法師ではないと理解していたつもりだったが、その片鱗すら詩奈には測りきれないものだった。

 

 

 

 

 

 

 

新入生は初めての高校生活に浮足立っているが、上級生もクラス替えもあってか、新しいグループで談笑したり、なじみのメンバーで食事に向かったり、環境の変化で同じく浮足立った雰囲気だった。

クラス替えがあると言っても一学年200人に満たないため、3年生ともなれば同級生であれば顔と名前のどちらかは一致するのが大半だ。

一科二科で教室の建物が異なることもまた同じではあるが、一科の中でも気負わずにエリカはB組の教室に入ってきた。

 

「雅、ご飯食べましょ」

「ええ。食堂?」

 

雅たちは3年生になっても変わらず、いつものメンバーで食事をとる機会が多い。

演習の関係で時間がずれたり、生徒会室の役員は生徒会で食べたり、部活で集まったり、ほかのグループに声を掛けられるのはままあるため、毎日というわけではないが、集まる頻度は高い。

特別約束はしていないが、集まれる人がいれば集まるといった緩やかな集まりだ。

 

「部活連の部屋って空いている?」

「大丈夫よ。美月や西城君も?」

「美月は美術部のみんなと一緒。レオは部活の後輩と食べるって。二人とも今日から新歓だから打ち合わせだって」

 

春の新入生部活動勧誘期間は、雅が入学したころにはお祭り騒ぎ、争乱騒ぎで取り締まりに忙しい時期ではあったが、今年はどこも委縮しない程度に大人しいだろうと見込まれている。

理由は言わずもがな、生徒会長のご威光である。

馬鹿をしてお兄様とお姉様の手を煩わせるようなことがあれば、季節は冬へと逆転することがわからない愚者はこの学校には存在しない。

活気あふれる新歓にはなっても、場所や時間をめぐっての争いや新入生の取り合いなど、例年に比べればトラブルは少ないと言うのが大半の生徒の見立てだ。

ちなみに生徒会や風紀委員、部活連は例年並みの警備体制であることは明記しておく。

 

 

閑話休題

 

部活連の執務室のカギは、部活連の会頭である雅と補佐を務めている十三束と五十嵐が管理している。

主に部活連執行部の会議で使われるほか、昼休みに開放して異なる部活動同士のランチ交流会も時々行われる。

生徒会とは異なり、機密情報はなく、審問会なども開かれるため、人の出入りは生徒会ほど厳しくない。

 

「助かったわ。面白半分に変な話が回っているみたいで、なんかこう生暖かい目で見られて居心地悪いのよね」

 

エリカは購買で買ってきただろうパンを机に並べ終えると、腕を天井に向けて大きく伸びをする。

 

「剣術部から釈明文が上がってきていたから、理由は知っているけどほどほどにね。エリカは顔見知りが多いし、西城君と夫婦漫才していてもそれ以外に浮いた話は聞かないから、余計にみんな興味を持っているみたいね」

「やだやだ。あんな野蛮な男なんてこっちから願い下げよ」

 

冗談でもやめてと言いたげに、エリカは手を振った。

 

「自分から話題にして言うのもなんだけど、雅って情報通の割には波風立てず騒ぎ立てず、深く聞かずいてくれるから助かるわ」

 

エリカは昨日の放課後、遭遇した1年生を剣術部に連れて行った。

矢車三郎という少年は、今年の新入生総代、三矢詩奈の護衛として教育を受けていた。

護衛とはいえ、主人の身を守るための暗器術は中々珍しいものではあったが、思った以上に魔法の才能が伸びず、護衛の任務は切られていたそうだ。

本人の習得している技術は矢車本人から聞いたが、護衛を外されたその経緯を知ったのはエリカが自宅に帰ってからのことだった。

どことなく自分の才能に見切りをつけて燻っているのは見て分かったが、要は使い方次第の才能であることは昨日の時点で分かった。

強くなりたいと指南を申し出てきた三郎に、剣道部と剣術部が使用している闘技場で稽古をつけたところだ。

あまり後輩にお節介を焼くタイプではないとエリカ自身自覚していたが、それを見た一部から面白おかしく騒ぎ立てられるのは不本意極まりない。

 

その為こうして態々食堂ではなく、人目のない部活連の執行部まで昼食をしに来たのである。

雅もその経緯が分かってか、矢車のことを下世話に聞いてくることはしないでいてくれることがエリカにとって有難かった。

 

「噂なんて悪意がないからと言って、こちらが不快に思わないわけではないってことがもっと身に染みてわかってくれると有難いわよね」

「まったくもって同感よ」

 

エリカは激しくうなずくと、力任せにパンの包装を開けた。

 

 

 

 

「そういえば、エリカのお兄さん、もうすぐ退院だそうね」

「おかげ様で順調よ」

 

昼食も中ごろに差し掛かったころ、雅はそう切り出した。

エリカの兄であり、千葉家の実質的な跡取りである千葉寿和は、雅にとって一、二回顔を合わせただけのあまり接点のない相手ではあるが、雅の守りの一つが使われたとあって、八雲(叔父)が気を掛けていた。

入院後は彼に使われた邪法の影響もあったため、八雲は祓った後も何度か見舞いがてら経過を観察しており、今回の退院の話も聞いていた。

 

「どうしたの」

「あー、うん。まあ、別にもうちょっと入院していてもムカつく奴と顔合わせなくても済むかなーって。それに、熱心にお見舞いに来てくれる人もいるみたいだし」

 

エリカは嬉しいのか、腹立たしいのか、あまり気乗りしないような表情だった。

 

「ひょっとして藤の花がつぼみを付けたのかしら」

「藤の花って―――まさか雅の差し金?」

「違うわよ。横浜の一件から顔見知りということは知っていたけれど、さすがに人様の恋愛事情に首を突っ込むほど私も物好きではないわよ」

 

エリカが驚いたように雅を問いただすが、雅にしても口にはしてみたものの思わぬ話だった。

 

「まあ、それは置いておいて、兎も角、一度、あのバカ兄が雅にもお礼を言いたいって。なんかあの御守りのお陰で助かったって言っていたみたいだけど、何か特別な魔法道具とかだった?」

「それは古式の秘術ということにして頂戴」

 

雅がエリカに危機的状況が迫っているかもしれないと思って渡した御守りは、九重の中の秘術も秘術。

生まれてから三つ渡される守りの一つであり、基本的に他人に渡すようなことはしない。

一生使うことがなければ僥倖。

既に三つすべてがその役目を果たした雅には次がない。

それでも雅は後悔していなかった。

そしてそのことを誰かに話すつもりはない。

一瞬、達也や深雪の姿が浮かぶが、すぐにその思いを打ち消す。

悲しい顔をさせてしまうのは分かっていた。

 

「実際その辺、本人も記憶が曖昧らしいわ。気づいたら鎌倉駅前の警察で倒れていたそうよ。傷から推測して胸ポケットに入れていた御守りに鏡が入っていて、それが致命傷を防いだんだろうって。ただちょっとね」

 

エリカは言葉を選ぶように沈黙した。

 

「無理に話さなくてもいいわよ」

「ううん。雅には聞いてほしい。あの時、稲垣さんに使われた死者を傀儡にする術があのバカ兄にも使われていたみたいで、それに反発するのに随分と負荷がかかったみたいなのよ。術自体は八雲さんに祓ってもらって問題ないみたいなんだけど、退院は決まっても、復職どころか魔法師としてもやっていけるかまだ分かんないって」

「そう」

 

雅は八雲から経過は聞いていたが、エリカが語るとその言葉は身に染みるようだった。

 

「正直、あのバカ兄のことは別にどうだっていいと思っていた。私にむやみに突っかかってきたり、稽古っていう名前の理不尽をぶつけられなければね」

 

エリカにとって、尊敬の対象の次兄とは違い、長兄の寿和は千葉家当主である父よりも顔を合わせたくない相手だった。

不真面目な態度はともかく腕は認めるし、当たりがつらい理由もエリカの出自も関わっていることとは理解しているが、的確に自分の心の奥底に秘めたものを貫いてくる。

それが一々エリカの癇に障る。

だが、少なくとも長兄は剣士としてのエリカを認めていた。

長年の確執はあった。

仕事柄、多少怪我はしても、皮肉を言うくらいで、あの兄に対して心配なんかしたことはなかった。

 

「でもさ、命が危ないって聞いて、やっぱりショックだった」

 

集中治療室に何日も入り、生死の境をさまよい、室内には存命を告げるモニターの音だけが響く空間。

薄氷の淵に裸足で立っているような恐怖に、時間だけがただ無情に過ぎていくあの空間が、今でも鮮明に思い出される。

 

「絶対犯人を許さないと思ったし、理由もなく病室の前を行ったり来たりしててさ、一応あのバカ兄も兄で家族なんだなって」

 

エリカにとって尊敬する次兄以外、いや尊敬する次兄ですら家族という感覚はあまりない。

唯一の家族はもうこの世にいない。

今の千葉の家では、弟子や師はいても、同じ敷地に暮らしていても、便宜上家族と呼べる間柄の人間としか思っていなかった。

家族というより、弟子や門人を含め、全て身内という広い括りにしか思っていなかった。

気兼ねなく本音で話し合えるような、無条件に安らぎを与えてくれるような、温もりのあるものではない。

味方はしてくれる。

あれこれに千葉の名前を多少使っても咎められないほど、認められてはいる。

学費や日常生活にかかわる費用は出してもらっている。

それでもエリカは家族と呼ぶのは対外的にだけだった。

 

「私は強くなりたい。どんな理不尽に巻き込まれても、どんな相手が立ちふさがっても、自分も周りも、何も失わずにいれる強さが必要だと思ったの」

 

身近な者が理不尽に命を奪われる。

それがどれほど憎らしく憤りを感じ、自分の力を嘆くことになるとは知りたくもなかった。

それと同時に今頃になって気が付く自分に大いに呆れ、何より苛立った。

 

 

「雅はどうして強くなれたの」

 

エリカは雅に問う。

 

「達也君の隣に立つって決めたことも、深雪のそばにいるっていうことも、普通の覚悟だけじゃできない。普通の努力だけじゃ足りない。言葉通り血の滲むような研鑽が必要でしょう。達也君の優先順位は揺らぐことはない。それでも雅は決めたんでしょう」

 

達也が生まれ育った家の名前は既に世間に知られている。

エリカは公表される以前から気が付いてしまったが、知ってからですら底の見えない実力に軽口をたたきながら、畏怖を感じている。

単純な魔法戦闘力だけではない。

圧倒的な力を持ちながら、単にそれが魔法だけで成り立っているわけではないことをエリカは知っている。

どれだけ鍛え上げられたものなのか、いったい何時の時期からどれだけの密度でどれほど厳しい訓練を課されてできた力なのか、知ることすらできない。

そんな力を持っているがゆえに理不尽に巻き込まれるのか、それとも疫病神に愛されているのか、いずれにせよエリカたちは巻き込まれる。

 

無論、高校からの付き合いのエリカですらそうなのだから雅はもっと多くのことを経験しているはずだ。

それに耐えられるだけの実力ではない。

その理不尽を制し、時には達也を支え、これからもそうである事をできるだけの力を持つためには、並大抵のことではない。

肉体的な強さだけではなく、その隣に立っていられることが許されるために、どれだけの時間とどれだけの決意をかけてきたのか、エリカには想像すらできない。

 

「エリカの言うとおりよ。達也は揺らがない」

 

雅の瞳は一瞬の迷いや不安の揺らぎも見せなかった。

 

達也の絶対は深雪だ。

それは今でも変わらない。

深雪だけが、彼の心を強く動かすことができる。

雅に割いてくれる心が一欠けらでもあること自体、今でも奇跡のようなことだと思う。

義務感からではなく、愛おしいもののように雅に触れる手にいつも胸が締め付けられるような幸福を感じる。

 

「でもね、私も全てを達也にあげられるわけじゃないから、一緒にいられるのかな」

 

達也が深雪という唯一の指針があるように、雅にも行動の指針となるべきものは存在する。

 

「達也君と深雪以外に?」

「私は末席だけれども、神職よ」

 

全てにおいて優先すべきは仕えている神々であり、日々の神事である。

神様に心穏やかにお過ごしいただくこと。

そして預けられた地を守ること。

そのための名前と力を授かっている。

名を授けられるに足りる鍛練を積んでいる。

 

「だから、今は心しかあげることができないの」

 

この身も、この名前も、全て彼の方のものである。

達也にあげられるのは、彼を思う心だけ。

移ろいやすく、不確かで、眼には見えない、それでも確かに存在する。

そんなものしか、雅は達也に渡せるものがない。

言葉や態度にいくら示したとしても、絶対ではない。

 

「お互いが揺るがない物があるからこそ、背中を預けて立っていられる」

「そんな風に言われるとなんかカッコいい感じがするわね」

「ううん。凄いことだと思う」

 

少し照れ臭そうに言う雅にエリカは首を振った。

無条件で達也の隣には立てない。

それでも無条件に与えられるものがある。

なんの打算もなく、なんの抵抗もなく、なんの特別なことはない。

それは他ならない、愛と呼べるものではないのだろうか。

 

 

 

 

 




6月に魔法科高校の新刊発売です。
楽しみですね(*゚∀゚)

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