恋ぞ積もりて 淵となりぬる   作:鯛の御頭

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二話投稿です
師族会議編8からお読みください。

そしてこの話を読むときは、空調を確認し、ブラックコーヒーや濃い目の緑茶をご用意ください。




師族会議編9

「雅先輩、昨日はありがとうございました」

「なっちゃん達、どうしたの?」

 

翌朝、学校に登校し、授業の準備をしていると後輩が呼んでいると言うので、廊下に出てみれば、部活の後輩が半ベソになって待っていた。

 

「3年の先輩たちは雅先輩にちゃんとお祝い渡されて、おめでとうってちゃんと言ってたのに私たちなにもしてないって思って………」

「発表前で論文の仕上げと準備に忙しかったのもあるけど、司波先輩の事にびっくりしたのもあったりして、でも、結局雅先輩優しい、カッコいいし、論文ほぼ先輩がいないとできなかったです」

「だから、先輩、本当にありがとうございました。これ、よかったら司波先輩と食べてください」

 

そういって差し出したのは、高校生が手を出すにはちょっとお高めの洋菓子店の紙袋だった。今日は2月14日、バレンタインデーだ。

 

「要するに、昨日の発表のお礼と、今更おめでとうの一言も言っていなかった申し訳なさと司波先輩との婚約祝いと、消え物で食べて自分たちの不甲斐なさを忘れてくれたら嬉しいっていう魂胆の貢ぎ物」

 

由紀君が後ろの方でひとり、ため息を付くように呆れながら説明してくれた。

 

「ゆきりん、酷い。それバラさない約束!」

「事実だろ。てか、ゆきりん言うな」

 

なるほど。そういう事なら貰わないわけにはいかないだろう。

幸い、まだ舞台までもう少し日があるため、こういった物は食べることができる。

 

「ありがとう。またお返しは考えておくわね」

「いえ、お返しなんて」

「気持ちだけで嬉しいです。受け取ってくださってありがとうございました」

 

それだけ言うとなっちゃん達は急いで教室に戻っていってしまった。

 

「行っちゃった」

「そのまま貰ってください。あとお返しは鐘撞堂(かねつきどう)の揚げ餅が嬉しいです」

「分かったわ」

「それじゃあ」

 

彼も2年の教室に来るのは気まずかったのか、足早に教室に戻ってしまった

 

「おはよう。それ、後輩から?」

「おはよう、雫。昨日のお礼だって」

 

席に戻ると入れ違いで雫が登校してきていた。

 

「今年は何個かな?」

「数えるようなものじゃないでしょう」

「でもほら」

 

雫に促されて先ほど戻ってきた教室の入り口に視線を向けると、教室を覗き込んでいた1年生と思われる生徒と目が合った。

 

「あの子たちも雅のお客さんじゃない?」

「まさか」

 

昨日の見学者はそれほど多くはない。

しかも昨日の今日で感激したからといって、態々接点のない先輩にチョコレートを持ってくるのか疑問だった。

 

「九重さん、1年生が呼んでいるよ」

「ほら」

 

雫の思った通りだといわんばかりの表情が、なんだか居心地が悪いものだった。

 

 

 

 

 

 

昼休みともなると、学内はすっかり浮足立った雰囲気になっている。

朝から、女子同士や憧れの先輩、同級生にチョコレートが飛び交い、逆チョコなる男子から女子にチョコレートを渡す姿も見られる。

浮かないニュースが多かったばかりに、こういったところでガス抜きになっているのだろう。

 

琢磨はそんな光景をわき見しつつ、食堂に昼食を取りに来ていた。

ちなみに琢磨の元にも、今朝机の上に可愛らしいラッピングの小箱が置かれていった。匿名なのは残念だが、かなり朝から浮足立ってしまったのは事実だ。

 

込み合った食堂の一角では、なにやら同学年と思われる女子生徒が琢磨を見ながらソワソワとしている。

バレンタインともなれば、女子が手に持っている小さな紙袋の中身はおそらくチョコレートだろう。

こんなところで渡されるとは思わなかったが、少しずつ自分の活動が実を結んでいるのだろうとネクタイを直したり、髪が変になっていないかチェックする。

 

「クラスで渡すより、今だって」

「だよね、行こう!」

 

二人は琢磨の方に向かって決意をもって歩き出した。

相手からの文言とそれに対するスマートな受け取り方を頭の中でシミュレーションしていると、二人はなぜか琢磨を通り過ぎて行った。

何故だと思い振り返ると、二人は顔を赤く染めながら、一人の先輩の前に立っていた。

 

「九重先輩、コレ、受け取ってください!!」

「私もどうぞ受け取ってください!」

「発表素敵でした。また発表があれば見に行きます!」

「ありがとう」

「「きゃあああ」」

 

まるで一種のアイドルのイベントのようだった。

確かに九重先輩の顔は悪くない。

しかし、なぜ女子が女子にチョコレートを渡すという事をするのか。イベントの趣旨を考えれば、まったくもって非生産的ではないのか。

しかも部活の後輩でもなければ、接点がどこにあるかもわからないような後輩からチョコレートを貰っても、九重先輩は平然と嬉しそうな笑みを浮かべていた。手馴れているとしか言いようがない。

 

「七宝、どんまい」

 

それを見ていたのだろうか、十三束先輩に肩を叩かれた。

 

「十三束先輩、九重先輩はなにをしたのですか?」

 

なにかしら部活に所属している生徒たちの間で、一高の誰が一番チョコレートを貰うのかと言う賭けが行われていると聞いたことがある。

賭けと言っても、部活の当番とかジュース1本とか目くじらを立てるようなものではない、お遊びのようなものだ。

一番人気が九重先輩と聞いて、それはないと一蹴したが、誰かがもしかしてチョコレート票の操作でもしているのだろうか。

 

「今日の校内新聞見ればわかるよ」

 

十三束先輩は遠い目をしながら、歩いて行った。

あの人はこんな日でも、人気を掻っ攫っていくのかと琢磨は闘志を燃やしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「バレンタインだけど、一条君はチョコ何個貰った?」

 

一条将輝はこれがまだ食事を口に入れる前で良かったと思わざるを得なかった。

明け透けと聞かれたエリカの質問は、今日将輝があまり聞かれたくはない質問の一つだった。

朝からクラスメイト他、同級生にいくつかチョコレートと思われる小箱を押し付けられているところを、運悪く深雪にも見られてしまったのだ。

深雪とはクラスが違うため、せっかく会えたので挨拶の一つでもと思った瞬間の出来事だったので、ショックは大きかった。

 

「何個でもいいじゃないか」

 

ぞんざいな口調になってしまったが、エリカ相手には変に遠慮している方がずかずかとアレコレ質問されてしまうと、ここ数日の付き合いだが将輝は分かってきた。

しかも深雪の前で何個貰ったかなんて答えたくはなかった。

まだ将輝と深雪は恋人でもなんでもないが、女子からチョコレートを貰うことはまるで浮気がばれたかのような、どこか居心地の悪さを感じている。

 

「七個」

 

だが、将輝の思い空しく、雫が答えてしまった。

 

「ふーん。午前中だからまだそんなものか。午後までには私は二桁行くと思うな。あ、雅はいくつ?」

 

将輝に向けるよりも、からかいの笑みを深くしたエリカは身を乗り出すように雅に問いかけた。

 

「去年1年生で断トツ貰っていたでしょう。今年も二桁確実でしょう。昨日も随分と凄かったみたいだから、午後からまた増えるんじゃない?」

 

そして、将輝がこの話題を口にしたくなかったのにはもう一つ理由がある。

クラスメイト(仮)かつ、目下将輝が思いを寄せる深雪の義姉かつ九重悠(恋敵)の妹という複雑な思いのある九重雅が、誰よりもチョコレートを得ているという事実だ。

 

「今のところ紙袋1つ分。20個は越えたよね」

「雫、何で知っているのよ」

「数えていた」

 

やはり将輝が貰った数より多かった。

休み時間になると、ひっきりなしに彼女の所には来客があり、必ずチョコレートなどの包みを持ってきていた。

先ほども受け取ったのか、机の上には申し訳なさげにチョコレートと思われる小さな紙袋が置いてある。

チョコレート程度で張り合うつもりはないが、実習の時の優秀さといい、何かと彼女の方が優れていると思い知らされる。

 

「雅さん、モテますねえ」

 

美月のやや場違いな、だが間違ってはいない言葉が的確に将輝の胸を突いた。

そもそも将輝自身、テロリストの捕縛のために東京まで出てきているのに、既に色々と敗北を味わっている気分だった。ちなみ三高で過ごした去年でも将輝は数だけで言えば雅に負けていた。

 

一高は女子が男子にチョコレートを渡すより、女子同士で交換し合うのが主流なのだろうか。

だが、今のところそんな話は聞いた覚えはない。

普通に微笑ましく女子から男子に渡して、照れているという場面も遭遇した。

 

「原因は確実に昨日の発表よね」

 

エリカが仕方ないと言わんばかりにそう言うと、雫とほのかも首を縦に振った。

 

「発表?」

「図書・古典部の発表。写真見る?」

 

雫が携帯端末を操作し、まず達也に渡す。

それが、将輝の元にも回ってきた。

画面をみて、思わず手が滑らなかったのが幸いだった。

 

「これは……」

「雅と深雪」

「いや、司波さんは分かるが……」

 

将輝は隣のイケメン男子は誰だと言いかけて、口を噤む。

画面の二人は手を取り合い、周囲を金色の光がストロボのように彩っている。

しかも加工写真ではなく、魔法実験の一部らしい。

うっとりとした表情の深雪と愛しいものを見つめるような燕尾服の男子。

絵画の一枚のような光景だ。

 

「イケメンよね、雅」

「1年生が盛り上がるのも仕方ないですよね」

 

エリカと美月の言葉に当の本人は複雑そうな表情だ。イケメンと言われて喜ぶ女子もそういるまい。

改めて将輝は写真と雅を見比べる。

輪郭は確かに似ているかもしれない。顔は元から整っている方だとは思う。

だが、深雪との身長差や顔立ちはまるで一致しない。魔法で姿も変えているのかと思えるような変わりようだ。

 

「お姉様の人誑し」

 

拗ねた様に深雪は唇を尖らせて、隣の雅にもたれかかった。

仕方ないわねと言わんばかりに雅は深雪の頭を撫でている。

もしかして、司波さんが惚れているのはひょっとしてという考えが浮かんで司波の方に顔を向けた。

友人たちは見慣れた光景なのか何も言わない。

司波も何が言いたいんだと言わんばかりの表情だったので、不埒な考えは頭の隅に追いやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後になると達也は昇降口に向かっていた。

稽古のある雅も途中までは同じルートで帰るため、待ち合わせをしていたが、途中で泉美と香澄に捕まり、チョコレート攻撃に合っているらしい。

顧傑(グ・ジー)の捜索は達也自身が走り回って情報を集めるのではなく、発見後処理に出向くのが役割のため、今日がバレンタインでなければ生徒会室に出向いていたところだ。

 

「あ、司波君いたいた」

「なんだ?」

 

エイミィとスバルの二人は、手に可愛らしい小箱と小袋を持っていた。

 

「義理チョコ兼雅との婚約おめでとう」

「僕からも義理チョコ兼婚約祝いだ。簡単なもので申し訳ない」

 

あっけらからんと二人は達也にそれを差し出した。

 

「あ、ああ」

 

達也は半ば押し付けられるように二つの包みを受け取った。

放課後とあって辺りは割と人通りは多いが、堂々と義理と言い、更に婚約祝いまでついているなら、下手に勘繰る者もいないだろう。

 

「いや、雅の後輩がお祝いしてなかった!!って涙ながらにチョコレート渡しに来ててさ、確かに私たちもお祝い何もしてないってなってさ」

 

エイミィは申し訳なさそうに頭をかいた。

 

「そんなことはない。お祝いの言葉を貰ったのはエイミィが最初だったから、随分と雅は喜んでいたぞ」

「へ?」

 

達也自身、別に祝いの言葉がどうこう気にするような繊細な精神は持ち合わせていない。

1月に達也と深雪が四葉の関係者であること、九重との縁談がまとまっていることを発表した際、仲の良い友人たちからも随分と遠巻きに見られていた。

ただ、エイミィやレオ、エリカと言った面々は発表後も表面上も変わらずに接してくれており、雅に対して、祝いの言葉を一番にかけてくれたのはエイミィだという。

表面上の挨拶染みた物なのか、本心からなのか、達也はその状況に居合わせたわけではないが、少なくとも彼女の様子を見る限り、祝福してくれているようだ。

 

「あー、そうなんだ」

 

照れくさそうにエイミィははにかんだ。

 

「それじゃあ、私たちはちょっと用事あるから」

 

二人とも普段用の鞄とは別に持った手提げ見る限り、まだ渡す相手がいるようだ。

 

「ああ、またな」

「じゃあね、司波君」

「雅との甘いエピソード期待しているよ」

 

去り際にそんな注文を付けられたが、主な被害者は雅だ。

雅も揶揄われても躱すすべは持っているだろうが、達也に惚気を期待されても困る。

 

 

 

「あの、達也さん!」

 

達也が時計を確認したその時、呼び止める声が響いた。

声のした方に目を向けると、ほのかが立っており、やや後ろに雫が立っていた。

ほのか一人ではないことに達也はやや安堵した。

ほのかには悪いが、今日は彼女と二人きりにはなりたくなかった。

 

「少しお時間いただいてもよろしいでしょうか」

 

ほのかの目には不退転の決意が滲んでいた。

 

「場所を変えるか?」

「ごめんなさい、待たせて」

 

達也がそう声を掛けた時、後ろから雅の声がした。

 

「いや。大丈夫だ」

 

タイミングが良かったと言うべきか、悪かったと言うべきか。

おそらく雅には達也が影になってほのかは見えなかったのだろう。

 

「ほのか、どうしたの?」

 

雅はいつもと変わらない優しい声でほのかに問いかけた。

 

「生徒会関係で何か用事があったかしら」

 

待たせたという言葉から分かるように、ほのかにもこれから二人で帰るという事が伝わっただろう。

雅はおそらくほのかが何をしようとしていたか分かっている。

それでいて逃げ道を作ったのだ。

放課後、人通りの多い昇降口で雅を前に達也にそれを渡す意味を理解しているのかと問うている。

 

ほのかの瞳が、揺れている。

さきほどまでの決意は霧散し、混乱と焦りが生まれている。

義理と名前を付けて渡すのならば、達也はそれも拒むほど薄情ではない。

ほのかが本心を口にしてそれを渡すのならば、達也は受け取ることができない。

 

「いえ、大丈夫です。また明日」

 

ほのかが選んだのは、三つ目の道だった。

泣きそうになりながら、持っていた鞄を胸に抱えている。

 

「ああ。また明日」

「またね」

 

いつも通りに別れの言葉を告げて二人は学校を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十文字克人、七草真由美に最近は一条将輝も加わった師族会議襲撃犯捜索のための情報交換会を終え、稽古を終えた雅を迎えに行き、再び達也は自宅の玄関をくぐった。

 

「おかえりなさい、お兄様、お姉様」

「深雪、どうしたんだ?」

 

深雪は玄関の上がり框に両膝、両手指をついて二人を出迎えたのだった。

どこか達也には通せんぼされている気がするのは気のせいではないはずだ。

 

「ところでお兄様。お荷物はございませんか?よろしければお運びいたしますが」

「見ての通り荷物はないが」

「そうですか。学校からのお帰りの際は随分と荷物が増えてご苦労されたと伺いましたので」

 

ここでようやく深雪がへそを曲げている理由を達也は理解した。

 

「七草先輩からは何も受け取っていない。あの人は悪戯好きだが、七草家の長女として自分の行動の意味は弁えている」

 

去年、苦み以外の味を探すことが難しい薬品のようなチョコレートと思われる物体を渡されたが、今日は何も受け取ってはいない。

去年と今年では達也に付随する立場が異なる。

単なる後輩に義理チョコを渡したところでとやかく言われようもないが、婚約者がいる四葉家次期当主候補に何か贈物をするということは勘繰られても仕方ない。

その点、自分の行動の意味を理解しているだけ七草真由美は同世代の中では大人だった。

 

「それに、何時まで雅を待たせるつもりだ」

 

達也は深雪に待たされて、この場で拗ねられても構わないが、稽古帰りで疲れている雅を立ちっぱなしにさせていることは気がかりだった。

多少きつめの口調で諭せば、深雪はすぐに立ち上がった。

 

「申し訳ありません、お姉様。お二人ともお食事はまだですよね。すぐに支度いたしますので、ダイニングでお待ちください」

 

まだ問いたいことは深雪にはあっただろうが、場所を変えることの方が先だった。

 

「可愛いわね」

 

困った子ねと言わんばかりのいつもの雅に見えるが、どこか笑顔に影が見える気がしていた。

達也はそれを問えないまま、雅に先を促した。

 

 

 

 

帰宅するや否や、雅は深雪を構い倒していた。

少し冷静になる時間を置いた方が良いと達也は考えてはいたが、この分だとあまり必要なさそうだと二人の様子を見て、少しだけホッとしていた。

 

「お兄様、お姉様。少しお待ちいただいてもよろしいですか」

 

達也が自分の食器を纏めていると、深雪から声が掛かった。

水波が素早くそれらの食器を片づけると、深雪は冷蔵庫からケーキドームをかぶせた大皿を持ってきた。

 

「お兄様とお姉様がどのようなチョコレートをいただいても、構いません。私からのバレンタインチョコレート、受け取っていただけますか」

ん。私からのバレンタインチョコレート、受け取っていただけますか」

 

フルーツやクリームで飾りのない、シンプルなビターチョコレートのホールケーキは、照明の明かりを滑らかに反射している。

とても素人が作ったとは思えない出来栄えだった。

 

「素敵ね」

「ありがとうございます」

 

溜息の出るような雅の賛辞に、深雪は頬を緩めた。

 

「実は俺も楽しみにしていた」

 

達也は笑顔でそう返すと、深雪の頬は薄っすら赤く色づき、益々唇を緩めた。

 

「コーヒーをお淹れいたします」

「ああ」

「私も手伝うわね」

 

深雪が嬉しそうにキッチンに向かうのに合わせ、雅も立ち上がった。

 

「お手伝いでしたら、私が」

「水波ちゃんはお皿とナイフを用意してもらえるかしら。お茶の方はお姉様にお願いしてもよろしいですか」

 

深雪がそう言うと、水波は何かを感じ取ったのか、畏まりましたと一礼してキッチンへと向かった。

深雪と雅は珈琲と紅茶のカップを用意しながら、茶葉と豆の準備をしていた。

水波はナイフと皿を持って、既にダイニングに戻っているので、キッチンには二人だけだ。

 

「ほのかがね、多分チョコレートを持ってきていたと思うのよ」

 

ぽつりと達也に聞こえるか聞こえないかそのくらいの声で雅は小さくそう零した。

 

「朝から少し落ち着かない様子でしたので、私もそう思います」

「だけどね。渡させなかったし、受け取らせなかったのよ」

 

『渡さないで』『受け取らないで』とも、雅は口にしていない。

それでもあの状況で、ほのかがチョコレートを渡すことは難しかっただろう。

実際、諦めてまた明日という別れの言葉を口にしただけだった。

自分の感情を込めたチョコレートを本命と言って渡すこともできず、義理と偽ることもできず。

 

「それでちょっと自己嫌悪」

 

ごめんね、と言いそうな雅に深雪は雅の両手を握りしめた。

深雪はほのかのチョコレートの行方を聞いていない。

ただ、生徒会室に顔を見せなかったことから良い結果ではないことは分かっていた。

 

「お姉様は悪くありません」

「けど、意地が悪いでしょう」

 

明確に言葉にしないまま、ほのかの行く手を封じた。

ほのかは諦めないと言い、雅が譲らないと言ったからには、こうやって衝突することはいずれあったはずだ。

 

「だから口直し。深雪が作ったケーキ、私も楽しみにしていたのよ」

 

話はこれで終わりと、雅は紅茶のポットにお湯を注ぐ。

チョコレートを引き立たせるような、あっさりとした香りが広がる。

白い湯気が立ち上っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深雪のケーキは今年も、見た目通り絶品だった。

雅からもチョコレートを深雪と水波に渡すと、満面の笑みで早々に深雪に雅と一緒に達也の部屋に追いやられてしまった。

二人掛けのソファに座れば、すぐさま水波がお茶を運んできて、早々に退室した。

こうも嬉々として送り出されるとなると、達也としては嬉しさもあるが、やや複雑だ。

明日も学校があるため、あまり遅くならない内に雅を自宅まで送らなければならない。

 

「そういえば、深雪にちゃんとチョコレート選べたのか聞いてなかったわ」

「選ぶ?」

「私のお兄様に。随分と悩んでいたみたいだけれど、決まったのかしら」

 

どうやら達也の知らないところで、深雪は雅に相談しながら悠用のチョコレートを選んでいたらしい。

去年は確か一緒に出掛けていたので、その時に買っていたはずだが、今年は会えなかったため、おそらく郵送しているだろう。

 

「私たちは手作りを貰ったから、あとから恨まれそう」

「そうだな」

 

毎年、送られるチョコレートの単位が箱単位とは聞いているが、有象無象の百よりたった一つが欲しいと思うのは達也も理解できる。

多少の憎まれ口は覚悟の上だった。

 

「それで、これは私から」

 

雅は1年生のころから使っているアンティークな色合いの鞄から綺麗に包装された小箱を差し出す。

 

「受け取ってもらえる?」

「ああ」

 

雅はどこかホッと肩を撫でおろしていた。

恐らくほのかの物を断らせたことで、どこか気がかりだったのだろう。

達也としては、正直、助かったと言うところが本音だった。

あの場で雅と婚約しているが構わないかと言っても、ほのかはおそらくソレを達也に渡しただろう。

それで雅が傷つくくらいならば、達也は容赦なく断るべきだった。

それを雅にやらせてしまったというのは、実に不甲斐ないことだと自覚していた。

達也は既に、選び、決定している。

 

「開けても構わないか」

「ええ、どうぞ」

 

紺色の上品な包み紙をとくと、黒いボックスの中には正方形の6つのプラリネと中央に一つ、赤いハートのチョコレートが収められている。

 

「市販品で申し訳ないけれど、好きなメーカーなの」

 

深雪の手作りの後なので、少し雅は気まずそうだ。

達也としては手作りだろうと、市販だろうと、そこまで気にするところではなかった。

雅のスケジュールをある程度知っているので、作れるような時間がほとんどないことも分かっていた。

 

一つつまんで口に放り込む。

直ぐに溶けてで中からとろけるようなオレンジの風味が広がる。

確かに雅が好きと言うだけあって、しつこくない甘さで口触りも良い。

もう一つつまみ、今度は雅の口元に持っていく。

 

「えっと、達也?」

「好きなんだろう」

「けど……」

「溶けるぞ」

 

チョコレートの表面は手に付かないようにはなっているが、体温で長い時間触れていたら相応に溶けてくる。

雅は少し思案した後、戸惑いぎみに小さく口を開けた。

小さな口に押し込むようにすれば、指先が柔らかな唇に触れる。

雅は驚いて少し後ずさるが、すぐに口の中に広がる味に頬を緩める。

達也が指先を見れば、やはり少しだけチョコレートは溶けていたようで、それを舐めとる。

 

「どうした?」

 

雅がこちらを凝視していた。

 

「あ、うん。何でもない。美味しいね」

 

頬に色味がさしている。

照れているというのは間違いないだろうが、何かしたかと思い返すと唇に触れた指先を思い出す。

こんな些細なことでさえ、恥ずかしがる様子は可愛らしいが、同時に少し嗜虐心も刺激される。

チョコレートをサイドテーブルに置き、蓋を閉める。

 

「残りはまた後でもらうよ」

「美味しかった?」

「ああ。残りが楽しみだ」

 

雅が嬉しそうに頬を緩めた。

 

「後は」

 

雅の顎に手を添え、親指で唇をなぞる。

 

「これが貰えれば、言う事はないかな」

 

 

途端に頬は淡く色づき、緊張からか自分の制服のスカートを掴んでいる。

 

「えっと……」

 

雅は視線を彷徨わせる。

その思いが揺らぐことはないだろうが、感情とは目に見えるものではない。

表情や仕草に現れるものであったとしても、伝わると過信してはいけないものである。

自身の感情を言葉にすることを達也はあまり得意としていない。

中でも雅に対する想いは、達也がその思いを自覚してからより一層言葉で表すことが難しい。

だから少なくとも、目に見えるもので示すことにしていた。

 

「雅」

 

名前を呼べば、雅は瞳を震わせ、静かにその目を閉じて、少しだけ上を向いた。自分からはまだ恥ずかしいようで、達也が欲しいと言ったそれを無防備に差し出している。

 

首の後ろに手を回し、もう片方のきつく握りしめていた手をほどき、絡ませるように繋ぎなおす。

一度だけ、優しく触れる。

 

雅が小さく目を開ける。

もう一度顔を近づければ、またきつく目を閉じた。

先ほどよりは少し長く、けれど触れるだけ。

再び雅が目を開こうとしたところで、もう一度。

今度は離れる時にワザと音を立てる。

そうすれば堪らず、雅は顔を羞恥で背ける。

何回も繰り返してきたはずなのに、これがまるで初めてのような仕草に、その先の顔を見たくなる。

 

「もう一度」

 

そういえば、雅は絡めた手を強く握りながら再び目を閉じて少しだけ上を向く。

再度、唇が重なる。

心臓に手を当てなくても、きっと心臓の鼓動は早い。

ゆっくりと握っていた手をほどき、項に回していた手を離す。

唇を離せば、少しだけ不安そうな瞳で雅が達也を見上げる。

これ以上は心臓が持たないとでも言いたいのだろう。

 

二、三度、長く零れ落ちる髪を整えるように指を通す。

まだ達也の顔が見られないほど羞恥から抜けきらない雅の両脇に手を入れ、掬い上げるようにして、そのまま膝の上に乗せる。

 

「えっ、ちょっと、達也」

 

雅は目を白黒させる。

 

「重いから」

「そんなことは無い」

 

達也の膝に座る、というより跨るような体勢のため雅がソファに膝立ちになっており、達也にかかる体重などほぼない。

 

「だって、こんなっ」

「雅」

 

どうにか降りようとする雅の腰に片手を回し、逃げられないように縫い留める。

 

「まだダメだ」

 

頬を撫で咎めるように言い聞かせれば、雅は言葉に詰まる。

そうして再び唇を合わせる。

ただ触れあうだけではない、口づけ。

小さく開いた唇に舌を入れ、舌を絡ませる。

逃げそうになる雅の腰を押さえつけ、口づけを繰り返す。

いつの間にか、雅は膝立ちでいられなくなったのか、体重を達也に預けるようにもたれかかり、縋るように達也の服を掴んでいる。

 

次第に吐息が熱を帯び、時折漏れる甘い声と湿った音が静かな部屋に響く。

感覚的にコレが気持ちの良いことであるとは雅も自覚はしているのだろうが、まだ羞恥心の方が上回っているのか、舌の動きは(つたな)い。

それでも必死に達也に応えようとしている姿は健気で、可愛らしい。

舌が触れ合うより、何度も食む様にしてやる方が好きなようで、わざと音を立ててそうしてやれば、くたりと体から力が抜けていく。

 

密着した体は柔らかく、少しだけ洗剤の甘い香りがする。

達也が少しだけ唇を離すと、止めないでと言わんばかりに、いじらしく唇が重なる。

何度目となる口づけを繰り返し、ゆっくりと頭をなで、髪を梳いてやると雅は体を離した。

濡れた唇はまだ続きを求めているように小さく開き、色づいた頬ととろりと熱を帯びた瞳は達也を写している。

 

「そんな可愛い顔をされると帰すのが惜しいな」

 

そもそもこんな顔では深雪や水波の前に出すわけにはいかない。

ぽすりと達也の胸に雅は顔を埋める。

耳まで赤く染まっている。

 

「帰りたくなくなるようなことをしたのは誰?」

 

滅多にない雅からの苦情を達也は甘んじて受け入れた。

 

 

 

 

 

 




書いたぜ。甘いやつ。作者も大満足だ(`・ω・´)

ほのかさんは、しょっぱくて水っぽいチョコレートを食べたんだろうね。

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