ある日、私達勇者部は猫の飼い主を募集する為のポスター作りに勤しんでいた。
「出来ましたよ~」
「どれどれ……おおっ、乃木って絵が上手なのね」
お姉ちゃんが園子さんが製作したポスターを眺めながら感心した様子で言う。
「園子さんって絵が上手なんですか? 私にも見せて——え」
私はお姉ちゃんが唸る程の絵を見たくてヒョイと覗きこんだ。
しかし、そこに描かれていたのはお世辞にも世間一般的な『猫』ではなくて、何かもっと得体の知れないものだった。どうにか「あぁ、言われてみれば足が四本生えてますね」程度の見た目である。
「これは……前衛芸術あたりでしょうか?」
「おたわ~」
園子さんが嬉しそうに言う。ちなみに『おたわ~』とは『お目がたかいわァ~』の略である。
お姉ちゃんが言うには、園子さんの描いた猫は猫の内側に秘められし深い闘争本能が云々かんぬん、とのことらしい。正直、何故あの絵を理解できるのかは分からないけど……あ、お姉ちゃんは同類だから分かるのか。
「ねーねージョン、乃木の描いた猫、良くない?」
「コイツはカッコいいな!」
大佐にも評判がいい。もしかして、大人にはあの絵の良さが分かるのかしらん?
「この絵のセンスは夏凜に通づるものがあるな」
「そうね。……そういえば、夏凜は今日はまだ来てないのね」
お姉ちゃんがふと気付いて呟いた。
夏凜さんは今日は日直で来るのが若干遅くはなると言っていたけど、それにしても遅い。何かあったのだろうか。煮干し分が欠乏して道中でぶっ倒れているのではないだろうか。
と、そんな心配をしていた時。
「…………」
ガラガラ、と扉が開かれ、妙に落ち込んだ夏凜さんが姿を現した。
「うわ、不景気な面。どうしたの?」
「…………」
お姉ちゃんに訊かれてもどこか言い出しづらそうな顔をして黙っている。夏凜さんらしくもない、コイツは何か裏があります。
そんな夏凜さんに、園子さんがてててと駆け寄って絵の感想を求めた。
「どうかなぁ~」
「素敵な猫じゃない?」
この部に所属する人間の半分以上が超越的な感性の持ち主らしい。四本脚の何かとしか形容できないあの絵を一目で猫と見抜いた夏凜さんは凄い。人間ではない。
「そんなことより」
夏凜さんは絵の事をひとまずわきに置いた。
「園子にちょっと相談したいことがあるんだけど」
「私に? みんなじゃ無くて?」
「うん……」
うつむき加減に答える夏凜さん。そんな彼女に、友奈さんが、
「勇者部五箇条! 悩んだら相談!」
「は?」
「ずいぶん水臭いじゃない! 私たちもお話聞くよ。そうですよね、風先輩!」
友達が悩んでいるなら放っておけない。おせっかいに感じる人もいるかもしれないけど、友奈さんの素敵な長所だ。お姉ちゃんも、
「まぁ、訊いていい話なら。私たちも相談に乗るわよ」
東郷先輩や私も同様に答える。大佐は一人銃のレバーをガッチャンコ引いて答えた。何をするつもりなんだ。
私達の熱い言葉に胸を打たれた夏凛さんは(友情ってのは、良いもんだよなァ)熱いものがこみ上げるのをこらえるようにグッと上を向いて、
「ありがとう……アンタ達にも相談するわ」
と言ってくれた。そして、「実は……」と切り出す。
が、ここでお姉ちゃんが。
「ちょっと待ったぁ!」
「な、なによ」
突然の大声に驚く夏凜さん。対してお姉ちゃんは、真剣な面持ちで、
「そういうことは、もっと相応しい場所で話しましょう……」
※
「ずるるるるるるるるるるる」
お姉ちゃんのうどんを啜る音が盛大に響く。
「……で、ここが相談に相応しい場所?」
夏凜さんが呆れ声で言う。
『かめや』よ、よく来たわねぇ。
何のことは無い、お姉ちゃんがうどんを食べたかっただけである。
でも、「腹が減っては戦は出来ぬ」もまた真理なわけで、『かめや』を会議の場と選択したのはお姉ちゃんの采配は見事としか言いようがないし、私のこの意見に余計なことを言ったら口を縫い合わす。
「うどん、おいしいよ~。私のおススメは、芝エビのかき揚げ~」
園子さんは美味しそうに程よく出汁の染みたかき揚げを頬張った。
「う~ん、美味しいねぇ」
「俺のおススメはプロテイントッピングだ」
大佐はずぞぞっと美味しそうにプロテインの絡んだうどんを啜った。
「うん、美味いね」
「クッソ不味いだろ~」
大佐と園子さんのほのぼのむきむきしたやり取りなどを見るうちに、夏凜さんは緊張感を失ってしまった。
私達は美味しいうどんを腹に納めると一息ついた。
「ふー。さて、お腹もいっぱいになったことだし」
「! やっと本題に——」
夏凜さんが身を乗り出す。しかし。
「眠くなってきたよ~」
園子さんがうつらうつらし始めた。お腹が膨れたら眠くなる。人間の摂理だ。園子さんは本能の赴くままに生きるのだ。
「ちょっと園子! あんた授業中も居眠りしてたじゃない。まだ寝足りないって言うの!?」
「死ぬほど疲れてる」
「疲れるような事してないでしょうがアンタは!」
夏凜さんに耳元で叱られても園子さんは眠りの園へと行こうとするのをやめなかった。本当、どうしてここまで眠れるのか不思議でならない。
でも、さすがに友達が相談に乗って欲しいという中寝るほど無神経では無いようで、目を覚ますために策を講じた。
「大佐~、そこにある爪楊枝で、私を刺して~」
「ん、いいのか」
これはあれだ、授業中に眠気覚ましでよく使う手段だ。手の甲や股をツンツンとするのだ。授業中は主にシャープペンだけど、ここでは爪楊枝を使う。
「お願いします~」
「OK!」
大佐はテーブルの上の爪楊枝を手にすると「フンッ」という息と共に園子さんのおでこにブスリと突き立てた。瞬間、園子さんの目にかかっていた眠気の雲が消え去った。
「シャキーン! 目が覚めたよ~」
「園ちゃん! 爪楊枝、おでこに突き刺さってるぅ!」
冴えわたる園子さんのおでこにはユニコーンが如く爪楊枝が聳えて、ツーと血が垂れていた。
「それでにぼっしー、相談って?」
それでも園子さんは何事も無かったかのように話を続けた。血が出てるけど、拭いてる暇も無いのだろう。大変なことだ。
「実は、大赦から連絡があったのよ」
「大赦から?」
異口同音に私達は訊き返す。
大赦からの連絡なんてこちらからの問い合わせの回答以外に全くなかった。何しろ私達はもう
「とりあえず、これを読んで」
言うや夏凜さんはスマホを取り出して問題の画面を私達に見せた。
「なになに……」
曰く、こうである。
『二週間後、三好春信が三好夏凜の生活状況の査察に向かう』
三好……春信?
「あぁ、夏凜ちゃんのお兄さん」
友奈さんが思い出したように言った。
そう言えば、夏凜さんにはお兄さんがいて、大赦に務めているんだっけ。まだ若いのに要職に就くエリートさんだとか。
それにしても、不思議なのはそのお兄さんの連絡手段ある。何も大赦を通さずとも、個人的に電話なりでもして押しかければいいじゃないか。血のつながりの無い私たちでさえ完全武装の上押しかけているくらいなのだから、お兄さんともなればその程度簡単なような気もするけど。
これについては、園子さんが答えてくれた。
「にぼっしーのお兄さんは大赦でもかなり偉い立場にいるからね~。機密も扱う分、好き勝手連絡出来ないんだよ~」
「実の妹でもですか?」
「そうだね~。まして、にぼっしーはお役目が終わったとはいえ大赦の
大変だねぇ、と、皆一様に言う。
この時、園子さんのおでこに爪楊枝を刺して以来だんまりだった(別に反省してのことではない)大佐が、やおら箸を置き(大佐だけまだ食べていたのだ)、口を開いた。
「もしかしたら、大赦は夏凜を連れ戻すつもりなのかもしれん」
「えっ?」
何故? Why? 今更夏凜さんを連れ戻す必要があるのだ。
「……でも、ジョンの言うことにも一理あるわね」
「どういうこと?」
神妙な顔つきのお姉ちゃんに夏凜さんが震える声で訊く。
「前に乃木が言ってたでしょ? システムがアップデートされるって。そのデータ取りに夏凜が必要なのかも……」
「でも、卒業までここにいていいって……大赦が……」
「状況が変わったのよ」
大赦にとって動かしやすい
不安に駆られる夏凜さん。更に、友奈さんが、
「そういえば」
「今度は何っ」
「いやね、前に見た映画でこんなことがあったなーって」
かつて特殊部隊の隊長といて名を馳せた筋肉モリモリな男。彼は静かな山荘で愛娘と共に戦いとは無縁の穏やかな生活を送っていた。しかし、彼の元へ軍のヘリが飛んでくる。そこには男の元上官である将軍が乗っていた。
将軍は」彼に言う。
「もう一度コマンドー部隊を編成したい、君さえ戻ってくれれば……」
そして、男は再び戦いへと身を投じるのであった……。
「あぁ、やってたわね」
「風先輩も見てたんですか」
「そうよ。でも、友奈の内容は微妙に違うわ」
「えっ、そうでしたっけ?」
「そうよ。詳しく確認したければ、ネットでディレクターズ・カット版DVDを新品でも1000円しないで買えるから確認してみるといいわ。さらに最近発売された数量限定生産新録吹き替え入りディレクターズ・カットBlu-rayもまだまだネットで購入可能よ。この新録版は今まで吹き替えの無かったカットも新たに吹き替えされているから見ものね。加えて吹き替え台本が欲しければ以前発売された日本語吹替完全版コレクターズBOXを買うといいわ。でも、こっちはそろそろ在庫が少ないうえに結構値が張るから注意してね」
コイツは最高の商品だ。買わないと大変なことになるぞ。
それはさておき、問題は夏凜さんだ。
このままでは夏凜さんは讃州中を、勇者部を去らなければならない。
そんな、嘘だあああああああ!
それは夏凜さんも同様である。最初は勇者部に馴染めなかった夏凜さんも、いまでは立派な勇者部員だ。このまま易々連れて行かれるのは、私達のスタイルじゃない。
「そんなのダメだよ! 私、夏凜ちゃんと一緒に卒業したい!」
友奈さんが立ち上がって訴えた。その言葉に、学年関係なく同意する。
「同じ釜で湯がいたうどんを食べた仲、ここで別れるのは寂しすぎるわ」
「そうね。今更一人抜けるのも気持ち悪いし、何より私はアンタに見送って欲しいわ」
「見送るって何をだ? 臨終をか?」
「ちげぇよ!」
私も夏凜さんを含めた先輩たちの卒業を見届けたい。私達の夏凜さんへの思いはおおよそ一緒だった。
「それじゃぁ、にぼっしーを連れ戻されない方法を考えよ~!」
『かめや』に私達の決意の声が高く響いた。
※
翌日の部活の時間、『三好夏凜誘拐対策会議』が開催され、各々が一晩かけて考えてきた案を出し合うこととなった。
「では、何か意見がある者!」
「はい!」
「はい東郷!」
「私は校内にバリケードを築き、徹底抗戦すべきだと思います」
言うや先輩は大きな紙を広げた。そこには校内の見取り図が描かれており、バリケードの設置場所や司令部など事細かな防衛案が記されていた。
「目的は夏凜ちゃんの拉致阻止ですから、要は大赦を諦めさせればいいのです」
相も変わらずおっそろしい事を考える人である。とは言え、私の案も東郷先輩ほど綿密ではないけど籠城みたいなもんだったから、人の事は言えない。
「友奈は?」
「私はお手紙を書いてきました!」
友奈さんらしい。彼女は「じゃぁ読むね!」と言うと懐からマスクを取り出して、頭からすっぽりかぶった。
「大赦が三好夏凜を連れ戻そうとする限り、我々もこの地で戦闘を続ける。諸君らが枕を高くして寝ることは無いだろう。死か自由かだ!」
「まって」
夏凜さんがストップをかける。
「えー、一生懸命書いてきたんだよ?」
「なんで一生懸命書いた手紙が脅迫文めいてるのよ。東郷もやりすぎ」
「何言ってるの夏凜ちゃん、死か自由かよ」
「アンタこそ何言ってるのよ」
「まぁまぁ夏凜、みんなアンタのためにぃ」
お姉ちゃんが夏凜さんをなだめる。そんなお姉ちゃんも考えていることは私達と変わらない。楽しそうに話を聞いている園子さんもアジビラを作ってきている始末である。
みんな似たり寄ったり。
私に言えたことではないけど、私達勇者部の創造力というか発想力は非常に実力的というか筋肉的になってしまっているようだ。バーテックスと戦い続けていたせいだろうか。おのれ、バーテックス。
お姉ちゃんは最後に大佐に意見を求めた。しかし、訊かずとも分かっている。周囲に地雷を張り巡らせろとか言い出すんだ。
「ビデオレターなんか良いんじゃないか?」
「…………」
私達は沈黙の内に己を恥じた。
まず、大佐が筋肉質で火薬マシマシな意見を言うに違いないと思っていたことを恥じた。
二つに、女子中学生らしからぬ案を意気揚々と引っ提げてきた自分たちを恥じた。
すると、私達の目からは自然と涙があふれてきた。人間がなぜ泣くのか分かった。
「夏凜、こいつ等は何を泣いているんだ」
「……馬鹿らしすぎてツッコむ気にもなれんわ……」
夏凜さんを深いため息を漏らした。
……しばしして。
私達は気を取り直して大佐の提案したビデオレター製作に取り掛かることにした。撮影用のハンディカムは部室に置いてある東郷先輩の私物を用いる。
内容は、『勇者部の日常』。
監督のお姉ちゃん曰く、
「私達の日常風景にいかに夏凜が馴染んでいるのか、いかに大切な存在なのかを訴えるのよ!」
撮影は園子さんが担当した。
「やっぱりにぼっしーとの付き合いがより長い人が一緒に写るべきだからね~。あ、後で映像焼き回しといてね~」
園子さんは一見すると冷静に身を引いたように見えたが、なんだか別の企みがあるように思えてならないのは気のせいなのだろうか?
なんにせよ、ビデオレター作戦発動の運びとなった。
園子さんがハンディカムを構えて「じゃぁ、撮るよ~」と言う。カメラの前には勇者部代表のお姉ちゃんと今回の主役、夏凜さんが並んでいた。
「5、4、3……」
友奈さんがカウントを切る。そして、カウントがゼロになると同時、録画開始を知らせる「ピッ」という小さな音が響いた。撮影を私達は息を呑んで見守る。
録画開始から一呼吸おいて、お姉ちゃんは口を開いた。
「お前らは女や子供たちを殺したんだ。我々の町に空から爆弾をばら撒いた。そのお前らが我々を『テロリスト』と呼ぶゥ!」
「ちょ」
夏凜さんは驚きで声を失った。
何と言う事だ、お姉ちゃんともあろう者が後輩を守るという重大な責任に緊張して訳の分かんないことを口走り始めてしまった。
「だが今、迫害された者達の手に、敵に反撃する強力な武器が与えられた。良く聞け、アメリカよ……」
「ちょっと風! あんた何言ってんのよ!」
「ぶるぁあああああおぅ!」
「カットカット! カットよ!」
カメラの前は大混乱に陥った。
さらに、悪いことは重なるもので、園子さんが、
「あっ」
「今度は何よ!」
「バッテリー切れですぅ」
「切れたらさっさと入れ替えろマヌケェ。ていうか、どうせ撮り直しなんだから丁度いいじゃない」
「それがそうもいかないんだよね~」
のんびりした口調ながら、園子さんは冷や汗を流していた。
と、言うのもこのハンディカム、予備のバッテリーが手元に無いのだ。今装着しているバッテリーを充電するにしてもフル充電まで数時間はかかる。
「ごめんなさい、私が確認しておけば……」
「いや、別に東郷は悪くないわよ。それに、明日撮り直せばいいだけの話だし」
先ほどパニックになっていたお姉ちゃんは緊張なぞどこ吹く風でしれっと言って見せた。しかし、園子さんと東郷先輩がそれを否定する。
「こういう類は下手したら検閲のたらい回しになって届くのが遅れたりすることがあるから~……明日の午前までには投函しておかないと~……」
「私も、編集とDVDへの焼き作業があるので、今日中には映像だけでも……」
夏凜さんの顔がサッと蒼くなった。
「てぇ事は何……? このわけわかんない映像をアニキに送らざるを得ないってこと……?」
誰も返事はしなかったけど、答えは明白だった。
そう、さっきとった映像が……お姉ちゃんの謎演説と慟哭、そして夏凜さんの慌てくさった叫びが……大赦の高官である三好春信さんに送られるのだ。
「そんな……嘘だアァァァァッ!」
夏凜さん絶望の叫びが部室に響く。でも、私達にはどうにもできない。本当にすまないと思う。
でも、大佐は一人、「なに、落ち込むことは無い」と言った。
「大丈夫だ、問題ない。お前の兄は頭が良い。この映像から思いを汲み取ってくれるだろう」
「こんなんから汲み取ったらそれこそうちのアニキは変人よ!」
全くその通りである。
※
この日以来、夏凜さんはすっかり元気を無くしてしまい、見るに耐えなかった。私たちも口数が減って、部内には重い空気がのしかかっていた。
しかし、この空気は割かし早く払しょくされることとなった。
それは、ビデオレター撮影から二日後のことであった。
「大赦から返事が来たわ」
検閲が予想よりはるかにスムーズに進んだらしい。そうとわかっていればもっとマシなものを撮影していたものを。
でも、結果に関しては夏凜さんの笑顔が全てを物語っていた。
「大丈夫だったわ」
なんと、あのビデオレターで私達の思いがお兄さんに伝わったのである。
返信の文面はこのような物だった。
『健全な中学生活を送っている事を確認した。引き続き学業に励み、卒業を目指すこと』
あのビデオの一体どこから『健全な中学生活』という要素を見出したのだろう。もしかすると夏凜さんのお兄さんは変人なのかもしれない。
「あと、なんかDVDが送られてきたわ。うちでは中身確認できないから持ってきたんだけど」
「パソコンで確認できますよ。見てみますか?」
東郷先輩の提案に私達はもちろん、と返事した。
夏凜さんのお兄さんから送られてきたDVD。一体何が収められているのだろうか……。
『見て見てー! あたしおよげるようになったー』
「なっ!?」
「おぉっ!?」
パソコン画面に映し出された映像には、ビニールプールでパチャパチャと遊ぶ愛らしい女の子が映っていた。
邪魔にならないようにか前髪をちょんまげのように上に結い上げてはいつものの、そこから覗くおでこや、顔立ちから、この女の子の正体は一目瞭然だった。
『すぐにおにーちゃんよりおよげるようになるもん』
「これって夏凜ちゃん?」
画面内で頬を膨らませる女の子を指さしながら友奈さんが訊いた。夏凜さんは答えない。ただ、顔を真っ赤にして下を向いているだけだ。
『あっちいってて! ひみつとっくんするんだから!』
幼い夏凜さんは短い手足をパチャパチャ言わせながらあっぷあっぷと言っている。
なんと、可愛らしいんだ……。
場面が変わって、次は地区の運動会となった。幼い夏凜さんは騎馬戦だと息こんで、「みんなせんめつしてやるんだから」とか「ただのかかしですな」とか言いながら腕を振っている。小さい頃から夏凜さんは夏凜さんというわけだ。
「なななななによこれ!?」
どうやら、DVDの正体は夏凜さんの成長記録らしい。映像内の夏凜さんの口ぶりからして、撮影者はお兄さんだ。
「夏凜ちゃん可愛いね!」
友奈さんが屈託の無い笑顔で言う。その瞬間、夏凜さんは恥ずかしさのあまりパソコンの電源ボタンを押して強制終了してしまった。
「ああん」
「ああん、じゃない! ホントわけわかんないし」
なんだか、夏凜さんのお兄さんがどんな人なのか解らなくなってきた。
夏凜さんが言うには超が付くほどの優等生らしい。三好家はお兄さんを中心に回り、夏凜さんはいつも疎外感を味わっていたらしい。
文武両道で成績優秀、筋肉モリモリと、まるで真逆だというお兄さん。
「いや、筋肉はモリモリじゃないわよ」
「あ、そうですか」
「出来の悪かった私を兄貴はよくフォローしてくれたわ。その度に、みんな兄貴をすごいすごいと褒め称えて……居心地悪かったわ」
これについては、私も分からなくはない。本人には言ってないけど、私も度々お姉ちゃんと比較された。「お姉さんはああなのに」って、よく言われた。その度に私はお姉ちゃんを誇らしく思うと同時、ちょっとの嫉妬と、それでもどうしようもないという諦めに近い劣等感を感じたものだ。
まぁ、今では何とも思わないけど。勝手に言わせておけばいい。もう後ろを歩くばかりではないのだ。
余裕の精神力だ。鍛え方が違いますよ。
話を戻す。
「みんなは私が何かミスするたびに、兄貴の邪魔をするなって言ったわ。だから、私はアイツと口を利かないようにした。それでも兄貴は私に構ってきたけど……じきに会話も無くなって。きっと、出来の悪い私に愛想をつかしたんだと思う」
夏凜さんは自嘲気味に笑った。
すると、しばらく話を聞いていたお姉ちゃんが、
「アホだなお前」
「はぁ!?」
夏凜さんが予想外の反応だと言わんばかりに目をひん剥いて叫ぶ。
でも、夏凜さんを除いた皆が同じようなことを思っていた。
「アンタの話だとお兄さんは愛想をつかしたんじゃなくて、夏凜に嫌われてるって思ってるとしか捉えられないんだけど」
「まったく」
「右に」
「同じく~」
友奈さんと東郷先輩、園子さんも同調する。大佐も黙ってコクコクと頷いている。
第一、本当に愛想をつかしたのなら夏凜さんの幼少期の映像なんかとってあるはずもない。三好春信さんにとって、夏凜さんは今も変わらず、かけがえのない、たったひとりの大切な妹なのだ。
「じゃぁ、春信さんは本当にただ夏凜ちゃんが心配だったんですね」
友奈さんが言う。
「まぁ、そういうことでしょうね」
「だとして、この映像を送ってきた真意は何よ」
「そりゃ夏凜、アンタからかわれてんのよ」
「えぇ……」
なぜ幼少期の映像を送ってきたのかは、私にも予想がつかない。お姉ちゃんの言う通り、単純にからかわれているだけなのか、また別の理由があるのか……。あんなことを言いながらも、お姉ちゃんは理由を何となく理解しているように見えた。
次回で最後です。もう会うことは無いでしょう(I Will 撤収)