ひどい夢……というか変な夢を見た。
私が大切にとっておいた冷蔵庫のプリンが全部プロテインになっていて、明らかにメイトリックス大佐の仕業なのにお姉ちゃんを責めて喧嘩になってしまうという夢だ。
そんな夢を見たから寝覚めが悪くて、お姉ちゃんを朝から心配させてしまった。こんな夢を見たのも、昨日大佐にプロテインうどんを食べせられたからだろう。
でも、学校につくころには調子も戻って、授業には何の差支えはなかった。
一時間目は国語。前回の授業経過から今日当てられることを予測して予習しておいた私に隙は無い。
「犬吠埼さん、この漢文の現代語訳を」
「はい。えっと、『車はアメリカで生まれました。日本の発明じゃありません、我が国の……』」
その時、教室に携帯電話のアラームが鳴り響いた。
「こらー。学校では電源を切っておくように! 誰ですか?」
準備してきて発表していただけに私は出ばなをくじかれた感じがした。全く、授業中に携帯を鳴らすようなカカシは誰なんだ。音量的には、私のすぐ近くなんだけど——。
あれ?
「私の携帯?」
鞄を探ると、やっぱり、大音量で暴れまくる私のスマートフォンが出てきた。おかしいな、電源は切っておいたはずなんだけど……。なんか着信音も設定と違うし。
「犬吠埼さん~」
「すすすすみません!」
謝りながら画面を確認した。
『樹海化警報』
「な、なにこれ……」
私のスマートフォンはそんな表示を点滅させながら鳴ったかと思いきや、しばらくとせず鳴り止み、画面はいつもの表示に戻った。
「止まった……あれ」
画面は戻ったけど、教室の中は異常になっていた。
教室にいたみんなが、まるで時が止まったかのように硬直してしまった。教壇の先生も困った表情のまま固まり、部屋の隅でこっそりゲームをしていた男子の指もぴたりと止まっている。窓の外を見ると、飛ぶ鳥も羽ばたくのを止めて宙に浮いていた。あれは鳥が恐ろしく器用なわけではないと思う。
席を立って、恐る恐る教室の外に出た。
「樹!」
外に出ると同時、お姉ちゃんと大佐が慌てた様子で駆けてきた。
「お姉ちゃん、メイトリックス大佐! あのね、なんかみんな変で……」
「樹!」
お姉ちゃんは私の言葉を遮ると肩をガシリと掴んだ。お姉ちゃんの顔はいつもと違って怯えて強張っていた。でも、それは私のように混乱しているからではなくて、私たちに訪れる事柄をすべてを理解しているからのように見えた。
「樹、よく聞いて、樹……」
「風、説明は後だ」
大佐が窓の外を指す。
そこにあったのは、いつもの平和な景色と、それを侵食するように広がる光の渦だった。
※
私たちは光に飲み込まれ、それが晴れると、見知らぬ場所にいた。
「うわぁ……」
そこはこの世のものとは思えない場所で、地平線の向こうまで木の根っぽいものに覆われ、一面が透明水彩を塗ったような空気に包まれていた。
「近くに友奈と東郷がいるな」
大佐が言った。
「えっ、もしかして、筋肉レーダー的なものですか……?」
「違う。これだ」
大佐は私にスマホの画面を見せてくれた。画面上には三人の名前と、それぞれの位置を示す光点が表示されており、近くには、
『結城友奈』
『東郷美森』
という表示もあった。
とりあえず二人と合流することにした私たちは大佐の先導の元、根の中をかき分けて行った。果たして、勇者部五人は合流することかなった。
友奈さんと東郷先輩は私たちを見るとほっとした表情を浮かべた。そして、いったい何があったのか教えて頂戴と質問した。それについては私も気になる。
お姉ちゃんは手ごろな大きさの根に腰かけると、みんなと自分を落ち着かせるようにゆっくりと話し始めた。
「まず、みんなに伝えとかなきゃなんだけど、私とジョンは、実は大赦の人間なの」
「えっ」
「これはみんなにも、樹にも黙ってたことなの」
お姉ちゃんの告白に私は驚いた。当然だ、いつも一緒に暮らしていたお姉ちゃんが、そんな重大な秘密を抱いていただなんて……大佐については驚かなかった。彼については、本当はスパイだったりターミネーターだったりしても驚かないだろう。
「私達が『あたり』じゃなきゃ、ずっと黙ってるつもりだった。でも、讃州中学勇者部が、『あたり』だった」
「えっと、私達が神樹様に選ばれたことは分かったんですけど」友奈さんが手を挙げた。「ここ、どこなんです?」
「ここは神樹様の作り出した結界の中なの」
「あ、じゃぁ、悪い場所ではないんですね」
「ああそうだ。だが、俺達はアレと戦わなければならん」
ホッとした私達だったけど、大佐の指す方を見て言葉を失った。
良く分からないけどでっかい前衛芸術的な『何か』が迫ってきている。プカプカと浮かぶ巨大なそれは空飛ぶ島だった。
「あれは……」
「ラピュタ……?」
「違う。あれはバーテックス。世界を殺すために生まれた、人類の敵」
その『バーテックス』なるデカブツはどうやら私達の方へと向かってきているようだった。もしかして、戦うって、アレと?
「あれが神樹様までたどり着いた時、世界は滅びる」
「無理よ、あんなのとどうやって……」
東郷先輩が弱音を吐いている。今起きていることがどれほどのものかを暗に示しているようだった。確かに、私達は極々普通の中学生だし、まさかぺちぺち叩いてどうにかなる相手ではない。
「方法はあるわ」
お姉ちゃんがスマホを数回たたいて画面を私たちに見せた。
「戦う意思を見せれば、このアプリが起動して、私達は神樹様の
「どうなるの? まさか変身するとでも?」
「ああそうだ」
私の問いにお姉ちゃんは即答した。
これはあれだ、小学校低学年のころテレビでよく見た変身ヒロインのようなものだ。リリカルマジカル変身して、悪い奴らを懲らしめるんだ。
でも、今私たちが直面しているのはあの時テレビで見た状況よりずっと悪いし、向うに見えるのは悪戯する悪者なんてレベルではない。
そうこうしている内に、バーテックスが私達めがけて砲撃してきた。
「危ない!」
お姉ちゃんが言うや否や、私達のすぐそばで爆発が起きる。熱と破片が私達の身体を叩いた。
「みんな、大丈夫!?」
「大丈夫です!」
「私も、大丈夫!」
友奈さんに続いて私は答えた。でも、東郷先輩だけが、すっかり震えてしまって返事できない。
「東郷さん!」
友奈さんが駆け寄った。
「今日は厄日だわ!」
東郷先輩はそう言いながら震えていた。全然怯えているように感じられない台詞だけど、そんなことは無い。先輩があそこまで怯えるのは非常に珍しい。足にハンディキャップを負いながらもいつも頼りになる背中をしていた、あの東郷先輩が……。
「友奈! 東郷を連れて逃げなさい!」
「……はい!」
友奈さんは一瞬の思考の後すぐさま言う通りにした。お姉ちゃんは敵を見据えたまま、
「樹も! ここは私とジョンとでどうにかする!」
お姉ちゃんは相変わらず頼もしかった。大佐も「
けれど、ここで逃げることは出来ない。
確かにあんな訳の分かんない物と戦うなんて恐い。でも、このまま逃げて全部お姉ちゃんに任せっきりというのも嫌だった。私も、お姉ちゃんの役に立ちたい。
「逃げない! 私はお姉ちゃんについて行くよ!」
そう言うと、お姉ちゃんは振り向くことなく、一瞬の間を置いて、
「流石私の妹だね……それじゃ樹、ジョン、行くよ!」
私達は、手にしていたスマホをかざした。
そして、一瞬光に包まれたかと思うと、あっさり変身完了していた。私の格好は、緑を基調とした可愛らしいドレス状の着ものだった。
「おお」
思わず感嘆の声が出る。
「樹、ジョン、準備はいいわね!?」
お姉ちゃんは黄色を基調としたカッコいい系の衣装だ。笑っちゃうほど大きい剣(もはや板)を軽々と振り回している。
大佐の衣装もカッコいい系だった。軍用ブーツにズボン、チョッキ……ていうか、この人変身してなくね?
大佐の傍らには脱ぎ捨てられた制服が置かれている。
彼はチョッキやズボンに弾丸や爆弾を次々装着し、腕や顔にカモフラージュ用のメイク(何にカモフラージュするつもりなんだろう)を施していき、最後は数挺の鉄砲を担いだ。
デエェェェェェェェェェェェエン!!
「変身完了だ」
「なんでメイトリックス大佐だけ武装が現実的なんですか?」
お姉ちゃんはファンタジーな大剣だし、私だってどんな武器かは分からないけどお姉ちゃんに準じてファンタジーだろう。でも、大佐は機関銃なんかを装備しちゃってる。
「俺の装備も十分ファンタジー的だぞ。このクレイモア地雷なんか何故か大爆発を起こす」
「何呑気に話してんの! 来るわよ!」
バーテックスの砲撃が炸裂した。間一髪、私達はジャンプして避けた。避けた、のは良いけど……。
「のわぁぁぁぁぁあ!?」
ジャンプ力が尋常じゃない。変身したんだから身体能力は上がってるだろーなーとは思っていたものの、これほどまでとは思わなかった。風が凄い。私は悲鳴を上げ続けていた。
「わあああジェットコースターぁぁあああああああ!」
「ターボタァーイム!」
「ええええなんで大佐も跳んでるのおおおおおおお」
「筋肉のおかげよ! 来るわよ!」
バーテックスは次に子機かミサイルらしきものを数体発射した。それは高速で私たちに襲いかかる。
「手をかざして、戦う意思を示して!」
「こっ、こうぅぅぅぅぅぅぅ!?」
腕をかざすと、手首あたりに花飾りの輪っかが現れた。そして、花飾りからワイヤーらしきものが飛び出して、腕を思いっきり振るうと敵を数体切断で来た。我ながらえぐい武器だと思う。
残りの敵はお姉ちゃんが叩きつぶしたり大佐が撃ち落したりした。
半ば飛ぶ形でジャンプした私達は長いフライトを終えて、大きな音も立てずスタッと見事に着地した。私を除いて。私だけ着地に失敗し、バインバインと数回跳ねた。不思議と怪我はなく、激しいめまいと嘔吐感があるのみだった。
「こういう時は精霊が守ってくれるのよ」
「せ、せいれい?」
ぐわんぐわん揺れる視界を無理やり抑えると、私の目の前にモフモフしたまんまるな生き物が浮かんでいた。何これ可愛い。
「精霊は、この世界を守る存在で、神樹様の力を私たちに分けてくれるの」
そういうお姉ちゃんの傍らにも精霊の姿があった。犬とネズミを足して二で割ったような見た目だ。可愛い。
「あれ、大佐に精霊はいないの?」
対する大佐に目をやるとそこに精霊の姿は無く、隆々とした背筋が見えるのみだった。
「ジョンの装備は
「なるほど」
理屈は分からないけど、筋肉ってすごい。
「私も鍛えよっかなぁ」
「きついジョークね」
バーテックスは初心者の私もいるのに容赦なく攻撃してくる。もう少し手加減してほしいけど、無理な話だろう。
それでも、お姉ちゃんと大佐は頼もしかった。お姉ちゃんは大剣を振り回し、大佐は使い捨てのロケットランチャーやショットガンでダメージを与え続けている。
でも、逃げ回ってるだけの私を除けば実質戦っているのは二人。どうしても隙が生まれた。
「お姉ちゃん、大佐! 危ない!」
二人の背後にバーテックスの放ったミサイルが迫る。
私は思わず目をつむった……本当なら、ここでかっこよく飛び込んで、二人を守れたらいいのだけど、私にはそんな度胸も勇気もなかった。
永遠のような一瞬が流れる。すると、私の耳を聞き覚えのある叫び声が打った。
「勇者・パァーンチッ!」
爆発。
爆煙が辺りを覆った。そして、それが晴れると、そこには、
「友奈!?」
「野郎生きてやがったか!」
お姉ちゃんと大佐の声が飛ぶ。
「結城友奈、参上しました!」
「東郷はどうしたの!?」
「その辺は結構なドラマがあったんですけど、諸事情によりカットで!」
友奈さんは綺麗な桜色の、動きやすそうな格好だった。手に甲を付けていることから、きっと格闘戦で戦うんだろう。友奈さんは私と違って武術の達人なわけだから、とっても頼もしい。
「よーし反撃開始よ! ジョン! 弾幕!」
「OK!」
大佐の両手の機関銃が炎を噴いた。今更だけど、弾切れしないのだろうか。
「友奈は左! 樹は私についてきて!」
大佐の弾幕はバーテックスの肌をゴリゴリ削っている。でも、なんだか削るのと同時に、回復しているようにもも見える。
「バーテックスはダメージを与えても回復してしまうの」
お姉ちゃんが私の疑問に答えるように言った。
「じゃあどうやって倒すんですか!?」
「良い質問ね友奈! 方法は簡単。『封印の儀』を行うのよ」
「封印の儀?」
お姉ちゃん曰く、
『封印の儀』の手順は簡単。まず、バーテックスを取り囲みます。次に詔を唱えます。
終了。
「詔はスマホで表示されてるやつね」
「あっ、これ?」
その詔というのが馬鹿みたいに長い。なんでこういう類のものは長いんだろう。もっとコンパクトにしてくれてもいいのに。
私と友奈さんはバーテックスを取り囲むとスマホを片手に儀式を始めた。ご丁寧に古分調な詔は今時の中学生には難しい。しかも私達を急かすようにバーテックスの下にはタイマー的なものが表示されている。これがゼロになると、世界は終わりらしい。迷惑なシステムだ。
そんな中、お姉ちゃんは一生懸命唱える私達を他所に、
「大人しくしろぉぉぉぉ!」
と一喝しながら大剣でバーテックスを切りつけた。なんでも、心がこもっていれば何でもいいらしい。詔とは何だったのか。
切り付けると、バーテックスはぐったりとして、頭をベロンと開いた。その中から逆四角錐の物体が姿を現した。
「あれが『御魂』。あれを破壊すれば、私達の勝ち!」
「ここは任せろ」
弾幕を張っていた大佐が銃を捨てて、「とぁぁぁぁ!」と大ジャンプ、御魂の上に着地した。その上で、何か作業している。
「あっ、やばい」
お姉ちゃんが何かに気付いた。
「樹、友奈、逃げるよ!」
「えっ、えっ?」
私達は言われるまま走りだした。大佐も作業を終えると私達と共に逃げる。そして、大佐がチョッキから何やら発信装置らしきものを取り出してポチッとボタンを押した。
刹那、
「な、何!?」
御魂が爆発した。それも複数の爆弾が同時に起爆したような大爆発。空気を震わす轟音が私たちを襲う。御魂は見事木端微塵。
「やったぁ!」
友奈さんが歓声を上げる。
御魂を破壊されたバーテックスは一つ身震いすると、みるみる砂になっていった……。
※
「あれ」
気が付くとそこは学校の屋上だった。屋上には祠があって、その近くにいた。
見渡すとあたりはいつもの見慣れた風景で、そよそよと風が吹き、空では鳥が啼いていた。
「もどってきた……」
他のみんなも呆然と立ち尽くしている。
「みんなお疲れ様」
お姉ちゃんが言った。
その姿を見ると、私の中でこらえられない何かが爆発して、思わず涙が出てきてしまい、そのまま啼き声を上げてしまった。
「よしよし」
「うわぁぁ……怖かったよぉぉ……」
そんな私をお姉ちゃんはそっと抱きしめて、慰めてくれた。
「よく頑張ったね、樹」
お姉ちゃんの声は優しくて、強張ってた私の心をみるみるもみほぐしてくれた。
「お姉ちゃぁぁん……」
「冷蔵庫のプリン、半分食べていいからさ……」
「うわぁぁぁん」
そのプリンは元々私のだマヌケェ……。
おうどん食べたい