インフルのようでインフルじゃない風邪だった。何だったんだアレ。
あと、9.5話が7.5話に移動しました。
「みじめになるのは分かるさ、でも勇者でしょう? 現実を受け止めなさい!」
「う~」
放課後の図書室は静かで、須美たち以外の影はなかった。瀬戸内のさわやかな風が開け放たれた窓から吹き込み、三人の少女たちの髪を揺らす。
「
この日、須美は銀に付きっきりで英語を授業していた。その傍らでは、園子が呑気にスヤスヤ眠っている。
「大体さ、四国以外滅びてるっちゅーのに何で英語の勉強が必要なのさ」
「人類文化を絶えさせないために決まってるでしょう。今の段階でも、旧世紀に存在した言語の九十九パーセント以上が消滅したと言われているのよ」
英語は実用性を求める語学というより旧世紀文化学の入門という趣が強い。これで言語文化に興味を持つに至った子供たちはロシア語やスペイン語、ドイツ語、中国語などといった旧言語の研究へ歩みを進める。
故に、彼女たちの通う神樹館でも英語科目は必修だった。
「調べによると、銀の英語の成績はお世辞にも言いとは言えないわ。この間の小テストも四十点だったし。このままだと今学期の通知表の評価が『トーシロ』になるわよ」
「わかってるよー。わかってるけど、日本語ですら怪しいのにさ……」
そう言いながら、銀は園子をチラと見た。そして、不満げな顔をしながら、
「園子は良いの? ゼロ点だったじゃん」
「そのっちは良いの。回答方法を間違えてただけで正しく採点したら満点だったから」
「なんと、頭が良いんだ……」
「そのっちはすごいわよ。なにしろ寝言まで英語の時が……ほら」
噂をすればなんとやら、園子は二人の会話に反応してかむにゃむにゃと幸せそうに蠢いて、口元を緩めた。
「Я люблю Мино……」
「すまねぇロシア語はさっぱりなんだ」
「こう言ったんだよ。『ミノさん大好きだよ……』」
「銀ったらロシア語ができるの?」
「ああそうだ」
須美は意外だった。まさか銀がロシア語を習得しているとは……ていうかロシア語を出来てなんで英語が出来ないんだ。しかし、須美にとって気になるのはぶっちゃけそこではない。
「ねぇそのっち、私は?」
「むにゃむにゃ」
「私は?」
こういう時、須美はかなりしつこい。明確な回答を得るためなら世界の果てまで追い詰めていくスタイルだ。この姿勢は彼女の長所であり、短所である。
飽くなき須美の追及に、ついに園子が目を覚まし、机をバァンと叩いた。
「少し黙ってろこのオカマ野郎、ベラベラ喋りやがって!」
「この私が、オカマだとぅ?」
須美も立ち上がって答えた。
「四国じゃそれは喧嘩を売る言葉よ、かかってこい!」
こうして突如、鷲尾須美VS乃木園子の図書室デスマッチが始まった。銀はそれに対して「何やってんだ……」と呆れつつ、英語のテキストに向かっていた。
銀は須美や園子に比べて勉強が出来るとは到底言えない。特に英語なぞは、発音やら綴りがもう生理的にダメといってよかった。
「何だよ『I will be』って。発音も腑に落ちないし、意味わかんねぇ」
「発音が腑に落ちないってどういう意味なの?」
「英語が出来る人には分からない悩みだよ」
いつの間にか図書室デスマッチはお開きとなっていて、須美と園子は銀の向かいに座った。園子は身を乗り出して銀のテキストを覗きこむと、指をさしつつ教授してくれた。
「それはねぇ、『I'll be』って略すこともできるんだよ~。だから、例えばここの『私は帰ってきます』は『I'll be back』になるの」
「ほーん。略した奴はしっくりくるねぇ」
「その感覚、分からないわ……」
銀は感心したように言葉を口の中で反芻していた。そして、ある程度反芻させた後、ムムムと首を傾げて、
「『I'll be back』かぁ。なんかさ、『私は帰ってきます』って訳はお堅すぎね?」
ウームと彼女は思考を巡らす。やがて、閃いたように手を打った。
「『帰って来るぜ』とか『戻って来るぜ』なんてカッコよくない?」
「筋肉質な訳だね~」
「ちょっとふざけ過ぎじゃない?」
「いいんだよー。ほら」
銀は立ち上がり、渾身のドヤ顔と共に親指を立てて、
「I'll be back!」
「ミノさんカッコいい~」
「ありがとYO!」
※
銀のテストは(信じ難いことに)上手くいき、三人は気分良いぜぇと遠足の日を迎えることが出来た。
神樹館の遠足先は、須美たちの住む街から車で一時間程の場所にある『カルロの森美術館』という場所で、有名アニメ制作会社の運営する複合型の大きな公園である。国内随一の観光施設でもあるから児童のほとんどが訪れたことがあった。が、それでも皆大興奮であった。
「いつ来ても糞だめみたいなところだね~」
「ええ、全くね」
「見ろ! 象さんだ!」
カルロの森美術館はテーマパークとしての趣もあり、様々なキャラクターが大声で泣き叫びながら右往左往している。特に人気なのが映画『みてこいカルロ』に登場するキャラクター『カルロ』で、ピッチフォークで景気よく刺し殺される様は老若男女問わず絶大な支持を受けている。
「カルロ可愛いね~。あっ、こっちに手を振ってる~」
園子の向く方には件のカルロがいて、「アッー!」と断末魔にも似た啼き声を上げながら手を振っていた。
「私は『フォレスタルの墓』の方が好きだわ」
『フォレスタルの墓』は『みてこいカルロ』と同時上映された映画で、売り物のキャディ(ニューモデル)を元グリーンベレーの男に乗り逃げされるという悲劇的なラストは映画界に衝撃と感動を与えた。
「『なんでフォレスタルすぐ死んでしまうん?』ってセリフでもう泣けるわ」
「分かる。私はちっこい弟がいるからさ、余計に泣ける」
三人は映画談議を続けながら、銀の提案でアスレチックコーナーへと向かった。アスレチックの内容は吊り橋やらターザンやら電話ボックスやら多種多様だったが、所詮は一般ピープル向けであり、三人は
「まって! 置いてかないで!」
とは言え、園子は須美や銀に比べて運動神経はやや劣る。
「置いてくわよそのっち」
「待ちやがれぇぇぇぇ!」
園子がゴールし他のは三人がゴールして数分経っての事だった。
「はあっ、はあっ、もう、二人は待つということを知らないんだから……」
「いやーゴメンゴメン」
「修業が必要ね」
「う~、せめて二人に並んで走れるようにならなきゃ」
アスレチックに嫌気がさしたのか、今度は園子が三人を工房へ行こうと誘った。
美術館内にある工房では各人が自由な発想でモノ作りを楽しめる。手先の仕事になると、アスレチックの時と違って園子は銀を圧倒した。
「あっ! またやっちまった」
銀は先ほどから数度材料を割ってしまっている。対する園子は器用にも立派なターボマン人形を作り上げていた。
「すごい、コイツはカッコいいな!」
「それにボタンを押すと喋るんだ~」
園子が背中のボタンを押す。
『いくぞ! ターボタァイム!』
「やるわねそのっち」
そう言う須美の完成度も高かった。といっても、園子のようなオリジナリティ溢れるものではなく、見本品と瓜二つの物だが。
「須美はアレだな。設計図通り作るのは得意だけど設計図を引くのは苦手だな」
「そのっちみたいな企画力が欲しいわ」
ハァ!、とため息をつく須美。
「でも、三人で会社作ったらうまく回りそうだよね~」
園子が何気なく言った。
「私が企画設計で、わっしーが工場長兼社長。ミノさんは契約をぽこすか取って来るスーパー外回り」
「考えたわね」
「楽しそうじゃん。会社名は?」
「う~ん、『スカイネット』とか?」
「核戦争を引き起こしそうな名前ね」
その後三人は公園の中央広場でお弁当を食べると公園内を歩き回り、大声で泣き叫びながら右往左往しているマスコットたちと記念撮影したりした。
「ね、あれに乗りましょ」
そんな時に、須美が大きな池のほうを指さした。そこには『羽のついたカヌー乗り場』があり、小学生以下無料という看板が吊るされていた。
三人は乗り場へ向かい、係りのおじさんに案内されて羽のついたカヌーに乗りこんだ。エンジンをかけるとカヌーはポンポン音を立てて動き出す。羽はついているが、所詮はカヌーなので浮くことは無い。
舵輪は須美が握っている。
「集合時間までどれくらい?」
「あと一時間ちょいだね~」
「なら、池の真ん中まで行きましょう」
カヌーは池の中央まで滑って行った。この池は障害物(プレデター人形)がいくつかあって、多くの利用者が激突していたのだが、須美の華麗な舵裁きによって尽く回避されていった。
「綺麗な景色ね」
池は穏やかで、澄んでいた。波に反射した陽光が三人を優しく照らす。向う岸に並んだ木々と青々とした空に浮かぶ雲が水面に写り、幻想的な風景を作りだしている。
「風情があるわ」
「須美の感性は大人びてるなぁ。ま、綺麗だけどさ」
「ぐ~……」
「うわ、園子ったら寝てるよ。起きろ! 起きろってんだよ!」
その後園子と銀による戦いが始まり、危うくカヌーが転覆しかけたが須美の神がかった操船により何とかなった。集合時間の二十分前になって、三人のカヌーは乗り場に戻った。
「はい、お疲れさん」
係のおじさんがボートを繋ぎとめる。
「300貰おう」
「信じられない。結局は金が欲しいのか」
「資本主義者め……」
三人で仲良く踏み倒したころには集合時間ギリギリだった。
最後はクラスの全員で集合写真を撮って、バスに乗り込んだ。
行きは元気いっぱいだった児童たちも帰りとなると死ぬほど疲れているのか、バスの振動をゆりかごにぐっすり眠っていた。それは須美、園子、銀の三人も例外ではなく、後部席で三人仲良く肩を預け合ってグッスリ眠っていた。
神樹館に帰りついた頃には陽は大きく傾いていて、寝起きの児童たちを優しく包み込んだ。児童たちはこの中をそれぞれ家路につくのだ。
「いやー、バスの中で寝たから元気いっぱいだ」
「明日はお休みだね~。午前は訓練で午後は……何しよっか」
「そうね。まずはお前さんを盾にして、首をへし折るってのはどうだ」
「きついジョークだ……」
三人は夕暮れの街を並んで歩いていた。園子の言う通り明日は休日で、子供たちはそれぞれの予定を立てていた。
こういう時、予定を立てるのに秀でているのは銀である。
「じゃじゃじゃ、明日はイネスフルコース巡りにご招待しよう!」
「いいねぇ~」
「でさ、フードコートでジェラート食いながら例の会社の事を話し合おうじゃァないか」
「会社って、スカイネットとか言う世界を滅ぼしかねない名前の?」
「そそそ」
彼女が言うには、今のご時世赤ん坊だって会社を作れるわけだから、小学生が会社の会議をしたって何らおかしくはないということだった。
「バンバン会議して、商品を千羽海崖の果てまで売りまくれ」
銀が楽し気に拳を握りしめる。将来の夢を友と語り合うのは楽しいものだ。戦友ってのはいいモンだよなァ。
「私の中では色んな商品が浮かんでるよ~」
「ほほう、例えば?」
「善は急げって言うからね。例えば、レールガンとか、何故か大爆発を起こすクレイモア地雷とか、ターミネーターとか」
「そのっち怖い」
「四国がドンパチ賑やかになるね~。毎日が楽しいぞ~?」
フハハと笑う園子。
そんな物騒なことを話していた時だった。三人の体をいつもの違和感が駆け抜けたのは。
世界が樹海化する前触れだ。
「私は今ドンパチしたいわけじゃないのに~」
園子がため息をつく。答えるように須美と銀も、
「遠足の日くらい最後まで楽しく賑やかでいさせてくれてもいいのに……」
「これだからバーテックスは気に食わねぇんだ。こっちの都合も考えずに全く身勝手な連中だよ」
と落胆した。
世界が樹海に包まれていく。空は透明水彩を塗ったような色合いになり、辺りは神樹の根に包まれた。
三人は
「ではでは、隊長に就任した園子さん、お言葉を一つ」
「あ?」
遠足の数日前、三人の担任教師であり、大赦から派遣されたお目付け役の女性から園子は
「コマンドー部隊の隊長をお願いしたい!」
と指名されていた。
三人……もちろん自身も含め、てっきり須美が隊長になるだろうと思っていただけに驚いた物だが、その後の戦闘で園子の指揮官振りが発揮され、須美、銀の納得のもと、名実ともに隊長となっていた。
「そうね。そのっち……いえ、隊長。お言葉を」
「えぇ~?」
園子はウームと腕を組む。そして、よし、と言うと、
「指揮官はこの私だ。命令には従ってもらうぞ」
「最近のそのっち、キツイや……」
三人は跳び上がって、決戦の地である大橋へと向かった。
※
「あっ……」
園子が目を覚ますとそこはいつもの祭壇で、須美や銀の姿は無かった。
「夢か……」
二年前だというのに、ずいぶん昔の事のように感じられる。
空には夕陽があった。あの日三人で見たのと同じ夕陽だ。今では感動も呼び起こされることのない、空虚な夕陽。
「将来の夢……かぁ……」
会社の事、語り合いたかった。実現しなくたっていい。ただ、みんなで同じ夢を見て、ぶつかり合って、喜び合いたかった。しかし結局、どれもこれも、三人で考えることは出来なかった。
今頃、勇者たちはどんなことを考えているだろうか。強く生きようと思うか、こんな世界なくなってしまえばいいと思うか、それとも、また別の何かか……。
自分のしたことは間違っていないと断言することは出来ない。
でも、このまま知らないまま全てが終わってしまうのは、もっといけないと思った。
「ねえ東郷さん」
「『わっしー』でいいわ」
横たわる園子の傍らには、須美……東郷美森の影があった。
なんかシリアスっぽい終わり方したから今のうち言っときますが、次回はそこそこ超展開です。「なんだよこのssは!」と思いかねないけど、そこんとこよろしくお願いします。