「ねー母さん、クソ親父のこと教えてー?」
かつて幼い日の中村は、己の母親にそう尋ねた。
「駄目よ達也、クソなんて汚い言葉を使ったら。貴方が私の……うーん、好い人だった男かしら?…を嫌いなのは解るけれど、言葉遣いはしっかりなさい」
「はーい母さん、気を付けます。……でも親父はクソでいいんだ母さん。こんな美人で優しい母さん放っといてどっかに行っちまってる時点でそんなやつはクソ野郎なんだから!」
「あら、嬉しい事言ってくれるわね達也は。……でもね、あの人が今お母さんの側にいないのは、お母さんも少なからず悪いのよ?黙って出て行っちゃったからね、私」
その時に母が浮かべた悲し気な笑みを、中村は今でもよく覚えている。
「お母さんの好きだった人はね、結構凄い人だったの。頭の方がはっきり言って馬鹿だったんだろうけど、ものすごく腕っ節が強くてね。…きっと
達也にはまだ難しい話かしら?と母は何故か楽しそうに笑っていた事も、中村は印象に残っていた。
「達也はなんとなくあの人に似ているわ。女の子に対して軽すぎる所は似なくてもいいんだけれど、きっと達也が望むなら凄く強くなれる。お母さんだって結構強かったしね。
…だから達也、あなたがそれを続けたいと思うなら、周りにどう言われたって貫き通しなさい。お母さんだけは何時だって貴方を応援してあげるから。…でも辛くなったんだったら、投げ出しちゃってもいいのよ?お母さんはあなたに、生きたいように生きて欲しいわ。あの人がそうだったように、そして私はそうして自由に生きる人が好きだもの」
だから頑張りたいことを頑張って生きていきなさい。と、中村の頭を優しく撫でながらかつて母はそう告げたのだった。
「母さん母さん、クソ親父ってどれぐらい強かったんだ?」
「うーんそうねぇ……ただのパンチ一発ででっかいドラゴンを倒せるぐらいかしら?」
「くっそ悔しいけど凄え!!」
「……ってな会話したのを覚えてんだよ。今にして思えば俺の母さん魔法のこと知ってるっぽいわ、ドラゴンとか言ってたし」
「お前のお母さん何者だよ!?」
「いやそれより親父が何者だ!?」
~とある日の雑談にて、中村の回想語り~
「裂空、掌波ぁぁっ!!」
四方から迫る楓
四人の楓は人の背丈を遥かに超える小規模な津波の如き莫大な気に為す術も無く飲み込まれーー
『か、開幕早々に楓選手が光の波に……!?』
ーー朝倉が実況の台詞を言い終わる間も無しに、ぐりんと音が聞こえてきそうな程の高速で後ろを振り向いた中村が、その勢いをそのままに利用した裏拳を振り抜く。その一撃を身体ごと沈める様にして回避した
『…と!?やられたかと思われた楓選手が中村選手の後方から仕掛けて…!』
空中へと舞い上がった楓はその場で再び四人に分裂、各々が逆さに空を踏み締め中村へと時間差を置いて落ちて行く。
「ッ
中村は颶風を纏う凄まじい勢いの上段回し蹴りを初めに落ちて来た楓に見舞い、その楓を胴体から真っ二つに
「残念、外れでござる…な!!」
残り二人の楓がそれぞれ常人でも視認出来る程に巨大で密度の濃い気が充満した拳を無防備な中村に叩き付け、それぞれを両手で
「…っのヤロ!」
強烈な一撃に膝を折りかけた中村だったが、無理矢理な力技で二人の楓を払い除けつつ引き戻した蹴り足で闘技場の床を蹴り砕きながら跳躍。槍の如き飛翔脚によって一人の楓を貫きながら両手に作り出していた気弾を最後の一人へ打ち放った。
「裂空双掌っ!!」
「遅いでござるよ!!」
高速で己の顔面と胴体目掛けて迫り来る気弾を前に、しかし楓は笑みさえ浮かべながら両足で空中を踏み締め、綺麗な
貫いた分身体を掻き消した中村と気弾をスカした楓がほぼ同時に闘技場へと着地して構えを取る。漸く動きが止まった二人に対して、息も吐かせぬ激しい攻防に固唾を飲んで試合に見入っていた観客達から一斉に歓声が上がった。
『とても実況にならないハイスピードな攻防!今の所一進一退な互角の熱い勝負が繰り広げられています!!』
『まだ始まったばかりですから軽々な判断は出来ませんが、未だ攻撃を受けていない長瀬選手がやや優勢に思えますね。動きのキレと速度に於いては中村選手よりも上のようです』
「うわー…………」
「ガチバトルという奴ですね……」
明日菜が何処か引いた様子で呻く横で夕映が額に一筋汗を垂らしながらそう呟いた。
「まあでもあれだ、真っ当なという言い方もこの場合おかしい気がするが、レベルが高い他は普通の試合だな」
「か、影分身ってあんなに速く、見分けが付かない程密度の高い分身を複数展開出来るんですね………」
「…自重云々の話はこの際置いておくとして、本当に何故こんな実力を持った人間が普通に学業を営んでいるのかしら………」
「でも楓ちゃん本当に強いんやなー、忍者てあんまり直接勝負とかしたりするイメージ無いから意外やわー」
「楓は技術的な面を現状出来得る限りに完成させた一流の使い手アル。馬力で負けてても攻撃を当てるのはデスメガネレベルでも一苦労アルよ」
「中村の兄ちゃんもタフやからあん位じゃへこたれんにしても、分が悪いんは事実かもしれへんな……」
各々が戦況を何とはなしに分析、解説する中、千鶴はやんちゃな利かん坊でも見るような目で中村と楓を見やりながら傍らの豪徳寺に話し掛ける。
「何だか楽しそうですね。中村先輩も、楓さんも」
「元来俺等は
「比武を楽しめるのは良い事だ。が、懸念すべきはあの馬鹿がはっちゃけ過ぎる事だな。合意の上とはいえ、折角阿呆な友人達が無事に済む筈の無い修羅場をまだ取り返しの付く範囲で無事に済ませられたのだ、言ってしまえば単なる格闘大会で今更
何処か浮かれた様子で機嫌良く返事をする豪徳寺とは裏腹に、渋い表情の大豪院はそんな懸念を口にした。
『…えーと、あのー大豪院、さん……?』
「ポチと呼ばなければ俺のことは好きに呼ぶがいい相坂後輩。……まあ後輩とは此方こそ相応しくない呼称かもしれんがな。それで、何だ?」
基本的に男性陣の中で中村以外と積極的に会話をしてはいない為に何処か及び腰でさよが大豪院へ呼び掛け、この男からすれば最大限愛想の良い対応で大豪院が応じる。
『あの…今の大豪院さんの言葉を聞いてて、中村さんが勝つのは当たり前みたいな言い方に私聞こえてしまって……勿論、中村さんが強いのは普段の練習とかを見てますから凄く良く解るんですけど、さっきの解説の人や皆さんは楓さんの方が勝負で有利なんじゃないかって話をしてまして……えっとあの、大豪院さんは何で違う意見なのかなって思いまして…………あ、あのすみません、変な事聞いて……』
「言わんとする事は解った。話を聞いていれば当然浮かんでくる疑問だろう、謝ることは無いぞ相坂後輩」
的外れな言葉を口にしてしまったかと頭を下げるさよを遮り、嵐の如き乱打で軽妙な動きにより身を躱す楓を攻める中村を横目に見つつ、大豪院は答える。
「別段俺は必ず中村の馬鹿が勝利すると確信している訳では無い。が、どちらが勝つのかと問われればやはり俺は中村が勝つ確率が高いだろうと答えるな。豪徳寺、同じ意見だろう?」
「まあそうだな。長瀬が弱い訳じゃ断じて無えし、実力的には互角以上と言っていい。がまあ、どっちかと問われりゃ中村だろうよ」
「……旦那方に限って身内贔屓って事は無いんでしょうが「「あの最低最悪な変態馬鹿を俺達の身内扱いすんな(してくれるな)小動物」」…………へい、すいやせん」
「あ、あの~、じゃあ、どういう理由で…………?」
発した疑念を皆まで言わせず二人に声を揃えて斬って捨てられ、カモはすごすごと引き退がる。そんなやり取りに恐る恐る小さな声で割り込んだのはのどかであった。
「なに、単純な話だ宮崎後輩。仮に戦闘続行不能を敗北条件とするならば、馬力と耐久力の差で中村の敗けはほぼあり得ない、というだけの話だ」
「え…………?」
大豪院の言葉に思わず、といった様子でネギが声を上げる。豪徳寺はそんなネギの頭をボスリと軽く叩き、諭す様に告げた。
「普段お前は俺等と散々組手やってるだろうが。あの馬鹿は俺に次いでタフで、おまけに色々我流の俺と違って一つの武道をとことん磨き抜いてる麻帆良有数の武道家だ。長瀬の気の練りは確かにあの歳にしちゃ満点やれるんだろうが……」
『あぁーっと長瀬選手被弾ーっ!!』
豪徳寺の言葉の途中で一際大きな朝倉の実況が会場内に響き渡り、一同が闘技場内を注視する。
そこには、蹴り足を斜め下方に振り抜いた体勢の中村と、吹き飛んで闘技場の床を転がる楓の姿があった。
「長瀬は出力重視の鍛え方はしていねえ、どう考えても中村相手にゃ
「そして中村の一撃は決まりさえすれば対
……覚悟はしていたでござるが、何ともこれは分の悪い勝負でごさるな…………!!
喰らった衝撃は咄嗟に後ろへ飛んでダメージを軽減したものの、尚ガードした腕に残る熱く鈍い痛みに楓は僅かに顔を顰めた。
目にも止まらぬ鋭い三段突きを空中に飛び上がって躱し様、引っ掛ける様な回し蹴りで頭部を一撃しようとした楓だったが、素早く跳ね上がった両腕による十字受けで威力を完全に殺された挙げ句に天高く上がった片足による上方から斜めに叩き降ろすような蹴撃、通称マッハ蹴りによるカウンターで地面に打ち落とされる始末である。
無論のこと、楓とて無傷のまま一方的に攻め立てられる等と都合の良い展開を想定してはいなかったし、今の一撃にしても攻撃を受け止めた腕が
しかし楓は、早くも中村に動きを捉えられたこの時点が勝負の分かれ目であり分水嶺であると、そう感じ取っていた。
………さてはて、楓ちゃんはどうすんのかねぇこの後………………
中村はゆっくりと身体を起こす楓に対して油断無く構えつつも、まるで楽しい遊びをしている如く浮き立つ心を宥めて思案する。
待ちの姿勢にこそなってはいるが、中村は先程迄の猛攻を無駄と判断した訳ではなかった。確かに楓の動きはキレにキレており、中村の全力駆動で追い回したとして攻撃を当てるのは難しい。
……でも体力勝負なら絶対俺に分があっし、楓ちゃんの攻撃は仮に
中村はしっかりとした防禦を空手という技術体系に於いて獲得しており、只でさえ中村の連撃を躱しながらの腰の入り切らない楓の攻撃では何発入れられようがそれは有効打足り得ない。武道家としては上等な勝ち方で無くとも、耐久力と火力にモノを言わせてゴリ押しをすれば勝てる勝負だと中村は分析していた。
……勿論勝ちは勝ちだ、ケチを付ける気はサラサラ無え………でもそれじゃあ、ちょっと詰まんねえよなぁお互いによ。まだこんなモンが底じゃ無えだろ?もっと
「…楓ちゃんよぉぉぉぉぉぉっ!!」
中村は完全に身を起こし、身構えた楓に吼えながら高速で突っ込んだ。
『吹き飛ばされた楓選手、どうやら深刻なダメージは無い様子でしたが…立ち上がった楓選手に対して再び猛然と中村選手が襲い掛かったぁぁぁぁっ!!』
『どうやら先程の攻防で中村選手は楓選手の攻撃を然したる脅威では無いと見なしたようですね。逆に中村選手は
「……鉄柱捻曲げるって、此処に出場した奴等なら大体誰でも出来るんやないか?」
「ツッコむ所はそこなのかよ」
沸き上がる観客を余所に胡乱気な様子で呟いた小太郎に篠村がガクリと首を手前に折りつつツッコむ。
「ああ小太郎、勘違いだそれは。鉄柱曲げる位は確かに気が発現しているレベルの奴なら誰でも出来るだろうよ、でも喧囂の奴が言ったのは素手じゃ無くて
「……?、どういう事ですか?」
豪徳寺の言葉の要領が掴めなかったらしい夕映は眉間に軽く皺を寄せながら尋ね掛ける。
「素というのはつまり気による身体強化を用いない身体そのままの状態を指すのだ。奴は幼少期からの部位鍛練によって鉄の塊を殴打しても折れない骨と裂けない肉に、空手に於ける受打部位を置換している」
「……そんな事が本当に可能なの?修練の果てに呼吸を行うのと同等の域で気の練り込みを行う事によって鋼に勝る強度に五体を常時強化している一流近接術士の話は本国に存在します。けれど人体はそもそもが蛋白質を主な構成要素とする
続いた大豪院の答えに疑問を返すのは、魔法世界出身で多種多様な近接戦闘者の存在を知る高音だった。その言葉に豪徳寺と大豪院はふと顔を見合わせて苦笑を向け合い、馬鹿にされたと思ったのか憮然とした表情を浮かべる高音に豪徳寺が手を振りながら答える。
「悪い悪い。まあ人体なんてものは言う通り脆いモンではあるんだけどよ。魔法だの気だのと神秘の力が当たり前なそっち側と違って、その柔い身体を武器化する事にこっちの武道家の多くは力を入れてんだ」
言葉と共に豪徳寺が見やった闘技場では、上段回し蹴りを地に伏せて躱した楓に対して中村が更なる回転の後に後ろ回し蹴りを斜め下方に振り切った所であった。跳ね飛んで辛くも楓は再び躱したが、勢い余って振り下ろされた中村の蹴りは闘技場の床を豆腐か何かの様に粉砕する。
「あいつの手足にはもう爪と皮膚が残っていない事知ってるか?ガキの時分から部位鍛練で岩やら鉄やら殴り続けて骨折と裂傷を繰り返し過ぎたんで再生しなくなっちまったんだとよ」
「……いえ、あの。普通の手足に見えますけど………?」
いきなり始まった様々な意味合いで痛い話にやや引いた様子を見せながらもそう言葉を返す千鶴。
「ああ、あいつは麻帆良化学部が試験的に作成してる体表面に張り付いて皮膚の代わりをするとかいう医療技術のテスターやってるから見た目は普通なんだ。なんでも気を使う人間が思い切り酷使しても破れない様な強度の擬似皮膚を作成したいバイオ野郎と赤黒い手足や額じゃ女の子にモテないだろって馬鹿の利害が一致した結果らしいぞ」
「どうでもいい話だがな。兎に角素で鋼板をぶち抜く奴の拳足は気を込めれば人体所か装甲車を無造作な単なる拳一撃で簡単に破壊する、長瀬後輩の耐久力では防禦しようが耐えられまい。このまま正攻法で対峙を続けるならば遠からず決着だが……」
「…………そう簡単には決まらねえ、かな?」
大豪院の言葉に被せる様に篠村が言葉を洩らす。
一際大きく跳躍して中村の暴風雨が如き猛攻の範囲内から抜け出した楓の身体が僅かにブれ、再び三体の分身が造り出された。
「芸が無え、っつうんだよそういうのをよぉぉぉぉぉあぁっ!!」
再び四方にバラけて波状攻撃を仕掛けんとする楓達に対して中村は獰猛な表情でそう吼えると、腰溜めに構えた右の拳に莫大な気を収束させて前方へ躍り出る。
「破砕、正拳!千重砕きぃぃぃっ!!」
中村は迫り来る楓達に直接爆破の拳を向けはせずに、己が足下の闘技場床を粉砕。中村を中心として闘技場が爆ぜ割れて全方位に木片が散弾の様に飛来し、楓達を打ち据える。
「くっ……!?」
咄嗟に顔を両手で庇った楓は、直後失策に気付く。
「分身の見分けは確かに俺の女体センサーを以てして即座に判別はつかねえけどよ」
次の瞬間には中村が、
「分身は所詮気の塊だ、こういう咄嗟の反射行動とかでは反応鈍いんだよなぁ楓ちゃん…よぉ!!」
「が……っ!?」
言葉と共に叩き込まれた逆突きを楓は腕でガードしたが、人の拳とは思えぬ鉄槌で殴られたが如き衝撃により、ミシリと湿った木材が軋む様な音を立てて、楓の前腕の骨へ罅が入った。
そのまま吹き飛ばされる楓に中村は追撃を掛けようとはせず、動きが瞬間的に鈍りはしたものの再起動を果たして己へと殺到して来る楓の分身達へと向き直る。
「モノホンが入っても敵わねえのに分身だけで敵うかっつーのぉ!」
正面で左手に向かって身体をを切り掛け、瞬時に
最早
掻き消える様に消え失せた分身体達の残滓を振り払い、中村は闘技場の端にて蹲る楓に言葉を叩き付ける。
「どうした楓ちゃん!楓ちゃんの全力ってのはこんなもんかぁ!?俺と闘り合うのを楽しみにしてたってんならもうちょい気張ってみたらどうよぉ!!」
「あいあい。中村殿が望みとあらば存分に気張らせて貰うでござるよ」
そんな言葉に対する楓の返答は、中村の
「…!、うおっ!?」
「ふっっ!!」
背筋を疾った戦慄に中村が反射的に裏拳を振り抜く一瞬前に、気配を殺しながら近寄り中村の背後を取っていた楓の
「ごっ!?」
全く無防備に近い状態から強烈な不意討ちを受け、流石に体勢を保てなかった中村が前方に吹き飛ぶ。
そして其処には既に体勢を立て直しこれ迄で最大数、実に十体を優に超える数の分身体を作った楓が待ち構えていた。
「……では中村殿、拙者の全力を受けて頂くでござるよ」
三体分の拳や掌底を受けて仰け反りながら後方へ吹き飛んだ中村を背後の一体が水面蹴りで足払いをかまして宙に浮かせ、その他の二体による蹴り上げで上方へと打ち上げられる中村。更に前以て跳躍し、空中で待ち構えていたそのまた他の三体が飛び蹴りを打ち込み、地面へと中村を蹴り落としたその直後。クレーターを作りながら闘技場へめり込んだ中村の両手足を四体が一斉に間接技で拘束、床に磔となった中村目掛け、四体が遥か上空から虚空瞬動にて高速落下して中村の顔面、首、鳩尾、下腹部に猛烈な
『じゅ、十人を優に超える数に分裂した楓選手、中村選手を滅多打ちぃぃぃぃっ!!ていうか勝負あったんじゃないのこれもう!?』
『計測した所十六人居ますね、おそらくどれかの楓選手が本物なのでしょう。見た所残像でも幻覚でも無く確かに実体があり中村選手にダメージを負わせている様子です、これが忍の極意分身の術と呼ばれるそれなのでしょうか?』
「よっしゃぁ中村ぁーっ!!そのままボロ布みてえになって死に晒せやぁぁぁ!!」
「長瀬さーん頑張ってぇぇぇぇ!!この世全ての女の敵をこの世から消し去って頂戴!!」
集団リンチという言葉がこれ以上無く相応しい凄惨な光景だが、観客のボルテージは寧ろこれまでで一番の高まりをみせていた。
「……とことん嫌われていますねあの先輩は…………」
『み、皆さん酷いですっ中村さんがボコボコにされてるのを喜んでるなんて……!!』
何とも言い様の無い顰め面で私刑執行を見守る夕映とあまりと言えばあんまりな観客の態度に憤りを覚えるさよの膨れっ面が何とも対照的な選手席の一角、普通に考えて選手の生命が危ぶまれる一方的な光景であるにも関わらず、その場の雰囲気はどうにも緊迫感に欠けていた。
「うわぁ~楓さん容赦無いわねぇ……」
「こ、こ、これ止めなくて大丈夫なんでしょうか~?」
「い、いや放っておいたら明らかに駄目な状況に見えるんですけど………」
「ああ放っとけ放っとけ。あの馬鹿はゴキブリよりもしぶといからあれ位なら欠片も問題無えよ」
「長瀬後輩も流石に殺すつもりはあるまい。尤も殺すつもりで掛かったとして殺しきれるとは到底思えん以上取り越し苦労でしか無いがな。ところで豪徳寺、中村の体勢を崩したあの長瀬後輩の分身は矢張り以前から忍ばせていたのだろうな?」
「多分な。長瀬の能力が本体と遜色無い密度で造り出せる影分身は
心配している者は無論の事居はするのだが、中村 達也というナマモノをよく知る者ほど反応がドライなものである。
「……なんだろうな、普通に前回か前々回一歩手前位には酷い光景だとは思うんだが、対象が中村ってだけでまあ放っといていいだろ、って気分になるぜ…………」
「不謹慎、というか職務怠慢。…と言いたい所だけれど、気持ちが
「い、いや皆さん待って下さい!!幾ら中村さんでもあんなに一方的にやられてたんじゃ危ないですよ!止めに入った方が……!」
「まあ座ってろやネギ。確かに一方的にボコられとるんは確かやが、楓姉ちゃんのあの分身は能力が大分本体の楓姉ちゃんと比べて三枚は格が落ちとる筈や。十五体分の攻撃は見た目ほど効いてへんと思うで?」
何となく全体に流れ始めた放置ムードを払拭する様に、ネギが座席から立ち上がって抗議する。その肩を押し留め、待ったを掛けるのは隣の小太郎だった。
「小太郎君、そんななこと言ったって…………」
「まあ落ち着けネギ。あの馬鹿が仮に殺られてもまあいいかで済ませられるから対応がおざなりになっているのは認める、でも小太郎の言ってる事は正しいぜ。残念至極な話だがあれでやられてくれんなら普段から俺等は苦労してねえ……何がおかしいんだよ那波ぁ?」
「いえいえ、何でもありませんよ?素直に友人を信じている、で済ませられないものかなぁ、なんて思ってはいませんから」
「こいつ…………!!」
「余所でやれ。……ともあれその通りだネギ。おそらくあの馬鹿は長瀬後輩の
ピンボールの様に闘技場内をあちこちに吹き飛ばされる中村を見やりながら、大豪院は低く笑ってそうネギに告げた。
……っ!……芯に響いている気が、しないでござるな…………!!
複数の分身体と共に気を込めた拳で中村を殴り飛ばし、休み無く追撃を仕掛けんと疾る圧倒的優位に立つ筈の楓は、そう内心で臍を噛んでいた。
楓の十五体という数の影分身は、分身体のスペックが実践にて通用し得るギリギリの域を保てる限界数であり、紛れもない楓の全力である。個々の能力は下手な部長クラスを下回り、判断能力も落ちるためあまり複雑な連携を取れなくなるのに加えて莫大な気を消耗するというリスクはあれど、楓本体を含めて十六対一という数の差は圧倒的なアドバンテージであり、総合的な火力は四体分身の頃よりも格段に跳ね上がる。正しく楓にとっての切り札であり、根本的な鍛え方の差異で水を空けられつつあった状況に於いて切る事は何もおかしな話では無い。
しかし、楓は順当な手段であると己の攻め手を肯定したその上である懸念があった。
…………果たしてこれで……火力の不足を手数で補うこの方法で…………
…………中村殿を、倒せるのでござるか………………!?
単純に手数を増やせば攻撃を当てることは可能であり、中村の反撃を封殺して一方的に攻めることも出来る。
しかし。
この鍛えに鍛え抜かれた
中村 達也を倒す事は可能なのか、と。
攻撃は届いている。巧みな体捌きや受けで必要最小限の急所こそ守り抜いている中村だが、入った有効打の数は既に五十を超えている。
しかし中村の眼から光は消えない。肝臓を横腹から手刀で突き刺されても、膝の関節を蹴り抜かれても。ガードの隙間を縫って顎を打ち抜かれてもただ愚直に数の暴力を耐え凌ぐ。
ギラついたその眼差しに射抜かれた気がして楓の背筋を恐怖と歓喜が同時に駆け抜ける。
……矢張り…………
…………これでは中村殿は倒せんでござるな…………!!
楓とて分身をノーコストで維持出来る訳では無い。分身が使用した気は楓本体からの消費であり、多量の分身を保つには多大な集中力を必要とする。消耗仕切る前に押し切るつもりであったが、このまま攻めていてはじり貧に削れて逆襲を喰らうと楓は判断する。
しかし楓にこの多重分身による超密度攻撃を超える火力を誇る手札は無い。だから楓は手数を保ったまま火力を上げに掛かった。
「…………っ!はぁっ!!」
一際力を込めて中村を大きく弾き飛ばし、楓は分身達に追撃を掛けさせること無く終わりの無い様に見えた連続攻撃を止める。
『楓選手が攻撃を止めました!!しかしこれは勝負ありというよりは……!』
『正に
「「「「……さて、止めと行かせて貰うでござるよ中村殿?」」」」
十六人全ての楓が声を揃えてそう宣言し、拳に気を集束させる。半円状に整然と並んだその姿からは必討の気迫が見て取れた。
「……ゴホッ!!………へっ!最後まで
中村はあちこちに血の滲んだボロボロの姿で一つ咳き込み、赤黒い血の混ざった唾を吐き捨てながらも、ニヤリと笑って言い放つ。
「効いちゃいねえからな、こんなもんはよ」
「…流石の益荒男でござるな、中村殿。そんな御仁だからこそ、張り合う事に縁の無い拙者が、柄にも無く勝ちたくなったのでござるよ」
はったりとも痩せ我慢とも取れる中村の言葉に、しかし楓は嬉し気に一つ微笑む。
「……参るでござる」
「来いや、楓ちゃん」
お互いに言葉を伝え終えた直後、楓達の姿が一斉に掻き消える。一瞬後には中村の周囲を楓達は十重二十重に上空を含めて囲い、中村が上下左右前後何処にも逃げ場の無い状況を作り上げた。
「「「「はぁっっ!!!!」」」」
楓渾身の一撃。破壊力に特化していないといえ、人体など容易く破壊する超常の力を秘めた十六の拳が、あらゆる方向から中村の身体を貫いた。
『楓選手の一撃……いえ、十六撃の全てがクリーンヒットォォォォォッ!!さしもの中村選手もこれでは…………』
『…………いや、どうやら
暗に決着を匂わせる朝倉の言葉を遮って喧囂が不敵に笑いながらマイクに声を乗せた。
闘技場の中央では無数の拳に貫かれた中村が口から血を溢して今にも倒れそうに身体をグラつかせる。
しかしそれよりも早く、中村が繰り出していた
「……え!?何今の!?」
「何も糞も無えよ。中村の野郎が本物の長瀬にカウンターで逆突き決めたんだ」
「あれではアバラが粉々だろう、勝負ありだな」
「ポチ!中村はどうやって本物の楓を見分けたアルか!?楓が距離を詰めてから攻撃に移るまでは僅か一瞬だたアルよ!!」
「俺をポチと呼ぶなバカンフー娘!!」
「……解ったかネギ?」
「僕にはじっくり見ても見分けがつかないよ小太郎君……」
「俺はあの本物との差なんぞ毛程も無い四体分身は無理やがこの密度なら何とか見分けは付くわ。…でもあの一瞬で見分けんのは無理やわ、そもそも全員視界に入れんのも無理やろ」
「どういう原理で見切ったというの?」
「解らねえけどあいつの事だから何となく馬鹿な理由の気がすんだよなぁ……」
ワイワイと各人がやや興奮した様子で話し合う中、夕映はこっそりと息を吐き、隣で同じ様な動作をしたさよと視線が合って苦笑を向け合う。
「…まああれだけボロボロでこのような言い方はおかしい気もしますが……」
『……無事に終わって良かったですね………』
「……あの一瞬で。…………拙者の本体を見極めたので、ござるか……?」
「まあ半分賭けだったけどな」
片手で腹を押さえて荒い息を吐き、顔を蒼白に染めながらも中村へと事の如何を尋ねた楓に、中村は口元の血を拭いながら笑って告げた。
「まず楓ちゃんが正面側に来てくんなきゃさしもの俺も見分けられやしねえよ、見えねんだから。……逆に言やあ見えてりゃあ解るよ、俺が女の子見間違えっと思うか楓ちゃん?」
「……はは。説得力が有り過ぎて笑えんでござるな…………」
楓は仄かに苦笑を浮かべ、軋みを上げて苦痛を訴える胴を無視して立ち上がる。
「で?まだやっか楓ちゃん?」
「…………いや、止めておくでござるよ中村殿。些か辻殿や山下殿と比べて情けない体たらくかもしれんでござるが、拙者が命を賭けるのは此処では無いでござる」
中村の問い掛けに、楓は一瞬考える素振りを見せた後緩やかに首を振った。
「それでいいと思うぜ。ヌルいドンパチはご免だけどよ、殺し合いがしてえ訳じゃ無えからな俺は」
楓ちゃんもそうだろ?と中村は笑顔で尋ね、ややあって楓はそれに頷いた。
「中村殿」
「あん?」
「……また、闘りたいでござるな」
「……!、おう、また闘ろうぜ!!」
「朝倉殿、拙者の敗けでござる」
「……あんたらアタシは穏便にって………いや平和に終わった方なのこれ?………………まあいっか…………」
何かを諦めた様な表情で朝倉は手を掲げ、試合終了の宣言を行う。
『まほら武道会第三試合!長瀬選手の
『わぁぁ…』
『『『『BUUUUUUUU!!!!』』』』
会場内には僅かな歓声と大量のブーイングが木霊した。
「何勝ってんだ中村ぁぁぁ!!」「変態が生き汚ねえぞ糞がぁぁ!!」「嫌ぁぁぁ犯罪者が生き残ったぁぁぁ!?」「ホント腕っ節
「五月蝿えぞカス共が文句のある奴ぁ降りてこいや相手になったるわ雑魚の群れがぁぁぁぁぁぁ!!!!」
『物を投げないで下さい!!選手が退場します!!』
『締まらないですねえ中村選手が絡むと何事も』
「五月蝿えーー!!」
「本当に締まらねえなあいつは」
「まあらしいと言えばこの上無くらしいがな」
やれやれ、という服音声がぴったりな様子で溜息を吐く豪徳寺と大豪院。
「良かたアル、凄く平穏無事に終わたアルな」
「……平穏?」
「……ぶ、無事って…………」
「まあ今までの二試合と比べれば大人しい終わり方…では無いでしょうか?」
「……普通って何だっけ?」
「…もう考えない方が幸せだと思います、お兄様」
一部の人物が遠い目をする中で、中村は飛んでくるペットボトルや空き缶、トイレットペーパーや鉄アレイにナイフ等を怒りの鉄拳で弾き飛ばしながらズカズカと荒い足取りで一同の元へ帰還した。
「長瀬置いてくんなよ薄情モン」
「じゃかあしい。楓ちゃんはアバラが軒並み砕けてっから医務室直行だし俺が送ってったら心無いクズ共がゴミ投げて来て危ねえだろ」
この至高の存在を受け入れられぬとはゾウリムシ以下の低俗共が!!と無意味な決めポーズ(ジョジョ立ちver吉良○影)を決めながら憤る中村を殆どの人間が冷たい眼差しで見やっているが、そんな中でさよは無邪気な笑顔を向けつつ中村の奮闘を労った。
『お疲れ様です、中村さん。凄かったです!!楓さん分裂したりとても速く動いたりしてとっても強かったのに、中村さんって本当に強いんですね!!』
「んん~さよちゅわんもっと誉めてくれていいのよ俺様という一人の天才的存在をォォォォ!!」
「なんとも解りやすく調子に乗っていますね、この人は」
さよの純真で真っ直ぐな賞賛に鼻高々と仰け反って高笑いを上げる中村に夕映が呆れた顔で言葉を突き刺す。
「お!どうよ夕映っち、俺ぁ格好良かったかね?」
「格好良い悪いはさて置き、存外真面目に闘っていましたね。何時もその調子でいればもう少し余所からの評価も上がると思うですよ」
「つれないねえ~」
コロコロと喉を鳴らす様にして笑う中村に、夕映は僅かに眉根を寄せて尋ね描けた。
「……大丈夫なのですか?」
「心配すんな」
ポツリと告げられた言葉に中村は即時返答する。
「楓ちゃんは強かった。でも俺ぁこんぐれえで試合を投げやしねえよ。手足は動く、血も止まった。……止まる理由は無えんだな。心配すんなや夕映っち」
「……半人外所か八割人外の貴方を心配などしませんよ」
フン、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた夕映の態度に、中村は苦笑してからポンと頭を一度だけ撫でる様に叩く。慌てて振り向く夕映だが中村は既に背を向け、さよの方へと向き直っていた。
「見てろよさよちゃん!次に上がって来んのが優男だろうと軍艦頭だろうと俺は華麗に勝って見せるぜ!!」
『はい!応援してますね中村さん!!』
キャッキャと騒いでいる中村だったが、そんな空気に中へ入り辛そうにしていた小太郎が意を決した様に声を中村へと掛ける。
「……中村の兄ちゃん、ちょっとええか?」
「駄目と言ったらどうするつもりだお前は?」
「……それは…………ええい茶化すなや!!」
「美少女とのふれあいを脇に置いて小生意気なガキンチョの相手をしてやろうというのだからこんぐれえ我慢しろや。で、何よ?」
お兄さんが胸を貸してあげよう、とドヤ顔で尋ねてくる中村に小太郎は一瞬拳に力を込めるが、ツッコんだら負けと己を落ち着かせ、深呼吸を一つしてから問いを放つ。
「兄ちゃんは楓の姉ちゃんの分身、
「ああ、その事か。確かにありゃあ本物と殆んど違いが無えからな、さしもの俺様も初めの方は見分けが付かなかった。しかしな小太郎、如何に似せようとも本物には到底及ばない点が分身にはあったんだよ」
中村はフッと涼やかな笑みを口元に湛え、何かを鷲掴みにするが如く五指を曲げた両手を己の胸へと持ち上げる。
「そうそれはあのたわわなおっぱいが激しい動きに合わせて行う魅惑の
得意満面に阿呆な語りを続ける中村の顔面に、無言のまま夕映が投げ放った一抱え程もある鈍器の様な分厚いハードカバーの書物が突き刺さった。
「ブハァァァッ!?」
「……さて、綺麗に落ちが着いた所で次は俺の番、か」
もんどりうって倒れ伏す中村を無視して豪徳寺が呟き、視線を観客席の一角に向けた。
その戦意を秘めた力ある眼差しに気付いてか、豪徳寺に首を向けてフードの端から見える口元に柔らかな笑みを浮かべてヒラヒラと手を振るのはクウネル・サンダース。
元はといえばネギ達一行がまほら武道会に参戦を決めた理由そのものである人物であった。
豪徳寺は獰猛な笑みを余裕綽々としたクウネルに返し、滾る闘志を身体から溢れさせながら傍らの千鶴へと告げた。
「約束を果たすぜ、那波。お前に俺を見せてやる」
「……はい。頑張って下さい、等と当たり前の文句は言いませんわ。期待しています、豪徳寺先輩?」
閲覧ありがとうございます、星の海です。
更新遅くなりまして申し訳ありませんでした。山場は越えたので少しずつペースアップを図っていきます。
中村と楓の試合は割とあっさり決まりました。楓が何だか弱く感じられるかもしれませんが、楓は忍ですから正面戦闘よりもゲリラ的な強襲や不意打ちめいた撹乱戦術がメインではないかなという作者の判断による意図した描写です。苦無やら爆符やら武器も使えずに隠れる場所など皆無な闘技場でガチな武道家とやり合うのにそもそも楓は向いていないという判断です、ルールと場所が違えば逆に一方的な楓有利の試合もあり得たでしょう。
次回は豪徳寺VSクウネルです。これも順当に行くと言えば行きますので、上手くすれば一話に収まるやもしれません。次回も楽しみにお待ち下さいませ。
中村の親父は果たして何者なのでしょうか 棒)
それではまた次話にて。次もよろしくお願いします。