『大晦日』
一年の最後の日であり、別名『大つごもり』。日本では年神を迎える行事が行われることで有名だ。
もっともこれを知る前の俺にとっては年越し蕎麦や新年に向けてのおせちなど、食事の印象が強い。おせちや蕎麦は比較的太りにくそうなものばかりがあるのだが、クリスマスとも日にちが近いこともあってそのまま食べ、米をついて凝縮する形の餅は小さなものでもかなり米が必要というのもよく言われていたことだった。
一年と終わりであるこの日は、この一年頑張った自分を労うようにのんびりするのが天の世界での俺の日課だった。
が、やはり大陸では天の世界で『旧正月』と呼ばれる旧暦の一月下旬から二月上旬に祝うらしく、なんら生活に変わりはない。
「でも、したいなぁ。
大晦日らしいこと」
とりあえず、部屋の掃除を簡単に行い、大掃除は済んだ。
が、俺が知る限りでの年末の行事の大半は、天の世界の技術だから出来たことが多い。
炬燵とか作ったら、誰も仕事をしなくなりそうだから華琳にシバかれそうだし。法被は既にあるので防寒対策も上々、というよりも衣服系に関しては異常に発達しているのだから、俺の知識が入る余地などそれこそ濃い趣味の物ばかりだ。
しめ飾りとか、鐘とか作っても、微妙だろう。
というか、俺を始めとして煩悩を消したら存在自体消え去りそうなのが数名いるんだが・・・・ 主に食欲とか、趣味に対する知識欲とか、色欲とか。
「冬雲が失礼ことを考えているような気がしたわ」
「メッソウモアリマセン」
扉を叩く音こともなく入ってきた華琳の言葉に即答しつつ、俺は華琳を見た。いつもならば仕事を行っている時間だし、そんな時間にここに来るのは非常に珍しい。
「今日は休みなのよ。だから、付き合いなさい。冬雲」
どうやら顔に出ていたらしく、問いに対しての単純な答えが返ってくる。そして相変わらずの清々しいほど傲岸不遜な物言い、だが俺は再び珍しいと感じた。
「俺は仕事あるぞ?」
そう、俺が仕事だとわかっているにも関わらず、華琳からそんなことを言ってくることは今までなかった。
仕事に対してはこの国の誰よりも厳しく、サボりなどすればそれこそ恐ろしいほどの量の仕事を与えてくるような華琳が、わざわざ俺に我儘を言いに来るとは思ってなかった。
「あなたがいつものように片付ければあと四半時で終わる量だった筈よ、それまではここで待つわ」
・・・・・なんというか、俺のことを熟知してらっしゃる。
呆れつつも、書簡を片づける手を止めず、白陽によって華琳に茶などが用意されていた。
華琳も俺の部屋だから気を使うわけもなく、寝台に寝転んだり、日記に手を付けようとしたりするなどいつも通りだった。
あっ、俺に日記を勝手に読んで顔を赤くしてる。
「と、冬雲!
あなたは日記に何を書いているのよ?!」
稟みたいに顔を真っ赤にして照れる華琳なんて、なんて珍しい。思わず顔がにやけるだろう?
「何って・・・・ そりゃ日々あった楽しいこととか、みんなが如何に可愛いかとか、料理がうまかったとか、大したことは書いてないと思うんだが?」
「・・・・・白陽、あなたはこの日記の中身を知っているのかしら?」
俺に話しても無駄だと思ったのか、華琳は白陽に問い、問われた当人は満面の笑みを浮かべた。
「存じております」
何でだよ?!
喉まで出かかったその言葉をどうにか飲み込み、書簡に集中することを心がける。が・・・
「あら? 照れることはないじゃないですか。華琳様。
華琳様が詠まれている恋の歌も同じような内容でしょう?」
「当然でしょう、愛する者を思って歌を詠む。
それのどこかおかしい所があるのかしらね?」
黒陽から知らされたその一言に俺は耳を疑い、おもわず顔が熱くなるのを感じた。勿論、続いた華琳の言葉にも、だ。
「なら、俺が日記にそういう言葉を残してもおかしい所はないよな」
「・・・・!! えぇ、そうね」
互いに赤くなった顔を向けぬようにしつつ、周囲の温度が上がったような気がする。っていうか、黒陽と白陽も生暖かく見守ってるよね?
いつものように影に隠れるくらいの配慮してくれよ!
そんな部屋の温度が数度上がった状態で何とか仕事を切り上げ、俺は華琳に連れられるがまま市へと向かう。
「それで? 何か買うのかよ?」
「あなたが以前言っていた、おせち料理と年越しの料理を教えなさい」
「はっ?」
驚きのあまり間抜けな声を出してしまい、華琳を見る。
「私たちとは違い、暦が
その料理を皆に振る舞いたいから、あなたも手伝いなさい」
「・・・・わかったよ、華琳」
苦笑しながら、華琳の手を取って、市を歩く。
いつも通りの市の賑わい、俺がこうして出歩くことは珍しいことではない。仕事の関係上以前より、確実に回数は減ってはいるが、やはり将の中では多い方だろう。
「さて、華琳と楽しい逢引きだ」
俺がそう言ってニヤリと笑いかけると、華琳は呆れるような、幸せなようなそんな笑顔を見せてくれた。
「買い物するだけでは子どもじゃないのだから、はしゃがないの」
「夕飯の買い物を、こうして華琳と出来ることが嬉しいんだよ」
立場的に難しいことだとわかっていても、やっぱり好きな人と手を繋ぎ、腕をからめて歩くことはそれだけで嬉しい。
「まったく・・・・ あなたって言う人は・・・・」
何よりも何気に俺がクリスマスに渡したマフラーを巻いてくれてるところとか、酒宴の時は決まって俺が贈った杯を使ってるところとか、嬉しくてたまらない。
ヤバいな、顔のにやけが止まらん。
「使ってくれてありがとな、そのマフラー」
照れくさくて、喧騒に紛れそうな小さな声でそれだけを言う。
贈り物は贈った側の自己満足な部分が多いが、やはり使ってもらえるとその喜びが増すような気がするのは、俺だけだろうか?
「・・・・あなたが贈ってくれた物だもの、当然じゃない」
俺と同じような小さな声で言われたその言葉は、確かに俺の耳に届いていて、さっきの言葉が華琳に聞こえていたことを知る。
なんとなく互いに顔を会わせられなくて、俺たちは互いの手だけをしっかりと握ったまま、俺たちはそのまま買い物を終えた。
寄り道して帰りたかったが、料理のことを考えるとそれも出来ず、両手どころか背中すらも物がいっぱいの状態でとっとと城に戻って料理をすることが決まった。
見慣れた厨房、そこには助っ人としていつも通り流琉と雛里、秋蘭の三人が居て、料理をするときには必須の人手が揃っていた。
まぁ、季衣とか春蘭とかが人の十倍は食べるから、量を用意しなくちゃいけないっていうのが一番大変なところではある。今回はあらかじめ料理に関して俺が訳して記しておいたものがあったので、それを使用。
おせち料理で時間のかかる黒豆だけを仕込み、早々に蕎麦打ちに移る。
「兄様、一つ聞いてもいいですか?」
蕎麦粉と小麦粉を手早く混ぜ、水を混ぜ合わせたら、パンのように一つの塊にしてこねる作業をしながら、流琉が聞いてくる。
「これって結構、手間のかかる料理ですけど、どうして兄様が作り方を知っていて、手際がいいんですか?」
素朴な疑問を突かれ、俺は少し驚く。
まぁ、確かに前の俺に比べればいろいろなことが出来るようになっているし、それをどうしてかと聞かれると・・・・ 答えにくい。
「それは確かに・・・・ 縫い物もそうだったが、お前はどうもいろいろなことに精通しすぎていないか?」
「釜とかの知識もそうでしゅ!
こことあちらではいろいろ異なる中で、すぐさま別の形に意見をまとめるなんて尊敬してしまいます」
流琉を後押しする形で二人もそう言ってきて、俺はおもわず苦笑いしてしまう。
そんなに凄くないんだがなぁ・・・・
「それは確かに不思議ね、どうして男が興味のなさそうな食事、ましてや衣服にまで精通しているのかしらね? 冬雲」
栗きんとん用の栗を向く作業をしていた華琳まで加勢し、俺はやや苦笑いする。
「・・・・衣服に関しては天の世界で当たり前にあったんだよ、綺麗な女の子に着せたり、空想上の物語に出てくる子に着せたりすることがさ。
だから、普通に暮らしているだけでまったく興味を抱かない人以外、多少は知ってるのが当たり前なんだよ」
それでも知ろうとしなければ、知ることは出来ないというのは伏せておこう。主に俺のために、そして天の世界の男の面子のために。そんな趣味ばっかりの人間ばかりだと思ったら、天の世界が幻滅されかねないしなぁ。
「つまりあなたは、興味があった。ということね?」
華琳の言葉に俺の手は止まり、冷や汗が出てきた。
だがみんな、考えてみてほしい。
華琳の美しい金髪にウサギ耳をつけ、『不思議の国のアリス』のような服を着たら?
秋蘭のあのしなやかな鹿のような体に黄を基調とし、橙や桃色の花が咲いた美しい振り袖を着せたら?
流琉の可愛らしい見た目に着ぐるみを着せ、あるいは料理用のエプロンを着てもらって『おかえりなさない』なんて言われたら?
雛里の普段かぶっている帽子にあわせて、魔女の衣装を着せ、さらにそこに
脳裏に描かれていく、みんなの美しい姿。
うん、好きであってもしょうがないと思う。
ていうか、今ここに居るみんなだけを考えたが、他のみんなでも余裕に考えられる。
もともと可愛い大切で大好きな人たちが、さらに自分好み可愛らしい格好をする。
それを嫌いな人間などいるわけがない。
「冬雲・・・・・」
秋蘭が俺の考えを読むように呆れたような表情をしているが、仕方ない。
何故ならみんなの素材が良すぎるし、それをさらに着飾りたいと思うのは人の
俺は今なら沙和と共に語り合い、うまい酒が飲めそうだ。
「華琳だって、好きな子たちを着飾るのは好きだろう?
俺だって、大好きなみんなが綺麗な服を着て嬉しそうにするのが好きなんだよ」
「それはわかるわね」
華琳の目が一瞬怪しく光り、獲物を見るような目がしたが、気のせいだと思いたい。
が、それがゆるぎない事実だというのなら、俺一人だけにはしない。
「どうせなら男女を含めて衣装を考えたり、市場を賑わせるために民とかも見学できるような会場を使って衣装を見せる場を作ったりするのもいいかもな。
樹枝や樟夏、男は少ないから俺を含めて参加になるだろうし、天和たちとか他のみんなが出ることで結構盛り上がるんじゃないか?」
全員を巻き込む形、なおかつ市を賑わせるという目的(建前)を使って、立案へと持っていく。
そして、義弟たちよ。お前らも巻き込まれてしまえ。
樹枝はもしかしたら、女装させられるかもだけどな。
「悪くない案だわ。今度、時機を見て開催しましょう。
フフフ、あなたもなかなか頭が回るようになってきたわね。冬雲」
俺はそれにただ笑うだけに留め、秋蘭は呆れ、雛里はどこか感心していた。ここで余計なことを言わないのが、樹枝たちとの違いだろうな。
「それで兄様、料理や陶芸はどうしてですか?」
流琉が話を変えるように言ってきたので、俺は生地に布を被せて寝かせる準備をしてから軽く手を払う。
「やることがなくて、暇だった。
だから、体を鍛える片手間にいろんなことを学んでみたんだよ。
伝統工芸や、料理やら、一通り出来そうなことはやってみた。これがまた楽しくてな、何より一つの作業に集中することが出来たよ」
集中力もついたこともだが、贈り物を手作りできることが学んできてよかったと思わせてくれた。今も少しずつ作っているものがあるが、それは完成するのも渡すのも大陸が平和になってからだろう。
「まっ、そのおかげでみんなを喜ばせることも出来てるし、こうして一緒に厨房に立てるから、俺としては良い事尽くめだけどな」
「もうっ! 兄様は・・・・ 大好きです」
そう言って俺へと抱きついてくる流琉をしっかり抱きとめて、髪を乱さないように優しく撫でる。
「俺も大好きだよ、流琉」
面子が面子なだけに抱きついて来たり、嫉妬することもなく、その場に温かな空気が流れた。
そうして大した問題もなく、順調に宴会の準備が行われていった。
全員が揃い、いつも通りの無礼講。
酒を飲み、料理を食べ、天和たちが歌い、樹枝と樟夏に将の誰かが絡み、牛金が突然侵入して樹枝と取っ組み合いやど突き漫才をする。
あぁ、いつも通りだ。
後半がおかしい? 日常だ。
「お兄さーん、飲んでますかぁ?」
大きな酒瓶を抱えて持ってきて、俺の杯へと景気よく注いでいく。俺もそれを受け止めつつ、そのまま呷った。
「まぁまぁ、かな。
霞と飲む速さを合わせてたら潰れそうだから、加減して飲んでるよ」
「霞ちゃんは底無しですからねぇ、あれに合わせられる人なんているんでしょうかぁ?」
クスクスと笑う風の杯にも酒を注ぎ、風は俺の肩にもたれかかるようにして酒を口にする。
「うーん、お兄さんと飲むお酒は美味しいのですよ」
俺へとさらに体を寄せながら、目を細めて酒を傾ける風はとても幸せそうで、おもわず俺も笑顔になってしまう。
「蕎麦は美味かったか? 風」
「咽喉越しが良いですねぇ、今回は温かい物で食べ、なおかつ何も乗せていませんでしたが、いろいろと工夫すればまだまだ増えそうですねぇ。
お店にするのも楽しいかもしれません」
・・・・華琳しかり、軍師のみんなはすぐさま市場に乗せようとするよな。いや、当然と言えば当然なんだけど。
「大根をおろした奴とか、山芋をかけるとうまいんだ。
今度、季衣にでもよさそうな料理人を見つけてもらって、実行に移すか」
季衣なら小麦粉系を使う料理が得意な人を知っている可能性は高いし、季衣が知っている時点でそれなりの腕前を持つ者という証拠。
基礎となる味が出来ていれば、あとは個々の工夫次第だ。
「そうしましょー、華琳様に任せたら、いつまでも広まらずにわずかな料理人しか出来ない技法になってしまいますからねぇ、
民に広めるのなら、その方法が一番ですねぇ」
風も頷き、不意に頭の上に何かが足りないことに気づいた。
「風、宝譿はどうした?」
「あちらですよー」
見れば樹枝が牛金相手に逃げ回り、時々攻撃しているのを囃し立てているらしく、春蘭たちもそれに対して野次を飛ばしたり、完全に芸扱いだ。
「樹枝もよくやるなぁ・・・・」
笑いつつ、そろそろ二人揃って完全に酒の入った桂花の説教が始まることだろう。
「楽しいでしょう? 冬雲殿」
そう言って俺の左隣に稟が座り、微笑みながら酒を注いでくれた。それを飲みつつ、俺は宴の全体を見た。
料理がなくなったからか追加の品を作りに行ったのであろう流琉と秋蘭と雛里、ひたすらに食べまくる季衣、華琳の傍を離れずに樟夏の首を絞めつつ、樹枝に野次を飛ばす春蘭。
司馬八達と何やら情報交換するのは凪たち、歌い続ける天和たち、牛金に加勢をしだすのは霞。斗詩は酔いつぶれてしまい、俺がさっき部屋まで送った。
「あぁ、楽しいなぁ。
とっても、楽しいよ」
みんなと過ごせた今年も、最高の年だった。
時間が曖昧な今はただ、全員が笑っていてくれるこの時を幸せに思う。
そしてきっと、彼女たちとこうして過ごせる日々は、俺にとって最高の日であり続けるのだろう。
「愛してるよ、みんな」
今年最後か、今年最初の一言を俺はみんなへとそっとつぶやいた。