次は法正さんを書けるといいんですが、休みを利用して本編書きたい気持ちもあるんですよね・・・
ほとんどのものが近寄ることのない庭の離れ。
私はいつものように階段を上り、いくつかある部屋の内で日当たりと景色のいい部屋の扉を叩く。
「彗扇、入らせてもらうわよ」
「どうぞ」
部屋の主の許可をもらって入室すれば、彼女は寝台の上に小さな机を置いて何かを書き綴っていた。
「おはようございます。槐さん」
「そのまま続けなさい」
私が告げた言葉に一瞬彼女は驚くけれど、すぐに意味を理解して置いた筆を持った。
「ふふっ、ありがとうございます。
もう少しできりがいいところまでいくので、そこにあるのは良ければ読んで待っててください」
「えぇ、そうさせてもらうわ」
書き手として机に向かう彼女に私は窓際に置かれた安楽椅子に腰かけ、おそらく考えの段階で筆が止まった書きかけの書簡に目を通していく。
恋愛や軍略にも似た物語、架空の世界・生物を描く物から大陸に実際にあるとされる旅行記、人物の心情に重きを置いた作品以外に、あえて淡々と記された物語など本当に様々。書簡という束になっていない一本の棒きれのようなものには、彼女が日常で感じたことを書いた詩が描かれていた。
自分を試すように様々な文体で書かれたそれらを、たった一人の少女が書いたなど多くの者は信じないだろう。けれど・・・
私は物語から視線を上げ、彼女を見る。
集中する横顔は姉の法正によく似ていて、いつもは優しく映る顔が少しだけ厳しい。にもかかわらず、目の前の物語に集中しているのか彼女の手が止まることはなかった。
「楽しそうね・・・」
この子の目に世界はどれほど美しく映っているのか、どんな鮮やかな色をしているのか。それらは問うまでもなく、全て物語へと現れていた。
世の悲しみや理不尽、無常や虚しさを知っている筈のこの子が、どうしてこんな世界を書けるのだろう。
「はい。
だって、槐さんがそこにいてくれますから」
かえってくると思ってなかった言葉と、その言葉の不可解さに私は思わず目を開く。
「は・・・?」
私が正気を疑うような視線を送っても、彗扇は他の子達のように視線を逸らすことも、逃げることもなく、いつものように微笑む。
「だって、一番好きなことをやってるだけじゃなくて、
嬉しくて、楽しくて、幸せすぎてどうにかなっちゃいそうです」
訂正、その微笑みはいつも以上に緩み切っていて、私は椅子から立ち上がり彼女の額を指で弾いた。
「痛いですよ、槐さん」
「痛いようにしたのだから、当然でしょう?」
額をさすって痛みを逃す彼女に、私は肩をすくめながらいつもは平が腰かけている椅子へと座った。
「私といて楽しいなんて言うのは、あなたぐらいなものね」
「そんなことはないですよ。
よーちゃんも、姉さん口には出さないだけでそう思ってます」
あの二人が、ね・・・
今も敷地内のどこかで何かをしでかしているだろう同期生を思い出し、私は彼女の言葉を鼻で笑う。
「口に出さない思いが本当なんて、誰も信じないわ」
「形に見えない世界を書くのが、書き手の務めですから」
どこか誇るように胸に手を当てて応える彗扇の額をもう一度弾いてから、頭を掴んでそのまま揺らす。
いくら拒んでも、どんな言葉を向けても、彼女は私から逃げない。それどころか彼女の物語は私を魅了し、私を手の中に納めてしまった不思議な子。
「本当に、あなたは不思議ね・・・」
真っ白な肌と細い体、発作のように血を吐いて、恐怖する筈の死と隣り合わせでありながら、彼女はその死を運ぶ死神にすら微笑みを向けている。
「あなたを見ていると・・・」
居る筈もない
「見ていると、なんですか?」
物語の中こそ美しいと信じてやまない私にも、世界が綺麗だなんて思ってしまいそうになる。
「あなたにどうして物語が書けるのか、不思議でしょうがないわ」
けれど、それは言葉になんてしてあげない。
聞きたいのなら、どうかわたしを変えてみせて頂戴。
「ふふっ、私もそう思います。
こんな私からたくさんの物語が生まれてくれて、たくさんの子達が出てきてくれる。見たこともない景色が頭の中にあって、もっと見てみたいことが溢れてしょうがないんです」
年相応に瞳を輝かせて語る姿はこの子の書き手としての姿で、人を楽しませる以上に自分が楽しんでいることがよくわかった。
「けど、私が書き手として在れるのは槐さんのおかげなんですよ?」
「はぁ・・・」
再び不可解なことを言われ、私はわざとらしく溜息をつくことを答えとした。
「私はあなたの書く物語が読みたいだけ、それ以上でも以下でもないわ。
正のようにあなたに付き添い続けることも、平のようにあなたのことを友として思いやることも出来ないし、していないでしょう」
私がわざわざ離れに足を向けるのも彼女の書いた作品の一部を読むためにすぎず、妹と士元が書いたのを持ってくるのも新しい書き手を読み手として増やしたいだけに過ぎない。
あえていうなら、正も平もこの子に対して異様に甘く、やや過保護と言ってもいい。
「『読みたい』って、思ってくれることが嬉しいんです」
ついさっきまで書いていた書簡を愛おしげに見つめ、書簡の端を撫でながら、彗扇は頭を押さえたままだった私の手を掴む。
触れてみれば冷たいと感じる手の指は細く、非力な私ですら強く握ったら折れてしまいそうなほど儚いというのに、指先には胼胝がついていた。
「私だけの物語が・・・ いいえ、私と姉さんだけで終わってしまってたかもしれない物語を、槐さんが広げてくれたんです」
違う。それは違う。
あなたが書いていたから。あなたが私に差し出してくれたから。あなたが私に手を伸ばしてくれたから。
あなたが私に向き合い、正があなたをつれてきたから、あの平の居場所を与えてくれたから。
「泡沫の名をくれたのは
「やめなさい!」
私の言葉に彗扇は驚くことはなく、むしろ私自身が自分の出した声の大きさに驚いていた。
けれど、私の口は自分の意志に反するように言葉を止めることはなかった。
「私があなたの想いの一因になっていたとしても、あなたに書くことを願ったことが力となっていても! あなたが書いていたから私はそう思えた!!
あなたの描く世界が素晴らしいと、あなたの言葉が、文章が私にそう思わせたのよ!」
鶏が先か、卵が先か。生き物はそうだったとしても、書き手と読み手はそうではない。
「あなたは自分が優しさに包まれていると、幸せだというけれど、それは正しくもあり、間違ってもいる。
あなたがいたから、私達があなたの生み出すものを感じていたいと思ってるからそう在りたいのよ!」
優しさなんてもの正も平も、ましてや私すら信じないし、認めない。
私達の行動は自分のためであり、他の誰かに尽くすための手段ではない。
人に尽くすなんて殊勝な思いを抱くような人間は、女学院にいるにはあまりにも弱すぎる。
「私達は、あなたがいたから人間らしさを捨てずにいられたのよ・・・」
家族に興味がなく、物語に全てを捧げんとする私。
家族もなければ、繋がりもない。自由というより虚無に近い平。
己の道を通し、他者を認めるからこそ遠ざかる正。
「それでもね、槐さん」
こんな私にすら、この子は平気で触れてくる。体にも、心にも触れて、私が人間であることを思い出させる。
嫌悪や嫉妬を抱いた時もあった。けれど、それ以上に心地よいと感じてしまう己に気づかされた。
「槐さんが言うような私で在れて、笑っていられるのはやっぱり皆のおかげだから」
透き通るような瞳は死すらも受け入れて、それでもなお生を諦めることはなく、懸命に生きようとする姿も。ただ生きているだけで、私達のような人間すら心地よい居場所となれることも。私にはひどく眩しかった。
「槐さん、泣かないでください」
「これはわたしのじゃないわ」
私の顔に触れている彼女の指先がわずかに濡れているが、私はそれを自分のものだとは思わない。
「これはあなたのものよ」
もっと、生きたい筈なのに。
もっと、書きたい筈なのに。
もっと、傍にいたい筈なのに。
「聡すぎるが故に夢すら見ずに全てを受け入れてしまったあなたが・・・ 本来なら流すべきだったものよ」
多くの物語を描きながら、この子は自分の夢も、理想も語らない。
『死にたくない』と叫ぶことも、『楽になりたい』と望むことも、何もしてはくれない。
「・・・っ!」
喉から今まで一度も出したことのないような声が漏れだし、椅子に座ってることが出来ずに寝台に寄りかかるように体重をかける。
「どうして、あなたなのよ・・・!」
何故、この子が死ななければならない?
どうして、他の誰かじゃなかった?
何で神は、この子を私達から奪うというの?
「槐さん・・・」
「私はただ・・・」
あなたの作品を、ずっと読んでいたいだけなのよ。
それだけなのに、それすら叶わない。
あなたの命を、ここに留める手段が見当たらない。
「槐さんの真名って、縁起がいいですよね」
子どもをあやすように私の頭を撫でながら、彗扇は突拍子もないことを言い出す。けれど、私はこの子の言葉に耳を傾け、彼女が紡ぎだす空想に期待していた。
「だって、エンジュですよ?
『寿』命を『延』ばしてくれそうで素敵ですし、咲かせる黄色の花は上品で見ている側をとっても幸せな気持ちにしてくれるんです」
あたかも私がそうであるかのように告げる彗扇に肯定も否定もせず、彼女の分の涙はまだ止まらない。
「あなたと過ごした日々が、私の命を伸ばしてくれたんです」
「槐、入るぞ」
扉の前から聞こえた冥琳の声に私は許可を出すことも、視線を向けることもなければ、顔を上げることすらしなかった。
「お前に手紙が来ていた。
『法正』という名に聞き覚えはあるか?」
「えぇ。
既に中身は確認済みなんでしょうから、内容だけを簡潔に言ってくれないかしら?」
「知っていたとしても、私が告げるべきことではないな」
はぐらかすこともなく手紙をわざとらしく私の机中央に置く冥琳を睨みつけ、私はあえて書簡を開くことはなかった。
「開かないのか?」
「冥琳、あなたは人を一生生かし続ける方法を知っているかしら?」
私の突然の問いかけに冥琳は驚くが、どこかの虎によって無茶ぶりに慣れていることもあり、すぐに答えを出した。
「不老不死は人の夢だが、わからぬからこそ夢なのだろう」
「・・・そうね。
用が済んだなら、さっさと虎の世話に戻った方がいいんじゃないかしら?
昨日、いつもの木の付近で密談する虎が二頭ほどいたそうよ」
「何だと・・・?!」
血相を変えて部屋を飛び出していく冥琳を見送り、机の上に置かれた手紙を開かずに撫でた。
「あなたの命を、私は終わらせないわ」
槐の花言葉は、『平和』と『上品』、『慕情』。
中国ではその名から『延寿』として縁起の良い植物とされています。