冬雲様の言っていた『ばれんたいんでー』という行事のくっきー製作のために珍しく姉妹全員が揃った今日、白陽姉様は早々に調理を行うのを見ながら、黒陽姉様の提案により私達はお茶をしながら会話を楽しんでいました。
それにしても、あの白陽姉様が冬雲様のために熱心に菓子を作っていく姿は微笑ましく、お茶を飲みながらも私達の視線は姉様の方へと向いてしまいます。
「なんかいいよね、白陽姉様のあぁいう姿って」
紅陽姉様の言葉にその場にいる全員が無言で肯定し、私は空になりつつある皆の茶を足していきました。
冬雲様がこの地に来て、白陽姉様と出会って、あの黒陽姉様にすら変化を与えてくださった。
きっと冬雲様は『何もしていない』と言うでしょうが、あの方がしてくださったことは私達司馬家にとってまさに天地がひっくり返ってしまうような変化でした。
姉様たちの心からの笑顔、私達下六人がいくら望んでも手に入れることの出来なったことをあの方はわずかな期間で成し遂げてしまわれた。以前、冬雲様を試すようなことをしてしまった理由の一つの中には、少々の嫉妬もありました。
ですがあの方は、そんな私たちすらも受け入れ、接してくださった。
心根の優しい、素晴らしい方だということがたった一日で十分すぎるほど伝わってきてしまったのです。
「私の可愛い妹たちは、誰に渡すのかしら?」
お茶を飲みながら、黒陽姉様が言い出したのはそんな一言。
今回の行事から照らし合わせれば当然と言えば当然ですが、今の言い方はまるで華琳様のようだと思ってしまいました。先日も何やら『恋する乙女たち会議』にて夜遅くまで何やら集まっていたようですし。
「紅陽は樟夏殿でしょう?
青陽、あなたは?」
「はっ?! そそそそ、そんなわけないじゃん!
何言ってんの?! 黒陽姉様!! っていうか! 何で・・・・」
黒陽姉様の言葉に茶を噴きかけ、慌てて反論する紅陽姉様。ですが正直、共に行動することが多い私からしてみれば、あれで好意を隠しているつもりだということが少々驚きなのですが・・・
「紅陽姉様、動揺しすぎです・・・
私は姉妹で料理が出来ることが嬉しかったので、特に誰ということは決めていません。橙陽、灰陽は・・・
か、灰陽? その、あなたの後ろの・・・ あなたの部屋でよく見る薬の袋は、何かしら?」
動揺する紅陽姉様は可愛いですが、流石にあまり弄っては可愛そうなので一番近い妹たちへと話題を逸らすと、おもわず目を疑いたくなるような物が飛び込んできました。
そう、隠密であり趣味で薬関係に携わっている灰陽の背中にある袋。しかも丁寧に、試薬、媚薬、強壮剤など書かれ、明らかに料理にいれてはいけない類の薬が置かれています。
「何って、青陽姉様。よくわかってるじゃん。
今、姉様が言った通り、薬の袋だよ?
あぁ、付け足すなら今回はちょっと新作混ぜてきたんだ。媚薬とか、一粒で一週間働けるかもしれない薬とか、いくつかはまだ実験段階だけど」
「あなたは料理に何を混ぜる気なの?!」
おもわず悲鳴のような声をあげてしまう私に対し、灰陽はけろっとした顔をしていて反省の色はまったく見えません。
というよりも、最近は風様と手を組んで仕事という建前があることを良い事にさらに薬の研究に勤しんでいるところがまた末恐ろしくもあります。
「あら、斬新でいいじゃない? 何より、一風変わって面白いでしょう?
橙陽、あなたは誰に渡すのかしら?」
「黒陽姉様! 面白いで済んでいいことでは・・・!」
楽しげに笑って流す黒陽姉様に私が反論しようとしても話題を変えられ、受け流されてしまいました。
「私も、紅陽姉様と同じように樟夏様にお渡ししようかと思っています」
控えめな橙陽の答えに、厨房から若干殺意のような物が膨らむ気配を感じて振り返りますが、白陽姉様は先程と何も変わらず調理を行っています。
ですが、よく見れば眉間には皺が寄り、表情が気持ち冷たくなった気がします。
私の気のせいであることを切に願います。
「だから、私は別に・・・!」
「ひっそり、こっそり、私が渡したとは気づかれないように、影から見守りたく思います」
「いや、そこは堂々と渡そうか。橙陽」
往生際悪く認めようとしない紅陽姉様に対し、橙陽が言ったのはなんというか白陽姉様に近しい考えであり、私も胸をなでおろしたのですが
「いいえ、私は樟夏様の影でいいのです。
書簡仕事に夢中になっている時にひっそりとお茶や差し入れをし、鍛錬で負傷した日の夜にこっそり包帯を替え、影からあの方の生活を見守る。
それだけで、十分ですから」
「いや、堂々としようよ! 橙陽!!」
「それって、冬雲様が前に言っていた『すとーかー』では・・・・・」
その後に続いた言葉に若干の冷や汗がこぼれ落ち、いつしか冬雲様が笑い混じりに話していた『すとーかー』という存在に類似していました。
もっとも聞いた話よりもはるかにささやかで、穏やかなものではありますし、大丈夫だとは思います。おそらくは、ですが。
「それじゃぁ、藍陽。あなたは?」
次々と言葉を向ける相手を変えていく黒陽姉様は今まで見たこともないほど楽しんでおられ、笑みが絶えることがありません。
それは妹として嬉しい限りなのですが、なんというか華琳様の色に染まられてきたような気がして若干の不安を覚えてしまうのは何故でしょうか。
「私は友人や家族に作るつもりですよぉ。それと敬愛の意味を込めて、冬雲様や華琳様、将の方々にも作ろうと思いますぅ。
うふふ、私はまだ自分の恋愛よりも人を着飾ったりすることの方が楽しいみたいですぅ。
本当は沙和ちゃんと一緒になって、道行く逸材の子たちを着飾って歩きたいくらいですから♪」
・・・・隠密の身軽さや素早さをここまで華やかなことに使おうと試みた者は、きっと後にも先にも藍陽ぐらいだと信じたいです。
つい先日、沙和さんと共に修行場で木偶人形相手に何をするかと見守っていれば、本当に通り過ぎ様に化粧等を施す練習をしていた時は凍りついてしまいましたよ・・・
『必殺・印象替えなの~!』などと言う沙和さんと、悪乗りした藍陽が『これであなたの愛する異性の心をしっかり掴んで離さない、お洒落は貴方を強くするぅ!』と叫んでいた時は、本当にどうすればいいかわからなかったです。
「じゃぁ、最後に緑陽。あなたは誰に渡すのかしら?
いいえ、質問を替えたほうがいいかもしれないわね。
あなたは気になっている異性はいるのかしら? 私達の大切な末の妹」
「その・・・ 私は、最近」
珍しく言いよどむ緑陽にその場の全員が驚くように目を丸くし、何事かと耳を傾けていました。
私は少々疲れて、ぐったりしていますが。
「樹枝殿を見ると、胸が苦しいんです。
黒姉様・・・ これは何かの病気なのでしょうか?」
緑陽の発言に一瞬の間だけ場が静まりかえり、厨房から何かの破壊音が響く。私が恐る恐る振り返ると、白陽姉様が生地を混ぜ合わせていた木べらを粉々にしていた。
一体どんな力が加われば、そのように木べらが砕けるのですか?!
「えっ・・・ 緑陽、趣味悪っ」
「紅陽姉様、それは素直に言いすぎです!
白陽姉様?! 木べらが砕けて、生地に入っていますよ?!」
素直すぎる紅陽姉様の感想に注意を促しますが、白陽姉様も気にかかり、私は忙しなくあちこちを見渡すことになります。
「んー・・・
まぁ、好きならとやかく言わないけど、念のため強心剤か、媚薬いる?」
灰陽、あなたは妹に何を薦めているんです?
「あらあら、この場合は花嫁衣装をどちらに・・・ それとも、二人分用意すればいいのかしら?」
藍陽、そこですか!? そこなんですか、あなたという子は!!
「おめでとう、緑陽」
橙陽のまともな言葉が、疲れた心にしみわたるような気がします。
ですが、全体に流れる空気はよろしくないので、私は手を叩いて次の行動へと促すことを決めました。
「さ、さて! 私達もそろそろ調理へ入りませんか?
他の方も夜には使うとのことですし、調理へ入らないと間に合わないのではないかと」
私の行動の目的をその場の全員わかっているようですが、異論はないらしく厨房へと向かってくれました。
それからほどなくして冬雲様が訪れ、黒陽姉様の悪戯や冷やかしを一通り見届けた後、自分のくっきー作成を進めつつ、軽く全体を見渡します。
黒陽姉様はいろいろな形の物を作りつつ、どこから仕入れたのか高価なちょこを混ぜ入れるなどしています。
「名前とかは恥ずかしいし、でも円形っていうのも単純すぎ・・・ でも、
紅陽姉様は形をどんなものにするかで随分と悩んでおられるご様子。
我が姉ながら、可愛らしい悩みでおもわず微笑んでしまいました。
「おっくすり、おっくすり、楽しーなー。
赤! 青! き・い・ろ! どーれが当たりか、わっかるかなー?
媚薬! 強壮! 精力剤! 当ったりがどっれだか、わっかるかなー?
危険! 危険! むーらーさーきーはー、まっだまっだ出来ない性・転・換・剤!」
灰陽の料理には不安しか感じられないけれど、この子の良心を私は信じます。
本当に駄目そうだった時は、絶対に止めますが。
「まず小麦を炒め、挽くところから始め、その後は砂糖などの甘味を徹底的に減らし、この後は新鮮な乳を手に入れに行かなければなりませんね・・・
その後は私が渡したとわからぬように、時間等を見計らって樟夏様の寝室に置いてこなければ」
橙陽? 砂糖を極力減らしてしまえば、ほとんど小麦の味が前面に出てしまうのでは?
新鮮すぎて素材の味が際立ってしまう気がするのですが、それは私の気のせいでしょうか?
「~~~♪ ~~♪」
藍陽は歌を口ずさみながらご機嫌に形作り、その意匠はまるで本職の料理人にも負けないような可愛らしくされた人や動物などがあり、なんだかこの段階で食べるのが少しもったいない気がします。
「さて・・・・」
最後に緑陽へと視線を移せば、その手に抱えているのは岩塩の袋。
ん・・・ 岩塩?
中の岩塩を一つ取出し、粗く削り・・・・ 米粒ほどでも岩塩は大きすぎないかしら?
そしてどうしてそれを迷いもなく、生地へと混ぜ込んでいるの?!
「緑陽、それは・・・?」
「はい、青姉様。
これは樹枝殿への物です」
「えっと・・・ それは塩を入れすぎじゃないかしら?」
言葉を選びながら、なおも入れられていく塩を見つつ、私は緑陽の顔が怪しく笑っていくのが見てしまいした。
「樹枝殿は、よく泣いておられるので塩分を補給した方がよろしいかと思いまして。
それに、その・・・・ 私は最近、樹枝殿の泣き顔を見ると、心が温かくなり、もっと見たくなってしまいたいという衝動に駆られてしまうのです!」
「黒陽姉様! 緑陽が、緑陽が!
樹枝殿によって、加虐趣味に目覚めてしまいました!」
私はその事態に、おもわず黒陽姉様に泣きつくように飛び込んでしまいました。すると優しく受け止められ、頭を撫でられました。
「青陽、あれも一つの愛の形ならばいいんじゃないかしら?
それに塩は過度に摂取しても喉の渇きを覚えるだけで、毒というわけではないのだしね。
緑陽。あなたも別段、樹枝殿を殺したいと思っているわけではないんでしょう?」
「はい、黒姉様。
私は樹枝殿の困った顔や焦った顔、泣き顔、そしてその上で常の真面目な顔も心を熱くさせるのです。
その中でも特に、泣き顔が多いというだけで」
・・・・なんというか、それは樹枝殿の表情で一番泣き顔が多いということを意味するのでは?
「それよりも、青陽。
あなたもそろそろ形を作って、菓子を完成させてしまいなさい。
他の子たちの面倒を見るのはいいけれど、自分のことを疎かにしては駄目よ?」
「は、はい」
黒陽姉様のその言葉に先程まとめていた生地を綺麗に整形し、窯へと入れていく。
そして、ふと考える。
「私はこのくっきーを誰に渡しましょう・・・・?」
好意という意味では等しく誰しもに抱いているが、自分の想い人がこれと言って居ないことに気づき、おもわず溜息を零してしまいました。