冬雲様曰く、天の国で本日は『ばれんたいでー』なる行事らしく女性から愛の告白を行ったり、家族や親しい友人へと贈り物を贈るなどをする日なのだそうです。
天の国では以前あの棒状の菓子を作成にする際に使用したちょこを贈りあうそうなのですが、かかおという素材はあまりにも高価なためちょこは一般に普及しにくいとのこと。
なので、今回は小麦等を使用して作成する
今日は非常に珍しい事に我ら司馬家の姉妹全員が揃い、調理をすることになった。もっとも私以外の皆は調理の前に何やらお茶会をして、滅多に揃わない姉妹たちの会話をのんびりと楽しんでいる。
普段は仕事の関係で外に出ていたり、決まった誰かの傍に居ることが多く、お互いの非番が合わないことも多々ある。
ましてや、全員が揃うことなど稀。本当に貴重な、家族の時間。
私だけは冬雲様へのくっきーを製作するために先に調理場に立っていますが、姉妹たちの気配を後ろに感じて調理をしているだけでなんとも温かい気持ちになってしまう。
振り返れば尊敬する姉と、可愛い妹たちの姿がある。
ただそれだけで私は今、とても幸せであることを自覚する。
「私の可愛い妹たちは、誰に渡すのかしら?」
口火を切った姉さんの言葉をやや遠く聞きながら、私はおもわず耳をすませてしまう。
姉さんが渡す方は数名想像できるし、仮に冬雲様がおっしゃられていた義理の物を渡すとしてもうまくやることでしょう。
ですが、私の可愛い妹たちが誰に渡すのか。
姉として非常に心配であり、気にかかってしまうこと。
なにせ私の妹たちはとても可愛らしく、家事も優秀、仕事も出来るというとても優秀な子たちですから、悪い男に引っかかってしまわないかと心配になってしまってもしょうがないことです。
「紅陽は樟夏殿でしょう?
青陽、あなたは?」
「はっ?! そそそそ、そんなわけないじゃん!
何言ってんの?! 黒陽姉様!! っていうか! 何で・・・・」
ほぅ・・・? 樟夏殿、ですか。
私は生地の形を作り、窯へとそれらを入れて、火を眺めつつ、耳だけはしっかりとそちらへと向けておく。
「紅陽姉様、動揺しすぎです・・・
私は姉妹で料理が出来ることが嬉しかったので、特に誰ということは決めていません。橙陽、灰陽は・・・
か、灰陽? その、あなたの後ろの・・・ あなたの部屋でよく見る薬の袋は、何かしら?」
「何って、青陽姉様。よくわかってるじゃん。
今、姉様が言った通り、薬の袋だよ?
あぁ、付け足すなら今回はちょっと新作混ぜてきたんだ。媚薬とか、一粒で一週間働けるかもしれない薬とか、いくつかはまだ実験段階だけど」
「あなたは料理に何を混ぜる気なの?!」
青陽の悲鳴に近い言葉を聞きながら、片づける物がないかの確認のため軽く周りを見渡してから、次のくっきーがどんなものがいいかを冬雲様が書いてくださった書物をめくっていく。
本当に多くの菓子が書かれ、冬雲様の知識の量には改めて驚かされる。
日常のごくありふれた知識すら貪欲に取り入れ、この国に広く伝えようとしてくださるあの方は、料理人たちの間では革新的な現人神として称えられてもおかしくはないだろう。
料理に限らず、冬雲様の知識によって一般に広がったものは多く、多くの行事から服飾や装飾、新しい伝統が生まれている。そして、それらを後押ししてくださる国の体勢がこの国を武だけではない強さを付けていくのを、情報管理を務めている私達は肌で感じていた。
「あら、斬新でいいじゃない? 何より、一風変わって面白いでしょう?
橙陽、あなたは誰に渡すのかしら?」
「黒陽姉様! 面白いで済んでいいことでは・・・!」
青陽の反論を聞こえないふりをしながら姉さんは、次に五女の橙陽にへと視線を向ける。私は作る物を決め、材料の計量を行いつつそれを聞く。
姉妹の中でも少々控えめな橙陽は、他の子たちよりも隠密の特に気配を消すことに長け、その一点において将来は姉さんを超えるほどの逸材となると私は思っているほどだ。
「私も、紅陽姉様と同じように樟夏様にお渡ししようかと思っています」
・・・あぁ、樟夏殿。一体いつ、私の可愛い妹二人を誑かしたのでしょうか。
私は今、貴方との話し合いの場を設ける必要性を強く感じます。
大丈夫です。殺しはしませんし、負傷はさせません。そんなことをしてしまったら冬雲様と妹たちが悲しんでしまうでしょうから、ただ真剣に話し合いをするだけです。そう、これはただの話し合いです。
「だから、私は別に・・・!」
「ひっそり、こっそり、私が渡したとは気づかれないように、影から見守りたく思います」
「いや、そこは堂々と渡そうか。橙陽」
「いいえ、私は樟夏様の影でいいのです。
書簡仕事に夢中になっている時にひっそりとお茶や差し入れをし、鍛錬で負傷した日の夜にこっそり包帯を替え、影からあの方の生活を見守る。
それだけで、十分ですから」
「いや、堂々としようよ! 橙陽!!」
「それって、冬雲様が前に言っていた『すとーかー』では・・・・・」
あぁ、だから最近冬雲様に対し、『最近、視線を感じる』などという愚痴を漏らしていたのですか。冬雲様は心配なさっていましたが、起こっていることが別段攻撃的なことではないために現状維持とだけおっしゃっていた件。
この一件は冬雲様に報告したのち、明かすかどうかの判断も仰がねばなりません。
「それじゃぁ、藍陽。あなたは?」
「私は友人や家族に作るつもりですよぉ。それと敬愛の意味を込めて、冬雲様や華琳様、将の方々にも作ろうと思いますぅ。
うふふ、私はまだ自分の恋愛よりも人を着飾ったりすることの方が楽しいみたいですぅ。
本当は沙和ちゃんと一緒になって、道行く逸材の子たちを着飾って歩きたいくらいですから♪」
・・・・何でしょう、突然寒気が。
おもわず右手で左の肩を抱き、謎の寒気を誤魔化すように窯の様子を眺める。
焼きすぎて焦がしてしまったら大変ですが、焼きが足らない物を冬雲様に食べていただくことは出来ません。あと少し、といったところでしょう。
ならば、そろそろもう一つの方も混ぜ、生地の作成に移らなければ・・・・
「じゃぁ、最後に緑陽。あなたは誰に渡すのかしら?
いいえ、質問を替えたほうがいいかもしれないわね。
あなたは気になっている異性はいるのかしら? 私達の大切な末の妹」
材料の全てを入れ、丹念に混ぜ合わせる。これはむらがないように丁寧に行うことが重要であり、私は念入りに混ぜていく。
「その・・・ 私は、最近」
普段きっぱりと物事を告げる緑陽にしては珍しく言いよどみ、胸のあたりに手を当てて拳を握りしめていく。
「樹枝殿を見ると、胸が苦しいんです。
黒姉様・・・ これは何かの病気なのでしょうか?」
その言葉に自然と手に力が籠ってしまい、持っていた木べらが砕け散る。
・・・・あの残念美少女もどきは、我が家の可愛い末っ子に何をしてくださったのでしょうか?
「えっ・・・ 緑陽、趣味悪っ」
「紅陽姉様、それは素直に言いすぎです!
白陽姉様?! 木べらが砕けて、生地に入っていますよ?!」
「んー・・・
まぁ、好きならとやかく言わないけど、念のため強心剤か、媚薬いる?」
「あらあら、この場合は花嫁衣装をどちらに・・・ それとも、二人分用意すればいいのかしら?」
「おめでとう、緑陽」
妹たちのそれぞれの言葉を聞きつつ、私は無事な生地を利用するために破片を拾ってからさらに目の細かいざるで濾す。さらに怒りから物を破壊しないように自分から遠ざけておくことを忘れてはならない。
さて・・・ 冬雲様へのくっきーを無事焼き上げたら、あのお二人のところへ話し合いをしに向かうとしましょうか。
「さ、さて! 私達もそろそろ調理へ入りませんか?
他の方も夜には使うとのことですし、調理へ入らないと間に合わないのではないかと」
青陽が場の空気を変えるように立ち上がり、調理へと促す。全員異論はないらしく立ち上がり、調理場へと入ってくる。
それぞれが慣れた手つきで調理へと取り掛かりながら、無駄のない動きは心地よさすら覚える。
自分だけでなく、周りの行動を見つつ必要な物を置き、たまに声をかけ、軽く会話しながら笑い合う。呼吸することと同じように互いを気遣い、でもそこに息苦しさはなく、甘いお菓子の香りと窯の温もりがそこを包んでいた。
かつてならば、存在しえなかった優しい光景。
以前ならば姉妹中は変わらず良好だったとしても、姉さんはそれ以上に成したい何かを持ち、私は妹たちを守るためならば手段を選ばない。妹たちを守りたいだけの私は、あの子たちの気持ちを、『支えたい』と思ってくれていた思いすら見えないふりをしていた
周りの全てが敵、守るべきは姉妹と思っていた私には、料理など出来はしても栄養補給としかおもわず、かつてならこんな時間は不要と言って斬り捨てたことだろう。
そして、そんな私を変えてくださったのは・・・・
「ちょっといいか?」
調理からほんのわずかに視線をあげ、開いた扉へと目を向ければそこにいたのは冬雲様であり、おもわず私は目を疑ったが、思い直す。
そう、この方はいつも突然やってくる。
出会った時も、今も、あの方は私たちの元へと訪れてくださる。
「冬雲様、本日は部屋にて書簡仕事をなさっていたのでは・・・?」
「いや、俺もバレンタイ用のクッキーを仕込みたいと思って、休憩を利用して少しだけ作りに来たんだよ。
生地を作っておけばあとは焼くだけだし、焼くだけなら結構ギリギリでも出来ると思ってさ」
「いや、それも確か先日行っていたのでは?」
確か先日、これと同じ量かそれ以上の量をお作りなっていたような?
「あれはまぁ・・・ 行事を知ってもらうための布教用ってところかな?
子どもたちとか、茶屋に渡してもうないよ」
材料を置いてから、持ってきていた前掛けを羽織っていく冬雲様の作業はあまりにも手慣れていた。邪魔にならないように隅で作業を始めようとする冬雲様の補助をしようと思い、傍へと速足で近づく。
それにしてもご自分で持ち込まれた材料は随分多く、中には干果や種実類など飾りに使われるだろう物などが入っている。どう見てもこの量は十数人単位・・・ いいえ、下手すればもっと多くではないかと誰が見てもわかる量。
『冬雲様、まさか全員分お作りになる気ですか?!』
妹たち全員の言葉に冬雲様は照れくさそうに笑って、頷かれる。
「天の国で俺が住んでたところじゃ、ほとんど女性から男性に贈ることが多かったんだけど、別のところだと男性から贈るっていう習慣あったからな。
それに毎回高価な物だと凪とかなかなか受け取ってくれないし、その点食べ物なら気軽に受け取ってくれるだろ?
だから全部、手作りにしたいんだよ」
話しながらも次々と計量されていく材料を放り込み、混ぜ合わせていく作業には一切無駄がない。
「ふふっ、やはり冬雲様は冬雲様ですね」
姉さんの言葉がその場の全員の代弁となり、どこか呆れたような、生温いような空気が周囲を支配する。
冬雲様自身は言葉の意味がよくわかっておられないようですが。
「白陽も随分作るんだな?」
冬雲様の言葉に私は頷き、答えます。
「はい・・・
その・・・ 友人にも贈っていいとのことですので、凪や真桜、沙和にも贈ろうと思いまして」
私がおずおずと答えると冬雲様は笑顔を浮かべ、まるで我がことのように嬉しそうに笑っておられます。私はなんだか恥ずかしくなり、つい顔を背けてしまう。
「照れなくていいんだぞ? 白陽」
私をからかうように優しい手が顔へと触れてきて、大きなその手をそっと左手で包む。
指先から辿るようにして冬雲様へと視線を合わせれば、私の世界を変え、全てを救ってくださった人がそこで笑っている。
あの日、この方が伸ばしてくださった手が私の生涯の道標となり、言葉の多くが私の世界に光りを与え、広がる世界を明るく照らした。
「あなたがくださったのですよ? 冬雲様。
あなたが私にこの姉妹たちとの憩いの時間も、友も、仕えるべき国も・・・・ そして」
私も冬雲様と同じように、右手を顔へとそっと添える。
あぁ、この胸の高鳴りも、心から溢れる想いも、幾千の言葉にしても尽きることのない全てを、この方に伝える方法が欲しい。
「人を愛し、愛されたいと望んでいいことを教えてくださいました」
私はこの方を、心から愛している。そして、愛されたいと願っている。
「白陽・・・・」
互いに見つめ合い、ここを調理場とすら忘れてしまいそうになる。
あぁ、なんて心地よい。
「と・・・」
名を呼びかけた私と冬雲様の間に通り過ぎるのは、一つの影。
手にあるものをいくつか渡され、耳元で囁かれた言葉は『あれをおやりなさい』という簡潔なもの。
姉さん・・・? 正気ですか?
本気で、先日あの会合で話されたあれを、よりによって私にやれと言うのですか?
「おっとと・・・ 今のは何だったんだ?」
驚かれ、状況を理解しようと周りを見渡す冬雲様とは違い、完全に状況も原因もわかっている私は、姉さんから指示されたあれをやるかどうかを躊躇し、それどころではない。
だが、冬雲様が状況を確認している今、何より邪魔が入りにくいこの状況以外で私があれをじっこうさせることが出来るのはこの瞬間しかないだろう。
「と、冬雲様!」
意を決して私は姉さんによって手渡されたくっきーを口に咥え、唇で差し出すように前へと差し出した。
「は、白陽・・・?
一体誰がそんな入れ知恵を?!
華琳か? 華琳なのか?! それとも黒陽・・・ いや、風か?!」
戸惑われる冬雲様に対し、私自身羞恥で顔が赤くなっていくのを感じる。
だが、今更引き返すわけにもいかず、私はさらにくっきーを差し出すように詰め寄っていく。
「冬雲様、どうぞ召し上がれ?」
姉さんの言葉に全てを察したような顔をした冬雲様は、覚悟を決めたように私を抱きかかえ、確認するように目で問うてきますが、私がこの方を拒むことなどありえません。
「じゃ、いただきます」
周りから黄色い悲鳴を聞きながら交わした口づけは、お菓子のようにとても甘く、幸せなひとときだった。