『
父が私を呼ぶ声が聴こえた。
父が私を短く呼んで膝を叩くとき、私は父の膝に乗っていい。あの場所は私の特等席。
『夢那は凄いわ! すぐに私を超えて、大陸一の占い師になるんでしょうね』
母が私を褒めてくれる。
見様見真似に占いをし、母を喜ばせたかった。
最初は全てが嬉しいだけだった。
でも私の占いはいつしか未来すら、視るようになってしまった。
それが始まりで、終わり。
私がただの『管輅公明』でいられなくなり、あの世界の無力な占い師でいられなくなった原因。
人には過ぎた才を持ってしまった私は、『時の管理者』となって生きた。
終わることのないこの世界を、ずっと見てきた。
繰り返される戦乱、たった一つの選択で変わる世界の色。
卑弥呼、貂蝉、許子将、華佗、そして私。
この五人が行い、導き、終わらせる世界。
だが、その世界にある変化が生まれた。
それが『北郷一刀』。
違う世界の平和な世からこの世界に、貂蝉と卑弥呼が招き入れた不確定要素。
彼が来たことで、この世界は色を変えた。
彼が訪れたことで、この世界の色は優しくなった。
そして私たちは、彼にいくつかの希望を賭けてみることにした。
一つの世界に、三つの可能性という種をまく。
蜀、魏、呉、それぞれに担当として貂蝉、許子将、卑弥呼が受け持ち、その最後までを見届けることを役目とした。
華佗はいつでも補助に入れるように待機し、私は世界全体を見守る。
それぞれが役目を持って、実験にも近いこれを行った。
最初にひび割れたのは魏だった。
『歴史の強制力』などと言うのは建前、そんなものはこの世界にはない。
何故なら、この世界は彼の世界とは繋がってなどいないのだから。
その次は呉。
同じではないが近しい歴史を知っている彼がいるのならば避けられていた筈の孫策と周瑜の死。
そして、蜀。
これは見守っている私には、理解が出来なかった。
三つの内二つがひび割れている中で、この歴史だけは何故か傷一つもつかずに広がっていった。
「どういうことだ! これは!!」
「・・・・・わからないわ、そもそもこれが初めての試みだもの」
私たちが時の管理を行ってから、意図的に歴史を作ろうとしたことはこれが初めてだった。
「どうして、すべてが満たされないんだ!?
彼はどこであっても変わらない筈だろう?!」
「それはどうかしらね?」
熱くなっていく華佗に対して、私は逆に冷めていく。小さな球体の水晶を三つ取出し、そこに彼が今までしてきたことが映る。
「どういうことだ?!」
「落ち着きなさい。華佗。
彼は変わらないわ、あくまで何も知らずに戸惑っているところを拾われるまではね」
拾われてからの彼の変化。
蜀は、良くも悪くも彼を変えることがない。
無知で、天だけの平和を知っている彼を『主人』とする。だが、彼自身の優しさと劉備の器によって、彼らは平和を手にしていく。
魏は、彼を大きく変えようとする。
無知であることを許さず、天での知識を広げようとはしない。そして、彼自身が自分が力不足だと実感し、向上しているように見える。
呉は、彼を取り込もうとしている。
何を持っていようと、知っていようと彼女たちは興味がない。天の知識を利用する節はなく、むしろその血だけが目当てで彼の本質的なものに惹かれていった形だ。
「どうにかできないのか!! この運命を!」
華佗が言っているのはおそらく、ひび割れていく二つのことだろう。
「私たちには見守ることしか出来ないことは、あなたもわかっている筈でしょう?」
「だが・・・・・! 彼は俺たちの被害者なんだぞ?!」
「そんなことわかっているわよ!!」
原因が不明とはいえ、私たちが彼を弄んでいることには変わらない。
そして、三つ目の水晶の甲高い日々の割れる音に私たちは振り返った。そこに映るのは白い満月、そして曹操と薄れかけていく彼。
『けれど、私は後悔していないわ。
私は私の欲しいものを求めて・・・ 歩むべき道を歩んだだけ。
誰に恥じることも、悔いることもしない』
『・・・・あぁ。それでいい』
『一刀。あなたは?
後悔していない?』
『してたら、定軍山や赤壁のことを話したりはしないよ。
それに、前に華琳も言っただろ? 役目を果たして死ねた人間は誇らしいって』
『えぇ・・・』
『だから、華琳・・・・
君に会えて良かった』
『・・・・・当たり前でしょう。この私を誰だと思っているの?』
『曹孟徳。誇り高き、魏・・・・ いや、大陸の覇王』
『そうよ。それでいいわ』
『華琳。これからは俺の代わりに劉備や孫策がいる。
みんなで力を合わせて、俺の歴史にはない、もっと素晴らしい国を作ってくれ。
君なら、それが出来るだろう?』
『えぇ・・・
あなたがその場にいないことを死ぬほど悔しがるような国を作ってあげる』
『ははっ・・・・ そう聞くと、帰りたくなくなるな』
『そう・・・・
そんなに言うなら・・・・ ずっと私の側にいなさい』
『そうしたいけど・・・・ もう無理・・・・ かな?』
『・・・・どうして?』
『もう・・・・ 俺の役目はこれでお終いだろうから』
『・・・・・お終いにしなければ良いじゃない』
『それは無理だよ。
華琳の夢が叶ったことで、華琳の物語は終端を迎えたんだ・・・・
その物語を見ていた俺も、終端を迎えなくちゃいけない』
『・・・・駄目よ。そんなの認めないわ』
『認めたくないよ、俺も・・・・』
『どうしても、逝くの?』
『あぁ・・・・ もう終わりみたいだからね・・・・』
『そう・・・・ 恨んでやるから』
『ははっ、それは怖いな・・・・・ けど、少し嬉しいって思える・・・』
『逝かないで』
『ごめんよ、華琳』
『一刀・・・・』
『さようなら・・・ 誇り高き王』
『一刀・・・・』
『さようなら・・・ 寂しがり屋の女の子』
『一刀・・・・!』
『さようなら・・・ 愛していたよ、華琳―――――』
『・・・・一刀?』
これ以上は見てはいけないと思いながら、私たちは目を離すことが出来なかった。
魏の彼の、彼女たちの終端の形。
こんな終わりは認めない。
『北郷。
貴様は、この戦いが終わったらどうするつもりなのだ?』
『ウチ、その道を一刀と歩いていきたい。
一刀と二人やったら何も怖くない』
彼女たちの言葉の節々にある、
ただの時の管理者になり下がり、全てを諦めていた私とは違う。
彼女たちはここに誰よりも強く、たくましく、美しく、儚く
「華佗・・・・ 私は今日から三十年ほど休暇をとるわ」
見届けた私は立ちあがり、華佗は何をする気だと目で問うていた。
「三十年
人間が世界の限界を試した報い、一つの世界に三つの可能性は入りきることは出来ない。
完成、一部欠損、欠損でようやく世界が保たれる。
だが、私はそんなものは認めない。
この歴史を歪ませたのは、私たちだ。
それなら私は、これからもっと身勝手になろう。
私がしたいと感じたことを、身勝手にも成し遂げてみよう。
「管輅・・・ お前・・・」
私が見たい。
彼と彼女たちが、誰よりも幸せになる姿を。
「フフッ、三十年間は彼を少しだけ独り占めしてくるわ。
三人にはよろしく言っておいて頂戴。華佗」
私はその後、彼の傍で『
本来なら私は彼に干渉するべきではなかったというのに、彼女たちのためとわかっていても努力し、懸命に生きようとする彼の姿。
そして、あれだけの経験をし、悲しみを背負っても変わらない優しさに私は惹かれた。
華佗には三十年などと言いはしたが、彼自身の準備が出来てからあの時代に戻ることは出来た。
時を操って彼を若返らせつつ、経験させたことと多くの知識を体に残すというのはさすがに代償を被ったが、それも私たちが彼にしたことと比べればとても安いもの。
この世界の魏に居た彼女たちの記憶を戻すことが出来たのは、奇跡だろう。
「管輅!」
「あら、いたのね。華佗」
「お前! これほどの多くのことをして、大丈夫なのか?!
代償は・・・・」
余計なことを語ろうとする華佗を睨みつけ、私はゆっくりと笑う。
「安いものよ、この程度。
私たちが彼に、彼女たちにしてしまったことに比べればね」
空を見上げれば雲、私が偽名に使っていた彼女の名字。
北の郷に浮かぶ南の雲でありたい、一つの刀に優しさと希望を捧げたいと思った。
「お前は報われなくとも、か?」
何を言っているのかしらね? 私は報われていたし、報われているし、報われるわ。
愛した彼が私を『占い師』でも、『時の管理者』でもなく、たった一人の女として見てくれていたもの。
「フフッ、華佗。
彼はね、確かに彼女たちと共に
「目的?」
そう、私だけが知っている彼のもう一つの目的。
それはとても欲深く、同時にとても欲のないささやかな願い。けれど彼は、それをささやかな願いで終わらせる気などない。
「・・・・いずれわかるわ」
そう言って私は笑いながら、歩みだす。
彼が成すべきことを終えた時、それが彼のもう一つの目的が達成するだろう。
彼が作るこの世界の
だけど、
『夢那、俺たちがこの国を平和にしたら、今度はお前も来いよ。
時の管理者だって、人間だろ?
夢那には多くの時間の中のひとときかも知れないけどさ、だからっていつまでも独りぼっちになることなんてないだろ?』
言葉の責任は、ちゃんと取ってもらわないとね?