Fate/extra days   作:俯瞰

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第五話・中

 夢を見たような気がする。

 そう、とても悲しい夢だ。

 とても大切な人と別れる夢。

 始まりは間違っていたのかもしれない。

 偽りの想いでも、それは時を経れば本物になる。誰もがそうであるとは言えない。けれど彼女にとってはそれは本物だったのだ。

 愛しき騎士を想い日々はとても甘く、とても切なく、これは偽りではないと知った時にはもう遅かったのかもしれない。

 結局これはワガママなのだろう。

 たとえもう逢えなかったとしても。

 それでも伝えなければいけないのだ。

 

「愛しています、あなたを」

 

 そんな言葉に、彼は目を細めて微笑んだ。

 悲しみも慈しみも愛しさも何もかもを含めて、その音色を奏で始める。

 

 ーーーそしてまた、別れを紡ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fate/extra days

ーーー第五話・中ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?」

 

 気づいたら天井がある。それを知って驚く人はどの程度いるのだろうか。聖杯戦争時も同じような状況はいくつかあった。例えばバーサーカー戦でセイバーを助けようと飛び出して背中に怪我をしてしまい、屋敷で目を覚ましたといったようなことだ。

 今回に関して言えば、今目の前にある天井は冬木にある屋敷の見慣れた天井ではなく、何処かも知らない場所の天井だってことだ。

 視界内の右側から強く発光するライトに照らされていて光の当たる場所と影となっている場所のバランスがこの光景を異常なまでに陰鬱と感じさせていた。

 

「あら、起きたの?」

 

「うわっ‼︎」

 

 突然掛けられた声に、びくりと体全体を揺すぶってしまう。上体を起こして確認してみれば、そこにいたのは…えっと。

 

「どちら様でしょうか?」

 

 セイバーと同じく金色の綺麗な髪。

 碧眼の瞳が俺をじっと見つめている。

 白いワンピース姿、そして足元を見てみるとどうみても裸足にしか見えない。この辺りの原住民の方…だろうか。俺の問いかけには答えてくれず互いに見つめ合っていると、じりっと彼女の足が動いた。

 そのままペタペタと彼女がこちらに歩み寄ってくるのを他人事のように見ていれば、気づけば顔元までじっくりと近づいて俺のことを認識、いや確認しているように見えた。

 

「………やっぱり、違うのね」

 

「え、あ、あの…」

 

「どことなく、あの人の残り香を感じてはいたものの、こうしてみるとやっぱり思い込み、いえ期待外れとでも言いましょうか」

 

「えっと……すみません」

 

「気にしなくていいわ。あなたと一緒にいたあの金髪の方が忌々しいことに匂いが強かったけど、近付きたくないからあなたの方にしたのは失敗だったかしらね」

 

 なんで初対面の人にこんなに言われてるんだろうか。若干ムカッとしなくもないが今の発言に気になることがある。

 金髪の方?それってセイバーのことか?

 残り香とか匂いとかどういう意味だ?

 でもそのあたりは聞いたとしてもこの反応からして教えてくれそうにないな。だからここは一番最初に聞いておかなきゃいけないことを聞くべきだろう。

 

「あの、ここは何処なんですか?」

 

「さあ、知らないわ」

 

 即答された。本当になんなんだこの人。

 そういえばあの鳥はどうなったんだ。

 いや、そもそもあれは本当に鳥だったんだよな。影からしてあんな大きな鳥見たことが。

 

「じゃあ、さよなら」

 

「えっ? あ、ちょっ⁉︎」

 

 スタスタと裸足で歩き去っていく女性。

 何処から取り出したのか分からないがこの辺り一帯を照らしていたランプを持って行かれるとこちらとしても困る。しかし持ち主はおそらく彼女だろうから、どうこう言えず、真っ暗闇に取り残されたくなければ必然的についていくしかないのだ。傍らに置かれていたバックに腕を通して背負い直す。

 よかった。これが手元にあるのとないとか全然違ってくる。あ、中身が無事かどうか見てないな。あとで確認しないと。

 

「どうしてついてくるのよ?」

 

「いや、灯りが無いと困るし、それに一人じゃ危ないと思って」

 

「あら、そう。一介の騎士にも満たない割には言うことは一丁前なのね」

 

 ははは、と渇いた笑いが出る。

 スパッという人なんだなと、口元を引き攣るのを堪えるのに必死だが、本当にこんなところを一人で移動するのは危険だ。

 場所の特定も出来ないし、この女性がここの地理に詳しくはないと知ってしまうと一人で行かせるわけにはいかない。

 ランプ持ちを変わると言ったのだが、呆気なくつっかえされ、先導して歩く女性の後ろを歩いていく。手に持っているランプがカタカタと揺れる音と足音がこの洞窟内に反響し木霊するように耳に響き渡る。

 しばらく歩いていると足元が水溜まりになっていて、じゃぶじゃぶと水を掻き分けながら進んでいく。だいぶ前に「さすがに裸足じゃキツくないですか?俺の靴を履きませんか?」と提案をしたのだが、心底嫌そうな顔をされて断られた。なんかすみません。足場が不安定だし水で底がどうなってるか分からないから怪我の危険性もあると思ったんです。

 そうしてどれくらい歩いたのかもよく分からないが、とりあえず歩いた分だけ体力が削られていく。ふと耳に僅かに漏れる吐息が届いた。

 彼女も流石に疲れたはずだ。

 

「少し、休みましょうか」

 

「え、どうしてよ?」

 

「こんな道だから疲れましたよね。ちょっと休憩に…」

 

 必要ない、と言葉を割り込まれ否定された。

 

「もうへばったならあなたは休んでいればいいわ。私は先に進むから」

 

「先って言っても、ここがなんなのか分からないんじゃ…」

 

「洞窟なんだから、歩いていれば何処かに行き着くでしょう」

 

 いや、ちょっと待て。まさかノープランで今までずっと歩いてたのか。

 

「ノープランじゃないわ。事実よ」

 

「いや、それを事実と呼ぶにはーーー」

 

 少し無茶な、と。

 口にしかけて。

 ーーーぐちゅり、と。

 彼女の脇の壁が音を立てて崩れた。

 いやそうではなく。

 

「ーーー投影、開始(トレース・オン)

 

 バックに詰め込んだ剣を出す暇はない。

 干将・莫耶。

 両手に構えたソレを、躊躇なく振り下ろす。

 キャッと声を出している彼女に今は構う余裕はない。壁内から露出したそれは手だ。泥で塗り固められたそれは、斬りつけた感触と比べるとスポンジケーキのようにアッサリとしている。しかしその断面から触手のように繋ぎ合わせて再生する。二度、三度、幾度となく切断したところで、手はドロリと形を崩し足元の水場へと音を立てて水没した。

 同時に、聞こえたのだ。

 後方、右斜め上。天井付近、左足の少しズレた位置から、ぐちゅりとした不快なノイズと、その左足の感覚が捉えた地中の波紋を。

 

「走れ‼︎」

 

 彼女の手を取って駆け出す。

 くそ、やっぱり靴を履いて貰えばよかった。裸足でこの道を走るのはキツい。通り過ぎていく度に何処からか届くノイズ音。きっと今後ろを振り返ったらやばい。それにそんな暇もないだろう。歩みを止めた瞬間にすべてが終わると本能が訴えている。

 いつまでも続く終わりの見えない道をひたすらに突き進む。わかってる。

 このままじゃジリ貧だ。ならば。

 ならば、どうするか。

 

「ーーー投影、駆動(トレース・オン)

 

 俺の魔力量じゃ、そこまでの武器の投影は行えない。それでも体力が尽きて二人揃ってやられるか、ここで俺が仕掛けるか。それなら。

 

「ーーー憑依経験、工程途絶」

 

 経験、蓄積、工程。

 今必要なものは敵を葬り去る宝具にあらず。

 俺の背後、彼女を守護するように円陣を組む魔力の残滓が宙に滞空する。

 

「ーーー全工程(ロールアウト)投影待機(バレット・クリア)

 

 ぐいっと彼女の手を引っ張り俺の背後、道の前方へ。ずっと掴んでいた手を離す。

 

「ーーー停止解凍(フリーズ・アウト)投影連続層写(ソードバレル・トリガーオン)…!」

 

 英雄王の時とは違う。遠坂との強いパスがあればこそのあの綱渡りの戦法があった。

 だが今はそれはない。投影に関しても幾つもの武器を取り出すのは不可能。

 それでも時間稼ぎくらいは出来る。

 

「今のうちにいけ!」

 

「は⁉︎ でもそれじゃ‼︎」

 

「大丈夫だから、行ってくれ‼︎」

 

 もちろん根拠はない。

 でもそれがどうした。

 根拠のない言葉なんて衛宮士郎(オレ)にはよくあることだ。

 俺の前方、今まで通ってきた道を振り向けばそこは地獄絵図。だがそれだって今更だ。

 地獄なんてもう見飽きてる。むしろ俺にはお似合いの光景だ。飛び交う刃が壁内を這いずる(うで)を切り裂いていく。だがこれも長くは持たない。今こうしている間にもこれから彼女が向かう方にもこいつらが待ち伏せでもしているかもしれない。それでも微かな希望を抱いて彼女には前に進んで貰わないと。

 

「ーーー投影、再開(トレース・オン)

 

 撃鉄と一緒に、ガキン‼︎と何かが捻れた。

 口元から溢れそうになる異物を抑えて、目の前に集中する。手の形をしたソレは勢いを増して俺たちの方へやってくる。まるで喜んでいるかのように、俺へと飛びついてくる。

 だが、まだだ。

 まだここは通せない。

 なら、ここは。

 

「ーーー工程偽装、経験解離」

 

 一発かまして、気勢を殺ぐ。

 工程は無用、経験は不要。

 今必要なものは身一つで十分。

 

「ーーーI am the bone of my sword(我が骨子は捻れ狂う)

 

 身体に喰いこむ棘がその痛みを増す。

 それはいつしか刃に変わり、俺の身体を食い破るだろう。それでもやるんだ。

 その為に今俺はここにいる。

 

「っーーー偽・螺旋(カラド)……」

 

 そう口にした時には、もう視界に映っていた。取り零し、投影の連続層写の隙間を掻い潜り、俺へと伸びてきているその手に。

 

 ーーー瞬間、何かが俺の頬を掠めた。

 

 取り零していた俺の眼前に迫っていたその手が中央から切断され、泥となって地面に伏す。

 音もなく切断されたそれは……いや、何かが聞こえた。そうなにか……音が。

 

 その時、弦楽器のような音色がひとつ。

 

 風切音と共に再び伸びる手が両断される。

 そして同時にその音色も奏で続けられる。その度にその斬撃は容赦なくソレを容易く屠っていく。

 その鮮やかなまでに繰り出されて行くその斬撃に、その光景に身体が止まり目が奪われる。

 伸びゆくソレを圧殺するように、斬撃は加減など知らず、伸びゆく数多を屠る。もう起き上がってこれないように、何度も何度も。相手の精神を折るまで、何度も。

 その光景はいったいどれぐらい続いていたのだろう。気づけば、目の前は彼女と静かに歩いていたあの時の様子を映していた。あれほどまでにしつこかった奴らも燃料切れでも起こしたのか、数刻の沈黙の後も再度俺の視界に現れることはない。

 

「助かった、のか……?」

 

「やあ」

 

「うわっ!」

 

 いきなり足下から聞こえた声に驚いた。

 ーーーって、あれ?

 

「え、えっと…」

 

「おや、どうかしたのかな?」

 

 どうかしたっていうか…えっと。

 足の下、そこから俺を見上げているその子にはとてつもなく見覚えがある。

 というか間違いない。スーパーのあの子だ。

 蹴られるわ引っかかれるわしたが、その愛らしさは微塵も揺らがない。…はずなのだが。

 

「いや、なんでさ」

 

 なんでこの子、普通に喋ってるんだ。

 

「喋れたのか?」

 

 そもそも喋れるのか?

 

「ん? …ああ、そういうことか。まったくこいつときたらこっち(・・・)がいない間にふらふらしていたのか。まったく自分の性質というものを分かっているのかな。いや、わかっていてしたんだろうからタチが悪い、始末に負えないね」

 

 この獣は。といって、自分の小さな足で頭をクシクシしている。いや口にしている当人からすると叩いているつもりだろうか。自分のことを「こいつ」と言っている辺り、もう意味が分からないが。

 

「それはともかく意外だね、キミ、喋る動物には慣れているのかい?」

 

「いや、もうなんというか…」

 

 色々と頭が追いつかないといいますか。

 

「まあそれはそうだろうね。あんなものに追われていたら普通は立ち向かおうとか思わないよ。でもそれはそれで面白いけど、今回はうまく働いたようだからね。なにせ彼女がいると私はこうしてここには居ないからね」

 

「そうだ、あの人を追わないとっ!」

 

「ちょっとちょっと私の言葉聞いてる?ここから全力疾走でもして彼女と合流するっていうなら残念だけど今回の助っ人はここまでだよ」

 

 なんだよそれは。そうだ。

 肝心なことを聞き忘れてた。

 

「あんた、いったい何者だ?」

 

 さっきこいつは、俺を襲って来ていた奴らを「あんなもの」と口にしていた。その口ぶりからするとアレが何なのか知っている風だ。さっきに俺に接触してきたのも何らかの工作だったのだろうか。

 

「んー、なんて言ってしまおうか、極端なことを言うのもアレだからね。まあキミと縁のある魔術師とでも答えておこう」

 

「さっき、あいつらを攻撃していたのはあんたなのか」

 

「いいや、()ではないよ。アレをやったのは私の旧い……なんていうべきなのかな………知り合いとでも言っておこう」

 

「もうひとつ聞くけど、合流しちゃいけないっていうのはどういうことなんだ?」

 

「彼女にあったら僕はここに居られなくなってしまうからね。そうなればキミの帰還の可能性も薄くなってしまう。向こう(・・・)でキミの恋人が奮闘しているがそれだけでは足りないだろうからね、だから僕がここにきた」

 

「……向こうって言うのは、つまり…」

 

「簡単に言うとね、ここは夢の中なんだよ」

 

 ……。

 ……………。

 …………………へ?

 

「だから夢の中さ。キミは夢の中に堕ちてしまったんだ」

 

 ここが、え?夢の中…。

 ということは、ええと…。

 

「ちなみに、ここはキミの夢の中ではない。正確に言えばキミが連れ立っていた女性の夢というわけでもない。彼女も原因の一部ではあるが、それは本質とは違う。ああそれとひとつ訂正しておかないとね。キミは夢の中に堕ちた(・・・)のではなく、堕とされた(・・・・・)のさ」

 

 ここが夢の中。じゃああの時の感覚は…。

 

「キミの肉体は今も向こうにちゃんとある。但しここは現実との境界が曖昧でね、さっき我慢して堪えていた吐血も、向こうでは仰向けになっているキミが突然口から血を吐き出して女性陣は顔面蒼白だよ」

 

 ……っ、そう、だよな。

 きっと起きたら遠坂とセイバーに滅茶滅茶怒られるだろうな。

 でもそうなるためにもここから抜け出さないといけない。いつまでも寝たまま心配だけ掛けてるわけにはいかないからな。

 

「どうすればここから抜け出せるんだ?」

 

「ついてくるといい。安心したまえ、キミ一人なら襲われはしない。どちらかというとキミの後ろに用があったんだよ。かといって先に逃がした彼女単体でも今なら襲われはしない。アレは認識されない限りは大丈夫だ。そして今はキミという認識者はいないからね」

 

 捲したてるだけ捲したて、獣の姿をしたその人は彼女の走り去っていった道をトコトコと歩んでいく。口元についた血を拭い、それについていくことにする。どのみちここに留まっているわけにもいかない。この人はあの女性の事も知っているようだしな。

 

「認識者って?」

 

「影を見たんだろ? ここに来る前に」

 

 ドクンと鼓動が跳ねた。

 そうだ、確かにあの時見たんだ。

 翼を広げ上空を飛翔する鳥の姿を。

 そしてその姿を捉えようと上を見上げた瞬間ここに堕ちた。

 

「実はあれがトリガーでね。あの()を見た瞬間にもう術中に嵌ってしまうんだ」

 

 鳩? アレが? でもそんなに小さくはなかったぞ。影からしてかなりの大きさだった。

 

「使い魔、ってわけか?」

 

「いや、アレに主はいないよ。どちらかといえばアレ自身が主であり使い魔のようなものだ。私は夢の中に入り込むのが得意でね、こうしている間も見つからないよう彼是と工程するのが大変なんだよ」

 

「随分、詳しいんだな」

 

「警戒したかい? まあ無理もない、でも私は敵じゃないさ。特別にキミの恋人の魔術師ちゃんが何をしようとしていたのかを教えてあげよう」

 

「遠坂が…」

 

 言われてみれば、その辺りの説明をしっかりと聞いてはいなかった。儀式用の術式があった時点で察することでも出来ればいいんだが、情けないことにまだまだ知識不足だ。

 

「聖霊、というものを知ってるかい?」

 

「せいれい?」

 

「聖なる霊と書いて、聖霊だ。諸説ある中でそれらの存在は時折啓示としても表される。世界に存在する福音の書もベースには聖霊の存在の記載がある。この場においては悪魔祓いの存在として天使の逸話もあるし、その辺り、魔術協会も調査が滞っていたんだろう。だからそれなりに有能な学生を使って現地調査に向かわせたと、そんなところだろう」

 

「………すまん、えーと…ようするに」

 

「悪魔祓いに至っては聖堂教会お抱えの部隊がいるしで若干の焦りもあったのだろう。ようするにここにきたのはただの現地調査だ。それだけの予定だったのだがね。現状としてはこの有様だ」

 

「悪魔祓い?」

 

 話が飛び飛びでいまいち追いつけない。

 でも、悪魔祓いだって?

 悪魔がいるのか? ここに?

 

「正確に言うと『成りかけ』や『幻想に類するモノ』と言った感じかな。でも時間が経過すればするほど面倒になりかねない。まさか聖霊が悪魔に変転しかけるとは、いやはや面白い」

 

 聖堂教会、悪魔、悪魔祓い、聖霊。

 しかも聖霊が悪魔に変転?

 本当に何者なんだよこの人。

 

「面白がってられないだろそれ。悪魔ってかなり危険な存在なんじゃないのか」

 

「ああ、人類にとっては害悪にしかならないだろう。現に今キミが被害を被っている。不完全な状態でも容易く人を吞み込むほどだから成長も著しいね」

 

 少しだけ楽しそうな声色に思わないところがないわけじゃないが、今は貴重な情報源。無下には出来ないし、どうにも敵対的には思えないんだよなぁ。この人が裏切ったりするはずがないと心が訴えている。

 しかし聞けば聞くほどに事態が悪化の一途をたどっているように感じる。聖堂教会、知らないわけじゃない。なにせ一度俺はそういった聖職者に出会っている。

 言峰綺礼。

 聖杯戦争の監督役、その最中に暗躍していた男。さすがに教会の人間が皆あんな風ではないとは思いたいが、遠坂によればあいつは格闘戦の師匠でもあったらしい。

 そういった専門家達が教会内にはうじゃうじゃいると、苦虫を潰したような顔でそう言って遠坂の言葉を思い出す。そんな奴がもしかしたらこの地にいるかもしれない。あるいはすでに遠坂達に接触している可能性だってある。

 

「とにかく、すぐにここから抜け出さないと」

 

「いいとも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 失策だった。

 そんなことを言うのも考えるのも簡単だ。

 けれど今の自分自身の馬鹿さ加減には本当に殺したくなるほどに吐き気と侮蔑を抱かずにはいられない。

 

「凛、シロウに何か変化は?」

 

「…………いいえ、これといって特に」

 

 くらりと、全身から力が抜け水浸しの土に倒れた士郎の姿を見て、すぐに予想とは真逆の方向へと事態が進行している事に気付いた。あのまま士郎を泥まみれにしたままにしておくわけにはいかないからと満潮時の船着場として設計されているボート客用の足場へと士郎の身体をセイバーに担いでもらい段差を飛び越えた先の地面で横にしてある。

 

「それでセイバー、向こうの様子はどう?」

 

「凛の推測通り、全員がシロウと同様に眠りについたまま起きる気配がありません。まるでーーー」

 

 死んでいるようだ。セイバーがそう言おうとして口を噤んだのは見てとれた。

 先ほど吐血した士郎の口元を拭い左手に収まっているハンカチをぐっと握りしめる。士郎の身体を探ってみると明らかに魔力が何処かへと流れている。魔術回路の働きから見て、当人の術の行使があったようにしか思えない。

 微かに口元から漏れる吐息から、呼吸という機能は保持されていると分かる。しかも士郎だけではなく、セイバーに周囲の状況を確認してもらってみれば悪い予感というのは存外よく当たる。

 

「人払いの結界は確かに働いていた。それでもここまでの行為を協会がやるはずがない」

 

 何せまだ下見の段階だ。もしこれが既に死徒化した現地民が街中で暴走しているとかだったら時計塔も聖堂教会も黙ってはいない。

 即刻処理に徹するだろう。

 しかし今回はまだその段階には至ってはいない。あくまでも調査だったはずだ。

 ってことはだ。

 ほんっとに迂闊すぎるじゃない遠坂凛。

 呆れて笑いが漏れるっての。

 頭の中によぎる想定は行き過ぎかもと自分でも思うが、ここまで来てしまうと否定するには状況がそれを肯定している。

 

「ーーーー凛」

 

 セイバーの声に、その声色に警戒めいた響きを感じ取り、士郎に向けていた視線を移す。

 誰かがいる。私達がさっきまで三人で歩いてきた道を、時間が経ち水が足元を隠し始めているその場所を歩いて誰かがこっちに向かって進んできている。けれどその立ち振る舞いと薄っすらと視認できる身に纏う衣服でその人物の背景はだいたい推察出来た。

 

「マスター、指示を」

 

「大丈夫よ。こっちが何もしない限りはね」

 

 多分、と。

 そう付け足しても良かったが、この状況で争っている場合じゃないのよね。

 いつの間にかシロウの壁役として立つセイバーを見ていれば、そいつはゆっくりとこちらに近づいてきた。壁上に立っている私達からだと見下ろす形になる。この暗さでも認識できる顔には当然ながら見覚えはない。

 

「トオサカリンとお見受けします」

 

「申し訳ないけど、そっちが私のことを知ってても私は貴女のことを知らないわね」

 

「聖堂教会の遣いで参りました、ユピタル・フォーミアスと申します」

 

 あっちゃー…。やっぱりきちゃったか。

 できればその修道服を見る事も、ご対面もしたくなかった。そのシスターさんはといえばゆったりとした足取りで壁に近づくと、ゴン‼︎と鈍い地鳴りがしたと思えば、いつの間にか私達と同じ壁の上に平然とした佇まいで立っていた。ほんとこいつらどうなってんのよ。

 同じ目線にいる彼女の視線が流れ、仰向けに横になっている士郎へと向けられた。

 

「どうやら貴女方も事態を把握出来ていらっしゃらないようですね。安心しました。汗を掻かずに済みます」

 

「そりゃどうも。で、聖堂教会の代行者(・・・)がこんなところに何の用かしら?」

 

「あら、おかしいですね。代行者などと口にした覚えはないのですが」

 

「知り合いにいたのよ。貴女みたいな雰囲気を纏った奴が。でも安心して貴女の方がアレより何倍もマシだから」

 

「ああ、言峰神父の事ですか。存じております。苦労なさったそうですね」

 

「どうもありがとう。ーーーそれで要件は?」

 

「言わなくても分かるのでは」

 

 ええ、分かってるわよ。嫌なくらいにね。

 

「協会の目的は、この地に出現した詳細不明の霊体に関する調査だったはず。でもこの状況から察するに、その程度の話じゃなさそうね。事前に忠告はされてたけど」

 

 気をつけたまえ。

 通り過ぎざま、ロードは一言そう呟いた。

 今回の時計塔からの調査内容は何処か曖昧な点も多かったし、それでセイバーや士郎にどう説明しようかと内心悩んだ挙句、うやむやにしたまま来てみればこのザマだ。

 シスターはチラリと今も残っている術式の痕を見つめていると思えば。

 

「流動の意味を含め、水と司る天使と、場の力を取り込みミカエル様の元素を流転させ、霊体を引き摺り込み……野蛮ですこと」

 

「うっさいわね。これが一番効率が良かったのよ。言いたい事はそれだけかしら、だったらお互い職務に従事したほうがよろしいのでは?」

 

「そこの殿方をどうにかするのは職務で?」

 

「貴女も見たんでしょ。同じような光景を」

 

「ええ、ここに来る途中に。もしや気付かれなかったので?」

 

「結界の効果かと思ったのよ。ここまで現実との結び付きが強力って事は、いよいよ時間がないんじゃないの?」

 

「ええ、ですからーーー協力しましょう」

 

 この女、正気?

 

「正気かしらこのアマ、といった目で見るのはやめていただけませんか。別におかしなことはないでしょう。魔術協会と我々聖堂教会が協定の元に力を貸し合うのは不思議なことではありません。それに時間がないと言ったのはそちらではありませんか」

 

 確かにその通りだ。この状況下で人手が欲しいかと言われれば即決で頷く。けれどこいつは聖堂教会の、しかもあの代行者連中の一人だ。いつ私達を出し抜く動きを見せてもおかしくない。どうせ美味しいところを独り占めしようとしているのが透けて見える。

 何せ聖職者といえば連想するのがまずあの男というのがアレだ。その時点で教会にはろくな奴がいないのはなんとなく分かっている。

 でも、それでも。

 

「いいわよ。手を組みましょう。セイバーもそれでいい?」

 

「凛が手を組むというなら異論はありません」

 

 いざとなれば私が対処します。

 目で訴える彼女の意思に同様に目で応える。

 

「セイバー…。では貴女が…」

 

 今まで私に向けられていた瞳がセイバーに向けられている。聖杯の力によって現界したサーヴァント。使い魔と言っても、彼女には明確な意志があり、振るわれるその力は一騎当千。

 普通の使い魔とは一線を画す英霊。

 聖杯戦争を勝ち抜いた魔術師(マスター)が共に生き残った英霊を従えて時計塔にやって来るとかなりの話題であったし、セイバーの存在は見る者が見ればその姿は間違いなく膨大な情報を含んだ実体のあるサンプルと思われてしまうだろう。それは仕方がないと思うからこそ、あまり私はセイバーをあの薄汚い貴族制に満ちた場所へは同行させない。

 と言ってもその存在だけは、聖堂教会へも情報が当然のごとく渡っているわけで。

 

「セイバーと申します」

 

「これはこれはご丁寧に。あらためまして、ユピタル・フォーミアスと申します。以後お見知りおきを」

 

「力を貸していただき感謝します。シスター・フォーミアス」

 

「自己紹介はそこまでにして、移動しましょう。セイバー、士郎をお願い」

 

「トオサカリン、目的地がお有りで?」

 

「あるわ。ここはあくまでも時計塔が用意した円陣ってだけ。こうなった以上は敷地に潜入してからもう一度術式を試す。最悪防護策はどうにかするから大丈夫だし」

 

「それはもちろん、私の安全も保証してくださるのですよね」

 

「不安ならついてこなくていいのよ」

 

 がっくりと肩を落として溜め息を吐いているシスターは放っておいて、意識のない士郎の肩をセイバーが担ぐ形で移動を開始する。

 ごめん、士郎。

 すぐにこっちに戻してあげるから。

 セント・マイケルズ・マウントは一般公開されてみる場所とされていない場所がある。ここには居住している人がいるしそれによってプライベートスペースと区分けもされている。

 本当なら立ち入りは出来はしないが、そんなことを口にしていたら明日明後日頃にはここに住む人間は丸ごと原因不明の突然死として新聞に載る破目になる。

 途中、枝分かれする道をまっすぐに進む。こうして改めて感じてみると、無音の静かな空間だっていうのにこのピリピリとした肌の騒めき。胸の奥から湧き上がるこの感覚。

 足が前へ前へと進めば進むほど、ここから早く逃げろと頭の中で警鐘が鳴り響く。

 道を右に曲がればその先は直線の一本道だ。

 

 ーーーそこでピタリと、足が止まった。

 

 延長線上に誰かがいる。

 のろのろとした足取りで暗闇の中をこちらに向かって歩み寄ってきている。声をかけるのは簡単だ。現状で不法侵入だなんだと云っても何の意味もないだろう。すでに事態はそれどころではないはずだ。

 そして、そんなことは関係なくその人物に対して声を掛けることが躊躇われた。アスファルトの地面を靴の擦る音がカンに触るほど耳に残る。それを耳にするたびに嫌に手に汗が滲み出してくる。

 

「凛、シロウを頼みます」

 

 隣に並ぶセイバーから意識のない士郎の体を傾けられ、両手でしっかりと支える。おそらく私以上にセイバーの持つ直感が彼女に告げているんだ。ーーー剣を構えよ、と。

 微かな金属音、セイバーの手の中にある剣の刃先が今も近づいて来る、遠目に見た限りでは男のように見えるその人物に向けられた。

 って、ちょっと待って。この人何処かで。

 

「……降霊科(ユリフィス)の…」

 

 そう、そうだ。調査依頼の際に写真でのみ紹介された同じく時計塔に所属する学生だ。

 

「凛?」

 

「私と同じ学生ーーーって言いたいとこだけど」

 

 どう考えても味方には見えない。

 今も頭の中で警戒信号が鳴り止まないし。

 

「止まれ、魔術師(メイガス)。貴方が我がマスターと袂を結ぶ者だというならば、」

 

 まずはーーー。

 セイバーがそう口にした時だった。

 

 

 

 

 

 

 

「あ………s@ こに .k?」

 

 

 その男の口から何かが溢れた。

 

 

「s@bie.k?、t;f」

 

 

 

 なにかーーー。

 

 

「3uqf、q@;w@rt?」

 

 

 

 ノイズのようなーーー。なにか。

 

「いけない‼︎」

 

 動揺を含んだセイバーの声。

 眼前にあった背中は気付けば、男の正面。

 彼女の振り下ろした刃が身体を裂く。

 

 その刹那にーーー。

 

 

 

 

 ボゴリ。

 何かが砕けるような、破れるような。

 不快な音が一つ。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーッ!!!!!」

 

 

 ーーー魂の崩れる音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、私としたことがーーーまたか」

 

「ん、なにがさ?」

 

「迂闊に尽きる。まさか「真性(そっち)」よりだったとは」

 

 

 


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