Fate/extra days   作:俯瞰

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第五話・上

「来週、三人で出掛けるわよ」

 

「はい?」

 

 それは三人で夕食を食べ、食器洗い中だった俺たちへの遠坂の唐突な発言から始まった。

 

 水で濡れた皿を隣に立っているセイバーにいつものようにぱっと渡し、すぐさま次の皿洗いに取り掛かる。セイバーは渡された余分に水滴の付着した皿を拭き残し無く、満遍なく丁寧に、そして鮮やかに拭っていく。随分と手慣れた動作になってしまったものだ。今となっては隣にセイバーがいてくれないと違和感を感じるくらいだもんな。

 そんな工程中に発せられた遠坂の言葉に俺もセイバーも手を止め、発言者へと視線を向ける。その遠坂はというとテーブルの上に投げ出した雑誌を漁り、指はペン回しに意識を研ぎ澄ませつつ、眉根を寄せている。

 さっきからカチャカチャとペンがテーブル上に落ちる音が気になって仕方ないんだが、せめてどちらかに集中してもらいたいものだ。

 

「凛、出掛けるというのは?」

 

「言葉通りよ。支度しておいてね、セイバー」

 

「いやだから、どこへ出掛けるんだよ。だいたい俺は基礎科の授業もあるし無理だぞ」

 

 遠坂と違って俺はまだまだ半人前。

 どころか基礎的な知識でいえば一般人からちょっと毛が生えた程度のものだ。時計塔に来る前の遠坂にみっちりと叩き込まれたとはいっても、それはそれ。ここでこうして学ぶのとはやはり勝手が違う。だからこそ変に休んで遅れを取るようなことはしたくない。

 それこそ俺の不甲斐なさのせいで遠坂に余計な迷惑をかけることに繋がるかもしれないんだから。いくら遠坂の頼みでも聞けないものは聞けないぞ。

 

「その点は大丈夫よ。これ一応時計塔からの頼み事だから授業に関しては配慮されてるもの。ロード・ミスティールはその辺り上手いことやってくれるわよ」

 

「時計塔からの、依頼?」

 

「そ、遠坂凛(アタシ)へ直々なね」

 

 それって、かなり凄いことなんじゃないか?

 時計塔から依頼されるって、俺はその辺りの仕組みをよく分からないけど、学院から生徒にお願いをするってのは只事ではないんじゃないのか。けれど、遠坂に確認してみたところ「そんなことないわよ。優秀な学生に時計塔が依頼を持ち掛けるのはよくあることだもの」とのことらしい。ていうか遠坂、優秀な学生って自分で言っちゃうのかよ。

 

「衛宮くんが私の弟子ってことは時計塔の管理局に登録もしてあるし、師が依頼されれば弟子が付き添うのは当然でしょ。単位的にも心配ないから安心なさい」

 

「ま、まあ……そういうことなら…」

 

 自分が知らぬ間に色んなあれこれが進められていることにいまいち納得がいかないが、今は抑えるとしよう。イーザには昼を一緒に食べられないと謝っておかないとな。

 

「依頼ということは、多少手荒い事になるという認識でいいのですか?」

 

「んー、現時点だと半々てとこかしらね。でもいざとなったらセイバーにはうんと働いてもらうからよろしくね」

 

「はい、お任せを」

 

 凛々しく頷くセイバーに微笑む遠坂。

 その光景は見ているだけなら俺も微笑ましく思えるんだけどな。なにせ俺も当事者扱いだ。荒事となればそれなりの準備をしておかないといけないだろう。あらかじめ投影してあるストックから何本か持っていくのもいいかもな。

 

「それで、いったいどこまで行くのですか?」

 

「そうだ、まだ聞いてなかった。どこまで行くんだよ」

 

「ペンザンスよ。ロンドンからなら半日もかからずに行けるから軽装でって言いたいところだけど、私はまあまあ持ってく物があるから重めかな。それに滞在することになるだろうから着替えも幾らか用意しておいて」

 

「用意するのはいいとして交通手段はどうするんだ。行くとしても車で長時間はきついだろ。というか車無いし」

 

「電車よ電車。リビエラの寝台列車で行くわ。一人部屋と二人部屋をひとつずつ取るから」

 

 ちょっと待て。

 待て待て待ってくれ。

 こんなことを言いたくは無いが。

 

「なんか用意が良すぎないか? 時計塔ってそんなに親切に色々とやってくれるのか?」

 

 胡散臭すぎる。遠坂が宝くじを当てて貯金するからって口にするくらい胡散臭すぎる。ってそうだ。それ以前に聞いておかなきゃいけないことがあった。

 

「寝台列車の部屋を取るって簡単にいうけど、それって結構お金がかかるんじゃないのか?」

 

 俺の言葉にセイバーが息を呑むのが分かった。そう、そうだ。忘れてやしないかと心配になるが現状家計は火の車なんだぞ。そんな場所の部屋を二つも取るなんてどうかしてる。

 しかも滞在ってことはどこかに宿泊するってことだろう。そんな宿泊費をいったい俺達が用意出来るものなのか。コツコツと節約を重ね、砂上の楼閣とはいえ、そしてある程度の額の貯金が出来つつあるとはいえ、そこを崩すとなると黙ってはいられない。第一、セイバーが黙ってない。現に俺の隣に立っていたセイバーは遠坂に向けて一歩踏み出し。

 

「凛、言っておきますが我が家の経済的側面においては貴女も十分すぎるほどに把握しているはずだ。その上であらかじめ聞いておきたいのですが、その移動費や宿泊費はいったい誰の懐から徴収されるのでしょうか?」

 

 こわい、こわいぞセイバー。

 どうして窓が開いてるわけでもないのにそんなにもセイバーの髪がゆらゆらと揺れているんだろう。右手が何かを握りしめるような形になっているのはもう気にしないことにしよう。

 同様にセイバーの姿勢に危機感を感じ取ったらしい遠坂は両手を翳して「待った待った!」とそれはそれは慌てていらっしゃる。

 

「違うって。私がそこをちゃんと考えてないわけないじゃない!」

 

 今、俺とセイバーはたとえ魔力パスが繋がっていないとしても、心情は全く寸分違わず一緒だったと言ってもいい。

 

 ていうか、お前が言うなーーーと。

 

 誰のせいでこんなにも家計が逼迫していると思っているのだろうか。この遠坂さんは。

 家計簿を見て、日々悩みを抱え溜め息を吐くセイバーはそれはまたなんとも言えないくらい絵になっているんだぞ。本人には絶対言えないけど。

 

「ほう。ではどのような方策が?」

 

「今回に関してはその…まあその辺の事情を今は細かくは言えないんだけど、別に悪い事してるわけじゃないのよ! でも経費扱いにはなってるから問題ないわ」

 

「遠坂、問題は無くともその説明じゃ不安が全然拭えないんだが。本当に大丈夫なのか?」

 

「ああもうーしつこいわね!とにかく大丈夫!だからほら士郎もさっさと支度するように!」

 

 不安だ。遠坂には悪いが嫌な予感がプンプンと匂ってくる。人一倍直感の冴えるセイバーに至っても同様の結論にしか行き着けないらしく、ちらりと視線を俺に向けてきた。

 ーーシロウ、分かってると思いますが。

 ーーああ、金銭面に関してはセイバーに一任する。遠坂には触れさせないように。

 ーーええ、それと荒事の可能性もありえます。その他の準備も。

 ーーラジャー。

 僅か数刻の瞬きの合間に意思疎通を図る。

 とりあえず警戒を怠らないことにして遠坂に言われた通り、来週に向けての準備を開始するのだった。

 

 

 

 

「衛宮くん、忘れ物は?」

 

「ない。大丈夫だ。さっきセイバーともう一回確認したから」

 

 時間は流れ、出発当日。

 遠坂のスーツケースをセイバーが運ぶ形となり、俺がその分セイバーと遠坂の用意したバッグ等を運搬することに。

 これは一応ケースの中身は魔術的な類の物であり慎重を期してガードの意味合いも込めてセイバーが運ぶ事になったのだ。

 寝台列車に乗るということで日が暮れるまでは各人自由行動。時間的な余裕があるので俺は料理に使えそうな物を探しに街に繰り出していた。ウィンドウショッピングと洒落込んでいる内にすっかりロンドンの夜も更け、部屋を出れば肌寒さが拭えないが、荷物を抱えて寮の階段を降りていくのはなかなかの重労働で一階に辿り着く頃には身体もだいぶ火照っていた。

 

「夜行列車ってことはパディントン駅か?」

 

「そうよ。そこからナイトリビエラでペンザンスに直行。朝方には向こうに着いてるわ。ちなみに衛宮くんは一人部屋ね。私とセイバーで二人部屋」

 

 わざわざ言わなくても分かってるって。

 女の子と同室じゃなくていいの?なんて揶揄いはいらないからな。実際そんな顔してるし。

 外に出ると遠坂が事前に予約しておいたキャブが一台路肩に停まっていた。

 この辺りは時計塔からの資金が出ないらしく三人で相談してあったのだ。荷物の量からして一台でも大丈夫だという結論に達したが、そこは計算通りいって助かった。

 荷物と共に乗り込み、パディントン駅にいざ出発。些か誇張交じりに言ってしまったがここからなら車を使えば駅に着くのに三十分くらいなものだ。ロンドンの夜の街並みを目にしていれば呆気なく到着してしまった。

 一時間前には列車に乗り込めるらしいので荷物を抱えてホームに向かえば、俺たちが乗車する夜行列車が視界に入った。

 

「たしか朝食は出るんだったよな?」

 

 俺の問いに「そうよ」とだけ答えた遠坂はセイバーを伴って、二人部屋の方へ移動していく。

 

「セイバー、朝まで何してよっか?」

 

「睡眠はしっかりとっておかないと後々後悔することになりますよ。しかしそれはそれとして、夜食は買い込んであるのでご安心を」

 

「いいわね。夜行列車で女子会ってちょっとワクワクするもの。じゃあ衛宮くんまた明日ね」

 

 賑やかな女性二人。これだけならまあ華やかで俺も眼福ではあるんだが。遠坂、セイバー、これ一応仕事なんだよな?旅行じゃないよな?

 しかもセイバー、大事そうに紙袋を抱えていると思ったらそれはお菓子の類だったのか。通りで出発前に備蓄を確認したら少なくなっていたわけだ。いかんいかん、俺だけでも引き締めていかなければ。気持ちを切り替えて一人部屋に入室すれば、廊下が異様に狭い分部屋のスペースはそれなりに広くて快適そうだ。

 荷物を降ろし、とりあえずベッドに座る。

 ワイワイとはしゃぎながら来てしまってはいるが、これから行く場所でセイバーの力を借りなきゃいけないほどの何かが待っているかもしれないのだ。セイバーの言う通り、しっかり睡眠をとっておく必要があるかもしれない。

 特に何をしようというわけでもなく、やることもないので未だに眠気が襲ってくるわけでもなく、俺はその場で瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fate/extra days

ーーー第五話・上ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ペンザンスはイギリス西部の端にある港町だ。観光地でもあるが、雰囲気はゆったりとしていて海鮮類の料理が美味しいと前に聞いた事がある。

 

「うぅ…」

 

「しっかりしてください凛。だから言ったではないですか、組み合わせはしっかり選ばなければダメだと」

 

「ふふっ、そうね。ここがイギリスだって事を失念していたなんて、私ったらいつまでうっかりさんなのかしら」

 

「お前らなぁ…」

 

 あんまり言いたくないが、もっとシャキっとしろシャキっと。セイバーはともかく遠坂に関しては言い出しっぺだろ。

 

「すみませんでしたシロウ。私がついていながら」

 

「いや、セイバーは悪くない。だいたい遠坂が悪い」

 

「出たわね、セイバーびいき。藤村先生の言ってた通りよ」

 

「遠坂がそんなんじゃなければ、贔屓する必要も無くなるんだけどな」

 

 まあとにかくここで遠坂と話し合っていても埒があかない。さっそく移動しよう。

 ホテルは港から少し離れた位置にあるらしくそこまでバスで移動することになり、バスに寄られて二十分ほどで到着。

 日本でいうとホテルではなく、ペンションへやってきた俺たちはさっそく荷物を降ろし、ここからの一通りの流れを整理するため、テーブルに添って置かれた座椅子に腰を下ろした。

 

「凛、まずこの後の具体的な行動方針は」

 

「とりあえずは暗くなるまで待機ね。でもその前に準備と下見も兼ねて少し動くとしますか。セイバーはついてきて、衛宮くんはおつかいを頼んでもいいかしら」

 

「おつかい?」

 

「うん。ここ宿は時計塔(あっち)持ちなんだけど、食事に関してはキャンセルしてあるのよね。その辺りの怪奇的なところがほんっとにうんざりするんだけど、まあ宿代だけでもマシと思いましょう」

 

 マシどころか既に高望みの域に入ってると思うぞ。お使いか…。まあ悪くはないけどやっぱり来るなら普通に観光で来たかったな。この状況で俺だけおつかいって。

 

「シロウ、よろしくお願いしますね」

 

「あ、はい」

 

 うっ…、そんな「シロウならきっと美味な具材、そして料理を作ってくれるはずですから‼︎」みたいな瞳で見つめられると戸惑い半分嬉しさ半分。勢いで返事をしてしまったのもあるし、とりあえず気合をいれるとするか。

 

 

 

 

 

 

 二人とは別行動を取ることになり、なんならいっそせっかくだから近場のレストランに行くのも手じゃないかと思ったが、よくよく考えてみればただいま絶賛金欠中だということを思い出してしまった。

 ペンションから数分歩いたところにスーパーがあり、そこで色々と物色してみるとやはり港町なだけに海鮮類の食材や珍味が多い。

 ロンドンと比べるとどれも美味しそうに見えてきて是非セイバーに振舞ってみたくなるが、手持ちの額をきちんと考えていかなければ。

 そうして店内を物色していると。

 

「ん?」

 

 そこでふと、視界に入った何かに目が留まってしまった。特にこれといって何かが奇抜だったというわけでもないのだが、棚に伸ばしていた手が途中でピタッと止まってしまうほどに、俺はソレに目を奪われた。

 それは毛繕いをするでもなく、何処かをフラフラとそのこじんまりした足で歩いているでもなく、ただじっとそこに4本の足で地を踏みしめて、俺を見つめていた。

 あれって耳かな、なんか異様に長い気が。それともイギリスだとああいう犬? いや猫? いやリスっぽいような…でもあんなに長尾か?

 真白な毛が少し離れたここからでもわかるほどにふわふわしてそうな事が分かるほどに綺麗な毛並みだ。誰かが店内に連れてきたペットかな?それにしては紐も何もついてなさそうだが。迷子犬…じゃないな…えっとなんだろう。

 いつまでもこうして互いに見つめ合っていても仕方がない。止まっていた足を動かして出来るだけあの子が驚かないように慎重に近付いていく。そんな俺の心配など杞憂だと言わんばかりにその子は俺が接近しているにも関わらず、何の動作も見せず変わらずただじっと俺を見つめているだけだった。

 あと一歩踏み出せば俺の足元に触れるか触れないかといった具合の距離で、すっと屈む。

 

「迷子なのか?」

 

 いや、言葉は通じないと分かっているはずなのだが、ついつい子供に話しかけるような口調でそう問いかけてしまった。

 

「フォウ」

 

「そっか、なんだ違うのかーーーってあれ?」

 

 今普通に会話が成立したような。

 いやそんなまさかな。

 俺の質問に首を左右に振っていたから、つい違うんだとばかり…………ん?

 

「もしかして、言葉が分かるのか?」

 

「フォウ!」

 

「あいてっ」

 

 蹴られた。なんでさ。

 

「飼い主とはぐれちゃったのか?」

 

「フォウ!」

 

「いったっ‼︎」

 

 さっきよりも強い力で蹴られた。

 しかも引っ掻かれた。その愛らしさについ手を伸ばして触れようとしていたバチだろうか。

 この反応からするに、もしかして飼い主と上手くいってないんだろうかこの子は。

 そうなら交番に届けるか、虐待を受けていそうならその辺りの話もしないといけないな。

 いやでもさっき迷子じゃないって言ってたしな。いや待て、言ってたのかあれは?

 首輪とかもやっぱり付けてないみたいだし、この辺りに住んでる野良の子なんだろうか。それならそれで店の中に入り込んでるのがバレたら怒られでもするんだろうか。

 スーパーだから生魚とかも置いてあるし。とりあえず店の外に出すかと立ち上がると。

 

「フォウ!」

 

「え、あっ…ちょっ‼︎」

 

 一目散に後ろを向いて走り去ってしまった。もしかして俺がいきなり立ったから驚かせちゃったのかな? でもそんなでも驚くような子には思えなかったけど。

 方角からして外に出たのかと少しだけ後を追ってみると、ガラス越しに外を駆けていく姿があった。よかった。店員さんに何かをする前に自主的に出て行ってくれて。

 

「でも、可愛かったな」

 

 セイバーに見せたらきっと喜びそうだ。

 動物好きな一面はこれまでの生活の中で大体把握している。きっと撫でようとそっと近付いて不意に動いた時にびくりと肩を震わして驚きそうな気がする。今度は遠坂達と一緒にいる時に遭遇したいもんだ。

 

 

 

 

 

 

 その後、買い込んだ食料品を手にペンションに引き返し、遠坂達はまだ戻ってないようだから、その間に自分の荷物を解いておいた。

 とは言っても寮の方に置いてあった調味料セットを一式、衣服と洗面用品。日常的な物はこれくらいだ。あとかなり嵩張りかけたがロンドンの自室にて投影済みだった短剣を一本。これに関しては名前はない。

 『無限の剣製』内において、あいつとの対話の中で自らの固有結界にトレースしたものだ。

投影については魔術の総本山である時計塔での勉学を経て、今は強化から重なりそこからの派生形態を目指している。

 

「ーーー同調開始(トレース・オン)

 

 構造把握から経て、投影として既にそこに存在する刃に俺の魔力を上乗せし、基本骨子の変換・再変のプロセスは単純であるが故に俺のような半人前には難解である。

 その工程の土台からして、顕現する『異物』に息を吹き込みより形を増す為の作業を最近は率先して練習している。

 

「ーーー工程変成」

「ーーー構成材質、転換」

 

 流れゆく魔力の渦に意識を呑みこませる。

 もっと強固に、頑強に。

 

「ーーーっ」

 

 早く、鋭くーーー。

 

「ーーー工程、完了」

 

 はあ、と大きな息が漏れる。

 握りしめる剣に意識を研ぎ澄ます。床に降ろして腰を上げ立ち上がりざまに横殴りに一閃。

 風切音だけが室内に微かに浸透し、やがてゆっくりと大気へ解けていく。

 うん、なんとなく。なんとなくだけどさっきまでの感覚と微妙に違う。

 その構造に関しても全体像までとはいかないが、大体の把握も出来る。構造把握については俺みたいな特殊な例によればそれは自らの力で、己の実力として組み込んでいくしかない。補助霊装などを師として一緒に考える事は出来るけど、それも結局は使い手の力量次第。

 すなわち、今後の俺によるってことだ。

 そうしていると入口のドアが開く音が聞こえ、同時に「しろー、戻ったわよ」と遠坂の声が聞こえてきた。集中している間に結構時間が経っていたみたいだ。

 剣をバックの中に戻し、二人のところへ小走りで行く。

 そろそろ夕食の支度を始めないとなと思っていれば、ここでも変わらずセイバーの手伝いもあってスムーズに調理は進み、向こうと同じく三人での食事となった。

 こうしていると本当に旅行に来ただけみたいだが、いつもの寮の時とは違って、片付けが済めば解散というわけにはいかない。窓の外はもうすっかり暗く、闇夜は魔術に携わる者達にとっては行動開始の合図のようなものだ。

 

「士郎、用意は?」

 

「うん、問題ない。いつでも行けるぞ」

 

「じゃあ、お仕事の時間といきますか」

 

 遠坂の言葉にスイッチが切り替わる。

 先ほどとは打って変わり、落ち着いた雰囲気で遠坂の傍らに立つセイバーの姿に俺もより一層の気を引き締める。

 

「遠坂、そろそろここに来た理由を教えてくれないか。せめてこれから何処に向かうかくらいは聞いておきたいんだけどな」

 

「セント・マイケルズ・マウントよ。今から行って着く頃には干潮になってるだろうし、詳しい部分は移動しながらでもいい?」

 

 遠坂の言葉にセイバーと共に頷き返す。

 家を出ればやはり辺りは暗く、ライトの光もこの付近は疎らのようだ。

 セント・マイケルズ・マウントならここからそう遠くはない。歩いていく遠坂を追って俺も暗がりの道を歩く。

 満潮の時はボートを使わないといけないからそれを避けたのか?お金掛かるし。

 

「別にそういうわけじゃないわよ。ただ歩いていった方が私達には都合が良いってだけよ」

 

 三人で歩む道には人っ子ひとりいない。

 まるで聖杯戦争時の冬木の夜を連想させる。今回違うのは何らかの争いがあるのしてもそれはおそらく英霊(サーヴァント)ではないということくらいだろう。それでも油断は出来ない。道を進むにつれ変わっていく視界は、ペンション付近の木々の茂る辺りを過ぎ、街灯に照らされ、果てしない海が波の音と共に薄ぼんやりと確認出来た。

 そのまま遠坂についていけば、セント・マイケルズ・マウントへと繋がる道の辺りに着いたらしく遠坂が俺とセイバーを手で制した。

 

「よし、準備はよさそうね。行くわよ」

 

 段差を下り、細長い道を歩いていけばそこから先は砂浜に通じているらしくそこから先が目的地への道程だ。しかしここら辺は街灯らしきものも警備とか柵とかもないのか。

 やけに無人すぎる気が。そういえば遠坂が準備がどうこう言ってたし、さては何かやらかしたんじゃないのか?

 内心そう思いながら前方に目を向ければ、遠坂の思惑通りあの場所へ通じる道は干潮で繋がっている。少しだけ足元が水で覆われているが、これも時間が経てば完全に引いていくのだろう。誰もいない無人の道を歩いていく。

 今日は雲に隠され月明かりもなく、俺たちの足音と波音がやけに大きく耳に届いた。

 数分の間、口を閉ざして行動していれば左側に大きな壁が出来ている。それを目に捉えながら舗装された道を進んでいくと左側の壁が途切れ、その先が見えるようになっている。そこは満潮時の為に用意された観光客を運搬する船着場なんだろう。潮が引いた段階ではボート類は地面の下に置かれた状態のなっているが。

 

「ここよ」

 

「ここって、もっと先に進むんじゃないのか?」

 

「ううん。目的地はここ。正確に言うとあのボートが置かれてる場所の中央ね」

 

 中央?

 再度促されついて行ってみる。すると確かにその場の中央付近にそれがあった。

 

「これって、儀式用の」

 

「そ、降霊科(ユリフィス)も上手いことやるわねー。まあ下準備が整ってるのに越したことはないんだけど。衛宮くん、福音書ってなんなのかわかる?」

 

「福音書って、確か聖書で…えっと…」

 

「そうね。そういう意味では聖書はキリストといったものが正しいわね。でも私が言ってる福音書っていうのは、時計塔や魔術師全般も含めていうところの福音書のことよ」

 

「福音書でも、違いがあるってことか?」

 

「そう。ここに来たのは微かな繋がりだし、このペンザンスの守護聖人であるヨハネと、福音書にあるヨハネは別人だけど、それでもいいのよ。結局その曖昧で欠陥的な部分は補うことも出来るからね。といっても福音書を話に出したのはただのついでよ。本当はその奥の方にあってーーーよし」

 

 遠坂は話を途中で区切ると、俺とセイバーに少し離れるように言うと、その儀式用の陣の中心に立つ。カチャリと微かな音を拾えば、遠坂の手の中に紅く煌る宝石が見えた。

 

「セイバー、周囲の警戒をお願い。人払いは済ませてあるだろうけど一応ね。士郎も、何か違和感に気付いたら遠慮なく声を出して」

 

 いつになく鋭く険しい声にセイバーと同様にこくりと頷く。そこまで言われると気合が入るが空回りしないようにしないとな。

 

「ーーーーAnfang(セット)

 

 遠坂の手を離れた宝石がゆっくりと落ちていく間際、暗がりの中で一瞬の瞬きを起こす。

 

「ーーーーrufen(汝、答えよ)

 

 足元に落ちた宝石は遠坂の足元に転がる。

 そう思っていた。

 しかしーーートプンッ、と。

 まるで水滴が水面に呑まれるように、地中にその姿を消してみせた。

 

「ーーーーtenful(魔を)Exorzise(祓いしたまう)Zu glitzern(煌りを)ーー」

 

 遠坂の詠唱に術式陣が紅く輝く。闇夜に瞬く灯りは異様なまでに目立つだろう。人除けの結界は必要不可欠だったわけだ。

 遠坂とショッピングに出かけ、オシャレになったいるセイバーも今は普段の装いを無くし、出逢った時と同様のその身を甲冑で包み込んでいる。彼女の手の中に握られた剣が静かに空気となって揺蕩いながら、護るべき主を静かに見守っている。

 

 今のところ、異常や違和感といったものは感じないし見えもしない。このまま安定した状態で上手くいってくれるといいんだが。

 

 ーーーそして、そんな時だった。

 

 ーーー光源の中にあるその違和感に気づいたのは。

 

「あれ?」

 

 今ここにいるのは俺と遠坂とセイバーだけだ。そんな中で何かが、光を放つ陣に照らされたこの場で、それはスッと漂っている。

 遠坂を離れこちらに近寄って来るそれはそうーーー影だ。鳥の姿をした影、それにしたって異様に大きな鳥種の影がその身体に見合う大きな翼を広げた影が俺に近寄ってくるのが映った。俺はハッとして頭上を見上げた。

 

 その瞬間。

 

「シロウ‼︎」

 

 セイバーの慌てたような声。

 そこでまたしても違和感に襲われた。

 

「え?」

 

 体が沈んでいく。

 いや、違う。

 これは沈んでいく感覚ではなくて。

 見上げていた視線を足元へ下ろせば、そこには何もなかった。自分がしっかりと足で踏みしめていたはずの黒色の地面ではなく、それよりももっと真っ黒な暗闇が俺の足元に広がっていた。落ちていく。落ちるなんて言葉はもう遅い。現時点でもう落ちているのだ。

 俺よりの身長の低いセイバーの頭を見上げなければならないほどに。遠坂の驚いた表情が薄っすらと見え「士郎‼︎」と声が届いた時には、俺の体はもう地面の底にあった。手を伸ばすには少し距離が足りない。そこにふと、何かの影が視界を暗く染めた。甲高い鳴き声が響く。

 それが俺に目掛けて空から降ってくる。

 その姿が鮮明に映る頃には、俺の意識はそのまま暗闇に引っ張り込まれていた。

 

 

 


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