「まずいです」
セイバーの表情は真剣そのものだ。
これから死地に赴く騎士のように、さながら聖杯戦争で最後の戦いに向かう時を思い出させるような剣の英霊としての彼女だ。
「まずいな」
そして俺も同様に真剣だ。
これ以上ないというほどに真剣だ。
そりゃそうだ。なんせこれは本当にまずい事態になった。
テーブルに置かれた一冊のノート。
これが全てを物語っている。
そしてそこにいるもう一人。
「うぅ、悪かったわよぉ。全部私のせいですよぉ」
へなへなになって萎んでいる我らが遠坂凛。哀れだとは思うが、慰めてやろうとは思わない。
今回ばかりは自業自得だ。しかもそれが連帯責任として俺達にのしかかってきているのだからどうしようもない。
コトが起きたのは二日前。
いつも通り講義後、セイバーと一緒に夕食の支度をしている最中、満身創痍ともいえる風貌で帰宅してきた遠坂によってもたらされた厄災。
弁償代。
その言葉は穏やかな時間を満喫していた自分達にとっては青天の霹靂だった。弁償って一体どういうことかとセイバーと共に問い詰めた結果、同じ学科の受講生と講義中に口論の結果、どちらの意見が優れているのかを検証という名の実験の末に双方同等のレベルでポカをやらかし講義室を半壊。その弁償代を経理課に要求されたらしい。
なんだろう。いつかやるなと心の何処かで考えていたことがこうして容赦無く現実として襲いかかってくるっていうのは、怒りとかを通り越して呆れてくる感覚しかない。
そういった事態発生の末に導き出された結論は。
もちろん『お金がない』だった。
いや、冗談抜きで本当にない。冗談なんて言ってる場合じゃないほどに、弁償代なんて払えるお金なんて持ち合わせがない。
ただでさえその……食料的にもかかるし。しかも遠坂の得意とする宝石魔術は名前の通り宝石を使用するので、当然の如く宝石代が必要となる。
その値段は本当に馬鹿にならない。手のひらサイズのダイヤモンド一つだけでどれだけ出費すると思ってるのか。もちろん遠坂本人も安く仕入れようとしてはいるが、それでも値段の基準は日用品とは比べ物にならないほど高い。
それは留学する前から理解してはいたので、俺とセイバーでそこら辺も含めて全体的な財務管理は徹底していた。そういった事を遠坂に任せるのは不安だし、何しろこいつは気づかれないようにこっそりと宝石の貯蔵を増やしてそうだからな。
ロンドンに来てからノートに出費量などをメモし、今月は最低でもこれくらいに留めるなどと計画をしていたが、それは予想外の事態を想定していない場合の考えだった。
我ながら甘かった。いや本当に甘かった。
可能性を考慮してはいたのにまさかそれが現実になるとは欠片も思ってはいなかったというか思いたくなかったというか。
ていうか普通は考えないだろ? 部屋を吹っ飛ばしたからその弁償代を払うなんて。想定するわけないじゃないか。
「こうなっては致し方ありません。職を探しましょう」
「だよな…」
もうそれしかない。
セイバーの言うとおり、出費が多いならば少しでも手持ち金を増やさなければならない。また何かを吹っ飛ばしたとかの事態に備えておく必要もあるしな。そうなるとやはりアルバイトをするしかない。
まあ元々やろうとは思っていたし、こっちの言語もかなり上達してきたので、会話をすることも申し分ないくらいのものになった。貯蓄の管理に頭を悩ませているセイバーを少しでも安心させてあげたい気持ちもある。
「だ、だめよ!セイバーにアルバイトをさせるなんて、反対反対!!」
遠坂、お前なぁ……。
「何を言うのですか凛。このままでは生活らしい生活を送るのは不可能です。それともどこかお金を借りるアテがあるのですか?」
「それは、ないけど…。でもダメよ。セイバーをどっかに預けるなんて出来ないわ。一応私は主なんだから、使い魔にアルバイトをさせるなんて」
分からんでもない。セイバーは英霊として立場上では遠坂の使い魔としてここにいる。もちろん俺も遠坂もセイバーを使い魔なんて風には見ていないが、それでも他所様にセイバーを行かせるとなると多少の抵抗がある。
この街は魔術師達のホームみたいなものだし、セイバーを見ればその存在がどういうものか分かる者はいるだろう。そうなった時に得体の知れない奴がセイバーに目をつけないとも限らない。魔術師という存在が無害な人間達の集まりではないと分かっている以上、不安要素が多すぎる。
「しかし…」
「待ったセイバー。とりあえず、アルバイトは俺がするよ」
なんだかんだ言って、やっぱり俺もセイバーにアルバイトとかはしてほしくないなとは思っている。使い魔が何を…とかそんな風にセイバーに奇異な目を向けられるのも嫌だ。
そんなことを思うくらいなら、俺がセイバーの分までアルバイトをすればいい。そのほうが気分的にも全然楽だ。
「遠坂も大人しくしてるなんてことはないだろ。セイバーはそっちを手伝ってやってくれ」
「シロウが、そう言うのでしたら…」
渋々といった感じで頷くセイバー。
うん。とりあえずよかった。
これでひとまず安心、というわけじゃないけど、とりあえず方針は決まった。
さて、そうとなったら早速バイト探さないとな。
Fate/extra days
ーーー第三話・上ーーー
「うーん、バイトねぇ」
「ああ、何かいい場所知らないか?できれば手っ取り早くお金が手に入る感じで」
翌日。
とりあえずこういう事は現地人に聞いたほうがいいだろう。
日本と違って勝手が分からないし、自分一人で探すのも限度がある。そうなるとやはり講義仲間であるハハイザ達に質問するのが一番いいだろう。
講義後、荷物をまとめて帰り支度をしている時に相談を持ちかけ、そのまま横幅の広い巨大な通路出る。何度も歩くが相変わらずこの建物は一々なんでも広いというか大きい。
人通りも激しいが、それを気にしつつも隣を歩いているハハイザに話しかける。
正直言ってしまうと、以前俺が聖杯戦争の参加者だということを暴露したことで人気が出るどころか警戒されているような雰囲気になってしまっているのだ。特質した何かを持っていると浮いてしまうということがよく分かった。そんな中でも変わらず接してくれる彼女の存在は実にありがたい。
「まあ私もやろうと思ったことはあるけどなかなか出来る環境じゃなくてね。ううん、難しいな」
そうなのか。
もう二、三ヶ月の付き合いになるが実はハハイザのことはよく知らない。ダウンス家という名も残念ながら魔術師の世界に疎い俺では知る由もない。まあ、進んで知りたいとも思わない。付き合いがあれば自然と知ることもあるかもしれない。
とはいえまいったな。
こうなったらやっぱり自分で探すしかないのか。
とりあえず、セイバーや遠坂にああ言ってしまった以上、そんなにすんなりとダメだったなんてことは言えない。そんなかっこ悪いことできるか。
「エミヤンは得意なものって……ああ、料理とかか」
「まあ、そうかな」
家事は子供の頃からやってるからあらかた出来る。
藤ねぇはアレだったし、切嗣は身体が弱かったから当然ながら俺がやるしかなかったのだ。
でも長年積み上げてきたそんな経験もアルバイトには使えないだろ。
「いやいや。どこかの店で料理の下働きからやるとか、それか清掃の仕事とかは? そういうことにならエミヤンの特技を活かせるんじゃない?」
「清掃か…」
嫌いじゃないし、苦でもないからやる分にはいいんだけど。料理屋となるとすぐに給料を貰える可能性は低いか。清掃の仕事とかなら日給とかで手当が少なくとも貰える可能性があるか。
でもそれってどういうところで募集してるんだ?ロンドンのそういう事情は分からないから何とも言えない。
「ここって、そういう募集とかしてないのかな?」
「ここって、ココ? してないって断言は出来ないけど、可能性は薄いんじゃない? なんか場所的に」
確かに魔術の学校で清掃のアルバイト募集とかは考えられないけど、今は藁にもすがる思いなんだ。ぶっちゃけ早くどうにかしないと俺たちの穏やかな日々が崩壊する。遠坂がまたやらかす前にある程度の収入は確保しなければいけない上に、当然ながら弁償代もきっちり入手しないと。
「ええい迷ってられるか。とりあえず行ってくる」
善は急げ。お金は早急に。
家無しの生活なんて絶対にゴメンだ。
「ついていこっか?」
「いや、大丈夫だ。心配無用!」
などとかっこつけるが、本当に見栄だけだ。
これからどうなるかは分からないが、ここからは俺一人で行かなければいけない。行けない気がする。
「見てろ。絶対勝利を掴み取ってきてみせるからな!」
「それって、なんだっけな。フラガだかフラグとかって言うらしいよ」
フラグ?フラガ?
なんのことかよく分からないけど、とりあえずハハイザとは一旦別れて、こういうことを聞くのに相応しい場所に向かう。
四の五の言ってられない。バイトがあるならどんな仕事だってやってやるさ。
時計塔内部。
いつも出入りするその正面入り口から見て左手奥の方には小さなカウンターがある。そこが今回の目的地であり決戦の場だ。
相談所という名前ではないが、ここは基本的に時計塔に籍を置く者達の要望や意見などの交換所というような場所であり、ここから時計塔上層部への言葉になるということもあり得るらしいが、真偽は定かではない。
俺の願いの可能性が詰まってると言えばここぐらいしかないだろう。
「すいません」
深呼吸の後に、整えた口調で言葉をかける。
その声に答えたのはカウンター越しに何か筆記作業をしている褐色の肌に白い髪をふわふわと浮かせたような髪型をしている眼鏡をかけた女性だ。
「はい、なにか御用でしょうか」
スラっとした口調の声がやけに緊張感を与えてくる。
なんかちょっと苦手そうな人だ。
だがそんな感想も、今は邪魔なだけだ。
若干押され気味の心に力を振り絞る。
「聞きたいことがあるんですけど。時計塔で清掃のアルバイトなどはやってないですか?」
自分の言葉ながら馬鹿らしいことを言っているなと実感はしているが、この際そんなことに構っていられない。
「アルバイト、ですか?」
「はい、そんな大掛かりなものじゃなくてもいいというか、清掃の仕事とかは何処かで募集してないかと…」
場違いなところで聞いている感じはもちろんある。受付の女性の意外そうな顔も仕方が無いだろう。
やっぱりそういうのはないよな。当然と言えば当然だ。魔術師のアルバイト募集なんかしてるわけないか。
「驚きました。本当に来るとは」
「はい?」
どういう意味だ?
本当に来るって?
意味深な言葉に硬直した俺を尻目に、受付嬢は手元にある紙の束をゴソゴソと弄っている。どこにやったかなどと呟きながら身体を動かしているのを見ていた俺に、やがて一枚の紙を手に持ったままカウンター越しにじっと俺を見つめている女性がいた。
「でしたら、こちらなどはどうでしょう?」
そう言って差し出してきた用紙を受け取り記載されている文章に目を通した。
うっ、会話はいいんだけど、こういった筆記体では未だに慣れない。達筆すぎて読めないというかこういう書き方なんだろうけど。
でも全然ではないので、なんとか解読する。
「修理後の清掃の手伝い、ですか?」
「はい、詳しくは言えませんが先日事故の為に講義室の一画が損害を受けてしまいまして」
ああ……。
いや、詳しく言われなくても分かった。何せその損害を出した人と同居してるので、とは言えない。
「その清掃の手伝いのバイトですか?」
「本当ならこういった事態には其れなりに対処の経験がある人物を招集するのですが、場所が場所だけにそれは憚られるので、いない分の人材を此方で募集していたのです」
そう言う受付の女性だが、大した期待はしていなかったのだろう。何せ本当に驚いているくらいだ。やっぱり珍しいんだろうな、俺みたいなのは。
て、待てよ。これって。
「あの、この清掃っていうのは魔術的な意味での清掃なんですか? 俺、その」
魔術師としてヘッポコ状態の俺じゃあ、清掃に使う魔術なんて使えない。というかそんな魔術あるのか?
「ご安心を。この仕事に置いては魔術の類を行使することはありません」
「そうですか」
それなら安心だ。純粋な力仕事なら喜んでやる。加害者の同居人として迷惑をかけたお詫びのつもりで働かせてもらおう。
にしても、場所が場所だけにとかっていうのが何のことなんだろう。この仕事に置いてはってことは、今回は稀なケースってことなのかな。
なんにせよ、募集しているからにはやらなければいけないな。ちょっとした誰かさんの分の罪滅ぼしだ。
「じゃあ、この仕事引き受けます」
「ありがとうございます。失礼ですがこの後の予定は空いておりますか?」
「はい。特に何もないですけど」
なんでも今週中には清掃だけでも終わらせたいらしい。まあ何時迄もボロボロじゃ学問の場所としては雰囲気が悪いし、面倒なことは押し付けてでもさっさと終わらせたいんだろう。
個人的にも早く収入が欲しいので、今日やってしまうことに異論はない。
「では、こちらを」
そう言って渡されたもう一枚の用紙には、正確な場所の地図などが記載されている。よかった日給手当みたいだ。
これなら多少なりともセイバーも喜んでくれるだろうか。
場所は……あれ?
「現代魔術、ですか? 宝石じゃなくて?」
てっきりあいつのことだから、宝石科の講義の最中での悲劇かと思っていたが違ったらしい。現代魔術の講義で口論になってなんで部屋がボロボロになるんだよ。物騒だな本当に。
「はい。なぜ宝石科だと?」
「あ、いえ。なんでもないです!」
やってしまった感じだ。
まさか加害者の身内がその尻拭いをする羽目になっているとは思わないよな。
そういった事には突っ込まずにいてくれた受付の女性に感謝しつつ、俺はその場を後にする。
「また御利用くださいね」
後ろから聞こえてくる声がやけに響いて聞こえた。もしかして以前からアルバイトの募集などをしていたのに、誰も来ないことが当たり前だったのかもしれないな、ここ。驚いたのはここを利用する人間が来たことにだったのかもしれない。
あれ? でもそうすると『本当に』っていうのはどういう意味だったんだろう。
現代魔術論を専科にしている者は時代に傾倒したものが多いというが、なるほど確かにそうだ。なにより一番の違いはというと、遠坂と違って携帯電話を使いこなしているという点だ。
もっともあいつも同じく現代魔術科の生徒であるはずなのだが、未だに携帯の使い方をよく分かっていない。
いい加減に俺も携帯くらい持とうと思っているのだが、無論お金がない。
「ここでいいのかな?」
ボソっと呟いた言葉を拾ってくれる者はいない。というかさっきから視線が痛い。
何しろここは俺にとって完全にアウェイだ。東洋人というのは目立つのかと思ったが耳を済ましてみると何処からか日本語のような声が聞こえて来たりもしたし、単にこれは現代魔術論の生徒ではない俺がここにいる人達から見れば紛れ込んだ異物であり部外者だからだろう。
こういうことが最近増えているような気がするが、とりあえずスルーするとして目的地に辿り着いたので早速足を進める。
時計塔は学部ごとに特徴が異なるというが、現代魔術という名のこの学科も講義が行なわれる場所は今風の場所ではない。はっきり言って俺が普段から通っている場所とあまり変わらない。
この辺り一帯は近代的な建築物が多い中で、この学科の主な講義場所である建物はやけに時代がかかったもので、なんというか微妙に浮いているような気もした。
建物の中に入り、目の前にある受付と思わしき場所に足を向ける。何せここに来るのは初めてなので何処が仕事場なのか分からない。
先ほどのように多少緊張しつつも声をかけ、すぐさま若い男性に場所を案内された。何やら品定めするような目を向けられているがなんだろうか。
やっぱり部外者の存在はそんなに珍しいのか。
その人の後ろを幾らか歩き、案内された場所はこの建物でも一番でかい講義室らしい。確かに言われた通り大きい。
シンプルに正方形に拡大した部屋は、さながら何かのパーティーなどの時にも使用するんじゃないかというくらいのものだった。
しかし、
「うわ……酷いなこれ」
思わず口から出てしまう。
そんな考えを覆すように部屋は散らかり放題だ。内装は剥げ、床には粉砕された壁の残骸が四散している。木製の長方形のテーブルも跡形もなく木っ端微塵となり部屋を木の破片が一画を覆い尽くしている。
吸う空気がなんだか埃っぽいというか、これ多分破損した当時のそのままの状態で残してあるんだろうと分かった。いやでも修理後の清掃って言ってたよな。…まさかこれでも直った方なのか?
「今日中でなくてもいいので、出来るだけ綺麗にまとめておいてください。手当は時間制にしてありますから働いた時間によって変わります」
つまり、今週中にやってくれれば日給は毎日出すということか。よかった、流石にこれは一日では終わらないぞ。
それよりも、俺以外誰もいないのが気になる。まさかとは思うが一人なのか。
でもさっきの受付の女性は他にもいるようなことを言っていたが。
そう思った時、講義室に入ってきた人物が一人だけだが現れた。
フードを被った女の子…か?
そのフードで顔のほとんどが隠れてしまっているので断言は出来ない。
「ああ、グレイさん。お待ちしてました」
グレイ。
それが彼女の名前のようだ。
受付の人が敬語を使うってことはそれなりに偉い人なんだろうか。でもそれならこんなところに来るとは考えにくい。
一体何者なんだろうか。
「彼が手伝いに来てくださった者です」
男性が俺を紹介するように声をかけてきた。おっといけない。つい見過ぎたかもしれない。
「衛宮士郎です。よろしくお願いします」
「…よろしく、お願いします」
グレイです、と応える声はやっぱり女の子のものだった。同い年くらいだろうか?
「とりあえず今回は二人で行なってもらうので頑張ってくれ。それとくれぐれも魔術の行使はしないように。それでは私は失礼します。グレイさん、ロードによろしく御伝えください」
そう言って男性はスタスタと歩き去っていく。
ロード? ロードというのは学部を取り仕切る人達のことだったと思うが、場所的には現代魔術科のロードだろうか。
だとすると彼女はその人の知り合いというか、身内のような人なのか。
「すみません。あの人は師匠のファンで、……拙にも敬語で話してくれるんです」
「ああいや、別に気にしなくていいですよ」
敬語で話されている自分とそうではない俺の違いの理由をはっきりさせたかったんだろう。なんにせよ気を遣われてしまったようだ。
それに新しい発見もあった。どうやらこの人はロードという人の弟子のようだ。師匠って言ってたしな。
ともかく俺とは比べものにならないほど凄い人だってことは分かった。
「じゃあ、早速始めましょうか」
「はい…」
何はともあれ、早速作業にかからないといけない。時間は限られてはいないが早く終わらす事に問題はない。
上着を脱いで長袖のシャツ一枚になり、軽く全身のストレッチ。そんな俺を気にすることなく、グレイと呼ばれた彼女はスタスタと残骸溜まり場へ近づき木片を一つ一つ拾っていた。
ううむ、特にこれといったものはないっていうか、この人はなんでこの仕事をしているんだろう。俺と同じで金に困っているって感じには見えないけど。
あれ?そう言えば。
「あの、すいません」
俺の声に彼女は手を止めて俺の方に顔を向ける。
「さっき、魔術はくれぐれも使わないようにって言ってたのはどうしてなんですか?」
そう、あの男性はさっき確かにそう口にしていた。あれは警告の意味が強かったが、やはり使っちゃいけない理由があるのか。この仕事には。
「……ここ、溜まり場になってて」
「溜まり場?」
それは今、目の前にあるもの…のことではないとみるべきか。
「空間そのものに干渉した力が逆転を繰り返して、この場所そのものが不安定になってるって。師匠がそう言っているのを聞きました…」
「ええと……」
つまり正しい状態と間違った状態が交互に繰り返していて、この場所そのものの空間が酷く歪んでるってことでいいのだろうか。
「だから、魔術を使うと逆に力そのものがフィードバックする可能性があるからここでは魔術を使えないってことですかね?」
可能性があれば、危険視するのは当然だ。魔術刻印を持っている人間からすればここは危険地帯以外のなんでもないのか。ヘタをやって刻印を傷つけるようなことがあれば取り返しがつかない。
「……多分」
どうやら彼女も俺同様に魔術に関しては疎い部分があるらしい。妙に親近感を覚えるが、ロードの弟子であるからには、彼女は何か特別なものを持ってるんだろうな。
「だから、皆ここを片付けない。魔術使えないと何にも出来ないから」
「え?普通に力仕事をすれば…」
「……しようとしない」
何処か呆れたような口調で言った彼女は、再び残骸を拾い始めた。魔術師っていうのはそっちに頼りすぎていざ使えなくなると何もしない奴が多いのか。
遠坂はいざという時はヤケクソになっても押し通るって感じだからそんなことはないって、いや、未だに分からないって言って携帯持ってるくせに覚えようと努力しないもんな。それと似たようなもんなのか。
「あの…」
「へ?」
「敬語、使わなくていい…です」
不意に彼女から声が。
「え、いやでも…」
初対面の人にいきなり敬語無しは。特にロンドンに来てからは初めて会う人種ばかりだからつい萎縮して敬語を使ってばかりだしな。
「……貴方の方が年上だと思うから、いいです」
「────分かった。よろしくグレイ」
「…よろしくお願いします」
まあ、流石にグレイ…の方も敬語無しとはいかないか。彼女が敬語のままがいいんなら俺はそれでいい。
さて、じゃあ俺も始めるとしますか。