博物館の内部に私とルヴィアの足音だけが響く。館内にそれ以外の音は何も無く、展覧物だけが私達を迎え入れた。
「ここですわね」
ルヴィアの言葉に微かに頷き返す。
博物館の中央ホール。吹抜けになっている天井から射し込むわずかな月光に照らされ、私達の正面にある上階へと続く段を上がり、左右に開けた大きな階段の踊り場中央部分。
「あんたは右、私は左よ」
「貴女に指図されるのは、ほんっっとうに癪ですけれど、この状況下です。我慢をしてさしあげましょう」
はいはい。いいからさっさとやるわよ。
踊り場を抜けて、それぞれに分かれた階段の中程まで上がってから足を止める。右に視線を投げれば同じ段差まで上がっていたルヴィアと交差する。
そして同時に手摺に軽く触れーー。
魔力回路をオープン。
同時に魔力を流していく。
閉じた目蓋を照らす光源。
この踊り場一帯に張り巡らされた魔力の道筋に伝う力の流れに意識を研ぎ澄ませる。
目的のものへとひたすらに微量の魔力を注ぎ込む。微かに指先になにかが触れた。
掛け声はなく、合図もない。
それでも無意識のうちに理解した。
私もルヴィアも、まったく同じタイミングでなにかを手繰り寄せるように手摺に触れていた指を軽く引っ張りあげた。
その瞬間、ふわりと空気が舞う。ツンと、鼻につく古ぼけたわずかに錆びついたような臭い。ゆっくりと目蓋を開いてみれば、そこはもう先ほどまでいた博物館の中央ホールではなくなっていた。
「どうやら成功のようですわね」
隣に立っているルヴィアから声がかかる。
急激な環境の変化、もとい錆びつく臭いへの不快感を隠しきれない表情を見せた。
「成功してくれなくちゃ困るわよ。失敗したら、どんな怪物と戦うハメになるか」
「あら、それはそれで面白そうでしょ?」
たくっ、こいつ変なところで戦闘狂なんだから。まあいいわ、今更ルヴィアの個性なんかに時間を割いている暇も余裕もないしね。
ここの仕掛けに関しては、教室とかで無駄に張り合っていたお陰でルヴィアの魔力の感覚を掴むのも思ったより簡単だったし。
「ほら、そんなことよりさっさと行くわよ」
いつまでもこんなところに突っ立っているわけにもいかない。博物館内の管理物については表の場所と裏とで別れてはいるけど、入り口に関しては表の場所からこういて立ち入るしかない。出入り口は私達の入ってきた所を含めて三ヶ所。あとのところは比較的に法政科と、時計塔のロードとそれに連なる名家の出入り口でもあるので、それらに縁のない家系の者はこういて錆びついた場所からの侵入を余儀なくされる。
まったく、こんなとこでも差別関係が明確に付けられてるのよね、時計塔って。
「スファルドの家の管理スペースは、ここから少しだけ歩いた場所でしょ。 時間も惜しいし、正直面倒だからちゃっちゃと終わらせるのよ」
特に意を介することもなく「そうですわね」と頷いたルヴィアと共に歩を進める。
幾らか進んだところでまたしてもこの先へ進むための仕掛けに行き当たり、それを解除して足を踏み入れれば、大きな大ホールに出た。この辺りは魔力が濃い。各家が警備用に配備してある獣やらトラップやらがわんさかあるので、無駄に濃度が濃いのだ。これじゃあ気づくものも気づけないような気もするが、ほかの家のことなので私には関係ない。
スファルドにあらかじめ貰ってあるキーを取り出す。キーといっても一般的な鍵の形をしたものではなく、見た目はただの一本のペンだ。時計塔に属する調律師が限定的に魔術の血を受け継ぐ家の仕来たりや意向によって、刻印の有無を認証させる、いわば『擬似的な魔術刻印』のようなものである。
それだけ、これを他家の人間に渡すなんて暴挙を冒すあの男が心底信用できない。これは罠で使用者の刻印へ傷でも付けるのが目的だと思われて仕方ない。いや実際そう思うだろうし、私もルヴィアもそう思った。
なので慎重を期して受け取ったのだが。
「…………空いたわね」
「ええ、……空きましたわね」
すんなりと保管区の制限が解除された。
…………なんだろう。
士郎と出会ってから、色んな意味で拍子抜けされる機会に恵まれたのかしら。渡されていたペンの効力はあと一回。閉めるときに使うことでその役目を果たして自動的に破壊される仕組みになっている。
解放された扉の内側に入ってみれば、まああるわあるわ、天井まで到達しそうな巨大な品々の山が部屋の奥まで続いている。
見たことのない本があちらこちらに無造作に置かれており、多分幾らか見た後に片付けもせずに放置しているんだろう。
なんて勿体無いことをしてるのかしら。ちゃんと整理整頓しなさいよ、…………いま、何処かで「お前が言うな」と言われた気がする。そんなことないわよ、ここに比べれば自分の部屋なんてまだかわいいものよ。
それにしても、どれだけの物品がここに貯蔵されているのかは知らないけれど、これじゃあお宝探すにも一苦労よ。歪な魔力を感じるし、これ多分呪刻を解除していない本でもあるんじゃないのかしら。
「とりあえず、探しましょう」
「はあ、一体どれだけ時間がかかるのかしら」
「そんなのこっちが聞きたいわよ。当の本人はまだ来ないし。一個くらいなんか持って帰ってやろうかしら」
「あらあら、遂に本性を見せましたわね、この女狐」
「うっさい、金ドリル」
だめだめ、いくらなんでもここでドンパチするわけにはいかない。どれだけの物品の賠償を請求されるか。いやそれ以前にお金で解決出来るとは思わないけど。
少しだけ整備された道を歩きながら左右に広がる山々を見ていく。これじゃあただのガラクタ同然じゃない。少し進んだところで左右に道が分かれていたので私は右。ルヴィアは左へと向かう。何度か目に付いた物の前で止まったりもしたが、肝心のブツは見当たらない。
「ーーん?」
そこで、再び足を止めた。
なにか、おかしい。
後ろを振り向いた。
そこにはさっき通ってきた道だ。
そう、さっき通ってきた道。
そして前に見えるのは。
ーー後ろとまったく同じ道。
鞘も無く立てかけられて劔。
五段ほど積み重ねられた蔵書。
わずかに垣間見えた木箱の内で光る銅貨。
ーーなにもかもがまったく同じ。
「ーーーっ!」
反射的だった。
頭上へと放った一発のガンド。
それが目に見えないなにかを撃ち抜いた。
ガランと落下して音を立てたのは、私の胴体ほどありそうな盾だ。魔力の反応はある。でもそれはきっと術者の残滓ではない。これは元々この盾に備わっていたモノだろう。
しかし、それしか感じない。
独りでに動いた?
いや、それだとなぜ、なぜ動いた?
警戒された。その可能性もありえる。
ありえなくはないはずなのに、頭がそれを否定している。だってそれはーー。
「そこぉっ!!」
再び装填した呪いを放つ。
そこにはなにもなかった。
にもかかわらず、「きゃ!」と甲高い悲鳴が耳に届いた。本の山が一部崩れた。まるで誰かが倒れ込んだように。隙は与えない。
瞬時に駆け出した。わずかに見えたのだ。ならばと動きを拘束するのは必定。また余計なことをされる前にと起き上がろうとしていたその身体を組み伏せる。
「いったー! いたたたたた、いたい!」
「で、あんたダレ? 痛くしてほしくないなら早く言いなさい。気絶しない程度に痛み続けるか、気絶するほど痛みを味わうか、二つに一つよ!」
「どっちも痛いじゃない! この外道ぉー!」
ジタバタと暴れたところで、所詮素人。
伊達に護身術を磨いてないってのよ。
それにしてもと、組み伏せたまま私の下にいる彼女の服装に目をやる。短いティアードスカート、ここからでも分かるコルセット風の服装にジャケットを羽織り、なにかの衣装めいているが、これってもしかして。
「…………あなた、もしかして怪盗の、えっと、ハートなんとかさん?」
「ハート・ワードです!」
……やっぱり。
「ん……?」
なんてことを思っていれば、何処からか響いてきた大音量。なにかが爆発するような音が聞こえ、しかも段々、こっちに近づいている。まさかこいつか? そう思って目線を彼女に向ければーー。
「ええっ、なに? なにが起こってるの!?」
…………には、見えないわね。
なんなのかしら、やる気が削がれる。
そう思っているうちにも音は徐々に近づいてくる。どうしようかしら、ここで離すのは簡単だけど、なにか面倒な事を起こされると困る。けどこのままなにもしないわけにも。
と、そこで音に混じって声が聞こえた。
「……ルヴィア?」
珍しく、叫び声を出している。
というか、あたしの名前を呼んでるし。
えっと、これってつまり。
「あんた、ひとつ条件よ」
「へ? 条件?」
「今からあんたから離れるけど、決して危害を加えないこと。加えたらその時点で頭に渾身の呪いを叩き込んでやるからね!」
「は、はい!」
なんか猛烈にやばい気がする。
って、ほんとにルヴィアのやつ、なんでこっちに向かってきてんのよ! トラブルならさっさと一人でどうにかしなさいよ!こっちはこっちでなんか変なのと遭遇しちゃったんだから。起き上がって宝石を数種類取り出す。
ほんとに嫌な予感、セイバーを呼び出した方がいいかもね。でもそしたら士郎まで付いてきそうだし。出来れば余計な荒事に士郎を巻き込みたくはない。いつだって命懸けだから、こっちが気が気じゃないのよ。
「ーーー
四方へと転がした石を起点に防御陣を構築。ルヴィアが横に突っ込んできたと同時に展開しよう。なにが来るか分からないから最新の注意を払うけど、用心は大切よね。
そうして、右手から青いドレスが見えた。魔力を纏った両脚で全力疾走するその姿は優雅とは程遠い。けど、そのルヴィアのすぐあとに見えたもので、色んなものが吹っ飛んだ。
「リ、リン! トオサカリン!!!!!!」
ーーーーーなんだ、あれは?
漆黒を纏う、その巨躯。
人など容易く屠りそうな鋭爪。
突貫してくるその全身兵器。
その、ーー六つの瞳で。
「ケ、ーーー」
魔力なんて、無意味。結界?防御?
それはなんの役にたつ。
その黒い死神の息がかかる前に、逃げる。
もう全力で。ルヴィアなんて知らん。
「な、なんで逃げるんですのぉーー!!」
「無茶いうなーー! アンタだって逃げてる真っ最中でしょうが! ていうかルヴィアゼリッタ! アンタが狙いならさっさと離れて喰われてしまえー!」
「見損ないましたわ、トオサカリン! 少しは骨のある人間だと思ってましたのにー!」
「遺言としては最高ね! 心に刻むわ!」
ていうか!
「なんで、アンタは私の腰にしがみついてんのよ! この悪党!」
いつのまにか、私の腰に引っ付いている女に声を漏らす。なにせ全力疾走してるから人ひとりくらいなら腰に提げても平気だ。むしろ提げられた人間は足が地に着かず、いつ吹っ飛ばされるかは当人の腕力次第である。
「ししし、失礼ですね! 私は怪盗。悪党ではありません! ここに来たのだって、魔女の皆さんの悲しみがいっぱい詰まってるものだから、回収して生き残っている方々に託そうと思っただけですー!」
義賊とでもいいたいのかしら。まあ、今はそんなことに付き合うつもりはない。背後から止まることなく私たちを追いかけてくる化け物をどうにかしないと。さっさと部屋の中から逃げ出すべきか。でもスファルドにはあんな幻想種がいるなんて聞いてない。
ましてやあんな番犬にふさわしい番犬なんて、冗談じゃないわよ。だとすればあれは一体何処から湧いて出たのか。
「ルヴィア、アンタ一体なにやらかしたの!」
「失礼ですわね、なにもしていませんわ! 気づいたら私の隣に立っていたんですもの。あなたにわかりますか、突然の獣臭に何事かと傍をみれば、あれが自分を見下ろしている時の恐怖がーー!」
感知系の罠が自動作動した?
ええい、悩んでる暇もないわね。
「とにかく、出口に向かうわよ! ここの番犬だっていうなら、ある程度躾けられてるはず。外に出て勝手に館内を闊歩するなんてマネはしないでしょ!」
まあ、違う可能性もあるけど。スファルドの家が侵入者にはどうあっても死あり、なんて名文でもぶら下げてない限りは無闇矢鱈に狂犬を飼いはしない……と思いたい。危険な賭けではあるけど、それでもその選択肢を最善と信じるしかない。
ちらりと背後を見遣れば、ドシンドシンと鈍い足音を轟かせて突進してくる獣。その眼はルヴィアと共に私にも注がれている。
その巨体。
その三つの首。
それはもう間違いなく。
「なんであいつ、
Fate/extra days
ーーーinterlude/5ーーー
「さて、ミス・トオサカ達はうまくやってくれているだろうか」
車椅子に乗った男性は静かに呟いた。
いくらなんでも任せっきりにはしていられないと、少しだけ早く着けるようにと腕に力を入れて車輪を前へと進ませる。
館内の整理には時間がかかったが、協力してくれた知人に礼を済まし、早々と女性陣の助力へと赴いた。
………………ーーーーしかし。
「おや?」
保管庫に着いてみれば、人の気配がない。
道を間違えたわけでもない。
ましてや場所を間違うなど論外。
ここは確かにシュバルシエの管理区だ。
迷子になった。
管理区がどこにあるか忘れた。
可能性はあるが、高くはない。
「ーーはて、何処にいったのだろうか?」
スファルドはこてりと首を傾げた。
遠坂凛とルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは、何処に消えたのだろうか?