Fate/extra days   作:俯瞰

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第十話・上

 

「うわっ……」

 

 本棚の隅をさっと雑巾掛けしてみれば、片面があっという間に黒く染まった。やっぱりここ溜まりやすいんだよな。清掃するにも一般の職員さんとかを使うわけにもいかないのは分かるんだけど、それでもこう何度も汚れているのを目の当たりにすると考えてしまうものがある。

 中央に大きく円を描いて開けている手摺付近に置いておいた水の入ったバケツに歩み寄り、本日何十回目と繰り返した工程を重ねていく。

 ギュッと水と一緒に付着した汚れを落としていく俺へと近づいてくる気配に顔を上げる。俺を見下ろす形で立っている彼女の瞳が、レンズ越しに焦点を当てていた。

 

「つぎ、やるの?」

 

「ああ、頼む」

 

 返答をすればコクリと頷き、彼女は虚空を指で撫でるように動かした。

 すると、それだけで次に掃除しようとしていた棚に並べられていた蔵書の数々がゆっくり、ふわりと宙へ浮かびあがった。まるで特訓を重ねたマーチングバンドの如く、その姿を綺麗に揃えて下階にある円を描いた長テーブルの上へと滝のように滑り落ちていくのが映った。

 一冊ずつ重ねていき、テーブルの上にまたもや整頓された本の山が出来上がっていた。

 おお……、相変わらず見事なものだ。

 ファンタジーの世界に迷い込んだようで僅かばかり感銘を覚えてしまう。ありがとう、と礼を言ってから絞り切った雑巾を手に早速取り掛かろうと棚の方へ歩いていく。

 

「さて、やるか」

 

「やるか、ではありませんわ。シェロ」

 

「え?」

 

 呼び掛けに反応して左に顔を向ければ、ルヴィアさんが腕を組んでそこに立っていた。今日はルヴィアさんのところでバイトの日だったのだが、唐突に旧書庫の方に行きたいとのリクエストを受け、従者見習いとして当然付き添った。到着後、ここの一時的な管理者である彼女に頼まれてしまったので、ルヴィアさんに許可を取った上で清掃に励んでいた次第である。その間に少し見て回ると言って下の階を散策していたはずなのだが。

 

「シェロ、貴方も魔術に端っことはいえ関わりを持っている人間なら、この状況にたいして思うところはありませんの?」

 

「思うところって?」

 

 いまいちピンとこない。

 思わず首を傾げてしまった俺を見て、ルヴィアさんは眉根を寄せ、指を額に当ててから重い溜め息を吐き出したのを視認して、また何かやったのかと思って色々と考えてみたが、やっぱり思い当たる節がない。

 

「書物を手に取っていれば、上から次々と群を成して舞い降りてくるんですもの。しかも私に何の感知もさせずに。 少々驚いて立ち尽くしてしまいましたわ」

 

「ああ……」

 

 それか。 まあ俺の場合は見慣れてしまったという点もある。そりゃあ最初は驚いたし、凄いと思ったけどもう俺にとってはこれがデフォルトになってるんだよな。

 でも、そうだな。いったいどうやってるのかは聞いたことがなかったような。聞いてみようかとルヴィアさんが現れてから俺の方へと身体を寄せてきている彼女に聞こうと声をかける。

 

「なあ、これってーーー」

 

 と、そこまで口にしたところで、彼女からキッと責めるような眼差しを向けられ言葉に詰まる。……ああ、そっか。そういえば。

 

「えっと……、マーヴルはどうやってこんな事をやってるんだ?」

 

 マーヴル。

 それが妖精という存在らしい彼女の名前だ。この前ここに来た時に、名前を付けて欲しいと頼まれて幾らか時間をかけて考えた名前である。といっても、きっかけはラテン語の勉強をしていた時にふと目に付いた単語だった為である。最初に出会った時に見た彼女の綺麗な淡い若葉色の髪に魅せられたことも印象に残っていることもあって、マーヴルとなったのである。……その際、遠坂から何故かそれはもう見事な笑顔を向けられたものだが。

 …………怖かった。

 どうしてだか、マーヴルと遠坂の仲があまりよろしくないこともあって、セイバーと共に新たな悩みの種に困りあぐねているのが最近の実情であった。

 しっかりと名前を呼んだ俺に満足げに一度だけ深く頷いてから口を開いた。

 

「別に大したことないわ。 魔力の固定と置換、譲渡から再接続して、アクセスキーを連結させただけだもの」

 

 …………えっと。

 

「ごめん。もう一度言ってくれるか?」

 

 頭が悪いことは重々承知しているが、簡単には引き下がれない。なにせこちらから質問したんだからしっかりと理解しないと。

 そしてもう一度説明してもらったが、やっぱり頭を悩ますだけに終わった。ほんとごめん、俺まだまだ半人前で。

 けれど、ルヴィアさんは最初の説明で理解していたらしく目を見開き、口元を薄く開けて驚きの表情を浮かべていた。

 

「ま、まさかそれは、トーコトラベルの縮小版!? しかもそんな低コストで、箒の類も使わずにっ……」

 

 悔しそうにしているルヴィアさんと、そんな彼女の様子を見て、少しだけ得意げな顔をしているマーヴルの姿に疑念が尽きないが、要するに凄いことをしているという事実だけはどうにか理解した。ここに遠坂がいたらまたしても説教紛いで小言を喰らいそうだ。もっとしっかり勉強しないとな。

 

「ん?」

 

「くっ……、あら?」

 

 そこで、携帯の着信音が響いた。

 俺はまだ未購入だからルヴィアさんか。

 遠坂は買ったはいいものの、使い方がいまいちわかっていないようで四苦八苦していた。むしろ説明書を読んでいた俺とセイバーの方が使い方を把握しているくらいだ。

 三人分買うには予算がオーバー気味なのでもう少し時間をおいてから買う予定ではあるので、正直羨ましいといえば羨ましい。

 コールに応答したルヴィアさんの態度から相手はどうやらオーギュストさんらしい。少しの間を挟んだのちに会話を打ち切り、ルヴィアさんは背を向けていた身体をこちらに向ける。

 

「シェロ、明夜、バイト終了後の予定は空いているかしら?」

 

「はい、大丈夫ですけど」

 

 なんだろう。

 オーギュストさんからの連絡ってことは時計塔からの通知では無いんだろうか。そういう場合はなんらかの方法で直接メッセージが送られてくるから、今回は多分違うと思う。

 ルヴィアさんは一度だけ吐息をこぼし。

 

「もしかすると、面倒事かもしれませんわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fate/extra days

ーーー第十話・上ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明けて、翌日。

 午後六時を少し回った頃、俺達は迎えの車のウインドウ越しから倫敦の街並みを眺めていた。向かう先はケンジントンのブロンプトン地区。目的地に進んでいくにつれ、段々と人の行き交う姿が減っていく。この辺りは富裕層の家々が並んでいるため、人口の比率も低いのだろうか。

 

「あ、セイバー、そっちのチョコ取って」

 

「はい、凛。む、このクッキーも中々……」

 

「…………って、お前らは」

 

 俺達。

 俺とルヴィアさんと、遠坂とセイバーの計四名。それがこのリムジンに乗車しているのだが、少し離れた位置に座っている女性二名は中央のテーブルに並べられたお菓子の数々に舌鼓を打っているようだ。乗車する前は「いい? 何があるか分からないんだから用心しなさい」とか言っていた当人がこれなんだもんなぁ……。

 ルヴィアさんは何も言わないが、先ほどから眉間を細やかに引攣らせているのを見るに、色々と我慢しているようだ。

 

「士郎も食べたら、美味しいのに」

 

「あのな遠坂、お前自分が車に乗る前の言葉を思い出してみろ」

 

 あの時、真剣に頷いてみせた俺が馬鹿らしく思えてくる。

 

「シロウ、せっかく用意された品々に手をつけないのは失礼にあたるかと。 なのでこうして礼節を欠かさぬようにと惜しまぬ努力を、はむ…」

 

 そう言うとセイバーはパクリとチョコをつまんでいた。あのセイバー? 言ってることは良いと思うんだけど、さっき遠坂の隣でこれから戦場に赴かんばかりの貴女の表情からのコレはちょっと躊躇いがあると言いますか……。

 

 何故俺達が今こんな状況に置かれているのか。事の発端は少しだけ遡る。

 以前の、あの跳開橋の一件での関係者。というか当事者の中の当事者である遠坂を連れ去った存在を降神させていたあの当人から、直々のお誘いの招待状が俺達宛に送られてきたのである。

 遠坂宛に一通。セイバーは形式上は遠坂の使い魔に当たるので良いとして。

 ルヴィアさんのところにも招待状が届いていた。どちらの招待状にもお連れの方もと書かれているところを見るに、どうやら事前に俺がルヴィアさんのところで従者として働いている事を知り得ていたらしい。俺を誘う為の程の良い口実作りとルヴィアさん自身はそう言っていた。警戒心が生まれないわけではないにしても、多少の用心に越した事はなく、無駄にはならないだろう。そして今こうして、迎えの車にて俺達を誘ってきた人物の元へと向かっているわけで。

 ちなみに服装に関しては、招待ということもありキチンとした身なりで行くべきかと聞いたところ、普段の格好でも良いとあらかじめ記載されていたこともあり、あまり普段を変わらない服装だ。それでも一応の事を考えてジャケットだけは羽織っているのだが。

 そこで「まもなく到着致します」と、運転席からスピーカーを通しての声が掛かり、右側の窓枠に目を向ける。正面に見えるキャストアイアン製の巨大な門を構えるあそこが目的地なのか。 門の向こう側が茂みに覆われて中の造形がよく見えないが、それでも視界にはっきりと映り込む暴力のようなその正門の在り方が富豪の体を装い、近づいて行く度に現実身を増してのしかかってくる。

 若干緊張してきた。遠坂の家もかなりのものだと思うし、現に遠坂は緊張している様子は見られない。ルヴィアさんもお金持ちであはあるし、セイバーに至っては王様だったのだから豪壮な建築物は慣れたものだろうか。

 そうして門が開かれ、車が門内部の整理された路を走って行く。数分の走行を挟み、到着の言葉が耳に届く。開かれたドアからルヴィアさんから順に降りて行く。セイバーに後押しされて遠坂の次に社外に出る。

 

「ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト様。遠坂凛様。 お連れの皆様も、ようこそおいでくださりました。どうぞこちらへ」

 

 オーギュストさんと対を成すと思えるほどに細身の体付きの執事さんに真正面にある玄関へと案内される。

 中へと足を踏み出せば、二階分ほどの高さがある拓けたホールと、左右に別れた階段。中央に続く道は何処に繋がっているのだろうか。全員が館内に足を踏み入れた瞬間、耳を劈くような声が響いた。

 

「やあ、やあやあ! 待っていたよ!」

 

 突然の大音量に何事かと慌てて声のした方へと身体を向けてみれば、車椅子に乗った長いウェーブのかかった金髪をたなびかせる男性が、俺達へと近づいてきている様子が目に映った。歳は俺よりも少しだけ上の印象を抱いた。少しだけ離れているここからでもその人物の顔には喜びの表情が浮かんでいるのが分かった。そこで立ち止まっていれば徐々に距離は狭まっていきーー。

 

「ようこそ、シュバルシエの邸へ。 こんな格好で申し訳ないが、歓迎させてくれ!」

 

 満面の笑みで迎え入れてくれる男性。

 ……えっと、この人が?

 多少戸惑っている俺の背後にいたルヴィアさんと遠坂が重い息をこぼしたのが分かった。

 

「ああ、そうそう……。 そういえばこういう人だったっけ?」

 

「ええ。悪意が無いのが逆に疲れると言いますか……」

 

「なんだ、もしかして話したことあるのか?」

 

 聞けば、あの騒動のあと、個人的な謝罪も兼ねてと直々に会いに来たらしい。しかも全体安静だと言われてベッドに身体を預けたまま。医師と看護師も付き添ってのあまりにも目立つ珍事に面喰らったそうだ。それはそれで、ちょっと見てみたかった。

 そんな話を聞いていればセイバーに興味を引かれていた男性の瞳が俺を捉えた。あとから聞いてみれば、事件のせいで見事に川に落下、大破した新品のバイクを、また同じ物を見つけて提供してくれたのもこの人だったらしい。あの時のセイバーの落ち込みようは凄かった…。 三時のオヤツを食べないくらいのショックを受けていたからな。

 

「ミスタ・エミヤ。 だね?」

 

「あ。は、はい。本日はお招きいただき、ありがとうございます」

 

 拙くもあるがしっかりとお礼はしないと。

 

「先日の一件では大変迷惑をかけた。 いやー、私もね、珍しい出土品が手に入ったからと奮発して、流石に身体に印を刻んでトライしたんだ。周りからは絶対危険だと口を酸っぱくするほど言われたんだが、つい。 案の定こんなナリになってしまったけどね!」

 

 アハハ、と笑う。

 な、なんだろう。一発でどういう人なのかを把握出来た気がする。ていうかそんな曖昧な条件下であんな事したのかよ! まさかこの人、いつもこんな風なんじゃ……。

 遠坂達の反応の理由をあっさりと理解していると、目の前にいる男性が「あっ!」と何かを思い出したかのように声を張りあげた。

 

「そうだ、自己紹介がまだだったね。スファルド・シュバルシエだ。よろしくね」

 

「衛宮士郎です、よろしく」

 

「うむ! ではさっそくディナーといこう! ザリウス」

 

「はい、皆様、どうぞこちらへ」

 

 傍らに控えていた先ほどの執事さん。ザリウスさんという名前らしい方の先導で、右側に続く通路へと歩を進める。

 車椅子に乗っているスファルドさんは誰かに押してもらうでもなく自分で車輪を回してザリウスさんと俺達の間にいる。

 手伝った方がいいのだろうか、いやでもいきなりそんな事は無礼じゃないかと頭の隅で考えていれば、場所は広々とした館内の一室に辿り着いた。室内のテーブルには既に人数分の料理の数々が並べられていた。

 屋敷の使用人の姿もほとんど見られなかったけど、今日は俺たちが来るからはけさせたってとこだろうか?

 右側には俺とルヴィアさん。

 左側にはセイバーと遠坂。

 その中央に車椅子のスファルドが座する形になった。おおう……美味しそう。前菜の段階で既に普段は食べられないようなものが並んでいる。真向かいに座るセイバーに目線を向けると、「ほう、如何ほどのモノでしょうか……」とその鋭い眼差しで吟味している。

 瞳がさっきから料理とフォークを行き来しているのは、もう我慢の限界なんだろうか。

 

「さて、ささやかながらですが」

 

 朗らかに微笑んでみせたスファルドの声で、早速と料理に舌鼓を打つ。やはり美味しい。自分のでは無い味付けの料理を食べるっていうのは、良い刺激になる。コースが進むにつれて驚いたのは、どんな物が出るかと思って見てみれば、和風の一品が密かに出たり、中華系の料理まで出てきたことだ。

 聞けばスファルドさんは、色んな国で食したお気に入りの物をこちらでアレンジしたりしているらしい。そうなると日本にも足を運んだことがあるのか。

 遠坂も口にした小籠包の味を絶賛していたし、今度食べ比べしてみたいものだ。セイバーもゆっくりと口の中で味を噛み締めながら美味しさを確かめるように頷いていた。

 ルヴィアさんもこうした料理の数々は珍しいというか、もはやコースとしては邪道ではぐらいの反応を示していたが、その味には逆らえないらしく日本の料理が出てきた時は手を止めかけていたが、若干眉を歪ませつつも、しっかりと完食していた。

 ディナーが始まってみれば時間が経つのは早いもので、もう食べられないほどに食を堪能した。俺以外の三人も満足げに水を飲むなり口元を拭いたりしている。

 

「見事な料理の数々でしたね、シロウ」

 

「そうだな。 作ったことの無い料理ってまだまだいっぱいあるし、これを機に一回挑戦してみるのもいいかもしれない」

 

 そうして上手くレパートリーを増やせば、遠坂もセイバーも今以上に喜んでくれるかもしれない。どうせならこの品々を提供してくれた料理人の方に色々とノウハウを学びたいところだが、初対面で、しかも初めてきた場所でそんなに図々しくあれるほどに、俺もガキじゃない。

 よし、独学で調べてみよう。俺達と同様に席に着いたままのスファルドさんに「ありがとうございます」と御礼をする。これまた満面の笑顔で返事をしてくれる。さて、これからに予定はどうなるのかと、遠坂やルヴィアさんに聞いてみようとしたところで、セイバーの隣でナプキンで口元を拭いていた遠坂がーー。

 

「それで? ミスタ・スファルド、本題(・・)に移ってもよろしいかしら」

 

 と、先ほどとは打って変わって、穏やかではあるが、冷厳さを含んだ口調にセイバーの顔つきも料理を満喫していた時とは変わったものになった。ルヴィアさんはその発言を予め予期していたのか、口元を丁寧に吹きながらも耳を傾けているように思えた。

 たいして、スファルドさんだけは遠坂の雰囲気に呑まれる事もなく「ああ、そうだったね」と笑いを零しながらも返答してみせた。

 

「ザリウス、もういいよ」

 

「かしこまりました」

 

 後ろに控えていたザリウスさんはそう呟くと、優雅な姿勢のまま出入り口へと向かい、一度こちらに頭を下げてから退出した。

 音もさせずに閉まったドアの内部は静かすぎるほどに無音へと変わった。ついさっきの暖かな空気が一転、重々しさを孕んだ静けさへと沈んでしまった。

 思わずゴクリと息を呑み込む。

 ルヴィアさん達の視線はスファルドさんに向けて集約され、招待者の次の反応を待っている。そうしていれば、スファルドさんはいつのまにか右手に持っている黒いリモコンのボタンをポチッと押したのが瞳に映った。

 次の瞬間、照明が消え、彼の後方の天幕に覆われていた場所が左右に開かれ、大きな大画面が姿を現した。その画面から溢れ出した光に目が眩み、一瞬目を瞑ってしまったがすぐにそちらへと目を向け直す。

 モニターに映し出されているものを見て、何だろうかと僅かに硬直してしまったが、答えは簡単に出てきた。

 

「杖……?」

 

 四角いガラスボックスに覆われたその内部。金の台座の上に乗せられているその黒茶色のそれはどう見ても木製の杖にしか見えなかった。

 

「正解だよ、ミスタ・エミヤ。 まあどこからどう見ても只の一本の杖でしかないのだが」

 

 長さは20センチ弱と言ったところだろうか。映画などでよく見る魔法の杖と同じようなものだ。それでもここでこの映像が映し出されるということは、本題というやつに関係があるとみて間違いない。

 

動物科(キメラ)ではいつから伝承科(ブリシサン)の表層に手を出すようになったんですの? それとも植物科(ユミナ )の管理する研究塔から盗人紛いに強奪でもしたのかしら」

 

「人聞きが悪いな、ミス・ルヴィアゼリッタ。 魔術に傾倒した者とはいえ、僕はこれでも英国紳士だ。 そんな卑劣な真似をするはずがないだろう。やるならやるで堂々と彼らのカレッジに乗り込んで「欲しい」と口にするだけさ」

 

 それもどうかと思うけど……、とボソリと呟いている遠坂の言葉に内心同意しつつ、話題に戻る。

 

「それで、結局どういったものなのかしら、ミスタ・スファルド。 『内密な話がある』というからわざわざこんな所まで足を運んだのよ」

 

「うむ、まあ率直に言ってしまうと、先ほどルヴィア嬢が口にしていた中に解答が混じっていたのだが……」

 

「私の……?」

 

 ルヴィアさんの?

 えっと、なんて言ってたか……。

 スファルドさんを除く面々で考えに耽っていれば、パチンと、スファルドさんは指を鳴らしたと思えば、モニターに映し出されていた画像が切り替わり、手紙……というよりは何かのカードのようだ。達筆な文字で言葉が綴られている。俺だって少しは読み書きにも慣れてきたんだ、これくらいなら。

 

「…………って…」

 

 ……これって、もしかして。

 

「予告状?」

 

 俺の代わりに遠坂が言葉に出した。

 そう、そうなのだ。

 

 

 “二日後、大英博物館から「玩具」を盗ませていただきます♡”

 

ーHeart worDー             』

 

 

「ハート・ワード?」

 

「耳にしたことはないかい? 近頃巷を騒がせている怪盗さ」

 

 スファルドさんにはそう言われたが、申し訳ないけど全然知らない。俺だけなんだろうかとほかのメンツに目で促せば、セイバーは左右に首を振って応えた。

 遠坂もさっぱりねと言うように両手に肩ほどまで上げて反応を示す。隣にいるルヴィアさんはというと腕を組み、すらりと伸びた人差し指を口元に添えてモニターに映っている予告状を見つめていた。

 

「ルヴィアさん、何か知ってるのか?」

 

「……噂程度ですが、そう言った盗人がフランスの方で手を広げていると以前耳にしたことくらいならありますわね。 ですが、我々魔術に類する者たちには関わりのない事柄だと思っていたので、あまり気に留めませんでしたが」

 

 ニュースとかでも流れたのを見たことがないってことは、やっぱり独自の情報網から仕入れたモノなんだろう。それでもこうして関わってくるということは。

 

「その泥棒も魔術師だったってことですか?」

 

「そうだとしたら色々問題だけどね。 なにせ噂程度とはいえ、世間の、大衆の耳に触れるかもしれないということは、「神秘の秘匿」を重んじる協会としては……えっとあれだ、目の上のたん瘤とでも言うのかな? すぐにでも執行部がエージェントでも送りそうなものだが、未だにそれが送られた形跡もないとなるとーー」

 

「協会には所属せず、しかし魔術の存在を知識として備えている魔術使い。 まあ異能者という線も捨てきれませんが、いずれにしろ大英博物館に忍び込むとなれば話は別ですわ。あそこの主な管理権は法政科。 それに手を出したともなれば、最悪ロード直々の勅命で連中が動く可能性すらある。 どちらにせよ

詰みですわ」

 

 大英博物館。

 大英自然史博物館とも言えるその場所も、時計塔の息がかかっている。もちろん一般用の展示閲覧スペースはあるが、裏には時計塔の地下と分割する形で協会の接収した品々が保管されている、という噂らしい。

 俺も遠坂から聞いた話だけの情報なので、ひょっとするとまだまだ隠し事があるのかもしれない。

 

「そうだといいんだけどね。 さっきの杖は博物館の知り合いへ内々に頼んで保管してもらっているモノなんだ。それもバレないようにと色々と迂回させた上であそこに送った。 それが脈絡もなく保管場所を当てられて盗むと言われるとね。 法政科が出張る可能性があるとはいえ、貴族連中にも隙あらばと切り崩しを狙う輩も多いと聞く。 そんな状態で博物館で乱闘騒ぎを起こすような愚は犯すまい」

 

「それなら、手を出さずに「目当ての品があるならさっさと持っていくだけ持ってけ」ってとこかしら? ああ……つまり私たちをここに呼んだのはそういうことね」

 

 流石に俺でもわかった。

 つまりスファルドさんは、その怪盗(?)が盗みに入るのを、そして盗まれるのを阻止してもらいたいということだろう。

 

「察しが早くて助かるよ。 なにせ今の僕は車椅子だからね。慣れない状態で対策を練るのも、盗人を迎え撃つのも倍以上に苦労がかかる」

 

「ここまできたら、嫌でもわかるっての!」

 

「そんなに怒らなくてもいいじゃないか。 あ、もしかして先日の件の事を根に持ってるのかい? まいったな、僕にはあの時の記憶が欠落していてね、聞いた限り、どうしてトオサカ嬢を連れ去ったのかが全く分からないんだ。 別段僕の好みというわけでもないんだけどなぁ……」

 

「遠坂、ステイ!」

 

「アタシは犬かっ!」

 

 スファルドさんの天真爛漫な笑みからこっち、ムキー!と今にもガンドでもぶっ放すか、飛びかかりそうな遠坂を立ち上がってセイバーと共に落ち着けに行っていれば、ルヴィアさんが重いため息をこぼしてからゆっくりと立ち上がった。

 

「言っておきますが、私達をこんなことに首を突っ込ませる以上は、そちらにはなんらかの用意があるということでしょう」

 

 ーー無かったら殺す。

 

 そう言わんばかりの殺気(えがお)を向けているルヴィアさんは、どこからどう見ても遠坂にしか見えなかった。立ち上がったのはくだらない事を言えば直ちに色んな方法で訴え出るつもりだからだろう。やっぱり妙な部分で似てるんだよなぁ、この二人。

 

「それに、盗みに入られるということは、それなりに価値のあるモノなのでしょう? その辺り、具体的な話を伺いたいですわね」

 

 浮かび上がった画面上には再度、あの杖が映し出されている。その発言に頷いたスファルドの仕草でもう一度全員席で着席すると、それを合図にスファルドさんが口を開く。

 

「『頽廃の糸(ウィッチクラフト・ツリー)』さ。 と言っても、その名前は元からあったものではなく私が付けたものだが」

 

 ウィッチクラフトって、確か魔女に関連した集合的な呼称だったような。けどそれで何かわかったというものではない俺だったが、遠坂とルヴィアさんはそれだけで幾らかの事情を把握したようだった。

 

「玩具、というのはそういうことでしたの。 それで具体的な用途は?」

 

「用途にしても制限回数がある。 試しにと二回ほど行使したみたら、杖の先から少しずつ剥がれ落ちてしまった。最初は今より少し分厚かったんだよ。ちなみにその剥がれ落ちた方にはなんの力も宿ってはいなかった。そして最も重要な行使の内容に関することだが、おそらく童話上の再現ならば、ある程度の可能性を手に出来るだろう」

 

「なっーー、はあっ!?」

 

 ガタリ!と椅子を鳴らして遠坂が立ち上がった。その表情は呆気に取られたように口元を開いていた。

 

「ある程度の可能性って、どれだけの用途で、どれだけの総数の童話でも回数付きで出来るって、そんなのもう魔術じゃないじゃない! そんなに魔女関連の話は蒐集していない私にもわかるわよ! それがとんでもなくヤバイものだって! アンタ、そんなもの一体何処で手に入れたの?」

 

「イタリアを旅行中に発見したのさ。 魔女狩りの話はあちらでの相当数あるだろう。公にされていないだけでも焚刑に加えて、木杭による刺殺など、拷問を兼ねてありとあらゆる罪科が為された。 これはその、焼け焦げ、風化した十字の形を歪に歪ませた魔女達の残滓の樹木の内部で見つかった歪物(プロイ)さ」

 

「プロイ?」

 

「ああ、もっともこんな風に言っていたら、現存する魔女達に殺気を向けられるでもなく殺されそうだが」

 

「こんな品物があるってことは、まさか、教会が関わっているなんてことないわよね。魔女狩りには大衆だけじゃなく、教会の連中だって加担していた。 特に本物(・・)に対しては奴らが徹底的に討伐していたらしいし」

 

「今も根強く残る殲滅の気が、こんな代物にも向けられたと。確かに秘蹟会の荒事連中ならやるかもしれないが、こんな予告状を出すまでもなく手を出しそうだがね。 それか噂の怪盗が実は魔女で、失われた同士達の遺産だけでも回収しようと考えたとかかな?」

 

「どちらも動いているのなら、魔女側に関しては私怨混じりね。生き残った魔女達の教会関係者への恨みは根深いでしょうしね」

 

 ぅ……、だめだ、話についていけん。

 セイバーは今は遠坂のサーヴァントとして冷静な表情で皆が意見を交わしあっているのを見つめている。いつでも出撃準備が出来るように映った。

 

「ん?」

 

 待てよ。

 そういえば大事な事を忘れていた。

 

「なあ、ひとついいかな?」

 

 問いを投げかければ、三人の目が俺に向く。それを待っていた俺は意を決して。

 

「予告状にあった、二日後っていうのはいつから数えて二日後なんだ? 昨日来たのなら明日ってことになるけど」

 

「ああ、それは今日だね」

 

 ーーーえ?

 

「あ、えっと……、届いたのが今日ってこと?」

 

「いやいや、予告状の日時が今日さ。 それに本日の本題がそれだったんだから、今日届いていたら君達をここに招いてはいないだろ?」

 

「あ、それもそうですね」

 

 いけないいけない。うっかりしてた。

 遠坂のが移ったかな。

 俺とスファルドさん、二人してあははと笑い合う。

 

 

「って、なんだってーーー!?」

 

 

 えっ!?

 今日って、えっと。

 壁に掛けてある時計に目をやれば、時刻は夜の八時。今日が終わるまであと四時間。これ、もう盗みに入られてる可能性があるんじゃ?

 

 その時、唖然としていたルヴィアさんと遠坂の二人がゆっくりと椅子から立った。両者共に顔を俯かせているせいで表情が見えないが、それが今は逆に怖い。

 

「……ねえ、ルヴィア。ーーどう思う?」

 

「あとで。あとでゆっくりと。 いいですわねトオサカリン。今は、今だけはっ……ガマンですわっ!」

 

 二人の背後から立ち昇るオーラ。

 スファルドさんだけが気づいていないのが幸いか……。

 

 ええい、その辺りはひとまず置いておき、急に決まってしまった予定ではあるが。

 

 ーーとにかく行動開始だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スファルドさんの邸の車にて出発した俺たちは、今現在博物館の正面入口の場で話し合いの最中であった。

 ……と言っても。

 

「じゃあ、士郎とセイバーはここで待機ね」

 

「なんでさ」

 

 いきなりの待機宣言を喰らってしまった。

 瞬時に意を唱えれば、遠坂は吐息を零し。

 

「……あのね、言っとくけどここは時計塔の頭脳連中の管理特区なのよ。そんなところにホイホイ弟子だのを連れて行けるわけないでしょ。 入るにしてもそれなりの手続きがいるし、流石にそこまではスファルドの奴も手が回らなかったみたいだしね」

 

「もっとも、警備の者達を盛大に蚊帳の外に追いやったのはやり過ぎなくらいですわ。 次第によっては目をつけられても不思議ではありませんもの」

 

 法政科というのはそんなに恐ろしいところなんだろうか。同じ時計塔でも派閥による小競り合いは多々あるらしいし、そういうところは魔術師ではあるがやはり人間社会の有り様を呈していると言ってもいい。

 発起人であるスファルドさんは待機しているらしい知り合いの所へ出向き、今ここにはいない。構わず行っていいとのことなので、俺とセイバーを残して遠坂とルヴィアさんの二人で保管区に赴く流れになった。

 ……そもそも、スファルドさんがあとから来るのが若干怪しく思えるのだが。

 

「一応、スファルドに招待された時点でそれなりに準備はしてきたけど、まさかこんなことになるなんて。 いい、セイバー。 もしその怪盗とやらに遭遇したとしても、いざという時は士郎を連れて一旦離脱して」

 

「ちょっと待て、待機の上に離脱って。それなら俺はここで一人でいいから、セイバーには遠坂達と一緒に行動してもらった方が安全だ」

 

 そもそも危険度で言えば遠坂達のほうが何倍も上なんだから、セイバーには遠坂達の護衛について行ってもらった方がいい。そう発言をしてみれば、静観していたセイバーが口を開いた。

 

「シロウ。凛は貴方の身を心配しているのですよ。 なにせその者の手の内が不明な以上、魔力に対して防御面の薄いシロウのカバーについた方が、凛も安心して離れられますからね」

 

「ちょっーー、セイバー!」

 

 どうしてだが慌てたようにセイバーの口を塞ぎにかかる遠坂。いったいどうしたんだ?

 

「……まあ、そういうことなら」

 

 くそ。やっぱりダメダメだ、俺は。

 結局遠坂に背負われっぱなしだ。少しでも俺が遠坂を背負えるくらいになりたいのに。そういう遠坂の戦略目的があるのなら、変に掻き乱すわけにはいかない。

 

「悪い、よろしく頼む、セイバー」

 

「はい、シロウ。 凛もお任せください。シロウの身は私が必ずお守りします」

 

「うぅ……なんで私の内情だけ晒されて…、恥ずかしくない?」

 

 肩を縮こまらせて頭を抱えている遠坂をセイバーと共に不可思議に思っていれば、少し離れた周囲を偵察していたルヴィアさんが戻ってきた。

 

「良さそうですわ。って、何をしてるんですの? トオサカリン」

 

「な、なんでもないわよ! ほら、さっさと行くわよルヴィアゼリッタ!」

 

 大股で前進していく遠坂の背中に目を向けながら、それを追おうとするルヴィアに声をかけた。

 

「ルヴィアさん、遠坂を頼みます」

 

「……はあ、シェロに言われてしまっては仕方ありませんわね。 まあ、ほんの少しだけなら、彼女の身を考慮してもいいですわよ」

 

 そう言って遠坂を追いかけるルヴィアさんの後ろ姿に「ありがとう」と呟いてから、俺とセイバーも周囲に意識を向ける。

 夜もすっかりとふけ、冬の肌寒さが鑢のようにピリリと肌に擦れてくる。車の走行音も聞こえず、揺れる草木の音色だけが風と共に耳へと伝わってきた。

 

「とりあえず待ちましょう。 凛とのパスがある以上、あちらに変化があれば凛からメッセージがあるはずですから」

 

「そう…だな。 うん、待とう」

 

 そう言いながらも、不安は拭えない。

 本当なら今すぐにでも遠坂のあとを追いかけたいところだが、ここはセイバーの言う通り遠坂から何かの反応があるのを待とう。

 

「……気をつけてな、二人とも」

 

 

 

 

 

 

 

 


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