こっちに来てからというもの、私の状態も随分と変化があった。別に病気になったわけでもないし、調子が悪いわけでもない。なんと言えばいいんだろうか。
あえて言うなら、そう。
素の状態でいる遠坂凛が増えたと言うのがこの場合正しいだろう。
時計塔に入学する以前は、高校生としての自分を偽ることが多かったし、別にそれが嫌なわけでもないが、やはりあれはあれで演技だったという印象が最近の自分の中にある。
まあ、それも今となってはあの頃の自分はこんなんだったなと思い出すことに欠かせないものだ。
それに、やはり一番の変化の種は、あいつ以外の何者でもない。
変化。そう変化だ。
遠坂凛は一人の魔術師である前に、今や衛宮士郎に恋する立派な乙女なのだ。
Fate/extra days
ーーー第二話ーーー
「ーーーーanfang セット」
魔術回路から放流する力が自身の中を暴れまわる。
「ーーーMehrere Niveaus des Donners, um den Himmel zu bohren ーーー天を穿つ幾層の雷」
「ーーーEine Welle des Lichtes, um abzugehen, nimmt die geschlossene Leitung nicht aufーーー堕ちる光の波が閉ざされし導きを照らし出さん」
陣の中に光明が浮かぶ。
輝きを増す光の渦の中にいる私はそこから一歩も動かない。動くことは許されない。今この内と外では完全に世界の仕組みが変質している。
やがて光はその煌めきを失い、辺りは暗闇の中に戻っていく。
「──────ふぅ」
張り詰めた意識の糸が弛む。
額に滲む汗を拭いながら、床に着いていた膝に力を入れて起き上がった。
失敗だ。
我ながら清々しいまでに失敗を収めてしまった。どこがいけなかったのかはすぐに分かった。
「ミスったわね。詠唱の段階で構築していたモノが計算外だった。属性の協調を意識し過ぎた結果ね」
間違いは即正しく認識し、魔術師としての欠陥を少しでも早く取り除かなければならない。何せここは魔術の学院にして総本山とも呼べる場所。
油断すればなにが待っているか分からない。
「はぁ、シャワー浴びよっと」
それはそれとして。
まずは身体に沸き上がった汗やらをさっぱりにしないとダメだ。汗臭くなったら嫌だし、何より、
「お、遠坂。お疲れ」
恋人と生活しているんだから、少しでも綺麗なままでいたいのだ。
「何してるのよ、今真夜中でしょ」
「ああ、深夜の3時だな」
もうそんな時間だったのか。
集中し過ぎてて時間の感覚が全然分からなかった。工房の中にいるとそこら辺が曖昧になるのよね。
無駄に広いこの部屋には四つの部屋がある。一つは士郎。一つはセイバー。後の二つは私の自室と工房に利用している。それだと士郎の工房がないと散々言ったのだが、こういうことに関しては士郎は断固として考えを改めない。
自分の工房は自分でどうにかするなどと言ってはいたが、本当に一体どうするつもりなんだろうか。うちの弟子は。
「一度寝たんだけど起きちゃってさ。それからなかなか寝付けなくて」
「夜更かしもほどほどにね。明日も講義でしょあんた」
「む。遠坂だってそうだろ。そのことであまり言われたくないぞ」
「私は慣れてるもの。へっちゃらよへっちゃら」
まあそれでも起きれない時はセイバーに起こしてもらってるんだけど。それを士郎に言うと何かあった時にそういうのを盾にされるから言わないけどね。
「それよりも、いい加減に工房のアテは出来たのかしら? 私、師としてはすっごく気になるのだけど」
その言葉に途端に何も言わなくなる。
うん、やっぱり士郎の弱みを握ってるのっていいわね。なんだかスッキリするわ。からかい甲斐もあるし。
「いつまでも工房を持っていない弟子じゃ、師匠としてちょっと恥ずかしいもの」
「う、善処します」
よし、やっぱり私はこうでなくちゃ。
なんだかんだ言って、士郎とこうして会話をしている時が、一番私に近い私のような気がする。
鉱石科と現代魔術科。
時計塔の門を叩いた私の専科はその二つになっている。まあ自分で選んで受講しているのだから不満はない。
現代魔術論に席を置く若きロードの推薦などもあり、受けられるものならと受講者として講義を受けている。
そう。受講したことに不満はない。
ただ一つ。
「あらあら、ミス・トオサカ。心なしか顔色が悪いのではなくて? 今日の講義は休むのが懸命だと思いますわよ」
ソリの合わない専科の受講者を除けばだが。
「お気遣いどうも。ですがご心配には及びません。何せ英国に来てから日が浅いもので、時差ボケの影響などせいですから、すぐに慣れると思います」
分かったらとっとと自分の巣に帰れ。
などとは決して口に出さずとも、顔に出ろと言わんばかりに最高の笑顔を向けてやる。
「そうでしたの。ごめんあそばせ、何か品のない顔をしていたものですからつい心配になって声をかけてしまいましたわ。そうでしたの、ミス・トオサカは時差ボケの影響で。早く"ボケ"が治るように願っておりますわ」
では。と言って去っていく。
ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。
宝石魔術を扱う者でなくとも名が知られている魔術の大家。
その家系の繰り広げてきた歴史によって「ハイエナ」の名を口にする者が多い。まさかあんなのが同時期に時計塔に入学してくるとは。しかもよりによって同じ学科を選んでいるなんて。冗談にもほどがあるでしょうが。
あいつ、ボケの部分だけご丁寧に強調していきやがって。噂によればあの女も現代魔術論のロードとは色々あったらしい。
「ふん。まあいいわ」
あの女に構っている暇はない。
自分のことに集中しなければ。
★
ロンドンでの生活が始まってから早一ヶ月。
相変わらず講義で忙しい俺達も、来た当初に比べればそれなりの精神的余裕を持ち、穏やかな日々を送っている。
「シロウ。そちらはどうですか?」
「うん、大丈夫。準備万端」
「二人ともー、早く行くわよー」
遠坂の掛け声を合図に俺とセイバーは肩にリュックを背負って立ち上がる。
あいつ、自分が一番遅く起きたくせになんであんなに偉そうに言えるんだよ。などと不満を覚えながらも足を止めることはない。
今日は気まぐれの三人でのちょっとした散歩だ。
来た当初に起きた三人での観光や遠坂との二人きりでのデートなどもあったし、ああいう時間をこうしてたまに設けることがなんだか定番になりつつある。
「遠坂、いつも思うんだが寒くないのか? そのスカートで」
ロンドンは寒い。
そういった情報は来る前から仕入れていたし、遠坂に言われてもいたが、こうして実際に現地に降り立ち肌で感じてみるとこれがなるほど、なかなかに寒い。
高校を卒業した後、一ヶ月も立たずに渡英し、今はもう五月に入る頃だが日本と違ってあまり暖かくはならない。
来たばかりの頃もかなり寒かったが、今もあまり気温の変化は肌で感じることはない。
そんな中で時たま寒いにも関わらずミニと言ってもいいほどのスカートを身に着けている遠坂に内心どうかしてると思わないでもない。高校の頃もロングのスカートとか履いていたのに。
というかやっぱりそのスカートは慣れないというか、男には目に毒だ。
「慣れればどうってことないわよ。それとも衛宮くんには何か不都合な事情でもあるのかしら?」
「ば、ばか言うな!俺はただ、寒いから風邪引くんじゃないかって心配してるだけで…」
ぐう、遠坂め。
分かってるくせにからかいやがって。
そういう目でこっちを見るな。
「大丈夫よ。いざとなったらどうとでもなるわ」
それはつまり魔術でどうこうするということなんだろう。まあそれならいいというか、いや個人的には良くはないんだけど。
「ほら、行くわよ士郎!」
そう言って腕を引っ張る遠坂に引きづられて部屋を後にする。ちなみ部屋の錠はセイバーがしっかりとやってくれた。
三人で外に出てみると、今日はいつになく一帯を照らし出す陽の光が輝いている。曇り空の多いこの街だが、今日はラッキーだ。
と言っても、やはり寒いので自分も風邪を引かないようにしなければ。
ロンドンの空気はやはり日本とは違う。どこか空気が乾燥している気がするし、吐き出される息や吸い込む空気や匂いもまるで異なる。一ヶ月が経過したが、やはり異なる感じを街を歩く度に感じてしまう。でも、うん。嫌いじゃないんだよなこの感じ。
地方都市だった冬木に比べれば、やはりロンドンの人口密集は物凄いと個人的に思った。住んでいる人間はもちろん、観光客も多いこの街は常に人で溢れている。
多くの人達とすれ違いながらウェストミンスター橋を渡り、ビックベンなどを視界に収めつつも、俺達の足は止まらない。その度にチラチラとこっちを見つめてくるような視線が刺さる。
まあ見当はつく。遠坂はもちろん美人だし、セイバーも綺麗で可愛い。ましてやセイバーはここの現地人みたいなものだ。親近感とまでは言わないが、東洋人である俺達と一緒にいると余計に目立つんだろうな。
「シ、シロウ」
「え?」
声につられて目を向けると何故か少しだけ頬を赤くしているセイバーがいた。
どうしたんだ? やっぱりいろんな人に見られるのが恥ずかしかったのか。
「いえ、その。急にそのような事を言われると……恥ずかしい」
ん? 俺……か?
もしかしてもしかすると……。
「俺、口に出てたか…?」
「ええそれはもう。セイバーは綺麗で可愛くてお淑やかで素敵な女性だって、言ってたわよ衛宮くん?」
うっ、それはその。
俺も恥ずかしい。
「いや、違う。違うぞ。確かにセイバーは綺麗だし可愛いって思うけど、別に言おうとしてたわけじゃなくて。つい口から飛び出てしまったというか」
そう事故。些細な事故なんだ。
だから、なんだかさっきから紅く輝いているような指を収めてくれ遠坂。
「ふん。まったくこれだから士郎は。こんな道端でもすぐにセイバーを攻略しようとするんだから」
「攻略ってなにさ!? 俺は別にそんなつもりは───」
「は、はい。安心してくださいシロウ。私は容易く敗れるような腕はしていませんから」
セイバー、なんだか会話が噛み合っていないというか。鍛錬の話ならいいんだけど、この状況での言葉としては違和感しかない。
「遠坂だって、セイバーは可愛いと思うだろう」
なんだかんだ言って、遠坂だってセイバーを可愛がってるじゃないか。服を選んであげたり、頼まれもしてないのにセイバーにピッタリなサイズの服を買って来たり。何処ぞのキャスターみたいにちょっとした着せ替え人形みたいな感じにしたり。
「当然でしょ。私のセイバーなんだから」
そこは胸を張るところなのか?
なんて会話をしながらも、とりあえず適当に誤魔化して目的地に向かう。
幾らか歩きはするが、対した苦にはならない。新しい場所を歩き回るのはどこか楽しいものだ。自分の知らないものがたくさんあって面白いと思える。
遠坂とセイバーと多少雑談をしながら歩いていく内に俺達は目的地の、セント・ジェームズ・パークに到着した。
ロンドンの公園というのは日本とは違った趣きがある。というのは俺の勝手な妄想かもしれないが、視界に入る木々の波や緑色の芝が自分の知らない未知の物に見えてくる。
「木の一本一本が大きいな。どこまで続いてるんだって感じだ」
「見渡す限り、この公園はこの木々で囲まれているような雰囲気ですね。冬木市の森と若干似ている気がします」
「そう?彼処と比べたらダメじゃない。何しろあんまりいい思い出がないし」
あちらこちらに咲いた花が落ち着いた雰囲気と、のどかな庭園という様子を見せているような気がする。この公園は春になると沢山の種類の花々が咲き誇るなどと、友人とも言えるハハイザなどから聞いていたが、聞いていた以上のものだ。遠坂達もそんな光景を穏やかにじっと見つめている。
歩くスピードはゆっくり目に歩いていく。
アスファルトの道がやけに左右に分かれているような感じだが、行かなかった道はまた今度来た時に行くというのもいいだろう。
景色を見ながら歩みを止めることのなかった俺達だが、ふいに俺が足を止める。よし、この辺りでいいだろう。
「よし、ここでいいだろう。遠坂、シートを引くからこれちょっと持っててくれ」
下げていたリュックを遠坂に渡し、あらかじめ腕に丸めて抱えていたレジャーシートを芝の上に被せる。三人でも十分に座れる大きさの奴なので少し重かったが、まあ問題なく全員座れるのでそれで良しとしよう。
周囲を見渡すと、あちこちに俺達のようにレジャーシートを引いてゆったりとしている人達が見える。やっぱり人気のある公園なんだろう。
「朝抜いたから、お腹減っちゃったわね」
「その分沢山作ったから、いっぱい食べてくれ」
朝昼夜ちゃんと取らないとダメだとは思っているんだが、今日ぐらいはいいだろう。こういうところで食べるご飯は美味しいし、食べるならいっぱい食べたほうが気分がいい。
リュックに入れて置いた弁当箱を大中小含めた三つをシートの上に置く。傾いたりはしないように気をつけていたし中身は大丈夫だろうと思いながら、蓋を開ける。
「じゃあ、いただきます」
俺の言葉に、遠坂とセイバーも続いて手を合わせて言葉を重ねる。
今日の弁当はとにかく手作りであることにこだわりを持って作った。忙しい時は買ってきたものを食べたりもしてセイバーには申し訳ないと思っていた分、こういう時の為に腕によりをかけて作らねばと丁寧に作製した。お米なども自分達の舌に合う物を探し、何度か試し買いをして実験も重ねた。
ごぼうの胡麻和えなども、実はかなりオリジナルで調味料を足したりして、日本で作っていたものに近づけるようにしたりと悪戦苦闘したものだ。今となってはいい思い出だ。
「相変わらず美味しいわね。こっちでお米っていうのはちょっと抵抗あったけど、うん及第点ね」
「それも、シロウの腕があってこそでしょう。この唐揚げも売っているものとは一線を画しています」
笑顔で箸を進める遠坂。こくこくと頷くように味わうように頬張るセイバーの姿に安堵する。よかった。そんな姿を見れただけで俺は満足だ。
朝食べていなかった分、箸が進む。
気づけばあっと言う間に弁当箱は空になっていた。ふう、もう腹に入らない。
それは遠坂達も同じなのか、満腹というような表情を浮かべていたが、セイバーが水筒に入れていたお茶を紙コップに入れて渡してくれた。
「どうぞ、シロウ」
「ありがとう、セイバー」
魔法瓶に入れておいたのでお茶は未だに温かいままだ。口につけながら、辺りを見回す。
青空の下で、花や木々に囲まれて、楽しそうに遊んでいる子供たちの姿を見て、こうしているのはなんていうんだろう。
「なんか、平和ね」
遠坂の言葉がスッと入ってきた。
そうか、平和か。
うん、そうだな。こういうのを平和っていうのかな。こんな穏やかな時間がずっと続けばいいのにと心の底から思う。
でも、とか。そういうことを思ったりもするけど、いつまでも続いて行けばと、続けていこうと思う。
「───あ」
気がつけば足が動いていた。
一瞬視界に映ったものが、俺を問答無用で引き寄せる。後ろから遠坂とセイバーの声が聞こえたがそれを振り払うように足が動く。
見間違いじゃないと思う。
いや、見間違いじゃない。
今こうして近づくにつれ、視界に入るものが現実味を帯びてくる。
そしてそれはあった。
「へぇ」
見上げる。
それがここにあることを両の目で捉えて、そこにただ立ち尽くす。
「桜、あるのね。ここ」
遠坂とセイバーが俺を挟むように横に並ぶ。
「もう五月だけど、まだまだ元気なものね」
「そうだな。綺麗だ」
本当にそう思う。
桃色の花弁が舞い散る。
こんな場所にもあるんだな。この花は。向こうで見た時も綺麗だったが、ここで見る桜も綺麗なものだ。
変わらない。俺達の居場所が変わろうとも、この桜は変わらない。こうして目の前で鮮やかに咲き誇っている。
俺達もこんな風にあれるだろうか。
この桜のように変わろうとも変わらずに、綺麗なままでいられるだろうか。
「遠坂、セイバー」
でも、そうだな。
とりあえず。
「これからもよろしくな」
この言葉だけでも伝えておこう。
力強く返事をしてくれた二人と共に、俺は再び桜を眺めた。