Fate/extra days   作:俯瞰

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第九話

 

 

 

 

 

「ーーーこのように、属性ごとに異なる魔術式に応変させ、適解となる道筋を創造することは魔術に携わる者として、しっかりと叩き込んでおかなければなりません」

 

 午後の基礎科の講義中。

 時計塔の基礎科第二受講室にて、俺を含めて学生達が教授の話に耳を傾ける。初歩的な属性の割振りから始まり、今現在はそれぞれの特性に応じた魔術式の構築、応用、変換、固定化等の工程の部分に入っている。

 

 午前中は何をしていたかと言うと、全体基礎科というのはその名の通り、分けられた其々の学科に関係なく、法政科を除いた学問の基礎を学べる為の場でもあり、基本的には全体基礎科でなければそうしていくつもの基礎を教えてもらうことは出来ない。異なる特性を有する魔導の道。それらを学ぶというのはある程度の知識を身に付けた魔術師にとっては余分でしかない。教わるならば今しかなく、そしてそれによって個に合った学問を選択する。家柄によっては既に決めている学生達もいるだろうけど、そういったしきたりを無くして、勉学に励めるというのだから、体面上はそれなりの場を整えていると言えるのだろう。

 

 最後の辺りの言葉は遠坂の口にしていた嫌味であるのだけど。というか間違いなくそうだ。

 

 そんなわけで午前中は創造科(バリュエ)呪詛科(ジグマリエ)伝承科(ブリシサン)の順番で講義を受け、時間は過ぎ、全体基礎科の午後講義に出ているというわけだ。

 

「う、ぅ〜〜…ん……」

 

 隣の席に着くイーザは眉間にシワを寄せてノートと正面に描かれた魔法陣を見比べている。ああ、わかるわかる。俺も遠坂に思いっきりしごかれたもんな。少しでもズレると、とてもいい笑顔で指先にガンドを装填するのはやめてほしかった。そのおかげでちゃんとした陣が描けるようなったものだ。僅かな綻びから致命的なミスに繋がることも多いのだ。

 

「そして術式によっても術者の背負うリスクは増大し、それをどう補完するかでーーー」

 

 ロード・ミスティールの声が止まる。

 俺たちに向けられていた目線が出入り口の方へと向けられたまま固定されていた。

 動かしていたチョークを手に持ったまま微動だにせず、一言も何か口にするわけでもなく、静寂が室内を覆っていく。俺も勿論のこと、隣にいるイーザも唐突な静けさに目を瞬かせている。

 

「え、なに? どうしたの?」

 

「わからない。いったいなにが…」

 

 むしろ俺が聞きたい。

 けど、ここでロードに何かを問う行為が頭の中には思いつかなかった。それほどまでに身に纏う雰囲気のようなものが一変していたのだ。

 先ほどまでの落ち着いた様子の中に、少しだけひんやりと冷たく鋭い刃が喉元につきつけられた気がして息を呑んだ。

 室内がざわつく。

 唐突な中断状況に、周りの学生達も訝しげにロードを見遣り、その先の出入り口へと目が集中されていく。その中でロードの表情がほんの少しだけ険しいモノに変わったのを、俺は見逃さなかった。

 

 そして、ふとーーー。

 

「ん?」

 

 鼻腔を擽る感覚。

 ツンと鼻につくわけではない。むしろコロンのような爽やかな匂いが鼻へ届いた。

 

 いや、ーーーこれは。

 

 本能が訴える。

 これは不純物(・・・)だ。

 人間がそう簡単に触れてはいけない類だと。

 

「匂いを嗅ぐな‼︎」

 

 気づけば椅子から立ち上がり叫び声をあげていた。ロードの不可解な様子と俺の叫び声に、教室内の人間は思考が追いつかないのか誰かはキョトンとした目で、誰かは眉根を歪ませ。

 隣にいたイーザだけが、両手でしっかりと鼻を塞いでいる。このままだと、……あれ?

 

「エミ、ヤ……ンーーー、ちょーーー……」

 

 イーザの声が遠い。

 ゆらゆらと彷徨う意識。

 微睡みの底へと堕ちるような精神。

 何かが魂へと触れてくるような感触。

 

 ーーーーああ、これは前に。

 あの原初(地獄)の記憶の中で。

 

 

 

「ーーーーーーabsconditus(悉く、包し隠せ)

 

 

 

 その直後、耳が拾った音にカラダの奥底に入り込んだナニカが腕を引っ込めた。

 全身から抜け落ち、するすると煙のように出て行くソレを感じる。カラダの感触が、五感が次第に俺へと戻ってくる。主導権をしっかりと掴むように力を入れて目蓋を開けば、心配そうに俺の顔を覗き込むイーザの姿が映った。

 

「意識はありますか、ミスタ・エミヤ?」

 

 その傍らに佇むロード・ミスティール。

 幾つかの椅子をベッド代わりにして俺は横になっていたようだ。見降ろしているロードに頷くことで肯定を示しゆっくりと起き上がる。

 

「大丈夫、エミヤン?」

 

「ーーーーーーーん、ああ、大丈夫だ。 俺、いったい何がどうなったんだ?」

 

 意識が朦朧として、その後のことが思い出せない。こうしていたってことは倒れたのか?

 

「そうだよ。 エミヤンが声を出した直後に足元がぐらついてそのまま。 ていうか自分で匂いを嗅ぐなって言っておいて当人が倒れてたら本末転倒でしょ⁉︎」

 

「うっ……御尤もで」

 

 まいった。同居人に言われてるようなことを同級生にも言われちまうなんて。

 

 しかし、アレはなんだったんだろう。

 

「申し訳ありません。追跡(・・)と結界の構築の準備でこちらの防護を疎かにしていました。私の責任です」

 

「いえ、俺がドジ踏んだだけですから。 それにこうしてぴんぴんしてますし」

 

 聞けば俺以外の人間は大丈夫だったそうだ。

 俺の対魔力の低さが招いた自分のミスだ。

 ロードは何も悪くない。

 むしろ助けてくれたんだから、俺の方が御礼を言わなくちゃいけないくらいだ。

 

「そうですか。 それにしてもよく気づきましたね、魂奪香(ラヘレ)の香りはあまり気づかないものなのですよ。他者への感知をさせずに魂を盗む、暗殺などによく使われる手の一つです」

 

「なっーーー」

 

 暗殺って……。

 なんでそんな物騒なモノが学舎なんかで。

 かなりの一大事じゃないのかコレ。

 そう思って尋ねてみれば、ロードは吐息をひとつ零してから、首を軽く左右に振る。

 

「いえ、別に珍しいことではありません。 発生源は特定し、既に結界で囲っています。 対処にも向かわせていますので、すぐに事態は収まるでしょう。 どうやら植物科(ユミナ)の学徒が『ヒュリテの膏薬』を生成しようとして失敗したようですね。 当人に関しても処置は行なっているようですし、問題ないでしょう」

 

 さあ、講義に戻りましょう。

 そう言ってロードは教壇の方へ戻っていく。学生達も事態収束に安堵し、ロードの指示通り定位置に着いていた。なんだか慣れた様子だけど、俺が時計塔に来る前からこういうことは絶えず頻発しているのか。

 

 またか、くらいの反応を示す面々に戸惑っていればイーザが小声で話しかけてくる。

 

「エミヤン、戻ろ」

 

「あ、ああ……そうだな」

 

 いまいち納得がいかないけど。

 まあ、犠牲者が出なくて済んだのならいいか。けどその処置されている人が心配だ。このあとは植物科(ユミナ)の講義をちょうど受けることだし、誰かに聞くか見に行ってみよう。

 

 

 そうして再開した講義に真剣に取り組み、ロードの終了の掛け声と共に一斉に立ち上がり、皆はそれぞれの時間に戻っていく。

 次の講義まで幾らか時間があるからその間に気になることを済ませてしまおう。

 

「エミヤン、これからどうするの?」

 

「ん、俺はさっきの件が気になるからちょっと様子を見に行ってくる。 イーザは?」

 

「今日はこれで終わりかな。それにちょっと……予定があるし」

 

 気のせいか。

 一瞬だけ鬱屈に顔が陰ったような。

 そう思っていればイーザは小さく笑い、「じゃあねー」と言って手を振ってくるのに応えてから、俺も部屋から出て行く。

 さっきのあれは、やっぱり俺の気のせいだったのだろうか……?

 

 とにかく移動だ。

 今日の植物科の講義場所は地下の栽培スペースの隣の部屋だったっけ。

 もっともその前に少し寄る場所がある。

 微かに鼻につく残臭。

 この程度なら多分問題ない。

 感覚として漂う歪みが俺を目的地へと誘ってくれる。階を降り、そこから右側によれて二つ目の部屋がおそらくそうだろう。

 

 ーーーと、そこで見覚えのある背中を目視した。

 

「遠坂、来てたのか」

 

 ストレートにおろされた黒髪。

 赤いシャツに身を包む遠坂は俺の掛け声に反応してこっちを振り向いた。

 

「あら、士郎。 なにしてるのよ?」

 

 両頬に湿布を貼り付けてーーー。

 

「……遠坂、また何かやったのか?」

 

「またって何よ! またって! 失礼しちゃうわね」

 

 いや、だってな……。

 そりゃあ最初は家に戻ってきた遠坂が湿布だの絆創膏だのを顔や腕や足に貼り付けて帰ってきた時は心底驚いたし心配もした。

 だけどな。

 今となってはもうなんというか……。

 正直言うと、その湿布等の見当はついてる。

 

「またルヴィアさんと喧嘩したのか」

 

「喧嘩じゃないわよ。 カッティング技巧の精密さであいつがあーだこーだ煩くて言葉の交わし合いじゃ結果が見えないから、この際お互いの護身術がどれぐらいのモノなのかは確かめあっただけよ」

 

「バカ、それが喧嘩っていうんだ」

 

 口論から物理的な殴り合いに発展するな。

 この前だって、ルヴィアさんのところでバイトしてる時に手を怪我したからって、食事がどうこうとしていたら遠坂が宝石片手に乗り込んできて一悶着あったのは記憶に新しい。

 一言だけ言えるとしたら、ほんとよく俺たちの住んでるあの建物が瓦礫同然にならずに済んだものだと言える。

 

「遠坂もルヴィアさんも女の子なんだから、顔に治らない怪我でもしたらどうするんだよ」

 

「………ふん。バカ」

 

 バカって、あのなぁ……。

 って、なんで顔を背けるんだよ遠坂。

 

「あー、もうその話はいいから。それで、今日はまだ講義残ってるんでしょ? なんでここにって、ああ、もしかして士郎も?」

 

「『も』ってことは、遠坂も倒れたのか‼︎」

 

「倒れてないわよ。 ただ何処のへっぽこが禁香を焚いたのかと思っただけよ。 ていうか倒れたって、士郎、アレを嗅いだの⁉︎」

 

 あ、これは墓穴を掘ったか。

 言い淀んでいれば遠坂はそれだけで察したようで、溜め息を零していた。

 

「おばか」

 

「……………面目ない」

 

 これくらいしか返す言葉がありません。

 

「植物科の誰かさんの容態は安定したらしいわよ。 大方それが気になってたんでしょ」

 

 さすがです。

 じゃあ被害はゼロってことでいいのか。

 そう言うと遠坂は、「アンタも一応被害者でしょうが…」と呟いていた。けど俺もこの通り全然元気だし問題ないだろ。

 

「もういいからさっさと講義に向かいなさいな。こんなの時計塔(ここ)じゃ日常茶飯事なんだから」

 

「日常茶飯事って、そんな大袈裟な……」

 

 いやまあ最近色々あったけど、あれは別に時計塔が関与しているとかではないだろ。

 単に俺たちの運が悪かったというか。

 

「日常茶飯事よ。士郎もいい加減に慣れておいた方がいいわ。こっちの身がもたないし」

 

 けど、衛宮くんには無理かーーーと。

 遠坂は微笑んでいった。

 バカにされてる気はしない。

 そんなところが俺らしいと言っているようで、その笑顔も相まってドキリとする。

 実際その通りだけどさ。俺は多分慣れないと思う。仮に慣れてしまったとしても気になってしまうのはもう性分なのだ。そんな自身を変えるつもりはない。

 

 しっかし、そんな危険が蠢いているのが日常茶飯事なんて、時計塔というか、遠く冬木の地からやってきてみればーーー。

 

「ほんと、まさに『魔都』って感じだな」

 

「そうよ。散々しつこく言っておいたじゃない」

 

 じゃあまたね、と言って遠坂は離れていく。

 遠坂も遠坂で忙しいからな。

 容態も安定しているのなら安心だ。

 俺も早く講義の方にいこう。

 

 植物科の講義内容によっては、俺も失敗しないように気を付けないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fate/extra days

ーーー第九話ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

「シェロ、おかわりを」

 

 ルヴィアさんに……いや、この仕事中に関してはお嬢様の声掛けに従い空になったカップに紅茶をゆっくりと注ぐ。オーギュストさんぼ時は何も言わなくても主人の意思を察してカップに紅茶を注ぐか注がないかを判断しているようだったけど、バイトを始めてから少しばかりの俺ではまだそこまでの判断が下せない。

 ルヴィアさんもその辺りの違いをはっきりと理解しているらしく、今のように自らおかわりを要求してきてくれる。ありがたいことだが、従者としては半人前の証だ。早くそこの区別を認識出来るように努めよう。

 

 講義も終わり、黄昏時の倫敦。

 

 住まいに戻ってきた俺は衣服を着替え、もう帰宅しているはずのルヴィアさんの部屋、と言っても階層丸ごとルヴィアさんの部屋なんだけど、そこのサロンとして利用している一画へと足を向ければ、ソファに腰掛け何かの書籍を読み耽っているルヴィアさんを発見。

 夕食に仕度を始めるにはいくらか時間が早いのでこうして横に仕え、リクエストに応えて紅茶を淹れているのである。

 

 そしてそのルヴィアお嬢様の頬にも、何処かで見たことのあるような湿布がペッタリと貼り付いていた。

 

「ーーーーーーはあ……」

 

「ルヴィアさん?」

 

 ふたりきりの時はいつも通り名前で。

 その命令に従い、急に溜め息を零したルヴィアさんに名前で呼び掛けた。そんな俺の声に反応するどころかもう一度溜め息を吐き出している。どうしたんだろうか。紅茶はまだカップに残っているし、冷めた様子もない。

 こんな時はーーー。

 

「ルヴィアさん、何かに甘い物でも作ろうか?」

 

「なぜ、スイーツの話が出てきますの?」

 

 あれ、違うのか。

 セイバーなら喜ぶんだけど。

 最近はバイトのおかげで生活も潤い始めているけど、前は同じように溜め息を零し、元気のないセイバーの為に節約しながらも出来るスイーツを作り、喜んで食べてくれたものだ。

 もしかしてまた何かドジを踏んだろうか。

 

「いえ、シェロにはなんの問題もありませんわよ。ただあなたのお知り合いの女性が少々……」

 

 知り合いって……遠坂だろうか?

 何か失礼なことをしたのか。

 いや、正直いつもしてるようなものだけど。

 

「シェロ、あなた料理は得意ですね?」

 

「もちろん。ていうかルヴィアさんだっていつも食べてるじゃないか」

 

 朝、昼、夜と。

 時間が合えば三食全部作ることだってある。

 栄養バランスも考えてるし、飽きないように三食とも系統を変えて調理している。

 

「それはそうなんですけど、あなた、チャイニーズの腕もなかなかのものでしょう」

 

「先生が良かったからな。日本にいた頃にかなり教えてもらったから味も昔より良いものになったと自負してる」

 

 料理について調べているうちに、中華系に調味料の種類も量も結構増えた。

 

「と言っても、まだ遠坂には敵わないけどな」

 

 俺の勘違いか。

 そう言った瞬間、ルヴィアさんの肩がビクッと跳ねた。

 

 ……………………もしかして。

 いや、俺の気のせいかもしれない。

 それに思い返してみると、今更ながら気になってしまったことがひとつある。

 今まで聞いたことのないことなんだけど。

 

 

「ルヴィアさんって、料理とかするのか?」

 

 

 ーーーービリ……っと。

 

 何かが破れた音が聞こえた。

 あーーーー、これはやばい、かも。

 

「ーーーいや、ごめん。 別に他意はないんだ」

 

「……………………可笑しいですわね。 どうして謝るんですの、シェロ?」

 

 なんとなく、選択肢ミスったかな……と思って。

 

「『あらあらルヴィアゼリッタ、私の弟子がお世話になっているようですね。 あらごめんあそばせ、お世話になっているのは一体どちらなんでしょうね?』なんて……あのこ憎っっったらしいカオ……、まったくシェロがいなければ家計の苦しみに押しつぶされて右往左往しているのがオチの野蛮人(ジャパニーズ)が……」

 

 いや、その(シェロ)もジャパニーズなんだけど…。

 

 けど、そっか。その反応を見るに…。

 

「ルヴィアさん、料理とか習ったことないのか」

 

「……エ、エーデルフェルトの者は生涯を魔術にのみ捧げているのですもの。日々の鍛錬と研究を欠かさず、その果ての到達点の前には料理などというモノは必要ありません」

 

 落ち着きのない慌てた様子でそう言っているルヴィアさんだけど、別に俺はそんなところを否定するつもりはない。遠坂だって魔術も料理も凄いけど、その反動か機械系に滅法弱い。

 確証は無いしただの俺の予想だが、逆にルヴィアさんは機械系に強そうな気がする。

 

「けど、鍛錬にしたって研究にしたって、お腹に何も入れなかったら身体に悪い。 オーギュストさんに聞いたぞ? この前ルヴィアさん、研究に没頭して一日何も食べなかったって」

 

「何も食べていないわけではありません。 用意してあったサンドイッチをちゃんと食べましたもの」

 

「それだってオーギュストさんが作っておいたものだろう。 そうだ、サンドイッチなら簡単だからそこから始めてみるのはどうかな?」

 

「…………お待ちを。 その発言からするに、まるで私が料理をする流れになっていませんこと?」

 

「自分で簡単なものくらい作れるようになっておいてほうが絶対に良い。 俺でよければ教えるからさ」

 

「…………………………か、考えておきます」

 

 うん。

 ほんの少しでも自分で何かを作れるようになれば、あれもこれも作ってみたいって気持ちになったりするもんだ。俺も色んなものが作れるようになって何度も挑戦したもんだ。

 試食係なら藤ねえという最適な人材がいたから困らなかったしな。切嗣にはちゃんとしたものが作れてから食べてもらう形だったっけ。

 

「ーーーーん?」

 

 そんな話の区切りに、耳に届いたコール音。

 固定の電話……じゃない。音が違う。

 ルヴィアの携帯の着信音でもない。

 というかこれ、一体どこから?

 

「……不躾ですわね。 ティータイムを邪魔するなんて」

 

 ルヴィアさんは立ち上がると部屋の隅の窓枠の方へ歩いていき、目の前で止まるとガラス越しに倫敦の街並みが映り込んでいる窓枠の縁を人差し指でスッと撫でるとーーー。

 

 風景を遮る形で光の文字が浮かび上がる。

 当然書いている者は誰もいない。

 文字だけが独りでに浮かび上がっていく。

 四行ほど描かれた頃に文字はぴたりと止まり、三分くらいだろうか、それを過ぎてしまうと最初からなかったかのように文字は次第に光力を薄め、呆気なく消えてしまった。

 内容まで俺なんかが把握していいことかは分からなかったから文章としては読んではいないけど、これはつまりティータイムはおしまいってことでいいんだろうか。

 

 ルヴィアさんはくるりとこちらを振り向き。

 

「シェロ、仕度をなさい。 出掛けますわよ。 急用が出来ましたので本日に仕事はこれで終了。 普段着に着替えてきて構いません。 トオサカリンもいることでしょうし」

 

「遠坂も?」

 

 遠坂やルヴィアさんが呼ばれるってことは、多分時計塔関係の話なんだろう。

 

「服装がお気に召しているのなら、そのままでも一向に構いませんわよ。 なかなかに似合っていますもの」

 

「……すぐに着替えてまいります」

 

 あら残念……と微笑み混じりにルヴィアさんが呟くのが聞こえた。一礼をしてから部屋をあとにする。オーギュストさんが身に付けている執事としての服と同じものだが、俺にはあれくらいの凛とした佇まいから来る優美さなどない。セイバーや遠坂の反応も上々だったこともあるし似合ってなくはないのだろうが。欲を言うともうちょっとだけ身長が欲しい。

 

 少しずつ伸びてはいるんだけどな……。

 

 

 

 

 

 私服に着替え、呼びつけてあったオーギュストさんの運転する車に同乗させてもらい、正面の空が黒く塗りつぶされていく倫敦の街をウィンドウ越しに見ていればあっという間に目的地に到着。その前に、俺が着替える間に呼びつけてあったとして、着替えにはそんなに時間もかからなかったというのに既に待機していたのだから、もう霊体化してルヴィアさんの傍に控えていたのではと錯覚してしまうほどだ。

 

 まあこの辺りはまた後日考えるとして、場所はナイツブリッジ駅から徒歩数分ほど離れた住宅街。この区画は確か動物科(キメラ)のカレッジの建ち並ぶ場所だったはずだ。周囲を暗示や結界で囲っているらしい。

 足を踏み入れたのはそんな中で一際大きな一軒家だった。勝手に入っていいのかとも思ったけどルヴィアさんは抵抗も無くすんなり侵入していくものだから、少し戸惑いつつも俺もその家の中へと入っていく。大広間の中に正面から上へと続く階段があり、歩いていくのはその階段のーーーん、これって。

 

「シェロ、もしかして気付きましたの?」

 

「え、ああ、いや……なんとなくだけど」

 

 この階段は仕掛けだ。

 裏手の方にはドアノブが付いており、そこからずっと下へ降れるようになっている。しかもそれを行うには決められた手順でそこに行かなくてはならない。

 

「ーーー同調、開始(トレース・オン)

 

 このジグザグなパズルを一つずつ解析し、構造を把握し、道筋を検索する。

 現在地から右に寄れて、一歩後ろに引き、そこから正面に四歩ずつ右と左の足で進む。

 

「俺が先導するから、ついてきてくれるか?」

 

「え、ええ……」

 

 えっと……ここから先はうげっ。

 トラップ付きか。

 危うく踏み抜くところだった。そうしてルヴィアさんと共に着実に進んでいき、時間は少しかかったけどなんとか裏手のドアの前まできた。うん、大丈夫、ドアには仕掛けはない。

 

「驚きましたわ。 以前から思っていましたけど、シェロは構造把握に関しては随分と腕が立つようね。 術式の発動も感知できないところを見るに元々の素質のようですけど、なるほど、ミス・トオサカが放っておかないはずです」

 

 そうなんだろうか。

 これくらいルヴィアさんでも……って、ああ、前にも遠坂に同じようなことを言ったらメッタメタに説教をされた記憶がぶり返す。

 それはそれとして、早く降りてみよう。

 危険はないと分かっていても、いざドアノブに触れるとなると緊張してしまう。ゆっくりと触れてみれば、……大丈夫だ問題はない。

 下へと続く階段の両側に付けられた燭台に火が灯る。随分と深い。変わらず俺が先導して降りていけば、人の気配と微かな話し声が聞こえてきた。

 

 段差が途切れ、正面の扉の隙間から差し込み明かりを頼りにそこを開けば、幾らかの人間が既に集まっている。ルヴィアさんのように呼び出された時計塔に所属する学生達だろう。

 室内は冬木の遠坂邸の地下室に若干空気感が似ている。あそこと違ってここには設置されたテーブル等は無いが、それを上回る異物が部屋の中央にあった。床に敷かれた方陣の上に浮遊する大きな球体状の真っ白なソレ。それを覆う結界の起点を四人の男女が構築している。どうも抑え込んでいるようにも見えた。

 

 そんな中で、遠坂とその横に立つセイバーを発見。セイバーに至っては普段着ではなく既に甲冑を身に纏っており、どうやら戦闘態勢に入っているようだ。

 

 視線を感じたのかセイバーがこちらを振り向いてきたので手を挙げて応える。

 隣の遠坂に伝えているようで、二人揃って俺たちの方へと歩み寄ってきた。そして俺の横にいるルヴィアさんから漂う雰囲気がなんだかさっきと違って怖い。そんなルヴィアさんに気づいたのか接近する遠坂の表情なんて、また場違いなほどに素敵な笑みを浮かべていた。

 いやだから怖いんだって……。

 

「あらルヴィアゼリッタ、ウチの弟子を連れてきていただいたようで感謝申し上げますわ」

 

「礼を言われる程のことではありませんわ。なにせシェロは我がエーデルフェルト家の使用人の一人でもありますもの。主である私に付き従うのは当然のことですもの」

 

 あれ、今バイト中だったっけ?

 

「そうでしたわね。衛宮くんは家事は万能だからすっごく頼りになるでしょ? 食事に関しても私の折り紙付きですもの。 私もそれなりに料理には腕に覚えがありますけど、衛宮くん程ではありませんから。 …………………………誰かさんと違って」

 

 ボソッと、呟く遠坂。

 でも悲しいかな、なんでかルヴィアさんと遠坂のコンビを見た他の方々がざわついているのに無駄に声が通って聞こえるから、当然今のも聞こえてるわけで。もっとも遠坂はルヴィアさんに聞こえる前提で発したんだろうけど。

 それより遠坂、家事は万能ってところの「は」を強調しないでくれ。俺だって日々頑張って魔術の勉強してるんだぞ……。

 

「………………ふ、ふふふ、あははは…。魔術においては私に遠く及ばない分そうした一般的なスキルだけはお持ちなのね。 まったくこれっぽっちも羨ましくなどありませんけど。 それでしたらこの場は私に任せて、どうぞシェロ達の慰労の為におウチに帰って豪華な夕食の調理に勤しめば宜しいのではなくて? 」

 

「………それだと、料理が冷めてしまうかもしれません。 食事は暖かなほうがより美味しく召し上がれるんですもの」

 

「…………どういう意味かしら、トオサカリン」

 

「あら、言わないとわかりませんか?」

 

 く、空気が重い。

 二人して刻印に魔力を流さないでほしい。

 

「そこまでですお二人共。 場を弁え、慎みを持った姿勢を……」

 

 そこに、チャキッと、風に揺れる聖剣を携えたセイバーが待ったをかける。

 それは暗に、続けるなら実力行使も辞さんと言っているのだろうか。

 今日は特にひどいからなこの二人。

 そのお互いに貼り付けた怪我の後が関係しているんだろうけど……。

 その威圧に少しだけたじろぐ遠坂もルヴィアさんも、チラッと相手に視線を流してから今にもおっ始めてしまいそうな雰囲気を解いた。

 

「……それで、あとどれぐらいで来ますの(・・・・)?」

 

「……十五分ね。 もともとの探知も遅かったし動き出す前だったとしても十分稼げてるわよ。 周囲の人除けも済ませたし、いざとなれば術式の展開準備も済ませてあるみたいだし」

 

「用意が良いこと。 私達が来る必要があったんですの?」

 

「保険でしょ、保険。 最悪外に出たら後処理が面倒くさいんだろうし、教会に借りを作ることになったりしたら上が五月蝿いし」

 

 落ち着いた遠坂とルヴィアさんが話し込んでいる間に、俺は中央に鎮座するその球体に視線を戻す。結界で封じてからその結界ごと封印式で上乗せした状態だけどーーー、

 

 ーーーードクン、と。

 

 鼓動が確かに震えた。

 生きている。

 あの球体そのものが形無く現界している。

 それもあとほんの僅かな瞬きの間に、形を成して表出する。二人の会話内容から察するにそういうことなんだろう。

 張り詰めた雰囲気じゃ無いのは、さして慌てふためく程の脅威ではないってことなのか。

 念の為にセイバーには武装状態でいてもらっているみたいだけど。それに遠坂は早く帰りたがっているようにも見える。

 それは多分セイバーに向けられた好奇の視線のせいか。聖杯戦争で聖杯の力によって呼び寄せられ魔術師の魔力によってここにいるセイバーは、他の魔術師達からすれば観察、言いたくはないけど格好の研究対象なんだろう。

 実際、ボソボソとセイバーのことで話し合っている連中がこの部屋にもいる。俺もさっさとセイバーと遠坂を連れて帰りたくなってくる。

 

 ーーーん?

 

 そこでチカッと、何かの煌きに意識が向く。

 球体の中央に薄らではあるが何かが浮かんでいる。しかし次第に溶けるように消えて行ってしまう。

 

 完全に無くなる前に遠坂に聞いておこう。

 

「なあ、遠坂、アレなんだ?」

 

「え? どれよ?」

 

「あの、球体の中で蒼く(・・)光ってるヤツ」

 

 

「「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」」

 

 

 ………………………………えっーーー?

 

 俺、なんか変な事を言っただろうか。

 

「なあ、遠坂、どうしたんだ?」

 

「ーーー衛宮くん、何が見えたって?」

 

「だから、蒼い光だよ。それしか見えなかったから聞こうと思ったんだけど……って、二人ともどうしたんだ?」

 

 顔を向ければ、二人は目配せしてから頭を抱えていた。ーーーと、思えば近くによってブツブツと何かを囁き始めている。

 

「……ルヴィア、あんた、なんて聞いてた?」

 

動物科(キメラ)の者が神霊現象の研究の過程で試作用に構築していた(ウォルカ)に取り込まれたと……」

 

「……………その研究してたっていう、正確な内容は?」

 

「……………………………………………………」

 

 よく聞こえないが何やら悪寒が肌につく。

 

「……ねぇ衛宮くん、他に何か見えなかった?」

 

「いや、特に何も」

 

 そう言って球体の方を振り返ると。

 何かが異なっていた。

 球体状のソレは形を崩し、二本の脚のようなモノが下に伸びている。そしてさっきよりもはっきりとその輝きが見えた。

 その光と一緒にーーー、

 

「あ……角、みたいなものがある……かも?」

 

 息を呑む気配が複数。

 ーーーギギギと、機械仕掛けの玩具の如く遠坂とルヴィアさんの眼球が動き視線が絡み合う。

 

 そしてーーー。

 

 

「「ーーーーAnfang(call)‼︎‼︎」」

 

 

 同時に詠唱を開始する二人。

 セイバーも何事かと思って見ていたが、すぐに視線が今までずっと向けていたソレへと戻す。おそらく何かを感じたんだろう。

 聖剣を握る手に力がこもる。

 訝しげに寄る眉根。

 唐突に横に並んで詠唱を始めた女性陣に驚いたらしい他の学生達も何事かと視線が集まる。

 

「ああもう! 最悪だわ、こんな一ヶ月以上はかけて準備する工程をこんな風にやらなきゃいけないなんてー‼︎」

 

「トオサカリン! どのみちもう間に合いませんわ! 今のうちに時計塔へ連絡を取り、至急降霊科のロードを呼びつけておきなさい! 貸しを作ることにはなりますが倫敦ごと吹き飛ぶ(・・・・・・・・)よりはましでしょう!」

 

「ならあんたがやりなさいよ! いまあんたがやってる空間魔術より、そっちをどうにかしなさい!」

 

「それだとここにいる私達全員がフィードバックを喰らいそうだから外に待機させている連中に指示を出そうとしているのでしょう‼︎ それより追跡は終わりましたの⁉︎」

 

「とっくに終わってるわよ! ああもう信じらんない! こんな神獣クラス(・・・・・)の化け物の力使って何しようとしてたのよー⁉︎ それどころかあっさり呑み込まれて霊格の基盤に使われてるんじゃ本末転倒でしょうがー!」

 

「むしろそれが目的だったのではありませんのー!」

 

 ……よくわからないけど。

 なるほど、つまりかなりまずいってことか。

 

「ちょっと士郎! そんなところで突っ立ってないでさっさとここから出なさい! 次第によっては吹っ飛ぶわよ!」

 

 だめだ。

 遠坂達が頑張ってるのに、俺だけなんて。

 

「こんなところで使いたくないけど、一生のお願いってことにするから早く逃げなさいっての‼︎」

 

 

 遠坂の言葉がちょうど切れた瞬間だった。

 

 ーーーパキッと。

 

 何かがヒビ割れるような音が響いた。

 

 直後、轟音に耳がやられる。

 膨大な光源の量に目がやられる。

 強烈な風の波に身体がやられる。

 コンクリート壁を全身に叩きつけられたようだ。骨が軋みそうなほどの圧迫感。

 自己が霞む。意識が刈られる。

 

 その直前に、視界が切り替わる。

 ふっ……と、目蓋に突き刺さる光が止む。

 目蓋がうまく動かない。不自然なほどに瞬きを繰り返しながらなんとか現状を確認しようと身体の痛みも気にせずに世界を捉えた。

 

 バチッと、かすかな稲妻。

 帯電する空気の中、ソレは中央にいた。

 

 すらりと伸びる四本脚。

 整然とした佇まい。背が伸びてきた俺よりも少し高い位置に頭部がある。頭頂部に屹立する宝石の如く蒼き輝きを放つ二本の角。

 

 ーーー『魔』という言葉では測りえない。

 

 それはもはや顕現というよりも現象に近い。

 この世に空があり、雲が漂うのと同様に、それは元から世界にあった理である。

 どちらかといえば魔に近く、されど遠く。

 神聖な威を放つソレは、息吹を零す。

 

「ーーーっ………、いっつ……」

 

 少し離れたところに、遠坂が呻き声を上げながらうつ伏せの身体を揺らしていた。隣にいるルヴィアさんは気を失っているのか反応を見せない。俺の背後で音がしたと思えば、部屋の中にあった棚や諸々がただの木材と化し、そこからセイバーが姿を見せた。初見だが怪我はしていないように見える。

 それよりも、あのセイバーですら容易く吹き飛ばされたことに驚愕した。よく俺なんかが無事でいられるものだ。

 

「ーーーーうっそ……そんなの、アリ…?」

 

 驚く遠坂の声が聞こえる。その視線は未だに動かずに立しているアレに向けられたまま、その声音には何処か震えているようにも聞こえた。けどそれも薄々分かる。

 アレはヤバイ。

 間違いなくヤバイものだ。

 もしかするとサーヴァント以上。

 最初のランサーとの一方的な勝負にすら至っていなかったあの経験から感じる時と同等か、それを上回るもの。

 

「ほんとに、こんな神代の怪物(・・・・・)を形として降神させるなんて……」

 

 その時だった。

 

 スッとーーー。

 その怪物の眼が、遠坂を捉えたのは。

 

 まずい。

 

「っーーー、とおさか‼︎‼︎」

 

 俺の声なんて、程遠い。

 視界に横たわっていたはずの遠坂の姿はいつの間にかヤツの懐。その口で遠坂の上着をがっしりと噛み締めていた。

 人ひとりを簡単に顎の力だけで持ち上げ、当の遠坂はいきなりの宙ぶらりん状態にもちろん驚いて暴れている。

 

「ーーーちょっ、こら! 離しなさい! おろせってば!」

 

 これだけ見てるとなんだかいつもの遠坂だが、こちらとしては落ち着いていられない。相手の出方が分からない以上、人質に取られてしまったようなものだ。しかも俺よりも先に行動を起こしたセイバーのスピードを上回り、遠坂を奪取するなんて。

 

「「ーーーーーーーーー」」

 

 聖剣を構えるセイバーと、遠坂を離さずにいるその怪物の視線がぶつかる。両者の睨み合いが続く中、再び耳がナニカを掴んだ。

 

 

 ーーーえ、なんて声を上げることも出来ず。

 

 稲光(・・)がヤツの頭上に降り注いだ。

 

 一瞬だった。音もなく、ただ光が貫いた。

 空気が漏れる。

 その上にぽっかりと穿たれた天上から。

 

「ーーーーーーーーーふっ‼︎」

 

 逃げられる。

 そう思ったのは俺だけではない。

 真横に跳躍したセイバー。

 遠坂を傷つけないようにと回り込んだ上で、セイバーはその手に握る剣を一閃。

 斬った、ように見えた。

 少なくとも俺には。ーーーけれど。

 

「きゃああああああああああ‼︎」

 

 遠坂の悲鳴が上から聞こえてきたことで、セイバーの斬ったそれがただの残像だったことに今気が付いた。アイツ、セイバーの一振りも躱していきやがった。このままじゃ遠坂が‼︎

 

「シロウ、凛を追います! 貴方はここに!」

 

「待ってくれセイバー、俺も行く」

 

「シロウ」

 

「遠坂がピンチなんだ。行かないと」

 

 黙ってなんていられるか。

 セイバーがダメだって言っても俺は行く。

 そんな俺の様子はセイバーも手に取るようにわかっているのか、少しの思案のあと。

 

「ルヴィアゼリッタ達には申し訳ありませんが、今は凛が最優先です。行きましょう!」

 

 俺たち以外に動く影はない。

 倒れたままのルヴィアさんを一度見遣ってから、セイバーに掴まりアイツが出て行った穴を使って外に出る。すっかり日は暮れ、ロンドンの静かな夜に灯る人工の明かりが街と夜空を仄かに照らしている。肌に突き刺さる冬気が今はこんなにも鬱陶しく感じてしまう。

 セイバーと遠坂の間に繋がれているパスのおかげで今の遠坂の位置をセイバーは大まかに把握している。今でもかなり距離を取られちまってるけど、このままセイバーの足で追いかけるのだろうか。

 とっくに結界の範囲内から外に出てしまっているだろうから、無闇に往来の街中を飛び出るのも躊躇われるかもしれないけど、今は急を要する事態なんだ。

 

 そう思って問いを投げると、セイバーは甲冑姿から外出着に戻り敷地内の隅の方へと小走りで寄って行き、俺もその後を追う。

 そこにあったのは一台のバイクだった。

 しかもかなり大型の。

 なだらかなフォルムの黒一色のソレにセイバーは流れるように跨がり、

 

「シロウ、後ろに」

 

「えっ……これ、セイバーのなのか?」

 

「シロウもご存知の通り、私は霊体化が出来ません。 これならばいざという時すぐに駆けつけられますから。 凛との相談の結果、貯蓄を叩いて購入したのです。 もっとも、手元に届いたのは今日なのですが」

 

 もしかして、今日ここへはコレに乗って来たのか。セイバーがバイクに乗ってるのは初めてじゃない。倫敦に来る前に冬木で雷画爺さんのところの倉庫に眠っている大型バイクに乗ってるのを見た事はあった。 って、今はそんなこと気にしてる場合じゃない。

 促されるままにセイバーの後ろに跨る。思ったよりも座り心地は悪くない。遠坂を乗っけたりする事を想定して予め改造でも施していたんだろうか。いったい幾ら掛かったのか気になるがそれは遠坂を無事救出してからにしよう。状況が状況なだけにセイバーに言われるがまま両腕を彼女の腹部に回すことへの緊張感が若干薄れている。普段だったらこうして一緒に乗るのも緊張して躊躇われるだろう。

 

「飛ばします。 しっかりと離さずにいてください‼︎」

 

「わかった、よろしーーーおわっ‼︎」

 

 よろしくと言い切る前に駆動する二輪の動力。けたたましい鳴き声を轟かせて俺たちの乗ったモンスターがうねる。セイバーの騎乗スキルの為せる技か、敷地内から飛び出て、走行を始めるその見事なハンドルさばき。おかげで俺の心臓もバックンと跳ね上がった。

 動力部の音、耳になびく風音が重なり、目蓋を開き、視界を調整するのに一苦労だ。うっかりすると振り落とされそうになる。まるでロデオでも体験している気分だ。足腰がふわりと浮く旅に身体が反応して回してある腕にギュッと力がこもる。

 モンスターが信号を左折、傾く身体が下へと引っ張られそれに抗うのに精一杯だ。それでも現状を認識しようと必死に意識を周囲に配る。ふと、上を仰げば。

 

 ーーー流星が見えた。

 

 照らされた街の夜空に、星よりも下。

 手が届かんと、人の領域に達したその空域に伝う一筋の光流。建物(足場)を利用しロンドンの夜を跳ねる姿は、さながら童話の中から飛び出してきた魔法そのものだ。

 そして微かに聞こえた甲高い悲鳴。

 未だ囚われたままの遠坂は手出しも出来ずにその移り変わる景色に身体が追いついていない。セイバーの操るバイクは小道を恐るべきスピードで掻い潜り、目標を追走する。

 跳ね回る相手を追いかけていれば、バイクはナイツブリッジの交差点を通過し、イルミネーションの中で多くの自動車が通る中を疾走する。目標は左上斜め前方に位置し、さっきよりも接近している。

 少しだけ周囲のざわめきが耳に届いた。過ぎ去っていく人達が上空を指差す。俺たちの追いかけて行くアレを人々も認識し始めた。神秘は隠匿すべしの魔術協会のお膝元でこの騒ぎはまずい。最悪関わっている俺たち全員の責任ってことになりそうな予感がする。

 そこで急に、直線のコースを駆けていたその姿が右へと直角に逸れた。

 

「ーーー、くっーー‼︎‼︎」

 

 セイバーの身体が反射的に追走へと向かう。バイクを転換させ一瞬の間に逆走を仕掛け、ストリートを正しい進行ルートで追いかけて行く。あいつは一体どこに向かっているんだろうか。遠坂を連れて何をする気だ?

 長時間の追走はあっちはどうかわからないけど、こっちはバイクの燃料の問題がある。できれば早めに蹴りをつけたいが、いかんせんタイミングを間違えればその隙を突かれて、もっと距離を離される可能性もある。

 セイバーも標的を視界内に捕捉したままそのタイミングを計っている様子だった。

 人通りの多い道を通過していれば、そこで再び進行方向が右に傾いた。ちょうど右折場所だったこともあり今度は軽く抜けられた。

 また、危ない橋を渡る事にならずにすんだ。正直ほんとうに心臓に悪い。

 

 …………ん?

 

「……セイバー‼︎」

 

「シロウ⁉︎ なんですか⁉︎」

 

 駆動音に負けずと声を張り上げる。

 見えてしまった。

 前方正面。

 いつのまにこんな所まで来てしまったのかと思うが、来てしまったのだから仕方ない。

 

 しっかり聞こえるようにと深く息を吸い込みーーー、

 

跳開橋(タワーブリッジ)だ‼︎」

 

 俺のその言葉にセイバーが息を呑んだのがわかった。その一言だけで俺の言いたいことを理解したようだ。ロンドン・テムズ川に掛かるタワーブリッジ。跳開橋の名の通り、日毎に決まった一定の時間によって橋が中央から分断されて開閉する。

 

 俺が声を発した理由は、つまりーーー。

 

 夜のテムズ川に鳴り響くサイレン。

 橋が上がる合図だ。

 よりによって、なんでこんな時に!

 音が鳴ったってことは橋が分かれるまでもう時間がない。ギリギリ突っ切って渡る手段は無理だ。遠回りをするとしてもそれでは完全にアウトだ。どうする。どうすればいい。

 

 そうしていると、不意にセイバーがほんの僅かに息を深く吸い込む気配がした。

 

「ーーーシロウ、もう少し強く腕を回してもらえませんか?」

 

「……セイバー?」

 

 ここからだとセイバーの表情はよく見えない。バイクは速度を落とさず、あの流れ星を追いかけている。もう少しで橋の上がる様子を見ようと見物に来ている人たちのところに辿り着く。でもそれでもセイバーはバイクの速度を落とそうとはしていない。

 

 ーーーーまさか…。

 いや、まさかとは思うけど……。

 

 セイバーはちらっとこちらを向きーーー、

 

「ここから先は、ほんとうにシロウを落とさずにいられる保証はありませんので」

 

 ……はっ。

 望むところだ。

 

「………ああ、気にすんな。思いっきりやってくれ。俺のことなんて考えなくていいからさ」

 

「ーーー承知しました。では、」

 

 アクセルを回す。

 まるで馬を扶助する騎士のように。

 ゴウゥッ‼︎っと息吹を噴くバイク。

 さらに加速する。

 もっと、もっともっと。

 もっともっと早く駆けよ。

 

 光のように、風のように。

 

 星へと迫る一手とならんと。

 

 猛る獅子の手綱を握る、かの騎士王はーーー。

 

 

「ーーーー駆風界輪(インビジブル・エア)‼︎」

 

 

 風が舞う。

 走狗が風に揺れ、風を纏う。

 より速く、加速の意志を担って。

 その流星へと手を伸ばす。

 風圧を裂き、時を過ぎ。

 その存在を示さんと威を包み。

 王の風となって、路を創る。

 

 遠坂を伴ったヤツはすでに橋の中腹に迫ろうとしていた。もちろん橋をそのまま渡るのではなく、設計されたその大きな石をそのまま踏み台に利用して。ブリッジという建造物そのもの足場にしている。

 

 ならば、こちらも。

 

 ーーーセイバーの駆けるバイクがその疾風によって、橋の手前から伸びる直線上のコンクリートの上を駆け抜ける。

 

 勢いが衰えることはなく、そのさらに奥、カーブ状に描かれたレールの上をその二つの車輪が速度を増して上に、上にと急上昇を重ねた。歯を食いしばり、のしかかる負荷に耐え抜く。ここで落ちればアスファルトに全身強打だ。眼前には展示室と繋がる塔の岩壁。

 

 しかしそれがどうした。

 

 今のセイバーにとってはこのバイクにとってはただの踏み台でしかない。急上昇する勢いは上限を知らず、重力など何処かに捨てて、加速を繰り返し。

 

 一気に、空へと跳ねた。

 

 まるで飛行しているような滞空時間。

 ゆっくりとスローペースに時は流れる。

 橋を照らすライトがチカリと目蓋に焼きつく。真下には上部橋。その下には海面。

 そして、俺たちの正面。

 

 そこには、遠坂たちがすでに迫っていた。

 こっちを驚いた顔で見つめている。

 地は未だ遠く。

 空に浮かび上がったこの場所に。

 セイバーの片手に揺れる風の刃。

 

「ーーーー捉えた」

 

 ヒュッと、横へと薙ぐ剣閃。

 セイバーの振るった剣が何かを裂いた。

 

「aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa‼︎‼︎」

 

 その瞬間、響き渡る音。

 叫び声なのか、どこか人間の呻きにも似たソレがロンドンの街に木霊し、同時に吹き出した突風が周囲にばら撒かれた。

 セイバーのバイクですらその急激な衝動には抗えず態勢を崩し、右方向へ吹っ飛ばされた。そしてそこで失念していた。遠坂がヤツの何に囚われていたのかを、そうだ、あいつはずっとその口で服の背中部分をずっと咥えられた状態だった。

 

 するとこの呻き声からすれば。

 

「あーーー」

 

 それは遠坂の言葉か。

 それとも俺の言葉か。

 どちらかは定かでもなく、もしかしたら両方だったのかもしれない。同じように右側に吹き飛ばされた遠坂の身体が前方に浮かび上がり、徐々に離れていく。今までの急激な行動のせいで不調をきたしているのか、何も行動を起こす素振りがない。

 

「ーーーーとおさか‼︎‼︎」

 

 今度は俺が、バイクを足場に飛び降りた。

 俺と遠坂の名前を呼ぶセイバーの声。

 でも今は遠坂を。

 手を伸ばす。

 この高さなら、海面だとしても打ち所が悪ければ致命傷に至る可能性もある。伸ばした手が遠坂の服に触れる。僅かな指先に力を込め、こっちへと手繰り寄せる。

 

 離さないようにと、強く強く抱きしめる。

 

 頭から落下したまま、せめて少しでも遠坂に害が及ばないようにと腕の中に抱きかかえる。大丈夫だ。遠坂だけは守ってみせる。

 こんなことしか出来ない俺が恨めしい。

 せめて少しでも何か役に立つ事を覚えておけばよかった。全身の感覚がもう少しで海に着水すると警告している。

 

 俺は歯を食いしばって、その訪れをただ待っていた。

 

 

 

 


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