Fate/extra days   作:俯瞰

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第八話

 

 

 

 

 

「んーーー?」

 

 午前の講義も無事終了し、帰り道に寄ったパン屋でバゲットを幾つか買い揃える。

 紙袋に入ったそれを抱えて人混みを歩む。

 今日はいい天気だし、遠坂とセイバーを連れてどこかショッピングに繰り出すのも悪くない。今日は遠坂も休みらしく朝食を済ませてからもう一度ベッドにダイブしていたし。

 遠坂の疲労具合を目にしていたセイバーも、すぐに寝るなどだらしが無いと一言告げるような素振りも見せず、むしろもう少し休息を取った方がいいと心配しているくらいだからな。

 

 そうして、橋の上へと歩を踏み出した時。

 

 ーーーそれはふと、目についた。

 

 何処かの教会のシスターさんだろうか。

 身を包んでいる法衣からしても明らかだ。

 被っているベールから伸びる長く艶やかな白い髪が風に揺れる様は、その少女には早すぎるのでは無いかと思うほどに女性としての華やかさを連想させた。

 向こう岸からこっちへと歩を進めるその姿は少しだけ足元がぎこちない。しかも右目に怪我をしているのか眼帯を付けていた。

 杖などをついてないところを見ると当人としてはそれほどでも無いのかもしれないが、見てる方としては些か危うく感じてしまう。

 ーーーと、橋の上で立ち尽くしたまま見ていた彼女がふらりと右足をぐらつかせ、橋の欄干に手をつくのが映った。

 

「大丈夫ですか?」

 

 すぐさま駆け寄った。

 いかんせん、見過ごせない。

 余計なお節介かもと思わなくもないが、それでも声をかけずにはいられなかった。

 俺の唐突な呼びかけにたいして、驚きも動揺する素振りも見せないその人は伏せていた顔を上げて俺へと目を向ける。

 金色の煌やかな瞳が俺を射抜く。

 そのまっすぐな輝きに、逆に俺の方が少しだけ動揺してしまう。俺よりいくらかの年下のようだが、それでも整った顔立ちの女性と初対面でこうして話すのは慣れない。

 遠坂やセイバーといった美少女の前例があるにしろ、それでも二人にたいして慣れというものは出来てしまうのだが。

 

「いえ、お気遣いなく」

 

 即座に言われてしまった。

 綺麗な声だな、なんて。

 こんな状況で思ってしまうほどに。

 彼女は手すりに置いていた手にほんの僅かな力を込め、再び歩き出そうとしている。

 

「ふらついてましたよね。 よかったらおぶりますよ」

 

 さっきのあれを見てしまったあとでは、容認出来ない。このまま別れたとしても気になってついつい後ろを振り返ってしまいそうだ。

 そんな俺の発言をどう捉えたのか、パチパチと瞬きを数回繰り返しているシスターさんは、改めて俺の顔を見つめてきた。

 

 

「ーーーーーーあら、まあ」

 

 

 なんて、そんな言葉を呟いた。

 …………いったい、なんだろうか。

 なんか、アレ?

 胸に湧き上がるこの気持ちはなんだろう。

 自然と口元がひくっと、つった。

 いや、なんでさ……。

 

「そうですか、私をおぶってくださると」

 

「ええまあ。よければなんですけど」

 

「あら、本当に。 ……ですが申し訳ありません、殿方の背に乗るのが不慣れなもので」

 

 ーーーーん?

 

「よければ抱き上げていただけたほうが、大変ありがたいのですが」

 

「ーーーーーーえっと……」

 

 え?

 抱き上げるって、ここで?

 というか、殿方の背に乗るのが不慣れってどういう……。

 

「よろしいでしょうか?」

 

「あ、ーーーーはい。いい…ですけど……」

 

 いや待て。

 いいのか?

 こんな公衆の面前で人助けとはいえ、女性を抱えるなんて行為はいいのか。俺はまだいいとして街中でシスターさんがそういう風に見られるって抵抗はないのだろうか。それともおんぶの方が恥ずかしいのだろうか。そもそもさっきのあの反応はなんだろうか。

 頭の中でぐるぐると渦巻く疑念に惑っていると、そんな俺の様子をどう捉えたのか。

 

「もしや……お嫌でしたか?」

 

 ーーーなんて。

 わざとらしい(・・・・・・)までに沈んだ表情を見せてくる。

 

 ーーーくっ、そんな顔されたら何も言えなくなってしまう。

 

「いえ。全然大丈夫です! なんの問題もありません!」

 

「そうですか、よければ荷物をお持ちします」

 

「ああそっか、そうですよね。じゃあお願いします!」

 

 俺、上手い具合に流されてないか?

 まあこれも人助けだ。

 余計な事を考えているくらいなら、彼女を落とすなんてことが万が一にも無いように気を配らないとな。

 そうして紙袋を渡していると彼女の伸ばした手に包帯が巻かれているのが見えた。

 手も怪我しているくらいなら荷物を持たせてしまうのもと躊躇われたけど、また悲しそうな顔をされるのはいけない。それを思うと持ってくれるとは言っても買った物が少量でよかった。

 

「では、お願いします」

 

「はい、じゃあ失礼します。 ーーーよっと」

 

 屈んでから膝裏と背中に腕を回し、荷物を抱えてくれた彼女の身体をひょいっと持ち上げる。

 

 ーーーうおっ、軽い。

 軽すぎて心配になるくらいに身軽だ。

 普段は何を食べているのだろうか。

 それに、なんだか良い匂いがする。

 香水なのかは知らないが、抱き上げて密着したこの状況では前面に感じる温もりも、香ってくる柔らかな匂いも男性には毒だ。

 胸元にほのかに添えられた手に落ち着かないでいる心臓の鼓動を悟られないか不安だ。

 いかんいかん、気をしっかりと保つんだ。

 こんな邪なことを考えているなんて絶対に知られたくはない。そんな意識を振り払いたい一心で声をかける。

 

「揺れて気分が悪くなったら言ってください」

 

「ええ、お構いなく」

 

「それで、何処に向かえばいいですか?」

 

 この辺りの教会ならウェストミンスターか、聖マーガレットだろうか。

 それならさして時間もかかるまい。そう思って目的地を尋ねると、意外なことに目的地は教会などではなくーーーーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーーーーここ?」

 

「ええ、ここですが」

 

 なにか?ーーーと、目が問うている。

 

「えっと、てっきり教会に行くと思っていたので……」

 

 ちょっと驚いたと言いますか……。

 

 歩くこと幾ばく。

 周囲の視線を耐え、気にせず、心を剣に変えて女性を抱えたままロンドン市内を闊歩していれば、すんなりと目的地へ到着した。

 視線をやや斜めに上げれば、看板(・・)が目についた。

 

「ーーーーー中華料理店」

 

「はい、せっかく倫敦に来たので、ここに足を運ばないのは勿体無いと感じたものですから」

 

「……中華、好きなんですね」

 

 ーーーええ、とても。

 

「辛い物は特にーーー」

 

 そう言って満足げに笑みを浮かべるのは構いませんけど。

 

 なんだろう……この感じ。

 

 なんか俺、聖職者の方に特別な期待でもしていたのだろうか……。

 なにせそういった職につく方のファーストコンタクトがよりにもよってアレ(・・)だったから、後任として冬木教会にやって来たディーロ神父は温厚な人柄で、よくセイバーがお茶をご馳走になって仲良くしていたくらいだし。

 ああ、神父さんて神父さんなんだなぁ……なんてことを思っていたりもしたもんだ。

 きっと、どこぞの聖職と対極の悪意に満ちた神父と名乗っていた男はなにかの間違いだったんだろうと考えてみればーーー。

 なるほど、聖職の方も十人十色なんですね。まあ人間ですものね。こんなことを頭の隅で思考している俺の方が罰当たりな気もするし。

 俺だって、別に普通に中華は好きだ。

 

「どうも、本当にありがとうございます」

 

 俺の腕の中から降りた彼女は礼儀正しくお辞儀をしてくれる。この流れだと、ここで別れるような感じになっているが……、

 

「けど、帰りの道は……?」

 

 そう。お腹を満たしたとしても、それであの様子が覆るわけではないだろう。ご飯を食べて傷がすぐに良くなるなんてあるわけない。

 それなら帰りの道も抱えた方が安全だ。

 

「御心配には及びません、私の方で助っ人(・・・)を呼びますので。 ……そうでないとあなた(・・・)は安心出来ないでしょう?」

 

「ーーーーーーー」

 

 ……なんだろう。

 やっぱりこの人、なにか引っかかる。

 見透かされている、というか。

 俺の在り方を知っている……?

 

「なんでしたら一緒に如何でしょう? お礼としては些か質に欠けますが、これぐらいでしか私は返せないと思いますので」

 

「いや、お礼を言われるほどの事じゃない。誰か手を貸してくれる人にアテがあるのなら安心だ。荷物もあるし、早いとこ帰らないと」

 

 セイバーの方に昼食の準備をお願いしてあるしな。それに、なんだかな。この人とは、今のうちに距離を取るべきだと何かが告げている。

 

 このまま行くと、新しいルートに突入してしまうような気がして落ち着かないのだ。

 

「じゃあ、俺はこれで」

 

 手を挙げて、笑顔で別れを告げる。

 ちらっと背後をみれば、彼女はスッと一礼して律儀に俺を見送ってくれているようだ。

 色々と引っかかる人だったけど、まあこの時間に関しては悪いものじゃなかった。

 荷物を抱え直して帰り道を行く。

 晴天だった空には微かに雲がかかっていた。

 それでも太陽は遮られることもなく道を照らす。シスターさんとのつかの間に邂逅にどんな意味があったのかは知らない。きっと理由なんて無いのかもしれない。

 

 けれど、俺にはどうにも。

 

 ーーー彼女との縁が、これで終わるような気はしてはいなかった。

 

 

「ーーーあ、そういえば名前、聞いてなかったな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fate/extra days

ーーー第八話ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロンドン、地下大空洞。

 エオリア地区にある塔内部。

 以前にルヴィアさん達と訪れた時には地下の方に向かったわけだが、今回は上階だ。

 場所はユーリさんから紹介された二階の武器庫である。といってもなにもそのまま山のように武器が置いてあるわけではなく、幾多の職人の製造所を兼ねていたりと、フロア全体が一つの法の元に動いている国家のようだった。

 

 そして地下もそうだったが、階層ごとの面積が遠目から見た塔から想像できないほどに上下左右、何処を取っても広い。この階にしても四階建ての建物が普通にあるのでもう訳が分からなくなってくる。

 

 ここに入るにはエレベーターを降りた上で時計塔の発行する許可証を持参の上で無いと立ち入ることが許されていないのだ。

 初回時はユーリさんのゲストとして踏み入ったわけだが、今回に至っては遠坂に協力してもらって発行書を作成し、セイバーと共に来た次第である。もっとも、この地下都市に足を踏み入れるには初めてここに立ち入った時のルヴィアさんのような登録を行なっている魔術師の力が必要なので、一緒に来た遠坂とはここに入ってからは別行動をとっている。

 

 今回訪れた目的はひとつ。

 ーーーそれは。

 

「ーーーーーおお、これはまた立派な」

 

 隣に立つセイバーから感嘆の息が漏れる。

 現在俺たちがいるのは階の右端にある三階建ての物件だが、左右に広がる別の建築物と通路が繋がっており、ひとつの建物となっているようだった。その右側の建物の一階、そこに足を踏み入れた俺とセイバーが目にしたのは、冬木の衛宮邸を彷彿とさせる広々とした道場だった。その光景にここがロンドンであるということを忘れそうになる。

 

「ミス・ユリルに感謝しなくてはいけませんね。このような場所を教えてくださったのですから」

 

 セイバーの言葉に頷き返す。

 冬木の衛宮邸にあった道場では聖杯戦争時もセイバーの協力のもとに実践的な身体の動きを学んでいったものだが、倫敦に来て以降は、そんな場所にアテがなく日々鈍っていく感覚に危機感を覚えつつ、自室で筋トレをするぐらいしかなかった。けれど、ユーリさんの案内のもと俺がセイバーへと訓練の話題を出したことで、それを聞いていたユーリさんにーー、

 

「ジャパニーズ風の訓練場なら、心当たりがありますよ?」

 

 と、その一声に食いついたのだ。

 

「ーーーーーうん、よく整理されてる」

 

 普段から使用されているのだろう。全体的に埃を被っている様子は無いし、整理されている木剣も竹刀も質は悪くない。

 

 竹刀を軽く握りこみ、深呼吸をひとつ。

 外は作り手や買い手の言葉が飛びあい、喧騒に満ちているはずなのに、まるでここにはそれらをシャットアウトする何らかの仕掛けが施されているように思えてしまう。

 道場の中はとても静かだ。

 自分の心臓の音がよく聴こえる。

 床を滑るセイバーの足音、その空気の震えすら感じ取れそうなほどだ。

 スッと、セイバーの手に握られた丸みを帯びた竹刀の尖端が俺へと向けられる。

 鈍っているのは否めないけど、やり始めなければ勘を取り戻せない。両手に一本ずつ、零してしまわぬように竹刀を握り込む。

 

「ーーーーー始めよう、セイバー」

 

 いつものように目を凝らす。

 眼前の彼女の動作を見逃さないように。

 

 

 

 そうして始まったセイバーとの実践練習。

 軽く踏み込んだその姿とは想像もつかない力で振るわれた竹刀をいなす。その足運びもセイバーの俺へと注がれる瞳も、懐かしささえ覚えてしまう。同時に湧いてきた久しい感覚と正面から向き合う。いなされる剣戟の中にわずかな光明を探るなど、まだ俺には早い。

 身体の馴染まない今の俺に必要なものは、この光景に触れる肌に伝わる汗と、耳に届く互いの得物の炸裂音。そう、これだ。

 口元がにやけてしまいそうになる。

 セイバーとの、この時間をどれほど待っていたか。打ち合い始めてもう何分経ったのだろう。静かな空間に竹刀の衝突だけが響く。床を鳴らす足音が聞こえてくる。額から溢れる汗が目蓋の上に落ちそうになる。

 一瞬の間を持てばやられる。

 

「ーーーーーふっーー!」

 

 一呼吸のうちにセイバーの鋭い突きが、双刀の隙間を掻い潜り俺の頬を掠めた。

 くそっ、反応出来なかった……。

 対応も出来てない。

 若干崩れた足元。

 倒れそうになるのを必死で踏み止まるが、そんな時間をセイバーが大人しく見ている筈もなく、横薙ぎに振るわれた刀身が腹へ喰いこむ。

 けれどそれだけでは済まない。

 右足の踏み込みと共に、セイバーの両腕に宿った力が容赦なく俺をそのまま後方へと吹っ飛ばした。

 

「ーーー、が、あっ……」

 

 受け身も取れずに仰向けに倒れた。

 自身の体重をそのまま床に叩きつけ、ドスンと大きな音が響き渡る。

 いてて……、セイバー、やっぱり容赦ないな。いや、手加減されても困るのだが。それでも久々にやってこの仕打ちは手痛い。さっさと勘を取り戻せという激励の意味合いが込めてあったのだと受け取ろう。

 

「ーーーーーいって、頭打った……」

 

 受け身すら取れないとは、勘の鈍りとは末恐ろしい。早く取り戻して、セイバーから一本取れるように頑張らないとな。

 

「よし、次だセイバー。 ……………セイバー?」

 

「ーーーーーーーーー」

 

 上半身を起こしてみる。前方に立っているセイバーは俺に歩み寄るところだったのだろうか、先ほどよりこっちに近づいている様子だが、なぜ急に止まって、俺を見たまま録画を停止したかのようにそこで硬直していた。

 俺の言葉にも反応を示さない。

 どうしたんだ?

 

「セイバー?」

 

「ーーーーーーーーはっーーー、い、いえ、なんでもありません。ええ、続けましょう」

 

 数秒の間を挟んだのちに復活。

 背中を向けて距離を取る。

 ………なんだったんだ、さっきのは?

 

 ーーーまあいいか。

 それよりも続きだ、続き。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まずい。

 まずいです。

 いえ、別にシロウに非はありません。

 悪いのはすべて私なのですから。

 ーーーーだというのに。

 

「セイバー?」

 

 一瞬の間。

 我ながら久しくしていなかったシロウとの打ち合いで気分が高揚していたのでしょう。

 思わず振るってしまった一撃にシロウが受け身を取れずに倒れてしまったのを見て、とっさに駆け寄ろうとしたはいいものの。

 

 ーーーー頭の隅に浮かんだモノに、私はナゼか急に動けなくなってしまった。

 

 仰向けに倒れるシロウ。

 横たわったその身体の上に乗るワタシ。

 そのまま彼の顔へ口元を寄せーーー。

 

「セイバー?」

 

「ーーーーーひゃっ!」

 

 肩を掴まれ、シロウの声が間近で聞こえ。

 ………へ、ヘンな声を出してしまった。

 

「……………………………ひゃ?」

 

「な、なんでもありませんとも。ええなんでも。それで何用でしょうか、シロウ」

 

 体温が上がっているのでしょうか。

 顔が熱い……。

 肩から離れたシロウの手の温もりが消えずに残っている。間違いなく今の私は頬の紅潮を隠せていないとみて、慌ててシロウから見えぬように顔を逸らしてしまう。

 

「いや、そろそろ休憩にしようかと思って」

 

「そ、そうですね。一旦休憩としましょう」

 

「何か食べるか? と言っても今日は何も用意してないし、何処かで食べるにしてもここの何処かに食べる場所あるのかな?」

 

 食べる場所ですか……。

 個人的な意見ではありますが、何処かで外食をするというのなら私としてはシロウの手料理の方が好ましい。

 ミス・ルヴィアゼリッタの所で給仕に務めてるおかげで懐も幾らかマシなモノになったとはいえ外食は高くつきますからね。凛には内密として多少の貯蓄も残しておかなければ。またどんな事態に見舞われるか分からないですからね。

 

 そこで。

 シロウではない、何者かの視線を感じた。

 

「ーーーー、っーー」

 

 手にしていた竹刀を出入り口へ向ける。

 そこに立っているのは見覚えのない老媼(ろうおう)だ。

 微かに曲がる腰元、一見では見落としてしまうかもしれない。おそらくシロウは気づいていないでしょうが、なかなかのやり手と見ました。

 

「待った、セイバー! それを下ろしてくれ!」

 

 慌てた様子のシロウ。その姿からして彼の知己であると推察していれば、笑い声をあげるその女性の方へと二人して目を向ければ、

 

「はっはっは……騒がしいと思って覗いてみれば、何時ぞやの坊やじゃないかい。精が出るねぇ……」

 

「どうも。えっと、ユリルさんのところの……」

 

「フェミエナ・グラリウスだよ。エーデルフェルトの嬢ちゃんは元気かい?」

 

 はい、それはもう。と答えるシロウ。

 そうでしたか、ミス・ユリルの。

 なるほど道理で。彼女の伸びしろの感じる才覚は彼女による影響もあるのでしょう。体術に関しては凛にも並ぶものと見た程ですから。

 それに比べればこの方のソレは鋭く磨き上げられ、さらには見事に隠す術も持っている。若かりし頃に相当の経験を積んでおられるのでしょうね。

 

「ユーリから聞いた時はどんなもんかと思ったけどね、なかなかどうして芽はありそうだ。そっちのお嬢ちゃんに関しては、あたしは言うことは特にないけどね」

 

 シロウに向けられていた目線がこちらへと移る。ほう、私としても予想以上ですね。

 

「セイバーと申します」

 

「ご丁寧にどうもさね。あんた強いね、昔のあたしでも勝てるか分からないよ」

 

「いえ、今でも十分なものではないかと。こうしている間も全く隙を見せてはおられない」

 

 鎧へと換装していないのが惜しい。

 そう思ってしまうほどに、どうも私はこの方と一戦交えたいなどと考えてしまっている。

 サーヴァントではなくとも、現代には魔術だけではなく、体術を持っての物理的干渉を行う魔術師が多く溢れているようですからね。

 と、そろそろやめておきましょう。

 シロウが顔を引き攣らせている。

 

「まあ、それはそれとして。なんだい、もう終わりなのかい?」

 

「いえ、休憩にしようと思っていたので。 というかグラリウスさんはどうしてここに?」

 

「ん? なんだいあの子から聞いてないのかい。ここの持ち主はあたしだからね。使いたいって言ってる奴がいるからどんなもんか観にきただけだよ」

 

 なんと、ここの所有者だったとは。

 シロウも驚いた様子で彼女を見ている。

 ここを紹介していただいたミス・ユリルからの仲介があっての事だったので、所有者との話し合いは我々の間では行なわれていなかったものですから。貸していただいたことにシロウと共に感謝を述べる。

 

「たいしたもんじゃないさ。あたしは預かった(・・・・)だけだからね。お前さんら、休憩ってことはなにかい? 腹減ってるのかい?」

 

「まあ、そうですかね……」

 

 シロウからの目配せに肯定の意を送る。

 凛とは帰り際に彼女の方へと二人で向かうつもりだ。それについては特に変更点もないので問題はない。それにお腹を満たす術があるのなら、シロウの手料理ではないのが惜しまれますがここは良しとしましょう。

 そうしていれば、ミス・グラリウスは再び笑い声をあげるとーーー。

 

「んじゃ、ついてきな。食べに行くよ」

 

 そう言って背を向けた。

 私も特に異論はなく、シロウと一緒にその背中を追いかける。外に出れば先ほどのまでの静けさが嘘のように喧騒に満ちている。

 そのまま歩いていけば大通りといえばいいのでしょうか、開けた一本道の左右に露店が広がり、ずっと先まで続いているようですね。

 そこをシロウの隣で歩いていれば、なんでしょうか……? むやみやたらと視線が向いてくるのですが、私の顔に何か付いているのでしょうか。無性に気になったのでシロウに問いかけてみると。

 

「セイバーは美人だからな。目立つのはしょうがないし、綺麗な女の子が珍しいのかもしれない」

 

 ……び、びじん?

 ………き、れい?

 あの冬木の、教会の神父の名。

 では、ないでしょうね。ええ。

 そ、そうなのでしょうか。

 

 シロウから見ても、私は美人、き、綺麗に見えているのですか?

 

 ーーーなどと、聞ければいいのですが、いかんせん上手く言葉にできない自身がいる。

 ええい。

 それもこれも、すべてアレが原因です!

 あの何か妙に現実味を帯びた、あ、あの……。

 

 サーヴァントは夢など見ないはずなのに。

 アレはなんだったのでしょう。

 やけにハッキリと、覚えている。

 まるで何処か、別の場所(・・・・)で起こったことをそのまま頭の中に流し込まれたような奇妙な錯覚。いつまで経っても消えないその夢に嫌に頭の中を占領されているのです。

 おかげでシロウの顔を見ると、あの夢がチラついて仕方がない。現に先ほども……。

 

「セイバー?」

 

「は、はい!」

 

「いや、着いたみたいだから」

 

「はっ……そうですね。行きましょう」

 

 凛に余計な誤解をさせてしまうわけにもいかない。早く気にならなくなってしまいたいのですが、いったいどうしたら。かといってシロウに相談するというのも私的には論外。

 そんなことをしている間に目的の場所に到着したらしく、場違いなほどに、これは現代でいうところの中華スタイルとでも言えばいいのでしょうか。絢爛な内装には日本にはない煌びやか大胆さというか、全面に出された優雅さがありますね。私は冬木の衛宮邸の悠然とした雰囲気のほうが好ましいですが。

 

「うっ、中華か……」

 

「シロウ、どうしましたか?」

 

「いや、最近の思い出が……」

 

 縁があるのかな……などと呟いているシロウ。

 なんでしょうか?

 口元が引き攣っている辺り、むやみに詮索するのも憚られますね。

 

「好きに食べな。味については保証するよ」

 

「よろしいのですか?」

 

「ああ。乗りかかった船ってやつさ」

 

 その言葉の真意については不明ですが、謀ろうとしているとは微塵も感じられない。ええ、いただきましょう。奢っていただけるというのなら喜んでいただこうではないですか!

 とりあえず、シロウの分も考え単品で多めに注文を。セットで頼むよりはこうして頼んだほうが追加で注文する時に後のことを考えずに好きに注文出来ますから!

 そうして待っていれば、テーブルの上に並べられた料理の数々。一つ一つが大変美味しそうで、シロウも驚きと喜びの表情で品の数々を見つめています。ああ、申し訳ありません凛。貴女のことを考えず、私達だけこんな食事にありついてしまって。しかしご安心を。凛の中華料理についてはシロウも太鼓判を押すほど。きっとこれらに勝る料理を自らの手で作り、今度は三人で卓に着くとしましょう。ええ私も是非手伝わせていただきますので、今回についてはご勘弁願いたい。

 

 ほう、このエビチリ、身がしっかりとしていて歯ごたえがありますね。口の中でアンと絡んで上質な味わいを引き立たせている。

 海鮮炒飯にしても薄過ぎず、濃過ぎずと程よい味付けでパラパラと米が細かく丁寧に扱われているのが分かります。

 横に座っているシロウもなかなかの味に舌鼓を打っているようですし、このような場所を教えていただけるとは誠に感謝の極みです。

 そうして追加注文もひと段落(・・・・)し、一息吐いていると、向かい側の椅子に座るミス・グラリウスが僅かに姿勢を崩した。

 

「よく食うね、お嬢ちゃん」

 

「いえ、それほどでも」

 

 まだ腹八分目ほどですので。

 

 

「そうかいそうかい。ウチの知り合いにはあんまり食うやつがいなくてね。切嗣(・・)のヤツもせっかくのあたしの誘いを全部断りやがったもんさね」

 

 

 

 ーーーーーーーーーはい?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いえ、それほどでも。

 と言ったセイバーに苦笑を浮かべる。

 セイバー、好きに食べなと言われたとはいえ、限度とか配慮とかはあるんだぞ。

 いや、それを気にせず好きに食べてしまう辺りがセイバーの素直なところかもしれないし、美味しいものを美味しそうに食べているセイバーの顔は見ていて心地いい。でもなんだかな。俺の料理以外でもそんな笑顔を浮かべられるのを見ていると、なんだか寂しいというか。

 少しだけ妬いてしまう、というか。

 いかんな、何恥ずかしいこと考えてんだ。

 

「そうかいそうかい。ウチの知り合いにはあんまり食うやつがいなくてね。切嗣(・・)のヤツもせっかくのあたしの誘いを全部断りやがったもんさね」

 

 ………………。

 ………………………。

 

 えっ……?

 

「ーーーーきり、つぐ?」

 

 一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。

 ただ、無性に懐かしい名前が、俺でも藤ねえでも雷画爺さんでも無く、この前出会ったばかりの人の口から出たことにただひたすらに驚いて、呆然としてしまった。

 

「そうさ、衛宮切嗣。坊やの父ちゃんなんだろ」

 

「えっと……あの、」

 

 さも当たり前のように口に出された名前に言葉が詰まる。

 

 ーーーそこで、ふと思い出した。

 

 以前、俺が初めてルヴィアさんと一緒に店の方に訪れた時だ。あの時、グラリウスさんは俺を誰だと質問してきて、それに俺は衛宮士郎だと応えた。それ以外の言葉なんてなかったし、あの場ではそれだけで十分だと思った。

 そして、異様に驚いたような表情。

 あれはてっきり、ルヴィアさんが毛嫌いしているはずの日本人を連れ立って来店したからなのだと思った。勝手に(・・・)そう思い込んだ。

 

 ーーーでも、そうじゃなかった?

 

 俺が日本人で、しかも『衛宮』の性を名乗っていたから驚いたのか?

 

「……ミス・グラリウス。衛宮切嗣をご存知で?」

 

 問いかけるセイバーの声は少しだけ固い。

 姿勢を正し、グラリウスさんを見据えている。

 

「知ってるよ。フユキの聖杯戦争前、ヤツに依頼されて時計塔の内偵をやってたりもした。あたし以外にも仲間を潜り込ませていたりもしたようだけどね。あたしは基本なんでもやってる。武器の手入れも仕事の斡旋も、仲介人紛いのことだってね。情報屋としても色々と話をしたもんさ」

 

 聖杯戦争終了後。

 俺はセイバーから改めて話をされた。

 前回の、第四次聖杯戦争のことを。

 セイバーが切嗣のサーヴァントだったことも。そこでの出来事も、言峰綺礼のことも。

 セイバーの最後も。

 

「身内のことは滅多に明かさない奴だったし、そんなもんだと割り切っていた。仕事だからね」

 

 ーーーだが、と。

 そこで言葉を区切り、俺をじっと見つめて。

 

「いつだったかね。 戦争が終わってから、あいつが一度だけ(・・・・)あたしのところを訪ねてきた」

 

 きっとそれは、旅行に行ってくると言って、家を離れた数ある内の一回だろう。爺さんは日に日に衰えていく身体を押してスーツケースを抱えてあの玄関を出ていく。

 

 その背中をいつも、いつも、いつも。

 

 俺はずっと、見ていたから。

 

「ボロボロでやつれた顔でやってきて「少しだけ休ませてほしい」なんて言って、一日二日と寝たきりでいれば「何か食べに行かないか?」なんてほざきやがる。今まで見たことのないツラでそう言ってきたから、ここに連れてきた」

 

 今、坊やが座ってる席さーーー。

 

 切嗣が死んだのはもう五年以上前のことだ。それなのにこの人はそんなことを忘れずに覚えていた。覚えていてくれたのか。

 

「あの道場はね、切嗣(あいつ)の持ち物さ」

 

「えっ?」

 

「銃ばっか使う奴だが、近接での格闘もそれなりにこなしていたからね。竹刀も木剣も用意したのはあいつで、あたしのところに来たのは、あの道場を譲ろうと思っていたからと帰り際に言いやがった。こっちはいい迷惑だったが、わざわざ使うような物好きがいたらくれてやろうくらいで構えてたんだがね。 ーーーーあんたらが来た」

 

 ドクンと、身体がアツイ。

 心臓がやかましい。

 言葉を聞いているだけなのに、どうしてこんなに汗をかいてるんだろう。

 

 ……子供の頃は、道着を身につけて切嗣とよく竹刀を交えた。藤ねえもいたしコテンパンにやられる俺を隅っこの方に座って見ていたり。

 それが悔しくて藤ねえに挑んで負けまくって、そんな俺の姿を笑ってみせたり。

 体力がなくなって、切嗣が竹刀を振るえなくなった頃には俺も道場には行かなくなった。そうして旅行にも行かず家でのんびりと、穏やかに過ごす切嗣の姿に、嬉しさと一緒に、何処か寂しくもあった。

 もう出掛けないのか。

 出掛けたくても出掛けられないほどに身体が想いに追いつかなくなったのか。今にして思えばそれが爺さんの最期を想わせるようで、なんだか無性に考えたくなくてーーー。

 考えないようにして、毎日料理に励んでいたような気がする。

 

「切嗣……親父は他に何か言ってましたか……?」

 

 いつも俺と藤ねえで切嗣の帰りを待つ。

 そうして帰ってきた切嗣は、あまりその話をすることはなかった。最初のうちは藤ねえがしきりに聞いていたが、うまい具合にはぐらかして、話題をそらして。

 そんな様子に藤ねえも何か思うところがあったんだろう。いつしか切嗣に旅行の話題を持ち出すことはなくなった。

 

 だから、今、その……。

 うまく言葉に出来ないけど。

 聞かずにはいられなかった。

 

「ーーーー息子が出来た(・・・・・・)、とさ。あまりにも嬉しそうに笑うもんだからケツを蹴っ飛ばしてやった」

 

 そうして、その背中を見送ってーーー。

 

「それっきりパッタリさ。まあ薄々はもう長くないことは勘付いていたしね。 そうかい、やっぱりあいつはオッチんだか」

 

「すみません。 連絡とか出来なくて」

 

「いいさ。別にそれほど親しかったわけでもない。あいつがやってきた事を思えば。 魔術なんてもんに関わってる以上、いつくたばってもおかしくはない。 ……だが、」

 

 ーーーそうか、死んだのかい。

 

 グラリウスさんはそう言って、手にしているグラスの中身を飲み干した。

 この人が切嗣をどう思っていたかはわからない。けど嫌ってはいなかったことくらいは俺なんかでもわかる。そうだ。そうなんだ。

 藤村組のみんなも。

 雷画の爺さんも。

 藤ねえも。

 そして、俺も。

 みんな、切嗣が大好きだったのだ。

 過去に何があっても、どんな事をしていたとしても、俺たちにとっての衛宮切嗣は愛すべき人だった。そしてそれは決して俺たちに限った話ではなくてーーー。

 

「じゃあ、あとは好きにやんな。道場についてはいつでも使っていいし、なんなら掃除もやっといてくれ」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 お代はこっち持ちだ。

 なんて言って、グラリウスさんは席を立った。タイミングを見計らったようにセイバーが追加で頼んでおいた料理が届く。こんな風にご飯を奢ってくれる。それはいつかの爺さんへ宛てた何かの意思表示だったのだろうか。

 なんだかやけにお腹が空いてしまったので、セイバーと共に料理に手を伸ばす。いつになくたくさん食べてしまい、正直夕ご飯はいらないんじゃないかってくらいだ。

 

 店の人にも御礼を述べてからお腹をさすりながら店を後にする。ここは塔の中だし、しかも外は外で地下空洞なので、地上の様子がどうなっているのかは分からない。

 体感時間的には多分陽も暮れて、肌寒さが一気に増した頃だろう。遠坂に悪い事したな。まあでもセイバー用の夜食も幾らか用意はあるし小腹が空いたとしても大丈夫だろう。

 セイバーと並んで賑やかな街道を歩く。

 さっそく道場に戻って再開したいところだけど、さすがに食べたばっかり、しかも食べ過ぎという二重の重みのせいで上手く身体が動かせそうにない。

 

「シロウ、提案ですが今日の続きはーーー」

 

「うん。また今度にしよう。明日はルヴィアさんのところでバイトだからさ。 ……しかし、まさかあそこの持ち主が切嗣だったとはな」

 

「まったくです。倫敦にまで来て、このような縁に見舞われるとは」

 

 セイバーは肩を落として苦笑する。

 セイバーは爺さんとはほとんど口をきかなかったらしい。互いに互いの価値観も思考も、あの戦争時では理解するには何もかもが足りなかった。そして最期の時はきた。

 セイバーは聖杯を破壊し、杯の中から溢れ出した厄災が全てを蝕んだ。

 人も、街も、心も。

 その地獄の果てに、俺は衛宮切嗣に拾われた。あの頃はこんな自分を想像する事なんて出来なかった。

 セイバーと出会い、遠坂と言葉を交わし。

 多くの痛みを伴って、俺は今ここにきた。

 爺さんとの最期の夜。

 あそこからーーー。

 ここまで来たんだな、俺は。

 

「あーーーーー」

 

「シロウ?」

 

「いや、ひとつ、思い出した」

 

 どうして忘れてたんだろう。

 切嗣が長く続けていた海外旅行。

 その最後。

 切嗣が何処にも行かず、家にいるようになったその最後の旅行から家に帰ってきた時。

 コートはボロボロ。顔は酷くやつれて。

 キズだらけのスーツケースを手に持って。

 今まで何も言わなかったはずの親父が、帰ってきた時に一言だけ、俺にこう言ったんだ。

 

「『やっぱりダメだったよ』って……。 あの時の親父は笑ってた。 けど、それ以上に寂しそうに見えたんだ」

 

 セイバーから聞いていた。

 第四次聖杯戦争、自分はアインツベルンのサーヴァントとして戦いに臨んだと。

 アインツベルン。

 その名を持つ少女を、俺は知っている。

 助けられなかった女の子。

 命を刈り取られたその瞬間、俺は何も出来ずにいるだけだった。

 

 きっと、今まで切嗣は何度も。

 何度も何度も何度も何度も何度も。

 大切な人を迎えに行って。

 でも、『やっぱりダメだったよ』なんて言ってしまうくらいに、何も出来ずに衛宮の家に帰ってきていたのか。

 そして、もう無理なんだと。

 ボロボロの身体を動かして帰ってきてくれた。俺たちが待つ、あの家に。

 

「ーーーーシロウ」

 

「え?」

 

「ーーーーーどうぞ」

 

 セイバーから渡されたのは一枚のハンカチ。

 

「え、セイバー?」

 

「涙を拭いてください」

 

 ーーーー涙?

 

 えっ……あれ?

 どうして、俺、泣いて……。

 頬を伝うソレを服の袖で。

 止まらなくて、セイバーから渡されたハンカチで拭う。なにやってんだろう、俺。

 情けないな、セイバーの前で。

 

「ごめん、なんか俺……」

 

 かっこ悪いとこばっか見せてる。

 少しは良いところも見せたいってのに。

 セイバーに背を向ける。

 早く涙を拭いたくて、早く止まれと自分に囁きながら目元を擦る。これじゃあ間違いなく赤くなっていそうだけど。

 

「いえ、いいのです。 凛と合流するまで、時間はまだありますから」

 

 そうだな。

 こんな顔、遠坂には見せられない。

 どんな風にからかわれるか、わからないからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タバコに火をつける。

 燻る煙に、いつかの想いを馳せる。

 彼女が思うは昔々。

 馴染みの女が、一人のガキをつれてやってきた。孕んだ様子がないにしても親子ほど年の離れたその男女の姿は見ていて実に摩訶不思議だった。どうやら女はそのガキに自身と同じ道行く者として案内人を務めているようだ。

 その顔は渋々そうで、決めちまったものを撤回できず、かといって率先してやるわけでもないその女には似合わない、今まで見たことのない中途半端さを醸し出させていた。

 

 

 ーーーー運が悪かったね。

 

 

 ーーーー別に、成り行きさ。

 

 

 タバコをふかしながらそんな会話をした。

 女はガキをつれて、仕事をした。

 もちろん、魔術協会相手の汚れ仕事の請負なんざろくなもんじゃない。それは一回経験すればどんなガキでも、学校で何かを学ぶよりも容易い回答を得られるだろう。

 しかし、そのガキは年を重ねるごとに段々とその役目を忠実にこなしていく。なんならその案内人を差し置いて、その光の褪せた黒く澄んだ純粋な瞳で人を見て人を殺す。

 そして、いつだったか。

 

 ーーー女が死んだ。

 

 それは表社会での報道の対象となった。

 旅客機ごとの爆撃。

 魔術絡みの案件はエンジントラブルによる痛ましい凄惨な飛行機事故として世間へ拡散した。そのあと、ガキはいっぱしの男の顔をして度々仕事絡みでやってくる。

 

 その、前にもまして光の失せた瞳で。

 世界を映し見てだ。

 

 時は経ち、その男は『魔術師殺し』なんて大層な名前をつけられた。

 目の敵にされても、男は気にしない。その意識が正しいものだと男は理解していた。自分が異端であり、そして異端であるからこそ男は魔術師達の天敵たりえた。

 

 ーーー聖杯戦争。

 極東の地で行なわれるという大儀式。

 魔術師達の殺し合いの果てにただ一つの願いを叶えんと吼える杯の呼び声に男は応えた。

 

 時計塔から抜擢され、資格を勝ち得た者の調査を依頼された。

 

 そこからはなんの音沙汰もなく。

 ただひとつだけはっきりしているのは。

 

 ーーー聖杯戦争が終結した。

 

 時計塔から派遣された高名な魔術師は死に、代わりに別枠で参加しているらしかった学生がひとり、時計塔へ舞い戻り、その間のゴタゴタでエルメロイの称号を譲渡される運びになったことは当時かなりの話題であった。

 

 ーーーけれど、あの男の名は、あれ以来ぷつりと途絶えたまま。

 

 殺し合いの末に呆気なく死んだか。

 それも致し方なし。

 ただ、ひとつ。

 男が英国にひっそりと用意していた和風の鍛錬場だけが残っていた。

 

 

 ーーーー預かっていてくれないか。

 ーーーーアンタなら任せてもいい。

 

 

 なんて遺言だけが頭に隅に残る。

 そうしてなんとなく、鍛錬場の管理をし。

 

 その本来の持ち主のことなど忘れかけていた頃だった。

 

 

 ーーーーやあ、生きてたか。

 

 

 なんて。

 久しぶりに見たそのツラは痩せ細り、ほのかに穏やかな笑みを浮かべるその様子に、その言葉の皮肉がどうでもよくなるほどに驚愕した。

 その瞳の中に、小さな火が灯っている。

 それはまるで人間のようだった。

 今まで殺し合いの中に身を置いていた奴は、久々に会ってみたらただの人間になっていた。

 違うのはただの人間は、ボロ雑巾のような格好でこんな場所に立ち寄ったりはしないってことだけだ。

 

 疲れているので少しだけ休みたいと、そう懇願する様子に呆気に取られ、すんなりと了承してみれば、男の様子は手に取るようにわかった。間違いなく良くないモノに憑かれている。

 それはもう呪いと言っていいだろう。

 男が死ぬまで、その呪いは苦しみを与え、そして命を奪い取っていく。もう手遅れに近いものだった。男も男で死期を悟っているようだった。ここに来た理由も、本当はあの道場を譲るつもりだったと言う。

 

 面倒なものを押し付けて、そのまま放置かと言いたくもなる。悪態をつけば微かに笑って男はろくに回復もしていない身体で立ち上がり、ここから立ち去ろうとする。

 

 

 ーーーー行くアテがあんのかい?

 

 意味もなく聞いてしまった。

 

 

 ーーーーうん、待ってくれてる人達がいるからね。

 

 

 男は笑って応えた。そして。

 

 

 ーーーー息子が出来たんだ。

 

 

 子供の自慢をする父親のような。

 いや、実際そうなのだろう。あのガキはいつしか、大人になり、親になっていた。

 

 

 ーーーー料理が上手な子でね、いつもレシピを漁って、美味しいものを作ってくれるんだ。だから食べられるうちに食べておかないと。

 

 

 優しいものを想うように。

 男の目はどこか遠くを見ている。

 それがあまりにも眩しくて。

 

 

 ーーーー魔術を教えてるのかい?

 

 

 なんて柄にもなく嫌味を言ってしまう。

 男はゆっくりと頷いた。

 けれど、それは魔術使いの顔ではない。

 ひとりの、子供を想う親の顔。

 嗚呼、本当にこいつは親になったのか。

 そう思うと、自身の大人気なさに内心舌打ちも出てしまう。

 

 

 ーーーーあの子がこれからどうなるのかは、わからない。 とても辛い思いをすることになるかもしれない。 けれど、もしかしたら魔術をやめることになるかもしれない。

 

 

 ーーーーじゃあ、もし、そのまま魔術を学び続けてりゃ、時計塔に来るかもしれないね。

 

 

 ーーーーああ、そうだな。その時はあの子にあの道場を貸してやってくれると助かるよ。

 

 

 そうであってほしくないと、顔に出てるなんて指摘するだけ無駄だろう。きっとその時、男はもうこの世にはいないだろうから。

 それをわかりながら、男は笑う。

 

 

 

 ーーーー僕なんかより、あの子はずっと強い。

 

 ーーーーきっと、自分の()を追いかけるだろうから。

 

 

 

 それが、衛宮切嗣との別れだった。

 

 以来、魔術師殺しの名は聞くこともなく。

 時は流れ行く。

 

 そしてーーーー。

 

 

「なにが『僕なんかより』さ。ーーーアンタそっくりだよ、切嗣」

 

 

 唇から零れた煙が揺れる。その隙間からわずかな残滓(きおく)が視界に過る。

 

 昔馴染みの女がニヤリと笑っている。

 タバコが吸いたくて生霊にでも化けたかと錯覚しそうになる。

 そこでガチャリとあの女と同じくらいの、それ以上に濃い青色の髪の少女が現れた。

 

「ただいまー。 あ、シア婆、店内で喫煙はダメって言ったでしょう! 商品に匂いが付いちゃうじゃない!」

 

「うるさい娘だねー。いいだろ、ここはあたしの店なんだから」

 

「なら私はここの従業員ですー! もうお客さん離れたら給金減っちゃうじゃないー!」

 

「はいはい」

 

 「はいは一回!」と言ってからこの店唯一のバイトは裏へと消えてゆく。

 

 その背中を見送ってから、もう一度煙を吐き出し。

 

 

「女といい、男といい……面倒な土産を置いていくね。 残される方の身にもなってみろってんだい」

 

 

 

 

 


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